私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
3月 私の独り事
31日(木)
25600カウント
今日も午前中は原稿を書いていた。午後からは、母を連れて眼科に行った。とりあえずは、手術はないということになった。で、明日は狭山市に戻ります。

今日は年度末であるので母は障害者用のタクシー券を使いきった。上越市は1枚620円の券を28枚くれる。母はほとんど全盲なのだが、公式には2級の視覚障害者である。週に1回か2回の通院には足りないけれど、送っていってくれる父が忙しいときに、タクシーに乗れる。ありがたい制度である。ちなみに上越市では一度に何枚も券が使える。狭山市は初乗りだけではないかと思う。様々な制度が市によって違う。
30日(水)
25500カウント
今日は、どこの病院に行く必要ないので、コンピューターで原稿を書いていた。今時はコンピューターを持っていればどこにでも仕事が出来る。時々、確かめのために役所に電話を入れた。これもケイタイ電話を持っていれば気兼ねなく電話も出来る。

午後遅くなって、娘を連れて買い物に。買い物の後、今日は直江津図書館に行った。この図書館は、昔私が住んでいたところから3分、中学校の前にある。昔は1フロアーだけだったが、今は2フロアを使っていた。何しろ、開架にある本の数が半端でなく多い。たしかにここの図書館は古い図書館である。でも、とにかく暗くとも、はしごを使って本をとらなければならないほど高くに本が積んであろうが、私はこの図書館が好きだ。だって、読みたい本がたくさん並んでいるのだから。とってみたい本がたくさん書架にある。こんな図書館に狭山市の図書館がなればよいのに。どんなセンスの良い建物だって、本がなければ図書館じゃない。

16万人の都市って中途半端なのかも知れない。上越市はいまや22万人もいる都市になった。大きくなる事と、重点施設は充実させる資金力を持つのかなあ。なぜ上越市のような田舎の町に狭山市は負けてしまうのかなあ。悔しい。
29日(火)
25400カウント
今日は朝から脳外科に母を連れて行った。父が8時半に申し込みをしたが、結局見てもらえたのは11時を過ぎていた。MRIの予約を入れて帰ってきた。医者に行けば半日掛かりである。検査も終わらないので、勿論結果なんて判らない。

午後は、息子が狭山に帰った。その後、私は上越市の中央図書館に朗読カセットを借りに行った。母は読書が好きで仕方ないのに、目が悪く読めないのは可哀相で、御茶ノ水の点字図書館からカセットを取り寄せたり、私がビデオを買ってやったりしていた。今回、珍しく休日ではないので、いくつか役所のこともしてやろうと思った。それで、上越の図書館に行って、カセットを借りてやった。朗読カセットは、ハッキリ言って上越もかなり充実していた。狭山市は、昨年も一昨年も朗読カセットを買いもしなかったし、CDだって買わなかった。朗読の目録だって、この何年か作ってないのかもしれない。

それに比べて上越はリクエストに答えて、本を読んでくれたりするらしい。朗読ボランティアさんが少しづつ作ってくれているらしい。目の不自由な人に寄り添ってあげようという心がみえるものね、それが素晴らしい。狭山市の図書館に欠けている物があるとしたら、その心だろう。それがないから、1巻のカセットも1枚のCDも買わないのだと思う。墨字の本はたくさん買うのに。目の見えない人が情報に飢えていることにも気づいてほしい。

ということで、今日の図書館も視察の対象となってしまい、図書館要覧を貰って帰ってきた。平成2年からの朗読カセット目録も貰ってきた。見てみると1年間に70冊ぐらいの朗読カセットを買ったり、作ったりしているのがわかる。また、インターネット検索、コンピューターを持ち込んでの資料整理も可能である。開架図書が141000冊。図書館だけでなく、会議室などを備えているのだが、それらを入れて4307平米と広い図書館である。狭山市のようにたった市政50年という土地ではなく、この図書館は明治41年に開館された100年を超える歴史のある図書館だから、比べてはいけないのかもしれない。時々、私は何で故郷の町の良さを分からなかったのかとこの年になって、思う。

文化というのは、歴史であり、大事に積み重ねて行く努力がなければ作り上げられないのだろう。そして、文化そのものは生産的な物でないかもしれないが、それにお金をかける気持ちがなければ、育つ事がないのだと思う。狭山市の中央図書館の開架図書が少ないのは、残念である。きょう、狭山市だってたくさんの全集があるのに、そのうちの多くが書庫で眠っていると思うと、高田の図書館で全集の背表紙を見て羨ましかった。目録で、インターネットで検索するのと、背表紙や本の装丁を見るのとどちらが文化的だと思いますか。本はそれ自体でもう文化そのものです。インターネットの文字からは、本そのものは見えない。もっと広い狭山市中央図書館がほしいと願います。
28日(月)
25300カウント
昨日、子供2人を連れて実家に帰ってきた。母の調子が悪いのが原因である。本当は議会レポートを事務所で書いているはずであった。母の目が危機的な状況で、両眼失明するかもしれない。左目はもう完全に失明状態なのである。右目も角膜移植をしているのだが、その目が緑内障になり、このままでいけば失明するとの事。夜中に目が覚めて、真っ暗な部屋を見て、母が朝も晩も分からないで、このような闇の中で生活するようになったらどうしようと思い泣いた。失明寸前の母の気持ちを考えると可哀相で、可哀相でいたたまれなくなった。

来る前に、眼科の主侍医が私の高校時代の同級生で電話で話したら、又手術しかないと言っていた。でも、この前に手術後の痛みを見るともう一度手術をと言うのが可哀相で仕方がない。母は電話でもう嫌だとか弱く言うだけだ。こんな調子で生きるのもギブアップしていくのかとそれにも泣けた。

