私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
1月 私の独り事
31日(月)
22200カウント
22222カウントは
知らないうちに通り過ぎた。
今日の朝もいつもの月曜と同じに、子供に弁当を作ってやり、遅く起きた娘を叱り飛ばして学校に送り出した。娘はちょっとおかしくて、学校から帰ってきたらベッドに直行した。少し熱っぽかった。

午前中にポスターをはがしに行った。2枚はがれなかった。何枚も貼ったのだが、ずいぶんはがされていた。投票日が終わったのではがされたのか、反対派にはがされたのか分からないけど・・・
昼に帰ってきてからは、本当に魂が抜けたようで、洗濯を干したり、夕食のカレーライスの野菜を切ったり、なんとなく夕方まですごした。夕方古本屋に行ってしこたま本を買い込んだ。ぼうっとしていたい。

合併を市長がひよったと分かった時から、それでも自分の力の限り合併のメリットの説明をと思い、私として出来る限り頑張ったつもりなのだ。自民党や公明党や他の会派と組んで運動をしたが、今までなら絶対しない行動だった。でも、大きい力で運動したほうがよいだろうと腹を決めて市民会議に参加した。

ネットでの説明も本当に頑迷なガキ(上品でないとしかられた表現をもう一度つかわせてね。)相手に辛抱強くしたつもりだし、街頭に立っているつもりで丁寧に説明したつもりだったが、結局理解してもらえなかった方が多かったのだろうかと思う。とにかく、新しいメディアで、積極的な情報公開をしたかった。でも、「借金してまで合併しなくても」という屁理屈の前に、合併の効果の話は飛んでしまった。軽く見積もっても20年で300億円が手から漏れていった。ばかばかしいなあ。実はもっと損したんですよというのを、今日ある人から聞いた。実際寄せ集めれば、500億ぐらいになるのかなあ。

反対を説得できなかったのは、合併できなかったのはなぜだ、何をすべきで何をするべきでなかったのだろうか、と考え込んでいる。吉池さんのHPを見たら、市長がビジョンを示さなかったからだと言う事が書いてあったが、私にはまだきちんと整理されていない。不利な立場でも一生懸命合併のために取り組んで来たせいか、振り返るのが痛い。辛い。負け将棋を振り返る時のように冷静にあの時こういう手を打って置けばよかったと思えるようになるには、私には1ヶ月はかかると思う。本当は感情にまかせて、市長を怒鳴りつけてやりたいのだが、そうしたところで彼に私の気持ちが理解されるはずもない。彼のコメントを見て、怒り心頭なのだ。あまりにも、あまりにも他人事のようなコメントではないか。まだ、木下市長の反省の弁の方が私には胸に響いてくる。残念どころではない、慙愧に耐えない。市民に対して、今後の負担を強いる行政を進めなければならない事に関して、市長のコメントからは何の痛みも感じないのは私だけだろうかと思うのだ。

いつか、いつか狭山市と入間市が合併して30万都市になる日を夢見ている。川越や所沢市に負けない格式のあるしっかりした街づくりがいつか市民の合意を得られる日が来る事を願っている。そうでなかったならば、わたしの老後は夫とともにアメリカで暮らすことになるかもしれない。そんな気がしている。
30日(日)
22100カウント
今日は朝所沢のトーチランを見に出かけた。狭山トーチラン実行委員が全員参加した。良いトーチランだった。快晴の元、元気にトーチランにでかけた 。走る去るのを見ながら、私達もしたかったなあと心から思った。でも、もう言っても仕方ない。あの時は雨で、それも雪すら降るといわれていたので、あれしかできなかったのだから。その後、礼拝に出かけた。食材を買い込んで帰ってきたら、合併推進派の議員から街宣をするというので、私も車に乗り込んで2時間ほど頑張った。

夕食後、入間川小学校に出かけ、住民投票の開票を見た。私の予想は4:2:0.5というもの。反対:賛成:どっちでもないと言う比率が。そして、ほぼそれに等しい数が出たようだ。

私は泣くに泣けない気持ちだ。たとえ、仲川幸成市長が合併をあきらめた時から合併は終わった事は分かっていても、現実にこれで合併がなくなったという現実に直面すると非常に空しい。特例債をまるで悪のように反対派は言ったが、これを貰わずに西口の開発をすれば、年間返済額が10億円も多く払わなければならないのだ。20年間で200億円分の損だ。200億円もあれば、橋の耐震補強工事もやれる。学校の耐震工事もやれる。多くの事業の原資になったのに。その上、事業所税が入ってくれば、20年間で100億円以上の収入だった。私が軽く見積もっても、合併しない事で300億円も損をした。

この300億円を今後20年でどのように捻出するのだろう。行革をすれば、狭山市は持ちこたえられると共産党は言った。中川さんは45%の職員削減と言った。15億円の収入をどんなやり方の行革をするのかと共産党にお聞きしたいものだ。自分達の議員の数を減らしたくないばかりに、市民の損失を省みる事もしなかった共産党。中川さんには45%職員削減をという一般質問をしていただきたいものだ。でも、彼は自説を平気で変えることが出来る人だから、「いや、そういうつもりで行革をしてくださいといっただけで、本気ではありませんでした」とのうのうと言うのも見える。法人税は上がるだろうね。そして、職員組合の人に言いますが、人件費の切り下げのために、もっともっと定数を切り下げられてしまうでしょう。サニープレスの田中さんは退職者不補充で全員分を派遣やパートにしろといっています。あと、3年後くらいから100人単位で退職者が出ますが、再任用なんてもってのほか。皆さんに嘱託としてでも残っていただく必要もありません。お止めいただくことになると思います。これが、合併しない事の現実ですよ、職員組合さん。

議会の責任はどうでしょう。アンケート調査にしろ、住民投票にしろ反対票は多かったでしょう。でも、本当に市議会議員は血眼になって市民を説得しただろうか。私達は市の財政状態を一番知っている。また、市の課題だって重々知っている。それなのに、合併賛成だったはずの長老議員はこの合併を成就させるために何をしたのか。Y議員が「合併協議会と市議会とどっちが偉いんだ」と全協で豪語した時があった。自分達の考えている任期特例が否決されたときであった。このときから風向きが変わってしまった。「俺達の言う事を聞かない合併協議会の協議を反故にする」という意志をひしひしと感じるようになった。そこには、市民のために合併をまとめるべきだという思いはひとかけらもなく、ただただ保身が見え隠れしていた。

