2013年4月私の活動


 4月  
30日(火)  直江津 介護の手助けに来た。父の病院、床屋、買い物に付き合い、母の床屋、買い物に付き合った。父が運転免許状を返還したので、送り迎えなどとても大変だ。
 29日(月)
28日(日)  礼拝 直江津へ
27日(土)  歯医者 尾崎豊コピーバンドコンサート 
 26日(金) 買い物 図書館
25日(木)  内科医者、整形外科の医者、役所(改修計画の勉強)、歯医者に行ったら、すでに7時。スマートコミュニティ研究会には出席できず。
24日(水)  尾崎展ファイナル、尾崎豊歌碑
23日(火)  臨時議会。私は総務経済委員会のメンバーになった。初めてだが、これからたくさんの計画つくりがあり、きちんと対応していかなければならない。

ただ、私が建設環境委員会を離れた事により、女性が一人も建設環境委員会にいなくなった。そして、総務経済委員会には3人もの女性。バランスが悪いので変えてほしいと願ったが、一度決まった事を動かすのは難しい。

議長と話し合いで、建設環境委員会(協議会も含む)の資料を貰い検討し、全員協議会などでは積極的に女性の意見としていう事にした。(資料の提示をあれこれ言う古谷局長は何なんだろう。私には理解できない。公的書類は情報公開の対象であり、議会の資料を議員に分けられないなどという局長なんか彼を除いていなかった。何を考えているのか分からない。何の不都合もあるまいに。)

議会は夜9時まで続いた。何のために昨日全員協議会を開いたのだろう。私達無所属議員は蚊帳の外だが、すべて大会派中心に決まってしまうのに、それを昨日していなかった。そのため、議長が辞任するまで、4時間も掛かった。これも全く理解不能だ。

委員長人事でまたまた躓いた。なぜ決めていなかったのだろうか。私が思うに、無所属の議員をオミットし、勿論共産党議員も無視して、議長だの委員長だの副委員長だの、組合議員だのを決めようとしても、22人のうち12人しか使えない。その12人のうちの同じ人間があれもこれもすることになり、人手がいなくなるのだ。そして、混乱する。

議会がひとつの機関として働くためには、22人(議長、副議長を除けば20人)が一体として議会の仕事をする体制を造らなければならないと思う。それなのに、過半数が手を握り、自分達の会派から委員を出し、委員長をだし、副委員長を出し、組合議員を出すと、12人は幾つもの仕事をしなければならなくなる。ご大層な事だが、それが自分達に都合がいいと感じているから、多数決でそれを押し通すわけだ。ま、お好きなようにだ。(多数決では数の多いほうの意思が通るのだから仕方がない。)

今回はとうとう人が足りなくなって無所属の若い人にひとつづつ委員会が回ってきた。初めから全員体制をとれば、一人で4つも5つも責任を負うような議員も出てこなかったんだろうに。本当に責任を全う出来るのかと私はいぶかっている。他の団体に迷惑をかけなければいいが・・・亡くなったO議員はある組合をほとんど欠席して顰蹙を買い(欠席しても報酬がでる。)辞任した。彼だって、体調が悪いにもかかわらず、いそがしすぎたのだった・・・・

という事で、人事を決める議会はまるで昔の議会のように時間を延々と使いながら、終わった。まあ、時間が掛かっても構わないが、何を何処でどうしているか全然分からない無所属議員はあきれ果て、疲れ果てた。
22日(月)   全員協議会
  私の誕生日夫からピンクのローズの花束が贈られた。ケーキは不二家から買ってきたようだ。夕食は私が遅かったので夫がお寿司を買ってきた。
 毎日が誕生日だったらとてもスウィートな日々だろうな。
21日(日)  体調が悪くて、寝た。まだまだ、時差ぼけと体の緊張がとけない。 
20日(土)  オザカラ 国連1337決議勉強会(城西大学)
19日(金)  会計事務(タカハシブラクソン久美子とすすむ会)
 18日(木) 今日は昼起きたら1時。又始まった時差ぼけだ。夕方議会事務局へ議案をとりに。 
 17日(水) 夕方成田到着。飛行機は順調だったが、帰りに夫と待ち合わせが出来ず、タクシーで川越から帰ってきた。
 16日(火) 日本へ出国 ボストンで爆発騒ぎがあったので、警戒が強まるだろうと、3時間も前に空港に行った。警戒はいつも通りで、思ったよりも人は少なかった。わざわざこんな日に旅行に出る人も少ないのだろう。
15日(月)  ワイエンドット市役所訪問(ピーターソン市長と面談)こちらの市長はワージントンの名誉市長とは大違い。日本の市長に近い。だって、選挙で選ばれるフルタイムの市長だから。ワイエンドット市の図書館、歴史博物館、等を視察。図書館に関しては、狭山市のほうが立派だ。ただ、コンピューターコーナーが充実し、DVDや朗読ADが豊富であるのは、ワージントンと変わらない。

ダウンタウンで、市役所が昔亡くなった父が勤めていた銀行の半分を使うようになり、今回市役所を尋ねて感慨深いものがあった。

歴史博物館でワイエンドットというロゴの入ったマグカップやお皿を買ったのだが、そういえば我が家には一個も狭山市と入ったマグカップもないし、Tシャツもないなあ。売れるかどうかは分からないが、狭山市も博物館か、市民交流センターで狭山市のロゴの着いたものを売ってほしいと願った。誰か、オリピーマークの狭山市のものを作ってください。

