私の独り事 2003年
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今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。
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7月 私の独り事
7月31日(木) 今日は朝11時から財政の勉強会。財源が乏しくなると財政課長も大変であろう。でも、何とかしなければ。明日は、行政改革について勉強会をもつ。そのあと、PFIについても、勉強しようと思う。

午後は、障害者地域支援計画の検討委員会会議の傍聴に浦和にまで出かけた。勉強会を12時半までしていたので、遅れ、浦和駅からタクシーで商工会議所にかけつけた。それなのに、会議は午前中で終わっていた。アジャパーであった。疲れ気って帰ってきた。
7月30日(水) 今日は、朝から全員協議会があった。斉藤哲夫さんが繰り上げ当選した。昨日、認定され今日から参加。彼が入って、またまた会派が変わった。私は以前と変わらず、無所属である。無所属は私一人になった。今まで通り誠実に一生懸命仕事をする。

午後は、視察の日程作りや勉強会の日程を組むのに忙しかった。明日から、がんがん勉強だ。我ながら、気が違ったかと思うようなスケジュールをこなす。秋は秋で忙しいし、充実している。勉強したい事は山ほどある。個人情報保護条例も少し勉強をしなおさなければ忘れてしまっている。PFIについても学ばなければならない。本当に困った。次から次に課題が出てくる。
7月29日(火)
6400カウント
今日は、朝から娘がキャンプに行くので忙しかった。夫が車を整備に出してくれたので、安心して運転できた。息子のブラスバンドの練習が終わった12時過ぎに、娘の友達を迎えに行き、松原湖バイブルキャンプ場まで送り届けた。

小諸まで高速で行き、途中、息子を小諸駅に下ろして、直江津まで電車でおじちゃんの所まで行かせた。長男の時は5年生から一人旅をさせていたのに、末っ子になると甘くなって、6年で始めての一人旅である。本人は「怖いなあ」と言っていたが、「口があるから大丈夫よ。分からなくなったら駅の人に聞きなさい。」といって、分かれた。松原湖に着いたころ、彼から電話があり、間違ったところで降りてしまったそうで心細そうだった。結局、1時間ほど遅れてから、直江津に着いたようだが、よい経験だっただろう。おじいちゃんとおばあちゃんはハラハラして待っていたようだ。

私は、佐久市の別荘を見に行って、異常のないのを確認し、いつも行く杏子亭でラザーニアを食べて帰ってきた。1時間半ぐらいで家に着いた。渋滞が全然なく、雨も降っていなかったし、車の調子もとてもよかったせいである。いつもなら、別荘で避暑をしているところだが、暑くないのだから避暑にもいかない。来週は木曜日まで忙しい。金曜日になったら、別荘に行こうと思っている。
7月28日(月) 昨日の夜に、新市長が決まった。やはり仲川さんが勝った。どんな得票になるかと思いったが、うなずけるだけの得票だった。投票率が36%だそうだが、本当に燃えない選挙だった。たくさん電話をいただいたが、結局私はどちらに投票をと言わなかった。私がどちらかに肩入れすれば、公平なスタンスで議員は出来ないと思ったからである。

仲川さんは少なくとも、私が掲げたマニフェストのうち、3つはやってくださるそうであるから期待することにしよう。お爺ちゃまでいらっしゃるのですから、子育てにも力を入れていただきたいし、教育にも力を注いでいただきたいものである。公平、公正とおっしゃられておいででしたので、派閥に振り回される事なく、しがらみにとらわれることなく頑張っていただきたいものだと思う。

今回の選挙は思うことがたくさんあった。胸にしまっておこう。スケジュール的には楽な1ヶ月であったが、中身が濃い一ヶ月だった。

ジャステンの卒業証書をいただいてきた。事務室で封筒に入れたのを持ち帰ったのだが、車の中で開けてみた。胸がいっぱいになった。とうとう息子は飯能高校を卒業した。門を出る時に、もうこの高校に足を運ぶ事もなくなるんだなあと感慨にふけった。子供がまた一歩親から離れて言ってしまったような寂しい思いがした。一方で、いつジャステンが帰ってきても日本の社会に復帰できる切符をもらったような安堵の気持ちもわいている。彼はどこでどんな生活を送るようになるのだろう。神様に忠実に生きて行ってくれればよいと願っている。
7月27日(日) 今日は、朝礼拝に行き、そのまま帰ってきた。新しい週の始まりだが、気持ちは持ち上がらない。

30日全員協議会で新市長挨拶。8月5日、臨時議会で議長選出となる。今日、市長選挙のポスターを見ながら、ちっとも新しさのない顔ぶれにつくづく見入ってしまった。大勢はすぐ決まるだろうが、どちらの方になろうとも是々非々の立場をしっかりとっていこうと思う。この立場をとるには強い意志と高い志がなければ貫き通せない。しっかり議員をしようと思う。
7月26日(土) 今日は朝のうちに家事をして、看板を立ててといっていたらあっという間に昼になってしまった。午後1時ごろからは、面会時間だろうと事務局長がちょっと入院していたので、お見舞い。次に中央公民館で用事を済まそうとしたが、館長がいず、図書館で本を読んで帰りにサティーで夕食の買い物をして帰ってきた。

