私の独り言 2011年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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 7月 私の独り言2011 
   
   
3日(日)  今日は、 朝遅くなったが、教会へ。聖餐式。いつも思うが、家の教会の先生はよく勉強し、説教を聴くたびに何か発見がある。慰めるというのは、一緒にいて、声をかけるとかという意味がギリシア語にあるという。ふ~~ん。誰もいないようだけれど、見えない神様だけでもそばにいてくれるだろうという安心感。信じるかどうかはあなた次第だけれど。精霊の働きなどというと、直さら駄目かな。

午後はスーパーによって買い物。またまた、7千円などという量を買った。いつになっても、食費に掛かるお金は減らないなあ。その後、帰宅し、昼食後、バスにのって、代々木の体育館へ。初めて代々木の体育館に行った。あの屋根が巻いている有名な建物。昔のオリンピックプール。尾崎豊が最後のコンサートをした場所である。MIXIにいろいろ書いたので、コピーする。

浜省のコンサートに行った。

初めての浜省ライブコンサートだった。
そもそも、私が行ったことのあるコンサートは最近ない。
赤坂で尾崎の音楽を使ったミュージカルを見たのが、最後かなあ。

それで、話を戻すと、あまり面白くなかった。
音楽は大半知っていた。
先週、友達からセットリストとを貰って、Uつべで復習していたから。
音は良かった。映像も田島さんらしかった。
(きれいだったけど、だからといって、素晴らしいとは思えなかった。)
スピーカーだって良かったし、
編曲:町支寛二で有名な町支寛二さんもリードギターですごかったし、
サイドギターの長田進さんも昔どおりにかっこよかった。
ドラムも、ピアノも、弦も素敵だった。

皆良かったし、うなってしまうような音もあったし、
浜省の「悲しみは雪のように」は思わず涙が出た。
それでも私には不満が残った。

あの広島原爆の写真を飾りに使ったのか!
戦後からのオマージュのような、コラージュのような映像はナンだったか。
3.11の被災者のことを多少話したが、来週仙台のコンサートが出来ないから、
東北からも人が着ていてくれているというだけだった。
次世代の残せるものというコンセプトもあったようだが、
現在あるカオスについて何も述べなかったのは何でか。

勿論、あれはコンサートで、歌と音楽を楽しんで、明日の糧にすればいいのさ。
そうかい?!3ヶ月も前に起った事を、何の分析も何の考察もしないで、
明日の糧に音楽を聴いていってくれってなんだろう、と思うわけさ。
原発の事故、放射能の危険や不安は、歌わないってことなんだわ。
一言も言わないで、昔の歌を歌えばいいっての?
まあねえ、反戦集会でもないし、単にJーPOPのコンサートなんだから、 そんなものよというのかな。
何も尾崎のように、核なんて歌えって言うわけでもないけれど。

なんかなあ。鋭くなくなった昔の名残の何かをみているように思ったんだ。
失った20年間(これについては何か言ってわね)をいえても、あまりに生々しい
現在については、目を閉じたかったのかな。
エンターテーナーとして、現実についての、現在の判断が定まってから、
浜省は批評家のような事をいうのかもしれない、って思ったのよ。
それとも、何も言わずに、父親だとかって言う歌を歌うのかな。
今度は孫の事を歌うかもしれないわね。

というわけで、今、私は自分が戦っていることを再認識したわ。
それに、私は絶対権力側にいけない人間なんだって言うのも、確認してしまった。
弱者のほうばかり向いている。だから、社会のひずみのほうへ、心が向く。
そして、闘っても闘っても、負け続けるから、
自分の力の弱さにいつもいつも嘆き、無力感にさえなまれ続け、
自分が自分であるために、勝ち続けなければと思いながらも、
時には心が折れたりしている。
そんな自分である事を分かっただけでも、価値ある浜省コンサートだったのかもしれない。

それでも、私は戦い続けるんだろうと、思った。
闘い続けて死んでいった尾崎が好きだ。


ナンでしょうね。コンサートで心が活発化している時に書いたのだから、かなり辛らつ。
「ロックンローラーには哲学が無ければならない」(ローリングストーン日本版)って須藤さんが言っていたが、
3.11にもっと何かをビビットに反応しなかったのには、浜省はメッセンジャーだという先入観があっただけに、肩透かしを食った思いだ。
歌を明日の糧という人(この場合浜省)の前向きさには付いていけないのだ。
頑張れ日本も、これ以上何を頑張ればいいのさ、などと思う私。

という事で、少し興奮して原宿から戻ってきた。最近は原宿に出る機会が多いなあ。

興奮していて、2時過ぎまで眠られなかった。
2日(土)   今日は、朝家事に励んだ。珍しく、夫にブルーベリーパンケーキなどを作ってあげた。美味しいコーヒーを入れて、少しゆっくり。しかし、洗濯物は待ってくれないし、昨日からのお皿は流しにいっぱいになっていて・・・・

その後、嫌がる夫を励ましながら、寝室を片付けた。何しろ、何がなんだか分からないけれど、乱雑かつ、ものでいっぱいだったわけだ。夫は物を捨てるのが嫌いだし、片付けになると機嫌が最悪になる。どうして、あんなに優しくて温厚な彼が、お片づけと私が言うだけでああなるのか不可思議な事である。でも、私の一存で捨てられないものが多いから、彼が嫌だろうが、しなければ片付かないのだ。私達の部屋は片付いたが、要らないものを子ども達の部屋に入れたような感じもある。大変。それでも、最近あけたことの無いようなバックからイヤリングが出てきたりして、まあ、良かった事。

午後からは娘を連れて、ピアノの先生のところに。友達の娘さんが行っているところで、障害者にも理解のある先生だ。友達の娘さんはもう20年近く習っているという事だった。娘もやりたいなどと言っていた。よかったなあ。何かすることを見つけられて。そうそう、ピアノの調律をしてもらわなければならないが、何年もしていないから、どのくらい掛かるかとても心配。

パン屋によって帰ってきた。なんだか、最近は湿度が高くて体がだるく思える。寝不足もあるかなあ。どうしても、テレビを見たり、PCで遊んだりしてしまう。それがいけないね。夜も結局更けてしまったが、早寝を心がけている。
1日(金)   今日は朝からとても忙しかった。7月に入ったのも忘れて、家事に勤しんでいたら、お手伝いさんが現れ、びっくり。そうだ、今日はもう7月になったんだと、愕然としてしまった。月日は飛ぶように過ぎていく・・・

とにかく、昨日出していたラベルを封筒に貼り、今まで作ったネットニュースや議会レポートを増す刷りし、今回は入会依頼と郵便局の振込み書までいれたから、結構大変な作業になってしまった。しかも、全部を自分でやったのだから、今日、お手伝いさんが来なかったら終わらなかったんだろうと思う。夕方、4時過ぎ、郵便局へ市外と市内の会員さん、サポーターさんへのお手紙を持っていった。後近場は自分で行く事にする。

その後、役所に行き、今日からの節電をどのようにしているか聞いた。頑張っているようだが、役所の中の28度は暑い。団扇を貰ってしまった。そのぐらいムシムシしている。仕事の効率がさがっても仕方が無いかなあ。これから来年度予算の事やら、決算関係の事やらで大変になるのだろうが、健康にだけは注意して。スーパークールビズでもいいかもしれない。半ズボンOKよ。

そのあと、都市づくり推進部へ。西口と東口の進捗状況を聞いた。東口も何とか早期着工が出来そうである。良かった。お金の目処もありそうだ。ただ、東口に関しては反対していた地権者の方々もまだいるから、どうなる事かとも思う。次は入曽になるだろうが、駅前広場だけでも何とか補助金の目処をつけるべきだが、まだまだ区画整理事業にこだわりがあるみたい。駅広だけでもいいと思うなあ。

その後、保育課へ。入曽乳幼児保育所の件。祇園保育所の件。土日の保育の件など。入曽乳幼児保育所の件は安全を考えれば仕方が無いだろう。祇園保育所はお母さん方が望んでいた場所に移設されそうだ。土日の保育はあまり考えていないようだ。もう、あすからホンダさんは土日出勤になる。さてさて、ホンダの皆さんの保育事情はどうだろうか、またその系列企業の労働者の子ども達の保育はどうなるかなあ。動きが鈍かったとおもうね。入曽乳幼児保育所の件で、保育課は大変だったとは分かってはいるけれど。

帰ってくる道筋にヤオコーがあったので、よって買い物。帰って食事をしたが、一応郵便を届けたので、ほっとしている。夜はワールドカップ女子のテレビを見た。その後、PCでいろいろ・・・
  6月  私の独り言2011 
30日(木)   今日は午前中に家事に励んだが、午後からはラベル作り。出来る限り、新しい住所録を作りたかったのだが、実際作ってみると、まるで使い物にならないのだ。それで、いろいろ試行錯誤したが、出来ない!!!

