私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
7月 私の独り事
31日(土) 今日はもう体力の限界と暑すぎで体も頭も動かない。ようやく夜に起き出して御飯を作った。気力も体力とともに消滅した。

こんな状態を修復するために、高橋ブラクソン久美子は夏休みに入ることにしました。とはいえ、子供3人、それに夏休みで子供の友達が泊まりに遊びに来たりで、御飯作りだけでばててしまいそうな気ハイです。あす、別荘に行きます。電話もなく、携帯電話も繋がりにくく、陸の孤島だああああ。テレビはビデオだけ。ラジオがあるから、ニュースは聞ける。遊びに来たい人は、食料と飲み物持参で来る事。テントと寝袋を持参の方にはテントサイトを貸せます。蛇、狐、狸、ウサギ、野良猫、雉、ぶよ、アブ、巨大蛾(モスラまではいかないけど)など自然が豊富。特に気をつけたいのは蜂です。強烈ですよ、これは。

昆虫大嫌いの私が、何で山荘を持っているのか。バブルのお陰で、家が狭山にもてなかったゆえですが、夏の高原は疲れを癒してくれるんです。何があろうと、連絡をしないでください。特に、議会関係者にお願いします。皆さんもお元気でおいでください。次の独り言は8月17、8日ごろ一挙公開と言う事にしますバイバ〜〜〜〜イ。
30日(金)
15600カウント
私がゲットです。
忙しくて忙しくて、頭がもう変になりそうである。朝、おきて御飯を作り(5人分)食べさせ、1人を部活に送り、他の一人を大学まで連れて行き、大学見学会に参加。お昼ごはんつきであった。これはすべて私達親が入学金として払うんだと思うとチョッと腹が立ったのでパクパク食べた。(おかしい!?)受験生を持つ親はいそがしいんだ、最近は。大学が近くにあるからこそ車で送ったりすることになるのかもしれない。私の時には親は何もしてくれませんでしたけどね。

次に、図書館に本を返しに行った。帰ってきたらなんと5時過ぎであった。で、今晩も合併説明会に行くので、5時半ごろからてんぷらを揚げ、うどんをゆで、汁を作り、して6時半過ぎにようやく夕御飯。作ったのをテーブルに載せて、一人で食べ、大急ぎでさんパーク奥富に出かけた。

説明会はちょっと入間市に比べるとやり方が下手であった。昨日は職員が質問表を読み、それを合併協の職員に振ったり、市長に振ったりして答弁をしていた。そうすればよいのに。一市民として新市の名称をどうするかと言うことをたずねたが、答弁なしであった。基地のことは昨日木下さんが話していたので水を向けたが、これも答弁はなし。西口の話、なぜ財政が逼迫するかの話が出た。要するに西口開発ではもっともっと保留床をうれと言う事だが、売れるものか。それに、公共施設を西口に作るのはなぜいけないのか。利便性の高いところに多くの市民の憩える公民館やギャラリーなどを設けるのは市民にとってありがたい。なぜ、利便性が高いところを企業だけが使い金儲けをしなければならないのか。私のような主婦上がりには、時には商売人の考える事がいやになる。儲けない、利益を考えない公共のよさをもっと見直してはどうか。

帰ってきたらもう9時半だ。疲れてしまった。眠い。誰か15555をゲットした人いませんか。私は15553までいったのだけど。
29日(木) 今日は朝9時から息子の3者面談だった。夫とともに出かけた。先生はよく息子を見ていてくれて嬉しかった。クリスチャンの先生なので、最後は祈りで面談を終えた。よかった。

午後は長男の事に付き合い、役所にも行き、帰ってきた。夜は黒須公民館へ、合併説明会に出かけた。あまり熱気を感じなかったが、反対という雰囲気ではなかった。皆合併が当然と言う感じで話を聞いていた。黒須と広瀬が一体になってもなんら違和感はないし、鵜の木と黒須は地続きだ。入間市駅北口に至る道路網は豊水橋を渡って狭山市に入るまで少し直すべき点もあるし、16号線も入間市分は早くどうにかしたほうがよいに決まっている。ここいら辺に特例債を用いたいと言うのは当たり前の事かもしれない。

それにしても疲れた。台風を心配しながら寝る。ただ、飯能市の水事情を考えると恵みの雨かもしてない。
28日(水)
15500カウント
今日は朝次世代育成計画会議を傍聴した。いろいろな意見が出て興味深くお話を聞いた。話が進み、なんと12時半までかかった。御飯を大急ぎで食べた。昼食時間に高校野球の決勝戦があったのでテレビで観戦した。やはり、見ごたえのある真の決戦は昨日の聖望・浦学戦だったと思った。昨日の試合は最後まで緊張が解けないよい試合だったが、今日の浦学の対戦相手、所沢商はやはり格下という感じがした。少し言いすぎかなあ。昨日は、聖望が負けた後、所沢商側に場所を移して応援した。それを見ていて、たとえ所沢商が勝っても浦学の敵ではないと言う思いがあった。今日少し対戦を見て、やはりと言う事であった。

