私の読書日記(2) 2006年以降  

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作者 感想
2007年
「正義の経済学」再び
2201年主パン
寺島実郎 新資本主義によって金融の肥大化と新たな不条理の拡大が顕著の中、どのような社会を作れば良いかを考えている。結論から言えば、私の考えとほぼ変わらない結論である。平和を武器に国民の幸福を賄う日本経済を作るべし。会社は株主のものではない。日本はアジアに尊大な態度で臨んではいけない。経済は国民を豊にするものでなければならないのに、グローバライゼーションの掛け声の中で空洞化を起こし、何万人何十万人の貧困者を作っている。これにどう対応すべきか政治家が望むべき国の姿を考え、政治をし、経済を立て直すべきである。
日本経済を襲う2つの波
20008年
リチャード・クー バランスシート不況だったこの10年間を振り返り、小泉経済の誤謬を明らかにした。デフレ下においての日本の行く末、グローバライゼーション経済の中で日本はどうあるべきかを考えた。とりあえずは、公共による需要喚起が必要だというのだ。小渕、亀井静の行っていた政策が正しかった事がようやく理解できた。それにしても小泉はどうしようもない首相だったという事が理解できた。今後、国内の銀行から金を借りてやりながら、地方自治体はどのような施策をとったらよいのだろう。まさか、土木工事ばかり増やせないし・・・

