私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
10月 私の独り事
31日(日) 今日は、朝からばたばたしていた。礼拝にも出席せず。こんな時には聖書を読んでも中々頭に入らない。午後一で商工祭に行ったが、駐車場が一杯だった。待てなくて、午後にあった国際交流協会主催のチャリティーコンサートに行った。末の息子が一緒だった。この子は音楽部でユーフォニュームを吹いている。途中で寝るかしらと思っていたが、ピアノ5重奏曲をちゃんと聴いていた。息子と同じ趣味を持てて嬉しい。

演奏は立派だったが、多少観客に問題ありだった。じっとしていられない幼児を連れてくるのはマナー違反だろう。来たい気持ちは私だって理解するが、あれは非常に迷惑だった。私達は席を替わったし、他の方も席を動いた。これは自由席だからできたことで、指定席だったらはっきり文句を言ったところだった。

個人的な趣味からいえば、私は国際交流会の方々がはっぴを着ていることはなんだか嫌だった。昼のコンサートだからか、普段着の人も多かった。時間が遅れた事も有り、外でハンドマイクでがなっているようなのも、私の趣味ではない。クラッシック音楽を聴くのに、お高くとまっている事もないかもしれないが、あまりにもリラックスしていて私は逆にショックを感じた。アメリカでは天井桟敷でオーケストラを聞いたものだが、それでも精一杯おしゃれをしたものなのに・・・日本にはTPOはないのかもしれない。日本で着飾っていけるところは、唯一結婚式しかないのかなあ。
30日(土) 今日は、朝から中学校の合唱祭に出かけた。役員だから、早く行って駐車場係りをした。その後、合唱を聞いた。2年生は本当に上手になった。感動できる合唱がいくつかあった。3年はチャレンジが足りなくて、簡単な曲を選び、つまらなかった。また、どういうわけか手をつないで歌うのがはやっているが、合唱の邪魔だね。歌を聴けない。歌うのは自分達のためというのだろうが、聞かせる、聞いていただく時にはしてはいけないことだろう。歌詞が入ってこなくなる。

この学校は昔から合唱に力を注いできた。お兄ちゃんは優秀指揮者賞も貰った事があった。歌を聴きながら、長男達のことを思い出した。市内合唱祭も行って聞きたいと思った。
29日(金)
18200カウント
今日は、朝友達が来た。話を考えながら聞いた。午後は違う人がスペシャルオリンピクスに関してやってきた。ようやく、すこしずづ動き始めた。事務局はやはり私がしなければならないようだ。
28日(木)
18181カウント
私がゲットです。
今日は朝家事を終えてから、社会福祉会館で「障害者親の会」の人たちとスペシャルオリンピックスの事で話をした。矢沢博之君がアルペンで2月の世界大会にでる事が決定しているので、トーチランに協力してほしいとお願いした。協力はするということだったが、実行委員会には参加できないとのこと。理解した。

午後は昼ごはんを食べてから、少し仕事をし、その後友人が来た。彼女は虐待を受けた子供のシェルターをしたいと言う夢を持っている。夢がかなうといいのだが、どうなるだろう。後で看護師の友達も偶然やってきた。そこで、スペシャルオリンピックスの話になり、彼女にトーチランのときにナースとして来てくれることをお願いしたら、快く承諾してくれた。日取りは1月15日を考え始めている。
27日(水) 友達から多くのメールや電話で新潟県の地震のお見舞いをいただきました。親戚野中ではまだ避難しているものもあるようですが、命に別状有りません。父母も元気です。ご心配いただいて心から感謝です。HPをごらんの方もきっと心配してくださっていらっしゃるかもしれません。心配ありませんので、ご報告させていただきます。ありがとうございました。

今日は朝からだらだらと赤松良子さんの「均等法をつくる」を読んでいた。なぜなら、研修報告に中々取り掛かれないからである。やり始めれば何とかなると思っているのだが、取っ掛かりがつかめない。このご本は女性のための政治スクールで赤松さんの講演を聞いた後に買ったもので、サイン入りである。

赤松さんは有名な方で有られるし、坂東さんの選挙の時にもがんばっていらっしたりで私は何べんもお会いしてお話を伺う機会を持ってはいたが、この本を読んで、どんな仕事をなさった人か良く分かったように思う。あまり気さくな人だから、あんなに偉い人ですごい事をやり遂げた人には思えなかった。それなのにとても謙虚で、「男女平等実現のための長い列に加わる」ことへ素直に喜んでいらっしゃる。いつもニコニコなさっているものだから、辞表を片手に法律を作り上げた凄腕おばちゃんには思えない。本当に、脱帽です。

