私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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2月 私の独り事
28日(月) 今日は朝から全員協議会、議会、委員会協議会、議会だより委員会があった。その後、ヒアリング。議案書の勉強。途中夕食を買って帰ってきたら夜八時半だった。急いで夕食を食べた。こういう時は食べ過ぎる。自分のご褒美にぼたもちを買ってきて私だけがこっそりそれをデザートに食べた。だから、太るのだって。そうなのよね。昼にはアーモンドチョコレートを買ってデザートにしました。ふとるよね。
27日(日)
今日は朝礼拝。今日はあまりにも肩がこってマッサージに行った。ひどく凝っているらしく、マッサージ師さんが「ひどいですねえ」と驚いていた。午後はうちにいて、読書。マッサージの後のもみ返し出か、頭がなんだか痛い。仕事はぜんぜん進んでいない。
26日(土)
23900カウント
今日は朝ゆっくり家事などをし、お昼に夫と二人昼食しにお蕎麦屋に行った。最近は出来る限り夫と二人楽しい時を持ちたいと願うようになっている。おいしい蕎麦に舌鼓を打った。このとき、息子は部活。娘はタンポポクラブの旅行でイチゴ狩りとお花摘みに出かけた。

午後は夫と旅行代理店に出かけ少し調べ物をした。夫は決して行きたくなさそうであったが、二人で決めましょうと引っ張っていった。行ったところで決めたわけではないが。

その後、私は文庫の講演会が中央図書館であり、赤木かんこさんの講演を4時過ぎまで聴いた。いつ聴いても楽しくて、話に説得力がある。彼女は世代が変わり読書の状況がとても変わっている事を述べていた。1990年以前の本はもう古典に入り、若い人は読みもしなくなったと言う事である。事実、私が読んだ本はもう若い人には江戸時代の本ほどの違和感があるのだろう。

サティで買い物をして帰ってきて、7時には成人教育委員会の懇親会。楽しくしゃべったり飲んだりしているうちにあっという間に10時半。今年の成人教育委員会も楽しかったと思う。よかったなあ。3年生を持つ親はまだ進路が決まらない人もいて、大変らしい。明日は実際わが身である。
25日(金) 今日は朝から入間川東小学校に行って来た。幼稚園、小学校、中学校の交流について伺った。その後、入間小学校へ行き特区での英語教育を授業参観した。その後、教育センターに行って、センター長と話し込んだ。考えることが一杯あるがまとまらない。まあ、今日の見学はイロイロな意味で参考になった。

午後3時からは息子の懇談会だった。ため息がでる。
24日(木)
23800カウント
今日は朝から急いで久喜市に視察に出かけた。私は無所属だからどこにも一人で行くが、迎えてくれたほうは一人で出向くと驚く。今日は、幼稚園に保育園を入れた久喜市の試みを幼保一元化という視点で見てきた。良い点は、保育園の子供が幼稚園の子供とともに10時から1時間半いっしょに過ごす事が出来る点にある。しかし、実際はとても多くの問題点を持っているということが良く分かった。1つの理念の下に一体化した幼児園を作るのならともかく、方や保育園で給食あり、方や弁当。なんだか本当にちぐはぐ。幼稚園の保育参観だったが保育園は違ったスケジュールで過ごしていた。何でか訳が分からない。説明もお茶を濁していた。1つの建物の中に2施設というのは、融合がとても難しいことが良く分かった。子供園とか幼児園とかという違ったコンセプトで幼保一元化を図らなければならない。

午後は久喜市の一般質問を聞いてきた。よその議会を見るのも良い事である。この議会の一般質問は時間の制約がない。だから、目一杯質問が出来る。ここは良い点であると思う。長い質問がよいと言う事ではないが、議会はきちんと行政にチェックを入れられる。要旨をきわめてきちんと書いてあって驚いた。2,3ページに書いてあり、きちんとしたアウトラインとなっている。これほどきちんと要旨を書き込むので、いわゆるヒヤリングと言って、議会の質問前に課長が議員に質問を詳しく聞くために列をなすと言う事はないそうである。議論の真剣勝負がある。これはある面学びたいなあと思った。

狭山市議会の良いところはやはりケーブルテレビが入っているところかなあと思った。私は議場では常に市民の視線を感じている。傍聴者が多い少ないに関わらず、ケーブルテレビ、議会だより、自分の作る議会レポートで市民に行政をチェックして何を伝えなければならないのかと考える。自分と執行部とのやり取りをしているのではなく、そのやり取りの中身を市民に知っていただくべきことだったなら、議会で取り上げなければならない。

たとえば、17日の議会で私は第1環境センターの焼却炉の解体の際、1.どのようにダイオキシンを飛散させないようにするか、2.出たダイオキシンをどのように処理するか、3.そのチェックはどうするか、4.そのように難しい工事をするための契約に際し、どのように指名業者を選んだのか、と質問した。これは、実際では自分で調べれば分かる事もある。でも、私の知識だけであってよいのか。市民が知っておくことではないかと思えば、やはり私は議場で聞く。少ないかもしれないが、メディアを通じて市民に安心してもらいたいからである。久喜市のように、ケーブルテレビという議会関係者以外が入っていない議会はたとえ傍聴者がいたとしてもなんだか密室のやり取りのような気がしてしまう。

