私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)

心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
5月 私の独り事
31日(火)
28100カウント
今日は息子の誕生日だった。昼に息子とデートをした。中間テストの真っ最中なのでお弁当がいらない。だから、ハンバーグレストランで御飯を食べた。3人目の子供で可愛くて可愛くて。

午後からは議会に出かけ、一般質問の通告した。今回は色々考えたのだが、4項目を質問する。1つは図書館のこと、2つ目は消防団の事、3つ目は職員体制のこと、4つ目は指定管理者制度の導入に関してを取り上げる。あまりにも沢山と思うかもしれないが、一つ一つのメッセージをハッキリさせておけば、答弁ものらりくらりと長々となることはないであろうと、期待している。

明日から2日間九州に視察に出かける。小川図書館を設計した人の設計による2つの図書館を見に行く。小川だけではなんかよく分からない。いくつか見れば、発酵してくる考えが一般質問へのヒントを与えてくれるだろう。ハードの面として、私は図書館に喫茶店がほしいと思う。開架のスペースも増やすべし。図書館の改革を沢山提案したい。どうせ今すぐ何にも変わらないだろうが、私が精魂込めて勉強し、出来る提案をしていることを、役人に分かってもらえると信じよう。どの4項目も心を込めて一生懸命勉強して質問をしていることを分かってもらい、いつか振り向けばそれが実現しているというのが最高である。
30日(月)
28000カウント
今日は朝から全員協議会であった。管理指定制度の導入を考えているとの報告。基本計画策定の指針などの説明があった。その外、建設部、福祉部からも説明を聞いた。議会だより委員会のメンバーと幹事会のメンバーを決めた。議会だより委員会の委員になった。副委員長は今回はご辞退申し上げた。今後は分からないが当面は議会での役職はせず、自分の意見をきちんと言えるポジションをとりたいと思っている。会派に入らず無所属でいるのは役職を考えないという事でもあるので私としては一貫しているつもりだ。昨年は少し吉池さんのお役に立ちたかったからお手伝いした。今年からは、許してもらう。

午後は交通安全協議会の常任委員会に出席。その後、6月1日、2日の九州出張のために切符やら宿舎の用意をした。伊万里、たらみ図書館を視察する。今からとても楽しみである。

帰ってきた途端に仕事が入っている。昨日までののんびりバカンスからは考えられない忙しさ。又どこかに行きたいなあと思っている。だが、息子の学費、税金、食費を考えると貯蓄の余裕がないなあ。でも、一生懸命働いているからこそ又いつか今度は子供も連れてどこかにのんびり出かけたいと思う。思うだけはただだからね。

28000カウントを突破しました。更新をお休みしていた時ですら、このページを覗いてくださった方がいることに感謝します。今後も頑張って書き続けますので、よろしくお願いします。メールもくださいね。
22日(日)から29日(日)
27900カウント
22日から29日までバリ島に休暇に行っていました。夫と2人の旅。私達のハネムーンはアメリカの両親を連れて京都奈良旅行だったので、実質結婚して以来始めて二人で旅行をしました。子供は20才を頭に3人。下がもう中学生になって心配は少なかったので、無理をして出かけました。

無理をしてというのは夫も私も忙しいので休暇をあわせるのが至難の業だったわけです。本当は4月に予定していたのですが、結局行けなかった。というので、直前まで二人は仕事をし続け、21日の土曜日まで仕事をして、出発が可能になったのです。

バリは暑く湿度も高かったのですが、日陰では風がふけば涼しくてのんびりしました。「疲れを取る」というのと「夫婦2人の時間を取る」というのが目的だったのです。すなわち、日ごろできないことをこの1週間するのだということ。ところが、のんびりというのが難しくて、スケジュールを組んでしまい、毎日またしても忙しく観光にスポーツに食事に過ごしてしまいました。

私達はキンタマー二という火山を見に行きました。途中ウブドという街をみたり、昔の家を見たりしました。あんまり買い物に興味がないので、あちこちみてあるくのみ。初めてのアジアだったのですが、とても共通しているところが見えて、自分がアジアの一員であることを痛感しました。アジアはいっしょだなんて感じました。

