最後のご挨拶

                        ご挨拶

桜の花も散ってしまいました。葉桜の下、大きな看板があちこちに立てられ、知らない顔の市議会議員立候補者の多いポスターが28枚、整然と張られております。ああ、4年前まで私も選挙運動に明け暮れたのだと、妙な寂しさを感じています。逆に、選挙をしないというのはこんなに楽なのだという思いも感じられるのです。

 皆さん、本当に24年間に渡り、暖かなご支援ありがとうございました。私が一生懸命市議会議員として仕事に没頭できたのも、当選させていただいた皆さんのご支援のたまものです。また逆に、ご支援があったからこそ、こんな仕事で良いのか、もっと市民に寄り添う事はできないのかと煩悶も致しました。結果、さらに一所懸命、頑張りました。

議案書、予算書、決算書には、それらは市民にとりどんな施策であり、これらが市民にどんな風に影響するかを考え、取り組みました。常に女性の目線で、市民の目線をもって、議会、委員会で問い続けました。

一般質問では、新たな問題を取り上げたことが多々ありました。保育所や学童保育室の増室、子育て支援、大人の引きこもり、ヤングケアラー、犯罪被害者支援、市民協働、終活、まちつくり、等々。96回も質問に立ったのですから、人生全般を網羅しました。そのためには、先進市をどのくらい視察し研修に参加した事か。今でも、私の研修報告書が議会のホームページに載っています。

嫌な事もありましたが、近年はとても充実した議員生活だったのです。それなのにリタイアを決意したのは、長年の疲労がメニエル氏病による目眩を起こさせ、その後のコロナ禍によって今までのような議員生活を続けられなかったことが大きかったと思います。70歳を超えた私は、コロナ禍を過ぎても、若い頃のような活動がまたできるのかと自問致しました。

その結果です。若い人に道を譲ろうと考えたのは。今の私は、新人議員よりも知識も経験も分別もあるでしょう。本当はこれらを次の世代に受け継いで貰いたかったのですが、後継者は見つかりませんでした。本当に残念です。でも、乞われれば、若い人には協力します

私は、「高橋ブラクソン久美子とすすむ会」をなんと小さい後援会だろうと思っていました。いつも40人そこそこでした。会員の大半は女性で、そもそも後援会長になってあげようという人は最後まで現われませんでした。でも、議会報告会は続き、「レッツシェアの会」というおしゃべり会もでき「大人の社会見学」では国会、国会図書館、防衛庁、造幣局、宮城などに行きました。資金集めのバザーを開きました。レッツシェアの会から「犯罪被害者支援の会オリーブ」も始まりました。今から思えば、多彩な事業を行ない、有意義でした。

私は、私の選挙運動は小さい素人の選挙と思っていました。法に触れることを一切排除し活動した真面目な集まりで、無所属議員候補のすべきことをしっかり行ないました。ポスター貼り、電話掛け、選挙カー回し、何十カ所に渡る街頭演説。選挙応援に来てくれた友達は、みんな真剣に頑張りました。でも、毎日10食の弁当を買っても余る時すらあり、人手が足りないと心配しました。少数精鋭だったけれど、素晴らしい選対だったと思います。組織の応援が皆無の私が6回も当選できたのです。すべて応援して下さった皆様のおかげです。長年にわたり熱心に選挙運動を手伝って下さった友人のおかげです。私の選挙事務所を仕切って下さった歴代の事務長さんのおかげです。皆さん、本当にありがとうございました。いつか、一同に介してお会いできる時がありますように。

長年に渡るご支援・応援に心から感謝を申し上げて、最後のご挨拶と致します。

                                                 高橋ブラクソン久美子

2023年4月