仲川幸成さんは市民の考えを尊重するといって、合併をなしにするだろう。彼の責任はどうなるのだろう。彼は合併を公約に当選した。今回の住民投票によって本当はリコールされたようなものだ。それが理解できるだろうか。しかし、私を除くすべての議員は住民投票に賛成した。要するに、市長は市民の出した議案に対して賛成の態度を取り、その態度を私以外のすべての議員はよしとした。この時点で議会は市長の責任を問わないという姿勢を打ち出したのだ。私は本当の所、市長に辞職勧告決議を求めたい。しかし、議会はそうは動かないだろう。議会もまた、市民に判断を委ねることにより、無責任な市長とともに無責任さを共有し、合併に対しての責任を回避してしまった。今日会った市民は議会が無責任だったと言い捨てたが、結局市民と言う名を隠れ蓑にして責任を取るべき人が責任をとらなかった責めは議会は追わざるを得ないと思う。でも、それが分かる議員が少ないのに、私は泣きたい思いでいる。

私は住民投票の結果を勝った負けたの地平では捉えていない。損得で考えれば、みすみす逃した事業者税と言う課税権、特例債の7割交付金措置、20億円にも上る合併の際の特例措置、これを惜しむ気持ちは消えない。市民の負担が大きくなると思うと、慙愧に耐えない思いで今いる。
28日(金) 今日は、へたばる気持ちを抑えて、合併賛成のチラシを印刷し、2つ折にしたものを配布する事にした。ポスターは何十枚と張り尽くしたし、昨日反対派のチラシがポスティングされていたのを見て、最後にやはり私のビラも入れたかった。3000枚ほど、私とスタッフで配った。時間がないので団地やマンションが中心だった。

スタッフがチラシを配っている間に、ヤオコーの前で演説もした。入間市貧乏論をいう友達に会った。狭山市は入間市よりも財政規模は大きいけれど、今それを目いっぱい使っている状態なので、狭山市のお金を入間市に上げることなんて出来ないと説明した。それは入間市だってそうだろう。だから合併して、合理化して、あまった人員を削減して経費を浮かせ、そのお金を頼りに高齢化を乗り切ろうと言う事であると説明した。合併債を使うにしても、財源振り替えで出来る限り返す金額が少ない借金をしようというのである。市政担当者なら、また、経営者なら誰でも考える方法だろうと思う。

合併反対者は借金はするべきでない。(と、言う事は西口駅の再開発はやめろというのか!)財政規模が狭山市の方が大きいので狭山市の税金が入間市に使われるのはもったいない。狭山市の方が貯金もすべて豊かだから、入間市に利用されるだけだと言う。私は利用されるほどの財政力を狭山市は持っていないと思っている。とにかく、合併効果を最大限利用して財政強化を図り、新しい街づくりの中で活性化を目指すと言うのが本当の考えではないかと思う。

たしかに、合併しないで1市で頑張るというのも、選択肢である。その際、中川浩さんや共産党の方々の提案していることは、狭山市駅西口、入曽駅西口の開発は借金が出来るから凍結。人員削減は中川さんは津南町に習って50%削減だそうである。他にどんな施策で財政力を強化するのか。要するに、街づくりを停止し現状を維持し(出来るかどうか、なぜならば、だんだん古くなっていくから、維持だってとても難しい)、職員を極端に削減し(今後は派遣だって臨時職員だって正職員程度の待遇を与えなければならなくなると思うから、正職員の極端な削減が人件費削減にならないと思う。共産党がこんな事に賛成ならば自治労は共産党と決別した方が良いのではないかしら?)、法人による事業税の導入に反対だから市民負担の税源を多くすることが合併しないことの選択の意味だと私は思う。

昔合理化反対闘争を組合でした事があったと思う。でも、現実に組合は合理化を受け入れ、その変わりに雇用を確保することで妥協した。なぜならば、合理化しなければ競争に残れず、結果として職場がなくなることを理解したからであった。私は役所にもこの論理が労働者として当てはまるような気がしてならない。もし、合理化(合併)しなかったら、容赦ない人員削減が行われるだろう。すなわち、定年に達した人数を派遣やパートで置き換えるようになり、責任は残った職員に大きく降りかかるだろう。中川浩さんが言う、市民をボランティア(有償ボランティアなんて言うけど、結論から言えば補償のない低賃金労働者)として使い、職員はボランティアコーディネーターでよいという制度を真面目に導入するとなれば、かなりの部署で混乱が起きるだろうと思うし、全職域でそれが可能とは思えない。私が組合の委員長ならば合併に協力し、その代わりに今の職員200人または250人削減をそれ以上にしないと確約をとった方が得策だと思う。まあ、そこまで狭山市職員組合は考えもしないで、共産党の言いなりかもしれないけれど。
27日(木)
22000カウント
今日も朝9時から1時まで合併推進市民の会の街頭宣伝カーに乗って、合併推進のためにl、街頭演説をし、ポスターをはり、人と話し、あちこちを回ってきた。のどがいたくなって、疲れ切った。

昼ごはんを食べて帰ってきたら、2時過ぎだった。それから、夜埼玉トーチラン実行委員会に持っていく資料を用意し、はっと気が付いたら3時半だった。本当は街宣を終えてからすぐでかけ、ジョンレノン博物館にいきたかたのだが・・・私はしょっちゅう新都心まで会議に出かけるが、ゆっくり新都心にいたためしがない。仕事にいくので会議の場所に直行し、夜は遅くならないように急いで帰ってくる。今回は、会議が8時半に終わったので、10時半にうちにつけた。トーチランin狭山の報告をしたが、私は格式ばらない素敵な壮行会だったと思ったことを感動をもって伝えた。
26日(水) 今日も朝9時から1時まで合併推進市民の会の街頭宣伝カーに乗って、合併推進のための活動を行った。今日はポスターを持って車に乗っていたので、時々ポスターを貼らせていただいたりした。たくさん貼って気分が良かった。演説もところどころでした。車に乗っていて、合併が決まったら、私の任期も今年いっぱいなんだと思うと変な気がする。自分を捨てて、きっと市民のためには合併のほうが良いと思って頑張っている。でも、そんな思いをどのくらいの人が分かってくれるのだろう。

前向きの街づくりを唱えると、お前は建設委員だからそんなことを言う、何か利益があるのかとうがったもの言いをされたりする。私がどのように個人的利益を合併から受けるというのだろう。自分の議席を掛けて推進のために毎日駆けづり回ったって、議員報酬のほかに何も入っては来ない。少しはカンパは歩けど、それは議会レポートの発行の少し役に立っているだけだ。使命感がなくて、誰がこのように運動するだろう。

午後は、昼ごはんを食べてから事務所に戻り、本棚を組み立て少し整理した。私は、ああして、こうしてと言う係りで、スタッフやボランティアの方が作ってくれた。収納を作ると結局一杯になるまで物を溜め込むので、私はあまり収納を買うのが嫌なのだが、溜まったファイルをどこかに入れなければ、事務所はゴミ箱状態となってしまった。