ケチャというダンスを見ました。日本の歌舞伎を思い出し、文楽を思い出し、お盆踊りやお神楽を思い出し、ここでも日本もアジアと繋がっている事を実感。

3日目にはラフティングをしました。2時間のコースなのだけど、危険な急流を下ります。私達はカヌーはしたことがあるのですが、ラフティングははじめてで、私は崖に触って名誉の負傷をしました。この国は暑いので、怪我をするとすぐに腫れて危険です。

マッサージに凝って、ほとんど毎日マッサージに通いました。1回目はクラブメッド(私達のいたホテル)のスパに行きました。高いスパでしたが、お一人様無料券がありましたので、夫だけお金を払いました。アロマセラピーというのでしょうか、香のよい油を全身にすりいれてくれるのですが、この気持ちのよいことといったらありません。高いと言ったって、日本の指圧は30分3千円、バリのスパの1時間のマッサージが3千円と半額です。知人に聞いて次の日からはもっと安い1時間1千5百円のマッサージに通いました。最後の日は私は日本でもやったことのないフェーシャルケアーをしてもらいました。一瞬お肌が卵のようにつるつるしました。(2日目には元の木阿弥・残念!)

クラブメッドはスポーツを無料でさせてくれます。私は朝、モーニングエクササイズと腹筋の体操を1時間した後、ゴルフを体験しました。ゴルフは初心者ですが、父も息子も弟もするものですから、初めてするような気がしませんでした。7アイアンの使い方とサンドオブウェッジを使ってのアプローチの仕方を練習しました。その後、ショートコースを回ったのですが、どうして木に当たるのか、全く百発百中。その上、地獄のバンカーに捕まり、一度は10打でやっと抜け出る事が出来る始末。でも、ゴルフははまりそうです。

本当はスノーケリングやダイビングをしたかったのですが、残念ながらくらげが多かったとか、波が高くて海中が良く見えなかったりで、挑戦することが出来ませんでした。日焼けが嫌で、プールは2回朝7時過ぎから泳いだだけ。日焼け止めクリームをたっぷり塗っても、日焼けを止める事が出来ず、この分では又シミがふえるだけだあ・・・・

買い物に出かけるのを夫が嫌がったので、クタという街にも出かけませんでした。マッサージ屋の近くにスーパーがあったので、買い物はそこで済ませました。物価は安いような気がしました。たとえば、お米が10キロ2百円とか。でも、私達が日本のように生活したいと思ったら、結局インドネシアに住むにしろお金が掛かりそうです。私はクラブメッドのブティックでキレイなTシャツを4枚買いました。この何年かでキレイなものを選んで楽しんで買い物をしたのは久しぶりでした。後で着ますから見てください。きれいですよ。

何にもしないで読書、寝る、食べるだけをするつもりだったのに、色々チャレンジし、夫婦仲良くなり、満足した帰ってきました。子供達も大変だったようですが、何とか1週間を過ごしたようです。
20日(金) 今日は中学校の総会があり、懇親会があった。楽しかった。右を向いても左をむいても知っている顔で、娘が中学校3年なので今年で中学校への参加も終りである。楽しもうと思っている。
19日(木) 今日は朝川越消防本部へ女性消防団について視察に行った。今時、女性消防団員がいるのは常識になりつつある。女性に出来ない事はない。男性には子供を産めないが女性は子供すら産める。市民を守るのは男性だけとは限らない。女性だって市民を守る責任がある。女性を甘やかさないでといったら、川越署の総務課長は進んでいるひとで、男性だったけれど「女性が男性に劣るところはありません」とハッキリ言った。訓練も女性も男性も同じようにするそうである。法律は「男女を区別しておりません」ということで私も納得した。

狭山市は女性協力隊がある。しかし、女性消防団員とは違う。片や純粋ボランティア。でも消防団員ともなれば、消防組織法によって組織された法定組織「消防団」の一員で、公務員としての責任も任務も研修も一段と厳しい。権限だって違う。だから、女性消防団員なのだ。

午後は日高市のオートバイのバイク隊について視察に行った。消防団の副団長まで来てくれていた。これについて言えば、まあ狭山市がバイクを協会からもらえることはほぼ不可能であって、一台300万円模するようなバイクを分団にそろえることは必要ないというのが結論である。副団長さんが言っていたが、かえって50ccのバイクが合った方が小回りはきくし、運転免許を持っていれば誰でも乗れるので帰ってよいということであった。大きいバイクは見栄えはいいが、消火にはつかえないという感じだった。