野球は見る人全員が監督になってしまうと言うが、本当だ。私なんか何にも知らないのにいっぱしのことを言う。でも、高校野球を愛しちゃったので許してください。

午後は合併の小委員会を半分傍聴した。委員は疲れている。私が傍聴した次世代育成支援会議の委員が合併協議会少尉委員会のメンバーだったりして、もう疲れきっていて頭に何が入るのだろうと考えてしまった。詳しい事はウオッチのほうでお読みください。途中で帰ってきたことはここに記します。なぜかはウオッチで。
27日(火) 今日は、朝5時に起き、息子の弁当を作った。何しろ、準決勝が10時から県営大宮球場であるので、7時聖望高校前集合である。大きなおにぎりを2個、彼に作り、私とおにいちゃんとに4個、お父さんに1個作った。私とおにいちゃんは8時半過ぎ大宮に応援に出発した。

結果は、ご存知の通り、聖望高校は浦和学院に負けた。あの時ああすればと言っても仕方ない。とはいえ、先攻したかったなあ。三塁側スタンドではなく1塁側スタンドで応援したかった。言っても無駄です。わかっています。これで、今年の甲子園の夢は終わりました。でも、でも、たのしかったなあ。初めて、大きな吹奏楽に合わせての応援をしてみたけど、もう病みつきになります。聖望学園の得点した時の賛美歌をもっと持っとき来たかった。あの時ああしていれば・・・・・・スクイズだってかんがえても・・・ 投手の交代が遅かった・・・言ってもしかたない・・・息子はあまり落胆していないみたい。彼には後5年がありますもの。そのうち、1回でも2回でも甲子園に行きたい。行きたいなあ。本当に。

疲れました。寝ます。おやすみなさい。
26日(月) 今日は朝から会議の目白押し、まず、議員クラブ、次に全員協議会、昼食時は議会だより委員会、午後は建設委員会、終わってから、議会だより委員会の制服委員長会議。その後、福祉部、環境部、水道部などに寄って様々な事を学び、ヤオコーによって帰ってきたらもう7時近かった。忙しい。本当に忙しい。

それでも、明日は聖望高校対浦和学園の野球を見に大宮に行くつもりである。なんだか、わたし、気合が入っているかも。ガンバルゾ〜〜〜〜〜。(;一_一)
25日(日) 今日は朝は礼拝に出かけた。どこかいつも心に何かが残る。今回は癲癇の息子を持つ男の話だった。そういえば、娘のてんかんをそのまま受け止めちゃって、治してくださいと神様にお願いしていなかったなあと反省した。祈りによってこそ直ると聖書に書いてあった。それこそ「信じます。不信仰な私をお助けください。」とイエス様に取りすがらなければならない。

午後、本当に久しぶりにゆっくりした。少し、ベッドに横になった。疲れすぎていて、眠られない。今日だって昨晩1時半に寝たのに、6時には起きてしまった。それ以来、寝ていない。昼寝にしても、暑くて横になっても眠れなかった。だから、1階に下りてきて麦茶を飲んだ。5時過ぎに買い物に。お兄ちゃんが帰ってきてからというもの、冷蔵庫が一杯になっている事なし。いつお兄ちゃんは食べているのかと思うが、食料が大量になくなっていく。若者はすごいなあ。それでも、何でも私は幸せだ。お兄ちゃんが帰ってきて嬉しい。
24日(土) 今日は、朝家事にいそしみ、午後は女性の政治スクールに出席した。麹町まで行ったということ。帰ってきて、ほっとしている。珍しくデパ地下でお惣菜を買ってきた。灘万の高級お惣菜なのだが、結局子供達の口に合わず、私達夫婦が食しました。お上品な味。私のは甘みが強すぎるのだろうと思う。しかし、買うお惣菜は塩気が強いように感じる。私はふつう塩を使わない。醤油をよく使う日本料理では塩の使いすぎには注意。

帰ってきてみたら、夫も買い物に出かけていて、いろいろ買い込んでいた。だからいつもどおり和洋折衷の豪華絢爛御飯になりました。今日は、友人のお嬢さんが泊まりに着ました。娘とパジャマパ−ティーです。最近は私はパーティーにご無沙汰なので、子供が泊まりに来るのも嬉しいです。でも、こんな思いになるのも、少し今日はスケジュールに余裕があったと言う事です。とにかく忙しい毎日です。
23日(金)
15400カウント
今日は、朝お手伝いさんがいないので、家事。10時半役所へ。12時、成人員会の会議。1時県庁へ出発。3時、県庁で水道事業について話を聞く。浦和を出たのが6時半ごろになってしまった。帰ってきたら、八時。忙しくて何がなんだか分からない。疲れた。すぐ寝る。
22日(木) 私は喜びたいなあと思う。私は家族や議会でもまだまだ必要とされているらしい。朝は長男とともに大学の入試要綱を貰いに行った。帰ってきて、昼食も取らず病院に行き夫に付き添った。3時からは長女の2者面談。夕方、5時ごろには役所に行き、委員会についての勉強。役所を出て帰ってきたら、7時前だった。忙しくって、何かをじっくり考えている暇なし。

