私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
11月 私の独り事
30日(火) 今日は、怖くてスケジュール帖を見なかった。というのも、何かが書き込まれていることは分かっていたが、今日こそ一般質問と向かい合わなければならないと思っていたからである。で、悩んでいるわけです。

女性問題は具体的な取り組みを各部長、とくに総務、企画、福祉部長などに伺おうと思う。総務は人事を持っている、女性の審議会などへの女性参画はこの6年進んではいない。企画は相談業務や企画部に女性が圧倒的に少ないという固有の問題あり、福祉はDV関係を含め福祉事務所としてとるべき問題が山積である。前の行動計画を読むとなんと仕事が進まなかったものよ。良くできましたという所は子育て支援、介護支援で福祉部は頑張りました。あと、男女共生センターは名前すら忘れられたようだ。独立館として作らなくとも良いが、複合館の中に機能をしっかり入れて名前も付けてほしいものだ。それすら怪しいらしい。条例だって忘れ去られていますね。条例関係は総務課だろうけど、原課ということかね。

働く女性の権利が拡充されているがそれについて商工課の労働担当が講習会を開催したなんて話は今のところ一切聞いていない。わたしが市民団体とともに行おうなどと思っている始末だ。均等法などについて、狭山市の企業に啓発はしているのか。こういうことは市民部長にきくだね。パートタイマー労働法が有名無実にならないようにもしてほしいが、さて法律を伝えるのは国の仕事なので、市はしないでいいのか。

セクシャルハラスメントに関しても具体的にしが何をしてきたのだろう。職員研修だけか。いつまでたっても、市民意識調査では啓発が大切という。実際、働く女性(パートタイマーを含む)の講習会が開かれたこともないし、セクハラという言葉を聴いても、何が誰がどんなことをどんな時にしたらセクハラになるか分からない男女が多い。女性が「嫌なことは嫌だ」というと理屈っぽいと毛嫌いされたりする風潮が続いている。わたしぐらいだ、理屈っぽいのが職業だと納得してもらえるのは。(いや、議員の中ではあいつは理屈っぽくて可愛げがないなんて思っている人もいるかな。)

そうそう、島田紳介容疑者がマネージャーを叩いた事件で、マネージャーが生意気だから叩かれても仕方がないなどという論調もあった。殴った方が、髪をつかんで壁にぶち当てた方が悪いだけのことなのに、女がいけないという論理が成り立つんだから、この国の人はどうなっているんだろう。女性は偉い男性にぺこぺこ可愛くしていれば良いという変な女性蔑視があるから、こんな論理のすり替えで、やられた方が悪いということになる。男女平等、暴力反対をはっきり言うことが大切なんである。

あと、青少年問題。あ〜〜。西口。どれをとっても良い答弁なんか期待できないなあ。それでも、私の課題。しっかりしよう。
29日(月)
19200カウント
今日は朝8時半から議会だより正副委員長会議。その後、小学校の図書ボランティアに出かけた。クリスマスの飾りを作っていた。若いお母さんがたくさん来ていた。わたしは何をしていいか分からないので皆がするのを見ていたが、てきぱきとしていた。校長先生とお話をしたが、今年は本当に落ち着いている。先生はボランティアをしてくれる事を本当に感謝していた。学校にお母さんや地域の人を日常的に迎えることを嫌がらないこの学校の伝統は素敵だなあ。

午後は役所に戻って、ヒアリングをした。西口の中の公益公共施設のこと、実施計画のこと、青少年のこと、男女共同参画行動計画について、早く原稿を作らなければ。今回はいつもに増してスケジュールが遅れている。

午後、息子と買い物に行った。帰りにヤオコーに行ったら、明日が休みのせいで、生鮮食料が50%引きで、おいしそうなものをあれこれ買ってきた。冷蔵庫の中が珍しく満杯である。嬉しい。
28日(日) 今日は朝のんびり起きて、礼拝に出かけた。午後、お天気がよかったので、マルエツの前で議会前の報告をした。どのくらいの人が耳を傾けてくれたのか分からないけど、一生懸命お話をした。その後、急いで帰ってきて、サンクスギビングディナーを作った。今年は手抜き。でも、久しぶりにアップルパイ、パンプキンパイを作った。とにかく、皆良く食べてくれて、ターキーは骨だけになりました。息子が「お母さんのアップルパイはやはりおいしい」といってくれて嬉しかった。この2年間、息子はアメリカにいっていたので、サンクスギビングディナーを一緒に食べませんでした。

おしゃべりして、マージャン半チャンして、お開きとした。夫やしたの息子は疲れて眠ってしまった。
27日(土) 今日は朝御飯を食べた後、家事をした。また、夕御飯のためにカレーライスを作った。昼ごはんを食べようとしたら、御飯が一粒もなかったので、カレーうどんにした。

午後は1時から女性の労働と社会保障という題で、第1回目は税金の話を聞いた。確定申告の書き方などを通して税金の仕組みをお勉強した。市民の出前講座ということだった。市民税課の方に感謝だった。大方の人の好評をえた。

