私の独り言

今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。
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2002年
12月 私の独り事
12月31日(火) 昨日30日午後佐久の別荘へ来た。

今日は午前中うちの裏が雪で一杯だったので、子供たちとそり遊びをした。裏庭で自然の傾斜に沿ってそりすべりを楽しんだが、私は足が冷たくなってすぐにリタイアーした。夫は四十肩だといって、手が挙がらずにこれまたすぐリタイアー。子供たち2人で何べんも滑っているのを見て、幸せに思った。小さい子供を持っているのもいいもんだ。後、きっと1,2年でこれも終わってしまうなあ。

夕方、上越市に来た。まだ、親がいるし、喜ばれるしで毎年帰省する。年取りは、一家揃ってすき焼きを食べるのだが、今回は甥も息子もいないのでなんとなくひっそりとしていた。珍しく紅白歌合戦を聞いているが、誰が歌っているのかもわからない。いつもテレビはニュースしか見ないのだから仕方ない。

今年は、息子がアメリカに行くという我が家の重大事はあったし、お姉ちゃんの発作で心配し続けているけれど、まあ、爺婆4人とも元気だし、私たちも3度のご飯はいただけるしで、感謝して1年を終える事にしよう。皆さんの1年はいかがだったですか。来年は目標をしっかり持って頑張ろうと思います。来年もよろしくお願いします。良いお年を。
12月29日(日) 忙しかった。今日は新狭山福音教会で礼拝を守った。守るとはキリスト教用語で礼拝に授かったというか、礼拝しに行ったという意味で、神聖な行事を固い意思で保持しようとし続けていることとでも言おうか。新狭山からの帰りに、マルエツ前で議会が終わったので報告の街頭演説をした。郵便局によって本屋によって帰ってきたら何と2時半だった。それから、昼ごはんを食べた。

今日は日曜日だが、環境センターが開いているというので、ゴミを出しに行った。古新聞やダンボウルの箱を溜めていて自治会の回収の時に出そうとしていたが、時間がなくて出せなかったのを今日持って行った。それと燃えるゴミを少し。アメリカだとリサイクルの紙を出す時は、持込では無料である。市は回収量が少なくなるので喜ぶし、市民はリサイクルゴミも他のゴミ同様処理にお金がかかるので有料であるから、皆自分でリサイクルセンターにゴミを持っていく。(そうすれば、無料になる)

私は今回古紙を持っていって損したような気がする。お金を払ったからである。市に負担を掛けないようにすると、有料。古紙の日に委託料を払った業者に持っていってもらえば、無料。なんか釈然としません。今の制度は市民が自発的に何かをすると損するようになっている見たいに思ってしまう。

夕方、ジムさんの上司の方が入院されたところにお見舞いに行った。少しづつお元気になられたようで良かった。生きていてほしいと思います。祈っています。
12月28日(土) 忙しかった。10時半までに吉祥寺の教会に行ったのだが、その前に、夫を稲荷山公園駅まで送っていった。彼はアッシャーとしてお手伝いするから。息子はウサギの飼育当番なので、キャベツを持ってえさをやりに出かけた。最後の最後になって、あれがないこれがないが始まった。あ〜〜〜。

でも、とりあえず、式にはなんとか間に合った。子供たちは式の間も、その後のレセプションもとてもよい子にしていた。教会の子が何人か着ていたのが良かった。キリスト教といっても、いろんなお式があるのだと驚いた。私があずかったアメリカでの結婚式とどこが違うかというと、家族の交わりを強調した事だ。昔の“家制度”をすこし感じた。説教もすこしそんなところもあったし。後はとても心温まるレセプションだった。愛情に燃えている若いカップルっていいものだわねえ。

