豊かさと戦時中のアメリカを尋ねて: ブラックソン久美子

 このたび、5年ぶりにアメリカを訪れて、新鮮なショックに襲われた事をお話いたします。

まず、アメリカは世界一豊かな国だと再認識した事。アメリカはすべて大きくなっていました。人も建物も物も。スーパーマーケットはジャイガンティック(巨大)マーケットになっていました。シリアルの箱は50%増、一袋も昔の2倍ほどありました。イチゴも日本の真似をしたのか、一粒が昔の5倍ほど。広大な建築物の中に、私の手の届かないほど高い棚に一杯並べられた無数の商品。すべてが大きくバリエーションも豊富。

うらやましいというより、あきれました。

 この前までの、バブルのおかげもあり、税収が豊かだったせいか、公園は整備され、建物は建てられ、建て替えられ、ショッピングセンターはもっともっと大きくなっていました。新車が走り、ホームレスの人を見かける事も少なく、デトロイトダウンタウンのいわゆる危険地区にいってすら、麻薬販売人が路上にうろつくのを見かけませんでした。道路の整備が遅れているだけで、もうこれ以上のものを望むのは退廃になると思ったものです。それだけアメリカはお金持ちの国です。(貧困の国の人々がこれを知って、やっかむのは当然だと思いました。だからといって、決してテロでアメリカに八つ当たりする正当な理由にならないと思いますけど。)

日本の将来を憂いました。不況とはいえ、日本もアメリカの道を歩くとしたら、なんだか間違いのように思います。私たちは大きなものに価値を見出すのではなく、小さくても品質の良いもの、また、見える物にではなくて見えないものに価値を見出すべきではなかろうか。

 戦時中なので、いたるところに星条旗が掲げられていました。それも毎日。綺麗に整備された家々の前に掲げられていました。アメリカ人兵士がアフガニスタンに行っていて、戦死もあります。それを悼み、また戦意の高揚という意味で旗を立てているのでしょう。愛国的報道で一色でした。民主国家だって戦争ともなればこうなるのだと憂鬱になりました。イラクへの攻撃を止めろと言うのに勇気がいる状態です。

自国民は豊かさの中で悠々と暮らしをたのしんでいる。戦争なんて遠い向こうのテレビの中の世界。実況中継を見ながら戦争ゲームを楽しもうとでも言うように私には感じられたのです。そのテレビでは、決して悲惨な被害者の状況は中継されないだろうと思います。なせ、アメリカはイラクをひねりつぶさなければならないのだろう。豊かな国のエゴのように思ってしまうのは私の理解不足なのでしょうか。今回のアメリカ旅行は心に矛盾が一杯になった旅でした。