夜は息子の学校の音楽部の育成会の懇談会だった。中学校1年生の親がいないのでということで、私がでた。楽しくって、顧問の先生のお人柄が出ていて、それが音楽部によくよく反映されているのが分かった。親たちもそれに共鳴している。コンクールにでないので、音楽が自己満足になりがちなのが気になるところではあるが、まあ、いいか。のんびりしていたら、9時半。急いで帰ってきた。ビールは少し。ウーロン茶とおいしいご馳走だけで、あっという間に3時間半。子供達はダサい田舎の学生、生徒。それでいい。それが良いと思っている親たち。私も昔の生徒のような学校であってほしいと思っています。
26日(金)
19100カウント
最近は、あっという間にカウントが上がっていく。どんな人が私の独り言を呼んでいることやら。メールください。とりあえず、虚心でいたら19000をゲットしました。こういうものなのよね。虚心がいいんだ。虚心が。

今日は9時、決算特別委員会の協議会。1時間ほどで終り、その後明日のための散らし配りをした。女性の労働と社会保障ということで、今回は市民税を取り上げる予定。皆さんもおいでください。

午後は、浦和の県警察に行き、DV法実施以降のDV関係の動向をうかがった。年間500件近くの相談を受け、地裁に申請された事件のうち3件を送検したそうだ。少ないなあ。

夕方、6時過ぎに帰ってきた。遅くなったので、お刺身にしてしまった。でも、御飯が一人1杯分しかなくて残念でした。友達が来てくれて、一緒に御飯を食べた。合併の話をして、裏の裏の裏まであって、でもまだよく分からなくてという話をした。今日、7階の企画課で合併の手続きは止めることなく進めて行きますという話しを課長から聞いた。あの方はたいていはっきりしたことをいわない人だが、珍しくはっきりしたことを言っていた。あきらめないで粛々と仕事をするというのは、役人の見本だ〜〜〜〜〜。少し持ち上げすぎ? でも、本当に頑張ってね。
25日(木) 今日は朝、9時に本田技研に行き、スペシャルオリンピックスのためにボランティアをお願いした。10時から議会だより編集委員会。12時まで。2時から女性講座の実行委員会だったので、そのために調べものをした。2時からは実行委員会。出席者は少なかったけれど、実のある話をした。4回連続講座を予定している。会が終わってから図書館によって帰ってきた。

どんなに空しい思いでも、朝日は昇り、日々の仕事を済ませなければならない。空しいなんて言葉をかみ締める贅沢も許されないように、時間は過ぎていく。合併に向けて私の出来ることはなんだろうかと考えても、議会の中でどんな役割も取れないだろうと思う。合併推進に向けての運動をするという話も聞こえてきている。本気で始めるのだろうか。今ひとつ分からない。

ギブアップしないでよい状態なのか。少なくとも市長はギブアップしたのではないか。求心力のないところでは、運動は動かない。そして、たいてい、求心力の中心に市長がいるものだが、その力が弱ければどうにもならない。仲川さんはリーダーとして会派を引っ張ったことはなかった。様々な意見の中で自分のポジションを模索しうまく生きてきていた。自分の意見に人を引っ張り込んだりはしなかった。今議会では色々な意見が出ている中で、自分のポジションが分からなくなっているのが仲川さんではないかと思っている。今こそ、力を出す所なのに、なぜ何を迷っているのか、私には理解できない。

合併推進グループに入り、満身創痍になりながら合併推進の旗振りをするかといわれると、躊躇するかもしれない。それは、合併推進を心から思っている信頼できる人を私は知らないからである。どこにいる誰が合併推進派?その人は合併後の自分の利権を省みず、ただただ市の発展のために合併を推進したい人?こんな風に思っている時、人と歩調を合わせるのは難しい。でも、私が必要とされるときには、しかるべき態度で推進をはっきり唱えようと思う。そんな時が来るのか?!!!!!
24日(水)
19000カウント
祝!久美子(自分)
今、私は合併協議会の傍聴を途中で退席して帰ってきた。本当は感情がこもっているので、独り言なんか書くべきでないだろう。何しろ、一人静かにぶつぶつ言うという心境から程遠く、どこかで叫びだしたいという思いなのだから。

狭山市独自の住民の意思確認をするのだそうだ。すなわち、住民投票をするということらしい。そして、それをすれば、時間的に3月31日の合併の申請は難しいらしい。特例債がいらないのならば、ゆっくり合併を進めていれば良いが、少しだけでも合併債を使おうと思えば、時間切れだわね。たとえ、合併債がすべて国や県から認められなくても、得だったのに。

時間切れということは、ほぼ合併もないと言うことを意味すると思う。私は、今狭山市が合併すれば、ジリ貧でない狭山市が維持できると思っている。人口論を持ち出したくないが、私は新潟県の過疎地域を見ている。それだけでなく、この何年間は四国を視察することが多かったし、北海道も昨年視察した。こういう、人口が全体として減っているところで起きる普遍的な傾向がある。それは、人口の集中なのだ。小さい町から人口が逃げ出し、大きい市に流れ込むという現象がそこそこで起きていた。高知県だって、岡山県だって、市が少なくマチや村が多いが、マチや村の人口が周辺の市に流れ込んでいる。小さいところはもっと小さくなり、大きいところはもっと大きくなるというのが人口流動の日本版定説だろう。

今、人はサービスの良いほう、住みやすいほうに動いている。狭山市の住人で若い人は入間市へ。働いている人は都へ。ここで、合併をしなければこの現象は加速度化していく。狭山市の人口は入間市以上に減ります。入間市だって、取り残されていくでしょう。私の言うことはたいてい当たります。私は個性がとても強い人間で、私を嫌いだと思う人もいるかもしれないが、私の友達が言うのは、「たいてい久美子さんの言うことは正しい」ということです。