実は、私たちは自分達では何もせず、親任せの結婚式をした(日本でもアメリカでも)。すなわち、自分たちの好きなようには一切出来なかった。私は、ぼうっとしていてそんなもんだと思っていた。でも、今日の結婚式の予定は全部新郎新婦が立てて行ったのだそうで、立派だなあと感心した。私たち夫婦は第一子長男長女のカップルなので、人が何かをしてくれることに慣れているというか、自分から何かをするという気迫に掛けているのかもしれない。ちなみに、今回は第3子と第2子の結婚式だっただけに、自立性が高かったのだろう。とにかく、今日は疲れた。
12月27日(金) 今日は、とても忙しかったのだが、何かまとまった事をしているという感じがない。人に会ったり、郵便によったり、電気屋に行ってトナーを買ったり、事務所の整理をしたり、御通夜にも行った。あっという間に、10時半。もう何もする元気がない。その上、明日は友達の結婚式。

昨日も、あっという間に一日が終わって、寝ようとしたら1時だった。一日でいいから、ゆっくりしたい。何にもしないで家にいたい。29日から1週間楽しく過ごそう。それを楽しみに、後2日頑張ろう。
12月25日(水) 今日はクリスマスである。日本ではクリスマスには礼拝がない。会社がお休みにならないせいである。我が家では、クリスマスツリーの下にわんさか贈り物があったのだが、今朝皆で贈り物を開いた。子供たちは、直江津の叔父さんおばさん、おじいちゃんおばあちゃんの贈り物を開き、ついで父や母つまり私やジムからの贈り物を開いた。今年はサンタクロースは来なかった。子供たちは、もうサンタを信じてはいなかったが、本当に楽しみにしていたのだろう。大分がっかりしていた。可哀相かなあと思ったが、これからはお互いに贈り物を贈ることにしよう。

アメリカにいる息子は皆さんに贈り物をあげただろうか。贈り物を買いなさいとも言わなかった。アメリカからは弟達に何か送ってくるとは行っていたが、マーシャやジョンにあげただろうか。そんなことを朝心配していて、うちの子供に話した。家の子供は貰う事だけを考えていて、上げることを考えていないのは悲しいというような事を言った。

夕方、仕事から帰ってきた。ジムも7時ころかえって来た。そうしたら、子供たちが綺麗な花を持ってきた。私とジムとに贈り物だそうだ。二人で花屋に行って買ってきたようだ。綺麗にラップしてあった。 とても嬉しかった。自分のお小遣いから、綺麗なものを送ろうと言う気持ちが本当に嬉しい。今のところ、うちの子供はやさしく、人の喜びを喜べる人に育っているようです。何べんも言うけど、それが嬉しい。
12月24日(火) 今日は、朝ゆっくりしたら、すぐに10時。仕事だ仕事だと、事務所に行った。選挙用ポスターの打ち合わせをした。上品で、さっぱりした私らしいポスターになるだろう。キャッチフレーズはやはり“いたわりあえる狭山市”“たゆみなく、しっかりと”を中心にした。例え文字の字体や色にも自分が出てくるような気がする。強い優しさというののは矛盾していないと思うのだが、どうだろう。

夜は教会のキャロリング。楽しく歌うことが出来た。後でパーティーをして、いつものように終わった。明日こそ、クリスマスだが、もう終わったような気がするのはどういうことかなあ。
12月23日(月) 今日は朝から教会学校のクリスマス会だった。息子はモツ薬を送る王様、娘はマリアの役をすると言うので、ずうっと張り切っていた。娘も熱が下がって、劇に参加できて嬉しそうだった。教会学校のよさは、学校以外の地域の中で子供たちの居場所があるということである。いのちの樹教会は、ボランティアさんを募って、土曜の朝、キッズクラブという楽しい会をしている。これは、伝道の目的ではないけれど、多くの子供が遊びに来ている。

帰ってきたら、なんと1時半。昼ごはんを食べて片づけをして、洗濯を干して。すこし、横になったら、昼寝をしてしまった。5時過ぎにおきて、お風呂を洗い、夕ご飯の準備、夕ご飯と平凡に時間が過ぎていく。議会レポートの1ページ目を仕上げて、もうこれで寝ます。
12月22日(日) 今日は朝クリスマス礼拝だった。私はベルクワイアには行っているので、演奏した。礼拝後、愛餐会。これは英語で言うとパットラックパーティーという。私たちは、カルフールで買ったローストチキンを持っていった。割とおいしいのよ。結婚でいなくなる娘さんのさよならパーティーを兼ねていた。