今日は、息子がキャンプから帰ってきたので久しぶりに4人で食事した。その後、笹井の盆踊り、広瀬の盆踊りに行った。笹井はどうしても気持ち的に故郷です。子育てをしましたからね。知っている人も多いし。

でも、私はやはり広瀬の議員だし、子供もまだ育てているわけだから、広瀬でしっかり根付かなければならないと思った。広瀬地区の民謡踊りの人が少ないのに驚いた。私は小さいころ、藤間流の踊りを習わされた事があって、踊りが好きだ。民謡踊りのサークルに入ろうかなあなんて思った。体にもよさそうだし。もしかして、フラダンスよりも安上がりかもしれないし。(どうも主婦はそんな事が頭によぎります。月会費が高ければいけないなあ。)

男女共同参画条例ミニフォーラムを開きたいと思っている。誰を呼んでいつするか、張り切って取り組みたいと思う。11月初旬はどうだろうか。出来れば、条例勉強会主催か公民館行事として開催されるとよいのだけれど。皆さんのお知恵を貸してください。ところで週2回、中央公民館が保育室を開放し始めた。よいことだなあと思う。保母さんのボランティアがいればもっとよいのだけれど。どうでしょうか。
7月25日(金) 今日は、朝、飯能高校に行き、息子の卒業証書をいただこうと思ったが、先生がお留守でいただけなくて残念だった。しかし、面倒な事をしていただき(手続きなど)お世話になった細田先生や飯能高校の方々には本当に感謝です。今日の事務の方の対応も大変親切で感謝です。

午後は、支払いを済ませ、JTBで視察の行程をくみ、予約をいれてほっとした。8月19日から2泊3日で北海道で障害者福祉を視察する。特に知的障害者の生活支援や福祉工場に興味を持っている。今から楽しみです。でも、一人で行く視察ですから、今から体調を整えたり、キャンセルなどのご迷惑をおかけしないように緊張しているところです。その後、8月の前半に公民館視察をする日程をお願いしてきた。私の議員生活に拍車がかかり始めた。

9月議会は出来れば、障害者福祉、男女共同参画条例、もしかして、公民館の運営についての3本立てにしようかと思っている。質問したい事はたくさんある。たとえば、ホームレス関係のこと。西口再開発事業のこと。子育て支援のこと。ファミリーサポートセンターの事など。福祉公社だって本当の事をいって私にはその意味がぜんぜん分からない。社会福祉協議会と公社の関係も私にはぜんぜん分からない。何で公社は財団法人なんだ?勉強が足りないのだから、今後良く勉強して質問しよう。そうそう、民生委員さんからもいろんな思いを伺っている。それの解決ってあるのかなあ。議会を通じ、しなければならない提案は山のようにある。

楽しみながら、市民のお役に立ちたい。趣味も頑張りたいが、何をやったらよいでしょうか。ご提案お願いします。
7月24日(木) 今日は、朝から、本を読んではごろごろしていた。漸く、午後になって役所に行き、いくつか用事を済ました。柏原地区の方からの行政相談について、道路課で聞いてきた。少し、進展があるそうだ。良かった。私は地域に根ざした相談にも真剣に取り組んでおります。市民のご意見は大切ですからね。

視察の準備をしたりして、帰ってきたらもう6時過ぎだった。夕食を娘と食べてから、娘の洋服を買いに行った。中学生の服って本当に難しい。大人の女服は大きすぎるし、子供服はサイズが合っても子供っぽすぎる。中々見つからなかった。やっと見つけて買ってきたら、10時過ぎていた。

最近は夜遅くまでのお店が多くなった。便利になったが、あそこで働いている人たちの生活はどんな風なんだろうと思った。生活のリズムが昔と変わった。価値の多様性というが、生活のリズムが多様になってしまった時に同じ価値観で同じ行動をするなんてことが出来なくて当然だと思った。

息子の同級生が働いていた。昼は学生して、夜はバイト。大変だろう。頑張ってね。
7月23日(水)
6300カウント
今日は、朝息子をキャンプに送った。3泊4日。アウトドアキャンプだが楽しめるとよいが。お兄ちゃんはアウトドアのほうが神様を感じられると言っていた。

午後は、車を修理に出したりして、足がないので、本を読んだりしてすごした。夜、夫が送別会に行くと言うので、武蔵藤沢まで連れて行った。帰りに、イオンという新しいショッピングセンターに行ってきた。はっきり行って面白くない。私はカルフールのほうがいいなあ。イオンは単なる大きなスーパーマーケット。カルフールにはコンセプトがインターナショナルというところがあり、興味が尽きない。それにカルフールのほうが安いような気がした。こんなに超大型ストアーがあちこちに出来て、それぞれが儲かっているのだろうか。