なぜ大きい市に人が流れていくかというと、サービスのメニューが豊富だからです。財源があるから、多くの事業化が可能になります。その結果、仕事も多くなります。人が雇用されます。人が多くなれば、そのための生活を賄うために仕事が創設されていきます。雇用のために人が集まってきます。というように、人口は人口を呼び込むのです。

現在、今の狭山市が良いという人は、今のままがよい人です。今の自分のままが良い人です。今後、狭山市が過疎化して行けば、今のままの狭山市なんかなくなっていきます。若葉台で西友が撤退しました。大沢ストアーが水野から撤退して行きます。老人人口が多くなって、買い物の量も家族がいたときに比べれば激減です。カルフールが撤退するそうです。家の近くの島忠も撤退です。カルフールで買い物できなければ、私達の買い物は瑞穂のモールになります。島忠の買い物はカインズホームになります。不便な市になっていってしまえば、人も狭山市にすまなくなります。

もう、今日はほとほと市長や助役の顔を見るのも嫌になってしまいました。公約はどうした!私は、市議会議員を辞めたくなる時があります。たとえば、今日です。合併を止めた後、何年も議員をするのではなくて、何かもっと御心にかなった仕事が与えられますようにと祈ってしまいました。だって、合併しないとしたら、どうしたら現状維持ができるかということに腐心しなければならないのだろうけれど、現状維持なんてできないんです。気を取り戻して、市議会にどうしたら集中できるのだろう。こんなに空しい思いでいるそばで、合併を崩して喜んでいる人がいるのをどういう風に理解すればよいか、心の整理が簡単には付きません。。。。。合併なんて「まあ、どうでもいいさ」とは決していえません。言えません。

午後1時半市長に会い、矢沢さんと市長の写真を撮るのに立ち会う。交通防災課、市民部自治振興課、障害福祉課に立ち寄った後、本田技研の労働組合に。食料を買ってから、急いで帰ってきた。実に忙しかった。
23日(火) 今日は朝から別荘に行った。別荘では紅葉はもう終わっていたけど、そこに行く途中はまだまだキレイなところもあった。ゆっくり走って、晩秋を満喫した。別荘では木を切ってみたり、布団を干したり、壊れていたストーブを直してもらったりした。何とか使われるようになってよかった。もう少しゆっくりしたかったが、4時過ぎには別荘を出て、帰ってきた。渋滞はあったが2時間半で帰った。今帰ってきてみると、行ったことがまるで夢のような気がする。

色々祈ることが一杯ある。できることは本当に少ないかもしれないが、祈ることだけはできる。祈ろう。
22日(月) 今日は、朝から昨日の実行委員会のまとめその外がどんどんメールで入っていて、その処理に明け暮れた。また、12時には昨日出席できなかった実行委員がやってきて、今後について打ち合わせ。1時までとの約束だったのに、1時過ぎになり大急ぎで議会へ。

1時半からは全員協議会があった。色々な状況があり、本当に嫌な雰囲気が蔓延していた。私は憂鬱な気持ちで一杯になった。半分落胆もあり、半分憤りもあり、、、、行き詰った狭山市をこのまま続けていくのをよしとするのか。50年も変わらず続いた体制を、このままもっと続くと考えたいのは分かるけど、不可能なのに可能のようにいう人たち。その下に、うごめく泥沼のような思い。

合併をどんなに真剣に考えていても、私には人をどうにかする政治的手腕もないし、手のうちようもない。私は今日役人を責めた。合併協議会の局長も責めた。もっともっと議会と話し合いを非公式の場所も含めてもてないのかということが私の論点だった。議会で理解してもらうための努力が足りないと思った。でも、役人の言うのも分かる。市長がぶれないで、最後まで合併で突っ走ることを確信していれば、情熱をもってことに当たられるだろうが、市長が動揺するようでは、役人は淡々と感情を込めず目の前にあるスケジュールに沿って仕事に当たるという態度になってしまう。つまり合併に転んでも合併しないほうに転んでも良いように、自分の心にも言い訳をできるように、社会的にも生き残るためにも、そうせざるを得ないのが役人というものであろう。自分の思いを込めて精一杯仕事できるなんて仕事は中々ないんだろう。責めてはいけないと思うが、悲しい思いがわいてくる。

合併協議会の仲川市長の言葉を聞いて私は本当に空しくなってしまった。私だけがそうではなくて、今まで付いてきた多くの合併準備していた役人はある意味私以上に空しくなっているんじゃあないかと思う。住民投票をすることに決めたかのような仲川さんの発言はまるで、合併を投げ出したように聞こえた。「負けではない」と彼は合併協議会の前にあったときに私に言ったが、では、なんなのだ。本当に投げ出さないとしたら、今後どんな手を打つのか。市長、助役、合併協議会局長、それぞれどんな意思疎通があるのか私には分からない。

本当の所、合併反対派は今後どんな狭山市をイメージしているのか。新市の計画に反対するのであれば、今後現状維持の不能の狭山市をどんな市にしていくつもりか。増税しないで、手数料を上げないで、どんな街づくりができるというのか。合併するより、もっと良い市にするどんな手だてがあるのか。行政改革は待ったなしだろうが、それに賛成するのか。