つい、自分のことを振り返ってしまう。私もどんなところにいようとも志を高く持って頑張ろう。女性の地位向上を推進する事は私の議員としての仕事の大きな部分だ。狭山市セクハラ防止委員会もまだできていない。議会でセクハラ講習会が1度たりとも持たれたこともない。狭山市には女性議員だって5人しかいない。まだまだだ。女性の幹部登用だってまだまだだ。男性の意識だって、女性係長にお嬢さんと言うような人もいるんだからもっともっと啓発もひつようというものだし・・・

いつか神様が許してくださって、誰かが必要としてくだされば国際機関で働きたいと言う思いがしてならない。そのときが来ると良いけれど、こればっかりは分からない。とりあえずは、男性に負けず議会でよい仕事をしていくことが私に課せられた責務だろう。
26日(火)
18100カウント
今日は朝議会の議員が集まり、国体を観戦した。紀宮清子さんがいらっしたのでお迎えをした。議長は緊張気味にお出迎え。市長の姿を見ながら、ああ、潤ちゃんはこういう事をしたかったんだろうなあと思いながら見ていた。一人ぼっちで複十字病院で逝った時、潤ちゃんは栄光の時のことを思い、無念ではなかっただろうかなんて思った。町田さんは素敵なところが一杯あったのに、どこかで悪魔と手を握ったような黒い所がある人だった。私のような単純人間には理解できない人だったなあ。でも、今日は、仲川市長を見ていて、町田さんを偲んでいた。

議長の姿を見ていて思ったことは、男の人はああいう時を求めて戦うのだなあと言う事である。宮様から声を掛けていただく一生にきっと一度の時、議長としての各種挨拶の時、その時々の栄光を男は(もしかして女も)もとめて、本当にしのぎを削る。今年の議長選挙の時のドサクサを思い出した。「それが何ぼの事かい」と思うのだが、それはそれは魅力的なことなんだろうと想像してみている。

宮様という方をはじめて見た。そばに行ったわけでないので、見たという表現しかできない。華奢な女の方であった。気さくにお言葉をおかけになっていらっしゃったがそれでもそこだけが空気が違うと言う感じであった。多くの警備の方や随行の方が一緒にいらっした。それでも、30分ご観戦になられた。1分も時間をたがわず行動なされ、朝から夕方まで観戦と言う公務をお勤めになる。自分の時間をお持ちになる事があるのかしらと思った。公人中の公人だから仕方ないとはいえ、お可哀相にと思ってしまう。一般の生活をなさっていた雅子さんがノイローゼになるのは無理がないと思った。

議員の懇親会をしたが、本当に飲まなくなった。それでよいと思う。飲む人からも文句も出なかった。
25日(月) 今日は朝病院に行った。結果は肥満を直すようにということ、血圧のチェックを毎朝するようにとのことだった。血圧計を買わなければならないかなあ。最近、血圧の上がることが多かったものね。今後は少し下がると良いけど。しょっぱいものを食べないように、塩分を取り過ぎないようにとのことだった。

午後から、研修報告に取り掛かってはいるが終わらない。

夜、新潟の親戚に電話を掛けた。新潟県の親戚は皆安全だった。とりあえず、ほっとしているが、余震が中々終わらないのが怖い。狭山市は救援物資を送った。とりあえず私の出番はないようなのでよかった。
24日(日) 今日は朝礼拝に行った。葉は茂っても、みのっていないイチジクの話。外は立派なのに、やっていることは立派に見えるのに何の成果もない上辺だけの人間になるなと言う事。信仰に忠実のように振舞っていても、実際には神に忠実に生きていないこと。そうならないように生きなければ。

午後は家事に励んだ。毎日急がしいのでお手伝いさん任せにしているが、やはり主婦が手を掛けなければならない事も多い。今日は、柿の木を買ってきて植えた。桃栗三年柿八年と言うらしいが、これは2,3年で実をつけるそうである。楽しみにしておこう。家は小さな土地に建っているので庭もまともにない。だから、玄関先にポット植えのパンジーなどを置いている。すこしでも、植物があると嬉しい。夫が好きなイチジクの木も植えてあげたいなあと思っているが、苗木を見たことがない。いつか、見つけておいしいイチジクの実を収穫してあげたいなあ。
23日(土)
18000カウント
今回はIさんだった。
今日は朝一生懸命で埼玉県内の市町村の上水道に関する資料を作っていた。彩ネットの上水道の勉強会は私が担当だから、県の職員さんをよんだり6月からコーディネートが大変だったのだ。午後はシーノ大宮で彩ネットの第2回目があった。そのはじめは大沢さんと言う広告デザイナーの話。ポスターなどどのように作るかについてだ。いやみではなく、候補者のよさを見ていただくような選挙ポスターが必要だ。私が紹介した人だった。だから、評価を気にしたのだが、よい評価で嬉しかった。