逆にケーブルテレビなどが入ってくると議会がショーめいてくるのも否めない。役人は市長や答弁者に変な事を言わせて恥を掻かせないように原稿を作る。私達議員だって原稿を作る。原稿を読み上げているのを聞くのはぜんぜん面白くない。でも、無難のようにと結局原稿を書く。市民の痛みについて言いたくなければ、格好よく市民受けのする質問をする。これも問題だ。人のことはいざ知らず、私に関して言えば、”たゆみなく、しっかり”、結局市民にとって良い事を言う事にしようと思っている。痛みを伴うことがあるにしても・・・
23日(水)
23700カウント
今日は、朝から議案の勉強を始めた。狭山市は市長が2%ほど報酬を下げ12%、助役が5%下げ9%、収入役8%、教育長8%に下げるそうである。これをどう評価してよいか分からない。合併できなかった事への責任を報酬の2%減で済ましたと言う事か。下げ幅が助役達より市長の方が少ないと言うのは、どういうことか。なんだか、大義名分の分からない報酬減だなあ。

いくつか補正予算を見ていて分かったが、今回も国民健康保険への繰り出しが1億円増で全部で約14億円、老人健康保険への繰り出しが1億4千万円ほどで全部で8億円近くなる。介護保険だって17年度は1億5千万円増となるそうだ。高齢化のための予算はドンドン膨らんできている。これはわかりきった支出増であるが、このための税源をどこに求めるのか。分かりきったことでも毎年毎年頭が痛くなる。市長が報酬下げようが、議員を2,3人削減しようが追いつかない。

昨日、「無駄を省いて」と財政課長に言ったら、「具体的にどこが無駄だと言うのですか」と切り替えされてしまった。いくつか指摘したが、直接市民と関わるところだけに出来ないようだ。それに、それをしたところで1億円になんかとてもならない。私の目から見たら無駄でも、使っていたり貰っているほうから見れば無駄どころではなく絶対必要と思う費用ということもあるだろう。支出削減はさほどに難しい。

今日も朝から晩まで狭山市の財政のことを調べ上げていたように思う。何しろ議案が一般会計補正予算、特別会計補正予算、17年度一般会計予算、17年度特別会計予算というのだから結局はお金の数字とにらめっこになるわけなのだ。今年のの補正では街づくりの明拠が少ないように思う。補正減をして、また来年度に予算計上らしい。街づくりのお金が段々確保されにくくなっているのかなあと思う。結局、投資的経費を落とすことで、必要経費を賄うより仕方ないというのが、今後顕著にならざるを得ないのだろう。
22日(火) 今日は午前中、家事に励み、午後は役所に行った。最近はおし掛けをやめて、きちんと事務局の方からアポイントメントを取って役人さんとお会いしている。礼儀正しく。

今日も多くの方と話した。少しでも狭山市民のためになればよいと思い、イロイロ施策を考えている。すぐに実現すると言う事もないだろうし、狭山市の今の体制で検討すらするかどうかも分からない。でも提案してみようという気でいる。前向きに。前向きに。少しでも前向きに。

大野さんという昭和の合併の時の議員でただ一人生存していらしゃる方が議会に寄ったということで、私の控え室に来てくださった。大変な合併、その後の狭山市の街づくりの話を伺った。ホンダを誘致する時の苦労話も興味深く伺った。昔の議員は職員と同じように汗を流して街づくりに励んだようだ。本当に頭が下がる。その財産を守りきれるかが、今の私達に問われているのだが・・・・
21日(月)
23600カウント
「私の独り言」って狭山市役所の私の知っている役人さんと、親戚や友達でHPを動かせる人が定期購読者かなあと思っていると、時々ぜんぜん知らない人からお便りをいただいたりするのでどこでこのページをしるのかなあと思います。仲間内と言うか仕事や職場の事を書いているのでちんぷんかんぷんのところも多いのではないかと思います。また、自分をさらしているようで、書けない事も多い。インターネットの虚構性を痛感する時もあります。書かないこと、書けないことは、あたかもない事のように見える。文字の世界とは、空想と言う恐ろしいと言うか素晴らしい要素がありますね。

今日は朝小学校へ読み聞かせのボランティアに行ってきました。その後朗読の練習・勉強会。キレイな日本語を使うのは難しいです。淡々と読み、空想する力で聞く人に楽しんでもらう。まあ、そんな朗読はいつ出来るのでしょうか。今日は2年生に図鑑を読んで上げました。恐竜図鑑、虫の図鑑、植物図鑑。絵を見ながらそれについて知るという本。理科の先生としてはやはり図鑑にも親しんでもらいたいと思い選びました。亀ほどもある大きなバッタを見て、2年生は驚いていました。私は、子供が楽しんでいるのを見て、嬉しい気持ちで一杯でした。私の人生で教師が一番楽しい仕事でした。天職は市議会議員だろうけどね。

午後は議会によって、図書室で調べ物をした。幼保一元化や小中一貫教育について調べたが、問題は狭山市が何をどういう風に物事を決めていくかが私にぜんぜん見えなくなっていることだ。何を言っても、誰も決めることが出来ない。誰も決めない。誰も決めようとしない。右の耳から聞いたのを左の耳から出してしまうと分かっているのに、私はなんで質問をするのだろうか。課長級と話をしても仕方ないんだな。でも、誰と話せばよいの? 結局、議会で市長と。それが筋と言うものだろう。
20日(日) 今日は日曜日。午前中は礼拝。その後カルフールで買い物。午後は親の会の講演会。5時まで掛かった。

