私の独り言 2004年
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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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1月 私の独り事
1月31日(土)
9800カウント
今日は餅を楽しむ会をした。持ち寄りで黄な粉餅、納豆餅、あんこ餅、海苔餅、辛味餅とした。今回は参加者も少ないので、1升5合だけ餅にした。少ししか搗かないしで、機械で作った。食べながらしゃべりながら楽しかった。話題は性教育のこと。女にとっての性や男にとっての性は違うんだよね。話は性の文化論にまで発展し、AVのビデオを一度は研究しながら見なくてはならないと言う事になったのだが、どういう方法で入手するかが問題なのである。堂々とアダルトビデオを借りる勇気が出てこない。おとこの人は勇気なんか持たなくても借りたりできるのはなせなの?こそこそと借りるのも見られると思えばそれも恥ずかしいしね。

AVビデオを研究していますといっても、誰が信用してくれるだろう。う〜〜ん。夫に借りるのを頼んだらといわれたが、頼めないし、そもそも彼はかりてこないだろうね。普通AV、SM系AV、強姦系とあるらしいのだが、どれも男性用なので、女は可愛い子、男はたくましく、どうも性交の長さが長いほどよいらしいというのが一般らしいのだが、一度も見たことがなければ批判もできない。女性の話を聞くと、あんなものを見ているから今時の男性は女性ときちんとした関係を築けないのだと言う話なんですよ。ポルノも買って見なければと思っている。男性の女性観を知る事ができるかもしれない。

ちなみに何でこんなに性について調べようとしているのは、いま田嶋陽子さんについて本で調べている。そうするとフェミニズムに突き当たる。そうです、性の問題です。男女の性差別の問題は、性の行動に端的に現れるということになるのです。私は女なので男が女性をどう見ているかを良く分からない。特に、私はアメリカ人と結婚していて、かなり対等な関係を保ちながら家庭を築いているつもりなのです。また、夫は敬虔なクリスチャンでかなりの紳士として育てられているので、女性を尊重します。ですから、夫から世の男性を推し量ると言うのは無理なのです。と言うわけで、AVビデオ?そうではありませんが、女性を男性向けの商品としてみせているAVビデオが今の若い男性の性の模範となっているという話を聞くにつれ、勉強してみなければならないと思うにいたっています。

いらないAVビデオがありましたら、狭山郵便局私書箱11号まで送ってください。お金は払いませんよ、あしからず。久美子もとうとうフェミニストかと言われそうですね。でもAVビデオに興味をもったぐらいでフェミニスト扱いされるとしたら、AVの好きな男性は皆フェミニスト?へんだね〜〜。
30日(金) 今日は、中学校の成人教育の講演会に行った。この辺では有名な方の講演だったが、あまりにもひどい講演で途中で失礼した。まず、女性観が30年ほど古いのではないかと思う。2点目は矛盾がありすぎる。3点目は家庭観が30年ほど古いのではないかと思った。男は外に7人の敵がいて、女のパートはいやになったら止められるというのは認識不足。今は我慢しながらパートしている人が多い事を彼女は知らない。女性の天職は子育てだと言いたいらしいが、子育ては女性だけがするものではなく、両親が協力してするものだ。「今は子育てが女性の手に余ってきたので、父親が手伝うようになった」と彼女は言うが、そもそも女性だけが子育てしてきたことが間違っていたのだ。

素直なことがよいと彼女はいい、小学校3年で貧しさのために学校を辞めたある作家を持ち上げたが、まず、持ち上げるべき事ではない。義務教育もまっとうできなかったのは、親や社会の怠慢であった。公務員の一人が義務教育をまっとうできなかった人の持ち上げるのではなく、義務教育もできなかったことを嘆くべきであろう。お宅の子供はこんなけなげでないだろうと言うのだが、けなげな子供よりもこの際は義務教育を全うするこどもであるようにするにはどうするかを考えてもらいたい。今は、不登校は貧しさのためでなくても、たくさんいるのだ。

素直である事、批判をしないこと、文句を言わない事を美徳のように言うのはおかしい。夫に文句を言うな、教師に文句を言うな、女はひたすら耐えて子育てしろだって、そんな考えを女性があちこちでばら撒くからこそ、女性の地位が上がらないのである。自分は警官を子供を生んですぐ止めたそうだ。何しろ子育ては女性の天職だから。それでも、また仕事はできるのだと仕事に彼女が復帰した話をしていたが、M字曲線を彼女は知らないのではないか。一度仕事を止めてから、パートしか仕事に就けなかったり、私のようにパートにすら付けない女性が多いのをどう思っているのだろう。彼女は子供ができたら男性に仕事を止めろと言わないだろうな。何で子育てが女性だけの天職なのかお聞きしたいものだ。また、子育てが天職ならば、彼女はなぜ職場に復帰したのか分からない。子育てはどうしたの?

家庭観もわけが分からない。私は2回流産した。その時は夫と二人で悲しみを乗り越えた。彼もつらかったと思うし、私も本当につらかった。彼の親も私の親も同情したが、このつらさを2人で乗り越えた。二人の人生のつらい経験を共有した。人生を共有するのが夫婦じゃないか。(説明が難しい)彼女は死産した娘を引き取り慰めたと言い、娘の夫は一人位牌の前で酒を飲んで泣いたと言った。私はこのエピソードで彼女が何を言いたいのか分からない。家庭って、親がそんな風に介入するのか。男は一人、妻もいないところで耐えなければならないのか。どうして、私達夫婦のように悲しみを2人で乗り越えさせないのだろう。あまり娘がつらそうなので引き取ったと言うのだろうが、慰めあうのは夫と妻、すなわち娘とその夫である。もう、結婚した2人にどうしてこういう風に関わろうとするのだろうか。それを美談のように講演で言う神経が分からない。ちっともよい例でもないし、私が夫の立場なら怒るだろう。想像してみて、何か悲しい事があって夫の母が夫を連れて慰めに行き、自分は一人寂しく悲しく家にいる。何で夫を連れて行くのか、一緒に悲しみたいのに。それに、慰めあうのが夫婦であり、親はなぜこの夫婦が一体となれる素晴らしい時を奪い取る理由があるのか。ここで私は彼女の家族観で娘の家庭をあたかも自分の家庭のように同一視する”あいまいな家庭観”に当惑した。