今日は夕食を子供と食べた。「お母さん、夕御飯にいるの?」なんていわれた。昨日、前夜式でいなかったからである。このごろ本当に夜まで忙しくなって・・・・うちにいる時を意識的に作らないとね。
25日(火)
21900カウント
今日は朝9時から1時まで合併推進市民の会の街宣車に乗って、合併推進のための活動を行った。4箇所で街頭演説も行った。その後、お昼を食べ、ポスター貼りに出かけた。何枚貼っただろうか。反対と書いたポスターがあるところには、私達の賛成のポスターも貼らせていただいた。笹井はあまりポスターが張り出されていなかったので、きょうで多少ポスターを見ることが出来るようになっただろう。本当はもっともっと張り出したい。頑張ろう。

夕方になって、カインズホームまで本棚を買いに行った。帰りにヤオコーによって夕食の食材を買い、急いで夕食の支度を子供達に頼んだ。通夜(前夜式)が夜の6時半から会ったからである。高齢の女性の前夜式で人も少ないし、寂しいお前夜式だった。でも、教会員の暖かい思いに支えられて80歳まで生きたんだなあと思わされた。あんなに気丈な人がグループホームに入った途端、くも膜下出血で2ヶ月寝込んだだけで昇天してしまった。写真がとてもきれいで可愛くて、あんまりあっけない最期のような気がしてならない。人間ってはかないなと思った。新潟の父と母を思った。お正月にやせ細った母を見て胸が一杯になった。生きているうちに、会いに行こう。来月の三連休に会いに行こうと思った。
24日(月) 昨日は真夜中に帰ってきて、寝たのは今日の朝2時だった。子供の弁当を作り、8時20分までに小学校に行き、読み聞かせのボランティアをするのは辛かった。でも、私は子供に接するのが大好きだ。去年も3学期に「ああ無情」を紹介し、その一部を読んであげた。今年も同じ本を6年生に読んであげた。今回も去年と同じように真剣に話を聞いてくれた。小学生を子ども扱いする風潮がある。そして、子供が大人っぽくする事に目をしかめる。最近の読み聞かせは、時間が短いせいもあるだろうが、6年生にも絵本を使って読み聞かせたりする。でも、私は6年生に絵本ではないだろうと思うのだ。自分が6年の時のことを思えば、感情も論理性もそれなりに発達しているはずだ。それに見合った力強いメッセージのこもった内容でも良いのではないかと私は思っている。だから、「ああ無情」だったのである。

誰もこの本を読んだ子供はいなかった。しかし、ストーリーの展開、それも導入部分を読んだだけでも、子供の目は真剣になり、じっと私の朗読を聞いていた。私は、視覚的な刺激よりも、想像力を豊かに働かせて自分で物語を理解してほしかったのだ。子供達は私に付いてきていた。捨てたものじゃない、この子供達も感情、論理、倫理、まだまだ伸びていく。大人が子供をいつまでも子ども扱いすることなく成長を伸ばしてやる必要があると思う。

反省会で子ども会の話がでて、今の子供会は大人会だよねと言う話になった。とても健全な話だし、素敵なお母さん達だなと思った。子供に何もさせずに、大人が仕切ったところに参加させる。子供さま様にしているようだけど、子供から多くの機会を奪い取ってしまっている。やってあげるのがいけないんだ。子供達にも自分達の場を地域に与えるべきだと言うのが、そこにいたお母さん達の意見だった。わたしは、もっともだもっともだと思いながら、素敵な話をしているお母さん方といっしょにボランティアが出来てよかったなあと思った。

その後、幼稚園の読み聞かせの会に出かけた。そこでは、紙芝居1つと、3つばかり「語り」といって、何も持たずに話すのを聞いた。はっきり言って、朗読も「語り」もテクニックは、上手だが特別素晴らしいとはいえないからもっと練習すればいいなあと思った。でも、この「語り」を私は大好きだ。画面がないから、自分の中に想像した世界が展開する。そうして、その世界に自分が入ることが出来る。まあ、これは趣味の問題だろうし、私のように幼児期をラジオで過ごしてきた者だからかもしれない。でも、それでも私は本を読む方が、聞くより良いな。聞いているのはかったるい。本は自分のスピードで読める。せっかちだもの、私は。
23日(日)
21800カウント
今日の忙しさは、昨日スケジュールを見ているときからぞおっとするような感じだった。朝、10時に礼拝に出かけた。帰ってきて、昼食を食べてから狭山市障害者団体連絡会の開いた講演会に出かけた。松友さんの講演内容にとっても説得力があった。今40歳になる癲癇を持つ重度知的障害者の父である。障害者の支援制度は必然的にまた理念上からも介護保険と合流するものであると言う話である。どうしても、サービスを高くすれば、負担はしなければならないというものだ。税金を高くしたくなければ、保険料を払うのは仕方ない。税金は目的を中々付けられないが、保険料はその事業のものだから、他の税金を上げるより良いものだと松友さんは言う。納得だ。

納得した事が多くて最後の最後までいたかったけれど、3時半にお迎えの約束があったので市民会館を出て友達のところに行き、それから東急の自治会館で狭山トーチラン実行委員会に駆けつけた。実行委員会で作業をしようとしたが、ほとんど清水さんがしてくれていたので、諸報告とそれぞれ実行委員が感じたトーチランの本番での話しに終始した。1時間くらいでそれは終り、打ち上げの乾杯をした。これでこのメンバーでの実行委員会は終りかと思うと名残惜しい。とても素敵なメンバーで、自分のするべきことを誰にも言われないでも爆発的なエネルギーで乗り越えていった。私の選挙もこんな人々がどっとやってきて協力してくれれば嬉しいと願った。私はというと、10回の実行委員会に精勤し、埼玉の実行委員会に出席はしたものの、具体的な動きは本当にちょっとしか出来なかった。ダメだしの久美子、チェックの久美子のはずだが、一番機能していなかったかなあ。ごめんなさい。でも、トーチランの準備から本番までをみて、大成功だったと思うから、あれはあれで良かったのかもしれない。ちょっと能天気。

乾杯をしてから今度はまた市民会館にとんぼ返りして、「合併に〇」の総決起大会に出かけた。熱気でむんむんの会場。市長、衆議院議員、県議会議員、我々、青年会議所の面々、多くの市民が頑張ろうのシュプレヒコールで気勢を上げた。