その後、県の企業局から役人さんに来ていただいてお勉強会。県の水道の話を簡単によくまとめていただき分かりやすかった。もっと時間があったらよかったのにと思うが、足りないなあと思うぐらいで十分なのだろう。私の話は資料を配ってその内容を言うだけで終わった。県水以外のことを話そうとしたのだが残念。でも、出席者は横瀬町の議員のほかは県水を使っている人が大半だったので、今日の県の職員の話で十分だったろう。収穫は八場ダムを作ったら1円ちょっと水道料にうわのせになるかも知れないが、その分を他のところで捻出し、値上げをしj内方向にしたいと言う事であった。

夕方、皆でお茶をし始めたら地震が来た。大きいねえなどといいながらいたが、ある人の携帯が繋がりどこで何が起こっているかがわかり、早々に帰ることにした。なんと、新潟で大地震があった。親やおばのところに中々電話が繋がらないので心配したが、なんともないらしくて安心だ。広神村の父の実家はどうなっているだろう。おじやからは少し離れているし、山の近く、川の近くでないので大丈夫だろう。

ところで、18000カウントをIさんがゲットしたとメールが届きました。私は今日の朝16994まで行ったけど、仕事があってゲット不能と思って覚悟をしていたのですが、どうしてたまたまIさんがゲットできるのか。私の読者はI さんとSさんしかいないわけじゃないと思うんだけど・・・次の19000は他の方が根性(?)だして、I,Sさんから奪取お願いします。そして、はれある20000は私本人がゲットしたいと思います。(19000は放棄するところは、本人としては奥ゆかしいと思います。)
22日(金) 今日は朝から忙しく事務所で働いていた。あっという間に3時になり、4時になった。ミーティングをしたいと願ったのだが、時間もなくあわたただしく終わった。夕方買い物に息子と出かけた。カルフールは楽しいし、安い。なくならないことを望んでいる。

夕食後、日本語学級に行き、小学校5年生にものの数え方を教えた。「難しいね。」と言いながら一生懸命に覚えようとしていた。いっぽん、にほん、さんぼん、よんほん、ごほん、ろっぽん、・・・私達は自然に覚えた事だけど、覚えようとする外人には難しいんだろうなと思う。知り合いの韓国人さんがいた。漢字を習わない韓国人の世代なのだ。もっと、本が読みたいということらしい。

帰ってきたら、奈良女子大学の化学同窓会から電話があった。勿論、私は同窓生である。誇り高いが多少時代遅れのした奈良女子大学大学院時代を懐かしんだ。けれど、男性教授を頂点にしてそれにかしずくような化学教室のあの頃のありようを思い出すと、旧制女子大の名残がおりのように溜まっていたのを重苦しく思う。今はもうそういうことはないのかもしれないが、ジェンダーの視点から言えば、全く古く、女子大なのに男社会だったなあと思う。私の時の助手の先生は博士号もとり、アメリカに留学もし、たくさん論文を書いたが、教授になれたのだろうか。女性で他大学に行かなかった人だけに心配だ。

奈良女子大学大学院時代は文化的には多くのものを見聞きした。奈良の何世紀にも渡る東大寺の催し、唐招提寺の催し、法隆寺、長谷寺、などなど多くの物に接した。京都も近かったし、美術展に行った。どういうわけかあまり大阪には出なかったが、一度だけ天満の何かの祭りに言ったように思う。季節が昔の絵巻物語りにあるように過ぎていった。季節の花が坪庭に植えてあり、菖蒲の頃には菖蒲が、菊の頃には菊が、冬には椿の花が咲いていた。詩を書いて、詩の同人誌に載せてもらった事もあった。ほめてもらったのに、どうして詩作を止めてしまったのだろう。