イラつく事限りなし。ソフトの勉強もしないで、使いながら考えようという態度だから、何かをすると又逆戻りなんてことも多くて、腹が立つ。自分に?いやPCに。勿論、八つ当たりだとは思うのだが、だって使えない・・・・仕方が無いので、夫に助けてもらおうと思った。

夫が帰ってきて、PCを立ち上げ、少ししたら、出来た!! こういうものよ。ギブアップすれば、出来たりする!!そもそも、夫に助けを求める事が嫌だったんだ。自分で自分のことをコントロールしたいと思っているから。良かった聞かないうちにできて。でも、失敗作が何枚もあるのを夫が見てあきれて言いましたけれど・・・トホホ。

ラベル作りができたので、明日は発送に取り掛かろうと思う。
29日(水)   今日は、朝から家事に励んだ。蒸すわ。暑いわね。体を動かしているとなお更感じる。

午後には挨拶文を書いていた。郵送の時には何かしらの挨拶を入れることにしている。書いては読み返し、直したりする。結局言いたい事が多いので、B5をA4に大きくした。いつもいつも地道に活動を続けている。今は選挙事務所も閉鎖して、また一人でしているから、大変なんだわ。

夜は、ピラティス。本当に体が年を取ってしまって、若い人たちについていけない。時々、脇腹が釣ったり、足がつったりで、老化しているなあこの体。ピラティスの後、少しチラシ配りをして、帰ってきた。暑いのでまるでゴキブリみたいに夜に徘徊しています。
28日(火)   今日も朝から家事に励んだ。何しろ、洗濯物は溜まるし、食器は山積みだし、しないほうが気になる。

午後からは原稿書き。ネットニュースの49の原稿を作った。裏表を考えて、イラストも張ったりした。これで一日が終わってしまった。夜はチラシ配りをした。
27日(月)   今週はお手伝いさんが来ない月末である。午前中は2階を少し片付けたり、洗濯をしたりと忙しかった。あっという間に午前中が終わってしまう。そうそう、2階のエアコンのフィルターまで掃除をした。じめじめしていて、涼しいけれど、なんだかカビが生えてきそうだ。まあ、梅雨ですからね。

午後になってようやくHPの更新を始めている。思い出すこともあり、少し時間を置いてみればそれはそれで良いように思えることもある。議員って一体なんだろうと思う。24時間、365日議員をしている。何を見ても、市政のことに結び付けてしまうなあ。そろそろ、次の議会のことを考えている。やはり保育所問題かなとも思うが、誰が市長になるのか分からないからね。

ただ、女性問題をきちんとしてくれる人に市長になってほしいと願っている。仲川さんは財政をきちんとしたが、女性問題に関しては一点の進歩もなく、女性団体を殺してしまった。それには、前の市民次長、M島さんの女性蔑視に近い動きも関係していたのかもしれないが、それ以上に仲川さんに女性に対する思いがぜんぜんないという事が原因だと思う。女性をきちんと登用使用などという答弁を一度も聞いていない。平等に、平等に、公平に、公平にと言いながら、結果はぜんぜん平等でもなく、公平でもない。

また、この前の議会で、男女共同参画センターに相談室をわざわざ作ったというのに、相談業務を行なわないというのを聞いて、あきれ果ててしまった。何のために、私達建設委員は公益施設の中身の検討をしたのよ。相談室には戸を2箇所などとかなり具体的な話までしていたんだわよ。

こんばんは、サピオにトレーニングに出かけるつもり。
26日(日)   今日は北入曽教会で礼拝を持った。若い研修生のような牧師が説教をしていた。とても笑顔がきれいな若い人だった。なぜあんなきれいな笑顔を絶やさずにいられるのだろうかと、彼の学生時代のDVDを見ながら思った。人生は楽しむためにあると思う。それなのに、どうしてこんなに楽しくないのだろう。デブにならないようにダイエット。美味しい食べ物も我慢我慢。つまらないなあ。おかしい事、面白い事の少ない事。逆に腹が立ったり、心配したりする事が沢山ある。嫌だなあ。あの、牧師の笑顔に何か癒された。私もにこやかにしていたい。

午後ブックオフ、イオン(カルフール)2よって帰ってきた。本当に今日はのんびり気分だ。午後遅くベッドに入って寝転んで本を読んだ。この前こんな事をしたのはいつの事だろう。だらだらするのがとても嬉しかった。来週も忙しいしね。

6時ごろに夫が帰ってきた。私は、もう今日は何もしないと決めていたので、お酒のオンザロックを飲み、フランスパンにパテェやブルーチーズを乗せ、食べた。ジャガイモを買ってあったので、新じゃがをゆでて食べたが、塩だけでも美味しかった。ちなみにこのジャガイモは狭山市のもの。午後にフレッシュマートで卵などと一緒に買ってきた。卵も値段が高かったものの、大きくてそれに美味しかった。これは目玉焼きにして食べた。いつも腹八分目だなあ。なんだか、どうしても口寂しくなって、だらだらと食べている。きっと明日は太るだろうな。

明日はHPを更新しなければならないな。
25日(土)   今日は午前中に新聞の折込のために、各新聞配達所を回った。日曜日に入るのは、朝日と読売、あとの2箇所は月曜日と火曜日だそうだ。高い料金だが、仕方が無いかな。自分ではあんなに多く1日や2日で回りきれないものね。一応議会レポートを送り、ほっとした。これであと会員さんにネットニュースを送ればそれで6月議会の仕事も終わる。来週はそれをしようと思う。

午後は、珍しく家事に明け暮れた。選挙後、事務所の中は選挙グッツがしまわれなくて、床に置きっぱなしだったから、それを倉庫に入れたりした。片付け始めるときりがない。そのあとで、びわを取った。小さいけれどおいしかった。

さて、夜は珍しく冷えたワインを飲んだ。議会レポートもひと段落したので、ほっとしたというのが本音である。

夜遅く、織田裕二主演の「アンダルシア」を見に行った。初日だからか、9時からの上映だったが沢山の観客がいて驚いた。私は織田裕二のファンである。玉木宏ものだめ以来好きだけれど、主演のものが無いからあまり彼の映画を見ない。とにかく、映像がきれいだ。「スペインに行きたいね」と夫と言い合った。ストーリーは意外性もあったし、面白かったが、黒木メイという人の演技力があまり無くて、この前のきれいな女優(名前忘れた)に比べ、見劣りした。だって、今回は彼女が主役みたいなものだった。ボンドガール風にもっと色っぽくしたたかな女性が演じればよかったのにというのが私の感想。続くって感じだったから、次の映画が待ち遠しいな。
24日(金)   今日は朝から印刷をした。裏表何万枚も印刷する。たかが印刷、なれど印刷。出来る限り、きれいに印刷したい。読んでいただくんだもの。夜までに印刷を終えた。あのカチャカチャという音で耳が疲れ果ててしまった。