夕方に議会が18日に終わったので、議会報告をヤオコー前で行った。恒例の街頭演説。忘れないでがんぱっています。

午後7時からは、今度はキャンドル礼拝。友達の娘さんが綺麗なトランペットを吹いてくれて嬉しかった。その後またティーパーティー。夕ご飯も食べずにお腹一杯。食べ過ぎて、疲れました。幸せな、幸せな2002年のクリスマスシーズンです。ジャステンのアメリカでのクリスマスはどんななのかなあと息子を思い出していました。一日一生ならば、今は人生の午後3時ごろ、夕暮れまではすこしある。楽しんで、いつくしんでこの時を過ごしたいと思っています。

2男が風邪のようです。あ〜〜。
12月21日(土)
3900カウント
今日は朝娘を医者に連れて行った。17日から熱を出していて、19日に医者に連れて行ったのだが、昨夜は38度も出た。5日も熱が引かないと心配で疲れてしまう。しかし、今朝は医院で熱を測ると36度で、ようやく峠を越したようだ。今日は多少元気も出て、食事もすこし進んだようだ。良かった。よかった。この2,3日誰か彼女についていたし、私も原稿書きをしたり、コンピューターで遊んだり、家に篭りきりだった。木曜日には生協の宅配で、食料も来たので、余りお出かけしなくても良かったのだった。

今日は土曜日なので、午後はジムさんが娘や息子に手伝わせて、クリスマスツリーを出した。こんなに遅くクリスマスツリーを出すのは珍しい。今年教会は忙しいとは思わなかったのだが、土日になると、常に何かが行われていて、家庭でゆっくりする暇もないのだ。家に帰ってくると、つかれきってしまって。

夜は、ホライゾン教会に行った。キャンドル礼拝だった。魂が揺さぶられるような説教が聞きたいと思う。長い間クリスチャンでいると、いろいろな牧師の説教を聴く。すこし、マンネリになっている。この精神的な疲れをなくし、もっともっと活力を感じられ、魂の喜びを感じるそんな時がほしい。クリスチャンはこんな状態を心が飢えているというのだが、本当に私の心は飢えている。
12月20日(金) 昨日支援者の方からスキャナーつきプリンター・コピアーを借りて、ソフトをインストールしたり楽しく過ごした。リーフレット、公選はがきの編集などをしてみた。時間がかかりますね。でも、このようにしながら、技術を上げて行っているのよね。

という事で、リーフレットをサイトアップしました。ちょっとファイルが大きすぎかもしれない。後で夫に見てもらおう。こういうとき、コンピューター技師が家にいると何と便利でしょう。皆さんもトップページの“リーフレット2002版”をご覧ください。
12月18日(水) 今日は、議会最終日。私はいくつかの反対討論をした。ひとつは例のサピオの実質料金引き下げに対する反対。もう1つは、小学校1年生定員30人学級の請願を継続審査にする事についての反対討論。後でその討論の原稿を掲載しておきますので、興味のある方は読んでください。ご存知のように、私は原稿をそのまま読むことはありませんので、多少議会の発言と違うところがあります。

今回、サピオの件は議会の皆さんはかなり理解を示してくださいました。財政の悪化が深刻であることが良く分かってきているのです。(それと同時に、まだまだ市長裁量の余地も、改善の工夫の余地もあると思いますけど。)

2件目は、請願の内容に踏み込むなという事でしたので、議会の請願対応について、反対の立場を表明したものです。私は、市長が政策として取り上げようがどうだろうが、議会としてこの時期にはっきり態度を示すべきだったと思います。採択しか方向はないのではないかと思いますけど。テクニカルには、来年度、英語教師を入れると言う事があり、30人学級への予算を取る事は難しいと思うので、今年採択し、実行すれば、子供のためになると思うのですけどね。反対討論を“変な事を言ったらとめるからな。”と釘をさされていたのですが、何事もなかったところを見ると、まあ、きっと徐々に私の言った事を理解して貰えたのだと思います。

