私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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12月 私の独り事
28日(火) 今日は朝から家事をし、トーチランについてメールやら電話やらをしてすごした。息子達に掃除の手伝いをさせようとしてもまともにしない。20歳の息子を追い出そうと思った。まるで、家をホテルとまちがっている。家族の一員として、御飯を食べさせ寝るところを授けているのに、何も家事をしないで汚れた服を脱ぎ散らかすなんて、許せない。まともに手伝いしないなら、出て行くように宣言した。

「もう少し家にいさせてください」と殊勝に言うので、ガラス拭きをさせてOKとした。おいやめいは新聞を配りながら自活して大学にいっているのだ。「親に甘えるのもいい加減にしろ」と言い渡した。自分の食べたものを下げないし、使ったものは洗わない、自分の洗濯はしないじゃあ家族の一員といえるかと思う。

今日は一日中、掃除、選択、食器洗い、子供の指図をしていて、3時ごろまで座る暇もなかった。頭が痛くなったが、FM茶ッピーのトーチランの取材があって5時半には出かけ、帰ってきたら8時前だった。頭痛止めが効いて少し楽になった。

子供達に入間の湯に行く事を勧められたので、娘と行って来た。今日は珍しくマッサージが空いていたので、やってもらった。マッサージ師が凝っていますねえと驚いていた。背中がほぐれて楽になった。きっと、コンピューターで仕事をしすぎているのだと思う。
27日(月)
20700カウント
今日は朝、役所に行った。仕事。でも、教育委員会でポスターをお願いするのを忘れた。あ〜〜〜。

午後は帰ってきたら、トーチラン関係のことで電話は掛かる、メールは来るという具合に忙しかった。夕食はトルティーアを焼いて、タコスにして食べた。私たちはメキシカン料理が好きだ。カルフールに食材が売っているので、最近は時々、エンチラダスを食べたり、タコスを作ったりしている。近くに安くておいしいメキシコレストランはありませんかね。
26日(日) 今日はインマニュエル教会で礼拝を授かった。ここの牧師はとても達筆で毎週信徒に聖句を書いて渡している。私は毎年この頃うかがっては書をいただいて帰ってくる。今日の聖句は「ここまで、主が私たちを助けてくださった。」というものだった。きっとこれからも・・・

カルフールによって買い物をして帰ってきた。エプロンをつけて「さあ、ご馳走を作るぞ」と思ったとたん、人は来るし、電話は掛かってくるし、始めたのは4時になってしまった。まあ、夕御飯が8時ごろからだったから、準備は間に合った。良かった。

38歳と34歳の独身男性を招いての食事だった。良く食べてくれて、嬉しくなった。御飯の後、またトランプをして、12時ごろお開きになった。楽しかった。今時は、独身者が増えているね。でも、34歳の男性は結婚が決まったようで、嬉しそうだった。良かったね。お幸せに。私は食べ過ぎたという気がしている。
25日(土)
20600カウント
今日はクリスマス。朝、ゆっくり寝ていた。子供達が大きくなって、サンタクロースさんが来なくなってしまったので、子供達がクリスマスツリーのしたのプレゼントを探しにいかなくなってしまったのであった。なんと、結婚して20年、どんな時にも飾ったクリスマスツリーを出さなかった。夫も私もいそがしすぎて、クリスマスツリーを飾れなった。「なんだかクリスマスの気分がしないねえ」といいながらも、おばあちゃんのところや、おばさんの所からのクリスマスプレゼントをあけた。私たち親もささやかなプレゼントを子供達にした。

午後は、私はトーチランのボランティア説明会があり、出かけた。挨拶もあった。50人ほどの人が集まった。皆真剣に説明を聞いていた。1月8日にはリハーサルもある。緊張がいや高まっている。緊急対応マニアルを作成しなければと思っている。雨や雪が降ったときには中止の指令を8時に私から出す事にしている。雨が降らないことを心から願っている。雨のときのセレモニーの話をしていない。考えなければ。説明会の後、また、6時半まで話し合った。つめていけば行くほど、問題も見えてくる。