なんだか本当に疲れて、夜は入間の湯へ。今日は珍しくマッサージをしてもらった。とても凝っていたらしく、少しぐらいじゃ痛みすら感じなかった。40分してもらったら、少しぼおっとした。気持ちが良かった。
23日(木)   今日は、午前中に議会レポートを書き上げ、校正を済ませ、午後にはイラストをはり、原稿を完成させた。午後、友達が家に来て、雑談をしながら仕事をした。夕方、4時半、東京御茶ノ水へ。明治大学で又シンポジウムがあったのだ。先月の「司法、検察、冤罪」のパート2。シンポジストも豪華で、今回初めて広中弁護士(村木さんの弁護人)や佐藤弁護士(足利事件の弁護人)などの話を聞いた。今回は、羽賀健二事件が取り上げられ、その不思議な事件の構図にみんなが頭を痛めた。どうして、3億円だ12億円だと暴力団を使ってゆすられた羽賀氏が恐喝未遂となるんだろう。反対のように思えるけれど。それで、第一審は無罪となった。当たり前だろうよ。しかし、それと同時に、ここは本当に怒るべきところだが、羽賀氏に有利な証言をした証人が偽証罪で有罪となったこと。その偽証とは証人は知人と言ったのだが、もっと親しい友人だったのではないかという事だった。は~~、それが偽証???

知人だって友人だって、どれほどの違いがあるのだ。それに、そのことが羽賀健二事件とぜんぜん関係がないと裁判所で言っているのに、第2審では偽証するようなことではと、逆転有罪となった。検察は、その心証を得るために、実は裁判で明らかにすべき事をなんと在宅起訴して偽証罪で立件した。これは言論弾圧の何者でもない。検察のする事は全くでたらめじゃないかって思ってしまうことが多い。出来れば、一生こんな事に関わらずにひっそりと暮らしたいものだ。心からこの社会が怖くなっている。

よく闘っている人がいるなあと思う。それをバックアップしている人もいると思う。頑張るなあ。神様は正しい事を見ていてくださると思うけれど、頑張る大変さと勇気は感服に値する。いつものとおりに豪華メンバーのシンポだったが、終わりが9時半。急いで戻っても結局11時。このシンポに参加することが、冤罪被害から人々を守る手助けとなればいいなあと思っている。なんだか、デモに出かけるのと同じ心境だわ。
22日(水)   今日は午前中に議会レポートを書いていたが、午後は娘を連れて銀行へ行って、彼女の通帳を作ってもらうようにした。彼女がなくしてしまったから。彼女に管理をさせる事はリスキーなのだが、私にはもうあれこれすべてを管理する気力がなくなっているのだ。本当は自分のことを自分で出来るといいんだけれど。一生面倒を見る事は私には出来そうもない。

それで、今後のグループホームの事について、役所で話をしに行ったのだ。彼女は役所で職員に話をし、そのあとで私と職員も含め、みのり福祉法人内にある生活相談に出かけた。まあ、顔つなぎという事。それにしても、みのりまで遠すぎる。歩いて優に20分は掛かる。駅からだと、30分は掛かる。どうしても、駅前に相談センターがほしい。稼働率30%という産業労働会館の多目的室といわれる1回部分に障害者用の相談センターを入れてほしいものである。身体障がい者の生活相談センターは大樹にあるが、奥富ですよ。どうやって手足の悪い人が行けるの?役人お勧めの公共交通機関も無いのだ。早く3障がい合同の生活相談センターがいる。それも、駅前がベスト。

なぜグループホームに入れたいか。勿論、人は自立するのである。それに、私は先ほど気力がなくなってきたと言ったが、誰かにその重荷を背負ってほしいと思う。全部とは言わない。でも、少しでも。娘には私は厳しすぎるし、娘も私の話を聞いているようで聞いていない。私には娘がどんどん重くなっている。だって、私が弱くなっている面もあるが、人の人生を私が背負うのが適当にも思えない。彼女は彼女の道を行けばいい。その自立の訓練が必要だと思う。いつまでも寄生虫では、いつの日か彼女は路頭に迷うだろう。

帰ってきて、少し遅くなったが、ピラティスへ。
21日(火)   今日は朝から原稿書き。急いで書かなければ今週末に折込に出来ないので、頑張った。すべてのページのレイアウトを変え、そのせいもあり、記事を書き直し、大変である。

議会が終わってちょっとほっとしたが、議会中に出来なかった銀行の手続きなどをしたりした。息子へ送金したら、夫の貯金が0となり、困ったものである。仕方が無いので、定期を解約。なんだか、積んでも積んでも降ろすのみ。後何年、こんな風に稼げば稼いだ分だけ出て行くことになるんだろう。

夜、サピオにトレーニングに出かけた。ふとって体が思うように動かない。
 20日(月) 今日は議会最終日だった。気持ちが切れていて、最終日に何も聞かず、ただただ進行をする議長を見ていた。進行が手順どおりに進み、安堵した人が多かったんだろうと思う。ただ、私は委員長報告など突っ込みたいところが多かったが、気持ちがついていかなかった。聞いたところでなんだというのだ。議会が活性化して、喜ぶのは誰か。議員はぽかんとして、早く終わればいいのにと思うだけなんだろう。そんな事を考えていたら、なんだか非常に空しい4期目初定例議会の最終日だった。4期以上の人が立った6人。ほかは3期までの若い新しい人ばかりだものね。

議会は私が何も質問もせず、討論もしないという状況では10時半に終わってしまった。そのまま、私は帰ってきた。する事は山ほどあって、議会レポートを書き直しをして、校正しなければならない。この前、教育委員会が放射能測定をしたので、原稿のかきかえがあり、それだけでなく、すべての記事のレイアウトすら変えなければならなくなった。2日分の作業が増えたんだから・・・

そんなこんなをしていたら、夜になって仕事に手がつかなくなり、入間の湯へ。
19日(日)  今日は午前中、礼拝。うちの牧師の礼拝は、バイブルスタディのようだが、本当に含蓄に富んでいる。今日は、ペンテコステの話だったわけだが、あの頃の教会の様子が少し分かったように思える。イエス様がいなくなった後の、イエス教団の実態という事なんだけれど。

午後は、戻って食事をしたけれど、お腹がすいていて、娘にお母さんは良く食べるね、などと驚かれた。父の日だから、直江津の父に電話。

5時前に夫が帰ってきて、二人で菖蒲を見に行ったが、菖蒲園には花が咲いていなかった。九頭竜池のほうに咲いているというので、歩いてそちらまで行った。車で着いた夫と合流して菖蒲を見た。沢山咲いていて、そよ風も吹いていて、心が和んだ。良い週末だったなあ。

ヤオコーでお寿司を買って、ビールを買って帰ってきた。今日は父の日。少し、ジムさんに何かをしてあげたかったから、少し高いビールを買って彼はご満足です。お寿司もおいしかったし、サッカーでは日本が勝ったし・・・少しリフレッシュできた日曜日でした。
 18日(土) 今日も結局忙しかった・・・

まず、夫とまたエミオデート。今日は、パン屋さんでデート。コーヒーはこちらのほうがヨーロッパ調で夫は好きだったようだ。私の食べたシナモンロールはターリーズのほうが美味しかったな。夫はなにかまた外国屋さんでお菓子などを買ったようだ。私は急いで新宿へ。