夫に、私は誰の為に生きているのだろうなんて聞いてしまった。息子のため、夫のため、娘のため、自分のための時間はほんのわずかでしかない。それも、仕事。夜くたびれて、何にもしたくなくなる。

ところで、夫の痛みは急性腰痛症との事で、原因は分からないのだそうである。あんなに、小水検査、血液検査だ、レントゲンだ、CTだと検査した挙句、何で痛みが出たのか分からない。悪い病気の前兆出ないとよいが、医者は大丈夫と言うのだから、ま、いいか。でも、私だって急性腰痛症なんて病名はつけられますよね。そのままだもの。あんなに痛いのに、何の原因もわからないなんて・・・ま、いいかagain。
21日(水) 今日は、朝からいろいろスケジュールが予定が入っていたが、一旦仕事に行った夫が脂汗をかき、腰が痛いと帰ってきた。夫は辛抱強い人で、今まで結婚して20年、こんなに切羽詰ったようすは初めてだった。バッファリンを飲ませようかと思ったが、あまりにも痛みがひどいので、病院に行く事にした。尿道結石か、胆石か、はたまたすい臓炎かと心配した。救急車をとも思ったが、どうしても人目が気になって救急車を呼べなかった。

石心会狭山病院に行き、検査をし、強い座薬を入れてもらったが、薬が聞くまで1時間ほどかかり、痛みをこらえているのを見ているのが辛かった。痛みで横にもなれず、立ってもいれず、座ってもいれない辛さは私にも経験がある。お産と違い辛いところは、痛みが波のようでなく、ずうっと続く。だから、とても体力を消耗する。さすっても痛いらしく、私はただただ見ているだけだった。

いつも私が病気をして、夫が私を看病することが多かった。だから、私が先に昇天すると思っていたのだが、今日夫が体を震わせて痛がっているのを見ると、もしかして私がかれの昇天を見守るのかしらなんて思った。あす、また検査がある。悪いところが分かるとよいのだけど・・・

夏休みの気持ちがする。それにしても忙しい。午後は、少し遅れていったが男女共同参画条例制定勉強会に参加した。まだまだ、提案にまでは届かない。
20日(火)
15300カウント
今日は、朝から銀行に行き、午後は合併協議会を傍聴。いろいろ決まっていくし、決めないことも決めていく。その後、久しぶりで議会事務局に行った。環境部でお話をして帰ってきた。勿論、買い物したりして帰ってきたら、6時ごろだった。今日でお手伝いさんは夏休みに入ってしまう。私は来週まで仕事が山積みだ。

娘は通知表を貰ってきた。息子の学校は今週末まで。ここが私立と公立のちがいかなあ。私立は勉強をさせますね。息子がアメリカから帰ってきて家が騒々しい。御飯は人の2倍は食べるし、1り帰ってきたら5倍家が活性化している。疲れるが、とっても楽しい。でも、いつまでも続くのだろう、このたのしさは。
19日(月) 今日は、やっとお休みが取れた。それで、聖望高校の野球応援に一家で行った。息子は音楽部に入っているから、朝6時半におき、弁当や麦茶を用意してあげ、8時半に車で学校に連れて行った。日ごろの応援の成果が今日試されたわけである。中学生なので、ふつうの日は応援できない。今日は海の日なので、正式に応援できて、息子はとても嬉しかったようであった。

実は今日の場合私達は、“応援”を応援しに行ったのである。聖望高校野球部は今日の試合ではとても強かったので安心して見られたし、応援も楽しめた。飯能高校とは大違い。息子や知っている子が野球している時は胸がどきどきして、エラーをしませんようにとか祈るような思いで観戦していたが、今日はまるで余裕。トランペットが下手だなあとか、トロンボーンしか聞こえないとか考えながら試合を見ていた。何しろ10−0のコールドゲーム。500円払ったのが損したような気がした。だって、あっと言う間に終わっちゃったんですよ。だから、次の朝霞対上尾高校の試合も観戦した。高校野球は良いなあ。息子が野球少年していてくれて良かったなあとつくづく思う。

本当に良いストレス解消になった。フレーフレー聖望。(得点を挙げると、賛美歌を歌い、主を褒め称える。私はこれに感動して、涙が出てしまった。クリスチャン学校に入れてよかった良かったと思った。)
18日(日) 今日は朝礼拝に行った。したくとも、なかなか御心に沿った事をできないし、クリスチャンとして証するような生活はできないが、だからといって、クリスチャンとして神様をないがしらにするつもりも、御心に背くつもりは一切ない。できる限り、祈りながら神様に用いてもらいたいし、イエス様に喜んでいただきたいと思う。足りないところはイエス様に許していただこう。