労働者の事を考えるとグローバライゼーションをもろ手を挙げて喜ぶわけにも行かない。伝統的な技術を後世に残す事と、超先端技術で世界を席巻しなければならない事は事実なのだろう。豊な日本を維持するのは大変なことである。
やがてアメリカ発の大恐慌が襲いくる
2004年
副島隆彦 予言の部分が面白い。ちなみにこの本は2004年に出版されている。この本が予言したように、アメリカ発の恐慌が起こりつつある。ここで怖いのは、アメリカの「預金封鎖」が予言されている事である。ある人はアメリカがディフォルトをするのではないかと言っている。正にプラザ合意とはある面、通貨によるドル安で日本による債務を帳消しにしてやったという面があった。それ以上に過激なのはディフォルトであり「預金封鎖」であろう。
その上、今後は日本は自立の方向で行くべしと言っている。これも私が考えている方向である。中国と喧嘩なんかしていないで、仲良くしながら(最低限帳面だけでも)中国、東アジアに影響力を保って、日本の利益を守れるようにしなければならない。アメリカと日本は違う。日本人はアジア人であることを忘れてはならない。これに私も激しく同意する。結局、大東亜共存権を作るしかないのかなあ。
この何年間か、日本がアメリカ国債を買ってアメリカに渡した資金が還流してきて少しは日本経済もらくになったかのように感じられたが、還流されるのは投資したのに比べとても小さい。日本の資産はとにかくアメリカ国債だけ考えても30%近く失ってしまったのだから、もったいないとしかいえない。あ〜〜〜あ。
黄金の人生設計図 榊原英資 心豊に生きようよというのは良い。だけれど、それは金があり、年金がたっぷりある人のいう事かな。私達の世代で黄金の定年退職後生活を考えられる人がどの位いるのだろうか。私も後3年で60歳になるが、議員年金がもらえるかどうか。今、7万2千円も1月に払っているのに、それが0になるんじゃ嫌だなあ。とにかく黄金の人生設計図を榊原さんにはかけても私にはかけないなあ。残念だが。
日本は沈没する
2007年
榊原英資 今読んでいる最中だ(2009,1,22)。この本は2007年12月に出版されている。読めば読むほど、日本は大丈夫だろうかと思えてしまう。この危機感が大切であるとこの著者は言うわけである。へんなナショナリズムに凝り固まってはいけない。アジアで共存の理想を、ビジョンを持たなければならない。今の日本で出来る事でもあと10年後の経済的地殻変動が行われてしまった後では日本の地位は危うい。きちんと日本を世界の中で導いていかなければならない。インドが中国が韓国が工業的に日本に追随し、追い越そうとしている。日本は競争に負けてはならないのだろう。まけてしまったら、今のようなホームレスが一杯。学校を出ても就職口もないという国になってしまう。ビジョンを高く掲げる日本にしなければ。
構造デフレの世紀 榊原英資 デフレが何でいけないんだというのが、この人の根底にあるのだと思う。インフレ政策をすることの意味は何だと問いかけている。勿論、インフレ政策で円安を引き出し、輸出産業を助ける事に決まっている。それが、ついこの前まで通用したが、残念ながら、2009年月のいまではその政策が世界的に通用しなくなってしまった。
為替がわかれば世界がわかる 榊原英資 これを読むと、為替政策が経済政策を大きく左右する事が分かる。この人が何十兆円もドルを買い、円安を主導した人なのだから、ここら辺の重要さをよく知っているだろう。そのお金を元に、日本のグローバル化が進んだといっても過言じゃないはずだ。だからこそ、安くなった品物を買って、豊な生活をしようとというのだろう。アメリカンドリームの日本版をこの人は考えているのだと思う。違うかな。
デフレ生活革命
2003年
榊原英資 デフレはグローバル経済の申し子だという。マルクス主義的な考えだね。同じものを作るとしたら、労賃は同じに修練していく。だから、輸入ということで安く作れたものが日本にあふれかえる。だから、昔に比べればディスインフレーションである。当たり前といえば、当たり前だ。
その中での生活の方法を考えるべきだろうというのがこの本の趣旨らしい。土地のインフレはない。インフレ政策として金融緩和をするのも間違いである。ディスインフレーションは悪いものでない。借金をせず(借金すれば金利ゼロでもデフレでは大きな金利がつくのと同じ)、デフレを楽しみなさいという事らしい。
特に生活をシンプルにして、価値を地域や家庭などに捧げる、公に捧げるなどの自己満足をし、高い所得を目指さなくてもいいのではないかという。でも、この人、ピントがずれているなあ。元高級官僚だなあ。目指したくたって、目指せない世の中になっちゃった。所得高くしようと努力して出来る人なんか本当に一握り。それも、もうある階層の人にかぎられてきちゃっているのに。
昭和史から分かる55のポイント 保阪正康  実は保阪さんの第2次世界大戦の観点が正に私が思っている観点で歴史を見ているので、其の延長として保阪さんの本を読んでいる。戦後も60年。すでに歴史の中に組み込まれている。自分が生きてきた年月なのに、実は何も分からずにいたのかもしれないという恐怖がある。