最後まで聞いて、質問をしてみようかとおもったが、所詮彼女には私の言いたい事、考えている子育て観、家庭観、夫婦観は理解できないのではないかと思い、途中で出てきてしまったのだ。はっきり言おう、彼女の言う素直な子供が素晴らしいなんて嘘だ。ちゃんと自分を持って考えを述べられる子供が素晴らしいのだ。無理して素直な子供、よい子にしようとしてストレスを感じている子供がどのくらいいるか。不登校の多くはこういうことからといわれているではないか。人の価値観に素直に自分を合わせようと努力して、できずに苦しむ子供に自分の通りでいい、言われたとおりにしなくてよいと言って上げなければならない子供がたくさんいるのだ。

話は変わるが、すごくカウントが上がっている。初めての方はメール下さい。
29日(木)
9700カウント
今日は、朝からまた報告書を書いたり、電話で役所と連絡を取ったりしていた。午後はひたすらスタッフにしゃべりかけては事務仕事の妨げをしていた。スタッフはいつも私がいると仕事ができないと思っているだろう。それでもしゃべりやまず、結局議会の事、会派のことなどなど延々とおしゃべり。きっと聞いているほうは相槌を打つだけでも大変になっているのだろうと思うが、止まらない。かなりストレスが溜まっていました。

今日カウンターを見たらなんと9700を大きく越えていた。どうしてだろう。合併のことを書いたせいかなあ。良く分からない。
28日(水) 今日は、朝から報告書を書いたり、書評を書いたり、本を読んだりしていた。と言う事は、コンピューターの前で仕事をだらだらとし続けたと言うわけ。それでいて、まだ報告書を仕上げていない。今日は、朝霞に視察、市内視察では水道関係を始めてみようと考えている。後、残りは農改センターぐらいだろうか。

まだまだきちんとしていないが、書評をご覧下さい。トップページからリンクしてあります。

今日、ファックスが入ってきて、議会内の会派の状況がかわったようである。うわさはあったが、とうとうと言う感じかな。それにしても良く持ちました、あの会派は。yさんは無所属になられたけれど、またどこかの会派にすぐ所属なさるのかな。無所属でいると言う事にちゃんと位置づけができてないと、議員として活動の場面を見失うと思う。メリットは確かにあるが、無所属でいるデメリットだって大きい。私は悲哀を感じるぐらいが人生で報われるのだと思いながら無所属をしている。きっと会派にいればすることのない苦労だって、無所属でいればたくさんあるのだ。山崎さんは無所属を12年も続けられた。yさんはどうかなと思ってしまった。ちなみに私は一人で大丈夫です。私の場合苦労はイエス様にしょっていただこうと願っていますので。
27日(火) 今日は朝中学のボランティアをサボって家事をした。珍しい。お手伝いさんがお休みだったので洗濯片付け皿洗いとすることが盛りだくさん。新鮮な思いで頑張りましたが、下手なのでちっとも片付かない。家事も才能が必要だと思います。

午後は共生講座に出かけた。高度成長時代に作られた男女の性的役割分担が性的、構造的な支配被支配の状態に変化していったのを解説していただいた。それが顕著に現れるVAW(violence against women)。その中のDVで示された、男の暴力により経済的性的人格的に奴隷のように従属させられていく女性達の哀れな姿を見て怒りを感じざるをえない。勝ち組(男)はそのいきおいをかって、負け組み(女性)を支配・コントロールしていく。これは戦いである。女性が愛のために、黙って夫や男、子供に尽くしていたのを、何か勘違いしている。これからの社会、勝ち組になる女性が出てくるだろうが、その一方負け組み男性がもっと弱い女性を支配するという目も当てられない状態が発生するだろう。VAW、DVともに変化するだろう。私はともかく勝ち組に入ろうとは思わないが、弱い女性の味方として戦おうと思っている。

昨日の議会。
・まず、議員提出議案が出された。私は政務調査費をつき額3万円を2万円にする議案に反対した。反対討論をトップページからリンクして掲載しましたから読んでください。費用弁償を3千円から1千円にする議案には賛成した。できれば、これは全廃でもよいのだが、法律上全廃には無理があるようである。でも、全廃している市もあるのだから、やろうとしたらできるのかもしれない。しかし、一辺にでなく徐々に廃止に向けて動くというのでもよいと考えた。
・市長からの提出議案では、合併のための法定協議会設立に賛成し、その予算案にも賛成した。前から、私は合併に賛成の姿勢をとっている。合併協議会を立ち上げて、合併のよいプランを作る事に反対する理由がない。もし、よいプランができなかったら、最終判断を迫られた時点で賛成から反対に回るだけである。共産党、無所属議員クラブ、未来フォーラムの一部が賛成しなかった。時間が足りないので合併協議を始めるべきでないというのが、反対者の声である。でも、やってみないことには分からないじゃないか。合併に向けて進むのではなく、その是非を考えるべきだというのも共産党の考えのようだが、是非を考えるためにも前に進むべきだろう。市長は狭山市の発展には合併が必要だと考えている事を明言した。だから協議会を立ち上げるのだ。民主主義的な手法をと言いながら、スカートを引っ張って結局は合併を不可能にする、または合併を止めさせようという考えが見え隠れした。

とにかく、合併協議を公開し、合併に向けて一番よいプランを作り市民に見ていただく、当面はこれに全力を尽くす事だと思う。市民の理解を求める努力を怠ったら合併はなくなることを十分肝に銘じておくことが行政側に課せられている。狭山市長いか全職員がそれを胸に、謙虚になって仕事をさせていただく事だと思う。くれぐれも市民を、たとえ反対している市民ですら面倒くさがったり煙ったがって説明を省いたり、無視したりしてはいけないよ。(理解してもらえなくてもきちんとした対応が必要よ)たとえ一人の市民にも最大限合併の必要性、将来性を理解していただくつもりで合併の仕事をしてほしいと思う。私は今回合併が出来るならば、後50年は緩やかだろうけれど狭山市は停滞なく進んでいくことができると予想している。合併しなかったら今の状態を維持する事すらできなくなるのだろう。
26日(月) 今日は朝から議会。臨時議会で議員提出議案2本、執行部提案2本の議案を質疑した。委員会付託を省略したものだから、延々と9時から3時まで、その後全員協議会、建設委員会協議会すべて終わったのは4時半だった。その後、下水道部、街作り推進事業部によって帰ってきた。買い物したので6時40分だった。朝、8時に出勤したから長い一日だった。