その後また自治会館へ戻り、ビデオを鑑賞した。実行委員の溝口さんが取っていてくれた貴重な財産である。8時にはお開きと言う事であったが、掃除のあとに皆立ち去るのが辛くて、カラオケに繰り出した。夜中までカラオケではしゃいだ。本当のことを言って、家族と1度カラオケに行った事があったが、他の人とカラオケに行った事はなかった。でも、いろんな歌を歌い、人が歌っているのを聞いているとストレスが発散していった。とても、よいさよならの仕方だったと思う。
22日(土) 今日は朝から大忙しで、議会報告会の準備をして出かけた。お餅を食べながらの報告会であった。今回は「納豆餅がなかったね」と息子が言っていた。そうだったか。でも、お汁粉もあったし、黄な粉餅も、絡み餅もあり、東京風のお澄ましのお雑煮もあった。私は、お澄ましのお雑煮を初めて食べた。2升分搗いたがあっという間に、食べきった。総勢15人もいればあまりませんね。

午後は、国際交流教会の新年パーティ。夫も子供を連れて出てきた。はじめちょっとでて、そのあと、女性フォーラムのお勉強会に行った。今回はあまり新しいことがなくてつまらなかった。若い男性教授が女性学をするというので聞きに言ったのだが、なんだかぴんと来ない。子供がいるが入籍せずにいるらしいが、子供は自分が親権をとり、第一子なので自分の姓にしたといっていたが、何もそんなことしないで結婚したらよいのにと思った。女性が自分の姓にこだわったなら、なぜ彼女の姓にしなかったのかなあと思う。まあ、選択的姓が出来ないことに問題はあるとは思うが・・・

私がパートナーだったら、親権を渡してパートナーの子供にしてしまうということは絶対にしないな。たとえ、パートナーを信頼していても、親権は手放さない。どうして、この男性教授はそこまでして長男を自分の戸籍に入れなければならなかったのだろうか。結婚せず、女性に子供を産ませて、その子供を取り上げたとしか私には思えなかった。たとえいっしょに暮らしていようが、ドキュメントの上ではそうなるよね。これが男女同権論者のやることかい?ご立派としかいえない。どんな優しい口調でいようが、私はこの教授のやり方に眉唾をつけましたね。

その後、ヤオコー前で演説をして帰ってきた。寒くて震えて凍えて、30分は話したかもしれないがそれ以上は演説できなかった。

最近、合併について書き込みをしているが、もうちょっと嫌になりかけている。特例債要らない、借金しない、行革して自立した街目指そうと反対派が書いている。でも、そうして出来る町のビジョンは何も語らない。そういう風に街づくりが本当に可能なのかも語らない。ただただ、借金なし、特例債活用しない、行革して自立とお題目を並べている。今日なんか、税制のいろはを書き込んだ。補助金なしの行政が良いなんて書き込みがあったからだ。補助金なんか貰うのが当たり前だと私は思っている。だって、税金の大半は国が持っていって、地方に回すのは補助金や交付金という名目で回すのだから。必要な補助金を貰う権利があるというものだ。だって、国が地方に税源を渡さないのだから。たとえ、市民税だって国が割合を決めていて、おのおのの市に課税する権利なんてほとんどない。法定外税の課税がとても難しいのはこの国の常識だ。

三位一体の改革なんて真剣に考えているとは思えない。国は税源は地方に渡さない、補助金交付金も削減するという風だろう。それも、国の財政が最悪だから。お金を回さないだけでない、今まで国の面倒を見ていた事業はドンドン地方に任せ始めた。金はやらないけど、仕事はしろって事。そんな理不尽なと思っても、ない袖は振れないないことは地方も分かっているから、どうしましょうということになるのである。

なんかあまりにもガキに語りかけるのも空しくなるが、これもある種のサービスだと思って出来る限り付き合っている。
21日(金)
21700カウント
今日は朝からうちにいて、人と会ったり、スタッフとミーティングをして、総会の日取りやらバザーの日取りやら1年の計画を立ててみた。毎月何かをしているようで、本当に忙しい。議会も2月28日から始まるし、予算議会だから勉強も多いし、またこれからもあわただしく日々が続いていくような気がする。

その後はまた、合併のポスター貼りをしたり、ヤオコー前で演説をしたりと忙しかった。

夜は日本語教室で日本語を韓国人の女性に教えた。今日、教室にいってみると生徒さんたちがたくさんいて驚いた。金曜日の夜なのに、勤勉だ。私もすぐに教師の気分になって、教えた。素直なお嬢さんで教えていても気持ちが良かった。また、来週もボランティアに行こうと思う。

すごい勢いでカウントが上がっている。アット言う間に上がるので、早めにお願いしますが、22222のカウントを取った人はご連絡ください。22222のカウントです。ヨロシク。
20日(木)
21600カウント
今日は、朝子供に弁当を作ってやってから視察に行った。去年見た大誠産業。今年はやっとプラスチックをフレークにしていた。多くの機械が入っていた。この前までなかったのだから、かなり投資をしたものだ。ただ、それらはリースだと言うのだ。官が作る工場ではこんな事は出来ないだろう。少人数で、てきぱきと仕事をしていた。

私は多くの市のプラスティックプラントを見たが、ここが一番少人数で効率よく仕事していたように思う。それに、工場に無駄なお金をかけていないところが良い。所沢の環境センターなんか無駄が箱になって詰まっているような建物。建築家の標本みたいで、工場と言う感じは何もなかった。あれじゃあ、200億円もかかるわけで、わざわざごみ処理をするのに、そんなに投資する必要なんてなかっただろうと思う。それにつけても大誠産業との違いよ。狭山市でも30億をかけてリサイクルセンターを作るが、きっと華美が箱になって出来てくるんだろうなあ。今のリサイクルセンターはひどいけど、あんまり豪華絢爛のものを作ってほしくない。

その後、看板用の板を取りに行き、昼ごはんを韓国食材やのケジュウで食べてから、役所によった。今日は10時から“コアリッション in 狭山”をしていたので、午後から視察に出かけた。「何も持たずに見て来てください」と部長が言ったので、ただただ好奇心丸出しで出かけた。私はインキュベーションセンターが出来る以前から新産業創出については注目をしていて、何年も前から見学したいと思っていたが、果たせないでいた。今回は市民体育館にたくさんのブースが並んでいた。ほとんどは私にはどういう仕事の会社なのかは理解できなかったけれど、黒茶は新聞に載っていたので是非とも試飲したいと思っていた。暖かいお茶はおいしいと思った。大量生産してペットボトルで売ればいいのにと思ったが、冷たいと少し癖があるかなあと思った。売れて、税金をたくさん払っていただけるといいなあと願った。頑張れ、狭山工業会。狭山商工会議所。

役所の職員やら商工会議所の役員やらに会った。ケーブルテレビの中津川さんがいつもとは違い、スカートなんかはいてプレゼンテーションの司会をしていた。見違えました。彼女はきれいな足をしているなあなんて、いろいろなプレゼンテーションを聞きながらぜんぜん違う事を考えていた。素敵なキャリアウーマンです。(私がこう書いてもセクハラじゃないよね。ほめているんだしさ。でも、スカート姿があまりにも珍しかったのでまじまじと見たのはいけなかったかなあ。)