 それにしても、昨今の世界経済恐慌状態を見ていると今後の日本の政治の舵取りに不安を感じてしまう。そんなときには、歴史から学ぶ必要がある。勝海舟ではないが、広く深く海外を見ておかなければならないし、自国を守るには自国だけではいけないという広い心がなければ、この前の大戦と同じことを繰り返す。
 右翼の台頭と右翼がコンピューターネットワークを通じて情報戦を仕掛けている事に危惧を感じる。闘いである以上、正常な方もきちんと受けて立たなければ劣勢になる。これも戦前の誠実な人たちが戦いもせずに口を閉ざして時代に負けて行ったことへの反省によると思う。
昭和史の7つのなぞ 保阪正康
あの戦争は何だったのか 保阪正康
一語一会 保阪正康
松本清張と昭和史 保阪正康
日本の一番長い夏 半藤一利  この本を読んでも切歯扼腕した。半藤さんの歴史観と保阪さんの歴史観は似ていて、其の点私の歴史観も同じようなので安心して読めるのだが、とにかく第2次世界大戦中の軍人の態度、官僚の態度、また天皇の態度には不誠実さと無責任さを感じて悔しい。感情だけで物事決めてならないことがよくよく理解できる。
 なぜ、戦争をしたか。なぜ戦争をしたかったか。何で戦争をやめなかったか。なぜ戦争をやめられなかったか。アメリカに対する認識。ロシアに対する認識。中国、韓国に対する認識。国連に対する認識。まるで子どもが周りを見ているようだ。無邪気さといえば言葉が良すぎる。自己中心で願望だけで無知。
 自分も、自分の子どもも特攻に出す気もないのに、若者の命をなんとも思わず殺す事が平気な軍人達。情報すら自分の思うように勝手に解釈し、冷静に判断できず、国民に嘘の情報を垂れ流しても何の呵責も感じないまるで怪物のような軍人達。
 それを称え支えていた大政翼賛会の政治家ども。今ですら、その孫達が国会を闊歩していると思うと腹が煮えくり返る。思想的に戦前とまるで変わっていない。変わって反省しているのは加藤さんぐらいだ。
 こんな事を思う時に国会議員になりたいなあなんて思ってしまう。やはり、国家の大事を決めるのは国会だものね。しっかりした議員がいなければならにと思うが、誰が一体そうなのだろうか。とにかく民主党のI氏ではないことだけははっきりしているのだけれど。
日本の一番長い日 半藤一利
昭和史 半藤一利
maden voyage ヒロ 伊藤 すぺてが写真集である。きっと今まで出ている尾崎豊の写真集はすべて収集したと思う。本当は、カジュアルに笑っているスナップ写真が見たいと思うのだが、写真家は尾崎の本性を映し出すような写真を撮る。
尾崎はまるでモデルのように美しく、あのバブルの狂乱の中でも物憂げに、何かに悩んでいる。そういう写真が多いし、きっとそうだったんだろう。切り刻まれたような魂が写真を通して映し出されているのだと思う。しかし、熱心な私のようなファンは、そんな中ですら、尾崎には楽しく愉快なひと時があってほしいと思うのだ。だから、楽しそうなスナップ写真がみたい。
尾崎豊 午前0時の十字架 横山正美
forever ozaki
memorial ozaki yutaka 山口よしひと
放熱の行方 吉岡忍 前に読んでいて、買おうとは思わなかった本なのだが、やはり買ってしまった。尾崎に批判的な人が、特に尾崎に批判的だった妻・繁美さんの目を通してさい後半を描いている。尾崎の内面なんか、「甘え」という一言で切り捨てられてしまう。尾崎の周りへの違和感を尾崎が悪いから、自己中心だからと言う。本当かな。尾崎の先見性、個人的な事は普遍的なことという視点を抜きに尾崎の苦悩を語れるのかと思う。尾崎の苦悩は自己中心的な幼児性にあると言い切れば、尾崎の曲の普遍性すらも見失うだろう。まあ、こんな考えで尾崎を見る人がいても良いのだろうけれど、妻も含め、回りには尾崎の姿が結局良く見えなかったという事だろう。
約束の日 尾崎豊 福永三重子 とにかく、写真を集めるつもりでこの本を求めた。この福永という人がなぜこの本を書いたのかすらよく分からない。
尾崎豊 魂の波動 山下悦子 芹沢俊介 児玉由美子 1999年に新世紀、新ミレニウムを前に、尾崎を総括した。バブルの崩壊後、5年を経て、尾崎の先見性が見えてきている。尾崎が無意識二かもしれないが問題にした事、さもなければ尾崎には見えていて、周りが見えることも無かった事柄があきらかになり、癒しの音楽としての尾崎の楽曲の見直しが始まった。棘のあるロッカーであったが、それは社会に受け入れられた。今、本当に問題とされているのは、傷ついても傷ついたように振る前すら出来ないばらばらに解体された人人の心だ。尾崎は身をもってそれを体験し、歌にしている。静かな慰めと癒し。
尾崎豊永遠の愛と孤独 山下悦子、西本明等 芹沢さんの尾崎の本に対してのシビアな評論が気になった。物書きとしては尾崎はまだ出発点にたったところだったのだろう。
未成年のまんまで 落合昇平 尾崎豊のストーリーそれも十代の。なんだかとても不毛に思える高校時代。その後のツアーに明け暮れる日々。それもなんだか不毛に感じられるのはなんでだろう。本当に、彼が人生を楽しみ、人生を謳歌しという記述が少ない。そういう面から、心の面を書いているからだろうけれど、また、尾崎の内面生活がさまざま起伏に富んでいたという事だろう。