講演は障害者を使いどのように事業を展開するかと言う事であった。要するに、良い商品を他のものと差別化して売ると言う事である。どのような事業にしても、人件費をきっちり払えるように、税金を払えるような事業にしていかなければならない。その点、障害者の事業は民間の事業に比べ甘い点があることを知っておくべきかも知れない。増田さんに経営コンサルティングをしてもらいたかったようだが、資料が足りなくて事業への突っ込んだ指摘をしてもらえなかった。ここら辺の資料作りにもやはりド素人の経営が問われるのだろう。もしかして、私自身が娘のために何らかの事業を作り出す必要があるかもしれない。でも、まだその勇気が出てこない。この秋以降にパワーが出るだろう。

息子から最近電話がよくある。彼はこの学期が終わるとニューヨークに遊びに出かけるらしい。3月初旬のニューヨークはまだ寒いだろうな。私は2度ほどニューヨークに行っている。一度は弟と、もう一度は息子が3歳の時に行った。でも、息子はすっかり覚えていないようで、ニューヨーク行きを楽しみにしているらしい。危ないところだけれど、私もニューヨークは活気があって大好き。前に住んでいたシカゴとニューヨークにまた行こう。そうそう、ボストンも素敵な町だ。でも、それ以前に、アジアとヨーロッパを見てみたいなあ。いつかきっと行こう。
19日(土) 今日は朝ゆっくりする事が出来た。夫とブランチをいっしょに取り、久しぶりの夫婦での会話を楽しんだ。つくづく夫は良い友達だと思う。いや、それ以上だ。夫だもの。人生の道連れ。

午後は女性講座に出かけた。労働問題で女性史をお願いしたのだが、現実に女性が仕事を続けるのが難しいと言う話に終始したような気がする。もっと、歴史に力点を置いてほしかったと思う。労働の形態の歴史をきちんとレクチャーできる先生はいなかったのだろうか。残念。

さて、その後図書館で「新撰組」について1冊読んできた。近藤勇や土方歳三たちが尊王攘夷の立場をとらず、幕府派で初めから最期まで戦ったし、人を切った話が新撰組の本末であると分かった。彼ら達は古い体制を維持したかった人たちだった。しかし、残念ながら時代は改革に進んでいた。勝海舟は幕府の最要人でありながらも、その流れの中で徳川を考えていた。海舟は実際のところ徳川さえも超越していて、日本が残ればそれでよいと思っていたのだろう。海舟は1890年にはアメリカに行っており、民主主義も知っていたわけだから体制が変わったところで、変わる方が世界に伍していけると踏んだ。一方、近藤も土方も農民から武士に取り上げられた。幕府に恩義を感じ、そこに忠義たてをすることで自分達の上り詰めた身分に固執したと言う事だ。近藤は3月に故郷で身分が上がった事で舞い上がり祝宴を開き甲州での戦いに遅れ、結局次月25日千葉流山で斬首されている。

自分の事を考えた。今、狭山市では内向きの力が働いている。きわめて保守的である。その方向が今後人口減が考えられる狭山市で正しい方向かどうか。私はきっとそれが良い方向に働くとは思ってはいない。しかし、狭山市はその道を選んだのだ。きっとこの流れに竿をさす事は自分が変な方向に流れ出す事になるだろう。私はしばらく流れを見ていることにしよう。一度流れ出した流れは大きな堰が現れたり、転変地変でもない限りどうにもならないのだろう。嘆いても仕方ない。こんな時は岸の縁に腰掛けて見ているより仕方あるまい。そして、あまりにつまらなくなった時は他の川の流れを見に出かけるのも良いかもしれない。流れが清流であろうが濁流であろうが、反対向きに流れる津波であろうが、見ていれば胸がつぶれるような思いをすることもあるかもしれないけれど、とにかく縁に上がっていることにしよう。

近藤勇にも、長岡藩の河井継ノ介にもちっとも同情も共感も出来ない。改革は進んでいくが、取り残されるを善しとした人たちが死んだという事である。しかし、その意味はなんだったのだろう。センチメンタルな思いがあったにしても、いっしょに死んだものや長岡藩で生き延びた人間の後は大変だった。長岡には城壁1つ残ってはいないのだ。だからこそ彼らの死を美化する気にはさらさらならないのである。
18日(金)
23500カウント
今日はイロイロ考える事があって、いくつか予定していた会合をキャンセルした。可哀相に事務所のスタッフは私の話を聞くことになった。言いながら、ガス抜きかなあと思っているし、スタッフもそのつもりで聞いていてくれている。ここに書けない内容だが、非常に暗い気持ち。勿論狭山市のこと。

でも、明日の来ない日はないというではないか。私のような者が考えたことと神様の思われていることとは違うかもしれない。クリスチャンの良いところは能天気と言われるほどの前向きさではなかったか。ため息を何べんもつきつつそう思っている。午後は通告に4時過ぎに出かけた。元気が出ないけれど、「たゆみなく、しっかりと」である。