ここでも女性消防団員の話になり、日高市消防団では女性消防団員はすでに入団しているという事であった。女性がいるのは当たり前でしょうという事で、協力隊については消防団の人は相手にしないという感じである。消防団は常備隊とは違うけれど、やはり消防に携わる公務員としての意識が強い。女性も消防団に入っていないなんて言うのは田舎でも少なくなってきている。女性の役割は大きい。
18日(水)
27500カウント
朝より議会。先決議案があった。増税案。特に高齢者に対しての特例、優待が切られていく。弱者として高齢者はもう数に入らなくなっている。年金もあるし、多くの高齢者は家のローンも終り、子供も育ち教育費も要らない。それに団塊の世代が退職する前に税制をどうにかしなければ、市民税の減少が予想され、高齢者への費用の莫大な増加を賄いきれなくなるというのが実情であろう。ただ、日本人は税金を納めるのが嫌いだ。税金を取られるなんて言う。社会のスポンサーが自分であるとは思えないようで、誰かが自分の経費を出してくれるかのように思う人が多い。

儲けるために頑張っている法人に儲かったなら税金を出せ、もっと出せというやり方を進める党もあるが、努力して儲けたのにその多くを税金にといえば、外国に工場を持っていくのも当然だ。だから、少しずつ、皆で経費を負担する努力が必要なのだろう。ある人が「税金は日本や市への会費と思えばよいのに」といっていた。サービスを貰うためには日本会員、狭山市会員になり費用を皆で分かち合うという発想。面白い。

議長、副議長、委員、正副委員長、などを決めた。なんと終わったのが10時半。結局去年同様おしのぎをいただき、眠い目と疲れた身体に鞭を打って議会を終えた。私は建設委員。そのままであった。議会人事すぺて終えて、なんだか脱力感。私は自分の仕事をしっかりやるのみだ。
17日(火)
27400カウント
今日は東中、新狭山小、堀兼中、堀兼小学校を視察した。もう、今日は足が上がらない状態である。4階まで上ったり降りたり。皆さん、1校に30分、移動時間が15分というスター真っ青のスケジュールで私は視察をしたのですよ。その30分に図書館(小学校は2つある)を見、図書館準備室を見、台帳をみ、HPを見、先生と話をし、時には学級図書の状況を見るためにクラスを回るのです。さすがの私も、最後の堀兼小学校では疲れ果てていました。お茶を出してくれるところもありましたが、一口お茶を飲むのが精一杯でした。ふ〜〜〜。

東中学校の図書館は管理が良かったと思います。昨年1000冊廃棄をしたといっていました。本を読まないので傷まないのでしょうね。この図書館と本ならもっと生徒が来ても良いのだろうと思いますが、図書館の位置が悪いのと、もっと魅力あるディスプレイやデコレーションが必要だし、読ませる工夫をするのはどうでしょうか。教頭先生が私の考えと同じで、生徒の読まない本を飾っているより読む本を多く入れたいというのは嬉しかったですね。学級図書にも力を入れているとの事でした。この学校かな、新しい本を学級図書として学級に回していたのは。これも私の考えどおりで嬉しかった。身近な本が一番読みたそうなキレイな本なのは嬉しいです。良かった。(くれぐれも読ます工夫をお願いします。)

新狭山小、堀兼小学校には図書ボランティアが来て頑張っていました。図書館にもお母さん方の熱意がつたわってきている。1ついえるのは、ボランティアさんに沢山おねがいしてよいのですが、やはり責任は学校が持たなければという事。忙しいのは分かりますが、教師も汗を流して図書の整理をしてもらいたいと心から願います。

堀兼中学校は校庭でたたずんでしまいました。懐かしかった。私の寝室に猪熊先生からいただいた堀兼中学校のスケッチがあるのですが、それと同じ風景がそこにあったのです。私はつくづく猪熊先生が堀兼中学校をいとおしく思っていたのだと思いながら校庭に立ちつくしました。平成5年に戻った思いでした。職員室もぜんぜん変わっていないで私が座っていた席もありました。普通はこんな風に感傷に浸ることはないのになぜだろう。

図書館はきれいでした。古い本もありましたが、ここだって昨年度に1000冊近く廃棄しただけでそれまでは廃棄0でした。本の貸し出しはここが市内で最低の0.26冊。本を読まないならば、何で60万円もあげる必要あるのだろう。教頭先生と話しましたが、体育の先生で「本は自分も読まなかったしなあ。」とあまり図書館に感心はないようでした。どうも私はこの手の人が苦手で、読ませるようにお願いしますとは言いましたけれど、熱が入りませんでした。