けれど、都会の子どもの寂しさを感じる。東京近辺の子どもが東京の文化に翻弄されたって感じだ。青学、クリスチャンなんかが身近にいなかった子どもが賛美歌に驚いただろうな、圧倒されただろうなと思う。その上、金持ちのぼんぼん。バブルのはじまり、金回りが良い民間。でも、うちは自衛隊で公務員は金回りはよくない。社会の矛盾、労働者の悲哀。私が高校生の時には感じる事も無かった社会が尾崎には感じられた、その只中にいた。
尾崎豊心の旅 吹上流一郎 120人の証言と言うから買ったのだが、ストーリーになっていて、どこからが創作でどこからが証言か分からないのが嫌だ。尾崎の最後の日の事も事実かどうか分からない。岸田さんは24日はもうアメリカにいたからである。どうしてこんな風に最後の日の事を書いたのだろう。写真が多用してあったが、アイソトープと近しい人なのかな、この著者は。
尾崎豊 夢の形 柴田曜子 取りとめもない尾崎論。ファンとしては彼女の気持ちがよく分かる。回りは尾崎が天才である事を認め、尊敬していた。柴田さんも彼に強力にひきつけられた人だ。

しかし、と、思うところがある。尾崎に多くの人がひきつけられるが、それは怖いもの見たさのようなところがある。勿論、その尾崎の壁の中に覚悟して入る人もいるだろうが、すべてビジネスが何らかの形で絡んでいる。柴田さんだって、この本を書いたジャーナリストで、尾崎が嫌いだった文言春秋社からこの本を出した。

「友達はいいよな」と死ぬ何日か前に中学校からの友達に尾崎が言ったそうだ。尾崎は孤独だった。奥さんがもっと尾崎を理解していればよかったのにと思う。若くて社会でた尾崎は損得なしの人間関係がだんだん希薄になり、尾崎そのものが商品OZAKIとしてすりかえられてしまう。可哀想だなあ。