明日は役所に行って、視察の準備をする。狭山市の公共施設で視察をしていないのは、公民館だ。個人的にはほとんどすべてを見ているが、公民館の貸室の料金免除について、議論が分かれると思うがそれぞれの仕事と経費との関係を良く調べてみたい。この前、柏原公民館に行った時、公民館の職員と市の職員、それも主幹級の人が永い間、タバコを吸っていた。何の話をしているか分からなかったが、私の友達は、苦々しそうにそれを見て、公民館の職員の数が多すぎると言った。料金を取る(免除しない)としたならば、職員の数も含め経費削減のことも市民に言わなければ。市民には負担をしてくれ、私たちは経費削減の努力はしない。それではすまないでしょうからね。
7月22日(火) 昨日、車で松本まで行った。今日午後帰ってきた。信州大学化学学士会の総会があったのだ。私が大学を卒業して30年になった。また、松本にはこの17年間行かなかった。お誘いのメールが入っていたので、今回出かけてきた。

教授ともお会いした。皆さん退官なさっていた。あのころ、助手の方々が教授におなりになっていて、私が言うのは変な感じだが、皆さんご立派におなりになってと思った。私は理学部5回卒業ですが、もう30回生が入学しているのだ。学士会が出来て40年と言うのも、長いなあ。

でも、高田高校同窓会はなんと130年ほどの歴史があるので、それに比べればたいした事ないか。高田高校の先輩方は、非常にノーブルな方もいますので、私たちまでがお上品にと自粛するようになっております。(そうだよね、明美ちゃん。え、あなたはそうおもっていない?私は上品を心がけていますけどね。ちょっと付け焼刃なところが玉に瑕で、そう見えないところが情けない。)

あ〜〜、松本は田舎町なんかではなくなっていた。あの、小沢征治様の斉藤記念オーケストラが毎年演奏する、しゃれていて上品な街に変わっていたのだった。私が入り浸ったジャズ喫茶はなくなってしまっていた。(当たり前か)通りの名前も忘れ果てていて、歩きながらため息をついていた。でも、歩いていると思い出を思い出した。夜お城に行ったのだが、コンパの後、我が物顔でここに来たなあとか。この店は私たち理学部5回生化学科の学生が始めてコンパをしたところだとか。初めて、ジントニックを飲んだ店だとか。

Sweetというパンやは、松本で一軒だけフランスパンを焼いていて、よく買いに行ったものだ。とうとう、シネサロンという小さな映画館を見つけた。20席ぐらいしかない小さな映画サロンで毎週違う名画を上映するところだった。私は、暇を見つけては、と言うよりは学校をサボってまで映画を見たものだった。隣が洋画館で映画のはしごだってした。懐かしくて、レイトナイトショウをするというので、シネサロンで映画を見てきた。名画で格調高かったと思うが、1800円にしてはつまらなかった。(私の文化程度が下がってしまったのかもしれません)

思うに、松本は信州大学の学生には優しい町だったなあと言う事です。政治も含め(70年安保の年だった)、なんと形而上の世界を楽しんだ事だろう。城下町のせいで、文化には事欠かない。同窓会後、教授とお茶をしたのだけれど、雲の上でお暮らしあそばしているって感じ。でも、それがとてもとても懐かしく、ちょっぴりスノッブで退屈でもあるんだけど、私の世界(と言っても、昔の世界なんだけど)が壊れずに残っていたっていう気がしました。いつか、あの世界に帰ることができるかしら。夫はきっと大好きな世界だと思う。人生に思うことが、音楽や山登りやおいしい食事やきれいな美術鑑賞だけなんて世界がまだあるのよ。信じられないでしょ。

今日は、信州大学キャンパスを歩いてきた。同じ場所にはあったけど、全く違って何がなんだか分からなかった。ビルの色すら違っていたのです。今は理学部は3棟に分かれていました。私たちの時には大学院がなかったので、私は奈良女子大学の大学院に行ったのです。それなのに、今は博士課程まであるのですから、うらやましいなあ。教養部がなくなっていました。人文学部が県の森から引っ越して来ていました。学生さん達が可愛くて非常に素直に思えました。それでも、研究室の実験をしているのを見ていたら、今私が学生になったらもっと真剣に楽しみながら研究できるだろうなあと、思いながら帰ってきました。

帰りに、下宿の叔父さんと叔母さんに会ってきました。なくなられたかと思ったら、92歳と94歳でお元気でした。もう、下宿はしていないと言う事でしたが、それでも2人で生活しているとの事でした。寄って行きなさいというのをお断りしましたが、これが最後かなと思いながら、かえってきました。

今回は一人で松本に行きました。青春の影を探していました。若い時に会いたかったのに、そんな感傷を松本は許してくれませんでした。次に松本に行く時は、思い出に浸りに行くのではなく、松本のよさを楽しみにいけるようになりたいと思いました。子供たちを、上高地に連れて行こう。美ヶ原を歩いてみよう。浅間温泉に入れてやろう。そんなことを考えています。
7月20日(日) 今日、もう記者発表も終わったのだから、言っても構わないでしょう。実は彩ネットでは、坂東真理子さんを知事候補として推薦する事にした。彩ネットの運営委員(私もその一人である。)が羽田空港まで坂東さんをお迎えに行き、出馬の要望書を渡した。