その後、また“合併に〇”のポスター貼りに出かけた。広瀬地区は一応回ったが、まだまだ残っている。笹井にも広瀬東にも行くつもりである。少しづつだが、がんばっています。
19日(水) 今日は、朝事務所でHPを見て書き込みをしたり、少し家事をしているうちに12時半になり、議会に急いだ。議員クラブの幹事会でスマトラ沖地震の寄付金について話し合った。3万円と自由寄付と言う事になった。議員クラブでの寄付も16年度はとても多いので、O議員なんかぶつぶつ「議員クラブでなんかないね。義援金クラブだ」なんていっている。公職選挙法に触れてはいけないので、神経を使いながら義援金を出している。

全員協議会があった。いくつかの事業が前倒しで行われる。問題はその入札の仕方である。議会にかけないようにわざわざ小さくいくつかに分けて入札をかけているようだ。一般競争入札をしてほしい。今年した競争入札では落札率がなんと予定価格の72%だったようだ。指名入札が90%台なのに比べると極端に低い。やりたい業者がしのぎを削ったせいだろう。これこそ公平公正というものだ。

午後は合併に〇のポスターを持って少し回った。山崎滋夫さんの所に行ったら、ちょうどいらっしてお会いできて良かった。久しぶりに山崎節を聞いたが、もっともと思って聞いていた。顔色も良くて合併も賛成だし、ポスターも何枚でも貼ってよいとお墨付きをいただいたので、明日、広瀬の駐車場のところに貼りに行こうと思っている。

帰ってきて夕御飯を作り食べ、また子供達に食べさせてから狭山市合併推進市民の会に出かけた。会議は進み最後まで気を抜かずに運動を進めようと思っている。23日の総決起集会を6時から行う。市民会館で。多くの方が頑張ろうと集まってくれるとよいのだが。私も少しでも良いから誘ってみようと思っている。帰ってきたら、10時だった。子供が大きくなって、私の仕事の時間もドンドン長くなり、夜まで出かけることも多くなった。夜のお出かけはつきに2回と決めていたのだが、その羽目を最近はずしたとたんに、週2,3回夜まで出かけることがあるようになった。少し自重しないと、子供も私の体もダメになってしまう。注意しよう。
18日(火)
21500カウント
今日はどうしたのだろう、一日で100カウント上がった。誰が私のサイトを見ているのだろう。きっと、先週配った議会レポートのアドレスを見て、高橋ブラクソン久美子のHpを覗いてみようかということかもしれない。見た方からの反応を待ちたい。繰り返しますが、返事がほしい時は住所、氏名、電話番号などを明らかにした方でないと対応しません。イロイロ怖いこともあったりして、不用意に対応できないというのが本音です。

さて、今日は午前中は役所にいて、一般質問関係の資料の請求やお話を聞きに回っていた。午後、ホンダ技研さんにご協力のお礼に出かけた。ロッテさんにも行った。本当に快くご協力賜り、感謝の気持ちで一杯である。残念ながら雨は降ったものの、協力いただいた喜びは消えない。

その後、久しぶりにカルフールに食料を買い込みに行った。この2週間目の回るような忙しさで買い物もゆっくり出来ず、冷凍庫にあったものやヤオコーで急いで買い込んだ物を食べつくしていた。だから、今日は米も入れて1万5千円なりの買い物になってしまった。だって、買い込んでおくツナ缶やトマトの缶詰さえもうそこをついたのである。でも、これでもおにいちゃんがいないからよかったようなものの、お兄ちゃんが家にいたらこんなものではなく、すべてを食べつくしていただろうと思う。

図書館によって、帰ってきたら5時半を回っていた。珍しく夜も出ない。だから、昨日の残り物で御飯を済ませ、今晩はゆっくりしている。珍しくワインだって1グラス飲んだ。これから、お風呂に入り、温まってからハーレクインを読んで眠ろう。明日は、議会が忙しい。
17日(月)
21400カウント
今日は、朝病院に行って血液検査の結果を聞いた。コレステロールが下がり、他の数値も良いようだった。もう来なくて良いといわれた。でも、定期健康検査は受けるようにとのことであった。最近4キロ痩せたのがよかったのみたい。お正月に太ってあわてたのだが、嘔吐下痢症で食べられなかったのが良かったようだ。でも、最近は食欲がありすぎで困る。

午後は昼ごはんを食べようとしたら人が来て、お茶のみに来てトーチランの事で話し込んだ。トーチランの後始末があるのである。その後、いろんな民族の会に出かけた。何にも話さないと言うけど、ぐずぐず3時過ぎまでジョナサンにいた。楽しいひと時。

今日は夕方からはくたびれ果ててうちで横になった。15日の疲れが一挙に出た。

埼玉県入間市と狭山市の合併どう思う?4th Ignition http://kanto.machi.to/bbs/read.pl?BBS=kanto&KEY=1104631513
に書き込んでいる。イロイロな意見がある。汚くののしることもあるが、たいてい冷静にディベートしている。きっと私よりずうっと若い人とディベートしているのだと思うが、相手をやり込めようと言うより、こっちの意見を聞いてよと言う感じ。情報をほしいと言う人に、私の情報や考えを述べている。興味のある人は覗いてください。また、意見を書くのもよいかも知れません。「ディベート」なんてと思われる方もいらっしゃるかもしれませんが、知的なバトルは将棋のようなものでもあり、楽しめます。それに、市民の意見を聞く良いチャンスでもあるので、時々書き込んでいます。(最近は合併問題に果敢に取り組んでおります。)まあ、私の視点からしかかけないので、イロイロな方の視点で合併を語るのは有意義だと思うのですが、いかがでしょうか。
16日(日) 今日は朝は息子が部活に行くと言うので、結局7時におきて弁当作り。夕方に「合併の討論会」があるので朝のうちに夕食のメンチカツを上げ、サツマイモを上げ、鮭を焼いた。御飯を炊けば、夕御飯はOK.