柴田さんの本からは新しい尾崎は見つからなかったけれど、F社長が言っていたことが妙に気になる。F社長には商品OZAKIをどうしたかったのかを聞きたいと思う。
尾財豊・魂のゆくえ 山下悦子、吉本隆明、山折哲雄、芹沢俊介、盛岡正博、尾崎健一 尾崎豊の評論。それぞれの観点からの尾崎論である。尾崎は立派だったなあとつくづく思う。彼の深さをどうして理解できない人が多いのか、そちらの方が理解できない。それに、尾崎は素直で誠実な人だったが、周りにはそれを理解できない業界の人が多かったのは心から残念だった。大楽さんが最期にいてくれたのが心を休めただろうと思う。大楽さんは本質的に業界の人でなかったからね。
尾崎豊の魂
輝きと苦悩の奇跡
山下悦子 尾崎の心に寄り添って書いた評伝。すべてを尾崎の作品から理解したもの。インタビューは一切無い。山下さんによる尾崎の追悼文。吉岡さんの常識的な尾崎評を読んだ後なので、優しく尾崎を見ていて、その苦悩まで捕らえているのが嬉しい。尾崎は悲しい男だが、あまりにも奇行に思える行動によってそれが見えなくなっていた。その部分すらにも意味があったと思わせる評伝だ。
WORKS YUTAKA OZAKI これも読めない。写真は見た。私はどうしても尾崎豊の痛い辛い所を触りたくない。触れたくない。痛みが私にもすごい痛さで感じられるからである。なぜだろう。
ガラスの箱舟
尾崎豊追悼文集
ロッキング オン ジャパン この本は狭山市の図書館で借りたが、ほしくなってアマゾンの中古本を買った。ファンの人が尾崎をとてもよく理解しているのに驚く。彼が問題提起していたことをはっきりつかんでいて、自分がどこに行くべきかが見えているようだ。
尾崎の提起した純粋に愛を求めることにたいし、妥協せず、大人になったとしても、それを求めていく決心を、金が力が本当の価値ではないという事を尾崎を聞いている人は理解している。本当に大切なことを知ることは、年も何にも関係ないなと思う。
尾崎豊「誕生」 尾崎健一  これらの本をすべて購入した。尾崎豊を知るためだった。CDなどもたくさん購入した。アマゾンの中古本が主だが、ブックオフや本だらけのような古本屋ものぞいて、手にはいる者はすべて買った。
 仕事関係者の田島、須藤氏の尾崎像は尾崎豊のアーティストとしての一面は語ってくれたが、尾崎そのものではなく、尾崎を通して自分の思想や思いの発露をどんな風にしたのかという感じだ。尾崎はそういう意味では、田島、須藤両氏にとっては、いかに商品を作っていくかを冷静に大人として尾崎を分析し抽出していったと言う感じがした。勿論、彼らがプロデュースした尾崎は私は好きだけれど、尾崎の本質を血と汗と涙とで理解したという感じはしない。
 その点、大楽氏の胸の痛みや鈴木氏のいつまでたっても癒えない傷は「なぜ」という思いとともに、深まっていくだけで開放がないようで悲しい。きっとそれに一生囚われ続け、身をさいなむことだろう。特に大楽氏の彼を殺した責任は自分にあると言う最後の言葉はあまりにも辛い。あの時、ああしていればと思うのだろうが・・・
 身内の尾崎健一、康氏の尾崎豊については、あまりにも近いからこそ書けたこともあるだろうし、あまりにも悲しくて書けないこともあるだろうし、だから悲しみが今一伝わらない。まだまだ、身内にとっては尾崎の死が生々しい時の本だからだろうと思う。
 永島氏の「覚せい剤偽装殺人事件」を読み、あまりの説得性のある事件の解明に驚いたと同時に、大楽氏の「誰が尾崎豊を殺したか」を読むと2度納得する。尾崎豊の死が警察によってもっときちんと解明されればよかったと思う。
 疑問はなぜ繁美さんが尾崎豊の死を積極的に解明しようとしなかったかという事である。私だったら、もう一度警察に捜査を頼むと思うけれど。
尾崎豊アイ・ラブ・ユー 鬼頭明つぐ
尾崎豊へ
say good-bye to the sky way
尾崎豊、尾崎康、大楽光太郎、吉岡秀隆、
尾崎豊写真集
フリーズムーン
田島照久
ozakiのクラクション 田島照久
親愛なる遥いあなたへ 尾崎繁美
尾崎豊覚書 須藤晃
誰も知らない尾崎豊 鈴木真澄
弟尾崎豊の愛と死と 尾崎康
尾崎豊覚せい剤偽装殺人事件 永島雪夫
誰が尾崎豊を殺したか 大楽光太郎
最後のひとかけら 大楽光太郎
誰かのクラクション 尾崎豊 才能があふれていて、読むことが辛くなってしまう。はっきり言って読めない。言葉が痛い。本当に彼は天才である。感受性が強く、ひりひりするほどの感性を酒や薬で紛らわしていたのだろうか。