夜はハムでクリスマスディナーをした。お兄ちゃんの誕生日のお祝いも今日した。ケーキと写真撮り。その後、皆でトランプをして楽しんだ。私がゲームに加わるのは久しぶりだ。私は真面目すぎて、人生を楽しむのが下手で、アメリカ人の夫にはつまらない妻だろう。夜も仕事仕事の毎日が続いた。今日は、家族で楽しい2時間になった。私もこんな時間を意識して持たなければとつくづく思った。家族の賑わいだって、あと2,3年なんだから。
24日(金) 今日は朝からスタッフが来て事務所の大掃除をしていた。午後、1時過ぎに終った。その間、トーチラン関係のジム連絡、その他忙しくすごした。危機管理マニアルを作っているが、あまり頭が働かない。とにかく、私はでんと本部席に座り、何事もないことを願い、祈る係りというわけである。何かあったら大変である。

午後、美容院に行った。時間がなくて、美容院に行くのもままならなかった。

夜イブの賛美集会に出た。静かで、質素で、私は一歌賛美しようとしたが、声がでない。音は下がる。本当に、昔の美声はどこにいったのだろう。選挙で声を潰した後に、戻ってこない。

夕御飯を食べさせてから、カルフールにクリスマスプレゼントを買いに行った。忙しくて、クリスマスの準備が徹底的にできない年であった。さびしい。
23日(木)
20500カウント
今日は、疲労困憊。朝から寒気が止まらない。貼るほっかいろを2個もつけたが、体が温まらない。疲れきっているせいか、張り切れない。昨晩は、独り言を書いてから、入間の湯に行った。そして、マッサージをと思ったが、予約が一杯でしてもらえなかった。神経が張り詰めていて、少し休まないとダメだ。

でも、今日は遊んでいたわけでもない。午前中はトーチランのことで人がきたし、午後は2時半から合併説明会に出かけた。広瀬公民館で行われたが、第2回説明会の最終日だった。初めての場所との事だったが、ある程度の人が集まった。最後のせいもあり、職員も気合が入っていたように見えた。最後の方で、市民の方が入間市のアンケート調査の仕方の方が、参加しやすく、住民投票では投票率が低いのが心配だと言う話をしていた。アンケート調査をすることが市民に徹底しないうちに住民投票が決まったのだ。批判をしても仕方ないが、合併協議会の進め方、広報の仕方の問題はあったという事です。

私は合併の是非を決める時に、「合併すれば」、と「合併しなければ」の対比を良く分かるようにまとめた表がほしいと思う。何が違うのかイマイチ市民には分からないのではないか。

私は最近行っている比較は、

財源増:  合併では 法人、事業主(100人以上の従業員を持つ)  とにかく収支はあう。
        単独では、法人、きっと個人も(都市計画税などで) 貯金を食い潰しながら、先行き不安。

行政サービス: 合併では 現状維持、緩やかな行政サービスカット
           単独では ジリ貧、行政改革を大胆に断行して、サービスをカット

人口: 合併では 緩やかな減少
     単独では 急激な減少と少子高齢化が急激に進む

今後の街づくり: 合併では 新たな街づくりの資金を確保できる
            単独では 今ある計画すら実行できるかどうか分からない

あれこれいうより、こんな比較票を作るのはどうだろう。分かりやすいと思う。住民投票に多くの人が行く事を願っている。まずは、家の息子に合併の必要性を話す必要がある。分かってくれるだろう。
22日(水) 9時から、議会だより委員会正副委員長会議。10時過ぎに終り、役所内を回ってお願いする事多々。(トーチランのことで。私は狭山トーチラン実行委員会の実行委員長である。)

11時から全員協議会。合併協議会の報告のはずだが、報告する事はとても少なかった。皆寡黙。
13時ごろ帰宅。スタッフが仕事をしていて、イロイロ話をした。原稿書きがあるが、原稿に手がつかず、洗濯をしてみたり、皿洗いをしてみたり。電話をかけたりと家にいればいたで忙しいのである。

