私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
3月 私の独り事
31日(水) 今日は、朝昨日書き上げたレポートを議会事務局に届けてから、新潟までドライブした。途中、赤城高原、塩沢に寄り、長岡で降りて、息子と娘に私の卒業した小学校を見せた。20年ぶりに長岡に行ったのだが、町並みがまるで変わってしまっていた。道路もまるで変わっていたけれど、何かが私を導くように、小さい頃住んでいた所についた。あの広かった野原は皆家が立ち並んでいた。私の住んでいた家は取り壊されてガレージになていた。それでも、昔の人も町に住んでいた。会えなかったが懐かしかった。

新潟に来て、叔父や伯母に歓迎を受けた。おいしい新潟の食べ物をご馳走になって、夜中までしゃべっている。今年は冬は忙しくて来れなかったので、久しぶりにあえて嬉しくなった。
30日(火)
12000カウント
今日も報告書の続きを書いている。そのあと、合併協議会の傍聴。郵便局、御茶屋、ヤオコーにより帰ってきた。そのあと、レポートを配ってもらうために、友達の所に持って行った。

今日感じた事。合併協議会の傍聴を続けているのは、狭山市議会議員が入間市議会議員よりずっと多いと言う事。それに狭山市議会議員のうち、2期生はほとんど毎回傍聴している。合併なんて一生に1辺の大事である。これはしっかり見届ける必要があると思っている。実際、傍聴したところで何が変わるか、結果を知るだけでよいのではないかと言う考えで傍聴しない議員も多いのだろう。しかし、私達議員は最終決断を下す責務を負っている。その協議の経過を知る事は、決断下す際の大きな助けとなる。特に自分で考えて決断すべきと思うならば、きちんと状況をフォローすべしと思っているのだ。

12345カウントをめざします。12345カウントをとった人は必ず連絡下さい。お願いします。
29日(月) 今日は朝から報告書を書き続けていた。と言っても、市川房江政治参画セミナーの講座のすべての報告を書いていて膨大なのだ。まだ終わらない。ふ〜〜〜〜〜〜

2時半からは娘を連れて、神経精神センターへ。3時40分の予約なのに、呼ばれたのが5時過ぎですからね。帰ってきたら7時だった。「記憶のよくなる薬はないですか」って聞いたのだが、「そんなもの、あったら使っています。」とのこと。ボケの防止の薬は、記憶にはきかないそうだ。あまりに娘の学習が進まず、この6年間小学校1年レベルから上がらない。時計も読めない。お買い物にもいけない。今後どうしたらよいのだろう。暗澹たる思い・・・・

御飯を食べさせて、ようやくコンピューターに向かっている。ところで、美しい若い私の修了式の姿に関して、何にも反応がありません。どうした事でしょうか。あまり美しいので、声も出ないのでしょうね。面食いのYさんからのメール待っています。
28日(日) 今日は日曜日なので礼拝に出かけた。帰ってきて、力なく昼寝した。最近体調があまりよくない。デブになって、疲れが残る。年かなあ。

夕方から夫と桜を見に散歩した。土手を歩き、豊水橋まで行って、川の工事の様子を見て帰ってきた。夕御飯をたべてからHPに取り掛かっている。でも、こういうときに限って、友達の顔が目に浮かんであれこれ電話でおしゃべりをした。楽しかった。
27日(土) 今日は朝から中学校の学校説明会に行った。一学年3クラスぐらいの小さな中学校のつもりだったのだが、なんと5クラス150人の大きな学校だった。あんな大きな集団で息子はやっていけるのだろうか。いままで、一学年64人しかいない小さな学校に通っていたのだ。いろいろ説明を聞いて、帰ってきたのは12時ごろだった。息子と夫は、午後から自転車に乗って、通学路を確認しに、もう一度学校まで行った。今日は、教科書も貰った。体育服も送られてきた。もうすぐ、入学だ。始めての私学。私も勝手が分からず怖い。でも、今後6年ゆっくり勉強に励まれると思うと、兄ちゃんが公立中学校であまりにもあわただしく過ごした3年間をおもいだして、少しほっとしている。

午後は坂東真理子さんの講演会に行って来た。良く聴衆を見てみると市外からの人の方が多かったように思う。男性もちらほらいた。思ったようには、人は集まらなかった。これを見ていて、私がどんなに狭山市男女共同参画条例を作ろうと努力しても難しいと言う事が良く分かった。今の社会システムの中で、女性は主婦で生きるしか道がないような気がしても仕方ない。一度仕事を離れてしまえば、もう社会の本流には戻れない。そうしたら、サラリーマンの妻でパーとしているほか生きようがないのである。あ〜〜〜。いつまで続くジレンマだろう。ほどほどの日本。ほどほどの生きかた。まあまあ、なあなあ。元気がなくなっていく仕組み・・・・
26日(金)
11900カウント
今日は、朝から銀行に行き、役所に行き、スタッフと打ち合わせをし、午後は息子の幼稚園の時の卒業おめでとう会に行き、合併協議会の小委員会の傍聴に行き、また幼稚園に戻り、帰ってきて夕御飯を作り、ようやく食べさせて、仕事に掛かっている。9時前です。