白紙の散乱 尾崎豊  これらの本も全部購入した。実は「白紙の散乱」の一部、「普通の愛」のあとがきしか読んでいない。「白紙」は彼のすごい才能を見せ付けたし、「普通の愛」のあとがきを読むととても辛くて、本文を読めない。彼は常に自分をさらけ出す勇気があった人だったし、それがなければ、創作の意味すらないと思っていただろう。さもなければ、最後の「生きること、それは日々を告白していくこと」という言葉にはならなかっただろう。私には、彼の音楽と言う手段を通しての痛みにすら当惑を覚えるのに、文字で表現された世界にはとても入れない。きっと、まだ。
 それは、彼の持つ言葉の刃が私にも向かってくることを知っているからかもしれない。痛みなどにそっと蓋をしてきてることが多いのだが、それを引き剥がしてしまわれそうで、怖いのかもしれない。
普通の愛 尾崎豊
黄昏ゆく街で 尾崎豊
ガラスの箱舟尾崎豊の追悼文集 フォッキング・オン 尾崎豊と尾崎の曲と世間と自分の人生とを重ね合わせた追悼文。一般の人が書いた文章だが、非常に知的で冷静で感動的である。尾崎はこのように理解され、愛されていたのだと思った。自分のファンともっと交わって、自分の自信を持って尾崎が生きていけたらよかったのにと残念に思う。
放熱の行方
放熱の行方(尾崎豊の3600日)
吉岡忍 尾崎のネガティブな面を強調した評論である。確かに彼はそういう面もあっただろうが、一面的な見方だろうと思う。尾崎の考えをインタビューなんかから取り上げてみれば、尾崎の取った行動の意味を尾崎の面から理解できるかもしれない。大楽さんの文章との違いに戸惑う人もいるだろうが、こういう風に尾崎が回りの人から考えられていたことにより、尾崎の悲劇が起きたのだろうかと思った。
Yesに影響されたNO 藤沢映子 若いときの尾崎とのインタビュー。彼女と須藤さんとのインタビューもある。若い尾崎は理解できても20歳を超えたとき、彼女は尾崎を理解できなくなった。
新誰が尾崎豊を殺したか 大楽光太郎  なんと、狭山市図書館にも尾崎に関する本がたくさんあった。私には古本でも高価で買えなかった本が図書館にあった。大楽さんの本は尾崎豊を愛していることがとても分かる本で、彼に寄り添っていることがよく分かる。最後のマネージャーだったそうだが、尾崎が死んだ後も忠実で優しいまなざしで尾崎を理解しようとしている。
 死後、さまざまなことがあっただろうが、大楽さんの尾崎への愛情がとても美しく思う。でも、大楽さんが尾崎から解き放たれればよいのにとも思ってしまう。無理かな。
尾崎豊 7年目の真実 大楽光太郎
愛すべきすべてに 鬼頭明つぐ  鬼頭さんは尾崎から馘首された人だ。だからか、尾崎への愛が複雑だ。私が尾崎が大好きだからか、鬼頭さんの尾崎への冷たい批評に納得が出来ない。繁美さんに対する感情も大楽さんとは大違いだ。鬼頭さんは繁美さんと直接接することが少なかったからなんだと思うけれど。大楽さんの本は、自分の中で尾崎への愛を確かめているような感じだが、鬼頭さんの文は尾崎を貶めているような感じがする。やはり、どこかで尾崎を恨んでいるのだろうか。それでいて、僕が一番愛されていたマネージャーだとも言いたいそぶり。分からないなあ、この人は。
尾崎豊 きっと忘れない 鬼頭明つぐ
尾崎豊少年時代 尾崎健一  これもすべて狭山市の図書館から借りたものの。私は健一さんが書いたものをほとんど読んだことになりそうだ。非常に冷静な人だという事が分かる。親として、子どものことをよく見ているし、理解しようとしたり、導こうとしている。偉いなあ。私は子どもの日記を一度たりとも書いていない。仲が良い、普通の家庭の息子が全然分からない芸能界に入ったのだからとても混乱しただろうにと思う。
 親が書いたのだから当然だが、尾崎について一言も否定的でない。だから安心して読める。
尾崎豊卒業 尾崎健一
尾崎豊もう一度 君に出会うたび 尾崎健一
ワーキングプア NHKスペシャル取材班  まだ、全部を読みきってはいない。今まで直感も含めて、青少年の貧困、就労困難について議会で取り上げた。失われた10年、15年の間に格差が開き、貧困が世代を超えてやってきている。
 親が豊かであったらニートやパラサイトで入られるが、豊かでない時には路上に行かざるを得ない。ホームレスになりたいわけでない。ならざるを得ないのだ。
 これを見過ごしていていいのだろうか。社会問題としてきちんと捉えるのが行政の役割ではないかと思う。
日本の貧困研究 橘木俊詔 裏側邦夫
日本におけるホームレスの実態 川上昌子
現代の貧困 岩田正美
2006年
ボクサーは犬になる
ライバルは犬を抱く
ドクターは犬を愛す
ボクサーを犬は癒す
ボクサーは犬と歩む
ドクターは犬に勝つ
ボクサーは犬に勝つ
ライバルは犬に勝つ
剛しいら 最近、私はBL物と言われる小説にはまってしまっていた。ゲイの関係を女性小説家が書いたものを耽美小説とかボーイズラブとかいうジャンルでくくっている。性描写もあるので、単にエッチな本という感じもする時がある。けれど、女性の感性で書かれているので、なんとなく魅かれて読んでいた。