坂東さんについては誰かなんて事を言う必要はないと思う。私たち彩ネットだけでなく、多くの方々が応援したいと思っていると思う。多くの推薦をもらい坂東さんが出馬へと決心なさる事を願っている。

推薦するには本当に決意がいる。少なくとも私は狭山市内のポスター張りぐらいは自分の手でする覚悟を持っている。さて、事態はどのように転んでいくのであろうか。政治は本当に水物だ。自民党や民主党がどう動くだろう。う〜〜〜ん。
7月19日(土) 今日は、朝から叱咤激励、しかりながら(誰を?誰が?)息子の部屋の片付けをした。11時ごろには、奥富までごみを運びに行った。その後、カルフールで昼ごはんを買ってきて食べたが、またまだ片付かず、7時ぐらいまで続けた。今日はグリーンハイツの納涼祭。遊びに行って、友達にたくさん会って、嬉しかった。今は、市議会議員への招待もない。だから、義理とか何とかではなくて、多くの友達にあえるので出かけたのだ。たくさんの人と会ったし、挨拶してもらった。嬉しいと思う。入院していた知人も元気そうだった。グリーンハイツは本当にコムニティになったと思う。人々の顔がわかり、関わりをいとわない。すばらしいなあ。

私が議員になって4年と3ヶ月になる。漸く仕事の楽しさが分かりかけている。私は地元密着、どぶ板議員という感じだが、それに本当に誇りを感じる。市民の議員でいよう。

もう一つ、事務所のスタッフにも感謝している。もちろん、お掃除をしてくれるSさんにも。事務局長の奥村さんとは法律上はまさに一身同体のように捕らえられる。彼女のすることは、すべて私の責任であり、私がやりきれないから彼女に代理でしてもらっていると言う事になる。公職選挙法で縛られに縛られている私と一身同体では、奥村さんにはとても負担だろうと思うが、よくよくやっていただいている。いつも話をしながら仕事をしているが、決定はすべて私がするようにしている。そうでなければ、彼女は責任の重さで大変だろう。彼女が市議会議員としての私の姿を一番知っている人かもしれない。その悩みも苦しみもはたでみているのもつらいんじゃないかと思っている。批判もせず、ただただ受け入れて、聞き役に回っているのはどんなに大変だろう。本当の意味で支えてもらっている。この人には理解していてほしいと思ってしまう。きっと私の仕事に関しては夫以上に私を知っていると思う。

もう一人のスタッフYさんと奥村さんとのすみわけもしっかりしている。Yさんも知らない世界に飛び込んでもらったのだが、良くやっていてくれる。彼女の怖がらないところがよいと思っている。

公職選挙法の下で政治活動をしているわけだが、一歩間違えば違法ということになる。もし違法ならば、それには罰則がある。だからこそ、緊張感が抜けない。今日の新聞で社民党の土井さんの秘書だった五島さんが逮捕されたといっていた。奥村さんにしてもYさんにしても、「秘書じゃないのよ、事務長よ、事務員よ」と言っている。けれど、事務をしながらもどんどんよい意味で彼女たちの腹が据わってきているのを見ると、本当に頼もしくなる。細くともよいから、ずうっとスタッフでいてくれて、同志として支えていてほしいと願っている。この2人がいる限り、市長選挙にも出れそうな気がする。そんな気がするほど、心強い事務所のスタッフである。
7月18日(金) 今日は、事務所で朝から仕事をした。明日から夏休みになるので、スタッフと昼食。久しぶりにのんびりした。もう気負わないように生きたいと思っている。だからといって、手を抜くと言うわけでは決してない。人が何を言おうがどう思おうが、ゴーイングマイウエーを通そうと思う。自分の好きな道を選ぼうと思う。いいやこれでと思われたらよいではないか。

市民の代表という考えを捨てようとも思う。そう思うと気負いが出る。私の問題がみんなの問題だと思っていよう。出来ない事は、出来ないといおう。無理をするのを止めよう。そんな事を考えている。
7月17日(木) 今日は、あちこちに電話をしたり、たまっていた事務を午前中にこなした。さて、出かけるかと思ったら息子が帰ってきた。昨日で給食が終わって、今日からはお昼がいる。素麺を大急ぎで作った。息子は昼ごはんを食べた後すぐに、友達の所に遊びに行った。

このごろ本当に物騒だ。息子と同じ小学校6年生の女の子供が見つかってよかった。長崎の事件の加害者は娘と同じ中学校1年生だった。どの事件もなんだか性が絡んでいるように思える。去年、中学生にセックスについて教えるのは早すぎるという議論が国会であり、なんと時代錯誤なのだと思ったものだが、つくづくそう思う。"LOVE  AND BODY”という冊子が国会でつるし上げられたが、読んでみればどうって事はない。子供のことをよく知らない議員が現実を無視して古い道徳観を振り回して、子供が救われるならそれでもよいが、子供が性のことを知らなかったり、理解が足りなかったりで性犯罪を起こしたり、性犯罪に巻き込まれるのは本当に悲しい。

