私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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7月 私の独り事
31日(日)
31000カウント
今日は朝礼拝。午後はJTBに行き、4日5日の視察のために切符の手配などをした。

今度は富山ファミリーパークと神戸の王子動物園を視察する。富山ファミリーパークは開設後20年を期して動物園改革を断行しているので有名な動物園で、それもお金をかけずに職員がコンセプト作りから始めたという動物園である。動物園アラートという毎日配信されるグーグルのニュースを見てその取り組みを知り、春から行きたかったところである。それは神戸の王子動物園もアラートでサポーターシステムを取ったことを知り、行きたかったところでもあった。動物園は建設委員会所管のところで建設委員会が秋に委員会視察に組み入れてくれれば、議員視察はしないつもりだったが、残念ながら建設委員会は再開発を中心になるようなので、自分ひとりで行くことにした。とすれば、秋まで待てない。9月議会に間に合わせるように、夏に行くことにした。

明日、佐久の別荘に行き、3日に直江津に1泊し、4日朝富山ファミリーパーク、5日朝王子動物園を視察する。というわけで、私は狭山市に戻るのは5日遅くになります。それまで1週間「独り言」をお休みします。コンピューターは持って行きますから、後から一挙掲載となるかもしれません。あしからず。

今年は中々夏休みの計画が立てられません。去年は16日も別荘に行っていたのに、今年は何日いけることやら。は〜〜〜
30日(土) 今日はこどもと夫は教会の日曜学校のこども達とともに高麗川の川原に川遊びに出かけた。その間に洗濯を干したが、5人分ともなると干しても干しても尽きない。8キロの洗濯機を2回も回すと干し場すらなくなった。夏は洗濯物が多くて・・・

午後早くに夫達は帰ってきた。雷が鳴り、川の流れが速くて怖くなったようだった。私は、午後又のびた。昼寝をしようと思ったが、私たちの部屋にはエアコンがないので、暑すぎて眠れもしない。身体がだるくて、御飯は河童寿司となった。でも、もう私は河童寿司についていけない。子供は泣くは、お母さんは叱っているはというファミレスの喧騒の中では、食べた気がしない。家族の会話も出来なかった。やっぱり、外食するならば、落ち着いたところに行きたいと思った。末の息子が中学校2年生。私達家族はファミレスを卒業しました。
29日(金)
30900カウント
今日は、午前中に病院に出かけた。高い声が出なくなってもう2年近くなる。ポリープでもできているのかと心配だった。内視鏡で見たがどこも悪くはなさそうだが、もう1ヶ月後に調べてもらうことにした。加齢によるものだろうか。ついでに、内科により、最近むくみが出てきたということで、検査をしてもらったが、心臓肥大もないし、脂肪肝が問題かなあというところ。「痩せなさい」といういつもの注意だった。まあ、耳鼻科も内科も若い素敵なお医者さんだったから、3時まで掛かったけれど、まあ、いいか。(昔、美人好きな男を怒ったものだが、この年になると若く頭のよさそうな男性を見るのも悪くないなんておもったりして・・・(*^。^*)

まあ、今のところデブだが健康ということで、少し嬉しくなった。4時過ぎにまた、議会事務局により、役所内あちこちで立ち話をして帰ってきた。実は、ある部署に行きたかったのだが、行き着かなかった・・・・

夜狭山台公民館でふれあい懇談会に出席した。高齢者ばっかりの出席者だった。あ〜〜〜〜。結局、高齢者の意見を大幅に入れた計画が出来上がるんだろうなあ。ニセコ町の街づくり条例で青少年の意見を取り入れる事が条例化してあったと思うが、本当に意識的にそれをしなければ、女、子供の意見は入れられない。そんな風に思いながら参加した。
28日(木)
今日は朝に喫茶パステルに基本を伝えに行った。まず、大きな声で挨拶すること、テーブルをキレイにふくこと、グラスの持ち方、貴金属を見につけず、清潔に身づくろいすること。基本中の基本である。もし、これができないようだったら、お店を続ける事ができないかもしれない。運営委員が前向きだから、何とかなるだろう。色々いわれ、私が必要なら今なら時間を空けられると言ったら、ちょっと私は怖すぎるとのことだった。確かに私より適任者がいそうに思う。

パステルを福祉施設にしたいと思うが実際のところ、大きな山がある。いくつか、成功している喫茶店を見てこようと思っている。はっきり言うが、健常者が障害者とどう仕事を分担するか、支援はどうあるべきかを理解しあうべきだと思う。私は今日障害者に振り回されている健常者や支援者を見て、まだまだ私の理解の及ばないところがあるなあと思った。おいおい、分かってくるだろう。

午前中、サピオにいて会議。午後帰ってきて子供におそい昼飯を食べさせた。あれこれ、こどものための書類を書いたりしてたが、暑くて身体がだるくて、横になってしまった。けれど、4時には役所から電話があり、視察のための書類を作りに役所に行った。帰りにスーパーによったので、帰ってきたら6時過ぎだった。疲れた。とうとう、今日はエアコンを使っている。早くから使えば、これほど疲れなかったなあと思うが、私の世代は“もったいない”や“エアコンは身体に悪い”という思いが先立って、文明の利器を使うのがためらわれる。夜は魚のように水ばかり飲んでいる。
27日(水)
30800カウント
今日は朝10時に議会運営委員長から呼び出されて、中川さんの視察について尋ねられた。書記が付き、レコーダーが回る状況での事情聴取だった。聞かれたから事実を述べた。なんら隠すこともない。最後に意見を尋ねられたので、副委員長にもかかわらず委員会を欠席までして、視察をしたことは正しい判断ではなかったし、そうしたことは遺憾だと思うと言った。知っていれば、私は中川さんに視察をやめるように言ったと思うと答えた。中川さんは代理を出したと思っているかもしれないが、副委員長には代理を立てられない。副委員長は議会の承認により選ばれた職務であり、かけがえのない地位におり、副委員長代理という職務がない以上だれも代理できないのだ。その点を彼はわかっていたのだろうか。