とにかく、一般質問の要旨を早く書かなければ。そう思うのだが、一度沈んだ心は中々上がらない。
21日(日) カウンターはもう18900を過ぎた。でも、私は20000を狙っているので(Iさん、Sさん覚えておいてネ)19000は誰がお取りになろうと結構です。冷静な思いで19000カウントゲットのお知らせを待っています。

今日は、朝10時に中央公民館で待ち合わせして、トーチランの下見をした。本当に良く歩いた。日差しが暖かく、風もなかったのでサイクリングロードを歩いて気持ちよかった。午後は1時からトーチラン実行委員会をした。5時までしっかり話し合った。少しずつまとまってきている。

今日は夜までスケジュールが入っていた。夜は、新潟県人会のこの前の義捐金募金の慰労会。1つのことをした充実感で、皆が幸せな気持ちで集まった。何しろ、義捐金は2日間で88万円も集まった。12万円県人会のお金を足して、100万円新潟赤十字に送った。若い人から、年金暮らしのお年寄りまで温かい心がいただけて嬉しかった。人の不幸を喜ぶつもりはないけれど、この新潟地震で私達県人会はとても大きな物をいただいたように思った。少なくとも、私は義捐金募金に参加させていただいたことを素直に喜びたい。ありがとう。
20日(土)
18900カウント
今日は、朝子供が弁当を作って8時までに学校に行きたいというので、6時半におきた。他の息子にも御飯を食べさせたり、娘も起こして御飯を食べさせたりとゆっくりでなかった。午後は彩ネットに出席のため埼玉新都心まで行った。子育て支援の話があったが、自分で言うのもなんだが、子育て支援については狭山市の体制は他の市に比べかなり良い。ただ、保育所だけは少し問題あり。

帰りに友達とデニーズに行き、彼女の議会や市の話を聞いたが、全く腐りきっているとしか思えない。田舎の市が日本全国にたくさんあるわけだが、彼女の市のようだったら悲しくなる。でも、この世界は大なり小なりそんなことがまかり通っているのかも知れない。人生の汚いところが、裏の裏まで見えるのがこの世界なのである。
19日(金) 今日は朝から、私としては膨大な量のメールの返事を考えたり、書いたりしていた。10時半にはスタッフが出てきたので、仕事の話をした。住民投票の件を話した。スタッフは私の考えを理解してくれるのだが、それを市民にどのように知らしていくのかが、問題である。条例案がでた時点で、私のスタンスというネットワークニュース臨時号を作らねばならないかもしれない。

午後は久しぶりの友達の所に電話をかけた。更年期障害で不定愁訴を訴える友達も多い。私もその一人であるが・・・合併問題に頭を突っ込んでいる人もいるが、圧倒的に多いのは無関心、無意見の人たちである。先のことは分からない、現状で十分であるという人たちに、将来のことを語っても空々しく聞こえるようである。合併の住民投票をしても、このような市民はきっと投票に出かけることはないんじゃないだろうか。それも、私が住民投票を躊躇し、もっと市民の声を聞ける方法はないかと考えるしだいなのだ。

忙中暇ありのはずだったのに、ちっとも休めなかった。電話もファックスもメールもない別荘に行かなければ結局休めないというのが実感だ。、
18日(木) 今日は朝から商工会議所、社会福祉協議会、高齢者福祉課に行ってスペシャルオリンピックスの説明とボランティアの募集に関してのお願いをしてきた。皆さん快くいろいろなことを引き受けてくださって、感謝の気持ちで一杯です。今後は他の委員がいろいろしてくれると思いますが、ヨロシクと頼んできた。

午後は議会によって、一般質問の通告をした。青少年問題、西口再開発、男女共同参画行動計画についてを質問するつもりである。とくに公益公共施設に関しては、青少年担当、女性担当、福祉・子育て関係、商工関係などを一つ一つ聞いていくことにする。それぞれの部長は、西口の開発の中でどのように要求しているのか、検討しているのかをレクチャアしてもらっていてください。一人一人に聞いていく予定をしていますから。街づくり部長のほうは原課に検討をお願いしていますと答弁するだけだからね。(最近は質問しなくても、答弁が分かってきた。偉い!!!!?)

ついでによその議会では良くする質問らしいがいまだ私はしていない男女共同参画社会に対する質問を全部長にしても良いとおもう。それぞれの部長は男女共同参画社会をどんな社会と思っているか、自分の部ではどんな展開をすると男女共同参画社会実現を推進できると思うかについて伺いたい。全部の部長に聞くのもいかがかと思うので、後でピックアップしてみよう。市長と市民部長にはうかがっているので、後のぶちょうかなあ。

午後、3時ごろからスペシャルオリンピックスの軽いミーティング。忙しい。
17日(水)
18800カウント
今日は、朝次世代育成行動計画の指針案についての説明会に行った。言うまでもないことだ、黙っていようと思ったのだけれど、一言、青少年へのアプローチが足りない話をしてしまった。neetの対応も含め、虞犯少年、虞犯少年を持つ親への相談、青少年の居場所、することは山ほどあるのに、中学校を終えるや否や目が行き届かなくなる児童(15歳以上18歳まで)をどうする。

今日の会議の中で気になる発言は権利を貰うのに申請しなければならないのだが(たとえば乳幼児医療費)、申請が面倒なので自動的にしてほしいということや児童手当のことも市がやってほしいということ。面倒な手続きは嫌なのは分かるが、権利を得るためには自らの働きが必要だということである。人様からしてもらうのが当たり前と思っている人が多いし、そのほうが面倒くさくないのは分かっているが、至れり尽くせりのご時世でも権利だけは自分で得るものだということを教えなければ。