午後は中央公民館にいて、イラク展の見守りをした。4時半ごろ展示をはずした。実行委員長が今回のイラク展は成功だったという。本当によかったと思う。5時過ぎに終わり、写真を撮って帰ってきた。快い疲労感で一杯である。反省をすれば、もっと広告をし、もっと多くの方々に見ていただきたかった。でも、私達はあの暑さの中を散らし配りをし、郵便でお知らせした。新聞社にもチラシを入れてきた。これで精一杯だった。

6枚の劣化ウラン弾反対の署名も集まった。受付には40人もの人が名前を書き入れて行ってくれた。中央公民館に座って展示を見ていると、知っている人たちが寄ってきては一緒にお茶を飲んだりした。それもとても嬉しかった。長くからの支援者が私のしていることを支えてくれている。支援者がそっぽをむくような事をしたくはないが、もしそうでも私はする覚悟だった。でも、よくよく理解して下さるのは嬉しい事だ。

毎年、1年に1回でも2回でも、イラクのことだけでなく、アフガニスタン、チェチェン、南アメリカ、アフリカの事など少し海外にも目を向けて平和のための行動をし続けようと思う。戦争反対。でも、こんなことして戦争がなくなるのかと言われれば、なくならないかもしれない。でも、でも、言わずにいたら、戦争賛成ではないのか。戦争反対の小さい努力をかさね体と思う。

聖書に「平和を作る人は幸いです。その人は神の子供を呼ばれるからです。」と書いてある。私は平和を作れる人にはなれないだろう。でも、それを心から望む者となれる。私は平和がもたらされる事を心から望んでいる。作れる人になれるのなら、そうありたいとも思う。
17日(土) 忙しくて、目が回る。朝、イラク展のパネルを監視に行き、1時には夫が中学校の保護者会の為にお迎えにきて行った。5時過ぎに中学校を出て帰ってきて、夕御飯を作り、食べさせてから、市民フォーラムに出かけた。帰ってきたら、9時前だった。忙しくて忙しくて。
16日(金) 朝から本当に頭に来ている。埼玉県免許センターの態度と不親切な応対に対してである。私の息子が帰国した。そして、アメリカの免許を日本の免許に変えようとしている。その際、何が必要かを免許センターのうかがった。2日前の事である。その中で、免許証の翻訳が必要で、それは大使館かJAFでの翻訳が必要との事であった。大使館は即日交付、JAFは1週間かかるということで私達はアメリカ大使館で承認をうる方法を選んだ。アメリカ大使館で聞いたところ翻訳したものを持ってくれば、正しい翻訳は承認をするということであった。それでそうした。

きょう、書類をそろえて(今まで持っているパスポートも全部持ってくるように直前に言われた)、鴻巣の運転免許センターに行った。ところが受理されなかった。息子は必要書類(免許センターがもってこいと言った書類を全部持っていった)の中の翻訳に問題があると言われた。すなわち、アメリカミシガン州発行の運転免許証は発効日が記載されていないのである。いや、記号化され数字で暗号のように記載されているというのが事実らしい。しかし、暗号化された部分の翻訳のしようがない。私達は、県の役人に大使館に行って暗号を解いてもらえと言われたが、大使館に電話すると暗号解きは翻訳に当たらないといわれた。(もっともである。)翻訳に関しては、アメリカ大使館ではこれ以上のサービスは望めない。それで、もう一度県の免許センターに電話し、その旨を話したら、いや、翻訳形式がありそれに則れば交付日を入れてくれるはずだという。ではその翻訳形式をアメリカ大使館に通知してあるかと問えば、あるはずだという。アメリカ大使館は日本政府からはそんな形式を聞いていないという。県の免許センターの遠藤さんは、「暗号を解いていない翻訳は免許証のコピーと同じだ」というが、翻訳は英語から日本語への直訳であって、暗号解きは翻訳といえるかと私は疑問に思っている。来週初め、国家公安委員会か警察庁に問いただす事にしよう。

夜、私は道路交通法の勉強をした。外国免許から日本免許に切り替える際の法律がどうなっているかである。特に翻訳の件を引いたら、大使館かJAFということであり、私達の翻訳は大使館の承認済みなので書類に不備はないはずである。埼玉県免許センターがアメリカ政府の発行した文書に問題があると言うその根拠が先の翻訳形式があると言う点であるのであれば、暗号を解くのをアメリカ政府が合意しているという事であろうか。そもそも翻訳形式そのものをアメリカ政府がないと言うのであれば、ここになんらかの理解の相違を見る。