夫が1週間のアメリカ出張から帰ってきた。弟がアーリーリタイアメントを考えているそうだ。50歳にして引退して何をするのだろう。もう、子供は自立している。有り金をうまく回しながら、好きな事をして後30年を生きて行きたいというのだろう。自分の事として考えると、好きなことって何かなあと思う。市議会議員を辞めて何をしたい?昨日、Sさんに「辞めても良いのよ」なんていったら、「馬鹿言うんじゃないよ。」なんていわれたっけ。彼はきっと「やりたくたってやれない時が来るんじゃないの?」と言うことだったのかもしれない。今はたゆみなくしっかり市議会議員をするのが私の使命と思っていはいるが、国際NPOの仕事が与えられればそっちに進みたいなあ。誰かオファーはありませんか。
17日(木)
23400カウント
今日は臨時議会だった。4議案出た。合併協議会の解散に関しての条例で私は市長の反省の弁を聞いた。合併協議会の評価と合併協議内容についても聞いた。今後のことも聞いた。答弁はすべて空しい。答弁の内容が分かっているのに言わせてあげてどうするとも考えたのだが、議会として誰かが彼に言わせなかったらいけないだろうと言う思いでしたのだ。寂しくわびしい議会だ。

今日もS議員さんが楽しそうだった。合併を潰したことが嬉しかったようだった。彼だけでなく多くの古手の議員が内心嬉しいのだろうと思う。「なぜ?」とわざわざ聞かなくても、S議員が教えてくれた。後2年の任期があればよいとのこと。ある議員は、古参の議員で叙勲のためにもう1期や2期したい人もやはり合併には賛成しなかったのだろうと言っていた。あんなにSさんを嫌っていた古手の議員だったのに、利害が一致してしまえば陰に陽に手を結んでしまうのがこの世界である。そういうもの。狭山市のこと、狭山市の将来の事など彼らの念頭には全くないのではないかと思う。パワーゲームを楽しんでいるだけだ。これで、狭山市はどうなっていくんだろう。悲しくて気持ちが沈んでいく。

お昼に支援者の人が来て、「高橋さんは寝込んでいたんじゃないか」と心配していてくれた。「一人頑張っていて、孤軍奮闘という奴か」なんて良く見ていてくれる。「だがな、後1期やるように頑張るんだぞ」と言われた。彼は80を過ぎている。「選挙まで生きていてよね」と軽口を行って分かれた。自分の議会活動、議員活動に際して悩み疲れている時、言葉や思いで多くの方々に支えてもらっている。心からありがとうと思っている。
16日(水)
23300カウント
今日は息子を学校に送って行った。406を飯能に行ったのだが、道の両脇に町が形成されつつある。特に所沢方面に向かうとそれは顕著だ。車を運転しながら、こんな新しい街づくりが可能になる道路が狭山市にあるかなあと考えた。あるある。東京狭山線。16号のアンダーパスもまるで入間市の406が16号にぶつかるところのようである。と、思いつつ役所に来たら新聞にその都市計画道路について書いてある。また、説明に来てもらった。公有地化して公園化してほしいと言う要望だった。(また公園化か)と実のところ思ってしまった。まあ、国や県から財源をいただけるのだったら考えても良いかなって思った。

朝から子供を送りながらも結局は狭山市の街づくりを考えてしまう。24時間、狭山のことしか頭にないんじゃ仕方ない。午前中は目一杯、議会事務局の図書館で新潟市官製談合について調べた。官製談合防止法を読み込まなければ。明日は臨時議会。議案書で質問事項を確認した。2,3点質問する事にしている。どんなに沈み込んでいても、私の二期目のキャッチフレーズは「たゆみなく、しっかりと」である。切れるナイフでない私だが、たゆみなくしっかりと楔を打ちつけるように心しよう。切れなくても、許してね。
15日(火)
23200カウント
今日は、午後1時からお勉強するために役所に行った。勿論、押しかけるなんて事をしてはいけませんので、議会事務局からアポを入れてもらい、私の控え室に来ていただきました。誰?呼びつけたなんていう人は。結局、行けば押しかけ、きてもらえば呼びつけるという風にとられるわけよね。とりあえずは、レクチャーしていただきました。ありがとうございます。

今後も出来る限り、来ていただこうと思います。でも、だからといって私が時々役所内を徘徊していても仕方ない事です。役所の良い事も悪い事も見なければ分かりません。いつか、職員に「高橋、元気か」と声を掛けられた。(この声掛けだって、実のところぎょっとしたのだ。) 顔を知っている職員だったから、「仕事している?」と聞いたら、「してねえよ」という恐ろしい答え。とっさに「仕事しなさいよ」と怒鳴った。彼は「やかましいや」と言いながらどこかに行ってしまった。勿論、休み時間ではなかった。私はその姿を呆然と見送った。こんな職員もいるのが狭山市役所ですからね。全く。ふらふらしている課長もいるという噂もありますけど、綱紀粛正しなければ。全く。
14日(月) 今日は、「新たな思いで仕事を」と張り切ったが、咳が止まらないので苦しい。午前中に一般質問についての資料や視察を事務局へお願いし、午後おっとり刀で役所に出かけた。昔なら(御宿、かわせみの見すぎですね。)帯刀のお侍さん方々がなさるお上のお仕事でございましたが、今の役所は庶民の私達が精一杯努力して勤める場所になりました。それにしても、退庁近くの役所はのん便だらりとした雰囲気でございましたよ。

勿論濱野局長(局長なんというと新撰組を思い出すなあ。NHKの歴史の見すぎか!)を初めとした狭山市議会事務局はきびきびしていました。局員はいつもとても静かに仕事をしておりますが、情報に対しては鋭い感覚をお持ちでいらっしゃる。今で言えば“耳ダンボ”。一人風邪なんか召していらっしゃる方がいて、哀れを感じました。男の風邪引きも色っぽいですね。なんチャッテ・・・・・(あんまり書くと叱られますのでこの辺で)