昨日から、金子みすずと立原道造の詩集と評伝を読み始めている。みすずさんの「明るいほうへ」を読んで彼女が自殺した心境がなんだか分かるようになった。立原道造さんはいつまでもいつまでも青春の人で季節が、特に軽井沢を歌った季節が透明で悲しい。「今はもう秋、昨日は夏だった。暖かな陽気な日差しが林の中で揺らめいていた。」「はるかな青空や流される浮雲のことを、忘れないだろう」信州大学の合唱部で歌ったこの歌の詩を一生口づさむと思う。私の弱った心には24歳で逝った道造の優しい詩が体にしみこんでくる。センチメンタルだろうが。
21日(木)
17900カウント
今日は朝から今まで溜まっていた書類の整理、葉書の返信を書いたり、報告書のための資料を集めたりしていた。2時過ぎにベッドに横になった。昨日までの心身の緊張がほどけたのだと思う。疲労感が抜けなくて、午後の教育委員会の傍聴も止めてうちにいた。だkら、報告書を書こうと思って、ワードを開いたがやる気になれず、そのまま閉じてしまった。こんなに仕事をしないのも、絶えて久しい日だった。

昨日の台風で多くの被害がでたとニュースでいっている。入間川のそばに住んでいるので、夜中まで堤防にいき、水かさをみていた。今朝は水が少なくなっていてほっとした。雨が降ると不老川一体が浸水しないといいなあとおもってしまう。市議会議員の習性かなあ。
20日(水) 今日は、朝から電話が絶えなかった。9時半からは今日の議会報告会のために出かけた。いつもの通り、楽しく「からくりカード」を作りながら議会報告や現状報告をした。午後は、男女共同参画条例制定勉強会に出かけ、勉強した。

今日、私は8日づけで書いた人権侵害問題に関して相手議員の謝罪を受け入れた。文書で謝罪をと言う事で納得した。実は告訴も念頭にいれ、昨日の段階で弁護士に予約を入れてあった。法的手段をとるのは不本意だったので、今回の謝罪を受け入れた。記者会見の設定も念頭にいれていたが、大事にしなくてもよくて嬉しい。いろいろあり、このことで心身ともに疲れた。しかし、とにかく後日のために弁護士にはあっておこうと思ってはいるが・・・

議会での対応も正副建設委員長が議長にあい、いくつか要望をしてくれたようであった。とにかく、セクハラ・人権問題の講習会を開く事、来年しっかり取り組む予定の政治倫理条例にセクハラ・人権侵害に関しての事項をいれ、倫理委員会で苦情に対応するシステムを作る事、それまでは委員長、議長がこの問題の対応に当たる事、などを要望したと言う事である。議長は先の議員の言辞にふれ、品位を欠いた発言であったと言う事を述べられたそうだ。できれば、要望した事が実現してほしい。

私はクリスチャンで人を裁くなと聖書にあるし、柔和でいなさいとも書いてあるにもかかわらず、今回のように怒っているのは辛かった。自分だけが義人で相手は悪人とは思わない。だからこそ、まず私が謝罪した。事を起こせば、私だって実際以上に傷つく。だから、今回の決着で良かったと思うのだ。また、狭山市議会の品位を保つためにも、このように決着した事で良かったと思っている。

いろいろ考えた。まだまだ女性差別、外国人差別などは本当の意味で解決されていないのだと痛感した。男女平等といいながら、男性の一部には女性が対等であるという認識に欠ける人もいる事も分かった。根強い偏見もあるのだ。国際結婚に好意的でない人がまだまだいるのだ。地元意識とよそ者意識があることも、地元の人と仲良くと思ってもそう簡単な事ではないのも実感した。いつもは見て見ぬ振りをしていた事に正面から向き合わされた思いだ。

とても嫌な思いをしたが、だからといって、絶望してはいけないだろう。多くの人が支えてくださった事に感謝を捧げたい。友達、支援者、女性の方々、狭山市議会の一部の議員、今回に関しては味方が多かった。傷つき孤独で悔しさを我慢してきた日々を思い起こせば夢のような事だった。何かをすると徒労感が伴って空しくなるのが常だが、今回は多くの皆さんのご支援と議会での前向きな動きでそんな思いが飛んでいきそうな気がしている。たとえ、今日だけでもそう思っていたい。謝罪をしてくれた議員さんも含め、本当にありがとう。
19日(火)
17800カウント
今日は朝から議会の全員協議会があった。合併の事などいろいろあった。ニュースになったらしいが、狭山市の職員が公費を流用、横領をして、懲戒免職になった。実は今年になって、第2環境センターで集金したお金がなくなっていて、警察によって解明してもらおうとしたが、犯人が見つからなかった事があった。お金の杜撰な管理が問題だ。この横領が分かったのは、工事代金を払ってもらっていない業者が上司にクレームをつけたことが発端らしい。工事代金を払ってもらえなくて泣き寝入りしたような会社がないと良いけど。勿論この人の横領分は返してもらったようだし、流用(200万円)もきちんとしたようだ。