5時になって、狭山市駅西口に合併の推進活動。他の議員とともに。1時間半駅頭にいて、チラシを配ったり、演説をしたりして、疲れたし、冷えた。

7時前に帰ってきた。御飯を作って食べた。毎日、夜出かけていて、疲労困憊である。今日は夜には出かけないことにする。
21日(火)
20400カウント
今日は朝息子の学校のクリスマス礼拝に出かけた。急いで帰ってきて、蕎麦屋で事務所の忘年会。少しゆっくりした。その後帰ってきて、洗濯やら家事を済ませ、6時半から新都心のゼロックスビルでトーチラン埼玉のミーティング。帰ってきたら、11時だった。今日も忙しかった。
20日(月) 今日は、朝から超忙し。9時半にグリーンハイツの女性の会で合併の事をお話した。30分という約束で、私は皆さんあんまり合併に興味はないだろうと資料を10部ほどしかもっていかなかったのだが、20人ほども来ていただいた。合併推進を納得していただけたらよかったけど。

午後は急いで、いろんな民族の会のクリスマスパーティーに出かけた。何しろ、私の古巣。ここが私の居場所って会だから、10年も一緒にやってきている友達とわいわいするのは楽しい。

夕方、急いで夕食を作りに帰ってきて、その後、駅前で合併推進の活動。街頭演説もした。散らし配りもした。

6時半過ぎ、社福会館で狭山トーチラン実行委員会のミーティング。10時まで行った。直前だから、大変だ。帰ってきてから夕食。落ち着かないうちに、アメリカから息子のともだちが来て、11時半過ぎからまた夕食。もう、自分が何をしているのか、しなければならないのか、分からないぐらい。目の前のことと、次に行くところを間違わないようにするだけで精一杯。遅れたりしたけど、これ以上スケジュールはこなせない。

子供3人の面倒を見て、仕事をこなすのは大変である。
19日(日)
20300カウント
今日は朝教会で礼拝。出かけに電話が掛かってきて、長電話して、教会に遅れた。ティーパーティーをして、その後、帰ってきた。買い物をカルフールでしたりして、今日も堀兼の合併説明会に出かけた。色々な意見があったが、一体に静かだ。今日は嫌に率直に市長が合併の必要性を唱えていたのが印象的だった。
18日《土) 今日は、朝、疲れていてもやはり息子の弁当作りがあり、6時半起床。でも、その後また寝た。おきて、支度をして、スペシャルオリンッピクスのチャリティーショーがホテルニューオータニであるので、出かけた。私はとにかく疲労感が抜けなくて、クリスマスチャリティショーといえども、おしゃれをする気にはぜんぜんなれなかった。会場は700人もの人で一杯だった。2万2千円も払って良くぞこれだけの人が集まったと驚きました。まあ、ディナーも出たことだし、色々な出し物もあったしで、きっと安かったのだろうと思う。チャリティーオークションでは570万円も集まった。何しろジョンレノンのリトグラフは120万円で売れた。ラ ボエームのチケットはほしいと思ったけど、私が落札できるような値段でなかった。延々4時間も続き、帰ってきたら、もう12時だった。こんな時、狭山は東京から遠いなあと思ってしまう。
17日(金)
20200カウント
今日は、朝疲れきっていたが、息子の世話もあるし、いつもの通りに起き、家事をした。(お手伝いさんがお休みに入っている)午後には、スペシャルオリンピックスのために、友達とロッテへお菓子の提供をお願いに出かけた。かなり良い感触で帰ってきた。その後、ヤオコー前で昨日の議会の報告と合併推進の考えを述べた。