今日は住民投票のことで考えることが多かった。私は住民投票に賛成の気持ちでいた。が、最近考えを変えつつある。全戸配布のアンケートでも結局は良いかもしれない。よくわからないという人や、議会にお任せしますという人もいても良いと思う。住民投票では○×である。△はないのである。(??)もないのである。きっと△や?の人は投票に行かないかもしれない。私は態度をはっきり決める人は反対の人だけのように思う。あまり、賛成の人は確信をもっていはいないと思う。なぜなら、反対なら現状維持かもしれないと思えるが、きっと良くなると思ったっても、まだ合併はしていないのだから合併後は今より良いと言い切れなくても仕方ない。(合併推進を。)と言い切れる市民は現状維持派の市民よりずうっと少なくて、結局は投票率が下がるのが関の山だろう。将来を考えれば合併がいいのではないかといえるが、将来はまだ見れないのだ。市民に2つに1つの判断をという事が良いことか。私には疑問だ。

合併賛成と口で言っていても、心の中では自分の議席がなくなるんではないかとはらはらしている人だってたくさんいる。それでも、最後まで合併を推進しようと腹をくくっている人がどのくらいいるか。市長は次の市長の席を確保しようという気持ちがないのだったら、田無の末木市長のように身を挺するように市民に説明に回り、街頭に立って市民へ説明したらよいのだ。自治会長の所に行って、自治会館を借りてドンドン説明したらよい。議論を吹きかけてくる人を論破することができなければいけない。

議会のように、意味不明なことを3回言えばその場を通り抜けられるという思いがあったら、市民を説得できない。市長に合併反対論を論破するくらいの思いや志がなければ、合併は頓挫してしまうと思う。強い、強い、強い意志がリーダーには要求される。強くなければ、リーダーになっていてはいけない。仲川市長は市長になった時から捨石になる覚悟を語っていたのだから、焼け達磨になってもという意気込みで市民を説得してほしい。そうするべきだと思う。頑張れ、仲川市長。

新市の名称が狭山市に決まった。入間狭山市に入間の議員がこだわっていた。すべて狭山市に牛耳られてしまうというのだ。そんな考えでは合併はできない。ほんとのところ、財政は狭山市の方が豊かだし、財源もしっかりしている。損得勘定だけを今の段階で考えたら、また、寂しいだのの感情・感傷論を持ち出したら、合併はできない。自分のところでちまちまやっていれば良いということになろう。狭山市と入間市を合併して、所沢市や川越市と対等に渡り合える市を作ろうという大きな構想なのだ、小異を捨てて大同につくという思いがなければ、大きなことはできないだろう。枝葉を見て、幹を見ない政治はただしい道に導くとは思えない。

忙しい。忙しいときはまるで仕事がシャワーになってやってくるような気がする。
16日(火) 今日は朝川越で自治体にDV政策を進める会のミーティング。1時過ぎに終り、弁当を買って車の中で食べた。その後2時から、中央公民館で女性講座のミーティング。

3時半ごろから、友達とガストでおしゃべり。帰ってきたらとっぷり日が暮れていた。日中が短くなってしまった。
15日(月)
18700カウント
今日は、朝9時から12時まで議会だより委員会を開いた。議会だよりの指針を決めようとしている。午後は食事をしてから、役所で仕事をした。少し、事務局次長に直接請求のこれからの進め方の手順のレクチャーをしてもらい、考えを整理した。

事務局次長に「合併したら、ポストが来ないかもよ」と軽口を叩いたら、
「私のはなんにしろ有りますが、高橋さんは大変でしょう」というような事を言われ、絶句。
そうだ、職員さんは首切りにならないけど、私の場合は余程頑張らないと議員の地位は危ういのであった。
人のことをいっている場合ではありませんでした。とほほ。。。。

街づくり推進事業部へ行って、西口開発のうち公共施設に関しての話をしてきた。頭良いと前々から思ってはいるけど、敵はさる者・・・部長は切れ者。ちゃんと分かって私と話をしているのだろうが、いやはや何も核心めいた事を言わない、言わせない。こんな状態から突破口を作るのが私の仕事だ。議会で真剣勝負と行きたいが、「検討します。これからのことです。」などと答弁されたら、本当に頭にくるだろう。ちゃんと考えを聞くまでは質問を止めない。

そうそう、いつか環境部長に議場で、「行政報告書に書いてありますが・・・」などといわれて、そんなのをチェックせずに議員が物を言うかと腹をたてたことがあったっけ。今年の決算委員会では部長達に行政報告はちゃんと読んでいる事をあらかじめ述べておいた。勿論、行政報告書に書いてあるなんて答弁はだれもしなかったですよ。。

スペシャルオリンピックス、冬の世界大会の日本代表の一人、矢沢啓之さんを市長が激励してくださるようである。知的障害者もなんだか世界大会までいけると思うと夢がある。これを応援してくださる方には本当に感謝だ。また、今後はトーチランへのボランティアのご協力をお願いしにあるかなければと思っている。
14日(日)
今日は、朝新潟県人会にマイクを届けに行った。今日も、義捐金を集める。私は今週は礼拝に行かなければと急いで教会に出かけた。スペシャルオリンピックスの準備、私が自分の役割仕事ができることを祈っていただいた。