議会のことをコメントするには疲れすぎた。明日、レポートする。おやすみなさい。
25日(日) 日曜日の午前中は聖書を読んだり、聖書関係の本を読んですごす。スポルジョンの「夕ごとに」を1週間づつ読んでいる。線を引き引き読んでいる。悲哀の未知は天国への道であると書いてあった。「その道すがらいたるところに、力を回復させる泉が懇々と湧き出ている。」との事。いつもの事だが、何か自分が偉大に思うときに落とし穴があるし、尊大になって人の言葉が聞けなくなる。少し、悲哀を感じるような生き方が私の分相応。神様に祝福される生きる道だろうと納得した。

明日の反対討論をどのように書こうかと考えている。政務調査費を3分の2にしてしまうというのは、いかがなものかと思う。
24日(土)
9600カウント
今日は朝友達と一緒にこれから始めるかもしれない事業について話し合いをした。具体的にはまだまだなっていはいないが、祈って本気になればできないことはないのではないか。その中で私の役割はどうなるのだろうか。スポンサーかなあ。明日にでも始めたいと言う思いはある。

午後は麹町まで行って、女性のための政治スクールの開校式、ならびに女性議員フォーラムに出席した。受講生がなんと70人もいた。驚きました。その中でも市川さんのところで一緒した方々が多く、おなじみの顔にあった。女性議員も3期4期と期数を重ねる人が出てきており、議会の要職に付き始めている。それでも、皆さんがジュラシックパークだと議会を形容していたほど保守的なところで自分達をアピールするはどんなに大変だった事だろう。会派についても、ご苦労があったようで、最大会派を作りながらも結局は分裂し、または一人会派の悲哀から会派に入り議会要職を手に入れた話やどこもたいへんである。

わが身を振り返ったが、私は議会の要職を持つ事にはなんら興味はないし、自分の思うところは貫きたいとおもっている。今の状況では、入る会派もないし、組みたいと思う議員さんもいないのが私の状況ではないかと思っている。私の支援者にはいろんな考えの方がいるのは知っているが、私には状況を変える力がないのが実際のところ。数を頼みにしないで、市民の考えをしっかり伝える係りとしての市議会議員で許していただこう。ごまめの歯軋りが多くなるとは思うが。
23日(金) 今日は朝から議会報告会を開いた。チョコレートケーキ作りとともに行った。おいしかった。お話はたくさんしたが、今後の社会は高福祉、高負担は仕方ないのではないかと言う事。アメリカ型の自由競争社会は日本に会わないだろう。私は北ヨーロッパ型の社会がよいと思っている。今後、右肩上がりが期待できない以上、誰がどこでどう受けた福祉や公共サービスの代価を払うかを市民も考えなければならないと言う事。今まで日本は税金が安かったし、それでこんな素晴らしい社会を形成したが、今まで通りに行くはずない。また、地方分権を言うのなら課税権を地方に与えなさいと国に言いたい。

福祉の切り下げが始まったことや合併についての話もした。住民投票をしてもよいけど、市議会議員選挙が40%強、市長選挙では30%なんていう市民の状況で住民投票しても意志をはっきり表明できる人、すなわちどのくらいの人が投票するだろう。今日来ていた人も、政治に興味を持つ人が少ない状況で合併の是非なんか分からない人が大半だろうと言っていた。もし、市民が判断するとしたら、「住居表示をもう一度変えるのはいやだから合併しない」とかというレベルでの判断しかないと言うのである。情報も少ない中、目先のメリットデメリットばかり考えれば、狭山市の将来におおきな禍根を残すと思う。

午後からは26日の議会の議案書の勉強。本当は教えてもらいたかったのに、j次長を前に、絶対合併を期日までに成功させるべきだと演説してしまった。失敗しないように、しっかりと協議会を立ち上げ、庁内体制を固めてほしい。役人さんはそんなに合併を喜んではいない。勿論だ。仕事は増えるは、今までどおりの出世も仕事のめどもつかなくなるのだから。大変なのである。でも、サボタージュは赦されない。2000事業の見直し調整が始まる。これが大変だし、とても大切な作業だ。市議会議員は楽な商売だ。考えてみれば、方向だけを見ていけばよいのだ物ね。実際仕事をする職員さん達。本当に頑張ってください。

今日、21日の夜の会議に出なかったのを思い出した。記憶装置に問題あり。優しい計算をするとよいと言っていた。頑張ろう。
22日(木) 今日は朝うちで議案書を読んで考え込んでいた。法定協議会の設置の議案についてだ。まだ、良く分からないので明日も勉強する。

午後からは、大手町まで行き、日本経済新聞のフォーラムでアウトソーシング、指定管理者制度について、総務省の課長の話を聞いた。何とか使わなければならないシステムのようだが、民間業者はあまり儲かりそうもないといっていた。でも、行政から確かにお金が流れるのだから民間業者も乗ってくれるだろう。地方独立法人のかんがえもうまく使えば面白そうだが、慎重に考えてほしいと国は言っていた。ふーん。狭山市も条例を作ってアウトソーシングを考えているようだ。よい行革になると良いけれど。

とにかく東京に出ると疲れる。明日はともかく土曜日も東京で勉強会である。私もがんばるな。

ところで最近アメリカの留学で学歴詐称があったと福岡県の代議士が話題になっている。きっと私の学歴についても心配なさっている方もいるのではないか。私は今コーディア大学の大学院を修了して大学修士を持っている。(日本では奈良女子大学の大学院で理学修士を受けた。)ロザリー大学ではLDについて勉強した。これはLDの講座を履修し、修士課程を修了しなかった。(いくつも修士号がほしかったわけでなく、LDについて学びたかっただけであった。)結婚後、またアメリカにわたった。それで、西友のシカゴ事務所に勤めながら、ロヨラ大学のPhd(すなわち博士課程)に受け入れられて、2セメスター学期)通った。残念ながら、ジャステンが生まれて学業が続けられなくなり、そのうちにジムが日本で仕事を見つけ、帰国した。これは事実だから誰が大学に照会してくれても構わない。コーディア大学の修了証書は持っている。ジムはそれをスキャンしてここに載せたらというが、見たい人は電話下さい。お見せします。でも途中で止めた学校については証明するのは学校に聞くのがいいのだろう。