夕御飯の支度をして、夜、狭山台公民館での合併説明会に出かけた。むちゃくちゃな人の多いのに驚く。今の若者が自己中心だなんて決して非難できないね。合併したらどうなるかという説明で、質問だってそこを掘り起こすべきだ。反対の意見だって有って絵も良い。でも、いちゃモンとしか思えないことを平気でよい年の人が、それもかたぎの人が言うのには驚く。説明の時間が短い、いや長すぎる。それは合併の本質にどこが関わってくるのだろう。合併協議会の職員をテストしているかのような人もいた。何様?ただただ、非難する人。でも、皆分かっている事があったと思う。財政はこれから悪くなる事は有っても、よくならないだろうということだ。残念だが、それが事実だ。後で、合併しても良いのではないかという人もまたいた。合併効果が少ないからね。もっと、もっと行革の視点で合併を言えばよかったんだろうが、そんなことをしたら、共産党が市民生活を脅かすとか何とか宣伝するだろうから怖くて合併協議会も手を付けられなかったのかもしれない。
16日(木) 今日は、9時から議会であった。住民投票の直接請求をした責任者が説明した。その後質疑があった。結局質疑をしたものは、私一人であった。質問に対しての答弁はきわめて不誠実な答弁で、その場をやり過ごすだけのための答弁だと私は思った。条例そのものもきわめて不備な条例で、結局この条例では買収だって取り締まれるのか分からない。

市長に、投票率が低い時、たとえば50%以下の場合でも得票の多い事に決定するのかと聞いたが一言もそれに関して答弁がなかった。また、得票が拮抗した時には、どのように判断するのかという点においても一言も答弁しなかった。こんな不誠実な市長を持つ狭山市が発展する事を望むのも無理だろう。

条例に反対討論をした。結局、この条例に反対したのは私一人であった。分かっていた事であるが、空しく寂しい思いで今日一杯過ごした。昨夜というか、今朝4時半まで原稿を書いていた。疲れ果てて論旨がしっかりしているかどうか自分でも判断がつかなくなって、横になった。寝た気がしなかった。

仲川さんには、初めは期待していなかったけれど、途中では少しは何とかなるとも思った。人の良い私。「まさかね」、って思いたかった。今日は議会で、仲川市長は共産党の広森さんからお褒めをいただき、きっと嬉しかったに違いない。私は口が裂けても、英断なんて言葉を彼にかけて揚げられないもの。最近は「馬鹿野郎」と言う言葉をいわないように努力しているのが精一杯なんだから。
15日(水)
20100カウント
今日は、朝、狭山市駅東口で街頭演説をした。その後、議会により、情報を収集した。昼近く、事務所に戻ってスタッフと打ち合わせをした。全く忙しい。電話やメールの応対。事務のあれこれ。夕方、もう一度役所に戻り、明日の議会のための打ち合わせをした。帰ってきて、夕食の支度をして、水富公民館へ出かけ、合併説明会へ。帰ってきてから、決意を込めて、明日のために質疑を原稿にした。あれこれ考えながら、第3質問まで整理した。

実は今日の午後に修正動議が出ることに決着したらしい。だから、私は、自分の思うことをフリーに発言できる事になった。その前は、もし私の1票が必要ならば、役に立てようと考えていた。しかし、大勢が決まれば何も私は自分の考えを曲げる必要はないわけであった。私は、住民投票条例に狭山市議会でただ一人反対をすることにする。なぜ、反対するかは反対討論を書くので読んでほしい。
14日(火)
20000カウント
今日は、朝7時から狭山市駅西口で街頭演説をした。その後、議会事務局に行き、議会の動向を確認。確認といっても、何も確認できず、暗い気持ちで帰ってきた。

午後は4時から女性講座の運営委員会。6時半からの奥富さんパークでの説明会に出かけた。その前に、カルフールで買い物をしたが、アッという間に1万4千円。お兄ちゃんが帰ってきて食料費が何倍にも膨れ上がっている。あ〜〜あ。

説明会は、またまた人が少ない。出る意見も反対の意見。私は、合併協議会や市長の代わりに答えて上げたくなる。「市長は住民投票をどう思うか」という質問が出たが、結局彼は答えなかった。でも、住民投票して反対票がでても、それは市民が望んだこととして、市長は合併をご破算にする気なのかなと思ったりしている。今の説明会で職員の奮闘が目立っている。市長にも職員ほどの熱意が感じられれば良いのだが、批判されるのも嫌だという性格のせいか、住民をきちんと説得しようという姿勢が見えないのが残念だ。