退庁間際というか遅くに4課回って帰ってきました。皆さん、ごめんなさい。1つの課では、「高橋さんが押しかけた事を課長に伝えておきます」と丁寧な主幹のお言葉。感謝でございますね、少し学びました。私が課長に会いに行くのは、押しかけたように相手に思われること。今後はやはりアポイントメントを議会事務局からその課長さんには取って頂いてから、お伺いしようと決心いたしました。狭山市の役所とは言え、私は議会の方にいますから、きちんと手順を踏みましょう。でも、「時々寄ってくださいよ」、と気軽に声を掛けてくださる課長さんも多いのですけど・・・・
11日から13日まで
23100カウント
母の顔を見に直江津まで行った。正月に行った時、あんまり痩せて、顔中しわだらけだった。それに、お化粧をきっぱりやめていて、本当におばあさんになってしまっていた。母は洋服屋の娘だったし、保険屋やらをして自分のお金を常に持っていた人だったから、着飾ると言うまでもなく常にこぎれいにしていたのに、最近ではめっきり老け込んでしまった。お肌の手入れなんか私がした事もないほどきちんとしていた。良く行く新潟のおばもそうだが、昔の女の人はきれいにしているのがたしなみと心得ていて、私のように髪の毛をセットもしないなんていうのは考えられない人たちである。おばは今だって毎週美容院に行っているはずである。母が言うには、私の祖母は戦争が終わるまでは丸髷を結っていて、髪結いさんが5日とか10日に一辺は髪を結いに(出髪というが)家にきていたそうだ。

という事で、母のことが心配で、また父もそろそろ80になるしと思い、わざわざ出かけてきた。葬式に行ってもつまらないから生きているうちにとも考えた。雪がたっぷりある湯沢で新幹線を降りて、ホクホク線に乗り換えて家を出てから4時間で付いた。弟に「何しに来たの?」といわれるほど、母も父も元気だった。まあ、元気で何より。母の顔も少しふっくらしてきていて、体調はまあまあか。お金を多少持っていって温泉にでも入りに行こうと思っていたのに、母は家をでるのが億劫だとあれほど好きだった温泉にも行かなかった。

母は目が悪いし、耳も聞こえが悪くなったけれどNIHKの「御宿、かわせみ」が好きであったので、2年前の冬クリスマスプレゼントのつもりで「御宿かわせみ」のビデオを送ってやった。それなのに、ビデオの操作が分からないし、人に操作を頼むのも気兼ねらしく中々見ていなかったので、今回は私がテレビの前に陣取ってビデオ操作係をして、母と二人でビデオを見た。芝居小屋に行っているようだった。古いビデオだったが、何しろ真野響子が匂い立つようにきれいだし、大根役者かもしれないけれど小野寺昭がまたまたかっこよくて、「響子」とか「小野寺」とか声をかけながらうっとり鑑賞した。飽きることなく全部で10巻ほど見ました。

親孝行をしたつもりで帰ってきたのですけど、私も少しは命の洗濯をしたかな。あの、白い白い雪を見ているだけでも私の心が洗われる気がしました。越後や雪国の人間じゃなければ分からない気持ちかもしれません。
10日(木)
23000カウント
今日は午前中に映画を見に行った。本当は昨日が映画のレディースデイだったので行きたかったのだが、熱を出していて行けなかった。「レイ」という映画。今週は文化週で、映画だ美術館だ本だと本業にかかわりのないことを意識的にしている。それでも、すぐに自分の人生や仕事のことを考えてしまっている。「レイ」を見て驚いた事は、彼が転機を上手に乗り越えているという事である。飛躍するべき時に、その方向性も誤らずジャンプした。また、その時に決して自分らしさを捨てなかったことがすごいと思う。勿論、非難も批判もあっただろうけど、それを振り切る強さも賢さも勇気もあった。新しくなることは、脱皮するという事は、どんな事かとこの映画を見て考え込んだ。

合併が不調に終り、新しい街づくりに取り掛からなくなったのは、私には市議会議員としての大きな夢(ばら色と言う意味ではないけどね)を取り上げられたという思いなのである。虚脱状態が続いて昨日なんか熱まで出てしまった。風邪もあるのだけど、それ以上にここにはかけないほどの様々なショックや落ち込んで立ち直れないような人間模様が私を押しつぶそうとしていた。結果だから仕方ないとしても、ある意味、今後どんな市議会議員生活をしていったらよいかと立ちすくんでいる。

行革については、はっきり言って、もう中川浩さんあたりにお願いしたいところだ。私はそれを自分の政治課題として、もう取り上げたくない。私は箱物のコストの事や基金の残高のこと、手数料、使用料、職員の給料についてはっきり言ってこの6年間途切れることなくチェックを入れてきた。そして、はじめは胡散臭く聞いていた議員や執行部は結局私の言う事を取り入れざるを得なくなった。行革プランについてだって取り上げ、実行に掛かるように強く強く議会で要望もしてきた。そして、それが始まりかけた。私は、そのような質問を通じ、最大の行革は合併である事を痛感して合併賛成を唱えた。それ以上の行革はないのだが、合併効果に等しい行革を中川さんや共産党さんに提案してもらおう。

そうなると、私の議会でのテーマはなんだろうと思う。子育てか、女性問題か、青少年問題か、西口か、障害者問題か、雇用のこと、たしかにイロイロあるだろうが、私は一皮向けた市議会議員になりたいと思うようになっている。今まで一匹狼で、言論によって賛否の中で自分の身を処してきた。反対だったら反対を唱え、賛成だったらそういってきた。私は少しスタンスを変えたい。反対だった時、私は犬の遠吠えのように反対と言うだけでよいのかと思い始めている。