次に、話が免許証を取って、3ヶ月以上アメリカに滞在している事が条件になるのでその証拠に免許日が必要だということらしい。だから、県は、(本質的にはアメリカ大使館の発行した証書が問題なのではなく)免許発効日を知りたいのだ。国の警察庁のHPではパスポートなど滞在期間を証明する資料が必要となりますと書いてある。アメリカに1年以上、家の息子は約2年滞在していた。それはパスポートで確認できるわけだが、それ以上の証明いるというのである。

ここで不思議なことがあった。さっきの翻訳の形式だが、JAFだけが大使館に変わる翻訳機関として政令に定められていて、JAFでは暗号の解読をしてくれるというのである。とにかく、JAFだけが暗号を解読してくれるならば、なぜ、免許センターは免許証を見て交付日が書いてない時は、大使館に行かずJAFで翻訳してもらった方がよいと説明してくれないのか。そんな親切は仕事のうちではないという事か。そうであれば、(後で分かった事だが)東京都のように他の書類の添付を願うとなぜ言わなかったのか。

まず、アメリカ大使館に翻訳の形式を言ってあるはずだという埼玉県免許センターの言い分は、他国が自分達の思うように動くのだという傲慢さがみられる。アメリカ領事がサインした翻訳にけちをつけるなんてすごい役人だと思いますよ、私は。「アメリカがおかしイのですよ。なぜならば、私達の言ったようにしないのですから。」というわけだが、アメリカはそんなことは聞いていないといっている。次に、まるでJAFで翻訳しなおしてこいといわんばかりの発言。そりゃそうでしょう、暗号を解くことができそうなのはJAFだけのようですから。でも、なぜJAFは暗号を解けるの?その権限があるの?また、なぜ、JAFは1週間も翻訳に時間がかかり、その上日本ではJAF以外の機関の翻訳を受け付けないの?

私達はJAFに翻訳を頼みなおすかもしれない。お金はアメリカ大使館に30ドルすなわち3300円払った。今度はJAFに2400円払う。初めから、こうですよといってくれれば、こんな2重払いはしないで済んだのだ。聞かれない事は答えないというのが役所らしいが、初めての経験の人が大半の免許証取得でなぜもっと親切にできないのか。虎ノ門のアメリカ大使館に往復し1日かかり、その上運賃だってかかっているのに、この翻訳に問題があるなどといわれてJAFでやり直しなんて。書類が不備ですからなんていわれても、本当に納得がいかない。県民はお上の言う事を聞いて、2重払いだろうが、2重手間でやらなければならないという事か。

アメリカの運転免許証はたいてい3年の交付期間である。息子の免許証で2005年まで使えるといっていて、今は2004年の7月である。その間、3週間帰国しただけで、ずうっとアメリカにいたのはパスポートを見れば明らかだ。どう考えたって、免許交付されてから1年以上がたって、その上アメリカに3ヶ月以上滞在したのは明らかではないか。それをわざわざJAFで2400円払って翻訳と解読をやってもらえというのは、県免許センターとJAFとの間に癒着でもあるんじゃないかと想像してしまう。

こんなお役所仕事を目の当たりにすると、書類不備で返されたのを不服として行政訴訟を起こしたくなる。一度してもよいかもしれない。息子は19歳なので私が訴訟を起こしてもよいのかもしれない。考えている。
15日(木)
15200カウント
忙しい。本当に子供3人育てながら、仕事しているとまるで時間に追われている感じだ。

昨日は、息子が免許状を取りに行くというので、午前中にアメリカの免許状の翻訳をして、息子をアメリカ大使館に送り出した。その後、役所、郵便局、銀行に行き、戻ってきて、イラク写真パネルを持って中央公民館に行った。パネルを選んで張ろうといっていたが、見ているうちに気分が悪くなってしまった。選ぶことができないので、できる限り張る事とした。パネル展示の為に展示版を組み立て、場所を作った。もっと広く、見やすい空間があればよいのにと思った。

今日は9時からパネルを張り始めた。全部張る事ができた。中には本当に凄惨な写真も多いし、目を覆いたい写真が一杯である。でも、戦争の現実を見てもらうには、どんな写真でも見ていただこうと思った。それでも、子供達のあまりにも悲惨な姿は可愛そうで、奥に貼った。小さい子供達にはあまり見せたくない写真も奥に貼った。カメラマンはどんな思いで写真を撮っているのだろうと考えた。きっと、こんな悲しみを多くの人と分かち合いたいと思っているだろう。私達はその思いに答えたい。

当番でパネルを見ている。借りたものだからなくしてはいけないし、傷つけるのもかなしいし。思うことは、この写真パネル展は私一人ではできなかったなあということである。スタッフは勿論、実行委員長を快く引き受けてくれた菅野さんには感謝の心で一杯なのである。また、チョッとの時間でもパネルを見守りに来てくれる人には、本当に支えてくださってありがたい。今日、パネル展をオープンしたが、終わってもいないのにつくづくこのパネル展をして良かったと思っている。