私は、年間一人貸し出し数が1冊にもならない学校図書館には予算をつけるのをやめたらどうかと提案したい。すなわち中央中学校、入間中学校、堀兼中学校、狭山台中学校には予算をつけず、その分一人当たり10冊を越す入間川、富士見、入間、入間野、狭山台南、奥富、柏原、水富、笹井小学校に20万円上乗せの配慮をすべきだと思うが、いかがでしょうか。(理由は何べんも書きましたので省略)

午後はジムの会社に来ている人の妻を狭山市見学させてあげた。智光山公園がきれいだったし、動物園も動物の赤ちゃんが可愛かった。今日報道された赤ちゃんが人口飼育に変わったということだった。元気に育つと良いけど。夜はパーティー。私はパーティーは嫌いだけれど、今日は楽しめた。良かった。
16日(月)
今日は朝から狭山台南小学校、入間川東小学校、入間川中学校を視察した。視察には入っていなかったが柏原小学校にも行った。

狭山台南小学校の本は古かったし、この小学校は市内で一番貸し出しが多いので本は傷んでいた。狭山台南小は廃棄を何年かしなかったせいで入ってくる本が激減し、2年ほど前から古い本の廃棄を始めた。それでも充足率が99%であるせいで予算は30万円ほどである。大規模学校があっという間に生徒数が減ればそれだけで充足率は上がる。本の管理が難しかったことは分かる。この際、本の予算を決める時に、貸し出しの頻度を考えてほしいと思った。だって、よく本を読み、貸し出しているところの本は傷んでいて買い替えをしたらと思う本が多い。

台南小は一人平均年間で44冊貸し出しをする。それにはそれなりの努力もあって、この小学校だけが新刊紹介というか、その年の新刊をリストとして廊下に張り出していた。それに、台南小学校のお勧め本のリストがあるのもこの学校だけだった。今後も、このリストを使って何冊読んだかなというコンテストをするらしい。私は、読書をほめる機会があっても良いと思った。多く読む学校は読ませる努力をしているのだと感心した。

東小学校は去年思い切って古い本を廃棄しようとしたらしい。でも、図書館は工夫もまだまだだった。校長先生に「ありのままの姿を見せていただいてありがとう」とお礼をいったが、何しろ本がきちんと並んでいないのだから呆れてしまったわけです。読ませる努力以前に図書館のマナー指導も必要だと思った。

入間川中学校は古いが傷んでいない本が沢山あった。図書館というより書庫という感じがした。昨年を除きそれ以前は1冊も廃棄していないのだから古い本が一杯でも仕方あるまい。私は古い辞典類は捨てた方が良いと言って来た。ソビエト連邦共和国はなくなってしまっている。地理は変わったのだ。30年前の統計資料は今時つかえない。調べ物指導にと言ったって、30年前の辞典類で調べた事の意味はなんだろう。理科と国語は生きているといったが、社会はもっと生きていて、来年の辞典からは、市町村合併に伴い、多くの市町村の名前も消えていく事だろう。だからこそ、計画的に本の入れ替えをするべきだというのである。本は生きている。

入間川中学校は貸し出しは2.4冊なのに市内で一番貸し出しの多い中学校である。いくら忙しい中学生だと言っても情けないね。この学校は図書ボランティアもなければ朝の読書もない。色々努力をして一年に1人44冊も貸し出す小学校が30万円の予算。片や努力が見えないこの中学校は62万の予算。なぜと思わないでいられない。

その後柏原小学校に行ったが、ここは年間80万円以上の予算をこの5年間貰っている唯一の小学校なので、私はきっとキレイな本が並んでいるだろうと期待していた。ところが他の学校と変わらず、古い汚い本が一杯だった。本当にがっかりした。5年間で400万円もつぎ込んだ図書館があれでは、一体いくらお金をかければよいのだろう。私は統計で見る限りこの学校の管理は素晴らしいと思ったのだ。廃棄と購入の割合がほぼ同じできっと本の新陳代謝が良いからキレイな本が並んでいるに違いないと思ったのになあ。