議会の透明化、議会を開くという観点でも、私ははっきりいってさじを投げていた。私が議会に入って出来た事は、通称をつかえるようにしたこと。議長の交際費の既定を作ってもらって、それをHPに公開した。でも、それだけでは、議会が開かれているといえないのではないか。やはり、議会のほうで市民に近寄る必要があるのではないか。たとえば、今後行革特別委員会なんかが出来ると思うが、市民の意見を聞くための議会主催の公聴会を何箇所かで開いていくのはどうか。それをまとめて、議会の提言として、または意見書の形で発信していくというのはどうだろう。議会改革とはこういうことを言うのではないか。ここに、私の新しい取り組みの活路があるのかもしれない。たとえば、条例に付帯決議をつけたり、修正案を提出してみるというのはどうか。否決されたとしても、前向きな取り組みではないかと思うのだが。

私は自分が器用に生きられないことを知っている。また、スタッフも優しくて私の生き様を肯定していてくれている。それでも尚私は今のままでいたくないと思う。曲がり角に来ているし、今私は飛躍しなければと思う。実際には、その方向性が見いだせなくて苦しんでる。保育園の園長先生になろうかと考えた時もあった。でも、やはり私は市議会議員なのである。どこに行こうと何をしようと何を読もうと今の私から狭山市がなくなってしまうことはないのだ。違ったキャリアのビジョンが与えられない以上神様は結局私に市議会にとどまり、出来る事をしっかりしていくように願っているのだと思う。だから、今後だって会派には属さないかもしれないが、議員の中でよりよい政治のために、市民のためになる政策を執行部に進めてもらうために、粘り強い議員として頑張ろうと思う。市民にそれを理解していただければと、心から願っている。
9日(水) 今日は朝から熱が出て、寒気が引かず寝込んでいた。電気敷き毛布まで出した。夕方、調子がよくなって「御宿かわせみ」を読み始めたら、やめられなくなって古本屋に子供をやって5巻まで買ってきてもらった。でも、勿論疲れ果ててたくさんは読めなかった。今までの疲れが一挙に出たのだと思う。
8日(火)
22900カウント
今日は朝から東京の白金にある庭園美術館に出かけた。昨夜、港区に住む友達に電話したところいっしょに行ってくれるというので、2人で行った。今日は「日本のジュエリー100年」という展覧会がされていた。緻密な素晴らしい装飾品がたくさんあった。けれど、私にはあんまりすごいものには見えなかった。はっきり言って、銀座の御木本の方が豪華絢爛な宝石類が多いだろう。昔は確かに素晴らしい技術があっただろうが、国力がなかったからすごいものがなかったというべきか、それともすごいものもあるだろうけど、展示されていなかったのだろうか。見てみると今でもつかえそうな装飾類があった。素敵なブローチはほしいと思った。

私が庭園美術館に行きたかったのはアール・デコ様式の邸宅を見たかったのだ。ガラスはとても素敵だった。フランスから持ってきたものだというが、すりガラスの模様は斬新で素晴らしい。ランプ類も装飾がシンプルでそれていて優雅。漆喰の色の地味だが渋いこと。でもでも、私は昔の宮邸にしては質素だとおもった。調度類がなかったせいもあるかもしれないが、お金はかかっているかもしれないけれど、華美さは全くなかった。あんまりシンプルで(寂しいお家だなあ)と思った。カーテンだって良いものであった事は間違いないが、全く地味な色合いで、お姫様のお部屋にしても華やかさがちっともない。個性を感じなかった。思ったよりも小さなお宅で驚いた。勿論庭園美術館と言うのだから、素晴らしいお庭がおありになるのだろうが、何しろ冬だから花も咲いていず、芝は緑もなく寂しげだった。お昼のサンドイッチを喫茶店でたべたのち、フルートの演奏があり、1時間ほど鑑賞してきた。豪華な昼下がり。

その上、友達が白金の商店街のほうでお茶をしようと言うので、出かけた。おいしいケーキをたくさんいただきながら、ハイティーをいただいた。優雅でしょう。白金の一角に狭山市駅西口で取り入れてほしいビルディングがあった。明るいタイルに緑色の屋根。ちょっとヨーロッパ調のところ。友達は「イギリスのストラットフォードを思い出すわね。」なんていっていた。私はヨーロッパに行った事も、イギリスのストラットフォードに行った事もないので分からない。でも、私は落ち着いていてそれで華やかな感じのよいビルだと思った。どこに行っても、何を見ても結局狭山市にどのように導入すればよいかと言う考えが頭に浮かぶ。遊びにならず、視察になってしまうのが、悲しい。市議会議員のさがでしょうか。明日こそ、楽しもう。
7日(月)
22800カウント
今日は、朝から小学校の読み聞かせ。子供達は緊張して聞いていたが、話としては中途半端な時間だった。申し訳有りません。時にはいいたい事を伝えられない。その後反省会。素敵な本がたくさんあることを知った。