今日は忙しくて、あれこれしている間を縫って夕御飯を作った。昨夜は夕御飯を食べてから、食料を買出しに出かけた。日中、食料を買出しに行く時間もない。
13日(火) 今日は、朝、事務仕事をしているうちに12時、急いで中学校に行った。1時から成人教育の講座を開くために準備があったのだ。2時から開会の予定であったが、なんと!!!!講師の助産婦さんが来れなかった。私達の頭にチラッと浮かんだ非常事態が発生したのである。すなわち、出産が始まってしまった。1時半の時の連絡ではもう赤ちゃんの頭が出ているので、すぐ出産を終えて来るというものであったが、2時過ぎても出産が終わらない。そこで、校長に少し話をしてもらうことにした。30分立っても来ない。仕方がないので、私がこの前の性教育のアンケートを使って、少しお話をした。3時頃に来れるかもしれないという話だったが、3時になっても講師は来ない。出産は終わったが、母の状態が落ち着かないという事であった。この時点で私達成人教育委員会のメンバーはこの会をお流れにした。

涙、涙、、、こんな事は始めてである。今までイベントを流すなんて事はしたことがなかった。あ〜〜〜〜!!講師が来なければ、講演会はできないのである。よりによって、出産が始まってしまっただなんて、笑い事ではありませんよ、主催者としては。受講の為に着てくださった方々は、このテーマでもう一度してほしいというし。今後は、助産婦は辞めて、安心できる講師を呼ぶようにしなければならない。それにしても、一生記憶に残るハラハラどきどきの家庭教育学級であった。でも、生まれてきた赤ちゃんを責める事はできないものね〜〜。反省は助産院を経営している助産婦は講師としてはリスクが多すぎるので、もう呼ばないという事だろう。
12日(月)
祝!
15151カウント
密かに狙っていました。久美子
昨夜はというか、今朝2時半まで参議院選挙の開票を見ていたのに、今朝は息子の弁当作りに6時半に起きた。それでも、気が張っていて、午前中は合併協の基本事項小委員会の傍聴をした。その後、議会によって議会だよりの校正を見た後、議会だより編集員会を3時より開催した。買い物をして帰ってきたら、もう6時半だった。

夜、暑くて夕御飯の後、もう目を開けていられない。寝ます。今日は久しぶりに涼しくて嬉しい。
11日(日)
15100カウント
昨日は午前中に中学校の環境美化運動に参加した。暑くて暑くてふらふらになった。午後、1時間ぐらい横になった。体がだるくて動けなくなったのだ。夕方、息子達を残して、娘と夫と私で別荘に来た。

今日は、午前中は礼拝。午後は、草刈りに精を出した。2ヶ月もこなかったら、もうまるでジャングル状態であった。自然は強いので、負けてしまう。木も成長が早い。切っても切っても伸びるねえ。今年は毛虫が去年ほどいないのがよかった。でも、草刈をしているとアブがぶんぶん。蜂がぶんぶん。私は虫に弱い。そもそも、足は2本で十分なのに、多くあるような動物と相性が悪い。食べれば、イカだって、タコだって、蟹だってアレルギーが出るもんね。早々、海老もだめ。

汗びっしょりになり、帰りにほのかの湯に行き、一風呂浴びて、途中で回転すしで御飯を食べて帰ってきた。なんと、帰りは2時間を切る速さで狭山に着いた。高速道路が家のすぐそばまで来ていますからね。便利になりました。

今回、山に行ってよかった。緑を見てほっとするだけでなく、力が抜けた。神様に頼る人生にまた軌道修正。どこか自分で神様についていくんだと気負っていたけど、私は無理。神様に連れて行っていただくことにしようと思う。どこが違うかって?まあ、神様のことにいつも注目している点は変わらないかもしれないけど、心持がね。自分の力なんて、こんなもんさ。神様の力を借りて出なければ、やっていけないということです。

選挙の結果が出始めています。2大政党というのがよいのやら、悪いのやら。なぜ、昔の社会党が滅んでしまったのか。自民党とくっついた村山さんの責任はおおきいね。無責任に見える小泉さんの演説やらおしゃべりやら、もういい加減どうにかしてほしいと願っている。
9日(金) 今日は、朝10時から押し花しながら議会報告会をした。講師の方が上手に教えてくださって、仕上がりも上等(と、私は思っているのだが)の押し花のついた葉書を作った。早速安い額に入れて事務所に飾った。見に来てください。3ヶ月に1辺いろいろ手作りするだが、うまく行かなくてもとても楽しくって、もう何年も続いている。

午後は、性同一性障害を持つある人の話を聞きながら、事務仕事に精を出し、また、3時半からは中学校の保護者会煮出席。終わってから、買い物をして急いで家に戻り夕飯を作った。食べさせて、ほっとする間もなく、8時から人に会った。3つも何かが重なると、暑いのでもうへとへとになってしまう。疲れた。
8日(木) 今日は朝涼しいうちにと思い9時からビラ配りに行った。イラン展についてである。暑くて暑くて今日と昨日で2キロ痩せた。とはいえ、十分重いですが。息子が私と歩いていて「どうしてお母さんはそんなに歩くのがおそいの?」と聞いていたが、勿論重いせいであるし、朝からのビラ配りでつかれているからである。