それで、昨日車で急いでやってきた。今日は診察があったので母について行った。眼圧が今日は低かったので今日のところ手術はしなくともよいと言う事になった。しかし、母はあす、脳外科にいって倒れたり起き上がれなくなったりしゃべりがおかしいところを調べてもらうようになった。今まで元気だった人がドンドン弱くなっていくのはショックである。でも、いつかは人は死ぬのだわね。誰も死ぬのだわね。私もね。

一方、友達の4期目への挑戦の選挙は落選に終わった。残念だが、どこか納得できるところもあった。私がどうしても(????)と思ったところをきっと市民だって分かったのではないかと思う。今回の選挙で致命的なことはいくつかあったに違いないが、地道な議会報告がとても大切である事を痛感した。私の場合地道にしているが、選挙のパーフォーマンスが出来なくて・・・これも、地道な宣伝と演説でよいのかもしれない。どうでしょうか?多くの市民の方のご意見求めます。ヨロシク。
26日(土) 今日は朝ゆっくりしてから、小金井の市議会議員選挙の応援に出かけた。行ったけれど、労組の応援が一杯で私のすることもないし、おしゃべりをして4時半ごろ帰ってきた。家に着いたのは7時ごろ。渋滞で車が動かなかった。労組の選挙になったので、私はもう彼女の選挙についていけなくなった。私の選挙はド素人のするボランティア選挙。市川房枝さんの言う“理想選挙”が目標で、公職選挙法に則り、一人でも多くの市民を巻き添えにした選挙、一人でも多い人に携わってもらう選挙を目指している。労組の組織選挙とは大違いである。

それにしても、彼女は何で肌合いの違う人たちを頼みに選挙をしているんだろう。それでしか、選挙態勢を組めないと言う事なんだろうね。彼女が言っていることを真っ向から反対するような人に選挙を頼んで、今後の議会活動をどうするのだろう。彼女の事だから、うまくやっていくのだろうが、なんだか狭山市のNさんを思い出させる。応援していて彼女は当選すると思うが、でも彼女は本当に小金井のことを考えているのだろうかと首をひねってしまった。選挙勝つことと議員活動とは本当に違うものだと思う。勝つことが目的だろうけど、私は自分らしい戦い方をして勝ちたいものだと思う。
25日(金) 今日は朝、SOの監事さんにあい、21日に行われた総会のようすを伺った。バッチもいただいた。私はSO埼玉の理事になった。2年交代と言う事である。一生理事をやるとは思っていないが、今後2年間なんとか西部支部を作れるように頑張ろうと思っている。

今日は議会事務局に行ったら、移動の内示が昨日発表されたという。議会事務局は役所の中でも別質で、勿論棟も別棟にある感じだし、直接市民とふれる事も少ない不思議な空間である。その上、職員だってうすうす気づいている、変な雰囲気・政治の生臭さがある。なれなければ、変な部署に来てしまって、怖いと思うだろう。そんな事炉で働いている事務局の職員を私は大好きだった。特に、局長が浜野さんになられてからは、民主的な運営にとても心を砕いていたし、彼自身が政治的に動かない人で順序どおりに物事を動かそうとしていたから、割と議会運営がスムーズだったように感じている。

宮岡さんの時にあれほど言っても出来なかった議長交際費のホームページ公表をした。議長の補佐というか事務局長の姿勢が何年もデッドロックに乗っていた事案を動かした。合併に関しては、残念としか言いようがないけれど、まあ合併がつぶれるにしても、それまでの事は淡々と議会で議論を積み重ねられた事は、良かったとしよう。なぜこんな風に浜野さんを持ち上げているかというと彼が総合政策部、部長になってしまうからである。浜野さんは部長より局長の方が能力が発揮できると私は思うけどなあ。議会としては惜しい局長でした。

他に2人ほど移動します。梅沢さんは実直勤勉な方ですが、ユーモアがあることに最近は気が付きました。鈴木さんはとてもおとなしく気が利いていらっして、奥様の鏡のように見えます。どこにいらっしても、この方方は職をまっとうなさると思います。けれど、後はどうなるでしょう。今までは、事務局に行っては冗談を言って、言葉の遊びを丁々発止していますが、(これも浜野局長がそれを容認していたくださったからでもあるのですけど・・・)この暖かい雰囲気が変わらないことを心から願っています。まあ、次長以下個性派の方々が残っていますから、心配御無用でしょうか。

そうそう、ある人が「23日の私の独り言はまっとうだ」というようなことを言いました。私は「あなたもようやく私がまっとうだと思うような理解力が付いたのね」と言い返しました。言葉の馴れ合いなのですけど、一部私は真実をこめたつもりです。この独り言を役所の職員で読んでいるも多いらしいのですけど、議会の一端でも見聞きしていないと、私の真意を理解していただけないのだなあと感じたのです。自分の発言しているケーブルテレビを見ましたが、私の発言は舌たらず。説明不足。私の言いたいことの半分も理解していただけないだろうなあと反省いたしました。だから、私がまっとうだと理解できた方は天才的な理解力があると、私はその方を褒め祭り上げます。偉い!!!!
24日(木)
25200カウント
今日は水富小学校の卒業式だった。昨夜というか今朝2時までかかって、祝辞を書いた。おめでたいのだから、私が西中学校の時のように胸いっぱいになってうまく読めなくなってはいけないと、明るく前途を祝うものとした。言葉は
「若者よ、お前の若さを喜ぶが良い。青年時代を楽しく過ごせ」
というもの。いつもけなげに一生懸命生きるようにと叱咤激励しているのだが、今回は少しリラックスした内容。式はつつがなく終り、中井校長先生の教員生活最後の卒業式を終えた。そのことをどこかに入れるべきだったかなあと思いながらも、感情を込めると淡々と行かないので申し分けなかったけれど、言わなかった。

午後は、娘を連れて萩山の病院に行った。血液検査をし、薬を貰ってきた。そういえば、大きい発作が少なくなったかなあと思うが、決して発作がなくなったわけでない。本当に困ったものである。今日は自動車で行った。花粉のために外に出るのが嫌なのである。本当に鼻、目、のど、すべて苦しい。