午後は急いで「いろんな民族の会」の総会に行った。その後、役所で視察の件と議案の勉強をした。帰ったら、8時。子供達はもう食べ終わっていたので、一人で御飯を食べた。
15日(日)
27300カウント
13日はバザーの準備、14日はバザーと忙しく過ごした。バザーは必要なだけ物が集まり、きっと必要なだけ物が売れたのだろう。今回は食べ物が良く売れた。収益は3万円ほどかもしれない。感謝しよう。

15日、今日は朝8時から自治会のお掃除。その後、礼拝。午後郵便局に寄ってからSOのミーティング。その後、この前の清水さんの家によって、お話をして帰ってきた。なんだか、どこからか清水さんが出てくるような気がしてなくなったと言う気がしない。

障害者福祉ってなんだろう。障害者が自立して生きられるような社会作りが障害者福祉ってものだろう。時々障害者は過保護かなあと思う時がある。駐車場に入れず待っているのに、障害者用駐車場があいている時がある。私はそこに健常者の車を入れても良いと思う。なんで、障害者だけ待たずに駐車場に入れるのだろうと思う。この前サピオで娘が半額でプールに入ったが、障害者だって同じように泳ぐならば同じ料金でよいと思った。なぜ、安くするのだろう。今日は何かの施設の話になり障害者用に特別に利用できるようにならないかと言う話があった。私は障害者だってちゃんと他の人たちと同じように予約すべきであると思っている。なぜ、優待すべきなんだろう。

障害者はお金がないんだという話しがあった。では、お金がないんだったら他の条件の人だってお金がない人も、働けない人もいる。障害者と言うくくりではなく低所得者というくくりでお金の補助をするのは納得できる。あなたはお金があるから障害者の優待に反対するんだと言われたが、私はお金が確かにある。だから、家のこどもが障害があろうが半額の優待をされる必要はない。医者の娘の障害者もいるだろう。親が弁護士、学者、経営者で障害ある子供をもつ人もいるだろう。障害者の親は様々である。だから、障害者だから安いのは、便利をしてもらうのは、当たり前というのには私は納得できない。勿論、お金がない人には、障害があろうがなかろうがある程度の優待はするべきである。

私は障害者用の配慮が要らないというのではない。自立し、他の人と同じような生活を出来るような社会ではバリアフリーの建物が必要である。障害者用施設だって今のところ必要だろう。支援制度がなくては障害者は生きていけないだろう。それを私は否定しているのではない。でも、障害者と言う立場に少し甘えはあるのではないかといっているのである。時にはそれが自立を妨げはしないかと言うのである。
12日(木)
27200カウント
今日も4校視察した。入間野中学校、入間野小学校、見狩場小学校、富士見小学校である。

図書館がきれいだなあと思ったのは入間野中学校であった。明るく、ディスプレイが生徒の興味を引くようになっていた。図書館の前にテーブルクロスの掛かったテーブルが出ていて、そこにお勧めの本が2,3冊メッセージとともに並べてもいた。この中学校は図書館に鍵を掛けずに入るということで、きっと狭山市全市の中学校の中で特異な学校(とてもよい意味でである)であろう。貸し出し数がもっと多ければよいのだけれど、中学生になると小学生よりも忙しく借り出してまで本を読まないのかもしれない。この学校の図書主任はセンスがあるのだと思うが、中学生が今読みそうな本を取り揃えようとしているのが印象的だった。

少し前は漫画の本を入れるのはどうかなどという議論があった。良い(?!)漫画ならば入れても良いと今は周知されている。私もそう思っている。「ブラックジャック」が廃棄本になっていた学校があった。また、入れてやってほしいと思った。息子は「はだしのゲン」を学校で読んだ。私が辛すぎてその本を買って子供に与えられなかったからである。家にない本を子供は学校図書館で見つけて読む。家にないほうが親がやいやい聞かないから読み安いのかもしれない。(教育ママごんのつもりはないのだけれど・・・)

古い本が多い。それに小学校は痛んだ本も多い。富士見小学校で感動した。多くの本がボランティアさんの手で修復されていた。本当にその数の多さには驚いた。出来れば、出来れば本を買い換えたいところだ。でも、ボランティアのお母さんの熱意もあってか、この学校は年間22冊子供達が本を借りている。学級図書も見せていただいたが、100冊近い本が並べてあった学級もあった。「身近に良い本を」を実践している学級や学校もあるのだと嬉しく思った。全クラスがそうなると良いけど。