午後は息子とまた出かけた。大学受験の準備である。今年、受験しなかったらもう、日本で受験するチャンスはないかもしれないと息子と話し合った。アメリカの学校を卒業して1年アメリカで英語を学んだのだが、日本では2浪目という事になるらしい。帰ってきたのが2日前でもう次のステップのことを始めた。ゆっくりさせてあげる暇もない。これでいいのかなあと思いながらいる。自分の人生を自分で切り開いたらどうかと言ってもなかなかそうは行かないようである。こまったものだ。ふー。

ネットニュースを作り上げた。明日は議会報告会。選挙をしているらしいが、トンと関係のない私。地道に自分の道を行くだけさ。
7日(水)
祝、I@狭山市民さん
15000カウント
昨日は忙しすぎて、書き込みができなかった。で、今朝メールを見たら、Iさんから15000カウントゲットのお知らせが来ていた。たまたま、久しぶりに覗いたそうである。私なんか毎日、時には日に2回も3回も見るのに、どうしてキリバンをゲットできないのか残念で仕方ない。Iさんはちっとも遠慮せず、おとりあそばして・・・・運命なのでしょうか。そう思えば、まあ、あきらめも着つくというものでしょうか。(清少納言のように、取れないのもいとおかしという胸中になりつつあります。高尚な心持でしょ。えへん)

昨日、息子が夫とともに帰国した。夫はこの10日間アメリカ出張でした。息子が帰ってきて嬉しいです。でも、今日お米を7合たきました。昨日5合炊いたら足りなくなったからです。すごい食欲です。息子を歯医者に連れて行ったり、一人増えただけでも忙しくなります。

イラクの写真展がもう来週になってしまいます。今日は狭山台にビラ配りに行きました。暑くて死んでしまうようでした。明日は、新狭山に出かけます。市民運動です。平和を願っています。ビラ配りしていたら、年取った女性から原爆の被害を受け身内が何人も死んだ話を聞きました。若い人ががんばってほしいと言われました。本当は、お年寄りで戦争を知っている人こそ声を上げてほしいと思っているのですが。多くの方が見てくださると嬉しいです。
5日(月) 今日は、朝「障害児の勉強会」に出た。いろんな話があったが、障害児、知的な重度の障害があっても、肉体的に発達していないという事はなく、性欲などもあるということを聞いた。親としてどのように対処するか本当に大変なのである。幸い家の子供は女子であり、軽度だから何べんか教えれば何とかはなるとは思うが、親によっては苦しむ事だろう。私達女の親は男の生理をよくわからない。デパートで勃起した子供をどうしてよいか分からず困ったという例も示された。本人だって、勃起して困るだろうし、男性はそんな時どうしているんだろう。男親は中々障害を持つ子供に関わらない状態であるらしく、困ったものらしい。女親には限界がある。

午後は成人教育委員会の会議。昼ごはんを食べている時間がなかったので、ジュースとパンを買って、食べながらお話をした。気心が分かっている人で、嬉しい。

今日思ったのだが、私は今まで障害児の会にぜんぜん属していなかった。会を作ってもいない。私はそれでよいのだが、子供が大きくなり、教育が終わったら、彼女は同じ障害を持つ人とどこでつながりをもてるのだろう。今日は性について少し話が出た。私はそんな話を友達としたことがなかった。内容はショックなこともあったが、重要な課題なのである。私は市議会議員なのであまり特定な会に入るとその会に縛られてしまうような気がして属していないが、そのせいで情報が入らないとしたらそれでよいのだろうか。子供にとって、為になるのだろうか。土曜日に彼女がつまらなそうにしているとやはり考え込んでしまう。彼女にどこか家庭と違うところに彼女の場をつくってあげなければならい。そんな気がしている。後、少し時間がある。よく考えよう。
4日(日) 今日は朝頭が痛くて起きてすぐバッファリンを飲んだ。それでも、一日中なんとなく頭痛が治まらず、体もだるい。しかし、自分を叱咤激励して礼拝に出かけた。今日も遅刻。申し訳ない。