1時半に出かけ、2時45分に病院に着いたのに、診察は4時半。予約は3時20分だったのに。薬を買って帰ってきたら7時半。待っているだけでも、疲れきった。そのため、娘は帰りの車の中では眠りこけていた。
23日(水) 今日は朝から議会の最終日だった。3月議会はいつもの通り、花粉に悩まされる。今日だって、時には咳が止まらなくなり、くしゃみが止まらなくなり、目が痒くてたまらなくなりと、本当に苦しんだ。静かに、他の人の迷惑にならないように議会で聞いているのは大変苦しかった。

今日の議会は午前中まではシナリオどおりで問題なし。しかし、予算の討論になり、大島議員の反対討論の中でいくつか誤りがあった。私や他の議員もそれに気が付き、休憩をとり、訂正していただいた。西口の新都市ゾーンの下水道関係のことであったが、事実を誤認していたのではないかと思う。少なくとも、大島議員のはじめの発言の中では、西口再開発の地区内と新都市ゾーンの違いに混乱があったことは間違いない。

最後に近くなり、議員提出議案が2案出された。私は定数を3下げる減数条例に賛成した。中川浩さんは9人の減数条例を提案なさったが、私はそれに反対した。本当は行革のことがなかったら、現行の27人だって十分少ない議員数なのである。それを24人にするのだって、大変なこと。18人の議員で今のように膨大な議案を審議審査するのは並大抵でない。30万都市では36人で出来るからと言って、16万都市で半数で出来るというものでない。予算にしても、大きな都市でも小さな都市でも事業件数はそう変わらないだろう。36人では予算案を4常任委員会で審査できる、すなわち一人4分の1の予算をしっかり審査するが、18人、2常任委員会では予算を半分審査しなければならない。時間はかかるし、議員一人当たりの勉強量も大変になる。効率を考えれば、返って非効率である事この上ないだろうと思う。

その上、18人を選ぶ選挙では組織を持たないものは当選が難しいでしょう。でも、議会は色々な立場で色々な視点でチェックする事が大切である。それには出来る限り議員が多いに越した事はない。勿論、費用とのバランスがあるのだから、際限なく多くとはいえないし、おのずと数は決まってきます。しかし、9人減数の18人でよいかといえば、私は少なすぎると思う。中川浩さんの9人減数というのは、“行革を言ったが聞いてもらえなかった”というアリバイを作るためのパーフォーマンスでなかったのかと私は思ってしまった。もし、そうでないというならば、多数を得るための事前工作もなしに、24人のという条例に対して18人という条例を出してきたその意味はなんだったんだろうか。

「市民の投票率が下がっているのも議会が活発に情報公開していないからだ」と中川さんは言いながら、では18人になれば議会が活発になるかという点について答弁がありませんでした。選挙が熾烈になれば議員の質が高まるのか。ただただ、私のような党もよりどころとする組織を持たないような人達が代弁者を失うだけではないかと思います。とにかく、私は24人への減数に行革の点から賛成し、9人減数の18人案に対しては民主主義の原点を考え反対しました。
22日(火)
25100カウント
今日は朝から決心して友達の選挙の手伝いに行った。息子が「遅くなってもいいから、夕御飯作って食べるから」といってくれたので、8時まで選挙カーに乗って街宣を手伝った。スポットを多重した。火曜日なのに、公選葉書を書いていた。ずいぶんゆっくりである。選挙ものんびりしていて、それでいて票が取れるのだったら羨ましいなあとつくづく思った。労働組合が人を動員して手伝ってくれていた。

私の選挙は市民の多くの人に関わってほしくって、イロイロ仕事を手分けしてするのだが、そんなどたばたもあまりない。小金井市の場合、素晴らしいなあと思ったことは選挙カーに候補者が乗って、宣伝していることが多い。狭山市なんか、選挙カーにのって演説している候補者がどのくらいいるだろう。特に、選挙3,4日にもなれば、やってはいけないことになっている戸別訪問なんかをしている候補者も多いと聞いた。

今日は、手かざしで人を癒すような人が選挙カーでごいっしょした。私は本当はカーに乗るのは花粉のためにいやだったが、目や鼻に手をおいてくれた。これがそうを効したのか分からないが、目も痒くなく、くしゃみもしないでウグイスを終えた。帰ってきたら、なんとなく目が痒くなってきた。狭山市はスギ花粉が小金井より多いのかもしれないと思った。
21日(月) あまりにも風が強く、家にいてさえ、目が痒く、頭が痒く、鼻水がだらだら流れ、くしゃみが出て外に出れなかった。その上、昨夜より息子が頭が痛く、気持ち悪いなどというので、子供の面倒をみながら家にいた。とうとう、ステロイドの入った薬を吸引し始めた。もうこの花粉症には負けた。
20日(日) 今日は朝礼拝。礼拝の最中、くしゃみは出るし、鼻は出るし、目は痒いしでゆっくり説教を聴けない。早々に、引き上げて帰ってきた。来週はイースターである。

午後からは家に籠もっていた。空気清浄機をこの何日間か付けっぱなしにしてある。この家から出て行くのが怖い。空気清浄機が付いていても、人が外から入ってくると、花粉もついて来るらしく、くしゃみと目のかゆみが始まる。今年は特にひどく、薬を飲んでも、薬を目にさしても、大して効いていないように思える。外は良い天気なのに、最近は洗濯物を外に出した事もないし、布団だって干していない。きっと子供の布団は湿っぽいだろう。