大人にとって気恥ずかしいが、きちんと小学校高学年から性、性行為、性のもたらすものなどの教育をするべきである。今の性教育はあまりにも広義すぎる。直接的になっても仕方ないから、きちんと教えるべきだと思う。

髪の毛を染めた。赤く染めたらと言うアドバイスがあったが、おとなしい色にした。私は本質的に穏やかなのかもしれない。誰、うそ〜〜なんていっている人は。
7月16日(水)
6200カウント
今日は、午前中があっという間に終わってしまった。午後は男女共同参画条例勉強会だった。少しづつだが、着実に基本法、県条例、新座、川越、桶川市の条例を比較しながら読んでいる。法律に詳しい方がいたりするのでありがたい。もっと、元役人で条例や法律に詳しい方が参加されると嬉しいのだが。男性も参加しているんですよ。もちろん女性の参加を歓迎します。次回は9月の第3水曜日、中央公民館での予定です。

勉強を終えた後、雑談に入ったのだが、私の周りにはいろんな方がいらっしゃるので驚いてしまう。月曜日に報告会をした時、支援者の一人が「どうして久美子さんはいろんな人を知っているの?」といっていたが、それは私がいろんな傷を持った人のそのつらさを受容できる何かを持っているからかもしれない。私がその方々のために、議会を通じていろいろな事をしてあげられるとよいとつくづく思う。

今日の話は児童虐待の話だったが、児童虐待の傷跡が長い間ずうっと被害者を苦しめるかを知り、愕然とした。無抵抗の子供を虐待する大人に本当に激しい怒りを感じた。虐待は防止するのが一番だが、虐待する親から早く引き離してやるのも大切な事だ。早く発見してやる努力が必要である。今日の知人の怒りと悲しみに心から共感した。
7月15日(火) 大学に行く事は私にとって当たり前の事だった。高田高校の私のクラスでは全員が進学したせいである。今日、市長候補らしい方々のプロフィールを見たら、大学にいらっしゃらなかった事が分かった。私は俗物なので、なんだかショックだった。ご両人とも狭山市の有数な名家の出でいらっしゃると聞いている。何で大学に行かなかったんだろう。私は俗物なんだと思うが、狭山市の市長は大学を出ていないのかと思うと街の格が下がるような気になる。きっと田中角栄さんを首相にいただいた時の、俗物官僚の気持ちもこんなだったに違いない。

私は知っている。人間の格は本当は学歴で決まるのではない。品格は見識の高さや志の高さで決まるのだろう。ご両人には、狭山市に対して、高い見識や志を持っていただいて、街の格が下がったと言わさないすばらしい狭山市の形成に頑張っていただきたいと願う。

私は、本当に常識に縛られてすごしている。そんな自分を取り外してくれるのは神様だけなのに、本当の意味で神様に従って生きていない。限られた小さな自分に飽き飽きしている。(業務連絡:本当にごめんね、Yさん。)
7月14日(月) 今日は午前中、広瀬公民館で盆栽教室と議会報告会を行った。私たちの報告会としてはかなり盛会であった。楽しく、素敵な盆栽を作れたと思う。今日は私たちの分がなかったので、人の作るのを見ていた。先週はミミズで「きゃあきゃあ」言っていたのだが、今回の人々はぜんぜん平気で盆栽を作っていた。先週作った盆栽はまだ家の玄関の前で生きている。

議会報告はやはり市長選の話、合併、一般質問の事などに話が及んだ。1時間半にも及んだが、1時には学習室を返さなければならないので、残念ながら終わりにした。皆喜んで帰ってくれた。毎回、地道に議会報告会をしているが、楽しくてとても嬉しい。来てくださった方々には感謝だし、変わらぬ誠実さで支援してくださり、今回も指導をしてくださったSさんにはスペシャル感謝である。

昨日から今日にかけて私は自分の心が分からなくなった。頭でするべきことと思っても、体がついていかない。理性が言う事に、感情が追いつかない。足を一歩踏み出せない。名誉、地位、お金のどれも私にとって一番ではない。神様が一番の私である。神様がおっしゃられる事に今まで、勇気を持って行っていたつもりだった、今日までは。でも、「神様、私には出来ない」とお詫びした。御心がそこにあるだろうと思うのに、出来ない。いやなことだけに、勇敢に真正面から取り組むべきだと分かっているのだが、できない。

私には出来ない事があったのだと思うのは、自分にとって悲しい発見だった。私は前向きに一生懸命生きてきた。神様に喜ばれるように生きようと思ってきた。それが出来ないふがいない自分と向き合わなければならない時に、感情的な混乱の中にいる。整理がつかなく、苦しい。これが私だと思うが、つらすぎて今は考えたくない。なぜ出来ないのだと自分に聞いても良く分からない。信仰が足りない、神様を信じきっていないのかと言われれば、そんな事はないと答える。神様を信じ、信仰によって生きていても、「神様、私には出来ません」ということがあるのです。神様に許しを請うだけです。
7月12日(土) 今日は、早祈会に行った。聖望高校のために祈った。入学者が少なくなり、キリスト教主義をしっかり保つのは難しそうだった。