帰りにまた博物館に行った。刀剣展をしていたので見てきた。あまり入場者がいなくて、最終日なのにがっかりしてしまった。趣味の世界なのでこんなものかなあとも思う。秩父からの人がいた。遠くから見にくるようだ。陶器に比べれば安いというが、1千万円を下らないものも多いと聞く。金持ちはいる。金持ちによって文化は継承されていく。4,5百年も前の文化財が残っているなんてすごい。素晴らしい工芸品を見ていると今よりもっと昔の方が手が込んでいるように思える。進歩ってなんだろうかと考え込んでしまった。
3日(土)
14900カウント
今日は、午後から“上田知事を囲む会”を「女性と議会をつなぐ彩の国ネットワーク」が主催した。埼玉県の女性議員が多く集まった。私は彩ネットの運営委員であるので勿論出席した。お話を30分お願いするという事であったのに、結局50分も知事はお話になった。でも上田さんの場合、どうしても上田さんという感じで知事というご大層な感じに見えないのが良い。土屋さんはまるで雲上人のようにご立派(!!)というか変なオーラが一杯だったが、上田さんはその辺がまるで違う。虚礼廃止だといっていて、好感が持てた。女性問題に関しては、少し保守的かもしれないが、子育て教育福祉県作りにがんばっていただきたい。上田さんには、議員として行政のチェックを怠らず、すっぽんのように問題に食い込んでいくことを教えていただいた。私はすっぽんにはなれないかもしれないが、1年に1度だけでも同じテーマを繰り返ししていくのも良いかもしれないなあと思った。

私達、彩ネットは去年坂東真理子さんを推薦したのだが、上田さんが知事になった以上、仲良くお付き合いし、お願いする事はしっかりお願いしなければならないのだから、ここで手打ちをしたことは意義があると思う。

私は今回障害者教育についてお願いした。支援関係が遅れているし、高等養護学校についての事情も中々伝わってこない。養護学校は満杯で、障害児達の就労の場がない。あまり明快にお返事がなかったが、きっと勉強していただけると信じる。私は10月に水道関係の講師を彩ネットでするが、県庁にいって勉強させてもらう。知事によろしくとお願いした。良かったなあ、お会いできて。いつかまた何かの時にお願いするにしても、顔を覚えていただければ嬉しい事間違いない。そういえば、昨年、私の少ない選挙檄文の一枚が上田さんからだった。上田さんには誠実に働く県庁を作り上げていただきたいと願った。
2日(金) 今日は朝ネットニュースの1ページ目を書き上げた。2ページ目の構想を練っている。3ページ目に性教育のこの前のアンケート資料を作ってあるので、2ページ目はその説明を入れようとは思っている。県に提言もしたわけであるし、その文言も入れても良いだろう。

午後は2時から奥富学童保育室の視察に行った。広くペンキもキレイに塗ってあってよかった。トイレが男女兼用になっていたが、トイレの男女兼用は嫌いだ。(私は男女平等論者ではあるが、お風呂の混浴もいやだし、ヌード海岸もいやだし。話はずれてしまった。)ここだけではないかなあ、定員50人の所18人しかいないと言うのは。学校そのものが小さいのだから仕方ないかなあ。おやつに手作りのものを作っているようで、なんとなくアットホームに思えた。ちょうど葛餅を作ったとか言って、試食させてもらった。おいしかった。ありがとう。私はぜんぜん自分でおやつを作って子供に食べさせなくなってしまった。たまに作るのは誕生ケーキぐらい。ここの広さを考える時、入間野学童保育室の狭さを考えてしまった。早く御狩場学童保育室を作らなければ、子供がかわいそうである。

今回、学童保育料を2千円上げた。その話題になったが、これは福祉施設だ。応能として1万5千円ぐらいまで所得が多い人は払っても良いのではないかという話も出た。その際、2人目は半分にしたとしても、所得の1千万円を超える人はそのぐらい払っても良いのではないかと思う。どうだろう。だって、経費は一人1万8千円ぐらいかかっているんだから。保育園では6万円ぐらい払うわけですからね。週6日間ですもの、お金のある人からは経費分をいただいても良いと思うんだけど。勿論セフティティーネットはしっかり作ってしまってからだが。

奥富学童保育室の帰りに奥富公民館によって梅田さんのご機嫌伺いをした。センター長として、忙しく生活しているようである。自然と会話はサンパークへと行き、お酒を飲ましても良いのではないかということになった。ちょうど、市民の方も話しに加わり、ビールいっぱい飲めなくては風呂に入りにいく気もしないということであった。飲酒運転やけんかを考えるとお酒を飲ましたくない市の考えも分かる。それでも、1日100人しか入らないお風呂に年間1億8千万円も垂れ流し的にお金を使っていても良いものか。納得がいかない。
1日(木) 今日は朝、議会だよりの正副委員長と職員を交えてのミーティング。なんと昼までかかった。少しでも、読みやすく市議会の活動が分かっていただける紙面作りを目指して頑張っている。今年は少しづつ紙面の変化が見られると思う。意欲的に仕事に取り組んでいる。請う、ご期待。

午後は図書館によって本を借りてきてその後、体調がイマイチで、横になってしまった。それでも、夕方からはネットニュースの原稿を書き始めた。少し、哲学的な内容になったように思うが、これは後援会用のおたよりだから、許してもらいたい。視察したことも少し書かなければならないと思っている。早いものでもう7月になってしまった。梅雨らしく、雨が降ったり、晴れ間がみえたり。うっとうしい。

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