古本屋で知った人に会い、「休みを意識的にとらないと」といわれた。その通りなのだが、仕事から頭のスイッチが切り替わらないのがいけないのだ。休んでもちっとも休まない。だから、別荘に行きたくなるのだが、その暇を取れるだろうか。できれば、3月31日から4,5日間、子供をつれて出かけて来たいと思っている。こんな時、早く子供達が大きくなればよいのになあと思う。一人で、ぼおっとできたらよいのに。でも、子供が巣立っちゃったら寂しいだろうから、まあ仕方ないか。

今日、政務調査費の視察のうち、交通費ををクレジットカードで払ったのがいけないといわれたらしい。ばかばかしくって仕方ない。今時、お金を何十万も持って買い物になんか行かない。大きい買い物はほとんどクレジットカードでする。要するに1万円を超える買い物はほとんどクレジットカード払いである。最近は飛行機だって、本の購入だって、コンピューターで予約をいれ、購入する。誰が現金なんか使うものか。皆クレジットカード払いなのである。政務調査費は現金を銀行口座に振り込んだのだから、現金を引き落として使えだなんて、ナンセンス。なぜ、この口座から直接支払ってはいけないのか。郵便為替はよい、なぜなら現金を引き出した後に払うからだって。

問題は、政務調査費をどのように使い、それを支払った領収書がしっかりしていることである。支払いの方法が、郵便振替だの、クレジットカードだの、電信為替だの、現金だの、どれだって変わらないだろう。役所だって、もう給料を現金で支給しなくなった。政務調査費だって銀行へ振り込む。現金を持ち運びするのがいやだからである。住民基本台帳をコンピューターネット化した。世の中の仕組みはコンピューター化、カード化しているのに、現金で支払った領収書でなければ領収書ではないなどと言う、あまりの時代錯誤に開いた口がふさがらない。
25日(木) 今日は卒業式。息子の小学校の卒業式だった。来賓として招かれていて、祝辞もしたのだが、胸が詰まってしまい、涙ぼろぼろ、鼻水だらだらのみっともない来賓の祝辞となってしまった。ごめんなさい。言い訳ではないのですけど、他のお母さんには「良かったよ」と慰められました。親の思いは同じだから、皆通じるところがあったのだと思う。祝辞をアップしてもよいのだけど、もしかして来年も原稿を使うかもしれないので、企業秘密にしようかな。もちろん、議会から雛形を貰って作っているのですが、誰が人の作った原稿をそのままよむのでしょうか。(少なくとも私は・・・・)

息子はもう小学校に飽き飽きしていたようで、純粋に卒業を喜んでいました。そういえば、私もどの卒業式も嬉しかったようにおもいますし、後ろをぜんぜん振り返ってみなかったように思います。いつも次に進むところが決まっていたからでした。決まっていなかったのは、大学院を出るときだけだったように思います。あの頃はオイルショックのせいで女子学生の就職口なんてぜんぜんありませんでした。アルバイトと言うか、非常勤で、ある大学の研究助手をして月7万円ほどで生活していました。

それでも、決して悲観していたわけでなかった。若いってそんなものなんですよね。それに、今思っても人生を自分が決めたようになんていきてこれなかったのは、自分が悪いのでもなんでもなく、ある面不運だったって事もあります。それに、自分で研究者になる才能に見切りをつけた後に、夢も目標もなくなって、なんだか彷徨ってしまったと言うのもあるのです。後に教員になりましたが、始めは“デモしか”教員でした。今では、私の天職はきっと教員なんだと思うのですが、その道はぜんぜん開かれずじまいでした。いつの間にか市議会議員をしています。市議会議員としては、あまり有能ではないと思いますが、先を見る目だけはきっと誰にも負けないと自負しています。人の責任追及なんてことは私にはうまく出来ないけれど、提案をすることはできるかなと最近自分を知るようになったつもりでいます。どうでしょうか。

ところで、週刊文春のことで、今日日本テレビで表現の自由はプライバシーの尊重よりも重みがあると言っていました。私は人権は表現の自由よりも尊いと信じています。プライバシーは基本的人権の中の憲法13条で保障されている幸福追求の自由の1つです。それが憲法21条よりも下にあると言うのは、間違いだろうと思います。最近週刊誌は人のプライバシーを売り物にして金を稼いでいるとしか思えない時がある。公人のプライバシーなんて一切ないに等しいかんじです。今回は私人の私事に関する情報を興味本位で取り上げているだけに見えます。それの何が表現の自由でしょう。