その後、すぐに義捐金を集めている狭山市駅に行き、マイクを握って皆さんにご協力を願った。でも、そこに30分ぐらいいて、市民会館へ。合唱祭、日本語の魔笛を聞きに行った。合唱はとても上手なグループが多くて耳の肥やしになった。

それにしても、西中学校の合唱の手を握り合っての合唱はいただけない。合唱として人に素晴らしい歌声を聞いてほしいという態度には思えない。自己満足、自己陶酔のなんでもなく、聞きにくい。うたう時にはあのパーフォーマンスは音楽の妨げである。この所、中学校の合唱は女性が2部、男性が1部という事で、女性が男性よりも人数が少ないせいか、男性の声が大きくなってバランスを欠いていることが多い。西中学校の合唱も女声の響きが足りなくて、大幅に男声しか聞こえなかった。手を握り合うよりも、もっと考えるべきことがあった。

魔笛ははっきり言って途中で出てきてしまった。語りは玄人の出来だったし、鳥寄せの歌もよかったが、後のパーフォーマンスを最後まで見るだけの気力が私には残っていなかった。私は少し違ったものを考えていたので、今日のパーフォーマンスでは物足りなかったのである。生意気言ってすみません。
13日(土) 今日は朝みちくさバザーに行き、社会福祉協議会の小高会長にあってスペシャルオリンピックスについて、トーチランについてお願いした。具体的な話は社会福祉協議会に行って話す事としよう。その外、ボランティア連絡協議会の方ともお会いした。門坂さんにスペシャルオリンピックスののぼりとリーフレットを渡して帰ってきた。

すぐその後入間川小学校は行き、スペシャルオリンピックスのディスプレイを見に行った。三浦さんががんばってのぼりを立てていてくれた。すごいなあ。吉田さんに会って、ご尽力に感謝した。入間川小学校にはたくさんの友達がいて、あっちこっちで声を掛けて、または掛けてもらって帰ってきた。スペシャルオリンピックスへのご協力も頼んだ。

夜、したの息子とデート「スイングガール」という映画を見てきた。もう少し、長くして物語を膨らましても良かったのに。もっと、練習風景を見てみたかった。帰りに(?!)カルフールで食料を買い込んで帰ってきた。パンも牛乳もなかったからといって出かけたのだが、結局8千円も買い込んだ。あそこに行くとどうしても大量に物を買い込んでしまう。
12日(金) 今日は朝早く萩山の病院に行った。娘の薬を取りに。予約してあったので、順調に進み、帰ってきたら、12時だった。お昼ごはんを食べようと思い、役所の喫茶店に行ったら、友人にあったので、お昼を一緒にした。

彼女は彼女の経験を公表して、こういう状態の人のお役にたてたらとおっしゃるのでここに書くことにする。彼女には子供がいる。何年か前、引きこもるようになり、部屋から出なくなっていた。心配して祈っていた。何が原因か分からないが、決して家からは出なかった。意欲も低下しているようだった。

何年も心配していたある日、この子が昏倒していた。引きこもっていたが、病気もせず、熱も出さずにいたので、一切の治療もしていなかった。引きこもっていて、治療や診断を拒否していたのだ。初めて病院で診察をしてもらった。その結果、彼は脳腫瘍である事がわかったのだ。腫瘍が脳を圧迫していて、片目は失明しており、もう半眼も視野狭窄していた。腫瘍のせいで、感情も知能もゆがめられていた。引きこもりの原因はなんと脳腫瘍にあったのである。

何回かに分けて行われた手術は成功し、後は社会復帰に向けてのトレーニングが行われなければならないだけとなった。今後も視覚障害者として、社会復帰するまでは大変であろうが、少しずつ回復しているのを見て友人はほっとしている。

午後は議会だより委員会の正副委員長会議。その後、SO埼玉の田部井さんとともに市長にあい、トーチランにご協力を願った。狭山市でただ一人、また埼玉県でもたった3人のアルペンスキーの代表、矢沢啓之さんのご健闘を願って、トーチランを狭山で開催するのだが、多くのお協力なくしては決してできることではない。まだまだ、たくさんの方へのお願いに回らなければいけないと思う。

夕方、5時過ぎまで役所で仕事をしてしまい、4時半に息子とデートをするのをすっぽかした。悪かったなあ。

7時半から国際交流協会の日本語教室が広瀬公民館であった。前回先生が足りなかったので、今回はとくに御飯もそこそこにして、出かけた。教師の虫がむくむく出てきて、教えたくて仕方なくなる。でも、今回は前回に懲りて、多くの先生が出てきていた。それで、30分間ぐらいようすを見て帰ってきた。実は、このごろ忙しくて、疲れ果てていたので、早く帰れてよかった。
11日(木)
18600カウント
今日は朝早くから電話は掛かるは、メールは何本も入っているわ。返事は書かなければならないし、連絡は付けなければならないし、、、、あっという間に10時過ぎ。市民会館に行って市内合唱大会を聞き、そのあと役所に飛んでいった。教育長に会い、社会体育課長に会い、福祉部長にあい、福祉次長に会い、事務局に行って仕事を整理し、昼ごはんを1時過ぎに食べ、帰ってきたらもう2時過ぎだった。