午後は、車で川口市民球場まで飯能高校野球部の夏の試合を見に行った。なんだか、同窓会のようで、多くの卒業生、卒業生の親に会った。嬉しかったが、昨年の思いがどっと押し寄せてきた。飯能高校は今年も1回戦で負けた。昨年も1回戦負け。悲しくつらい経験だった。親にとってもあんなにつらかったのだから、子供にはどんなに大きな挫折の経験だろう。まだ、それから立ち直っていない子供もいた。「頑張って、人生に前向きに生きてね」って声をかけた。野球を続けていくのも、やはり難しいらしい。草野球ですら、続けていられない。あんなに頑張って練習したので、楽しく遊ぶ野球ができなくなってしまうのだ。

高校野球はある意味でとても罪作りだ。野球が終わって、すぐに次の道をいける子供なんてホンの一握りなんです。特に、精神的に。親ですら、夏の大会の突然の終わりに、人生で取り返されないもの、途切れてしまうものの無常さに押し流されてしまったのだから。私は昨年1ヶ月ぐらいすぐに涙を流していた。

お味噌汁とサラダを作って、後はカルフールのお寿司とサラダで済ました。今日もため息がたくさん出た日だった。
7月11日(金) 今日はちっとも面白くない。何をしても、のれない。きっと、体が悪いのかもしれない。ため息ばっかりだ。湿気がいっぱい。今日は蒸し暑かったし、体が疲れやすく、からっとしない。できる限り横になっていたい。もちろん、そんな暇はないのだけれど。

今、いろんなところで夢を語り、将来を語っている。何ができるか、何ができないか分からないけど、とにかく、夢を語っている。夢を実現する筋書きをインキュベーターの所長さんにお願いできたらよいのだけれど。起業家に誰が力を貸せてくれるんだろう。インキュベーターのコンサルタントがそれをしてくれないのだろうか。起業できないのなら、しなければよいのだし。抱卵器だよ。やさしく、親切に包み込むように、起業家に接してほしい。機械作るだけが起業ではない。ふにゃふにゃしているアイディアをコンクリートにしていく支援をインキュベーター施設では何をしてくれるのだろう。

貸館にしてはいけないと言った。そして、インキュベーターの成功の秘訣は支援のソフトだと私は言った。図を描いた紙を渡されたが、私にはまだ良く分からない。どこを基準にインキュベーター施設に入れる企業を選んでいるのか。インキュベーター施設もとにかくクエスチョンマークが私の頭の中にぎっしり詰まったまま、視察を終えた。
7月10日(木)
6100カウント
今日は朝、議会事務局に行って視察の計画を立て直した。障害者のための地域作りが私の課題で、障害者にとってどんな狭山市にすればよいかを考えている。障害者生活支援センターがあるが、誰がそれの恩恵を受けているのだろう。障害者就労支援センターを作ろうとしてはいるが、ちっとも検討委員会ができたと言う話を聞いていない。私自身も、障害者が地域で生きていける模型が描けない。知的障害者で療育者手帳のCの人が授産施設の3万円をもらってどうやって生きていけばよいのだろう。B以上は障害者年金が入るからどうにかなるだろうが、障害者年金もない、仕事にも就けない、知的のCの人たちはどうやって生活できるでしょう。

普通の会社がそういう人たちを雇ってくれるとよいのだけれど、だんだん就職が厳しく、首切りはこういう障害者から始まっている。ホームレスにならずに生きていかれる手段はないだろうか。悩みながら、考えている。本当は、北海道の伊達市を視察したかったが、難しそうである。次は愛知県のコロニーを見に行こうかとも思うが、実際はそういうところではなく、地域に障害者が溶け込んでいるようなところをモデルとしたいと願っている。生活支援と就労支援をどうするかという事が問題なのだろうと思う。

自分が良く見えてきている。私は何かを追っかけていなくては気がすまないのだ。そして、その仕事の多くが自分のためと言うより、他の人のため、他の人が喜ぶ事なら本当に嬉しいのだ。神様に喜ばれるようなことをして一生を終えられたら、私の人生の意味があるだろう。神様に祈りながら、求めながら人生を送りたい。
7月9日(水) 今日は、午前中原稿を書き、午後から印刷した。将来の計画のために友達がやってきて話をした。最近はどうも前向きに足を出すのが億劫になっている。「市議会議員だけやっていればよいさ」とは思うものの、一方ではそんな事を考えていては自分が腐っていくようにも思われる。二期目の迷いかもしれない。

少し、趣味もしたいと思っている。市議会議員活動だけに集中していると、どこか煮詰まってしまう。余裕がなくなる。いろんな民族の会のように、楽しめて自分らしくしていられる場所がほしい。何をしようかな。何ができるかな。今日の食事は、サーモンのホイル焼き、しいたけとにんじん、たまねぎのオリーブ炒め、冷奴。それに昨日の残りのカレー。ちょっと豪華で、お味噌汁が食べ切れなかった。
7月8日(火) 今日は、朝議会で作った合併検討会に出かけた。私は委員ではないので傍聴。今日は説明を聞いたが、この前の資料を丸読みしただけのような気がする。今ある資料はあれ以上でも以下でもないと言う事か。