私は、自分が文を書く人間として他人のプライバシーに関しては書くまいと心しています。議員さんのプライベートの事をたくさん知ってはいます。でも、書きません。勿論、議員としての公的な活動を批判したり、茶化したりはすることはありますが、その議員の娘・息子の事も書きませんでした。

議会でも、ものすごくプライバシーにはやかましいのです。議場で公人以外の固有名詞がでてくる事は皆無です。なぜならば、私達のいる地方議会には国会にある“どのような表現をしようとも免責される”ということがないから、ものすごく言葉には気をつけているのです。それなのに、70万部も売る週刊誌が誰の事でも好き勝手を言えるというのは人権侵害としか思えません。人の秘密暴露してお金をもうけようなどというのは、あまりにもさもしいのではないかと思うのですが、これも皆さんはどう思われますか。
24日(水) 昨日よりも楽になったが、のどは引き続き痛い。スタッフが来てくれて、レポートの1面を刷り上げた。何しろ、枚数が多いので大変だ。彼女のような有能な方に私のようなものの事務を手伝ってもらって申し訳なく思ってしまう。彼女が刷っている間に3,4面の原稿を作り上げた。手が腱鞘炎のようになっているらしく、うずくような感じがする。午後2時になって、私はもう限界で、2階に上がって寝てしまった。

起きたら7時。何にもいってなかったら、子供達は御飯の用意もしていない。黙っていても、何かしてくれればよいのにと、思う。あすの祝辞を考えてから、眠る事にする。
23日(火)
11800カウント
朝起きたら、もう体が痛くて起きたくなかった。のども腫れ上がっていて、ツバを飲むのも痛い。風邪だろう。それでも、10時から人が来て、議会レポートも印刷に入り、印刷しているうちに印刷機がおかしくなり、修理の人を呼んだ。彼が来たとたん機械は正常にうごきだし、腹が立つ。

午後、原稿を書いていたが、注意散漫。かけないので、ぼうっと横になろうとしたが、市民からの電話。その始末をしに出かけ、帰ってきたらもう6時。御飯を作り、食べさせて寝ようと思ったが、体が冷たくて寝れない。それで、今風呂に入った。

議会が終わり、緊張が取れたのだが、することが山積みで気持ちだけが焦るが、体がついてこない。明日は起きないで寝ていたい。できれば。
22日(月) 今日は、議会の最終日だった。私は議案7号と24号の賛成討論をした。7号は反対討論もあった。あんな反対討論を聞くともっと応援の論調の討論をすればよかったかなと思った。この議案に関して討論があるとは思っていなかったのだ。しっかり、よい要綱や規則を作りながら、指定管理者を選んで言ってほしい。くれぐれも公社を安易に指定することのないように。

一日がかりの議会でくたびれてしまった。委員会報告に対して何らかの質問もあるかなと思っていたのだが、それもなく、無事終わった。今回の議会はいろいろ学ぶ点もあり、考える事も多かった。

息子がまた頭痛で寝込んでいる。困ったものである。病院でMRIでもとってもらわなければならない。大事でないといいけど。
21日(日) 今日は、日曜日。礼拝に行って、昼ごはんを食べて、昼寝をした。仕事をしようとコンピューターの前に座ったのだが、ねむたくなって・・・

夕御飯を食べて、鉄腕ダンシュ村を見て、今仕事に掛かろうとしている。明日の討論をうまく書けるだろうか。
20日(土) 今日は、朝夫が息子と娘を連れて、国立科学博物館に「スター・ワーズ サイエンス アンド アート」を見に連れて行った。きっと本人が見たかったのだろう。「ラジオで言っていた。」とか昨夜言い出した。本当は今日はハイキングの予定だったがお天気が悪くなりいけなくなったので、急遽上野まで出かけた。ついでに、市川まで行って、おばあちゃんに会ってきてくれた。目が少し見えるようで、孫の顔を見て喜んだようだ。息子も娘もおばあちゃんの目が見えて、耳も聞こえたと嬉しがっていた。「歩けるようにもなっていた」と息子が報告してくれた。1時間ぐらいしかいられなかったようだが、それでも、お見舞いに行ってくれてよかった。母も喜んだろう。

私は、賛成討論を書こうと思っているし、議会レポートも書かねばならないし、報告書も溜まりに溜まっている。さて、原稿書きと思うと本が読みたくなる。夫たちを稲荷山公園駅まで送っていって、その足で図書館へ。