今年も来年の予算を組むのに4,50億円の歳入不足があるそうだ。それを、どう圧縮していくのか分からないが、市民に道路や修理ができなくなるだけでなく、補助も支給金も見直さなければならないことを言っていくべきである。市民の痛みは合併しない方がした状態より悪くなる事をはっきり言えばよいのに。

それに、後もう少ししたら、財政状態は入間市よりも悪くなる、人口も入間市に抜かれてしまう。そのときに合併をすればよいのだという市民の言葉があったが、今私たちが入間市よりも少し良い状態で市民が入間市との合併を反対するならば、同じ論理で入間市はそのときに合併を受け入れないかもしれない。狭山市の優位は後10年も続けば良いほうだろうから。私は自説が間違っている事を願っているけれども・・・・・

私は20001カウントをゲットしました。どなたが20000をゲットしたのでしょうか。連絡待っています。
13日(月)
19900カウント
今日は、朝から家事にせいを出した。家にいればいたで電話は掛かってくるわ、人がくるわ、溜まったメールを処理しなければならないで、忙しくすごした。

夜7時から合併説明会に行った。今度は、できる限り合併の説明会に密着しようと思っている。質問というより、意見が多かった。合併反対の意見が多い。私はその意見を聞きながら合併賛成の意見も言いたかった。我慢、我慢と思いながら聞いた。ある人が、「今までお金をかけて合併を勧めてきていたのに、いまさら合併しないとすれば市長に対するリコール運動が起こるだろう。さもなければ、辞任するのか」という意見を言った。私ももし合併が住民投票によってひっくり返った時、仲川市長の責任を問いたい。

冷静に考えれば、合併を進めるために彼が個人的に力を出せる場面が多々あった。合併協議会でも、任期特例に対して議員の立場をもっと言う事だってできたはずだ。住民投票の直接請求がでたとしても、たとえ議会の様子が不穏であろうと、自説を最後まで全うする態度を貫けた。たとえ、合併協議会でアンケートを白紙にしたとしても、最後の意地で意見書に自分の考えを述べる事もできたはずである。それを、彼は何もしていない。自分が体を張るべきところに体を張らない。

市長は議会と、議会の一部と仲良くしていたいらしいが、それは彼にとってみれば破滅の道だ。私は政治家として、自説のために戦って敗れたのであれば、責任を問わない。すなわち、アンケート案を否決され、住民投票条例が採択されたのであれば、私は責任を問う事はないし、世間、市民も責任を問う事がない。それどころか、議会が責任を取ることになっただろう。ところが、仲川さんは議会に花を持たせようとした。自説を前に出さなかった。いや、住民投票で粛々と合併を否決してもらいたくなってしまったのか。

では、このごろしている説明会はなんだ。単なるパーフォーマンスか。最後に自説を通す強さがなかっただけに、それを市民から問われる事になるのだ。リコールが成立されるかどうか分からないが、さっきの市民が言うように辞任を求められる事になるだろう。それとも、それ以前に責任を取って彼はやめてしまうのか。そうなったら、究極の無責任男だ。いや、もしかして、市民の言う事を良く効く物分りの良い市民派の市長の仮面を付けて、市長に居座り続け、あっちの言う事に動揺し、こっちの言う事に従い、議会に翻弄されながら、何もできなくなるんだろうか。

今晩、仲川さんにとうとう一言言ってしまった。勿論、市民のいないところでだが、「仲川さん、なぜ、意見書で住民条例は自分の思うところでないと言わなかったの」と。彼は返事もせず、私の顔も見ず、去っていった。彼には彼の苦しさがあるのは分かる。合併にしろ、合併しないにしろ、彼は責任を問われるのだから。だからこそ、私は彼に言いたいのだ。「自分の本当に思うことをしなさい」、と。市長は、役人の代表でもなく、議会の代表でもなく、市長そのものなのだから。