そのあと、またまた、スペシャルオリンピックス関係のことをして・・・今は10時半。疲れきってしまった。

カウンターをトップページに付けた。このページとカウントが違う。そういうものだとはおもってはいたが、こんなに違うものなんですね。我ながら驚いています。
10日(水) 今朝は午前中視察報告を1つ書き上げた。月曜に行った入間市男女共同参画推進センターについて。なんだか訳の分からない建物だった。事業そのものは学ぶべき点も多いが。

午後は一時から中央公民館でスペシャルオリンピックスの狭山トーチラン実行委員会の会議。この度は11人が参加しての会議だった。なんと4時間ほど話し合ったが、まだまだ話し合いが足りない。今のところ話し合いだけをしているので、中々前に進んでいかない。明日SO埼玉と話をしてから、実際の行動に移っていくことになる。とにかく、心を込めて暖かいトーチランにしたい。矢沢君の思い出を豊かにするような、参加者がささやかでも達成感に満たされるような機会を作り上げたい。格式ばったりしないで良いと思う。
9日(火) 今日は朝中学校の図書ボランティアに行った。本当に忙しくて中々ボランティアできなくて心苦しい。午後はスペシャルオリンピックス関係のミーティング。夜は新都心にまで出かけて県のスペシャルオリンピックスの実行委員会に出席した。帰ってきたら、11時過ぎていた。忙しくて、夕御飯を食べたのは11時半。このおかずは新都心まで出かける前に作ったミートローフ。

私は税金を貰う市民活動家みたいなものだ。報酬はほとんどすべてがボランティア活動の費用に、議会活動の報告活動にと消えていく。市民の方に「久美子さんがそういう活動をしているからこそ支援してくれる人がいるんだよ」と言われた。見ていてくれる人もいるんだ。頑張ろう。
8日(月)
18500カウント
今日は、朝9時から議会だより委員会の正副委員長会議。11時半過ぎからスペシャルオリンピクスの10日の会議の準備。1時半から入間市の男女共同参画推進センター視察。4時半過ぎ、また役所に行き、福祉次長にあった。道路管理課に行って、道路占有の話をしたが、結局は警察に言うだけでよいだけであった。もう、忙しくて頭のスイッチが入った状態である。良いのか悪いのか。

今日新聞を見ていたら、県の自治功労者が発表されていた。女性が2人男性3人だった。これを見て、昨日の狭山市の功労者の表彰を思い出した。それと、表彰が終わった後で女性たちと話し合ったことを。まず、狭山市では女性の表彰者が非常に少ない。本当に狭山市の女性は市政に貢献している人があんなに少ないんだろうか。それから、表彰の代表者に一人の女性も採用していなかった。なぜ???女性団体の人と「女性だって市に貢献している」と話し合った。でも、昨日の様子を見ると、狭山市が女性に重きを置いていないのではないかと思う。

いつもアメリカ人の夫に笑われるのだが、女性はすべてサブオーディネート。つまり、下役。つまり、脇役。昨日の式典で表彰状やお祝い品を運んでいたのは女性。それも若くてきれいに見える方。どうして若い男性じゃないわけ?女は静々市長の後ろに控えて、お手伝いをする役周り。スピーチしたのも全員男だった。女性はそのそばに立って、通訳するだけ。女性は自己主張することなく、静かに控えている人。こんな式典を作ってもなんとも思わない時代錯誤の狭山市。県と比べるとなんと遅れていること。センスが20年は遅い。

こんな事を言っても理解不能だろうと、市の幹部の顔を思い出して情けなくなる。男女平等って、男女共同参画社会ってどんな社会だと思っているんだろう。少しでも女性の気持ちを考えてもよさそうなのに、無神経な式だったと昨日私は怒ったが、今日の県の表彰の報道を見てますますそんな思いを新たにした。田舎の町なんだね、まだ狭山市は。でも、それじゃいけないと思うし、こんな感覚じゃあ若い世代は出て行っちゃうよ。
7日(日) 今日も朝から忙しかった。まず、市制50周年記念式典に出席。12時から2時ごろまでは新潟県人会の人と一緒に義捐金の募金のため、狭山市駅西口、東口、稲荷山公園駅に立った。稲荷山公園では大茶会をしていたので、お茶をいただいた。お手前も非常に様々。茶器も様々。とても興味深かった。それにしても、文化というものはお金がかかるというものだ。

今日の募金では43万円ほど集める事ができた。赤十字を通じて被災者に届くようにする。募金をしていて心温まった。小さい子供にお金を持たして募金させる若い夫婦、中学生が100円だまをいれたり、ひどい格好の若者が千円札を箱に入れて行ったり、お年寄りが杖をつきつきお金を入れていってくれたり。私達は被災者のために募金をしていたが、この募金でお金以上のなにか大切なものをいただいたように思う。暖かな心遣いが嬉しくて、感謝だった。皆でそんなことを言いながら募金をした。

夜は6時から笹井自治会館で市街化調整区域での用途指定をすることの説明会があった。かなりの人が集まった。まあ、あまり批判的な意見はなかったが、緑化地区をどうして商業地区にするかという意見が心に残った。だったら、用途地区指定をするべきではないかといえば、決しそうではない。農業をしても儲からないから、また農業を継ぐ人も少ない中で農地をどうしたらよいかと考えてしまう。