最近、木村伊兵衛の写真に凝っていて、写真集が見たくて図書館に行ったのだ。さすが、狭山市図書館。ちゃんと木村伊兵衛の写真集を持っていた。全作品かどうかは知らないが、3巻の作品集、1巻作品集を見てきた。彼の写真の素晴らしいところは、動きがあるという感じがする。時間の動きを感じる。2,3日前に文庫本で「木村伊兵衛と土門拳」という文庫本をかった。土門拳も写実的な写真家だが、現実を突き抜けて事物が抽象にまでなっているように思う。今の私はこの重さがいやなのだ。強さが耐えられない。陰影が濃すぎる。線がはっきりしていて、ぶれないのが辛いと思ってしまう。私は弱く、たゆとう、はかなくゆれているのが好き。

その点、木村伊兵衛の写真は時間がふわっと浮いているような感じがする。写真に中の人物の動きの流れを感じるのである。木村伊兵衛の最後の写真が時計だったというのもなんだか分かるのである。キャパという写真家がいた。好きで写真集を何冊か借りてきては見たものだ。最後はインドシナで死んでしまった写真家だが、どこか彼を思い出させるものがある。力んでいないカメラワークなんだろうね。それに、しゃれている。粋。
19日(金)
11700カウント
今日は、朝9時からの合併協議会の傍聴。お昼は入間市議会議員と食事。その後、事務所で仕事。夜から里親会の懇親会。毎年、子供もつれて一家で出かけている。今年は4人で出かけた。でも、もう子供をつれてはいけないかな。話が、産んだ人に会いたがっている子供をどうするかという話になり、家の娘は少し辛そうだった。娘は産んだ人に会いたいと思っているようだが、今その人がどんな状態なのか私達には分からない。いつかもっと大きくなった時、彼女が傷つかないように産んだ人に合わせたいと思う。

もし、産んだ人が娘と一緒に住みたいといっても私はおいそれと娘を手放そうとは思わない。かといって、娘が会ったときあまりに邪険にされても娘は傷つくだろう。親権は私が持っている。娘が幸せになる事が分からない限り、また彼女が産んだ人がどんな状態であってもその事実を受け入れられるのでなければ合わせまいと思っている。でも、いつか1度は産んだ人に会う機会が彼女に与えられえると良いなあとは私も思ってはいる。

良く30年ぶりの対面とかいってお涙頂戴のテレビがある。そんな番組で、私達養親の思いを斟酌してくれているテレビは少ない。養親は育てた子供が可愛いからこそ産んだ人に合わせないのであるし、また逆に合わせたりするのだ。継母という言葉はいつも、意地悪で怖いようなイメージだ。産んだ人が育てられないので、育てているんだよ。皆子供を愛しているんだよ。里親会では一年に一辺か2辺里親が会うだけだが、どこか悲しい思いを共有できるので細々ながら続いている。
18日(木) 今日は朝一仕事してから、市川まで母の顔を見に行ってきた。耳の手術をするのかと思ったが、今日はしないようだった。明日、診察してもらってから決まるようだ。目の手術が成功して、何年かぶりにかがみに移った自分の顔が見えたと笑顔で居た。どんなにほっとしたか分からない。角膜移植手術は、少しの間見えるようになるのだが、それがいつまで持つか分からない。たとえ、1日でも1ヶ月でも見えているときが与えられて本当に嬉しい。家族全員がおばあちゃんの目の為に祈っていた。耳のためにも祈っている。

日曜日は歩くのもままならなかったのだが、今日はトイレまで歩けた。それも嬉しい。回復してよかった。良かった。お祈りありがとうございます。今後もお祈り下さい。お願いします。

末の息子がホームページを立ち上げた。楽天というところの無料ページを使って始めている。<ジェレの独り言>という。なんと、私より多くの人が息子のページを見ているようで、カウントが上がる。「お母さんも楽天でホームページを作ったら」などといわれている。悔しいわね。メールにしても私より彼のところに多く着ているようだ。小学生同志でかきこんでいる。私のコンピューターを使っているので仕事ができない。3台もコンピューターがあるのだが、やはり新しいコンピューターがよいらしく、私のコンピューターを自分で使えなくなっている。困ったものである。すぐにもう一台ほしくなるんだろうなあ。
17日(水)
11600カウント
今日も朝、委員長報告のまとめ。誠実にできる限りありのままをまとめた。嘘も言わない、隠すこともしない。勿論まとめるのだから、短くなるし取捨選択はしかたない。尾崎委員長の穏やかで誠実な性格を私はとても評価している。私は、生きかたで妥協できない性格だし、、自分を偽ることなく仕事をできるのは感謝だ。尾崎さんに教えてもらいながら下働きしているのだが、彼を尊敬できるのは嬉しい。