議会は閉会した。ほっとしている。議会レポート、ネットニュース、報告書が待っている。年末の掃除は最小限にしようと思う。
12月17日(火) 今日は午前中に市街地整備促進特別委員会があった。特に西口再開発について、報告を聞き質疑した。財政の話が多かったようだが、財政事情なんて前々から分かっていた事だ。9月議会に私が行財政改革と西口開発を一緒に一般質問した意味を議会の人は理解していなかったのだろうか。私は、行財政改革をすれば、絶対西口再開発資金を出せるという結論を持った。その上、小学校跡地を有効利用していけば、すなわち、西口開発資金をそこで生み出す算段をすれば、この事業は成り立つ。もちろん、数年間は苦しい思いをするに違いない。でも、街をよくするためには、苦労を積む事も必要だ。

我が家だって、倹約している。なぜなら、家を買ったからだ。ローンを払うためには、すこし不自由でも仕方ないじゃないか。市でも同じだと思う。市の財政、420億を420万と考えてみよう。ある年40万円の出費があるとしたら、他の買い物は出来ない。4,5年我慢しなければならない。それがいやなら、他の収入の道を考えればよい。普通はお母さんが働き始める。何か付加価値をつけて、売ったり、お金持ちの税金を払ってくれる企業を誘致したり。市街化調整区域の固定資産税は低いので、ここを市街地にして、固定資産税を増やす。(そのためには、多少の投資もいるかもしれないけど)工夫できるのではないかと考えています。

今日、小学校跡地を売ってはという話があった。私は、それでよいと思う。自分で資金のめどまでつけて、開発をするという積極性を買います。財政を整える事は本当は再開発事業当局の仕事ではないはずだけどね。開発最前線ががんぱっているのに、不退転の覚悟なのに、いまさら金がないから出来ないなんて誰が言えるの。同じ議論になるから止めるけど、お金は作り出すのよ。知恵を絞ってね。

これからはすごく極論で、ありえない話だとは思うけど、もし、この西口再開発が出来なくなるとしたならば、私は狭山市は他の市と合併したほうがよいと考えます。全体としては狭山市は良い市だとは思うけれど、16万市で役所のある駅前開発の事業ですら推進できないようでは、自立した行政力を感じません。私はどっちかというと、合併反対論者なんですよ、本当は。でも、出来ないなら、考えを変えます。
12月16日(月)
3800カウント
昨夜は英語礼拝のクリスマス会だった。ターキーを食べ、ゲームをし、楽しく遊んだ。午前中は普通の礼拝。

今日は、午前中にがん検診に行った。結果は来月分かる。今日これから、狭山市の議会だよりのための原稿を書く。そのあと、出来ればサピオのトレーニングルームの実質値下げに反対する討論原稿を書こうと思っている。300円から200円にトレーニングルームの使用料金に値下げするというのが、議案の中身なのです。

驚くなかれ、アンケートの結果、トレーニングルームを使っている人の50%超は入間市民である。運営費2億5千万円使っている。全収入は8千万円。民間では大赤字です。それなのに、なぜ今回実質値下げするのだろうか。いつも議会の答弁で、金がないという話が出るのに、なぜ今頃値下げなの。

150万円の収入減を見越していて、減収を抑える手立てをしない。私はこの体質を何べん批判した事だろう。この150万円をサピオのトレーニングルームを使わない狭山市民が今後負担するという事になるのだ。おかしくない?極論を言えば、入間市民の料金を安くするために、狭山市民が税金で使用料金を補填するなんて。基金を増やすにも計画も立てられない財政状態。それなのに、私の提案した行財政改革にも手が付けられていないのに、実質値下げを敢行しようとするなんて、私には理解不能だ。

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