質疑する時に、先輩議員は@『ただ質問があるから聞くというのでは、お勉強会だ。議会はあなたのお勉強のために開いているのではなく、市民の利益のための審議をするためにあるのだ』と言われます。私もようやくその意味が分かってきました。市民のための本質的な質疑をするべきです。

  それを言う時、男性はえてして、女性の質疑を細か過ぎると言いがちです。女性の本質的という考えは生活に密着したと同意語なのですが、「男性の場合は将来を見据えてとか大局的なことだと思っている時が多いように思われます。女性と男性の視点の違いに男性議員はなかなか理解を示してくれません。けれども、私は女性の視点で市政に寄与したいとして市議会議員になりました。ですから、細かくとも生活に密着した視点で議会に臨みたいと思っています。

  また、こう言う先輩議員もいます。A『議会の質疑なんかしてもどうにかなるという物ではない。執行部だって言いたくない事は言わない。議場で何もしなくたって自分の意見を通す方法はあるんだ』 この考えは私には議会無視のように思われます。

  議会に長くいればいるほど、議会の無力感が強くなるのかもしれません。けれども、私は議会を通じて、市の行政を糾し、行政に質問し、提案するべきだと思っています。議員は市民の代表なのですから、市は議会としての提案を無視できないはずです。もし、市執行部が議会無視した時にはNOと採決するだけの見識を持っている姿勢が議会に必要なのだと思います。この際、私たち議員はどんな権利を持っているのかを良く知って、議会が一丸となって市に提案できる程の実力をつける必要があると思います。

  議会の間は口を開かず、議会外で職員に仕事を頼むだけの市議会議員にはなるまいと、私は心しています。