結局、彼は合併をやめたくなったのかもしれない。本当に思うことをしているのかもしれない。では、今までは一体なんなのさ。6000万円はなんだったのさ。結局、最後は責任をどう取っていくかという問題がでてくるだろう。
12日(日) 今日は、朝礼拝。

午後は、1時開演の市民会館大ホールでのワルシャワ室内楽団のコンサートに行った。ヨーロッパの甘くロマンティックな音が素敵だった。シューマンのアベマリアは聖霊の祝福を感じた。涙が止まらなくなった。そして、その涙と共にストレスが流れ出たように感じた。音楽で癒されるって本当だ。夫と共に、とくにソプラノの歌声に聞きほれてしまった。美しい女性だったのが、とても印象的で、モーツァルトのアレルヤも本当に難しい曲だと思うが優雅に歌いきった。ヨーロッパへの思いが一層膨らんだ。いつか、ワルシャワに行って、歌劇場で彼女の歌声をもう一度聞いてみたいと願った。願いはかなえられるだろうか。

その甘い思いを断ち切るように、新狭山公民館で行われた合併の説明会に出かけた。あまり市民は来ていなかった。説明は丁寧にされていた。何でもお聞きくださいという姿勢は好ましい。5時近くなって、終わった。多くの人が疑問な点があったら、出かけて聞いてくればよいと思った。実は私は市長に聞きたいことが山盛り会ったのだが、市民の人が聞きたいことがあるのだからと、自重した。

夜、友達が作ってくれた手打ちソバを食べた。おいしかった。
11日(土) 今日は朝、朝祈会に出て祈り祈られた。スペシャルオリンピックスのこと、合併の事など祈っていただいた。

その後、買い物に行った後、渋谷に出かけ、ウイマンズプラザで女性の地位協会によるシンポジュウムに参加した。赤松先生の会だが、きっと彼女は私のことなど知らないに違いないが、私の現在の興味の先が女性と労働という事もあり、均等法をおつくりになった赤松さんはじめ労働官僚や学者の集まりに参加する事が増えている。住友化学、金属などの労働裁判の当事者のお話を聞いて良かった。会社に対して裁判を起こすなどは、針の筵に座っているような毎日だったと言っていたが、どんなに強い意志で戦ったのだろうと思う。和解だったが、今度は裁判に勝ちたいと私も思った。頑張ろう、女性たち。

ここで、一番印象に残ったのはwwnの代表の庄司さんがおっしゃっていた言葉だ。正規職員の女性差別事件に関わっていたが、「和解してみると、今度は正規職員に女性が雇われない時代になっていた。女性はパートとしてしか雇ってもらえない時代となった。」という言葉だ。本当に・・・

夜は、市民会館でゴスペルのコンサートに行った。夫が歌っていたからである。とても下手で、恥ずかしかった。音響の作り方が下手で、どうも乗り切らなかった。残念。
10日(金)
19800カウント
今日は議会だった。休憩中に仲川さんがお茶をしにやってきた。もう、何も彼とは話すことがない。非難もする気にもなれなかったし、口も利きたいとも思わない。今の段階では、軽蔑という気持ちが勝っていて、顔を見るのも声も聞くのも嫌だと思う。

今日、議会に先立って全員協議会があった。終りころ、向かいに座っているS議員と顔を見合わせて、私は苦笑い。彼は破顔。期せずして仲川さんの事を二人して思っていたからだ。Sさんには仲川さんがこうなるだろうと、昨年の時点で予測をしていたのだ。それにしても、あまりに見事に的中して、我ながら自分の先見の明にすごいと思うものの、やっぱりという変な納得で苦笑せざるを得なかった。仲川さんに腹を立てたって、仲川さんは自分にも他人にも言い逃れをしてしまうだろうというところまで読めて、苦笑の他、何ができる?