今日は本当は買い物に東京に出ようと思っていたが、午前中に読み聞かせのあと、本の修理をしたりしていた。それで、残った人で昼食をするということになり、サイゼリアで食事をした。そのあと、おしゃべりをしていたがあっという間に4時になり、大慌てで帰ってきた。今週は少しスローダウンをしたいと思っている。今まで走りっぱなしでいて疲れ果てて、自分を甘やかしても良いと思っている。さて、明日は何をしようかな。
6日(日) 今日は朝礼拝に行き、帰りに大回りしてカルフールに行った。昼ごはんを食べる暇もなく、飯能に行き、「草の乱」を見た。この映画は秩父事件についての映画なのだが、何を言いたいのか分からなかった。民衆が暴徒として、金貸しを襲った。そして、その後に自由党と結託して、政府を倒すために武装闘争を始めるというものであったのか。農民は金貸しを襲い、政府によって倒される。私が冷静に見れば、自由党に見捨てられているのに、変な男の扇動で暴徒化したと言うだけだ。勿論、その下には、不況で悪気の金貸しに財産を奪われた農民の怒りがあるのだが、そのところが良く伝わらなかった。政府を転覆するならばもっと周到な計画が必要だっただろうに。徹底的に弾圧されたそうだ。その悲しみも良く伝わらなかった。

私はこの映画を見ながら民主主義とはなんだろうと考えていた。自分達の怒りを暴力で片付けられたらどんなに簡単だろう。私は映画でしたように今ばっさばっさと切り倒したらどんなにスカッとするだろうと思う。でも、やはり暴力で政治を動かすと言うのではなく、選挙という手段で政治を動かすのが今の世の中である。どんなにいらいら、思うようにならなくても、辛抱辛抱。時間と手間のかかるのが民主政治。短気は損気。急がば回れ。ぬかに釘でも、暖簾に腕押しと思っても、辛抱辛抱。でも、剣道習って、ばっさばっさをしてみようか。えっ、ばっさばっさするんじゃなくて、ばっさばっさされてしまうですって。そうかなあ。
5日(土) 今日は彩ネットがウィズ ユウ 埼玉でのフェスティバルにでるので受付に行った。几帳面に枝野さんも出席してくれていた。いつものようなシンポジウムだった。午後、お昼を友達と取った。

ようやく3時過ぎに一人になる時間を取れた。待望のジョンレノンミュージアムに行く事が出来た。2時間ぐらいかけて見てきた。おのようこさんがOKを出したミュージアムだからか、センスの良いミュージアムであった。実は、おのようこさんの事を知りたいと思った。彼女はまるで魔女のような容貌に見えるが、ひたすらジョンが愛した女性のようだ。なぜ彼女が必要だったのだろう。日本人だから“おのようこ”と言うナマエを忘れないのかもしれないが、死後何年経ってもジョンの妻だった女ではなく、おのようことして世界に通じるのだから、おのよう子さんはすごい人なのだろう。また、ジョンレノンが生きていたらどんな音楽を書いただろうかと思った。愛と平和とそれからなんだったんだろう。もっと良く歌を聞いてみたくて、CDを買ってきた。

私はミュージアムの中で繰り返しimaginの歌詞を考えていた。no religionというところだ。私は神を信じているが、教会から離れてよいと思うようになった。イエス様と個人的な結びつきを感じるが、教会という組織を離れて個人の思いとしての信仰にしようと思う。幸い、今行っている教会(!?)は組織として私はなんら期待される存在でないし、期待されても困るという立場でいる。もしかして、ここから本当の愛や平和が言えるのかもしれない。ジョンが“信仰のない世界を”というのは信仰者として悲しいものを感じるのだが、もしかして押し付ける信仰がなければ、本当に平和になるのかもしれないと思ったりもしている。クリスチャン、仏教、イスラム教、ヒンズー教・・・・・・どれにしても。

今日は買ってこなかったが、war is over if you want it  というTシャツが私の心を捉えた。if you want it, 戦争を止める事が出来る。Positive という言葉は今の私には辛いのだが、天井に小さく書いてあったyes ということばを暖かい言葉として聞いたジョンの気持ちの前向きさはを羨ましく感じた。辛い70年代という話があったが、私にとっても本当に辛い70年代だった。80年、私がアメリカ、シカゴにいる時、12月8日(アメリカ時間で12月7日か?)に彼は死んだ。大騒ぎになったと思うが、私には「あ、そう」と言う感じだった。ヘビメタのレッドツッぺリンが学生の中で席巻していた。私も大学の寮にいた。その頃の私にはジョンレノンの音楽はあまりにも大人の音楽過ぎた。ビートルズにはすごく夢中になった時もあったというのに、something から後はビートルズにもジョンレノンにも付いていけなかった。

愛と平和という普遍的な希望をメッセージにしてうたい続けたからこそ、彼の歌は人の中に生きているんだろうか。ジョンレノンの作った反戦の音楽が今も尚新鮮だ。何年も人の心に残る音楽を作ったなんてやっぱりジョンは天才だ。言うまでもないか。
4日(金)
22700カウント
今日は午前中にレポートの資料を作ったり、スタッフと話したりした。午後は中学校の家庭教育学級で司会をした。私は成人教育委員である。今日はCAPのワークショップをした。楽しかったし、ためにもなったと思う。子供達にもしてもらいたいと思った。子供が自分の人権をどう守るかと言う実践的な話に加え、人権とは何かという根源的な話がワークショップ形式の中で自分に問うというのが斬新なところだろう。良かったと思う。
3日(木)
22600カウント
今日は朝娘の薬を貰いに、萩山の国立神経精神センターに行った。発作は少なくなっていると思うが、朝の眠気が取れない。薬を10時半から9時にしたが中々調節がうまく行かないようで、今回眠気覚ましを貰った。