最近はあちこちで辛い話を聞く。「ブラクソンさんに会えてよかったです。」なんて言われる。こんなに大変な思いで皆生きているんだなあと心が暗くなる。昔は、いやな話、辛い話を聞くのが耐えられなかった。このごろ、話したい人がいるなら、何にもできないけど聞く事はできるという思いに変わってきている。本当に、何にもできなくて、重いため息をつくことの方が多い。ごめんなさいね。でも、聞くだけで少し心が軽くなるなら、私、お役に立とうと思っています。

母の手術が成功したようです。お祈りありがとうございました。引き続き、体力がついて自力歩行ができるようにお祈り下さい。明日は耳の手術です。耳が聞こえるようになるように、お祈り下さい。お願いします。
16日(火) 今日は朝中学校の卒業式に出かけた。来賓。心温まる卒業式だった。

午後はまた委員長報告作り。委員会で話し合った事をじじつの通りに書けばよいということである。もし、問題があったならば執行部に対応してもらおう。委員会としては、事実を明らかにし、それに対する対応をしっかり聞いたというところである。委員会対応に間違いはなかったと思う。他の委員さんも何も異議を唱えなかったのだから、これでよしとする。

それにしても下水道はどうした事か。また、訂正に来た。私達議員が答弁をもっと突っ込んで聞くべきなのかもしれないが、答弁は正しいはずだろうからと異議を申し立てるのは中々しにくいのだ。私も彼が答弁を長々しているのを聞いてなんだかおかしいなあと思い、顰蹙だったかもしれないが答弁者に答弁をまとめるように注意をしたりしたのだった。副委員長としてはしてはいけないことだったのだが、この方の答弁で答弁内容がころころ変わったりしておかしかったので、注意を促したのだ。やっぱり、いくつも訂正が入り、訂正したのがまた間違っていたり。私も間違う事があるので、非難する資格があるとは思えないけれど、こんな事は初めてなので当惑してしまう。

副委員長という仕事をさせていただき、いろいろな下働きをしているが、よい勉強になっている。感謝である。いくつになっても新しい経験は必要なものかもしれない。ただ、謙虚に謙虚に勤めなければならないと自戒している。
15日(月)
11500カウント
今日は朝から建設委員会の審査をまとめ、委員長報告を作るために議会に出かけた。この前審査したテープおこしができていた。いちいち、原稿を読み、報告書に入れるべき内容か否かを吟味した。委員長のお考えを元に作っている。今回、一部の答弁にぶれがあって、始めはデータがないと言い切り、次には他の答弁し、結局正しいデータで答えたり、答弁の訂正を繰り返したりという場面があって、報告書の取りまとめに苦労した。いつか、訂正とはっきり言わず答弁したところを報告し、後で冷や汗を書いたことがあった。文字面だけで報告書を見ていると、どれが正しい答弁なのか分からなくなってしまうのだ。私達議員も発言には気をつけるが、答弁者も少し緊張してほしいものだ。(緊張しすぎている?そうかもしれませんね。)

ともかく、もと原稿を6時過ぎまでかかって作った。後は事務局に任して帰ってきたが、遅くまで残業しないと良いけど。帰ってきたら、息子が頭痛で寝ていた。この子は時々頭が痛くなる。少し熱っぽかったので、熱止めを飲ませた。熱が下がったのか、昏々と寝ている。明日には元気になると良いけど。昨日市川までお見舞いに連れて行ったので疲れたかなあ。
14日(日) 今日は、母のお見舞いに出かけた。10時過ぎに出て1時ごろ市川の大学病院に着いた。目の病状は落ち着いているようだが、中耳炎も起こしているらしく熱が出て耳が聞こえないらしい。目が悪いのに耳までもと思うと切ない。見えない、聞こえないじゃ可愛そう過ぎる。私はいろいろ取りそろえて持って行った。病院の御飯はおいしくないので、うにの瓶詰めやら海苔、真空パックしたうなぎ(目に良いと言うでしょ)、イチゴ、アナゴまき、佃煮2種類、などなど。小さな病院の冷蔵庫に納豆やらモズクなど詰めてきた。食べ物しか楽しみがないので、喜んでいた。

悩みも聞いてきた。年寄りなのに、本当に悩みが尽きなくて可愛そうだ。祈ってきたが、祈るだけしかできなくて申し訳ない。清めという信仰は私にはないのだけど、本当に悪魔が悪さをしているとしたら、悪魔からの清めがほしい。体も弱って歩けないといっていた。車椅子になってしまったら本当に大変だ。頑張れ、お母さん。愚痴はどのくらいでも聞くからね。一日でも長生きしてほしい。
13日(土) 今日は、午後から女性講座があったので、母のお見舞いを夫と娘に頼んだ。私は明日お見舞いに行く。