子供の自転車が壊れた。もう、タイヤを2本替えなければならないし、これで5年も使っているのでよれよれである。新しい自転車を買いに行く気力がなくて、夫に子供と買いに行ってもらった。あまり鼻をかむので、鼻水に血が混じる。きっと、鼻炎があるのだろう。早く、花粉の時期を通り越したい。顔もひりひりする。お化粧も出来ない。ひどい。泣きたくなる。
19日(土)
祝!25000カウント
3年半かかって25000人の方にこの独り言を読んでいただきました。でも、はじめの方はカウンターをつけなかったので、結局はそれ以上の方々(延べ)が読んでくださっているのだと思います。感謝します。議会の雰囲気や私のことを少しでも知っていただけたらと思っています。

さて、今日は朝から花粉と戦っていた。そこらじゅうが痒くなって、お風呂に入った。この時期は、くしゃみ、目のかゆみ、鼻水、頭の痒み、どれをとっても不愉快。外に出るのが本当に億劫である。

13時には中央公民館の女性講座に出かけた。何しろ、住友化学昇進差別裁判の元原告、石田さんが来てくださる。これはすごい人をお呼びしての講座です。とても理知的な方で、60歳まで女子社員の制服でお過ごしになったというのだから、これはもう屈辱を通り越していて笑ってしまいますね。彼女が女子社員といわれなければならなった背景に愕然とします。三国ヶ丘高校ってとっても優秀な学校でとっても優秀に卒業した挙句に、一生注文書を作らせ続けたという住友化学という会社はなんと言う会社だろう。

とにかく、和解勧告を受け入れたそうだが、最後まで、すなわち最高裁判所まで戦ってほしかったように思う。それにしても、あんな外国まで行って闘争を続けられた割には、淡々としていて驚きました。女性の地位向上委員会(NY、国連の一機関)の総会でロビー活動をしてきたばかりと言うのには、そのパワーのすごさに声もでません。

石田さんがたった10人ほどの講座に来てくださって、働く女性の先駆者として頑張られた財産を聞かせていただけたことに心から感謝しています。私はこのごろ、自分が狭山市では人の前を走りすぎていると自嘲気味なのです。「でも、今撒いた種が後になって芽を出す事があるのだから」と励まされました。パートで働いている人や派遣で働いている人がおおくなり、正規雇用の差別は少なくなりつつあるのでしょう。今後の課題は、間接差別の戦いです。その解決のために私は何が出来るでしょうか。考えています。

講座を終え、買い物をして帰ってきて、すっかり布施君と矢沢君のメダルを取って祝賀会を忘れ果てた。電話を貰い急いで出かけました。生まれて初めて、本物の金メダルや銀メダルを見ました。重くて持つと手にずっしりしました。練習した成果です。本当にすごい。帰ってきたら12時でした。最後は花粉症で目が痒くて死にそうな思いをしました。
18日(金) 今日は水富幼稚園の卒園式だった。園児がとても可愛かった。子供は本当に宝だと思った。人類の財産だと思った。狭山市の財産だと思った。祝辞は楽しく読めた。子供達にイロイロ聞いた。(祝辞を載せます。トップページから見てください。)大きい声で「は〜〜い」と答えてくれたが、「先生は優しかったですか」と聞いたところのお返事が小さくて皆で笑った。和やかな卒園式だった。

今日は、花粉がひどく、式の前も最中も後も涙がでて、鼻がぐずぐず言っていた。このシーズンは最低だ。午後は、「議会だより」の改革のことで、「編集方針」などについて議長に報告した。快く了承していただいた。良かった。

午後はイロイロ調べ物をしてから、買い物をして帰ってきた。急いで夕食を作ってから、里親会の懇親会に出かけた。初めて、子供を置いて里親会に出かけた。イロイロいつものように話し込んだが、里親に育てられる子は施設にずっといる子に比べて、幸せなのではないかと言う話が出た。絆と言う面ではそりゃ完全とか純粋とかとはいえないかもしれないけど、1対1の絆をたとえ短い間でも持つ事は大切だし、里子にも里親にとっても必要なのではないかと思う。

それにしても、花粉。もう、里親会の中ごろから目が開けられないほどになった。帰りの車の中ではくしゃみが止まらない。いつも、空気清浄器の付いた部屋から出ないようにしているのはこのせいである。もう、花粉の舞い散るこのごろは、家をでるのが怖い。辛い。
17日(木)
24900カウント
今日は、朝議会だより委員会に出かけた。少しずつだが「議会だより」を改革している。型があるのを変えるには情熱が必要である事をつくづく感じる。その点、よしいけ委員長が頑張っているので、畢竟、副委員長の高橋ブラクソン、私としても最大限の協力を惜しまないでいる。

午後はスタッフと打ち合わせをした。後援会の会計報告を県の選挙管理委員会に提出する。記載に間違いのないように、スタッフは丹念に記入していた。私は、ほとんどをお任せでいる。国会のように証人喚問で呼ばれたら、スタッフまかせなので、スタッフに聞いてくださいって言うかもしれない。今日は「あなたがいなければ、私は何も出来ない」っていったら、「あなたが議員をしているうちは、スタッフをやめませんから」なんて言ってくれた。本当に、お願いします。頼りにしています。

夜は、明日のための祝辞(水富幼稚園用)を書き上げた。蔦谷から注文した本が入ったということなので、取りに出かけようと思っている。今夜が楽しみ。
16日(水)
24800カウント
今日は、議会もお休み、私のスケジュール表には何にも書いてないので、どこにも出かけないようにしようと思った。目は痒いし、外に少しでも出ればくしゃみ、鼻はいつもだらだらと出ている感じだ。花粉の頃は出来る限り外に出るのを避けたい。

とは言うものの、お兄ちゃんが帰ってくるので、食べ物を買いに行かなければならない。それで夕方、のそのそ家からでて、買い物に出かけ、たくさん食料を買い込んだ。お兄ちゃんは7時半ごろ帰ってきた。あの子がいるだけで、家が狭く感じる。弟も夫も張り切っている。嬉しくて仕方がないのだ。

