2008年一般質問要望ならびにコメント
1.障害者福祉 2.女性について 3.美術・文化

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答弁についてコメントさせていただきます。

 

1.障害者福祉

まず、答弁から、障害者に対する人権擁護意識の希薄さをとても感じます。法律によってなぜ特に障害者の虐待や虐待防止の対策を市町村に求めたのかという点、施行規則に協議会のようなネットワークの構築を特に明記したのかという点について、狭山市の認識に私は危惧を感じます。障害者の人権は障害者が守りきれません。私は、それを守るのは、障害者の近くの市町村が責任を持てという事だと法律を解釈しています。

 地域自立支援協議会は狭山市でも作るそうです。しかし、障害者の人権を守るためにという鋭い視点なしでは、協議会は単に支援機関などの顔見世になります。児童虐待ネットワークが協議会になりましたが、これには児童虐待は許さない、子どもが幸せに生きる権利をないがしろにしないという理念が先にあり、児童のための協議会です。地域自立支援協議会は、漠然と障害者の自立を促すためにあるのではありません。一義的には障害者の権利保護のために立ち上がる機関なのです。市が障害者の味方となって各機関と連携し、または時にはそれらと対立してでも、障害者の権利擁護のために戦うのです。障害者のためには骨身を削ると思う気持ちがなければ、協議会は無意味です。協議会をどんな組織に作ろうとも、徹底的に障害者の味方になるという目的を忘れないでください。

 

障害者の自立支援にかんして、私は深い絶望感を感じました。就労者支援センターはそれなりに頑張っていると感じています。立った3人の職員で50人以上の会員を抱え、職場開拓に、ジョブコーチに、啓発にと忙しくしているが、見えます。しかし、狭山市役所の職員課と狭山市障害者就労支援センターの間には、今までいかなるコンタクトも無かったというのはどういうことでしょうか。狭山市の施設のひとつである狭山市障害者就労支援センターは外部の企業に雇用を呼びかけ、少しづつでも障害者を雇ってもらっているのに、平気で自らの市役所には雇う場所がないと言い切れるのは、わたしにはどんな神経をしているのか理解できません。民間企業では、障害者を雇う時には、職場をバリアフリーにしたり、従業員に障害者理解のために教育をし、其の上特別な配慮をして、障害者を雇うのです。一人障害者を雇うために、仕事を作り出して雇ってくれるところも有るのです。

 市のように、「あなたのような障害者は、効率的でないので働く場所がありません」とでも、すべての企業が言い出したならば、障害者には働く場所はなくなります。そうなれば、今ですら、狭山市の障害者福祉費は10億円を超えていると思いますが、障害者は福祉の中でお金を貰って生きていくより他はありません。

 しかし、大半の障害者はそんなお情けにすがって生きていく行き方を望んではいません。自分の働いたお金で生きていきたいと思っています。ただ、今までチャンスが与えられなかった、それだけです。障害者就労支援センターを設置している狭山市が、税金を効果的に使うために、障害者を雇用するのは税金の無駄遣いだといわんばかりに、障害者就労に前向きでないのは、心から悲しく思います。私は納税者ですが、障害者のために就労の場を作り上げても税金の無駄遣いだなどとはちっとも思いません。本当に冷たい市の姿勢だと思ってしまいます。

 就労支援センターを狭山市駅西口再開発ビル内に持っていけないのはなぜでしょうか。みのり福祉会に運営を委託しているとはいえ、センターは市の施設です。市の建物の中に有るべきではないですか。もう一考を願いたいと思います。

 喫茶パステルは、それでなくとも就労の場がない障害者のよき就労の場です。困難は多いかもしれませんが、就労の場として喫茶パステルを継続してほしいと願います。今働いている3人がこの仕事を失ってしまったら、他の場所で働けるとは限らないのです。一日の空白もなく、働き続けられるように親の会ともしっかり話し合いながら、全力を尽くしてください。

2.女性について

配偶者からの暴力防止、被害者支援基本計画は是非作ってほしいと願います。DVはなくなりません。さまざまな施策がありますが、狭山市役所の中でも施策がばらばらです。早急にきちんと計画を作り、女性の、今では男性も暴力の被害を受ける事もありますが、配偶者からの理不尽な仕打ちに対応できるようにしてほしいと願います。

 

男女共同参画条例については、市民参画によって市民の納得する条例にして、議会に提案してほしいと願います。

 

美術文化について。

狭山市で美術文化と言っても、誰も本気で相手にしてくれないんだなという思いが今ふつふつと湧いています。文化推進と言っても誰が何をどうするのか、答弁を聞いても私にはよく分かりません。基金があっても購入計画はないらしいし、美術品などの設置のコーディネートをしていくのは、一体誰なのでしょうか。美術品について今あるのをどうにかしようと何にも考えていないというのが、今回の答弁のような気がします。

文化財を街内におくという発想そのものが希薄ですね。

今度できる狭山市駅西口の公益施設の壁には、何かがかけられるようになると思いますが、私には誰がどこで何を買うようにするのか、これも皆目分かりません。博物館も図書館も、検討はすると言ってはいても、いつどこで誰がどんな風に検討するかとも言わないでは、本当の所、美術品は要らないというような答弁に聞こえます。私には、その意味が理解できません。

私は新潟県の長岡で生まれ、米百俵の風土で育ちました。見えるものも大切だけれど、見えないものはもっと大切で、実際的なものも大切だけれど、実際的に思えないものがむしろ大切であるという価値観で育ちました。絵画や美術品、芸術はただ見たり、きいたりする事が出来るだけで、確かに雨漏りを防ぐ事もできないし、おなかを一杯にはさせてくれません。しかし、悲しいときに、苦しい時に、辛い時に大きな慰めになったりします。ホッとくつろげる魂のよりどころになったりするのです。市の品格はこんなところに現れると私は思うんですけれど。

先ほどの障害者の件のときも感じたのですが、狭山市は効果がはっきりしないものに対する評価が低いのかもしれないと思いました。でも、もう一度言いますが、意味のないように見えるものは、実はとても価値あるものなんですよ。大切にしなければならないものは、大抵そういうふうには見えないものなんだと思います。邪魔に思えるものは、本当は一番愛すべきものです。美術や芸術、文化などを低く見るのは、もしかして心をないがしろにしているのかもしれない事を指摘して私の一般質問を終えます。