今日は、新宿でオザカラがあったので、1時間半ぐらい、皆さんと尾崎を歌いました。誰クラを歌ったけれど、難しいね。メロディーに言葉がついていかない。は~~。

急いで切り上げて、麹町の剛堂会館へ。都営地下鉄と有楽町線であっという間の距離。村木さんの講演。幼保一元化といわず、幼保一体化を行い、総合子ども園を作り上げるのだそうだ。本とでしょうかねえ。できますかね、この政権で。こども手当てがなくなるのを残念がっていました。だって日本の子ども育成に関しての予算額は、アメリカについで、世界でワーストですよ。アメリカだって、国はあまり出さないけれど、州で沢山出していますからね。幼稚園は義務教育ですよ、アメリカではね。というわけで、お金のない若い世代が子どもを産まないのも、経済的な問題が大きいと村木さんは言っていましたし、そんな事、言われなくても誰もが知っていることですよね。

村木さんの講演の最後は、例の冤罪事件のときの事。5つの危機の乗り越方を教えてもらいました。ふ~~ん、そうか。

5時。急いで麹町をでて、浦和美園へ。レッズの応援にだかけたのでした。スタジアムには夫と長男と彼女が来ていて、4人で応援したのですが、残念ながら、レッズはいいところ全く無かった。目の前で高原がヘディングで一点入れたときは敵ながら天晴れ。清水エスパルスには、小野も出ていたし、昔のオールスターズのような感じがした。この前の中村のフリーキックも興奮したしね。

がっかりして終わってから、レストランで食事。土曜日なので、ピアノの演奏が入っていた。今回はクラッシックでなかったので、尾崎のI LOVE YOUをリクエストしたら、引いてくれて、ちょっと嬉しかった。下手なピアノだったけれど。ハーフコースをゆっくり食事して、優雅な気持ちで帰ってきた。ダブルデートなんて、久しぶりの事だった。
17日(金)  今日は朝全協があった。その前に、 代表者会があったそうで、局長から話を聞いた。教育委員会が15,16日に放射能測定をしたという。へ~~、この前の答弁は一体何だったのよ。私には、7日の一般質問で、検討は7月の県の動向を見てからと言ったじゃないの。その舌の乾かないうちに、検討したのですか。まあ、それはいいことですから文句は言いますまい。しかし、私に一報あってもしかるべきじゃないですか!!!

議会の答弁をどう見ているかが問題なのです。そんなに簡単にひっくり返るものなのですね。だったら、答弁に7月といわず、状況次第では早くに狭山市独自に測定を行うこともあるといえば良いのに。なぜ、私が一晩も眠れないほどの怒りをもったのか。それは、教育委員会が子どもの健康や親の心配に背を向ける酷い姿勢に怒りが収まらなかったからだった。本当に、本当に、ストレスだ。私をストレスで病気にしているのは、誰なんだと思う。議長は全協の枕で、季節の変わり目なので健康に注意して・・とか言っていたが、議員はやわなんだから、過度のストレスを与えるような答弁を執行部にするなといってほしいものだ。

この事を、私と教育委員会の事、個人的な問題であると議長は言ったが、私はそうは思っていない。議会答弁と全く違う事を議会の最中に行うならば、私は議場で答弁を変える旨、きちんと教育委員会に訂正させるべきだと思うのだ。議会中に、答弁と全く違う事をしたんですよ。この、議会答弁を舐めているような事(たとえ、それが良いことだといっても)を放っておいては、議会が機関として執行部に舐められているとしか考えられない。高橋個人の問題ではないのよ。それを栗原さんに言っても、ぜんぜん理解出来ないようだ。執行部と対等な機関としての議会は、それなりに敬意を持っての、一般質問に答弁を要求するべきである。議会中に答弁を無視しての行為をするならば、それはそれなりの謝罪を議会は機関として執行部に言うべきだ。この理屈が栗原さんにどうして分からないのか、私は分からない。

手島さんは組織の人だから、この点の事は分かる人だった。すなわち、会派が会派の一員を守るように、議会は議会として議員の立場を守らなければ、機関としての議会の、執行部にたいする立場の低下になるのよ。分かります?この理屈。わからないだろうなあ、栗原さんには。議会中に執行部が答弁をひっくり返すような事(たとえ、そのための理由があったにしろ)があった場合、議会は謝罪させ、答弁の撤回と答弁の訂正を執行部に求めるのが正しい行いだと私は確信している。個人の問題に事を矮小化してはいけない。この組織論は、昔ながらのナアナあ議会を廃する勇気を持ち、2元民主制の中での議会のあり方を学ばなければ、きっと理解できないのだろう。

という事で、全協もしっかりストレスがたまる時となった。良かったと思うのは、入曽乳児保育所が耐震を調べたところ、建物が危ないというので、閉鎖をすることになったこと。子どもの安心、安全を優先するとしたらしょうがないことで、宮本さんは良いことを決断しました。

全協の後、公報委員会が全議員に公報に関しての意見の聴取をした。その際、6期の大島さんと5期の田村さんがこのような全議員からの意見聴取は委員会が何かを決めた時じゃなかったら無意味だという意見を言った。私は、今後議員のフリー議論もあるようになると思っている。議会改革が進んだところでは、多くの議会でしている。会派をこえて、いろんな意見を言い合おうという事なのである。それに、狭山市議会はたった22人しかいない。全教室の半分ぐらいしか議員がいなくなった。公聴公報関係は本当に新しくあれこれしなければならない機関である。

本当は皆で話し合って、あり方に関して意見を集約していくような事が必要なところなのだ。3分の1が新しい人の中で、期数の多い人が全うな意見を沢山出さなければ、若い人たちは何をしていいか分から無いだろう。委員長はほぼ、2期目の議員、副委員長に関しては皆1期目の議員が何も分からないうちに委員会を切り盛りしているんだわよ。こんな議会、本当に少ないと思うけれど、代表者会でそんな事何も話し合わないそうだから、こんな事になるのだろう。大島さんも田村さんも自分達のリーダーシップが無いばかりに、何も分からない委員長や副委員長に仕切らせているのを知らないとは言わせないわ。こんな布陣を引いたのは、会派を構成する人たちが、自分達だけの利害だけで、ポストを配分したからこうなっているのですからね。

なんだか、何もかにも嫌になって、全協が終わるや否や、家に帰ってきた。とても疲れてしまった・・・

午後は、議会レポートの記事を書き直していた。昨日書いたところを、教育委員会は放射能線量測定をしたので直さなければならなかった。

夜、珍しくサピオにトレーニングに出かけた。体は万全ではない。でも、ストレスがたまっていて、運動でもしないことには、収まらないのだ。
16日(木)   今日は、あさからかなり安静にしていた。昼過ぎに、友達がお見舞いに来てくれて、おしゃべりをしながら気分を紛らわしていた。彼女は芸術家だから、とても素敵な書を見せてくれた。その上、彼女は掛け軸のような表装もする。いいなあ、何か楽しみを持っていて。私は趣味が仕事ですだもの。ストレスがたまってもはけ口がない。本もかなり読むけれど、自分を表すものを作ったりしたいなあ。あと、4年間、私は仕事を持っている。だから、その間を埋めるものぐらいでいいのだ。本当に、なにか趣味を探したい。

議会レポートの原稿を書いている。放射能測定についてあまりにも酷い答弁をした教育委員会には腹がたって、ちゃんと私の思いを書くことにした。何しろ、私への賛同のメールなどもきた。ケーブルテレビを見て、高橋さんの考えに賛同したなどとわざわざ言ってくれる人は少ない。本当に嬉しい。それなのに、教育委員会は放射能測定をしない。検討は7月に県の動向を見てから行うって言うのだから、お話にならないのだ。そう思っている人が多いのが私には良く分かる。どうして、こうも教育委員会は石頭なのだろうか。安心を与える測定結果をきちんと測定し、公表すべきなのだ。こんな事を書いているとストレスがもっと高くなってしまう。