いろいろな事があり、いろいろ電話が掛かり、いろいろ電話をし、様々な意見を聞き、様々な思いを話し、怒っているのも疲れてきた。でも、少なくとも謝罪は要求して行きたい。

今日の建設委員会で私はセクハラ、人権侵害発言について、正副委員長に問題解決を願った。明日、議長の所に行くと言っていた。ある市の女性職員に「お嬢さん」などと言った議員は私の指摘をうけて、協議会の場でセクハラの思いはなくそう言ったのだと謝った。本人がそう思わなくても、セクハラなのだ。やはり議会でも、セクハラ対策を厚生省の指針を元に作るべきなのである。何がセクハラなのか分からない人も多いようなので、セクハラ講習会・人権講習会(女性差別も含む)を議会でも率先して行うべきだと思う。

私が憤慨しているのを多くの議員が知っている。きっと職員も市民の方も知っているだろう。私個人のことだったら、今まで何べんも我慢してきたように我慢できるが、この度は許せない。また、このことは許せないが、もしこんな事があっても議会がセクハラや人権に前向きに取り組まなければ私の怒りの意味がないと思う。怒っているのは大変のエネルギーと祈りと家族も含め大きな犠牲があることを、このHPを見ている方々に知っていてほしいと思います。
18日(月) 今日は朝病院に行った。血圧も高いし更年期障害らしいほてりもあるしということ。 それで、医者に言われた事が肥満です。痩せてくださいとのこと。そんなことは、医者に言われなくてもよくわかっているのだ。検査の結果、脂肪が肝臓についていると言う事だった。まあ、癌でないのでほっとした。ストレスがいけないといわれても、ストレスは溜まる一方だ。

昼役所に寄ってから、萩山に娘の薬を取りに行った。夕方また役所に寄ってから帰ってきた。夜はいろいろ話をして、特に狭山市議会のセクシャルハラスメントに対する姿勢について他市の議員から批判された。ある一人の議員のことではなく、市議会として対処するような破廉恥な言動だと言うのがその人の言い分であった。謝罪をしていただくだけでなく、今後の事も考えるべきだというのが多くの議員の意見だった。

実は土曜日には女性の政治スクールの人にその話をしたら、女性団体から抗議文を出そうかという話もでた。DV政策を進める会ではいつでも抗議するだろうし、彩ネットの議員仲間だって黙ってはいないし、市川房枝政治参画セミナーの全国にいる友達に言えば、全国規模の抗議運動にもなると思う。狭山市議会として、取り上げてもらうべき事である。ただ単に私の人権問題というには、あまりにもひどい発言であった。
17日(日)
17700カウント
今日は朝礼拝に行った。マタイでイエス様が神殿の物売りのテーブルをひっくり返したと言うところ。イザヤ、エレミヤからも引いた。神様のイエス様の怒りを真似てはいけない、それは自らをイエス様と同等にまで高める事だからというようなことだった。牧師はバルトの書物からやルターの書物を紹介していた。なるほど、と感じながら説教を聴いた。

午後は食事をし、洗濯物ができていたので干したりしてから、万灯祭りに行った。途中で友達とあった。一通り回って、民族の会の呉さんのブースで店番をして帰ってきた。夕方、ヤオコー前で演説した。
16日(土)
今日は東京の半蔵門で緒方貞子さんの講演会を聞きにいった。内容に取り立てて思うことはなかったが、いつか国際的な組織で世界の子供達の働きがしたいと言う思いが膨らんだ。国連で働いてみたいと願っている。勿論、このことは昔からの夢なのだが、いつかいつか実現したいものである。