その後、礼拝に行き、急いで帰ってきて、12時には団地の新年会に行き、1時に失礼した。1時半には飯能市民会館でウインターフェスティバルを見た。5時に帰ってきた。御飯をといで、炊くようにして、5時半過ぎ討論会へ。帰ってきたら、9時過ぎだった。それから御飯を食べ、お風呂に入り、今これを書いている。12時である。

討論会は推進派は気合が入っていた。反対派は合併しない時のプランを示せと言われて、結局基本構想をを進めるのだと説明した。でも、その構想の人口推計はでたらめで、すなわ財政基盤の大狂いがあるのにも関わらず、そのまま構想が進められないから合併の話がでてきているのに、いまさら基本構想が・・・なんていわれても皆しらけてしまった。中川さんなんか精神論をもちだして、職員を40%カットするほどの思いで行革をなどといっていたが、できるものならやったらよい。出来ないからこそ、合併でしょ。

無責任なリップサービス、実際出来もしないことを言う。借金しないでどのようにこの狭山市を経営するつもりなのか、中川さんにお聞きしたい。共産党ですら、必要な借金はするべきであると言っているのに。要するに、西口整備はするな、入曽駅も整備も入らない、下水道なんてほぼ90%は借金で作るけれど、整備入らないと言う事。狭山市に投資せずにいて、高齢化対策、市民が出て行っている現状、個人市民税がドンドン少なくなっていっているのをどのように回復するのか分からない。経営的な手法が必要なんだと思うが、反対派の人のいっているのは、今を変えたくないと言う感情論に思える。変えないで済むならば、誰も合併なんて言い出しはしなかった。
15日(土)
21300カウント
今日はトーチランの当日。朝、6時半に起きて外を見たら、雨が降っていた。天気予報を見てみたら、大雪が降ると言う事もあり、サイクリングロードを走るのはやめにした。曇りでどうしようと悩むことなく、8時まで待つことなく、中止を決定した。誰かに聞くことなく、私が決める係りだったので、中央公民館での壮行会をかねたセレモニーを行うことにした。この決定をだれも不平不満なく受け入れてくれてよかった。

トーチランは12時からと言う事だったが、10時ごろからはボランティアが集まり始め、11時からの受付にはたくさんの方が並んだ。そして、ファミリーも入れれば、250人も集まってもらえた。私ははじめの言葉には感謝をたくさん言う事しかなかった。長い時間を掛けて準備をし、実行委員が心を込めて皆さんにお願いに行き、144人のランナー・補助者・伴走者のかたが登録し、150人のボランティアの方がやってきて手伝ってやろうとおっしゃられた。その心にまず感謝です。

スペシャルオリンピックスは決して有名なイベントではないけれど、また、トーチランなんて初めて聞かれた方も多いのだろうけれど、これを機会に知的障害者のことに目を向けていただければ、嬉しい。また、知的障害者が今日のように健常者といっしょにいても、補助がついていたせいもあるけれどちっとも違和感がなかったのも良かったと思う。今後は、普通に今日のような状態になればよいのにと思うし、願う。

2時間近くのイベントになった。セレモニーをおえ、食べ物を食べ終わったら、すぐ解散かなと思ってはいたが、多くの方々が去りがたかったようで、写真を取ったり、後片付けに残ったりしてくださった。私たち実行委員も4時には解散した。

「反省なんてない。」と言うのが実行委員の一致した考えで、今回のトーチランin狭山は成功だった。楽しかった。おいしかった。おなかが一杯になった。人がたくさんきてくださって嬉しかった。事故がなくてよかった。たくさん良い事を言い合った。私たち実行委員会の委員はすべて理解し合って実行できた。メンバーも良かったと言い合った。

きっと帰った方々にも喜んでもらえたのではないかと思っている。ただ、走らせることが出来なかったのが残念なんだけれど。天候だけは、どうすることも出来なかった。私の日ごろの行いが悪いのかなあ。反対討論をしすぎているのかなあ。でも、とても嬉しい一日でした。関わってくださったすべての人たちへの感謝で今も胸が一杯です。
14日(金) 今日は午前中、男女共同参画推進室の共生講座があり、文理大学の牛島先生がおいでになったので、講座を聞きに出かけた。「冬ソナに見る男女」とか言う題目で、「冬のソナタ」という韓国のドラマをジェンダーの観点から分析しておられた。非常に興味深く聞いていた。純愛ドラマという事であったが、話を聞いているだけで見たような思いになった。日本の女性は寂しいから、このようなドラマを見ると言う話が心に残った。日本の中高年の女性は夫とロマンティックな感情をもてなくなるらしい。

私はアメリカ人の夫を持っているので、いまだってハグだって日常のことであるし、キスだって生活の一部であるが、日本人は結婚すると夫と妻ではなく、お父さんとお母さんの役割分業を始めてしまい、父母には恋愛は起こりえないのだそうである。夫は妻を「おかあさん」にしてしまい、また、妻は夫を「お父さん」にし、男とお母さんでは、女とお父さんでは、関係が並列になってしまうらしい。

最近日本人の夫婦にセックスレスの夫婦が多いと聞くけれど、「お父さん」とはそんな関係をもてないいう女性の意味が分かる。いつの間にか、妻は夫の母となるのだから、妻は夫を子供のように思えば、セックスなんてお呼びでないというか、とんでもない話である。友達にはセックスなんて“気持ち悪い”“したくない”“考えるのもいや”という人がいるが(一人や二人でない数の友達)、夫が自分の子供と言う関係の夫婦だったら、そんなだったら、文字通りセックスを考えるだけでも“気持ち悪い”のも嘘でないのだろうね。

午後からは、明日のトーチランのための準備。とくに豚汁をたくさん作った。途中でお汁粉を作ったりして楽しみながら作った。とてもよい天気で暖かいのに、明日は雪なんて信じられません。
13日(木) 今日は朝起きて仕事の予定を組んだ後、病院に行き血液をとってきた。検査の結果は月曜日。体調は戻ってきているので、きっと大丈夫だろう。とにかく、こんな時に血液検査をして、良い結果がでるとは思えないけど。私は「ガラスの久美子」と呼ばれていて、あまり丈夫なほうではないが、この2年間、胆嚢摘出手術のあとは比較的調子が良かった。それで、「強化ガラスの久美子」じゃないかと言われている。う〜〜ん。どうでしょう。時々、やはり寝付くときもある。仕事が忙しすぎるせいもあるが。

昼に帰ってきて、ネットニュースの発送作業を行った。お金も下ろしてきた。6時半から新都心でトーチラン埼玉の実行委員会があったので、4時半には出かけた。帰ってきたら、11時。疲れた。雪の心配をしている実行委員からメールが来た。トーチラン埼玉でも、その話が出た。「てるてる坊主を作りますから」と事務局では行っているが、さて、雪にはきくのでしょうか?雪の対策を考えている。その場合、セレモニーと交流会だけになるかもしれないけれど、心温まるトーチランにすれば良いと思っています。
12日(水)
21200カウント
まだ朝ですが、今日のスケジュールがあまりにもタイトなので今書き込んで起きます。また、昨晩は疲れていたのに書き込んだので、あんまりにもぶっきらぼうな書き方をしてしまいました。直しましたので、見てください。