私は、お刺身を買ったり、チキンを買ったり、トルティーアを作ったりと久しぶりに、豪華ディナーのはずだったが、お兄ちゃんは疲れきっていて、結局御飯を食べなかった。私が開けたワインに少し口をつけただけだった。お兄ちゃんがいない生活になれてしまって、これから4年間もいっしょに過ごすのかと思うと少し息苦しい。親も少しずつ子離れし始めているのだろう。

「恩宿、かわせみ」の文庫本28冊、単行本1冊を読んだ。あと3冊で「恩宿、かわせみ」の出版された本全部を読み終わる。30冊も読むのに1ヶ月掛かってしまった。私は映像化されたものの本を読むのが嫌いなほうである。たいてい映像のイメージが自分の読後のイメージと大きく違うからである。又、脚本が本と大幅に違っていて、犯人なんかも変わっていると腹も立つ。でも、「恩宿、かわせみ」に関して言えば、NHKの映像が心に残っていて、逆に自分の頭の中で、るいさんや東吾様のお姿が、お吉や嘉助、長助の姿が本の筋とともにイメージできる。私の場合、どうしても真野響子と小野寺昭のおるい様と東吾様なのだが・・・古本屋からありったけの「恩宿、かわせみ」を買い、足りないところは新本を買った。後、本屋に3冊注文している。本が届くのが待ち遠しい。

本を読むのは現実逃避のことが多い。現実を忘れたいから、ストレスから逃げ出したいから、本を読むことが多い。だから、現実から遠い時代物やロマンス物がそんな読み物として好きだ。本の世界に入りきれば、音も聞こえない。しかし、現実とは違う世界とはいえ、いつか江戸の街を歩いてみたい、ロンドンに行ってみたいなどと思う。いつか、いつかきっと実現するよね。そんなことを夢見ながら、本を読んでいる。
15日(火)
今日は、狭山市立西中学校の卒業式だった。私は来賓挨拶と言うことで昨日から用意していた原稿を読んだ。今年は息子もいないし、淡々と祝辞をしようと心していったのに、当間校長先生が関根先生の話をして、声を詰まらせたのがいけなかった。それ以降、涙が止まらなくなってしまった。子供達も、涙流しながら関根先生に思いをはせていた。

「先生は決して生徒を忘れないし、生涯生徒の幸せを祈っている。その先生方の思いに感謝してほしい」といおうとしたところで、胸が一杯になった。ああ、関根先生はこの卒業式に出て、子供を祝福したかっただろうという思いで一杯になってしまった。私は関根さんとは堀兼中学校でいっしょに働いたことがあったのだ。身体の大きい体育の先生で、顔は怖いけど心は優しい人だ。早く、身体を直してでてきてほしい。私なんかより若いから、治療が終われば又西中に復帰するのもすぐだと思う。当間先生が関根先生はベッドで卒業式に思いをはせているよと言うことを式辞の中でおっしゃるんだもの、私の祝辞は淡々にならず、ぐじゃぐじゃ。

卒業式から帰ってきて、恥ずかしくて恥ずかしくて。泣かずに心を込めてメッセージを伝えるようになりたいと思ったからである。ジムが風邪で会社を休んでいた。今日卒業式で貰って帰ってきた紅白の餅をいっしょに焼いて昼ごはんにした。ジムは「心のこもったメッセージだったら、それでいいんだよ」と慰めてくれる。いつもいつも私が落ち込むと、そっと包んでくれるような夫の言葉に、「でも、やはり冷静にしゃべりたい」とか言い返しながらも、嬉しい。

恥ずかしながら、祝辞を載せました。トップページからお読みください。
14日(月)
24700カウント
今日は委員会の審査最終日であった。水道のあれこれを審査していて答弁がまだるっこい。1年生議員が質問しているんじゃないんだから、さっさと答弁してもらいたいものだ。まるでレクチャーなんだもの。結局、資料を提出してもらった。「減価償却費は微増です」と言えばそれでよいものを。私を馬鹿にしているのかなあ。たしかに、企業会計は難しいところはあるけれど。

委員会ではすべての議案に賛成してきた。しっかり予算を使ってよい行政をしてほしいものである。

午後は原稿を渡して帰ってきた。報告書を書いても終わらない。明日は卒業式。これから、祝辞を書かなければならない。明日着ていく洋服も出さなければ、入るといいけど。このごろ、成長気味・・・・(T.T)
13日(日) 今日は午前中に礼拝。イースターが27日なので、説教もそれにちなんだものになってきている。賛美歌もイエス様の受難が私達のための物である事に深く心に留めるレントの最中である。夫はアルコールを絶って4週間を敬虔に過ごしている。私は破戒坊。で、今日の説教を聞きながら思ったことは、私は許されていると言う事である。うじうじと反省しているのではなくて、それはイエス様から神様にとりなしをしていただいて、謙虚にだが元気にいきていかなければ。信仰は人を自由にしてくれるものであるはずで、縛りつけ自由な生きかたを阻害するものでないと思う。

午後は3時から中学校で餅作りのパック詰めに行った。

狭山市駅西口で反対者同盟なるものが出来たそうだ。市議会議員のある人がその代表らしき人に反対の陳情を出すように進めたという噂が持ちきりである。なぜ反対かと言うと、イロイロ理由があるそうだが、補償のことも一因である。反対派の陳情といっても、署名した人だってよく内容を知らないで判を押した人もいるようである。今度は推進派の市民からの陳情も予定されているようである。

公団を撤退してもらい、民間に再開発をお願いしたいという事もその陳情書に書いてあるそうだ。そんなことを言うように市民に勧めた議員がいるとしたら 狭山市のことをどうしたいと思っているのか聞きたい。公団が撤退したらはっきり言って今後国からの援助はほとんど期待できなくなってしまうだろう。勿論公団からの割賦の借金だって出来なければ、狭山市駅西口そのものの開発はなくなっていくだろう。