それにしても、アメリカのことだから誰も本当かどうか分からないだろうと思ったとしたら小ざかしい。嘘はばれる。聖書にそう書いてある。それにどんな小さな嘘でも嘘をついていたら胸が痛むと思う。正直にしている事が、わたしのような気の小さい人間にはふさわしいのである。イエス様に従っていよう。できる限り。
21日(水) 今日は朝、男女共同参画条例制定勉強会に行った。あまり実りのある会にはならなかったが、ひとつ確認する事ができたのは、狭山市が作る条例は基本条例ではなく、推進のための個別・施策を含む条例を作るべきだろうと言う事である。ですから、DVやセクハラなどまた、他の事も含め実際男女共同参画を推進するために条例を制定するのが正しいのだろう。

午後は役所に行き、市議会議員の共済年金の仕組みを少し学んだ。私は月給44万円である。共済年金は57200円づつ掛け金を払っている。13%らしい。これに対して市は10.5%46200円払う。厚生年金は雇用者と被雇用者との支出の比率は50%づつだから、議員の場合は市の持分は職員分への支出より少ないことになる。この年金は12年たつと1、584,000円を支給される。Y元議員は32年間在籍したが、彼は年間2,268,000円いただけることになる。これを多いと見ますか。私はY元議員への年金は決して多いとは思わない。他の社会にいて、32年間彼のような仕事をしていたら月々20万円以下の年金しか支給されないということがあるだろうか。確かに彼は一般質問もしなかったといわれているが。まあ、議員は報酬や年金を当てにできない仕事である事は確かである。

夕方、家の周りに後援会ニュースをサービスに配った。字が小さいので本当に申し訳ないと思っている。「読んでいますよ」といって下さるのがとても嬉しい。
20日(火) 今日は朝なんと散歩に行った。最近はデブが進み、70キロを越えてしまった。これではいけない。3階まで上がると、息が上がって、心臓がパクパクしたりする。これは、かなり異常である。と言う事で、少し散歩、運動をと思って30分ほど土手を歩いた。暖かくて気持ちのよい朝だった。まだ、花粉もなく快適。途中で夫がやってきて二人で家まで歩いた。幸せである。(のろけるのを止めろですって。うふふ)

その後中学校の図書ボランティアに行った。今日は寄贈された本にはんこをついて、図書館に出せるようにする準備をした。来週は何冊か、書棚に出せるだろう。

それにしても、この中学校の本の整備されている事に比べ、小学校の本の傷み具合や古さをどうしたらよいのだろう。今日は作業をしながら考え込んでしまった。親に絵本を寄贈してもらい、古い傷んだ本と変えてもよいかもしれない。昭和50年代の本をどう修理したってきちんとできない。背表紙はよれよれだし、一度何とかしなければならないと思う。古い本が一杯あると言うならば、古いよい本があるかと思えばそうでない。よい古い本はぼろぼろになっていて、もう廃棄本で、図書室にない。

図書館だけを視察に回ろうと思う。学校長に何とかするように言いに行こうか。教育長はお金がないというだろうが、学校長はバザーをしたり、寄贈を募ったり、ボランティアを募ったり、使用と思えば図書室を、特に本を新しくする術を持っていると思うのだが。私のような本の虫には、小学校の図書室は悲しい場所だ。

午後は共生講座に行った。知っている事を教育専門用語で言い換えただけと言う感じですね。ところで、ここでyoさんに会った。私が男女共同参画条例勉強会の会長さんを紹介したら、なんだかyoさんは彼女を私の後援会長と間違ったらしく“どうしてこんな人(私のこと)の会長なんかになったのよ?”などと言っていた。少し、無遠慮で失礼だと思う。私は確かにyoさんからは“こんな人”と言われても仕方ないような力のない議員だが、もし紹介した人が私の後援会長だったとしたら、「あなたは馬鹿ではないですか」と言わんばかりに聞こえた。私はyoさんの後援会長がどなたか知らないが、あんな事は言えないなあ。私はyoさんは市民から信託を受けた議員と言うだけでも素晴らしい方なんだろうという思いがあるからだし、他人の選択を何の理由もなくずけずけ批評をすることはよくないと思っているからである。まあ、私のような”あんな人”の後援会の人には何を言ってもよいとお考えなのだろうが、言われた人や周りの人は当惑していた。実は私も。人との距離の持ち方がyoさんと私とは違うのだろうが、いやな思いが残った。
19日(月) 今日は、朝小学生の読み聞かせのボランティアに行った。思ったようにはできなかった。言おうと思ったのが盛りだくさんだった。このことは私の悪いところ。言いたい事が多すぎる。でも、6年2組はしっかり聞いておりました。中学校にいけるよ。行ってもきちんとできると思った。今度2月に6年1組に行く事になっている。どんな反応だろうかと思う。それにしても、私は教師だなあ。教室に入って子供に向き合うと本当に嬉しくなる。

帰ってきてまた報告書に取り掛かった。まだ、出来上がらない。昼食を食べた後に議会の全員協議会へ。たくさんの議案、報告があった。一部の議題には私は反対である。政務調査費を下げると言う。勉強の費用を下げると言うのだが、私のように毎年目一杯政務調査費を使って研修をしているものにとって大打撃である。費用弁償を下げる事に関しては私は文句を言わないが、政務調査費を下げるなんて言語同断だ。もっと勉強・研修こそすれそれを止めるようなことはすべきでないと考える。言いたい事はたくさんある。議会で続きをしたいと思う。

いろいろな報告を聞いた後に急いで萩山の病院まで行った。行くのに1時間掛け、結局、予約の時間よりも1時間以上も待ち、薬の処方箋を書いていただいた。遠いけれど、神経精神センターに行くのは安心だから、仕方ない。今週は毎日忙しい。報告書を書き上げなくてはいけないのに。
18日(日)
9500カウント
今日は、朝、ある教会に礼拝に行った。洗礼を受けた教会ではないので、聖餐を預かるのはどうしようかと思ったが赦されるようだったので、聖餐をいただいた。日曜日はできる限り聖別しているが、会衆とともに神を礼拝するのは心が洗われるような思いがする。今日は、礼拝が守られて良かった。

午後は聾唖の方の協会が30周年記念だと言うので総会で出席した。その後、夫とともに、狭山国際交流協会の新年会に出席した。スリランカ人の友達がスリランカに変えるとの事。寂しかった。友達のタイや韓国、中国の人が来ていなかった。彼女達にとって、もう、こういう場所が必要でなくなっているのだろう。そういう意味では欧米人も来ない。アジア系の人が多いが、中々友達になると言うのは難しい。何かできることがあったら、助けてあげたいと思うが何ができるのかな。

新年会の帰りに図書館によって、推理小説を借りてきた。明日、子供に紹介しようと思う。こんな本を通じて本が好きになる子がいるとよいと思う。ルパン、ホームズは私が小学生の時に呼んだ推理小説である。