講演のあと、女性のための政治スクールの修了式があり、第10回の修了証書をいただいた。私は皆勤とは行かなかったが、かなりの出席だったと思う。その後にあった交流会にも出席した。ニュージーランドも一緒に行ったりして心が打ち解けているだけに、別れが惜しまれた。来年度はこの会をどのように持つかは知らない。来年は選挙の準備もあるので出席できるかどうか分からないが、デンマーク視察があるならば参加したいと思っている。
15日(金)
17600カウント
今日は朝事務の打ち合わせをした。その後、1時から議会だより委員会の正副委員長会議。議会だよりをより市民に読んでいただけるようにしたいと心を砕いている。その後、障害者福祉によってから、子育て支援のことと児童虐待のことで立ち話。帰ってきて、買い物に行き、夕御飯を子供に食べさせた。

8時から中学校での野球の母の会の集まりに出かけた。帰ってきてもう12時を回っていた。いつもの事ながら、私が上機嫌で帰ってきたのを見て、息子が「お母さん達仲が良いねえ」と感心していた。子供が中学校を卒業してもう5年にもなるのに、春秋2回バーミヤンで集まってわいわい騒いでいる。気心がしっていて楽しい集まりである。

来年の成人式のことが話しに出て、私達親も同窓会したいなどと言っている。ホント、皆どうしているかなあ。子供が育ってしまい、ぜんぜん会わなくなった人も多い。
14日(木) 今日は、朝から決算委員会で審査を行った。昨日は忙しくて夜の10時まで決算の勉強をできなかったので、今朝朝の4時まで勉強をした。朝、6時半に起きられないと思って、勉強の後息子の弁当を作ってから少し寝た。

決算委員会は5時まで続いた。去年はもっと長かったらしいので、質疑が活発でなかったのだろうか。私もいい加減質問を飛ばしたところもあった。それでも、この委員会は黙れ、しゃべるなという圧力が少なかったので、比較的遠慮しないで質疑ができた。それでも、まだまだ悔いは残る。完全燃焼、もうこれ以上はできないと自己満足できるほどの仕事をしたい。今まで、そう思えることの方が少ない。とにかく進化途中だと思おう。

夕御飯を作りに帰ってきて、その後、スペシャルオリンピックの事で新所沢にミーティングに出かけた。まあ、トーチランをどんな形でできるかを考え始めている。できるかどうかも今の所不明。
13日(水)
17500カウント
今日は、午前中原稿を書いていて終わった。午後は、図書館によってその後合併協議会を傍聴した。結局、議員は特例措置を使わず合併即選挙となる。アンケートの件は全有権者に郵送で是非を問うようになる。

選挙は嫌いだけれど、特例処置を使わないのも1つの選択である。選挙期間は1週間だが、今までの議会活動の総決算でもある。今まで以上に市民の声をくみ上げ、丹念に情報を開示して私のような無所属、市民派の議員が必要である事を理解してもらおうと思う。今一層の努力が必要だが、さてどうしたものだろう。

謝罪は何もない。こちらから、きちんと謝罪を要求もしていないのがいけないのかも知れない。支援者には内容証明をつけて謝罪を要求するようにと言われている。その人は人権侵害で訴えればなどと言い出している。「よく黙っていたな。なめられているんだ。」と私以上に怒っている。私は、自分自身のためだけならば黙っていてもよいのだけれど、国際結婚をした人や外国人そのものの人権を考える時に本当にどうしたらよいかを考えている。告訴まで行かなくても、社会にまだこんな偏見があることを告発していく使命があるのかもしれないとふと思った。

あのレストランで吉沢さんの隣にいた議員にこのことを話した。「そんなことがあったの?」といっていた。隣にいて聞こえなかったはずがないのに、事がおきそうな時には知らん振りなのかなあと寂しく思った。嫌な事に巻き込まれるなら知らなかった方がましだということだろうか。それとも、隣にいても何にも聞こえなかったのが事実だろうか。吉沢さんがわめいている時に、私が彼に話しかけたらちゃんと受け答えしていたから何が起こっていたかわかっていたと思うのだけど・・・きっと向かいに座っていた議員も何か吉沢さんが言っていたが何を言っていたかよく覚えていないと言う事になるんだろうな。こんな時に使うことわざがあった。さわらぬ神にたたりなしだったっけ。
12日(火) 昨日独り言を書いてから、また決算書の勉強をした。寝たのは2時過ぎだった。どんなに遅く寝ようとも、子供の弁当は6時半に起きて作らなければならない。眠かったが体に鞭打ち起きて、子供を学校へ行かせた。