今日は12時議会だより正副委員長会議、14時PTA成人委員会会議、18時狭山トーチラン実行委員会会議があります。体力がなくて、ふらふらしているので、全部こなせるか心配です。でも、頑張ろう。

21212はキレイな数字ですね。うふ。
11日(火) 今日は朝、布団から起き上がれなかった。子供が学校に行くのを見届けてまた寝た。起きたら、1時だった。少し、事務所で働いて、ネットニュースを作った。今週中には配給できる。でも、4時にはエネルギーが切れてまた寝た。起きたら、7時半だった。昼に御飯を1杯。夜に御飯と鮭を食べられた。少しはましの状況になった。

昨日、チラシを新聞折込した。狭山台にも入れた。少しづつ反響が来ています。様々なご意見ありがとうございます。メールなどで、何人かの方は返事を要求してくださいますが、私は名前も住所も連絡先も名乗らない方にはご返事しないことにしています。私は公人ですから逃げも隠れも出来ません。返事を期待しているならば、しっかりとご自分を明らかにするべきではないでしょうか。どこの誰とも分からない方とは議論は出来ないのではないでしょうか。その点ご理解お願いします。

合併について議員が協力して運動すべきではないかという話が市民の方から来ました。私たち合併推進の議員は協力して運動を始めています。私は保守系の方や公明系の方とは今迄共闘した事がありませんでした。けれど、この1点については、多くの力を結集すべきという点から共闘を決意しました。ご理解ください。少しづつ、他の議員とも呼応する形で、頑張ってはいるのですが、もっと市民の方の目に見える運動にしなければならないと反省しました。
10日(月) 朝、成人式に行った。お仕事なのだが、今年は息子が成人する年で胸が一杯になった。イロイロな子供というか新成人の代表が抱負を述べていた。「スマイル」と良く夫に言われるのに、むっつりばっかりの私。スマイルしていたいなあ。

午後は、合併賛成の散らし配り。夫がいっしょに配ってくれた。ほぼ、完了した。その後、入間の湯に行き、マッサージをしてもらった。体が冷え切ったから。

ところが、帰ってきたら、嘔吐下痢が始まった。インフルエンザかなあと思った。一晩中吐いていた。疲れた。
9日(日)
21100カウント
今日は朝出初式に行った。暖かで風もなく素晴らしい出初式だった。市長の訓示の途中から、テントの後ろの方でラジコンカーがぶんぶん騒々しかった。誰もなんともしないので私はラジコンをしている人にしばらく止めてもらうようにお願いした。言えば分かるようで、式が終わるまで、10分ぐらいやめていてくれた。

こんな時なぜ私がお願いに行かなければならないのか、理解に苦しむ。市長、警察署長、消防長、をはじめ市議会議員や消防団員など3,400人が集まっているのに、嫌だなあと思っても誰も何も言わないのはなぜだろう。言えば、たいていのことは済むのにね。最近は物言えば口さびし。怖いというのが、先にたつんだね。男性がほとんどの式だったけど、何も私が注意しなくても、屈強な男性が注意してくれれば良いのに。

その後、近くの教会で礼拝を守った。帰ってきてからは、昼食後チラシを持ってポスターを持って合併賛成の運動に出かけた。歩き始めたら風が急に冷たくなって悲しくなった。それでも、広瀬のほうを回ってきた。途中知り合いのところでお茶を貰い体を温めてからもう一頑張りした。広瀬では合併賛成の人が多くてチラシを配っても好意的で嬉しい。明日も残りを配ってこなければならない。来週は忙しいけど、17日過ぎたらもっと頑張ろうと思う。合併した方が市民のためになるんだから頑張ろうと思う。

アメリカに行った息子からメールが届き無事だそうである。良かった。今後もしっかり勉強してほしいものだ。寒いから風邪など引かないと良いのだけれど。愛しているよ、ジャステン。いれば騒々しくて邪魔者扱いしちゃうけど、いなくなると寂しくて寂しくて。あ〜〜〜。
8日(土) 今日は10時からトーチランのリハーサルを行った。私たちは9時半に集まった。寒い日で秩父おろしが吹き付けていて、50人もあつまってくださったランナーや補助者の方には申し訳なく思った。それで、急いで走りやトーチの受け渡しを練習した。ガスの火が風で飛び、トーチを伝い、怖いようであった。今まで、天候が守られるように祈ってきたが、天候が守られ且つ風が強くない日になるように祈っていようと思った。

練習のあと、中継地点を歩いてみた。トイレの場所を確認した。決して長くない距離だが、楽しく何事も起こらずトーチランが終わる事を祈ってやまない。

午後はジョナサンで話し合いをした。5時まで。いろんな準備をしなければならない。1つ1つの事をこなしていくのに精一杯である。後本番まで1週間。来週は12,13日に狭山、埼玉トーチラン委員会があり、14日は準備、15日が本番と目の回るようなトーチラン週間になりそうである。とにかく、あと1週間頑張れば、終わる。(その後のことを、考えるのはまた後にしよう。)きっと楽しくやり終えることが出来るだろう。それを信じていよう。
7日(金) 今日は朝からおにいちゃんがアメリカに行くのでてんやわんやだった。したの息子も部活に行くので忙しそうだった。お兄ちゃんが居ればいたで騒々しく、食べる量もとんでもないほど。出て行ってもらいたいなんて、1週間前に言っていたのに、さあアメリカに行ってしまったとなると寂しくて仕方ない。家がどういうわけかひっそりしてしまった。

お兄ちゃんを稲荷山公園まで送り、その足で役所の教育委員会に行った。スペシャルオリンピックスのポスターを各幼、小、中学校に貼るように手配してもらい、社会体育課の壁に貼ってもらい、庁舎では契約管財課に行き張ってもらう事とし、議会でも掲示してもらった。1枚2枚と張っているのでこれで、あと10枚ほどしかポスターは残っていない。

午後からは、議会だより編集委員会があった。12月議会号の編集だが、皆活発に話し合いを行い、修正箇所が多かった。事務局にはお世話になるが、仕方あるまい。HPのことについて今回また問題になった。会議録のことも。やはりHP委員会か何かを立ち上げ、このメディアも議員の意見が直接反映できるシステムにするべきだと実感した。とくに意見書、要望書、決議を要旨掲載するようにしたので、全分をHPにでもすぐに掲載してもらいたいのだが、どうしたら出来るのかチャンネルが明確でない。事務局が率先して掲載をしてくればよいのだが、、、、一応、そんな話を事務局ではしてきた。