私は合併は仕方ない、やるからには17年を目指すべきかなあと思うが、区画整理事業の残りが入間市400億、狭山市96億なんて聞くと特例債を入間市の区画整理事業に使われちゃうのかなあなんて空しい思いもある。実際のところ、狭山市の市民には合併したところで、すぐにメリットがあるわけではない。では、何がメリットか。新しい市を作る事で、権力構成が変わり、市が活性化される点が大きい。とにかく、合併をしてもよいが、それまでに狭山市としてはできる事をすべてやっておくことだ。狭山市駅西口再開発にさっさと着手すべきであると思う。子育て支援策も早く着手すべき。保育所、幼稚園のこと必ず早くに結論を出すべし。

その後は中学校の成人教室、授業参観、懇談会に出席し、帰ってきたらもう5時半でした。

今晩の献立は夏カレー、ポテトサラダ、味噌汁でした。おいしいと息子が言っていました。
7月7日(月)
6060カウント
今日は、朝10時から初心者のための盆栽教室と議会報告会を開いた。中々楽しくった。盆栽を私たちのような普通のおばさんが作れるとは知らなかった。教えてくださったSさんにほんとうに感謝だ。来週14日は広瀬公民館でするので多くの方がいらっしゃる事をお待ちします。

また議会報告も皆で話し合ったりしたので、和気あいあい1時間以上もおしゃべりをした。一般質問の事を中心に話したが、やはり性マイノリティーに関して話が盛り上がり、また横道にそれ、真剣に話し合った。性教育は教育の現場で正確に教えてほしいと言うのが、私たちお母さんの思いとして共通のものであった。皆、中学生を持っているお母さんだったので、高校生になる前に性感染症や避妊法も含め性の正しい知識を与えてほしいと言っていた。特に、巷ではいかがわしい本が氾濫していて、性行動を興味本位に取り上げているのを母親は本当に心配している。

実は、一般質問の前に読んだ本の中で売春についての本があった。有名大会社のキャリア女性が売春していて殺されたと言う事を書いた本だ。そこにある悲劇は、性行動をお金のやり取りでし始めたこの女性には、お金を介在とする関係しかもてなくなってしまったことだ。理由は良く分からないが自ら望んでしている売春により、彼女は勿論恋の対象からはずれ、すなわち感情を持った価値ある人間として扱われなくなった。彼女はお金の代価であり、売っている物と等しくなった。買った人にとって、物は使う対象でしかない。売春での性行為は人間であるダッチワイフを用いている、またはマスターベーションを人間の体でしていると言う事でしかない。その本の著者は彼女自身売春をしたことのある人だが、自分が単に“穴”になってしまったと思ったと書いてあった。

援助交際を気軽に思う風潮があるが、援助交際とは売買春である。お金を介在とした性関係を持って、その後、健全な愛を育てるには本当に困難があると先の著者が言っていた。こういうところまで踏み込んでの性教育を教育の現場で行ってほしいと願う。私も親として子供に言わなければならないと思う。
7月6日(日) 今日は教会で礼拝を守り、青年部の人たちが集会をするということでピザを焼いてあげた。(しっかり材料費をもらっています。寄付行為はいたしません。)ヤオコーによって帰ってきたら、もう5時半。昼に焼いたピザとサラダと麦茶で夕ご飯だった。デザートはびわとスイカ。

なんだか、疲れがでて、早く寝たい。一つの悩みは消えましたが、もっと深い悩みに貫かれております。「たたけよ、さらば開かれん。」と古い文書は言うのですが、どの戸をたたいてよいやら。私は地上の政府を超えた仕事をこの世でできるでしょうか。それは、どこでしょうか。マザーテレサの仕事を考察しています。世界飢餓機構の働きも覚えています。この狭山の地で、私が死んでもなお生きる障害者のための生活支援体制を考えてはいるのですが、これは自分が市長になってやったほうが何倍も早く事業がすすむような気がします。

地上の政府に縛られない、弱い立場の人にたった施策を考えているのです。これには私の本当のエネルギーの半分を使って行きたいと思っています。後の半分は市議会に。では、妻と母のエネルギーはと言われますが、私が本気で物をしている時にはエネルギーに関しては無尽蔵のようです。えへ、(^。^)v 
7月5日(土) 今日は、朝から市川房枝政治参画センターでメディア論を聞いた。桂敬一さんという大学の先生だった。どこかのテレビで見た事のある人であった。話は面白かったが、学者って批判だけしていれば研究としてOKなんだ。なんだか彼が能天気に思えてきた。朝日新聞が優柔不断だって批判していたが、戦前からそういう会社なんだから、そんな新聞に余計な期待を掛ける事が間違っているのかもしれないと思った。事実だって良く分からなくても、私は新聞の論調に左右されず、イエス様の目で物を見たいと思う。立っているところからしか物は見えないしね。見ようとしなければ、物は見えないし。感じる心がなければ、物からのものを見れないし。