夜、入間の湯へ。とにかく、少し安静にしていた。
 15日(水)  今日は朝体調を見ていたが、やはり病院にいくべきだと夫とも話し合って、病院に行った。レントゲンをとった結果、昨日のガスの形状は無くなり、まあ一安心だった。朝にお通じはなかったけれど、ガスが出たから、腸閉塞と言っても、全部が詰まっているのではないだろうと思っていた。それでも、食事に制限があり、結局今日も一本点滴されて帰ってきた。あまり食べないほうがいいらしいし、繊維質のものよりも、消化の良いものをというらしい。私は、脂っこいものはあまり食べない代わりに野菜は沢山食べる人なので、この繊維質でない野菜という難しい課題に挑戦しなければならない訳である。ふ~~。

午前中に行ったのに、点滴もあり、帰ってきたらもう、2時。お腹がすいているが、水やら消化の良いものというので、何を食べていいのか分からない。ちょっと、甘いものを体に入れて、ホームページをアップした。頑張って、南アルプス市の視察の写真をトップページに沢山入れた。このページだけを見る人は、どうかトップページも見てくださいね。

今日はピラティスはちょっと無理かもしれないな。食べるも飲むも自重している。固形物を取るのは、排便後だとういうが、なかなか“ウンチ”が出ないから、いつになってものがたべらるのだろうか。お腹の鈍痛はなくならない。
14日(火)   今日も朝から頑張って、報告書を書いていた。南アルプス市への視察の報告書。とても実りのある視察だったが、報告書にするとなんだか平板である。いろいろなところで撮った写真も入れて書いた。

書き終えて、銀行に行った。3時までしか業務をしていないから、本とに不便だ。元のように、5時まで開店していればいいのにと思う。

報告書を議会にだし、不備な点を直したり、議会便り原稿をも修正したりした。さて、帰ろうとしたら、下腹が痛くて、歩けなくなった。少し様子を見ればいいかなと思って椅子に座っていたが、どんどん痛くなった。もう、救急車を呼ばなければいけないかなあと思って、次長に頼んだ。次長が車椅子を持ってきてくれたが、しばらくは立ち上がれなかった。後5分まって、痛みが取れなかったら救急車かなあと思っていたら、ずいぶん良くなった。それでも、次長が車を運転するのは危険ですと、狭山病院まで送ってくれた。

もう、大丈夫かなあと思ったが、一応診察をしてもらったら、検査の結果、腸閉塞だそうだ。明日の朝、様子がおかしかったら、クリニックに行き、入院もあります等といわれ、驚いた。私は手術を何回もしているから、腸が腹膜に癒着しているらしく、うまく食べたものが下がっていないようなのである。でも、今日の午後、ちゃんとお通じもあったんだけれど。2本も点滴を入れられて、帰ってきた。

食事は勿論できないし、なんだか体力も落ちたような気がした。報告書を書くので、神経が疲れたのかなあと思った。ストレス、ストレス。でも、どの世界だってストレスのない世界はありえませんよね。
13日(月)   今日は朝から頑張って報告書を書いていた。驚いた事に栗原議長自らから報告書を早く書けと催促の電話がかかってきた事だった。ある席で辞めた先輩議員から「栗原さんは権威が好きだからね、まあ、注意だね」などといわれていたが、議員のいちいちをチェックする事にしたみたい。何かの折に話をするというのは分かるし、きちんとしなければならないのは分かるが、なんだかなあ、議長はもっと違うところに心を使ってほしいと願うね。あんな事、副議長や局長に言わせてもいいことだと思うけれど。前の金曜日に次長から言われて、「今週中に出すわよ」って言っていたのよ。言い訳をさせてもらえば、ようやく頭が報告書に行く事が出来る状況になったという事なの。それまでは、議会の事でアップアップだった・・・

というので、報告書、まどかさんの女性のための政治スクールと市川さんのところのフォーラムについて書いて、出した。議長の催促効果が出たのだから、栗原さんは張り切って報告書をみる事だろう。内容が濃くなくて申し訳ないけれど、今は参考に別紙をつけたときには、その説明をあまり書かなくなっているからである。

息子に送金した。夫のボーナスも出たので、半年分の生活費である。丁寧に使うべきだと電話を入れた。お父さんやお母さんが一所懸命働いたお金だ。本人は「ありがとう」とのことである。

夜は、珍しくサピオでトレーニング。汗が出た。とにかく、最近太り気味だから、頑張ろうというわけである。
12日(日)   今日は朝礼拝。ペンテコステ。洗礼式があり、やはり感動した。イエス様を受け入れ、罪を許される。ゆっくりした自由な生活が待っている。御心のままにってやつだけれど。なかなか御心ってなにだろうと掴めはしないけれど。あるがままを受け入れて、イエス様の言うような生活をしようと心がけていればいいさ。愛、それだけだわね。

驚いたなあ。今日、新聞(読売、埼玉)を読んだら、デモのことを一行も書いていない。朝日新聞にちょっと載っていたという話だが、どうかな。100万人のアクションですら、記事にしない新聞はあてに出来ない情報源だわね。事実だけでも書くべきだろうにね。

午後は帰ってきて、ゆっくりした。昨日頑張った疲れが出て、HPのアップもしようと思ったけれど、出来ずじまい。夕方、夫が薔薇を見に行こうというので、バラ園まで行った。今年は去年よりも良い出来のような感じがした。ただ、バーゴラのところは刈り込みがしてあって花そのものが少なかった。バラ園の隣の花園が前よりもきちんと出来ていないと思っていたが、今年はいろいろな色のいろいろな花が植えてあって、今後きれいになるのだろうなあと楽しみだ。

帰りには、ハーブ園のほうも見たが、びわもなりかけていたし、ベリーもなっていたし、今後沢山実をつける木があった。市民に収穫させても良いかなあと思った。木で腐らせてももったいない。ベリーは市民が食べているので、私もひとつ味見したが、美味しかった。きっとジャムにでも出来るなあと思った。ああいうのを収穫して、ジャムにでもして売ってくれれば市民は買えるし、その分指定管理者の収入にもなり、ひいては管理料も下げられていいのにとも思った。

その後、菖蒲を見に行ったのだが、まだぜんぜん咲いてなかった。

夜は、疲れて早く寝た。
11日(土)   今日は朝夫と狭山市駅西口のタリーズでブランチデートをした。まあ、スパゲティはアルデンティで伸びてもいないで、美味しかった。コーヒーを増量してくれたので、デザートを買って食べた。夫は抹茶アイスクリーム。私はシナモンロール。シナモンロールはシナモンがしっかりしていて、私好み。甘かったけれど。夫はカルディで買い物をして、帰った。

私は、原宿に出て、エネルギーシフトデモに参加した。フラワー隊っていうのがあったので、私は200円カンパしてお花を買って参加。そのお花も放射能を吸収するってお花でガーベラだった。何千人という人が集まっていた。渋谷から青山を通って表参道に入り、又代々木公園に戻った。1時間以上歩いたかもしれないが、「エネルギーシフト、ナウ」や「子どものために エネルギーシフト」「原発 バイバイ、エネルギーシフト」などと大声で叫びながらのデモ。後ろのほうでは踊ったりしていたし、平和で楽しいデモだった。そういえば、第一ブロックは家族ブロックで、若い人が子どもや赤ちゃんを連れてデモをしていた。仕切っている人たちも若々しくて本当によかった。こういう人たちが今後の平和運動というか、脱原発の主流となって頑張ってくれるのだろうと思った。

5時過ぎて、浦和に回った。埼玉でも「脱原発100万人運動」の埼玉バージョンが行われた。私も埼玉県民のひとりとして、東京ばかりでなく埼玉でも何かしたかったから。こちらの仕切りは古い人。シュプレヒコールなんていうんだから。それに、若い人たちも脱原発は理解しているのに、核開発につながる原発の廃絶なんていうのよ。私達はもっと切実に放射能汚染に晒されているからこそ、反対なのに。なんだか昔の左翼の匂いがぷんぷんのデモだったなあ。これじゃあ、人はついていかない。菅さんは原発反対で、他の人は原発賛成という構図だって、私にはそうは思えない構図である。やだなあ、こんな風になるのは。まあ、しかたがないね、政治はいろいろ。