仲川さんがひよったからって、私は結果が出るときまで合併推進で活動しようと思う。住民投票条例を私は反対すると思う。反対討論も書いておくことにする。仲川幸成の無責任さを誰かが非難しなければ、胸のつかえが取れないじゃないか。黙って、合併をこのゴにしてぶっ潰した責任をどうするのかと一矢報いたいし、それができるのは、もしかして私だけかもしれないと思う。それがどのようになろうが、言いたい事ははっきり言う。
9日(木) 今日は、仲川市長の態度にはあきれ果てて議会から帰ってきた。今日の午後、議員全員協議会が持たれたその席上で追加議案が提出されることが明らかになった。勿論、住民投票条例の件である。普通、市長が意見を付けて条例を提出する。その内容を見て驚いた。仲川市長は住民投票が円滑に進むことを考えているというのだ。少なくとも、否決を求むという意見書を付けることは考えられなかったのか。

仲川さんを市民の2万3千人の意見を取り入れる市民派の市長だと見るか、今までの合併協議会の話し合いを反故し、自らの公約を捨ててしまった日和見と見るかは人様々だろう。私はやっぱり仲川さんは自分の信じる道を万難を排して進む、政治家として勇気も覇気もない男だと思う。彼は良い人かもしれない、でも、市長としてよい人は、どうでもよい人にもなる。いや、人を愚弄し、市政を混乱させた卑怯ものと考える人だっているだろう。

わたしは独り言で言ってきていたように、賛否だけを問う条例は多くの市民の声を切り捨てる条例だと考えている。きっとこの住民投票をしたら、反対派の人が率先して行き、分からない人は行かないだろうから、合併反対になるだろう。合併はできないだろう。そう分かっていながら、仲川さんは住民投票条例を制定しようと言うのである。公約を反故にしたと非難されたって仕方ないことである。

一言、彼が住民投票ではなく、合併協議会の進め方で行きましょうといえば、ことが済んだのではないか。まあ、そんなことがいえるような人ならこんな無様な議会状況にならないだろうけどね。

合併推進をはっきり言いながら、今後活動しようと思う。人が何を言おうが、自分の説を曲げることなく最後までしっかりとしていようと思っている。合併をしても決してばら色ではない。合併しなければ茨の道だ。どう転んでも最後まで自分で自分をほめられる、また、神様からもほめていただけるような動きをしていたいと願っている。
8日(水)
19700カウント
今日は午前中は一般質問の三日目。議会を終わってから、色々なことが話し合われている。わたしは無所属なので話し合いもなく、早々に引き上げて帰ってきた。途中、友達の店コチュにいったら、対人の友達やら、韓国人、中国人の友達、勿論日本人の友達が、餃子パーティーを開くところだったのでわたしも入れてもらった。おいしかったよ〜〜〜。餃子の作り方は何べんも友達に教えてもらったのだけど、やはり彼女が作るのが一番おいしいので、自分で作るのはやめてしまった。ということは、たまにしか食べられないので、ダイエットも忘れて食べてしまった。

事務所に2時近く戻ってきて、スタッフと話込んだ。議会の前に頼んだ本「若者が《社会的弱者》に転落する」、「ニート」、「自由の代償フリーター」が届いたので、子供のことを話し込んだ。彼女もわたしも青年を子供に持っているので、切実なのである。子供達の大学の先の将来像が見えてこない。頑張って夢に向かっていく若者どのくらいいるのかしら。家の子供達に仕事はあるのかしら。心配だ。

お兄ちゃんとカルフールに食べ物を買いに行き、久しぶりに夕御飯をゆっくり作った。わたしが一般質問を終えると家族中でほっとするようだ。原稿が書けずにわたしがぴりぴりしているので、家族一同ひっそりとしてしまう。このごろとくに原稿が遅いので、わたしもどうにかなってしまいそうだった。体重が2,3キロふえますから、ストレスで。残念!!
7日(火) 今日は、息子の20歳の誕生日だった。近くの焼肉や紅牛に行って祝った。毎年恒例である。

議会は一般質問2日目。黙って座って聞いていたが、昼過ぎてからは少し眠くなった。隣の議員は居眠りをして、いびきをかいていて、、、、でも、横の議員から突っつかれて起きたようだった。あまりにも、スピーチをする議員が名調子で話すと、内容が耳を通り抜けて子守唄状態になる。