夕方は友達と会ってお茶をいただいた。毎日がとりとめもなく終わる。これでよいのだろう。
17日(土) 今日は、朝ゆっくり起きて美容院へ行った。いつもの行き着けの美容院。ちょうどお客さんがいなかったので、美容室の先生と本音でおしゃべり。午後は食事をしてから、一家でお出かけ。と言っても、郵便局、松本電気、図書館、カルフールの順で。帰ってきたらもう6時過ぎでした。御飯を作り、本を読み、今は9時半。とっても退屈な一日だったけど、珍しく仕事をせず、ゆっくり過ごしたって思います。今日は別荘に行きたかったのだけど、雪が降るので怖くて運転できず、家に残っていました。

19日に本を読むボランティアを小学校でします。「ああ、無情」の一説を読みたいと思っています。ジャン バルジャンが悔い改め、自分の人生を人に捧げるという物語で、わたしも小さい時、世界名作全集で読んだ本である。悲しい本で大きくなってから、きちんとした翻訳で読もうと思っていても読めなかった本である。なぜ、こんなに古い本を小学6年生に読んであげようかというと、今の子供は精一杯愛されて生きているけれど、それが全く当たり前になって、ひとに愛を注ぐ事が少ないのではないかと思うのだ。人のために生きる人生がどんなに尊いのかを誰かが語らなければならない。奇麗事ばかり言ってといわれるし、私はいつまで立っても“お嬢さん奥さん”と揶揄されるが、誰かが崇高な人生とはどんな生き方かを若い子に教えなければならないだろう。

昨日はマザーテレサについて読み、息子に読むようにその本を与えた。私はマザーテレサも素晴らしいが、マザーテレサのお母さんの思いが手に取るように感じられる。彼女は娘のテレサを誇りに思っていただろうが、健康やさまざまな事を心配し祈っていたに違いない。私も後にどんな思いをするかもしれないが、息子や娘が人のために自分の人生を捧げるような生き方をしてほしいと願っている。
16日(金) 今日は朝息子の書初め展を夫と見に行った。その後、保育園を作った「けやの森」を見学した。ここも1年前に見学に行ったときに比べ、進化を遂げていました。私は、狭山市の幼稚園を幼稚園部分を残して保育園に変える、すなわち「けやの森」のような幼保一元を実現するのはどうかと思った。幼稚園として存続不能なところは今待機児童が多い狭山市では保育園化していく事がよいのではないかと思う。それにしても、官でできないならば民の力を大いに借りてできればよいのだけれど。青柳保育園の園長先生がやってあげるとずうっと言っているのに、結局狭山市は手を打っていない。もったいない。

報告書をまた1つ書いて提出した。後2つ書けばよいわけだ。それと、市川政治セミナーのこと。明日も頑張ろう。
15日(木) 今日は仕事をたくさんした。まず、3ページにわたる報告書を書き上げ、資料をスタッフに探してもらいコピーした。少し満足。まだまだ、報告書はあるが明日もう2つ大きなのを書けば、ほぼ半分は終わる。やれやれ。そのうえ、今日はネットニュースを配りに行った。ネットニュースは後援会便りのようなものであるが、私の活動や勉強、視察の事も書いてある。今回は、戦争反対のこと、プラスティックリサイクルについて、0123吉祥寺視察について、市政アンケート集計についてなどや議会報告会の報告など盛りだくさん。考えてみればよくよく頑張って発行続けている。ネットニュースのほうが部数は少ないのだけれど、発行の回数は多い。会員になればもらえます。年会費1000円です。

何しろ一仕事した満足感があったので、夜はくだらない本を読んでのんびりした。こういう満足感のあるときは明日も頑張ろうと思うものだ。幸せだ。
14日(水) 今日は報告書を書こうと思った。その前に、溜まった書類を整理して、スケジュールをただし、勉強会やあれやこれやとノートに書き入れ、電話をし、そのうちにもう昼過ぎになった。何にもしないで何であっという間に夕方になったのか分からない。人生がこのごろあっという間に過ぎていくのだ。全く。報告書には勿論手を付けていない。明日があるさ。

一般質問についても考えている。行革について、合併について、市民参加条例について、どうも総務企画系のことを考えている。3月議会だから、新しい施策のことを言ったって、どうせ採用されることもないのだから、基本的なことを質問するのもよいかもしれない。都市計画の面から出なく、街作りの意味で市街地、市街化調整地の線引きについて考えを聞いて見るのもよいかもしれない。ああだ、こうだといろいろ考えている。ホームレスのことも気になる。事務事業評価についても、狭山市の場合ちょっとがっかりである。少し他の市の事を勉強して、これをどうにか一般質問にもっていくか。各論ではなく総論で行くか。まあ、時間があるのも今週までだ。
13日(火)
9400カウント
今日は朝定期を解約して、入学金を納入した。お金を納入するだけで、入学の手続きが終わったらしい。こんなに簡単でよいのだろうか。手落ちがないのか心配だ。

後で議会によって、情報公開について聞いた。私は、議会の政務調査費に関してはきちんとしている。報告書も出している。出した書類は公文書なのだから、情報公開の対象になるのは当たり前だ。でも、自分の書いた書類を誰かに公開したらどなたに公開されたのか知りたい。今回サニープレスの田中さんが狭山市の視察が県議会の例のアジア視察とあたかも同等のように記事を書いた。その中で、報告がきちんとなされなかったと言うある会派やある議員についての記載があった。きっと情報公開で調べたのだろう。結構である。

しかし、この記事の中で不可思議なのは入間市は行程表を作ってあるが、狭山市では作ってないと言うようなところがあった。私達は報告書には行程表をつけない。議長へ視察願いを出す時に付けて出すのだ。行程表をつけて報告書を作らなければならない入間市、狭山市は添付書類として必要ないというのでつけないのである。私は決して狭山市のシステムがいい加減だとは思っていない。政務調査費だって、ちゃんと領収書の写しをつけている。付けられない電車などの領収書などは作られない時はその理由を書いて了承をしていただくという作業もしているわけである。家のスタッフに聞いてもらいたいが、本だって文学関係のは自費研修へ、公費の政務調査費は行政関係だけとはっきり区分している。税金の処理は本当に神経を使っているのだ。