その中にはすばらしいと思う本もある。単にエンターテーメントというには、もったいないと思う小説がある。このドクターXボクサーシリーズはぴか一だと思った。性描写がなかったら、息子に読ませたいと思う。まるで、「バッテリー」のボクシング版のような気がする。4回戦ボーイが世界チャンピョンになるまでの話といえば、それまでの話だ。また、やくざの息子が立派に世界チャンピョンになって堅気の社会で生きていく事を書いた小説だといえば、そのとおりだ。紆余曲折がある。それが小説になる。

人生の中で、男性がたまたま女性を愛せず、男性を愛してしまっても仕方がないんだなあと思ってしまった。男が男にほれるって言うのは、難しいなあと思ったりもした。社会的な障害もある。女性っぽい男性が男性を好きになるのではないというのも分かった気がした。男らしい男が男にほれてしまうこともあるんだ。人生は本当に複雑だ。嫉妬も執着も愛情もごちゃ混ぜ、それが暴力になったり、傷つけあったりする。

特に1巻の導入部の性描写がきつすぎて、違和感があるのだけれど、大学2年生の息子は読めるだろうか。読んだところで、この物語の深さが分かるだろうか。結局は、人生をどう生きるか、人をどう愛するか、人とどう向き合うかというのが、この小説の主題かもしれないとおもう。さまざまな人生が交差し、お互い依存しあいながら、それでいて自分一人ひとりの道を孤独に豊かに生きていく。

作者は真剣に生きている主人公たちに愛情を注ぎながら描ききった。変態気味の医者だって、そうなる背景があって、小説の中で反省をしたりして変わっていく。その医者に愛される主人公は可愛そうなぐらい医者に忠実なのに、ボクシングだけは止められない。まっすぐにチャンピョンの道を駆けていく。

やくざの息子、東はボクシングにであい、主人公の徹に出会うことで、さまざまな辛いことを乗り越えていくのだ。そして、坂本というやくざの子分で東のお世話役は東を愛さずにはいられない。忠実なガードマンというだけでなく、心がしっかり結びついて、離れられなくなっているのだ。弁慶は先に死ぬけれど、牛若丸とともに生きる弁慶になると決心する。

他の登場人物も本当に魅力的で人間的で、この作者の筆力には驚く。なぜ、BLなのかと思う。他のジャンルの小説を書けばよいのにと残念に思う。また、このようなBL小説を読むと、BL小説そのものがきっともっと日の目を見る日が来るような気がする。この小説なんか、下手な直木賞小説より深いものがあると思うもの。少なくとも、登場人物には血が流れているし、むなしい現代小説にくらべ、生活があって、暮らしがあって、涙があって、思いがあふれていて、私は大好きだ。

だから、ちょっと気恥ずかしいけれど、この小説を感動を持って読んだことをここで書く。
親子鷹 下母沢寛 勝海舟のお父さんを小説にしたもの。父、小吉は自分と海舟を"とんびが鷹を生んだ”といっていたが、作者には父も鷹、子どもも鷹という事である。破天荒な父親だが、その父の人が良すぎるほどの性格のゆえに馬鹿を見すぎるほど見たのだが、しかし、それが海舟には財産であったのだろう。

父親は海舟へ愛情はあっても、無職。この小説では少しエキセントリックに伯父さんを捕らえているが、冷静に考えてみれば、海舟は伯父の男谷、いとこの男谷誠一郎氏によって、育てられたとも言えるかも知れない。。金とこねとにより、お城の殿様の息子の学友になって殿中にいられたり、剣術や蘭学が出来たりしたのだ。伯父さんは新潟弁で言えばイッコクな性格かもしれないが、息子がなかった分、海舟に期待もした。とにかく、どら弟には手も掛かったし、金も掛かっただろうし、理解もできない振る舞いに戸惑っただろうが、よくよく縁を切らなかったと感心する。こんなところが、血のなせる業かとも思う。

私は、すでに「夢酔独言」という小吉の書いた自伝を読んでいるが、小説になるとこういう風になるのかと感心した。小吉の書いた文とは違いまわりの様子がかきこまれているのだが、きっとこんな風に下町で小吉は慕われており、尊敬されていたのだなあと思う。海舟はここで育ったとは言いがたい。伯父や従兄弟がこの生活から抜け出せるように、教育してくれたからこそ、後の彼があったのだと思う。小吉の人生は欲を捨てた人生だが、欲を持ちながら生き、また欲にとらわれずにも生きられた海舟の生き方もなんとなく分かる気がする。