ちょっと哲学じみてきました。国のために、私たちがあるのではなくて、私たちのために国はあるのですが、最近は愛国心などと煽り立てて、国のために自分を犠牲にするのが美しいという論調が出てきたように思う。北朝鮮、日の丸、こんな事を利用しようという人がいるように思えてならない。拉致被害者を早く帰国させるのは当たり前な事であるが、北朝鮮問題と拉致被害者の事を防衛と結びつけ、政治的に利用とするのはいけないと私は思う。今日、新宿西口で署名を集めていたが、なんだか署名するのが怖くなってしまった。

東京に2日続けて勉強に行ったが、疲れ果てた。どうしてあんなに人がいるのだろう。車社会にいると、東京の電車の乗り換えなどで歩くとつかれきる。田舎の人間なんだ、私は。

早々、狭山に市民活動ってあるのでしょうか。自治会活動ではなくて。教えてください。参加します。
7月4日(金) 今日は午前中ネットニュースを作っていた。まだ未完です。ほしい方は会員になってください。議会レポートとともに送ります。

午後は市川房枝政治参画センターに行って、三位一体の地方分権について、小坂先生から講義を受けた。この前、神奈川県知事選に破れた田嶋陽子さんが来ていた。田嶋さんがどうして今更 私たち地方議員とともに勉強しなければならないのか理解に苦しむ。変な人だね。

三位一体の改革を国ができるかどうか問題である。とにかく、国は分権を本当に進めるのであれば、自分たちは国の何をつかさどろうと言うのだろうか。金と権限を渡す。で、残るのは借金だけだ。81兆円のうち、36兆円は国債。残りのほとんどを地方に渡しているのが、現状なのだ。あまりにもひどい国の財政状態に目も当てられない。狭山市はあんなにならないうちに、財政を立て直すべきだとつくづく思った。

今日、夫は星条旗のついたネクタイを白いワイシャツにしていった。JULY 4TH です。
7月3日(木)
6000カウント
私は最近自分を保守過激派だと言っているのですが、皆さん私をどう思いますか。もちろん、無党派、無所属市民派の看板は高く高く掲げています。と言う事は、誰も私が共産主義者と考えていないと思うし、社会民主主義者でもありません。なかなか自分の立場をはっきり言うのは難しいです。

私にはバリバリの保守本流のように見える人が「僕は革新派ですから」とか言うのを聞くと、「え〜〜〜」なんでと思ってしまう。改革派の事を政治の世界では革新派というのでしょうか。市民の立場に立つ市民派の議員として活動すると、当然、多くのものを持っている昔からの人たちと意見の衝突が出てくるのは仕方ないという事になる。で、私は革新?

フェミニズム議員連盟という女性議員連盟がある。どうしても私はフェミニズムと言う言葉に抵抗を感じて加われない。私の友達の議員の多くは連盟にはいっているし、彼女たちと私とどこが違うかと言ってもさして違いはない。でも、私はフェミニストと言うには少し軟弱ではありませんでしょうか。私は、何かあればできる限り夫の意見を尊重しようと考えているし。彼も最大限私の考えを尊重しているようですが。

今日は、トップページに市長に望むことを掲載した。5つ要望しているわけだが、同じように考える人が市長になってほしいと願っている。お前が立候補したらどうかって?これもまた、皆さんどう思いますか。「え〜〜〜」てなものでしょうね。
7月2日(水) 私はどちらかと言うと決断を下すのが早いほうである。夫があれこれ考えている間に、さっさと買い物を済ましたりする。いろいろ考えても結局どうでもよい事が多くて、それならば早く結論を出してしまおうと思うわけだ。

しかし、人生は決断できない事もあると言う現実にあたっていて、我ながら驚く。何で白黒はっきりさせないんだと自分に思うのだが、決断ができない。結論を出しさえすれば、どんなに気持ちがすっきりするか分からないと想像するがそう簡単にもいくまい。

こんなに悩んだことは久しぶりである。結論の出し方の方程式を忘れたような気持ちがする。
7月1日(火) 今日は朝いろんな民族の会のタイ料理の会があった。楽しくいただきました。タイ料理、特にノンヤオさんのタイ料理は天下一品だ。おいしい。今日は焼きビーフン、春巻き、タピオカのデザートでした。もうやみ付きと言う感じです。あの辛さが忘れられない。いろんな民族の会はまるでふるさとのようです。楽しい、楽しい会です。

議会事務局によって、いろんな用事を済ませ、選挙管理委員会に行って、誰が出るの?と探りを入れたけど、来週にならなければわかりませんとの事でした。HNさんは出ないようでした。なんだかほっとした。どんな人が市長として適当だと思いますか。選挙を抜きにして。

帰ってきてから、娘を連れて眼科に行き、ついでにマルエツの前で、議会報告街頭演説。短時間だけど毎日街頭演説をしている。また、「高橋ブラクソンがまた演説しているなあ」と思ってくださる人がいるようで、演説が終わってから市民の方が話しかけてくださっている。ありがたいなあ。この方も「狭山を良くしてくれる市長が出てきてくれると良いですね」と言っていた。思うところは同じだね。

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