本の充足率が100%を超える学校があった。「本を丁寧に使っていますから」という校長の話でもう何も話したくなくなった。古い本も丁寧に20年も30年も本棚に並べておく。誰も読んだ様子もなく痛みもしないで並んでいる。暗い図書館。学級文庫もほしいところはどうぞと言うらしくないところもあった。理科の図鑑がぼろぼろになっておいてあった。私は充足率を高めるために古い図鑑を使うのはいけないと思う。理科の教師として言わしてもらえば、天文をはじめ多くの分野で20年前とは違う事が発見されている。理科と国語辞典は生きている。丁寧に使っても20年も30年もつかえるものではないのである。

朝の本読みの時間を作ってあるところはやはり学級文庫を少なくとも児童数、それを1ヵ月後とか1学期ごとに取り替えるような気持ちがほしいと願っている。学校図書館の本を計画的に入れ替えてほしいと願っている。

午後は息子の風邪の様子を見たりしながら、バザーの仕事をした。私も頭が痛くなってきた。
11日(水) 今日から学校図書館の視察を始めた。南小学校、入間小学校、入間中学校を視察した。30分しか時間がないので、お茶なんかいただく前に図書館を見せていただいた。最近はハッキリ物を言うので、教育委員会から包丁が飛んで気やしないかと心配しているが、このたびもハッキリ校長先生に伺うことや思うことを言った。でも、今回の先生方は非常に謙虚で、ある校長先生は私の言う事をメモにとって考えていてくださったようであった。

ボランティアの方が来ている学校があり、「予算が少なくなって」と文句を言っていたが、私が予算が多くなった学校だってあることを話すと驚いていた。本の管理のしかたが問題なのだ。充足率を高めるためか古く誰も手をつけないような本が後生大事にとってある。昭和43年の本を誰が読むのか。紙は赤く変色し文字は小さく読みにくい。2,30年も経った本は児童生徒にはちっとも魅力がないのだ。そんな本を大事にしておくから新しい本を購入できない。

ぼろぼろの本はやはり修理が必要であると思う。でも、修理不可能だと思うような本すら本棚にあるのが現状だった。背表紙が日焼けしてなんと言う本が分からないような本は本と言えるのだろうか。個人用の本なら別だが、今の若い人(保護者も含め)は埃をかぶったような不潔な本を手にとらない。

学級文庫は一番子供に近い本だとおもうが、学級文庫に対してもっと心を砕いてほしいと願う。廃棄処分にしたような本を学級に置くのは私は嫌いだ。一番子供達が喜ぶような本。新しくて触っても気持ちの悪くない本。児童数かそれ以上の本が出来る限り子供の周り、学級にあってほしいと願う。一冊でも多くの本を子供達に読んでほしい。

学校によって読む本の数が異なる。特にひどいと思うのは中学生の読書量である。学校図書の貸し出しが1人あたり年間平均1冊にもならない学校が10校中3校もあるのをどう見るか。大概中学校の本はキレイだ。読まないからである。貸し出ししないからである。私は、年間44冊も読む小学校に本の購入費を回してあげた方が良いと思う。読まずに並べておくだけなら税金がもったいない。水富小学校のようにぼろぼろになった本を何べんも何べんも補修をしているようなところに中学校から予算を回すべきだと思う。そもそも、17校で800万円程度の小学校への学校図書館費に比べ、10校で600万円近い中学校の図書購入費。分配の仕方がおかしい。本の充足率だけで予算を分配するだけでなく、貸し出し量も考慮して予算配分をするべし。小学校の方が子供は本を読んでいる。

今年は4日間で14校の図書館を見てみようと思っている。資料も沢山作ってもらった。図書ボランティアの活用も大切だし、必読書を例示するような読書意欲を増す努力もしている学校はあるのだろうか。本の利用率は貸し出し量では測れないのは分かります。でも、図書館にはいればその図書館がどのくらい利用されているかも私には分かります。忙しさにまぎれ、図書館が子供から遠くなっている学校があるのが残念です。全部の学校がそうだとは思いませんけど。

それぞれの学校のHPを見せてもらっている。だって、学校要覧が出来ていないのだから、新学期始まって1ヶ月も過ぎればHPには新しいスタッフ(教員など)についてや新学期情報がアップされていると思ったからである。ところが、多くの学校のHPが新学期対応になっていない。ただ、水富小学校は山崎校長先生がご挨拶を自分の名前を入れてHPにアップしていたのが嬉しかったけど。HPにスタッフ紹介もなければ、校長の名前すら入っていないのは驚き以上に責任を回避しているのかなあと下司にかんぐったりしてしまう。