浦和をデモして帰ってきたら、9時を過ぎていて、夫に迎えに来てもらった。足がパンパンになるほど今日は歩いた。
10日(金)   今日は、朝から仕事。昨日までの議会での事。午後から第30回市民展を見に行ってきた。星さんのポスターがとても素敵だったので、木にかけていたのだ。それに、生涯学習部長が去年の県展の優秀作品が出展されるというので、是非みたいと思ったから、初日の今日出かけた。中央公民館全館を使っての、大催しだった。

高校生の部では、やはり何か賞を上げれば励みになるのにと思った。大人のものは、写真が水準が高いかなあと思った。洋画に関しては、プロ級の人たちと素人ではまるで質が違った。県展の最優秀作品に関しては、まあ、レベルが度素人とは全く違う。そこだけ違う空気が漂うって感じ。見とれました。本当に行って見てよかった。自分を表現しきれる事に心からうらやましくなった。何年も研鑽を積んだからこそ、出来る事なんだろうと思う。

その後、役所により、6時から建設委員会の懇親会に出た。初めてラーメン屋の2階でした。お酒を沢山だした懇親会だった。議員は7人、職員は9人。はっきり言って、あまりにも品が下がったように思った。昔なら、料亭でお食事をいただきながら、少しお酒を飲んだものだった。飲み足りない人は後で2次会に流れた。ところが、もう、今回は初めからお酒ありきで、食べ物もなんだか冷凍ものの感じ。は~~。もう少し、何とかできなかったんだろうか。職員は呼ばれたから来た人たちだから、お仕事として半分は議員の接待、または議員が職員を接待しているのかな。とにかく、職員はあんなのがいいとか、悪いとか言えず、委員会の仕切りのままである。その点も考慮に入れなければ。

私は古い人間になったんだろうけれど、ラーメン屋で議会が懇親会かあ。庶民的というか、私のような、そこいらにいる主婦だのが構成している議会だから、あんなものですよという事かなあ。議会の体面なんて、馬鹿馬鹿しい事をいうなという感じかな。お上品になんて言葉は、庶民の議会という事で反故になったのかもしれないなあ。あんな、酒を飲むのが主体というような懇親会には、私はもう参加できないなあ。ちょっと酒を飲みながら、いろんな話をするという昔の懇親会が懐かしく思える。

と、いう事で、私は7時半に懇親会を引き上げて、産業労働センターで矢内さんの野鳥の話を聞いた。時間的にかち合うから行くのは無理かと思ったけれど、懇親会に最後までいる気がなくなってしまい、途中で失礼して、参加。矢内さんのお話は、きれいな鳥の写真と共に素敵で、今度は鳥の音も録音して聞かせてほしいなあと思った。それが残念といえば残念。素敵な写真も貰え、お茶やお菓子もつき、500円。リーズナブルである。

8時半過ぎ、今度は国際交流協会のワージントン部の会議へ。まあ、忙しいわね、私も。学生を年度末へワージントンに送るのがいけないとかって言う話があり、なぜだろうという事になり、対策を練った。マイナス材料は会計処理らしいが、子ども達が普通の学校生活を見るには日本は年度末になるけれど、この頃がいいと思う。帰ってきたら、10時を過ぎていて、疲れ果てた。
9日(木)   今日は、朝から建設委員会。まあ、3議案しか付託されていない。こんな事はめずらしく、なんと午前中に委員会は終わった。

夜サピオへ。
8日(水)   今日は一般質問の3日目。私は最後に行った。やはり原稿が長すぎ。でも、言いたい事が沢山あって、それでも原稿をきったのだ・・・なんだか、時間に合わせて一般質問をするなんて、主客転倒だと思うが、時間に合わせて、質問数をへらすことになるのだろうね。私の変わりに誰かがしてくれている事は、もう、言うのを止めよう。

いつも反省ばかりの一般質問だが、今回も非常に落ち込んだ。要するに言いたい事をきちんと絞りこんでいないのが、私のいけないところであり、だから、高橋のいう事は分からないという事になるのだと思う。教育委員会があまりにも紋きりで、あんな文科省の福島県への通知を守ると言い切るから私が腹が立つのである。腹が立つと、論理的にならないもの。他の市では放射能検査を自分達で行うというのに、狭山市は県の100箇所の検査を見てから、7月以降になどという。今は大丈夫だって言うが、調べなければ分からないじゃないか。

時間が足りなかった。いや。本当に必要な事だけを言うべきだったのかもしれないが、言いたいことが多すぎる。今回の放射能に関しては、後日談になるが、ケーブルテレビを見たというメールが届いた。今まで、ケーブルテレビを見て反応らしきものはぜんぜん無かった事を考えれば、私のように考えている市民、放射能を心配している市民が多いのだろうと思う。

夜はピラティスへ。体を疲れさせて、ストレスを発散。
7日(火)  今日も一般質問の2日目。やはり、古手の議員は上手だ。ああいえばこういうと決めてあり、きちんとシナリオどおりに進んでいき、望む答弁を引き出していた。学ぶ点が多い。

それにしても、私の頭の中は混乱状態。それに、情報が刻々代わってしまう。どうにかなるさと入間の湯にマッサージに行った。体が軽くなれば、考えもまとまるという事。ところがそうはならない。教育委員会の答弁で私は怒り来るってしまっている。どうして、あの人たちは、主体的に考えるという事を放棄してしまうのだろうか。あんな、世間で批判を浴びている文科省の言いなりになると明言できるのだろうか。嫌だ嫌だ。

頭の中で、いろいろ想定問答を考えてはいるが、ぜんぜんまとまらない。横になっていても、寝れなかった。
 6日(月)  今日は一般質問の初日。新人議員がどんな事を言うのかと興味津々である。自分の言葉でさまざまな事をきけばいい。ただ、「教えてください。」という言葉はいかがなものか。知って、その上に回答を求めなければならない。学校じゃないんだから、議会は。いくら新人議員だろうといえども、私のような4期目と同じ報酬を食むのだから、早くレベルを上げてもらわなければ、いけない。市民にも失礼だろう。

きっと敬虔な人なのだろうが、「私のようなものには良く分かりません・・」とか「俺は馬鹿だから」などというのはいけない。私のような馬鹿でも、一所懸命市民の付託に答えるために勉強もしている。研鑽を積みながら、仕事に励んでいる。たとえ、どんな職業を持っていたとしても、選ばれた以上は議案をきちんと学び、市民のために何が出来るか、議員としてどうあるべきかをしっかり考えておかなければならない。「俺、や 私」、ではなく、私達は議員になってしまったのだ。その点を議員は十分考える必要がある。肩に力が入ってしまうが、仕方が無いじゃないか。
5日(日)   今日は、実はフェミニスト議員連盟の総会であるが、欠席する。一般質問の原稿書きが本当にお尻に火がついた状態に陥っているからである。

太った。なにしろ、原稿書きから逃げまくり、さてコンピューターの前に来るとHPなどを見て、資料集めと称して、原子力関係のホームページを読み漁っているのだ。そして、読んでいるだけでなんとなくお腹がすくので、あれこれむしゃむしゃ食べ始めている。甘いものも最近は食べたくてしょうがない。これはいけないんだけれど。やめよう、こんな事は、だから、今日はこのホームページを書き終えたら頑張って、原稿を書き上げるぜ!!