今日は10時から決算委員会だったが、9時前には役所に行って打ち合わせをした。いろいろ質問をさせてもらったが、時間のこともあり触れないでいたところもあった。一般質問に残しておこう。一つだけ気になったところは農業委員会の女性委員がいないことである。今農業に従事している女性が元気だと言う話を良く聞く。狭山市ではどうなのか。「選挙に出ないんですよ」、「一人出た人が途中で止めたんですよ」とか言っていたが、女性が選挙に出やすくする方法はないのかといいたい。「選挙に出るのを阻害するものはないのか」と言う私の問いに「ありません」とはっきり答弁があったが、やはり雰囲気と言うか女性を押してあげる努力とかがなかったら、せっかく委員になっても続かない。

私が議員として自分の誇りを傷付けられ、議会の中での孤独な戦いに挑めるのも支援者がいてくれたり、メールや電話で応援してくれる人がいるからである。地域の人たちの暖かい支えだってある。これがなかったら続けられない。農業委員にしても、同じだろう。実際、議会では農業従事者以外の者を農業委員として推薦しない事にした。農業を知らないで農業委員になんかなってもらっても困りますと言う事らしいが、市議会議員は学識者として農業委員会に参加しているのだから、たとえば私のように農業にぜんぜん従事した事もなく、実家も農業をしていないような女性でも委員にしてもよいのだ。他の市議会議員で女性の農業委員も多いのだから。女性の目で農業関係を見ることが必要だと心から思う。

委員会は6時近くまで続いた。とても疲れたが、一仕事終えたと思う。14日の為にも、また最後の所を勉強しなければならない。頑張ろう。
11日(月)
17400カウント
この3日間、佐久の別荘に行って来た。土曜日は台風の様子をみていて遅くに出かけた。長野に入ったら、台風の影響は全くなく、雨すら降っていなかった。

日曜日は教会に行き、その後、決算委員会のための勉強をしていた。緑豊かで、静かで、時々休んだりしながらも、夕食後まで勉強を続けた。民生費のところを丹念に調べた。行政報告書、14年度決算書、15年度予算書、15年度決算書を見比べている。来年度で、狭山市としての決算も終わるかも知れない。合併への準備の意味を込めて一生懸命決算委員会を勤めている。

今日は、朝少し勉強をして、午後は庭の枝落としをした。木の成長には目を見張る。あっという間に、何メートルも伸びでしまう。この別荘を作って9年にもなると、あちこち切らないとジャングルのようになって、暗くなってしまう。雑草抜きも、枝落としも楽しい。よいストレス解消になった。

ところで、メールをいただきました。ありがとうございます。こんなおばさんでも傷つく時もあって、今回は夫に話すのも悲しくて、詳しくは話しませんでした。(実際、夫にどういったらよいのでしょう。)と言う事で、同じように怒ったり、また、慰めていただいて少し傷がいえたかなあと思っています。本当に、思いやりのあるメールをいただいてありがとうございました。
8日(金) 午前中、役所に行き、郵便局に行った。昼ごはんを食べながら、スペシャルオリンピックスについて障害者団体の方々と懇談。1時半には中学校の成人教育の当番なので学校へ。娘とヤオコーで買い物をし、6時近くに帰ってきた。夕食を7時過ぎにしていたら、日本語教室を広瀬公民館ではじめるのを思い出して、出かけた。たくさん先生がいたので、私は見学。今回は夫も見学に連れて行った。彼も少し日本語を学ぶ必要がありそうだ。助詞の使い方が分からないところがあったようすだ。

帰ってきたら、9時半過ぎだった。くたくたである。
8日(金) 「こんな事を公表してよいかどうか悩みました。でも、今回の言葉は、私の結婚を「外人に抱かれるような野郎」と、まるで売春婦まがいのことにおとしめた言辞であり、私には許しがたいことでありました。きちんとした謝罪なくしては、このまま掲示しておきたいと思います。」

と、書きましたが、10月20日に相手から文書での謝罪がありましたので、詳しい事情に関しまして削除いたしました。
7日(木) 行政視察より戻りました。ストレスが溜まった事。後でそのことを書きたいと思います。
4日(月)
17100カウント
午前中に研修報告をかきあげた。ネットニュースの完全稿を作り、印刷に回した。

午後は、所沢の前市議会議員山田さんとスペシャルオリンピックについて話し合った。八百屋ごんべいに出向いた。あれこれ話したが、話がまとまるのは早い。いろいろなつてをたどりながら何とかやれそうである。後はどう組織だって動くかだ。スペシャルオリンピクスの西部地区実行委員会みたいなことをしなければならない。