朝から夜まで、本当に忙しい。
6日(土) 今日は朝から中学校のバザーのお手伝い。夫は親父の会でバザーの手伝いだった。私の成人委員会はバザーを担当して7万円ほど儲けた。よかった。けれど、朝8時から午後3時まで学校にいて、疲れた。夜に夫と2人指圧をしてもらいに入間の湯に出かけた。
5日(金) 今日は合併協議会に傍聴に出かけた。午前10時から午後1時過ぎまで聞いていたが、嫌になって帰ってきた。なにが嫌になるかといえば、あまりにも自説を曲げない議員達に、新市を作る意欲よりも自分達の市の利益を優先するような議員や委員。そんなことを言い始めたら、合併なんかできなくなる。合併を前提に話をまとめようとしているのに、話を壊そう壊そうとしている議員。何のために、そこにいるのか理解できない。

午後はミーティング。今後の日程を決めた。早い早い、あっという間に一年が消えていく。
4日(木)
18400カウント
今日は、朝事務所で仕事をしていた。スペシャルオリンピックスの昨日の議事録が送ってきていた。また、私の仕事のチェックリストも夜中にファックスされていた。皆がんばって準備を始めている。電話を昨晩、今朝と何本も掛け、状況を調整している。上尾の実行委員会が始まるようだ。県のトーチラン委員会に9日に出席してこようと思う。ニュージーランドの視察の際、スペシャルオリンピックスに本気で関わろうと腹を決めて帰ってきてから、もう2ヶ月が過ぎた。トーチランもできないかもしれないと思ったこと何べんもあった。

後2ヶ月、きっと本当に大変だろうが、実行委員のやる気も十分だから、きっと何らかの結果は出る。そして、知的障害者のオリンピックが世間に認知されるに連れて、知的障害者への理解もきっと高まるに違いない。地域の片隅で社会から切り離されてただただ保護されてきた知的障害者が、自らの手で自分の食い扶持を稼げるような時代がやってくることを願っている。そのためにも、このスペシャルオリンピックスのトーチランをやりたいのだ。私は何年かまえ、大分の太陽の家を視察した。そして、その際中村先生が身体障害者のために社会へ参加する道を切り開いたと言う感動する話を伺った。身体障害者が社会で受け入れられるようになったように、知的障害者もいつか社会の参加が当たり前の社会にしたい。そのために、私は少しでも役に立ちたい。

「場所を貸して」と友達が来たので、私は事務所にいない方が良いかなあと気を使って、お金を下ろしに出かけた。いろいろ支払いがある。ドラエモンのポケットのように、いつでもお金一杯お財布って言うのがほしい。お金は通過していくだけと言う話をしていたが、今は通過していくって実感もなく、いつの間にかやってきて、知らないうちに出て行っている。むなしいなあ。それでも、食事に事欠く事もなく、ローンも払えることに感謝しましょう。

午後は、中学校バザーの値段付けに行って来た。6日はバザーである。たくさん売れるとよいなあ。
3日(水) 今日は文化の日である。朝からスペシャルオリンピックスのため友達がやってきた。彼にはトーチランのための作るものを頼んだ。午後からは第1回実行委員会を行った。今日は6人。一人が欠席。でも、これで形が整った。実行委員長を誰にするかだが、いざとなったら私がすることになるかもしれない。事実、会を私が切り盛りしているのだから、最後の責任も私が取らなければならないのかもしれない。まあ、様子を見ていよう。毎日、スペシャルオリンピックスで過ぎていく。あと3ヶ月だ。
2日(火) 今日は朝娘のために学芸大学付属の養護学校をみせに行って来た。昨年私が一人で見に行った時は工事中だったが、今年は新築してあって素晴らしい建物であった。ニュージーランドの養護学校を今年の8月に視察に行ったが、日本の養護学校の施設の方が100倍も立派であった。中身は分からないけれど。娘はあまりこの学校に興味がないようだ。

午後は、娘を狭山市にかえし、私は池袋に出て本屋をのぞいたのち、新宿の市川房枝記念館に山口先生の顔を見に行った。お元気そうだった。女性団体の情報を伺った。いつになっても、しっかり活動なさっている。外国に行く事ができる状況になってきている事をお話してきた。お手伝いできると良いけれど。

その後、1時間ほど新宿の紀伊国屋で本をま見て、日比谷に出かけ、スペシャルオリンピクスの世界大会のボランティア研修に出席した。ボランティア3,400人はきた。すごいね。9000人ほどの歩ランティアを必要としているそうだ。私の仕事がなんになるかは、12月まで分からないようである。そのあと、また研修があって本番を迎えるのだそうである。お役に立ちたいと思っているが、なんだか心配でもある。初めて、こんな大きい大会のボランティアをするので緊張しているのだ。頑張ろう。
1日(月)
18300カウント
朝から夕方まで役所にいた。決算委員会の最終日。要望書を整理した。かなり短くまとめた。あれはあれでよいと思う。残念だ。もう一度決算委員になれば、もっとよい仕事ができると思うが来年はお役ゴメンかな。いやいやこんな風に思っていても、来年すれば来年でまた仕事に意欲がわくというか、満足できないだろう。自分の目から見たら十分ではないが、一回一回精一杯仕事をすることを心掛けているそれだけで仕方ないのかもしれない。

3時半ごろ決算委員会を終え、その後、役所でいろいろ用事を済ませ帰ってきたら6時半ごろになった。それから、御飯を作って子供にたべさせた。しかし、その後様々な用事があり、やっとスペシャルオリンピックの実行委員会の実態が整いつつある。良かった。頑張ろう。

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