午後からの女性講座はとてもよかったと思う。ちゃんとジェンダーの視点に立とうと努力している講師だった。行政書士さんが女性と税金の話をしてくださったのだ。人数もまあまあ集まり、講座としては成功だったのではないかとおもう。税金のような制度が女性の働きを左右している事が本当に良く分かった。105万の壁、130万の壁、などと言われるが、それより少しぐらい働いても結局税金に持っていかれちゃうんだから、主婦がそこそこしか働かないのは無理ないなあ。パートで200万円も稼ぐのは至難の業。150万円ぐらい稼いでも結局ばかばかしい。だったら、100万にしましょうということである。

夕方から息子とデート、カルフールで食事をして買い物をして帰ってきた。
12日(金)
11400カウント
今日は、朝、父のところにハッピーバースディの電話をした。本当は昨日だったのだが、入間の湯に行ったので、遅くなってしまい、電話できずじまいだった。父に電話し、皆でハッピーバースディを歌った。父は本当に喜んでくれた。78歳おめでとう。これからも、元気で長生きしてください。

午前中の委員会審議は昨日からの問題があって、私は憂鬱だった。議会として、どんな解決の方法がよいか自分の中で見えてなかったせいである。尾崎さんの采配の通り進むよりしかたないし、私が変に動かない方がよいのだろうと、静観させてもらった。この政治の世界では表の現象と裏の現象があることが往々にあって、表が流れている時には必ず裏で連動している動きがある。そこいらを考えると、どうしていいか良く分からなかった。委員長にも相談されたわけではなかったから、静観ということだった。結局、議会として結論があれでよかったのかと自信がない。自信のない時は不安である。祈ろう。

とりあえず、午前中に審査をおえ、採決まで済んだ。「高橋は口数が少なくてよかった」と言う議員がいたが、先のことがのどに突っかかっているようだったのだ。とにかく、審査をした。質問し答弁を得た。途中でストップすることなく、きちんと最後までした。と、言うわけだ。う〜〜〜ん。

夜は懇親会があった。珍しく、和気藹々と飲んだ。私はウーロン茶。仕事の話をたくさんした。こんな席でまで仕事の話というが、仕事が楽しくて街づくりが楽しくて仕方ないのだ。チープな駅前にしてほしくない。後4,50年は使うんだから、少し先見性のある、それでいて温かみのある駅前がいいなあ。建物の前に階段を5段ほどつけるのが、おじさん建築物である。それはいやだ。今の狭山庁舎の良いところは、通路からフラットで、すなわち敷居なしで入ってこられる点にある。モノトーンが好きだというのもおじさん特有だ。逆に、はちゃめちゃにカラフルでそれで居て上品という、まるでありえないような感じができないか。手垢がついたような、ありふれた、使い慣れたコンセプトの街づくりなんかぜったいしないてでね。なんて言っていると、お酒(私は飲まないけど)がおいしいのよね。仕事中毒かなあ。
11日(木) 今日は、委員会審査の日だった。下水道会計、一般会計のところを審査した。朝9時から、3時過ぎまで。途中から、ある議員は早く審査を進めろと性懲りもない。そんなに審査をしたくないならば、議員にならなければよいと思うが、自分が言う事が終わればそれで審査を終えてもよいと思っているんじゃないかと思う。その点、尾崎さんは、ちゃんとポリシーがあって、じっくり審査をさせている。私なんか、某議員と似たところがあって、もったいぶった言い回しで結局最後の一言を言っている答弁なんかを聞くと、いい加減にしてよねという思いで一杯になる。あんたのトークショーをしているんじゃないから、完結に答えてよという思いがしてしまう。ここは、もっと人間が丸くなる必要があると言うものかもしれない。

私のいけないところは、肩書きなんぞと言う思いがあって、「副委員長を辞めさせるぞ」などといわれると、「あ、そう。いつでもやめるよ。あなたがどうぞ。」と思ってしまう。確かに、好きでやっているわけでなく、また、私が適任だからしているわけでなく、やる人が居ないからやっているだけだ。来年度は他の人にやっていただいて結構です。

という事で、明日も議案の委員会審査が続きます。今夜は入間の湯に行ってマッサージをしてもらいました。首が回るようになって、少しは体が楽になりました。全身が硬直していたそうです。
10日(水)
11300カウント
今日は一般質問。私は1番始めの9時からだった。内容は、鳥インフルエンザ、ごみ行政、合併。鳥インフルエンザは通告した時には、もう収束するものだと思っていたのに、だんだん状況が悪くなっていき、執行部の各部署で緊張が高まった。答弁書を毎回書きなおしていた。特に農政課は養鶏業者に足しげく通って、状況を調べたり、県と連絡をしたり、いろいろしてもらった。ありがとう。動物園も私が視察をした時には、まだまだ余裕があったのに、今日の答弁はかなり緊張度が高く、狭山市動物園が鳥インフルエンザを発生させ、それがどこかに飛び火したりしたら、大変だと心配していた。心配しても、予防ができないだけに困ったものである。学校も保育所も神経質になっていて、子供をあまり鳥に近づけないようにしているようだ。もっともだろう。