税金を好きなように使われるなどと考えているのはきっと田中さんの方ではないかと思う。私は議員として税金を使わせていただくのにとても緊張する。今回は建設委員会副委員長として視察した。食事後、確かに私達は場所を変えて飲んだ。明確に別会計である。視察地で買い物もする。お邪魔をして勉強をさせていただくのだから、お土産ぐらいのお金をその土地で使わなければと言う配慮・遠慮がある。これは勿論ポケットマネーからである。私は個人旅行ならば買い物はしない。どこで何を買ってもおんなじだし、東京に行けば何でも手に入るのだから。しかし、視察の場合はその地の産物と言われるのを買うようにしている。御礼の意味で。

視察で勉強した事がすぐ一般質問という形で提案になる事もあり、見てみると狭山市では施策として取り上げられない事もある。ただし、視察による委員会の全員が同じ施策を見る事の意義は、議会としての一致した態度を決める際の大きな助けとなる。また、その地に行かなければ分からない事も多い。職員の熱意だとか、現場の地形などは写真や報告書では分かりえない事もあるのだ。そういうところから、狭山市への施策導入についての考えもまとまる。議員として視察に行ったとき、もう見る目が議員になっていて、何を見てもその事業評価をするのが習い習性になっている。純粋な旅行などになりえないのである。他の人はいざ知らず、私の場合はそうなのである。

ちゃんとそういう事をサニープレスの田中さんに教えてあげる事が必要なのではないかと思う。ただし下手に反応して、また揚げ足を取られるんじゃないかと議会は恐れ、間違いがあっても無視を決め込むのである。でも、間違っていたら、田中さんも訂正するだろうからきちんと申し入れするべきだと思う。勿論、意見の分かれる点もあるだろう。自由社会なのだから、違う意見を堂々と述べる事を妨げる事はいけないが。
12日(月) 今日は成人式。私は1部2部とも参加した。そして10人の代表の話を聞いた。全員学生だった。だからと言うわけではないだろうが、主張が甘い。私は小学生の主張を毎年青少年大会で聞くが、それ以下の内容ばかりでがっかりだ。その中で、最後の女性が生きている実感がないといっていた。この女性に多少大人になったと言う感じを持ったのは、私はもう支えられる側ではなく、支える側になろうと思うといった1点である。他の代表は若者らしいのかもしれないが、仲間を大切に生きたいだの、自分の好きなように生きたいだの、親に感謝だのと言っていた。

仲間を大切に生きたいのどこが悪いと言えば、支えられた感謝から出ていないから私はこの発言がいやだった。仲間に甘えるなよ、自分自身の勝負になるんだよ。自分の行きたいように生きるというのも、私には切ない。生きられないからなのだ、自分の好きなようになんて。その自己中心な思い上がりもいやだ。また、自分の人生を自分で決める自由があるなんてすごいなあ、贅沢だなあと思う。(半分、皮肉かな)親に感謝も親は喜ぶかもしれないし、殊勝な考えだが、それも私はいやだ。何でかというと、この女性は自分の葛藤を話さなかった。一人暮らししてみて親の有難さが分かった。だから感謝する。何が足りないのだろう。親の子に託した思いにどう報いるのかとかそういう事がここになかった。もっと前に、もっと強くなってほしい。

まあ、今の20歳なんてこんなものかもしれない。でも、家の息子はアメリカ帰るときに、立ち上がって「お父さんお母さん、僕は自分の人生をアメリカで掛けてみたいと思います。けれど、挫折したら、日本に帰りますがその時は家に帰らせてください。」と言った。私は「自分の人生は自分で決める。自分で切り開く。親は何もできないし、しない。」と息子に言ってある。今後は教育費は出すが、生活費は自分で稼ぐようにと言い渡した。実際のところ彼はアメリカにいるのではそんなに多くのことをしてあげられないのも事実なのだ。

家の子供達はつらいだろうが、それに良く耐えている。お兄ちゃんも弟も、泣きながらも、こんなおっかないお母さんについてくる。けなげな子供達を見ていると、時々肩をたたいてあげたくなるが、しない。するもんか。私の方が真剣子育てにギブアップしないように、気持ちを保つのがたいへんなんだから。子供になんか負けられないし、優しくしたらこちらが終わってしまう。理解してもらえるかしら。ここら辺の親の心境。怖い母親だろうけど、弁当作りはお兄ちゃんにも3年頑張った。弟にもしてあげるよ。問題はおねえちゃんだ。
11日(日) 今日も朝から子供の用事に付き合った。実は子供の中学受験につきあったのである。昨日の受験の結果が朝10時に発表されると言うので、心引かれる思いで出かけた。彼は合格した。良かった。

彼は昨年10月中旬私のアドバイスもあり、受験を決めた。でも、どう考えても準備不足である。それで、ある中学校を専願にした。しかし、合格だけが理由で専願のしたわけではない。息子は何校か見学に行ってその学校が一番気にいったようなのだ。校舎が優しいのである。木がたくさん使ってあり、校舎の中の空気の柔らかさを感じた。キリスト教の学校なのだから、言葉の使い方からして安心するのであった。説明会の校長先生のお話も嬉しかった。と言う事で、息子はこの学校に入りたくなったのである。また、あるときこの学校のチャプレンのお話を聞き、受験の気持ちが固まったようなのである。他の学校に行った時、息子は外から校舎を見るなり息子はこんなマンションみたいな学校に入学したくないと言った。校舎の作りで見えてくるところもあったのだろう。

私の場合は、チャプレンの話を今年あるところで聞き、そのチャプレンの祈りに答えて子供を受験させようかと思ったのだ。しかし、私は子供を自分達のキリスト教世界でずっとすごさせる事ができるあまりの贅沢(?!)に本心では戸惑いもあって、受験したらと子供にいえなかったのだ。それに、家のような貧乏な家庭がこんなお金を出す学校に子供を通学させてもよいのかと気後れも感じた。お兄ちゃんも公立で、私も公立、夫も公立の学校を卒業しているのである。私立の学校に私の家族はぜんぜん縁がなかったのである。説明会に行って、私は帰りたくなったぐらいである。しかし、息子はその説明会に行って、是非この学校に入りたいと思ったようなので、御心だったのだろう。

とにかく、彼は第一志望の学校に入学が決まった。彼のためにとても嬉しい。お世話になった方には御礼を言いたい。受験は本当にいやなものだ。それに息子は私が思ったほど勉強しなかった。自分が受験したらもっと楽だろうにと思った。後は、健康で真面目に学校に行き、楽しく有意義に学校生活を送ってほしいと願う。祈っていよう。洗礼に至る事を祈ります。