どの民間企業が2,300億円を出して、再開発してくれるのだろう。公団の撤退を言う議員は、都市計画決定の際賛成したのだそうである。すなわち、少なくとも再開発をすることが出来る民間業者が存在することが前提で公団撤退を市民とともに要求していくのだろう。うがちすぎかもしれないが、その議員と、もしかして公団に成り代わり再開発をしようとする民間業者との関係はどんな関係なのだろう。200億円も融通が出来る業者はゼネコンぐらいしかイナイだろうが、この前津山市で見た再開発の失敗である大手ゼネコンは倒産してしまった。そして、津山市では恐ろしい事に民間の失敗を津山市がかぶらなければならないかもしれないのだそうだ。

安心して、再開発事業の完成を見るには、私は公団に施行していただき、必要な分の経費を市が支払う方が、安全だと思っている。今まで賛成だと言っていた少数の市民の方が反対になった。なんか感情の行き違いがあったのであろうが、修復してほしいと願っている。

今のままが良いという気持ちが市民の中で大きい。狭山市駅周辺の人はこのままでよいと思っている人が多いのだろう。大きい建設は地元の中小の建設業者の入る余地がないので、これまたこの開発に面白みを感じていないだろう。ただ、駅を使う人が安全で使いよい狭山市駅を望んでいる。私は、狭山市駅の西口がきれいに整備される事を心から望んでいるものである。

市民がこの前の合併の時と同じように借金なんかしてまで駅前の開発なんてしないでよいのさということになれば、それでも仕方ない。市に投資をしないで、すなわち借金をなしで狭山市が運営でき、将来も住みやすい街であり続けるだろうというのであったら、そういう人に市長になって狭山市の経営をしてもらわなければならない。でも、はっきり言って、そんなこと不可能だと現実派の私は思っている。残念だけど。
12日(土) 今日は朝あれこれ忙しく過ごし、午後は入間市の市議会議員選挙のため陣中見舞いに行った。入間市は顔ぶれが一新しそうである。帰ってきたら3時過ぎ、1週間の疲れで寝込んでしまった。山下さんの娘さんは眼科医らしいが、心ある議員なら時にはどっと落ち込む事もあるでしょうと、疲れた様子の私を慰めてくれた。私はロボットのように感情がコントロールできない。もっと強くなればよいのだろうが、これが人間らしいのさとも思う。

夜、娘の調子が悪かった。テレビの見すぎで発作が起きたのかなあ。目が悪いらしく、近くで見入っている。あの子は耳からの刺激が必要ないらしく、音を出さずにテレビに見入る。困ったなあ。私は夜にメールアドレスの整理をしたりして過ごした。最期にレオナルド・ダビンチのテレビを30分ほど見た。天才とは素晴らしいものである。でも、その才能を十分に発揮させて上げなかったのは、キリスト教だったのだと思う。信仰と組織、神から与えられた人間の素晴らしさを否定しがちなキリスト教ではいけないと思う。聖書ですら、作られたものであると言うことを知ると、聖書から何を学ぶかと言う事が難しい。イエス様とは個人的なレベルで慕いたいと思う。

そういう意味では、私は組織がダメな人だなあと思う。でも、私はそれでよいと思っている。
11日(金)
24600カウント
今日は議会で委員会審査の2日目だった。すぐに審査を終えそうだったのに、下水道で又止まった。又、というのは去年も下水道で審査が止まったからである。なんだか、「部長しっかりしろ」と言いたくなる。この部長は去年の私が副委員長の時の答弁でも、訳が分からない事を言い、そのために委員会の審査を継続したのではなかったかと思う。何も早くに審査を終えればよいとは言わないが、自分の答弁の内容すら良く分からないという態度では、情けない。それに、他部署との連携や理解はどうなっているのかと思う。

今回は西口整備に関してだが、これが狭山市の最重要課題というならば、街づくり部だけでなく他の部署の部長ももっとしっかり工事の内容や自分達なりのサポートの仕方を考えるべきである。今日の審査が止まった時、下水道部長は「それは街づくり部に・・」とか答弁を回避しようとしたが、すでに街づくり部と話し合ってきめたことなんだから、即座にしっかり「こうこうこういう意味でこのような予算を立てました。」と言えなければいけないのではないかと思う。

午後は議長に会って、この前の一般質問についての話があった。一部の議員から自分達が悪い事しているかのように聞こえるという指摘が合ったらしいが、新潟市官製談合事件での議員のかかわりについて言ったのであって、狭山市の議員については言及していないという事を理解されたようであった。私は議員や議会として身を正すことについて、誰も異論はないと思う。もし、「しっかり自分達がする」事をすら議場で言えないような議会だったとしたら、そっちの方が問題だと思う。その点、狭山市議会で官製談合防止法や斡旋利得防止法に抵触しないように襟を正すことを明言することが出来た事は、狭山市議会の常識を示したことになると私は思っている。

夜は“すすむ会”の総会だった。楽しく大笑いしながら総会を終えた。今年も来年も選挙がないので皆リラックスしている。おいしいお料理を作ってくれたお店の方に感謝です。会員の方もありがとうございました。
10日(木)
今日は議会で建設委員会審査だった。建設委員会は几帳面に道路の認定や廃止の際にはすべて視察してみる。これは私が建設委員会を好きな点である。文教委員会では驚くなかれ条例にでているところですら、視察に行かない。今回、きっと身狩場小学校に出来る学童保育室を視察に行かないだろう。建設委員会は議案に乗っていなくても、前に審査した後のフォローとして出来上がった道路や橋は必ず、委員全員で視察に行く。私はある面、この委員会で視察の大切さを学んだ。視察しながら狭山市中を見て回るが、ここが開発されただの、ここの道路がよくないだの、昔はどうだったのと町中のことを委員があれこれ話す。これも、私の良い知識になったように思う。先輩議員に感謝です。