HPは他市の学校で公表している事が多いのに、狭山市では市民に各学校のHPがあることすら公表していないし、外部から見ることも難しい。何で、2年もこんな状態にしているのか理解できない。どの学校でもHPを授業で資料を集めるために使っていると言いながら、自分の情報を開示しないなんて私に言わせればずるい。開かれた学校をと言いながら、「人の情報はいただきます、自分の情報は出すのは嫌です」なんておかしいんじゃないの。

長くなったので、この辺で。又、明日視察をしますが、私がみて素晴らしいと思う取り組みをしている学校に出会いたいと思う。
10日(火)
27100カウント
今日は10時前にバザーの寄付をとりに行き、中学校の図書ボランティアの人にことづけをするために西中学校にかけつけ、その後10時過ぎ知り合いに会いにでかけた。忙しい。

私は、いつも言うように組織の代表でもないし、党にも属していない。昨年から「親の会」には行っているが、顧問としては他の議員さんもいられるので、その組織のために議会で物を申す事はない。勿論、今までだって障害児教育について質問をし、交流についても積極的に行うようにお願いしたりしてきた。それは、私の実体験と周りの障害児を持つ親達の考えを私なりに考えて、市に問うてきた。今後、「親の会」で色々な意見はあるだろうが、私の目で見、私が租借し、問題を自分なりに把握した後に行動を起こそうと思う。その際、市全体を考えた時、障害者団体の考えと相反するかのように見えることもあるかもしれない。でも、私は障害者が社会の中で普通に生活できる事を目的としての運動と相反するような事はしない。絶対に。

午後は、バザーの寄付をいただいたり、いただきに行っておしゃべりをしたりと、忙しく楽しく過ごした。バザーはとても大変だけど、人の親切が胸にしみる時でいつも感謝の思いで一杯になる。毎日同じような事を書いているが毎日同じようにありがたく思うのだから仕方ない。
9日(月) 今日は朝には「狭山手をつなぐ親の会」の総会に行って来た。子供が中学校3年生になり、私も子供の将来が心配で、情報も必要なことから昨年から会員になった。総会では、資料を見せてもらったけれど実態がなんだかよく分からない。障害者(実は我が子だが)の自立に向けて、とにかく親がしっかり頑張らなければと思っている。

午後は役所で仕事をした。色々調べものも多い。帰宅後、バザーの寄付をいただきに行った。少しずつ物が集まり始めていて良かった。感謝していただいている。夜は、バザーの当日のお手伝いのお願いを色々なところに電話でお願いした。私の支援をしてくださる方々には本当に感謝である。私も誠実に仕事をしている。少なくともそのように努めている。
8日(日) 今日は午前中礼拝。午後はJTBに行って視察のために飛行機やら宿泊所などを決めた。思ったより時間が掛かった。7月にニセコ、札幌、旭川と視察に行くのだが、ニセコがとても遠いので時間が調節できないのだった。困りました。

夕方からは、佐久から持って帰ってきたぜんまいの灰汁抜きをして、味噌汁を作り、買ってきたコゴメやシメジなどのてんぷらを揚げた。ついでにとサツマイモとカツまであげたので、1時間も掛かっててんぷらを揚げた。は〜〜。

御飯の後はゆっくり出来るかと思いきや、娘の修学旅行の荷物を点検したり、息子に勉強をするように説教したりしているうちに11時になった。明日も早いから寝なければと思いながらこれを書いている。12時10分前。おやすみなさい。
7日(土)
27000カウント
いつの間にか27000カウントを超えてしまった。つたない独り言を大勢の方に読んでいただいているのは光栄に思っています。ありがとうございます。

ところで、今日は朝膨大なメールを読み、返信を書きしているうちに朝が終り、2時からの中学校のPTAの新旧役員顔合わせに出かけた。私も様々な学校のPTA役員をしたが、この学校はまた変わっている。興味を持って流れを見ていた。ここで素敵だなあと思ったことはPTAに森林保全のためのボランティアを呼びかけていること。高校生は総合の時間を活用し、森林保護のための活動をするらしい。保護者も手伝ってという事のようである。また、高校1,2年生ではタイでのワークショップを計画しているらしく、タイで図書館を作るようである。さすがキリスト教の学校らしく、恵まれない世界の子供達のために奉仕をしようというのだ。息子は中学生なのでいけないが、こういうのにいつか参加してもらいたいと思う。だから、こういう奉仕を企画する学校は頼もしく、素敵ではないか。(勉強ばかり強調する学校とは本質が違うのがよく分かる)