その後、役所に行き、決算委員会のための資料請求をしたり、議会だよりの状況をみたりした。まとまっているが、面白みがないと言われた議会だより。職員にまかせっきりではいけないのだとつくづく思う。職員のKさん今までおんぶに抱っこでごめんなさい。これからは議員も少しは責任をわかちあわなければ・・・

17000はS@kawagoeさんがゲットした事が分かりました。なんと17000カウントのコピーまで用意してくださいました。う〜〜〜ん。残念。I@狭山市民さんは今回キリバンはとらなかった旨の連絡があり、まさかと思ってはいたのですが、また、Sさんにやられた。私はあの日、6時半にコンピューターを開き、タイミングを待っていたのよ。それなのに、子供の世話にあけくれ、2度目に見たときにはもう・・・・(~_~;)。18000までは、また長い道のりですよ。とりあえず、そのときをめざして、HPをかきつづけることにしましょう。次はわたしが・・・ゲットよ。出来れば・・・・ネ。
3日(日) 今日は朝礼拝。マタイから。盲人が目を治してほしいとイエス様に懇願するところである。私もたくさん祈りお願いしてきた。御心のままにと思いながらも、こうなってほしいと祈らざるを得ないことがたくさんある。3度の食前に忘れずに祈っているし、時には歩きながら、家事をしながら祈ったりしている。息子の大学入学では祈りがかなえられてよかった。私の仕事も神様の御手の導きが必要だ。友達のこと、実家の事、家族の事、祈りの種は尽きない。とにかく祈り、神様にすがっていこうと思っている。

午後は地区運動会が雨で中止なので、ずっと原稿を書き続けた。後援会ニュース(すすむ会ネットニュース)を仕上げ、研修報告を書いた。まだまだ原稿書きがある。どうしてこんなに原稿書きが続くのだろう。嫌になってしまう。
2日(土) 今日は朝早く起きて、一家全員で夫の会社の社員旅行に出かけた。一家5人で社内旅行にいったのは初めてだった。群馬サファリパークと匠の里、ライオンもいたし、トラも豹も熊も象もキリンもいた。バスで回った。、あのライオンのゾーンで降りて噛まれた人が何年か前にいたことを知っている。なんて馬鹿だろうと思ったが、あんなふうにのんびりとライオンが寝ているのを見ると、まさか噛み殺されるなんておもえないものねえ。

午後は匠の里、須川宿跡で遊んできた。とても素敵な観光スポットになっていた。昔の町並みがもっとあったらよかったのにと思わされた。娘と夫は藍染体験をし、息子は木工、私は観光。たくさん農産物を買って帰ってきた。今日は買ってきた豆腐で夕食にした。こくがあっておいしかった。大きなカリフラワーが安かったので、ゆでて食べた。地元の産物は格好悪いけどおいしそうだ。明日はきのことジャガイモを食します。

17000カウントをゲットしたかた、どなたですか。メールください。
1日(金) 今日は私は1日中議会だより委員会の視察に行った。群馬県の大泉町、隣の鶴ヶ島市に行った。昨年、若い議員が視察に反対して行かなかった。経費節約の為に勉強を自粛したいと言う理由だった。彼は今回は反対せず、参加した。自分の姿勢1つで視察が益にも無駄にもなる。彼は今日の視察をどう考えたのだろうか。私にはとてもよい視察だったと思った。

合併のことにメールが来た。合併により、財政がなぜよくなるかと言う事。課税(増税)可能である事、特例債を用いられる事が主であろう。なぜ増税が必要かといえば、財政難であるから。特例債はできれば使うべき事業があるからである。単独市でどうして増税できないかと言えば、事業所税のようなものは自ら望んでも法によって課税不可能であるからである。増税なしでは、きっと人口減も伴いサービスをカットしなければならない。それも大幅に。サービスを下げるか、税金を上げるかと言うところまで来ている。

職員が働いていないという話がある。では、首切りができるかと言うと、首は簡単に切れない。民間のようには行かない。民間だって首切りが簡単だとは思わない。合併したって首切りができるとは思わない。自然減を待つだけだろう。しかし、長期の目で見れば、職員を減数する事は可能だろう。ポジションが少なくなることによって、競争の原理がもっと働けば仕事に対する意欲もわいてくるかもしれない。多少は期待できる。

本当に、いままで50年続いた体制を壊す事により、新しい風が吹く。それこそが、今停滞している狭山市の政治には、また行政には必要な事である。私はそういってきたし、今も尚そう思っている。

現在メールがあった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、新潟、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野

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