と言うわけで、午後から本格的な審査となった。昨日、午後から建設部に行ってあれこれ聞いてきた。(来てくださいということだったので、伺いました。おしかけじゃないんだから。今回はお茶を出してもらうのも気兼ねでコーヒー持参で行きました。市議会議員は気を使いながら仕事をさせていただいているのです。でも、優しい建設部の課長さんはコーヒーをお注ぎしますよって言ってくれて、うれしかったなあ。)

さて、勉強の結果、よい審査が出来たかと言うと高橋は質問しすぎると言う事になるのですから。新しい事業については、少し根掘り葉掘り聞いています。そりゃあ、10年も20年も議員している人にはかないませんが、私もこれで議員は6年、建設委員も4年もしているわけですから、多少感所も分かってきて、ここは議場の委員長報告に入れておいた方がいいと思うところは、出来る限り質問するようにしています。委員長報告はケーブルテレビなどで市民の耳に入りますから、必要な情報は委員長の報告から出て行くようにしたいと思うのです。
9日(水)
24500カウント
昨日は、帰ってから少し寝込んだ。そしたら、身体ふわっとした。今まで硬直したように原稿はかけなかったし、頭は働かなかったのに、祈りは聞かれたような感じだった。一気呵成に自分の思ったことを原稿に書いた。書いた事は、狭山市の役人さんにも言った事である。理解してもらえなかったのだなと、今日の答弁を聞きながら思った。どうせそんなものだと思うからこそ、原稿がかけなかったのだけど、少なくとも私はしなやかに思いのままを言う事が出来た。硬直したような思考、書くことに向かい合えない自分との戦いは神様の優しい思いやりで少し乗り越えられた。

こんなに苦労して原稿を書いた事はなかった。こんなに一般質問に向かい合うのが辛い事は今までの議員生活の中でなかった。合併が不調に終り、空しさと悲しさとを乗り越えるまでに時間がかかり、狭山市政に何が期待できるのか、道を失っていた。

本当のことを言って、教育委員会に何も望めないのだと分かっていただけに、何でこんな通告をしたのだろうと思った。様々なことがあるが、狭山市ではビジョンをしっかり持った市長をいただかない限り、教育も何も動いていかないと言う事だ。

契約問題を質問した。最期に議員が業者を連れて執行部に行く事が新潟市官製談合で問題視されており、狭山市議会としても襟を正さなければならないと言う話をし始めたところで、一部市議会議員が騒ぎ出した。なぜ、そんなに騒ぐのか理解できない。斡旋利得法だってあるはずで、市議会議員として、しっかり襟を正さなければ官製談合防止法に抵触する場合も有ろう。注意が必要である。それをどうして理解できないのだろう。発言のどこが不穏当なのだろう。もし、聞きようによっておかしく聞こえるならば訂正もやぶさかではないが、議員も官製談合に引っかかる事のないように身を糾すことの必要性は心から感じている。
7日(月)
24300カウント
昨日はひたすら家に籠もって原稿を書こうとした。資料を読みあさり、頭の中にアウトラインだけでもと辛吟していた。本を読んでも、何もでてこない。まるで渇いたタオルを絞っているように何も出ない。夜中12時過ぎにコンピューターに向かい、何でも良いから書かなければならないと決心したけど、かけない。書きなぐりを役所に送付したのは、朝3時頃になってしまった。最近、本当に一般質問の原稿を書き上げるのが襲いし、辛い。無理に質問する必要はないと思っていはいるが、課題の1つも見つけられないようでは市議会議員といえるかとおもうのだ。そして、通告した後での、この七転八倒。自分で何をあがいているのかも分からなくなっていく。泥沼。

今日は議会だった。気が張っているから、睡眠時間が4時間でも起き上がられたのだろう。一般質問の1日目。なんだか、言いたい事が良く分からない質問が多かった。通告書があるが、通告書の中身と質問事項がどう関わっている事やらと思うような質問が多かった。合併の後始末についての質問が多かったのであるが、合併反対の共産党さんが合併できなかった事の責任や謝罪を市長に聞いていた。本当は、合併賛成派の議員が市長を突き上げるないようだろうと思った。それをやるのかなと思った伊藤さんの質問も私には趣旨が良く分からない質問だった。きっと合併協議会委員だった渡辺さんがしっかり糾すのかもしれない。

私は、先回の臨時会で反省と言う優しい言葉で市長に質問したが、本当は合併できなかった責任を取って辞任したらどうかと聞こうとも思ったのだ。それを言わなかったのには一杯理由があるが、一番には、もし仲川さんが市長を辞めたらどうするか、私が選挙に打って出る覚悟があるかと自問したが、そんな気持ちにはさらさらなれないのだから、無責任にやめろとはいえなかったということである。市長を続けていたって茨の道を歩まなければならないと言う大変な立場なのだ、市長は。仲川さんはひょいひょいとするかもしれないが、私のような超真面目人間は気がおかしくなるに違いないと思う。
5日(土) 今日は午前中に女性講座の勉強会。受講生が少なかったので公民館の方々はがっかりしていた。私には分かりやすい講座だったが、労働という名前での講座は難しいのかもしれない。反省した。私は旗振りとしてはしっかりしているつもりなのだが、そもそも働いている人は公民館で勉強しないのだ。働いている女性は忙しくて、勉強する暇もないのかもしれない。あ〜〜〜。東京と狭山との違いなのかなあ。半歩ぐらい進んでいるので十分で、1歩進んでいるとついて来れないのかなあ。