ブラックソン家の”お受験”はたった2ヶ月で終わった。終わってよかった。ほっ。お兄ちゃんの受験の時は、彼は自分ですべてをしたのでとても気が楽だった。大学も自分でするだろう。後はおねえちゃんの高校受験のみ。この子の場合は就職のことも考えての進学だから大変だろうと思うが、これも御心のままか。そう思うと気も楽になる。やった〜〜〜〜。子供もそうだろうが、ママもすごい解放感!!!
10日(土) 今日は朝から息子の用事に付き合い、お昼はステーキのドンでランチを食べた。珍しく外食だった。息子なんてしょっちゅうステーキのドンの前を通るのに一度も入ったこともなかった。(子供が3人もいるとどの子をどこに連れて行ったかすら忘れる)一家でランチといったって、4,5千円も掛かるのだと思うと早々お出かけもできません。

午後はクリスマスツリーをしまったり、お勝手の片付けをしたり、事務室で少し仕事をしたりしていたら、5時過ぎ。あわてて買い物に行った。ヤオコーはいろいろな人にあう。立ち話をしていたら、7時になって帰ってきた。自衛隊にお勤めの人の話。元同僚がクウェートにいった話。戦争は皆嫌いなのにどうして止められないのか。ブッシュがいけない。ブッシュが。危ないところに行く自衛隊の皆さんのご無事を心から祈っています。死なないで、怪我や病気をしないで。自衛隊と総体で言うのと、お友達やその夫と思うと思いがぜんぜん違う。お仕事だから行ってくださるとはいえ、申し訳ない。ある人は独身なので、他の人のことを思い、言われてすぐ行く事に決めたそうだ。他の人、すなわち子供や年老いた親のいる人は本当につらいだろう。
9日(金) 今日は朝からスタッフがきて、印刷やら原稿直しやら、封筒詰めやらいそがしかった。午後はある人と入間市にある保育室を見に行ってきた。できれば、保育室を作りたいと思っている。御心ならばどうにかなるでしょう。

忙しい。仕事っていいなあ。忙しいと忘れる。それにしゃべっているとおなかに溜まるのだ少なくなって精神状態がよくなるようだ。ネットニュースに昨日視察したプラスティックリサイクルの記事を載せようと思う。うまくまとまっているだろうか。
8日(木)
9300カウント
今日は午前中はネットニュースの原稿書き。午後は1時から太誠産業へプラスティックごみのリサイクルを見学に行った。2時からは女性講座の会議、4時からは議会だより委員会の会議、5時半からは議会の新年会。何がなんだか分からないぐらい忙しかった。周りの人が気を使ってくれて「時間です」と教えてくれた。

新年会は市長、助役、教育長、衆議院議員、県議会議員、皆さんお越しくださった。市議会議員もほぼ全員出席。私は飲めないのでウーロン茶。今年は本当に正念場のような1年になる。議員が良い意味で緊張している。だんだん自信がなくなっていく。政治的直感だけで動けないけど、それも大切にしようと思う。
7日(水) とうとうおにいちゃんがアメリカに帰った。アメリカに行ったというのではない。昨日から荷物を作り、大きなスーツケース、ゴルフバック、大きな手荷物、それにコンピューターバッグという持ち物。全部チェックインできるのか、持込できるのかと心配したが、すべてOKだったようで、何一つ空港からこちらに送り返さずに済んだようだ。今は太平洋の上を飛んでいる事だろう。お兄ちゃんの学力は多少心配だが、彼の人間性やガッツを私は高く買っている。しっかり生きることだろう。彼は信仰もあるしね。

実は彼は成田に行くのに、所沢からバスで行った。時間の関係で私が車で所沢に着いたときにちょうどバスが出るところで、さようならといえなかった。感傷的にならずに済んだ。弟は泣いていた。次はいつあえるやら。ここが夫の出張と違いいやなところだ。夫の出張は帰る日が決まっているが、お兄ちゃんは帰ってこないかもしれない。

午後は仕事をし続けた。すすむ会ネットニュース1面を作り上げた。明日は2面である。明日から学校が始まる。早く寝て早く子供をおこなさなければ。
6日(火) 今日は朝狭山市駅西口に行き、年頭の街頭演説をした。こちらは日が当たらないので寒く、冷える。バスは次々やってきて、たくさん人を連れてくる。危ない状態。早く西口開発に取り掛かりたいと願った。今年、イラク問題が解決し、アメリカ軍の撤退が始まることを心から願い、復興が国連を中心にイラク人の力でなされる事を願っている。祈っている。でも、ベトナム戦争が15年もつづいた事を考えると、今後の行方に暗澹たる思い。自衛隊の人が本当の復興支援ができると良いけど。自衛隊を何百人も送るお金があるとしたら、それで家や学校をたくさん作れるだろうに。

午後は教育委員会により、企画により、カルフールに行き、帰ってきたら5時過ぎだった。明日、息子がアメリカに帰ってしまう。夜は荷物を作った。ゴルフクラブも持っていくのだそうだ。野球は人がいるけれど、ゴルフは2人でも楽しめるらしい。息子や息子の友達は安いパブリックコースに高校生の時から行っていた。未成年者で勿論アルコールものまないし、タバコもすわない。運動をするのは大歓迎だ。

唯、と親は思う。将来に目を向けていてほしい。未知のところに羽ばたく準備。息子も不安だろうが、親だって十分不安。でも、私の人生を見ても、決して平坦ではなかった。思い通りに生きたわけではない。祈って、神様の御心に沿ったことをしようと思ってほしいだけだ。実家と言うものは何か起きたとき、いつでも帰ってこられる場所でありたいとおもうが、やはりひとり立ちして自分の人生を生きていってほしい。親としては寂しいが、子離れしなければならない。子供も巣立て。
5日(月) 今日は、朝狭山市駅東口に行き、年頭の街頭演説をした。本当に今年は暖かい。1時間ほど、これからの日本や狭山市の展望と私の豊富を述べさせていただいた。かなりの方が、足を止めて聞いてくださっていた。とても励みになった。

10時まで議会事務局にいて、帰ってきた。息子を買い物に連れて行った。スーツケースは一杯になった。これで当分帰ってこないだろうが、必要なものを持っていく事になる。息子は炊飯器を買った。おいしい御飯が食べたいとの事。アメリカで買った安物ではおいしい御飯は食べられない。