今日は明日の母の日のためにお菓子を買ってきて母に送った。母はハイカラな人でフランス製のチョコレートがおいしいだの、ベルギー製のクッキーがおいしいだのといって、私がカルフールで買ってくる珍しいお菓子を喜んでくれる。だから、少しでも母の体重を増やすためにお菓子を買ってきて送った。お菓子なら、目が見えなくても包み紙をあければ食べられるもの。喜んでほしいと思う。
6日(金)
26900カウント
2日の夜から山に行った。最近は別荘に行く機会も少なくなったが、今回は夫と娘と3人で出かけた。息子達はバイトがあるとか、学校の部活があるとかいって付いてこなかった。今回は裏庭の木の枝を切り落としたり、雑草を刈ったりした。カボチャを2本苗を買ってきて植えた。夫は別荘に入る階段の手すりがぐらぐらしていたので2日がかりで新しく作り変えていた。

朝、ウグイスが鳴いたり、山桜が満開で、唐松の芽がふいたり、癒されると言うのはこのことだなあとつくづく思った。「結婚する時に別荘を持つなんて考えなかったよね」と夫と話をした。「まあ、別荘を作らなかったらもっと旅行していたかもしれないね。」なんて夫は言っているが、実際のところそうではなかっただろうと思う。私は木々が風にそよいでいるのを見ながら読書するのが大好きで、何もしないでも良いから別荘に来ていたい。そうといっても、夫サービスに今朝は2人で散歩に出かけた3キロぐらい歩いただろうか、山道を歩きながら唐松が倒れているのをみて、山がちっとも手入れされていないのが残念に思った。

これで楽しみにしていたゴールデンウイークもほぼ終り。明日からはPTAだ、なんだと忙しい毎日が始まる。
1日(日) 今日は朝から清水さんの告別式にでてきた。無宗教式の葬式で、ご家族のほかは誰も呼ばない小さな葬式だった。私達は幸運にも、トーチランをいっしょに企画したYさんが昨日お電話して、今日の告別式のことを聞いたのでさよならが出来た。清水さんらしくお葬式の音楽まできちんときめ、生前彼が愛した写真やトーチランのときの写真も飾ってあって、最後にはそれもお棺に入れてあげた。何事もきちんとしていて、本当に彼らしいなあと思った。最後の最後まで彼らしく生きたんだなあと感心した。

昨日思っていた通り、今日最後のお別れをしたら、やはり清水さんは逝ってしまったと思った。さようならと思った。亡骸を見て、どうして皆同じように見えるのだろうと思った。魂が去ってしまった身体はもぬけの殻になってしまっているからだ。だからこそ、さようならだ。

先週から告別式が続いて、少し私も死について、と言うより、葬式について考えた。お花は3台、それ以上には飾らないでほしい。で、お花は色とりどりにして白いお花は飾らないでほしい。勿論キリスト教式で。司式は出来れば今行っている教会の先生からお願いしたい。本当は、ふっといなくなるような、気が付いたら久美子はなくなっていたというのが望みなのだが、友達はそんなことは許してくれそうもないなあ。望みはひっそりと葬式をしてもらいたいなあと思う。でも、それが不可能であったならば、香典でも御花料でもわんさかいただき、お返しをしないでそのお金を児童自立支援施設に寄付していただけたらとも思う。教育資金としてそういう子供達のために使ってもらいたい。で、なければ障害者のグループホームのために。

さっきも言ったが清水さんは清水さんらしいお葬式を望み、奥様にその通りにしていただいた。それは彼の生きかたそのものだった。そう考えれば、私の人生は人様にご心配やらご協力やら迷惑やらなんやらかけどうしの人生だった。そんなにひっそり生きてきたわけでなかった。死んだ時だけ自己満足して天国にいけるわけでない。大勢の人に迷惑をかけて葬式をしてもらうようになるんだと悟った。結局その人の人生の集大成が葬式なんだろうと思う。今日は1つ悟ってしまった。

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