そのほかの質問は、後ほど原稿をアップするので読んでください。原稿は、其の通り読んだわけではありません。でも、趣旨は変わりません。

この原稿を書くために、何週間苦しんだでしょうか。一般質問が終わると一種の燃え尽き症候群となり、くよくよと悩んだりします。完璧な質問っていつできるようになるのでしょうか。今回だって、用意した原稿を全部言えたのではないのです。時間配分が良く分からないのが残念です。でも、珍しく今回の一般質問は議員さんたちに好評で、良かった分かりやすかったなどといわれました。第一質問なので、聞くほうも疲れていなかったのが良かったのでしょうか。たいてい、私はまっとうな事しか言わないわけだから、文句を言われる事のほうが驚きなんですけどね。古くからの友達には「久美子さんの言うのは、たいていもっともなんだよね」といわれま。しかし、私が言った時にすぐには理解してもらえないらしく、「後になって分かるんだけど」といわれるのです。議員達もようやく私の言っている事がまともなのだと分かってきているようです。良かった。

母の目の手術が終わったようだ。今日の昼に手術をしていた。千葉県の市川まで出てきて、角膜移植手術をしたのだ。一人娘の私がついてあげられなくて、心が痛んだ。痛くないとよいのだが。付き添っていた父から電話があったが、手術が無事終わって父もほっとしているようだ。其の父だって、2月始めは喘息で2週間入院をしていた。忙しくて中々親の顔を見られない。週末だけでも母に会いに市川まで言ってこようと思う。
8日(月) 今日は、議会で一般質問の第1日目。午前中だけだった。午後は私の一般質問のためのヒアリング。こんなに気合の入らない議会もなくて、誰も聞きに気やしない。まあ、ソレでいいか。

今日、ケーブルテレビでわが姿を見た。ぺチャぺチャしゃべり、要点を得ない。これじゃあ文句が出るというものさ。焦らず話す事がひつようなんだけど、たくさん言いたいので早口になってしまうんだなあ。反省しても、だめだなあ。口下手なんだものなあ、本質的にね。

子供達は、それぞれ頑張っている。昨夜はアメリカに電話をしたら、アメリカのお母さんもお父さんも元気そうで良かった。お父さんの糖尿病もコントロールできているようだ。お父さんは75歳になった。里の父も11日で78歳になる。皆元気でなによりである。母が今日市川の大学病院に入院した。10日に角膜移植手術をする。議会中で行ってあげられない。残念だ。目が見えるように祈っている。痛くない手術だとよいのだけれど。それも祈っている。(ジャステンへ、おばあちゃんの目の手術が成功するように祈っていてね。)、
7日(日)
11200カウント
昨日は、というより今日の朝3時ごろまで、原稿を書いていて、起きたら9時だった。たいそうな質問原稿が出来上がったのなら自信もつくが、あんなものじゃね。でも、まだ全部できていない。今日は朝から集めた資料を読んではいるが、考えがまとまらないので、今夜8時半なのに、一字も原稿が進んでいない。言いたい事がまとまらないのだ。そもそも、答弁に期待していないで書いているし、書くしで、先に空しさが立ったりする。いやいや、これは書けないいいわけだろう。

この独り言や実験レポートは書けるのに、全く書けない。私は本当にマゾではないかと思う。もっと、楽な生きかたがあるのに、どうしてこういうつらい生きかたを選ぶんだろう。えっ、そんなもの辛いうちに入らないって。端から見たらそうでしょうね。きっと。
5日(金) 今日は議会の質疑2日目。昨日は1時過ぎまで予算書を去年の予算書と比べながら調べた。幾つか質問しようと思った。それで、今日は、質問をした。私は会派を持っていないので自分ですべてをしなければならない。特に福祉や教育は私のテリトリーではないか。また、ある議員が私の質問をわかりにくいなどと言っていたが、何を言うのか。自分の理解力を良く確かめてほしい。質問するには、其の前提を言わなければ分からないという場面が多いのである。まあ、私は口下手でもあるのだが。ある議員は私の声が小さいと言い、アル議員は大きすぎると言い、要するに私は自分流でやるべきという事か。

教育長が人権教育について答弁した。今まで同和ばかりだったが、性同一性障害、子供の人権侵害(虐待)、男女平等のことなど教えなければならない事は一杯あると、だから、いろいろな教育手段を通じて其の教育に勤めなければならないとおっしゃられた。お願いします。きちんと自分の人権について、大人にも子供にも教えてほしいと願います。いろいろ事を質問しました。