午後は合併協議会の最終だと思い、出かけてきた。合併協議会のメンバーは合併の是否の採決に最期までこだわった。多くの若い議員を中心に合併した方が両市にとって有意義だと理解した事を議決事項として残しておきたかったのである。しかし、入間、狭山の両市の市長は合併協議会で是非をとるまでもなく合併協議会を解散する議決をすることにしてしまった。はじめは、市民の投票やアンケートを見て、協議会で是非を決定する事になっていたのに、是非を問うことなく、合併協議会を閉じてしまった。「合併協議会が合併を是として、その後解散と言うのではどうするのか」と言うのが木下さんの考えであった。私は、いつかの日のためにも合併協議会としては合併賛成、しかし、市長の権限で合併協議会を解散としても良かったのではないかと思った。合併協議会自らが解散を宣言しなくても、市長が解散を決め、議会で解散を承認すればそれで決まりと言う事もあってもよかったかもしれない。

とにかく、どこに行っても合併が壊れた話で一杯だった。職員の考えは、上と下とでは全く違うようだ。部長連中は私同様の考えである。今後の行革がどうなるか、どうしなければならないか、また、狭山市駅西口の再開発の資金をどう調達するか、学校の統廃合も視野に上って来るだろう、職員の定数減をどうするか、手当てをどう削減していくか、橋の耐震補強は億単位のお金がかかれば実現の目ども立たない、自治会長の協力金も30万円から2,3万円に落としてもらわなければならないだろう、労組に対する補助金をどうするか、国民健康保険の値上げは諮問されたように5億円規模にしなければならないだろう、具体的にイロイロな点で合併がゴワさんになったツケをどうするかの話が持ち上がりつつある。

合併反対派は狭山市はこのままでよいのだ、西口は手をつけて借金するなんてばかばかしい、などと言って高齢化に対してもなんら手を打たない道を選んだと思う。でも、私はどうしてもそんな街づくりに賛成はしない。絶対、西口は完成させなければならない。現状維持なんていっていれば、古く汚い街になってしまう。もっと良い街づくりを意地でもしていくぞ。提言し続けよう。批判ばかりで前向きに、積極的に街づくりをしようとしない議員なんか狭山市にとって何の役にも立ちはしないと思う。

今日、合併協議会で大島議員が合併協議会の委員が発言している時に「おおじょう際が悪いぞ。」なんてやじっていた。私は合併反対派の人の気持ちが良く分からない。ほぼ1年合併について勉強し、真剣に話し合って来た委員がこの解散にあたり様々な意見を持つのは当然だろう。そして、その多くの委員が合併した方が良いと思っているのに、合併協議会を解散して合併をないものとすることに強く違和感を持っている複雑な気持ちをどうしてあんなふうに底意地悪く踏みにじらなければいけないのか。反対派は合併をひっくり返した達成感で意気高揚たるものであろうが、だから今後はどうするのさと私はその人たちの背中に問うている。合併を壊したのがそんなに嬉しいのか、その理由が私にはちっとも理解できない。
1日(火)
22400カウント
新しい月になった。去年から少しの間夢を見た。勿論ばら色の夢ではなかったが、変わる期待にちょっと胸が高鳴った時もあった。馬鹿な奴だと自分でも思ってはいたが、どうしたわけか私自身、額に汗をして働くほうへ、辛く悲しいほうへ、勝つより負けるほうへと身をおきたくなる。これが私の性かもしれない。私はうまく立ち回ったり出来ないし、自分を傷つけないように全力をかけないという生き様をできない。誠心誠意なんて生きかたははやっていないのに、心を込めて一生懸命にと自分に鞭打って生きている。

今は反省もしないで、忘れたい。心を空っぽにしていたい。「甘いよねとか、感傷に浸るな」なんて声が聞こえてきそうだけれど、器用に生きられないんだから仕方ない。少し、休もう。

でも、完全に考えるのをやめたり出来ない。うじうじと考えている。
入間市の市議会議員さんのHPをみたら、もう狭山市との合併は考えないとあった。前は、今回出来なくても4,5年したらまた考えると思っていたそうだ。でも、狭山市のあの傲慢な「入間市は貧乏だから、自分達とつりあわない」といった議論に辟易したらしい。それに、他のHpで入間市は今後今までの投資がきいて、まだまだ発展の余地があると誇らしげに市民が宣言していた。入間市は自力で生きることを真剣に目指すだろう。そして、いつか私達狭山市は入間市の繁栄を羨ましく見るときが来るような気がしている。

いや、狭山市だって行革を果敢に行って、一皮むけるかもしれない。でも、今の私は悲観的な見方しか出来ない。とにかく、今私には前向きに狭山市政を考える事が出来ない。きっと、合併に反対した中川浩さんをはじめ、共産党さんたちはき前向きに市政に取り組む意欲満々でいらっしゃる事であろう。今後への施策の提言がどのようになされるか、3月議会が楽しみだ。予算案をきっと反対するだろうが、これからは反対する予算案であれば、修正動議を出して、どのようなものが良いのか示してほしいと思う。きっと、行革に富んだ前向きの施策が展開される修正予算案だろう。議員提案するだけの人数はいるのだから、お手並み拝見したいと思う。彼らたちは反対の時、行革を進め、借金をしない市政を進めるといっていたのだから、対案を示してどうそれを実現するのかじっくり見させていただきたいものだと願っている。

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