どうしようもなく破天荒の父親を終生悪く言わず、母親を尊敬しつくした海舟の親への思いが分かるような気がした。金がなくとも、職に就けなくても、子どもに尊敬された小吉はたいした男だったのだろうと思う。
ただの私 オノ・ヨーコ 私はオノ洋子さんを尊敬している。理解しているのではなく、尊敬。きっとフェミニズムに関しては私はまったく同じ考えだろう。ただ、アーティスティックなことはきっと理解できない。それでも、ジョンレノンのミュージアムで彼女の芸術がジョンの音楽を非常に刺激したことは確信した。

オノ洋子はジョンレノンのような超有名人の未亡人だけれど、ジョンレノン未亡人としてではなく、常にオノ洋子として自立したアイデンティティを持ち、生きている。私はそれを尊敬したい。そして、オノ洋子はジョンレノンの思い出として、化石のように生きているのではなく、今もなお芸術活動をしている。その芸術活動は政治活動であり平和活動であり、フェミニズム活動であり、多様である。

彼女はきっと大勢のおじさんやおばさんには理解不能だと思う。彼女は超お金持ちの日本の上流階級のお嬢様としてさびしく育った。不思議なことだが、芸術や哲学は食べるために働くことが必要でないところで新しくはじまるのだ。前衛的であることを堂々と主張して生きてきている彼女はすばらしい。「理解できるかなあ、おじさんやおばさんに)
「昭和」とはなんだったのか 保坂正康 今日の政治状況に危機感を抱き、「昭和」を振り返る事により、今の状況は昭和初期のファッショ状況にすぐにもなりうると指摘している。同じような、危機感を私も感じている。

小泉首相の中国に対しての認識の甘さに寒気がするのは、私ひとりでなかった。最近台湾に行ったが、台湾人の国民党嫌いはひどかった。なぜならば、60年前の残虐の記憶が消えないし、最近までの台湾人差別の傷がいえないからである。彼らの恨みを見ていると、中国本土の人が日本人を蛇蝎のように嫌うのも理解できる。あの戦争を知っている世代がまだいて、私のように実体験を聞く事ができれば、それは過去の話というより、歴史になっているというより、うずく傷として今もそこにある恨みというものである。

麻生も小泉も安倍も何を考えているのだろう。日本は健全な外交で平和を作るしかないのだ。徹底した平和外交が必要なのに、外交を放棄している事をひたすら悲しむ。
あの戦争はなんだったのか 保坂正康 この本を読んでいると怒り心頭になる。何百万人もの日本人のみならず様々な国の人を殺す戦争があまりにも自己中心でタダタダ野心に駆られた軍人どもの無知無秩序な考えて遂行されていたのが良く分かる。

また、天皇にしても軍部を抑える気力がなく、タダタダ軍部の暴走に手をこまねき、自分の意思すら表現しなかった事に怒りを覚えた。東条だけでなく天皇も等しくその戦争責任を負うべきであった。

こんな人間達(軍部、政治家、天皇)が国を牛耳り、専制天皇国家を作り上げ、日本人の国ではなく天皇のための国を守るために臣民として人間の命をまるで紙くずのように使い捨てにしたことは怒り以上のものを感じる。

民主党の鳩山を嫌いだったが、祖父が帝国主義の中で軍部の統帥権独立をあたかも天皇を守るかのように言ったのを知ると、現鳩山もあの精神構造の中にいるのかと嫌気どころが嫌悪感すら感じる。

イラクへの自衛隊派兵がどんなに無謀なものであったか、自衛隊とは何かをこの新書を読みながら深く考えた。
老兵は死なず 野中広務 平和を願う政治家がまたひとり権力の座から姿を消した。この本を読みながら、ほんの一握りの人たちが日本を動かしているのだなあと思う。その権力構造の危なかしいこと。回顧録だそうだが、政治家は政治家をやめてあれこれ言っても犬の遠吠えなんだなあと思う。特に保守政治家は市民活動をした事がないので、市民、民間組織を動かして政府を動かす術を知らないのだろうか。いや、今の小泉さんは誰が何を行ってもダメな人だから、野中さんがほえても無駄吼えにしか聞こえないのだろう。

小泉政権を早く終わらせたいが、自民党内部は恐怖政治真っ最中だからどうにもならないのだろう。