会議録を早くHPに掲載をと言う要望をつたえたが、公文書中の公文書の会議録は正確を期さねばならないので2ヶ月半はかかるとのことであった。公開した後で訂正に継ぐ訂正というようになったら、何をしているかということになる。何百ページもあるし、誤字脱字があったら恥である。一日も正確な文書にしてもらいたいと願っているが、中々公開を早めるのは難しいようである。
6日(木)
21000カウント
昨夜から今日にかけて、珍しく徹夜した。息子はちっとも連絡しないで、友達と遊び歩いているし、帰ってくるのを待ちながら仕事をしていたら、朝の6時。もう、待てなくて眠った。でも、それも9時まで。今日は寝ていない。今朝は、朝からまたトーチランのことで電話が掛かり、その後、息子の飛行機代を払うために銀行に行き、郵便局に年賀状を取りに行った。年賀状をいただきましてありがとうございます。私は、年賀状をかけませんので後でお返事させていただきます。本当に変な公職選挙法である。

トーチランの準備金が入ったので、会計の方に届けて戻ったらなんと昼過ぎていた。そのあと、原稿の直しに手を入れて、2面の印刷。その間には、ロッテ工場にトーチランのために協賛していただいた“コアラのマーチ”を取りに出かけた。帰ってきてからは、ネットニュースの原稿を作り始めた。

夕食は息子がアメリカに行くので、11日の夫の誕生日会をかねて、不二家で食事をした。ほっとしたら、9時半。急いでカルフールに行き、アメリカの両親のためにお土産を買いに自動車を走らせた。30分の間に、あれこれ急いで買い物をした。もう、いつかゆっくり買い物を楽しめる贅沢な時間がほしい。暇はどこに消えて言ったのだろうか。

息子の荷造りを作り終わった。これからお風呂に入りたいものだ。今はもう真夜中の0時。今日は、3時間しか眠らなかった。それでも、緊張していて眠くない。明日、早く起きられるのだろうか。
5日(水) 今日は朝から大忙しであった。まず、トーチラン関係のこと。大詰めに来て全く大変。わたしは合併関係の事も頭に入れなければならない。その上、息子が7日にアメリカの大学にまた行く事になったので、そのための準備もある。議会レポート一面を刷った。

夕方は、4時ごろから議会の新年会のための準備をした。お風呂に入り、シャンプーをし、頭のセットをしようとしていたら、美容師の友達から電話が掛かり、家に来てくれた。それで、やっと準備が出来て新年会に出かけた。

議会の新年会は内輪の新年会でしょうといっても、例年は市長たち三役と教育長、国会議員、県議会議員も呼ぶのでどこがうちわの新年会だという感じであるが、今年は市長たち三役を招いただけだった。それでも今年は合併問題もあり、なんだか雰囲気がぎすぎすしていた。そもそも、議員のような同業者同志ではどこか競争意識が働き、嫉妬やらなにやら分けの分からない雰囲気があるのだが、普通は知らない振りして新年会という事になるのだ。しかし、今年は何かが違いました。私はお酌もしないし、立ち歩かないので、でていた食べ物を突っつきながら隣の人とおしゃべりしていた。カロリーの少ない食べ物が嬉しいが、こういう時はどうしても塩辛くカロリー満点のものが多いのが残念だ。

市長は大変な仕事だと思う。正月3日だけが休みだったらしい。体をいたわってといっても、自分の好きに出来ないんだろうと同情に耐えない。私のように、新年会はこれだけと言うわけに行かないんだろうね。御酒をついで回っていたが、本当は家に帰って、ゆっくりしたいんだろうなと思った。私は、会が終わってからすぐに帰宅。他の議員は2次会に出かけたようだった。私は帰宅後原稿作り。
4日
20900カウント
今日は朝から帰り支度で買い物に出かけた。お魚のおいしいのを買って、新潟でしか買えないようなものを探して買い込んで来た。何しろ、本町5番町に住んでいるから、買い物には便利なのである。

午後三時半ごろ新潟を出て、渋滞もなく7時半には家に着いた。途中雪が降っていたが、いつものようにタイヤのチェックもなかった。川口や堀の内のあたりではシャベルカーが出ていたが、それも小出ごろになると雪が雨に変わったので、いなくなった。勿論湯沢は雪。マンションがたくさんあって、夫と「こんなマンションだったら管理が簡単で別荘よりいいねえ」などと言って通った。年末は別荘によって冬支度を見てきたからである。

群馬に入ると雪もすぐなくなってしまい、寂しい。白い雪一色の新潟が恋しくなった。狭山に帰ると緑も白もない灰色の町並みで悲しい思いで一杯になった。さあ、仕事をしなければ。

帰ってきて、すぐにトーチランのことで電話があった。仕事は待ってはくれはしないね。
3日 今日は、朝10時までねていて、お昼兼朝ごはんを食べた。お持ちをいただいたが、2つしか食べられなかった。昔は7つも食べたのに。少し食べすぎでセーブしたのもあるが、おなかが一杯になるほど食べている子供達を見て羨ましくなった。最近は、これストロールだ高血圧だと心配して食べる量を加減しているのだ。それでも、お正月はセーブが聞かなくなる。

娘が昨日、おばが5日、誕生日なのでケーキを買ってきてお誕生会をした。おいしいケーキだった。

夜は親戚の人の噂話をして、過ごした。人生山あり谷ありである。震災で長岡の親戚は命には別状なくても、家は亀裂が入っているらしい。皆新しい家を建てたばかりなのに、修理が大変だという事であった。
2日
20800カウント
今日は、朝から夜まで食べっぱなし、飲みっぱなし、おしゃべりのしっぱなし。仕事もあるのだけど、したくない。いや、出来ない。で、食べたり、飲んだり、しゃべったりです。たのしいよ。上越市から車で新潟市のおばの所に来ました。
1日 あけましておめでとうございます。
去年までのご支援に感謝申し上げます。年賀状などを出せませんが、皆様のお力や励ましには心から感謝しています。
今年は1月には合併の是非が明らかになります。市民に合併の議論が広がり、狭山市入間市の状況をよく判断し、合併賛成という市民の合意が出来る事を望んでおります。
1月元旦にあたり、皆さんのご多幸をご健勝を祈ります。

私は、今年は新しい夢を描き、それに向けて邁進できるようになりたいと願っています。さて、どんな夢が神様から与えられるでしょうか。子供達が安全で学業がなりますように。私も夫も健康で仕事が出来ますようにと祈っています。父も母も、兄弟達も等しく年齢を重ねています。それぞれにとっても健康でありますようにと神に祈っています。皆さんも、どうか私たちブラックソン家のためにも、お祈りください。

1月8日はトーチランのリハーサル、15日は本番です。今日は雪が積もってしまいましたが、雪など降らぬようにもお祈りください。本年こそ、災いの少ない年となりますように。

上越市で親と弟夫婦で正月を迎えました。

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