合併がらみの事もあります。なんだか、役人は自分の首をかけて仕事をすることがないのだと感じてしまいます。合併できなかったら、「残念でした」といえばいいのです。でも、市長。それに、私だって合併が不可能になった時、肩をすくめて「残念ね」で済ませられないだろう。市長なんか政治的な責任問題となるんじゃなかろうか。事務事業のすり合わせだけでないでしょう。合併の為にすることは。もっともっとすることがあるはずだ。合併ができないかもしれないのだから、用意はすべて事が決まってからと役人は言っているようだ。「ちがうだろ。」といいたい。合併しなくても、合併できる状態にしておけばよいだろ。そう思うのだが、言葉が通じない。
4日(木)
祝11111ゲット
I@狭山市民さま
ねらっていたのに、ざんねん!!!!今日、仕事の合間に庁舎で見たときは11084だったのに、8時過ぎにメールをみたら、またまたIさんにゲットされてしまった。くやし〜〜〜〜〜。気が抜けた。狙っていたのに。次は22222ですよ、いつのことやら。まあ、また100刻みに頑張ってみましょう。

今日は議会で議案質疑をした。其の後、6時半まで明日のためにお勉強したり、話をしたりした。合併を前にして、役人さんには目の前の今年しか見えない。目前だけでなく、もっと遠くをみて行政を導けないのか。

西口再開発も広瀬も東口の区画整理も一段落しそうである。だから、これからは、新市の計画に夢や希望を託そう。何も箱物を作らなければならないというのではない。でも、新しい街への思いを描いてもいいんじゃないかと思う。開発が目星がついたとき、新しいプロジェクトが出てきた。長い苦しい時をすごしている日本。それでも、だからこそ、夢を抱こう。そんな風に、思っている。
3日(水) 今日は県庁に行き、この前の性教育の県で提言書を3人の課長を通じ、渡してきた。其の後、県庁記者クラブに行き、記者会見をした。朝日新聞、読売、毎日、東京、埼玉新聞などの若い女性記者が出てきてくれた。明日は朝日新聞で記事になるだろう。先日は毎日新聞の記事になったらしい。私達のアンケートは、かなり先進てきなもので、あのようなアンケートを106の学校でしたと言うのは、今のところないはずである。新聞社が飛びつくはずである。

帰ってきたら、4時過ぎだった。疲れて昼寝をしてしまった。夜は施政方針に対する質問を短く原稿にした。これからは、一般質問の原稿をかかなければならないが、眠い眠い病が始まっている。困った。
2日(火)
11000カウント
今日、庁舎でこのページを見たら、なんと11000カウントを突破していた。もうじき、11111がやってきます。11111カウントをヒット、ゲットした人はお知らせ下さい。この前、10800をゲットした時は嬉しかったなあ。あさってぐらいだろうから、スタンバイをしていようと思います。私がヒットしたら、ごめんね。でも、絶対うれしいかも。

今日は、議会2日目。頭が悪くなって、聞いていても、内容が入らない。早口の部長さんたちの原稿の読み上げスピードと理解度があわないのである。そもそも、数字を探すのが一苦労で、ページを開けるだけで、どの款のどの項のと言うところに目が届かないのである。わざと早口で言っているのかと思ってしまう。

今回初めて施政方針に対する質問をすることにした。1行気になるところがあり、私は女性として少し伺いたいと思っている。また合併を目前にそれ対応予算となっていないように思えてならない。私は合併を推進するべしと思っている。あと1年半の間に合併をスムーズにする方法も考えておくべきではないかと思っている。新しい施策を今回も出した。それと合併の際の施策を整合性があるのかと首を傾げてしまう。

質疑についてもいろいろ考えているが、考えがまとまらない。要するに頭が悪いんだなあ。切れがないのである。なたと言うか、もっと切れ味が悪いから、かなづちの感じだ。え、こんにゃく!!そうね。私が何を言っても痛くも痒くもないって言った役人がいたものね。そうなら、心置きなく好きな事を質問すればよいと言う事でしょうかね。あさってを待っていてください。明日もっと勉強してパワーを充電しますから。

口下手だし、追求型の質問はできない性格だし、自分はこう思っても他の人がそう思わなければ、「ア、そう」と思うほうだし、時々「こんな市議会議員ですみません」と思っています。支援者には「あんまり卑下しないでよ」といわれるのだが、自信を持てるようになるには、本当に私の場合時間が掛かりそうに思う。でも、一生懸命、よい市議会議員になれるように努力はしているんですよ。少しでも成長できるとよいのですが・・・
1日(月) 今日から、議会が始まった。説明を聞きながら、私のアンテナに引っかかってくるいくつかのことを質問しようと考えている。

現在メールがあった県: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、新潟、神奈川、東京、アメリカ、稚内

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。