他にしょうがないもの。書こう。書くのだ。書かなければ。書くときだ。
 4日(土)  今日は狭山市立西中学校の50年記念式典に参加した。

その前に、美容院に出かけた。お招きいただくのも嬉しいが、女性の場合、洋服着て直ぐにお出かけとは行かないのが実情である。髪染めをした。もう、白髪頭になっていたいと思う。還暦のおばさんだわよ。美容がどうのという年でもあるまいと思う。しかし、家の男どもはそういわないんだなあ。「白髪ぐらい染めたらどうよ)だって。面倒くさいんだよ、お母さんは。もうおかっぱでいたいのよ、お母さんは。と思うが、優しいお母さんは男どもの言うなりに、白髪を染めました。これでいいでしょ!ジャステン、ジム。ジム(夫)なんか白髪頭そのものなのよ。おじいさんに見える。いいじゃない、おじいさんとおばあさんでさ。と、思うけれど、きちんと白髪を染めました。偉い?私。そんなもん、威張るような事じゃない?

お昼を食べて、1時ごろに受付を済ませて西中学校へ。まるで、PTAの同窓会のような雰囲気でした。あの人、この人お変わりなくという感じだ。特に、私は30年記念以降に子どもを西中に入れ、計6年、西中の親をしたし、役員もした。その間、市議会議員もしていたから、西中とは着かず離れずにやってきた。西中も良いときも悪い時もあった。今は結構良いときだろう。その前の状態が酷くて、中学生なのに逮捕されるなんて事もあったものねえ。あの、悪夢のような西中学校、それもたった2,3年前の話だ。それに比べ、今の西中の状況は雲泥の差。勿論、今は雲のほう。

式典は延々と挨拶、祝辞が続いた。2時間以上掛かった祝典というのも、すごいものである。まあ、アトラクションもあったからね。それにしてもすべてにおいてスムーズ。特に生徒が静かだった事。待たされても、同じような挨拶でも嫌な顔をしないで、聞いていた。偉いわ。もう、3年前、あまりに酷い卒業式で、私の忍耐がぶっちぎれそうになった学校とは大違い。校長が変わり、先生方が変わり、親たちが変わるとこうも学校が変わっていくのかと感心しました。(これ以上のほめ言葉がありませんよ、校長先生他諸関係者の方々)これを維持してほしいと願います。地域の民生児童委員、自治会はじめ皆が子どもの成長に関心を持ち、心身共に健康に育ってほしいと願い、協力は惜しみませんからね。

夜は、懇親会があった。もう、本当に同窓会状態。知り合いが山ほどいて、嬉しかったなあ。珍しく私もビールを持って回ったけれど、会う人遭う人が懐かしかった。皆まだまだ変わりがなかった。私も白髪を染めて出て行ってよかったなあ。うふ。2次会をする人が多かったようだけれど、私はそれもせずに帰ってきた。原稿があると思ったのだ。でも、なんだかとても疲れて寝る。明日には原稿を書き上げなければならない。

太ってきて、体調が今一。甘いものもほしくなるし、食べたくて仕方がない。どうしたんだろう。そして、疲れがたまる。ダイエットをし始めなければならないのだろうか。糖尿が気になるこの頃である。
3日(金)   今日は議会2日目。質疑。決めていた質疑はこなした。出来る限り、最後に質疑に加わるようにした。どうして、議会で発言しようとしない議員が多いのだろう。会派では勉強会もしているようだが、なぜ質疑しないのだ。会派の悪いところは、自会派内部にそれぞれ委員がいるので、その時に話をすればいいさという態度なのである。でも、それでは、議会の議論が直ぐに市民に伝わらないじゃないか。ケーブルテレビを見ている人も多いのよ。委員会にケーブルが入る事はきわめて少ない。それに、議会便りでは、委員会のページが少ないから、委員会の報告はきちんとできない。返って議場でのやり取りのほうがきちんと議会便りに乗ることが多い。

市民派の私としては、これを考える時、市民への情報発信としてはケーブル放送が次の日だという事も考えれば、もっともっと議員は本会議を重視しても良いような気がする。もっと、発言を。もっと議論を。私は無所属だからこそ、発言がしやすいという面がある。無所属のデメリットが大きい中で、いかに自分の議員としての価値を高め、市民のためになるかを考えなければならないと思う。

それにしても、今回も教育委員会の答弁にはあきれた。だって、中央公民館の移転で、公共駐車場が満杯になることもある事をある程度想定しているらしいが、それに対しての対策はないという事のようだ。公民館の都合で市民を集めても、駐車場代は払いませんという事である。初めから終わりまで公共交通機関を使ってほしいと言い張ったが、私のところからでは往復360円かな。中央公民館が遠くなるなあ。それに、バスもあまり都合が良いとはいえないしさ。つつじ野団地は交通の便はいいのだけれど、広瀬台方面や、笹井方面はバスの便はないに等しいもの。大抵教育委員会と話すと、空しい思いが沸く。

午後は食事もせずに帰宅した。原稿が、原稿がと、おもうが、議場での神経の興奮が鎮まらない。議会はまるでコンサートのように私の神経を興奮させる。シナリオを作ってあるのだからと思っているが、シナリオだって9割で、後はその時の議論についていくときもあり、まるでライブコンサートのような緊張感なのである。食事をしたのち、疲れ果ててベッドで本を読んだ。夜は仕事にならない。勉強と称して、コンピューターの前で、2時まで過ごした。

あまりにも、昨日の国会の茶番が馬鹿馬鹿しく、空しい。菅政権は続く。そして、日本は地道に沈没していく。東北の復興は早くなる事はなく。財務省による締め付けで、総務省の金払いは渋る。復興時はお金が回るはずなのに、ちっとお金が回っている様子もない。この国はどうなっていくのだろう。菅政権が続く限り、こんな調子なのだろうなあ。憂鬱。
2日(木)   今日は、午前中は原稿を書こうとした。努力はしているのに、字が続かない。饒舌な原稿になる。嫌だなあ。後で、徹底的に切り捨てなければならないだろう。

午後、3時過ぎに学童保育室のうち、入間野学童保育室、南小学童第1、第2保育室を視察。議案書に出ているから、前もって視察。自分ながら丁寧だと思う。Ⅰ年生も初めての議会、議案も少ないのだから、議案書に載っているところは、自ら視察に行ってもいいのになあ。視察した議員は何人いたのかな。視察の頼み方も知らないのかもしれない。会派に属しているならば、誰かが教えてあげればいいのに。4期目になっても、私はフットワークの良い議員なのさ。ちょっと、自画自賛。

その足で、明日のための議案質疑のヒアリング。最近は役人さんは丁寧になった。質疑の御用聞きに来る。私もそれに応じるようにしている。シナリオが出来てつまらないという人もいるかもしれないが、私としては聞きたいことをきちんと答弁してもらえるのであれば、それに越した事はないのだ。遅くまで役人さんとやり取りをした。これで十分かどうかなんて分からない。しかし、自分の市民派としてのスタンスは押し通せるだろう。施策の成否よりも、その施策や条例が市民にどのように影響するかという事をメインに私は質疑する。他の観点からは、他の議員が質疑すればいい。
1日(水)   今日は議会初日。議会前に議員写真を撮った。どうして市長達が真ん中に座らなければならないのかと常々思っている。議会の写真なのだから、メインは議長だろうよ。なんだかなあ。まあ、写真の撮り方は4期とも変わってはいないけれど。

執行部と一線を画した議会という事であるべきだ。新年会も執行部を呼ぶわけで、何で執行部と仲良しこよしをするんだろう。それでいて、議員だけでの懇親会なんて一度も開いた事がない。腹を割って議員通しが話をしたり、議論をしたり、そして市民へ説明をしたりできる議会がほしい。機関として、やはり執行部と一線を画していたいなあと思う。執行部は議会を取り込みたいだろうけれどね。さもなければ、何も決まらなくなるんだから。

議会初日、議会が止まった。それは、議長が委員会委員を辞職するという事を議会に諮った事による。私のところには代表者会での議論のファックスが届いていたというが、実際私の目にはぜんぜん留まらなかった。私自身、今回それをすること自体の認識もなかった。それが、辞任の案件がなされ、議長は公正公平にどの委員会にも出て、意見を言えるのだから、総務委員会委員を辞職するという。これでは、自治法では議員は委員会に属すると決められているのだから、法律とどう整合をもって辞職するか分からない。それで、私は、辞職に対しての法的な問題は無いのかと質問したのだ。