午後からは妹(統合失調症のため自宅にいる。)がカウンセリングに行くというので送っていった。素晴らしい建物が何棟もあり、カウンティが補助しているセンターだとおもう。さまざまなサービスがいろんな障がい者やその親に与えられ、登録すれば参加できる。

母によると予算カッとのために迎えの自動車は来なくなり、不便だそうだが、妹がいけるところは限られていて、無理してでも連れて行ってあげている。週に4日も送り迎えしているのは、本当に大変だ。それにたった3時間。狭山市のこぶしの家のほうがいいかなあと思いながら帰ってきた。

正式に視察のお願いもしていなかったのに、市長には会うし、博物館はわざわざ開けてくれるし、恐縮した。それもこれも、ブラクソンという昔からここに住んでいる家族の名前のせいと、私が市議会議員のせいでもある。日本の小牧市と姉妹都市なので、日本人に慣れているのかもしれない。

ボストンマラソンで爆発騒ぎがあり、テレビは大騒ぎである。オバマ大統領も沈うつな顔でテレビに出ていた。だれが何の理由でこんな事をしているか解明されていないので、冷静ではあるが、うんざりという気持ちもあるのだろう。9.11の再現では困るという市民の思いもある。戦争なんか誰もしたくない。犠牲になるのは、若者だけだという共通認識があるのだから。

明日帰るが、空港の警備がとても厳しいだろうと今から思っている。
14日(日)  礼拝。 午後から雪が降ってとても寒かった。夜はパーティ。甥がのっぽになり、父親よりも身長が伸びた。賢い子なので1年たった時何処に行くのかな。9月から高校3年になる。
13日(土)  母と買い物へ行った。息子の衣服は日本ではなかなか見つからない。彼が大きすぎるのだ。まとめてたくさん買ったが、安売りのを買ったので、あまりお金が掛からない。中国製だが、大きさを考えれば日本の半額程度。

デトロイトは3年前に比べ、経済が回復してきているように思える。 
12日(金)  ワージントン市長と会った。その後、市議会議長、副議長と懇談。シティマネジャーも同席。狭山市の大きさと仕事の違いに若いマネジャー は驚いていた。カウンティと狭山市と同じ感じだろう。

教育委員会は独自にあり、図書館も独自の施設で、固定資産税はこれらに行く。個人市民税だけが市の運営の中心で、大きな仕事は警察と消防なんだろう。市をいきらせるためには、法人の誘致が必要だと議長等が言っていた。

彼等はパートタイムの議員で私達のようなフルタイムの議員とは分けが違う。1週間に一度会議を持つとのことだ。議会と市民との距離が近いと思ったけれど、それはワージントン市が小さいからだろう。それと市民の期待する点が大きく違う。

午後、シニアセンター、シニアコミュニティ、リクリエーションセンター、アートセンターを視察。後で、これらの視察を他のページできちんと報告したいと思う。

今日の視察の施設が市が直接管理する施設であった。昨日の学校等は教育委員会が管理するので、直接的な市の力は働かない。これらの施設を視察して思ったことは、ワージントン市の仕事は市民の生活を如何に楽しいものにするかだと思った。アメリカ特有の地元の市民の活動を市がしっかり支えている。

なぜ、企業を誘致し、増税を図るか。勿論税は警察や消防のために必要だ。それだけではない。健康志向の強いワージントンではリクリエーションセンターのジムの広さや高級なシニアセンターのさまざまなアクティビティを知れば知るほど、アメリカ人の生活を楽しもうとする貪欲な(お金もちの市民が多いのだろうが)生活態度を見ることが出来る。それに答えなければならない市の役目。

質の高い教育が質の高い(お金持ちの)若い世代をひきつける。90%以上の生徒が大学に進学する公立高等学校はアメリカの中でも珍しいだろう。中学校はこの何年間で40%も生徒が増えたという。何がそうさせたのかと考え込んだ・・・基本的にはコロンバスの経済がよくて、仕事があるので、高いワージントンの家が買えるという事なんだろう。

210年も市が続いたというのは、教育の質が高い事、図書館やリクリエーション施設や楽しい事をたくさんするサービスがある事が大雪だったようだ。しかし、それだけかなあ。経済事情もよいのかもしれない。古い高い土地なのに、有名な企業の本社が幾つもある事も大きな要因に思う。(ブルークロス、チェイス銀行など)

夜デトロイトへ。
 11日(木) プレスクール、高校、小学校、中学校、図書館を視察。今日見たものは、狭山市とは比べ物にならない。素晴らしかった。たくさんの提言をしていく事になると思うが、政治哲学や生きる哲学が違うので、同じようには出来ないだろう。本当に参考になった。外国を見ることの意義を感じた視察である。

夕方、ワージントン市民と食事。8時15分に待ち合わせ、夕食をして帰ってきたら、なんと夜の10時。

疲れたけれど、夜になると体が起きて眠られない。
10日(水)  アメリカへ出国(成田ーデトロイトーコロンバスーワージントン)天気が悪くデトロイトでなんと6時間も飛行機を待ったが来なかった。他の便に乗り換えて、コロンバスへ。コロンバスでタクシーを使い、ホテルへ。就寝は2時を過ぎた。
9日(火)  旅行支度
8日(月)  狭山市立西中学校 入学式
 7日(日) 礼拝 美容室 
6日(土)  ショッピング(お土産など) 
5日(金)  事務仕事(高橋ブラクソン久美子とすすむ会会計)
4日(木)  事務仕事(政務調査費会計) 
3日(水)  ユタちゃん会 
2日(火)  議会報告・行政相談会
1日(月) 事務仕事 (政務調査費会計)