わたしは昨日1時間の質問をしたのだが、自分にはアットいう間の時間なのだけれど、聞いているほうにはかなり辛抱が要る時間である。申し訳ないが、議員としてもてる唯一の時間なのだから、皆さんにはご辛抱していただき、市政のために時間一杯頑張ろうと思う。

3時から女性講座の準備会があった。中々大変だ。でも、気持ちよく会議をすることができている。
6日(月)
19600カウント
今日は、私の一般質問があった。西口、ニート、男女共同参画のことを取り上げた。とくにニートは議会で初めて取り上げることでもあるので、少し説明を長くした。昨日書きながら、これでは全くニートの論文を書いているようだなあと思いながら、でも、初めてのことでもあるし、他の議員さんにも知ってほしいので詳しく説明した。

ニート対策はまだ手についていない。専門的な対応も必要なので、教育センターが力になってくれれば良いが、今日の答弁はにべもなく、「課題です」と言い切った。すなわち、今までもやっていないし、これからもやらないという役所言葉だ。一番頑張ろうといってくれたのは、商工課であった。何しろ無業者(失業者ではない)が100万人になろうというのは異常なことである。市民部青少年担当が新しい施策展開をすることを願っているが、なにをどうしていいか担当自身が戸惑っているようだ。

午後、議会が終わってから、直接請求の署名の閲覧に行って来た。私達の地区ではあまり署名活動に参加した人は多くない。合併をすることで決まりでよいでしょうというのが、水富地区の大方の意見なのだ。だって、豊水橋を渡れば入間市。私の家の川向こうは黒須小学校である。合併することに違和感なんか全然ないのがこの地区である。そういう意味では、自説を堂々と発表しても地元の人はそっぽを向かないということだから嬉しい。市民あっての市議会議員。やはり、市民と行動を思いを共にしたいと思う。
5日(日) 今日は、礼拝に行かなかった。マラソンがあるらしく通行禁止が多くて教会にどうやったらたどり着けるか分からなかったのだ。それに原稿が出来上がっていなかったので、今日までに是が非でも書き上げなければならなかった。

夜6時から「狭山合併推進市民の会」の会合があり出かけた。様々な議員がいた。私とは今までは接点のないような方々も多いが、腹を決めて大同団結に参加することにした。署名活動をしなければならない。それはそれでいい。わたしにもできる事があるならば、しっかり活動しようと思う。
4日(土) 死んだように昨晩寝て、起きたら8時だった。息子が大きな声で言ってきますと言っていた。子供達のいってきますという声を聞くとなんだかしみじみ嬉しくなる。若い人たちのいる生活は活気があって、喧しいほどだけど幸せを感じている。そして、ついこれも後4,5年だと思ってしまう。大切にしたいひと時。

午後スペシャルオリンピックスのミーティング。様々な準備をしてきたが、いまいちボランティアの集まりがわるい。ここまで順調に来たのだから、どうにかしなければ。トーチランがわたし達がイメージするようなものになってくれることを心から願っている。ミーティングは夜7時ごろまで続いた。来週もまたミーティング。成果が上がっているといいけれど。

原稿が上がらない。答弁の方は要旨を渡したのでできたようなのだが、原稿ができない。これは全くいけないことである。早く手をつければよいのに手を付けず、書き始めては嫌気で書くのをストップ。明日までにはやり遂げなくては。
3日(金)
19500カウント
今日は議会で議案の審査。その後、ヒアリング。役所を出たのが、8時半すぎ。帰宅したと思ったら、電話がじゃんじゃんなって、夕御飯食べ終わったのは10過ぎ。昨晩はというか、今朝4時過ぎに寝たので、電話の意味すら分からないほどくたびれた。メールをチェックしたら9件も入っていた。返事もできずに寝ます。
2日(木) 今日はうちで、原稿書きと議案の勉強。
1日(水)
19400カウント
今日は朝から議会。午後は議会だより委員会。その後ヒヤリング。そして、夜6時半から新都心のゼロックスで、埼玉県トーチラン実行委員会の会議。帰ってきてほっとしたのは11時前。疲れた。

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