逆に自分が独りよがりにならないようにとも自戒している。「理解されなくても良いさ」と開き直りたくなるのだ。いつもの事だけど、「やっぱり久美子さんの言うとおりだった。」って言われるんだけど、中々すぐに理解してもらえない。そんなときにはもう、口を挟まず黙っていよう。それで、いいのだと思うしかないんだから。あまり、言っても結局“独りよがり”って事になる。私も大人になったものだ。あ〜〜〜〜
4日(金) 今日も議会。雪が降るというので10時開催。いつか雪が降ったときには笹井から歩いて議会に行き、1時間も掛かった覚えがある。今日は、私の車はノーマルタイヤしかつけていないので、夫がスタッドレスのタイヤをつけた車で議会まで送ってくれた。優しい夫を持ってよかったなあ。イロイロな議員に「どう議会まで来たの?」と聞かれて、「夫が連れてきてくれたの」とのろけた。「そうよね、ブラックソンさんちは優しいダーリンがいるからね」なんて冷やかされた。でも、そのとおり・・・うふ

議会に関して言えば、用意した質問を言い忘れたり、やはり追求型の質問はぜんぜん出来なくて、なんとなく役人ペースで答弁を聞くだけ。反省で落ち込む。これが個性と言うのか、それとも鈍いと言うのか。鈍いのが、個性なのか。今日も反省しながら夕御飯を用意した。ここまでの答弁を取らねばならないというより、私は「今言っておけばすぐには出来ないだろうけどいつかきっと実現するさ」とおもうから、迫力にかけるんだろうね。今日の明日のとやいやい言うような質問は私には出きない。

ところで、今日もマッサージに出かけた。運動不足と字の見すぎで肩や腰が痛くてたまらない。もう、肩が懲りすぎて頭まで痛くなる。一般質問の事が頭から離れないのに、ちっともまとまらない。どうしよう。
3日(木)
24200カウント
今日は議会。議案書で予算の歳入まで。私は本当に鈍いから、ぜんぜん怖くない。だから、質問に対して皆さんにこやかに答弁なさっていた。私はいつものことだが、終わってから、あの質問をこういえばよかっただとか、ここを突っつくべきだったとかと言う思いで落ち込む。鈍い、鈍い人だなあ、私は。

午後は、昼食もせず帰宅。予算書を見ているが頭に入らず。その上、電話がドンドン掛かってきて、役人は私が勉強するのを阻止する同盟でも作っているのではないかと思うほどだ。とうとう、電話を置いたのが、7時10分前。御飯を作る暇がなくなってしまい、「ステーキのドン」に子供と夕食をしに出かける羽目になった。3人で3700円も掛かった。議会の最中はお金が掛かる。
2日(水)
24100カウント
今日は、議会が休みである。この日に議案を勉強しなさいという事。で、勉強に励んだ。歳入で税金が減らないのはなぜかを考え込んでいる。高齢化で個人市民税はおちこんだが、配偶者特別控除がなくなり、その分をカバーした。臨時財政対策債は5億円落ち込んだが、その分を所得譲与税がほぼ5億円来たことによりカバーされた。何しろ、土地の価格の下落で固定資産税は1億3千万、都市計画税が1千4百万も減収である。。国庫負担金はたしかに上がっていても国庫補助金はそれ以上に落ち込み、県支出金のうち、負担金も補助金も合計で1億1千万も落ち込んだ。

今、のんびり又はぼんやりしていなくとも歳入の減少になりがちだ。入るはずだった補助金だって、交付税措置などと言う事で入らなくなる可能性がでている。補助金のメニューも本当に狭くなってきている。狭山市なんか不交付団体だから、あっという間に1億、10億の歳入減もあるうるのだ。

では5億円近い1.3%は何がふえているんだろう。要するに、財産を売却し、少しずつ市民に痛みを分かち合っていただき負担金や使用料を増やしたことや、国の補助金をとことん活用しようとしている事が歳入の少しの伸びにつながっているのかもしれない。リサイクルプラザや市街地再開発補助金などの衛生費、土木費補助金をいただくようにした才覚を私は買いたい。これは私の分析である。明日はこの点について、執行部の分析を聞きたいと思う。

狭山市には”狼おじじ”や”狼おじさん”がいる。私もそれに引っかかりもした。腹を立てたこともあった。実際狼おじさんたちがほえなければならないのは、仕方のないことだった。これからは、狭山市の歳入の伸びをどこに置くかを執行部内に明確にするようにほえなければと思う。事業をする(支出)の時には、自分で財源を確保することと言い続ける事だろう。でも狼おじさんたちが、市長に「自分たちがお金を見つけてくるので良い施策を、政策を腹を決めてやってください」とでも言ってくれれば、私は「狼おじさんたちは立派な人たちだなあ、伊達に年はとっていないなあ」と崇め奉るであろう。頑張れ、狼おじじや狼おじさん。今後、赤字箱物には、収入が支出の30%なければ箱物をやめる、潰すとでも狼語で言うのもいいかも。
1日(火)
24000カウント
今日も議会。議案の説明。午前中で終り、午後はヒアリングが入り、なんだかんだとしているうちに5時になって帰ってきた。施政方針演説に対する質問をしようかと考えたのだが、やめた。書式がどうのとか言われているうちに、答弁が分かっていることを聞く必要もないように思った。他の人も質問する事だし。また、私の言う意味が答弁を書く人にどれほど分かるか。だって、狭山市の場合、あさってには質問があり、答弁がある。質問の意味を吟味する時間的余裕もないのだ。

去年は質問した。昨年の答弁を会議録で読んだ。質問と答弁がかみ合っていない。何か答えればよいのさ、だって再質問できないので、答弁がおかしいのではないですかとはいえないのだから。ということもあり、書式がどうのとか事務局で言われている間に、質問をするのをやめることにした。いつかじっくり一般質問をすることにしよう。一般質問だって「検討します」、「課題だと思っています」、「研究の対象です」のオンパレード。誰も何もどうしようもない答弁だけだ。

政策論議は楽しい。実現できるとは思えないから、おしゃべりばかりしている。元気で仕事をしている役人がいる。おしゃべりしながら、いっしょに話せるそんな役人といることで私はようやく救われている。ありがとう。

現在メールがあった県など: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、新潟、神奈川、東京、アメリカ、稚内、登別、長野
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。