そこで、小谷野運営委員会委員長から、休憩が入った。まず、質問をしていいのかという議論。勿論人事案件だって私は何べんも質問をしている。していいはずだ。議長室に呼ばれ、私は「50年の狭山市議会の中で、初めて議長が委員を辞任するのだから、法律はああいっているが、こうしても良いという行政実例があり、狭山市もそれに習うのだと誰かに答弁してほしい」と言った。私は、自分の発言を無視されても良いから、とにかく法律はああ書いても議長が委員辞職をしてもよいのだといってほしいと言った。その時の仮議長をしていた町田さんが「じゃあ私が高橋議員の発言は、こういう趣旨で案件が提出されて問題ないので取り上げません」といいましょうかといってくれて、私も発言が取り上げられないのは悔しいけれど、それでも議会として、法的な問題をクリアしているというその事を明らかにするならば、妥協しても良いと答えた。

それなのにである。古谷事務局長はまず人事案件で質疑はいかがなものかなどという。私がそんな事は何べんもしており、ぜんぜん問題がないといった。教育委員の時だっていろいろ発言しているのだ。そうしたら、これは質問の緊急動議であり、動議は認定されなければならないなんて、馬鹿馬鹿しいことを言い出し、それを議運の委員長が追随。人事案件での質疑が緊急動議だった事なんか今までかって一度もないのである。だって、議案があるのにどうして緊急質問になるのさ。

私が緊急質問した先回は、議案がなく、それでいて東日本震災という緊急事態が発生したせいで、緊急質問したのだ。その際だって、議長が発言を許し、質問した。何も、動議だとか採決だとか言わなかったじゃないか。古谷事務局長は議会運営に聞かれた話しをすればいい。それも、調べた上できちんと発言するべきであり、訳も分からず、狭山市議会に禍根を残すような事を言っていけない。

今回だって、議長が質問を許したのだから、粛々と誰かが答弁すればいいのである。なんだかなあ、50年以上も狭山市議会を続け、全く新しい体制を敷くという今回、何も議論らしいものをせず、緊急質問とされて却下したという中で、私の質問だけが残った事を古谷事務局長はどう思うのか。この議事録は後々永久に残るだろう。新しい試みとして、他の議会の人が見に来るかもしれない。その際、他議会に対して、狭山市議会が恥にならなければ良いと願う。どうして、きちんと答弁できなかったのだろうか。議運で協議したのであれば、議運の委員長が答弁すればそれでよかった事なのである。

シナリオがあれば楽だ。シナリオどおりにしていれば楽に決まっている。でも、政治は生きているのである。だからこそ、議長に権限があり、ルールがある。このたび、この質疑を緊急質問にした事をどのように説明できるのか聞きたい。勿論、私は緊急質問を否定などしていないし、私も緊急質問をしているのであるけれど。

そんなこんなもあり、食事の後、全員協議会、委員会協議会などを行い、散会。なんだか、今日の私は△の評価だ。×とは行かないけれど、きちんと答弁させるように、まずは根回しをしておけばよかったという点で減点なのである。趣旨はきっと◎なんだと思うんだけれど。狭山市議会のためになどと思う必要はないのかなあ、そんなのは必要ないのかなあなんて自問自答した。帰ってきてもずっと考え込んでしまった。どうしても、狭山市議会の黄門さんの気分が抜けないんだわ。そんな事必要なく、自分の仕事だけをしていればいいかとも思うんだ。でも、これも私の性分だしね。議会の機関としての体面なんて考える議員が今時何人いるかって話なんだけれど。
 5月  私の独り言2011 
  31日(火)  今日は朝から一般質問の原稿を書こうと努力した。したけれど、どうにもならない。どうしてこうもかけないのかと思う。家事は進みましたけれど。本も読みましたよ。ブックオフまで買い物にすら行った。で、何もかけない。書く体制になれない。

半分は自己嫌悪だけれど、まだ後何日もあるさと思う。
30日(月)   今日は朝から議案の事で市民部とヒアリング。午後kらは教育委員会。その後、一般質問の事で防災課と。

議案の質問を一応市民派の観点からすることにした。党派は党派で信念を持っているのだから、それを行うだろうが、私は私の観点から行う。特に、議案の中身については、市民が関わるところはきちんと聞くこととする。市税の条例改正では、聞かない事はなかった。多くの市民にかかわることだから。今回は、対象者は限られるだろうけれど。

市民交流センター条例では、使い方などを中心に聞くことにした。何しろ、市民のための公益施設だ。出来る限り市民に使い勝手のよい施設であってほしい。そして、使うにあたっては安全に使えるべきであり、トイレの事も大きくいい続けているが、駐輪場の防犯対策などは気がかりなものである。新しいセンターとしては、市民センターができ、子育て支援センターができ、男女共同参画センターができる。既存の中央公民館も入るはずで、公共交通機関の集まる狭山市駅前にあることの意味は大きいと思っている。

この前、南アルプス市に行った。悪い町でなかったが、何しろ合併したばかりだから、中心というものが良く分からなかった。きっとショッピングセンターが街のセンターなのかもしれないと思った。その点、狭山市には中心が出来た。ここにすべてを集めるというわけではないが、新しい街づくりの息吹がある。とても、とても嬉しいと思う。街づくり推進部、今は都市整備部で、東口のほうも何とか整備が進むはずで、東西狭山市駅付近は大きく変わっていくだろう。それで、他のところが寂れてしまったら、問題があるかもしれないけれど、それは又他の事業を起こせばいい。という事で、市民交流センターについては、沢山伺う事がある。

がっかりしたのは、教育委員会とのヒアリングである。まずは、放射能についてぜんぜんノーケアなのである。要するに、問題ないという立場。国が、県が・・・と言っていた。国や県の情報が確実で遅れることなく公表されていない事を誰でも知っている。メルトダウンについて、あんなに私が心配している時には情報を出さず、2か月もたってから、メルトダウンしていましたって言う政府発表を信用できる?!狭山市の話をしているのに、県が国がという神経も分からない。だから何さ。わざとかどうか分からないけれど、正に問題のすり替えだ。分権の意味も分からないのか。今は地域主権という言葉だそうだが、狭山市の主権者(赤ん坊から年寄りまで)の安心と安全をいかに守るかは、地域政府の責任でしょう。

特に仰け反った事は、給食センター長の反応だ。私は、食材の安全性は自分達で調べるのが良いと思っている。調べ方は、簡易な方法を使ったっていい。基準は国の基準でもいいだろう。(本当は、日本の食品の安全基準はべらぼうに高くて、緩くて、永い間こんな事が続けていけば子どもの健康被害が出てくるかもしれないものである。)しかしながら、私が給食センター長に放射能を測定して、基準を超えるものを捨てるようにといったら、そうしたら、「給食量が少なくなって親から苦情が来るかもしれない、そして、買ったものは返せないからお金をどうする、また、出来なかった給食費を返さなけれならいので事務がとても煩雑である」と答えた。

はあ~~~!!!!!である。子どもの安全と事務の煩雑さを天秤に掛けるのか?!狭山市の親は、たとえ、材料が破棄されちょっと給食量が減ったとしても、それが子どもの安全のためであったならば、大きな文句をいうとは思えない。安全でないものを食べさせたほうがずっと問題だと思う。これは良識的な考え方だろう。もう、こんな馬鹿馬鹿しい教育委員会と話をしても、日本語が通じないような気スラする。子どもの安全のことよりも事務の煩雑さの方が頭の先に浮かぶのかと、気持ちがとても落ち込んだ。議会が来ると鬱陶しい思いがするのは、こんな反応を見せ付けられて言葉をなくすからである。

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