夜はお刺身。日本のご馳走をたくさん食べさせたかった。お母さんの手作りが食べたいと言うのでたくさん作った。明日は最後だけど何が食べたいと息子の聞いたら焼肉だそうだ。何で焼肉が食べたいのかなあ。アメリカでも食べられそうなのに。まあ、いいか。明日は焼肉パーティーである。
4日(日) 今日は日曜日。朝は賛美歌を聴きながら聖書を読んだ。スポルジョンのデボーションの本を読んだ。祈った。祈りが聞かれえるとよいのだけど。

午後は1時に1時半出発のデモのために稲荷山公園駅に行った。スタッフの一人が来てくれて心強かった。お正月なので、参加者が少なかった。それでも、2,30人にもなった。入間市議会議員の山下さんは広報車の乗り、最後までウグイスをした。私はやはり、フロントラインに立つべきだろうと、始めの旗を持ち、半分歩き、後はプラカードを持って歩いた。本当は全部10キロなんて歩けないと思い、途中で車に乗せてもらおうと思っていたが、全部歩ききる事ができた。シュプレヒコールもなく、真剣に歩くだけのデモだった。

歩いている途中、特に狭山市に入ってからは、多くの人が家の前に出て、手を振ってくれたり、家から覗きながら見ていてくれたり、一緒に歩いてくれたり、とても嬉しかった。私は、支援者の方にメールで、ファックスで、ホームページでこのデモのことをお伝えしていたが、結局スタッフと2人で参加で少しがっかりしていた。だから、狭山市民の温かいまなざしを感じ、きっと私のこと戦争反対、イラクへ自衛隊派兵・派遣反対の気持ちを理解していただけたんだと思った。

私には自衛隊のお友達もいる。友達の夫が自衛隊と言う人もいる。仕事だから行けといわれたら、皆行かざるを得ないだろうが、本当にご無事でと願っている。放射能は何年もして癌となり発病するらしい。病気にならないでとも願っている。勿論、死なないでと願っている。本当はイラクの派兵・派遣なんて止めればよいと思う。早くアメリカが撤退して、イラク人による強い政権樹立をしてほしい。これはパラドックスだ。強い政権でなければイラクは自立できないとしたら、また、民主主義とは遠い政権になるのではないか。こう考えれば、アメリカが志したイラクを民主国家にという筋書きは無に等しくなる。こんな事は侵入する前から分かっていたのに、アメリカはそんなに石油の利権がほしかったのか。

莫大な復興支援費が掛かると言われている。その半分はアメリカによると日本が肩代わりしそうだ。ばかばかしい。国は一般予算ですら、半分が国債という借金でまかなっている貧乏所帯の日本。20兆円ともいえるお金を今後どう用意してイランの復興に当てるのか。14億円なんていう復興支援費で済むわけがないのだが、こんなことをしたら、今国債を買っている都市銀行の国債の価格が暴落し不良債権化し、日本丸は沈没してしまうだろう。そうなった時の悪夢を想像する事すら怖くてできない。小泉首相を選んだ人達は、これを全部分かっていて未だに支持しているのだろうか。あ〜〜〜〜。怖い。
3日(土)
9200カウント
今日もゆっくり。家事をして、ホームページを更新して。終わり。ようやく、夫や息子、娘が新潟から帰ってきた。今年は、結婚後初めて帰省せず、家にいた。こんなに気を使わずにのんびりできたのは、初めてだ。寂しい年末年始だったし、どこにもご挨拶にも行かなかったが、友達は例年の事だとして許してくれるだろう。

夜中、3人が帰ってきて本当ににぎやかになった。幸せをこんな時に感じる。今年もきっと神様からの恵みと祝福に満ちた年となる事であろう。皆さんへの恵みと祝福をもう一度祈ります。戦争をやめ、真のイラクの復興がありますように。また、地震でたくさんの方が亡くなられたイランの上にも慰めが与えられますように。アーメン。
2日(金) 今日は、朝はゆっくり。午後は、息子と大喧嘩。一生懸命生きることを話してもつうじないな〜。テレビにかじりついて「ウオーターボーイズ」見ているので、そのテレビの伝えるもの、あきらめない事、頑張ることなどを学んでほしいのに、「面白いから見ているだけ」という。テレビのドラマをドラマとしか見ていない。画面の向こうのおとぎ話だけど、そこから胸に何かが溜まるかと思いきや、唯面白く時間が流れて、退屈しないだけなんだ。我が子ながら、本当にがっかりした。この子は親の言う事を、まともに聞かない。私の育て方が悪かったのだろう。

買い物に行き、アメリカへのお土産を少し買い、念頭の街頭演説をヤオコー前で行った。戦争反対の事。イラン派兵反対のこと。合併のこと。市政50周年の事。行革の事。2004年を向かえするべきことの考えを述べさせてもらった。夜は友達と朝方までマージャン。負けた。
1日(木) 今日から2004年の始まりである。新しい思いがむくむくわいてくる。まず、生活を正そうと思う。最近は朝起きる時間が遅くなった。早寝早起きに勤める事にしよう。仕事はできれば夜10時半までに止める。書斎に入るのを午後8時前は止めて、家族と過ごそう。メリハリのある仕事を進めたい。少し、休みを取ることも考えよう。

今年はもう仕事を始めて、印刷を終えた。12月議会報告をいつでも出せる状態にした。年4回の議会レポートの発行と後援会用のネットニュースの発行をつづけよう。勿論会計報告も止めない。街頭演説も忘れず、続けなければ。

合併問題がある。ポテンシャルの高い街づくりをどうするかを私は議会を通じて提案しなければならない。この1年が勝負でしょう。無所属という立場でいるメリットを自覚して、会派に属している議員さんがいえない事、思っている事を勇気を持って発信しよう。、市民の弱い人、虐げられている人の立場に立って、今年もごまめの歯軋りにしかならなくても発言し続けようと思う。研修・研鑽に励み、アンテナを高くし、狭山市がより一層よい市になるように、骨身を削る努力をしていこう。

この何年も自分のことや家族のことを2の次にしてきた。家族や自分を大切にしないで、よい政治ができるだろうか。自分の生活を大切にしてこそ、人の痛みが分かるのではないか。私は「いたわりあう街・狭山」を標榜して、当選した。まず、身の回りの夫や子供をいたわらずに、本当のいたわりを市政の中で追求できるか。人に優しくなるためには、時には自分が満身創痍になることもいとわない強さが必要だ。神様に祈りながら、御心にかなう事をしていきたいと願っている。今年も神様からの祝福と恵みがありますように、お祈りします。

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