今回の議運の討議内容はきっとありきたりといってよく、すぐに終わるようなものであったと思う。はっきり言って旭山動物園の方が興味深いものであったろう。しかし、議運はどんなに形式的であれ、その形式を踏まない限り議会が運営できないものである。他の委員さんたちは忙しい中、それが分かっているから我慢しつつ議運に出席したのだろう。副委員長たるものはそのことを分かっているはずである。確かに、中川さんがいなくても議運は開かれ、そして次の日議会も開かれた。だったら、他の議員も副委員長と同じ事をしてもよいのか。決して、許されないだろう。民主主義は手順を重要にする。手順を踏んでこそ、公正公平が保たれると考えるむきもあるからである。(これは100%正しいとも思えないが・・)その手順を守る努力がなくては、民主主義は機能しないのだろうと私は思っている。その手順を踏む事がちっと面白くなくても、それがルールというものではないか。ルールを守れないものは議員にはなってはいけないのではないかと思う。

午後は増田秀晃さんを向かえ、パステルの経営改善会議。たくさんお話をしていただき、経営クリニックを受けた。改善すべきところは山のようにある。どこから手をつけるべきなのだろう。考え込んだが、とにかくお聞きした点ですぐにも直すべきところは直そう。そう思った。今日は10時、1時、3時半と会議が入り、最後の会議は6時半まで続いた。今週は暇のはずではなかったかと思うが、期待はずれ。レポートが書けない!!!!!
26日(火) 今日は台風で朝から土砂降りになったり,晴れたりしたが、午後には入間川の河川敷にまで水があふれ心配した。市役所に行き、防災課で聞いたところ、警戒水域は越えたが、危険水域に達せず、不老川付近も浸水していないということ。安心した。

その後、電話が掛かり、歌舞伎の“十二夜”を予約しているのを思い出した。台風でそれど頃でないかとも思ったが、心配はないという事を聞き、急いで銀座まで行った。安いチケットだったから、3階席だった。それでも、尾上菊の助が凛々しくて、惚れ惚れとした。蜷川幸雄の演出も素晴らしいのかも知れ得なかった。舞台装置も豪華だった。プロはあのような舞台を1週間で作り上げると聞き、驚くなあ。芝居に血道をあげる人の気持ちが分かった。歌舞伎場が近かったら私もかようだろうと思った。

芝居は4時半に始まり、9時までだった。幕間は2度あり、お弁当を食べたりしていた。私はお茶を飲んだだけ。でも、狭山茶羊羹が歌舞伎場で売っていて嬉しかった。歌舞伎場は取り崩され、新しくされるそうだが(エレベーターもないのだから仕方ないかな)、古いうちにたった1度でもいく事ができてよかったと思った。
25日(月)
30700カウント
今日は朝中学校の3者面談があった。教員は親の言うことを聞いてくれないし、気持ちも考慮しないなあと思う。私も教員だったが、私は理科の担任でクラス担任をあまり持たなかったから親との接点が少なかった。でも、この年になると若い教員の熱意はあるが、傲慢さが嫌になってくる。勿論、その傲慢さに気付かないことの無知加減にほとほと嫌気が・・・

昨日も書評に書いたが、この度の担任はできないことがあることを納得しないのだと思う。努力すれば、何とかクリアできると考えている。たとえば、朝学校に元気よく8時5分までに来いという。でも、娘のように癲癇をもつ子供は薬を多用しているから、朝は苦手なのだ。特に夜中に小さい発作を起こしたときなんか朝起きられない。叩いて起こしたこともある。でも、叩いても起きられないこともあるし、毎日叩いて起こしたくない。起きられないことは叩かれたり罰を受けるような事でないでしょう。薬を早く飲ましても起きられない時もあるし、その逆もある。早く寝させるといっても、赤ん坊でもあるまいし、中学3年生が8時9時に眠れない。他の中学3年生のように少しでも自分の時間を自分で楽しみたいだろうと思う。朝から晩までああしろ、こうしろと言って彼女の生活を管理しつくしてよいものか。それでなくとも、朝は早く早くといい続けている。

もう、これ以上教員は親に何をしろというのだろう。学校に8時5分に行って、元気よく1日を過ごされればよいが、それができない。親にもっともっと早く起こせというのだろうが、起こせない。6時半がダメなら6時から起こせ。7時40分までに家を出すようにと教員は言う。できたらね。できたら、そうさせたい。でも、できない。日曜日に疲れさせすぎないようにという。くたくたになって疲れ果てるほど楽しんでいるとしたら、8時5分に学校に行かせるためにそれをさせないのと彼女の人生でどちらが意味あることなんだろうかと思う。勿論毎日曜日そんなに充実して遊んでいるわけではないけれど。

教員は親にああしろこうしろという。お宅の娘はあれができないこれができないという。この5年間、いや義務教育の8年ちょっとの間、ほぼ同じようなことが通知書に書いてある。通知書をみて私が思うのは、親にあれこれ言う前に、少なくともひらがなぐらい教えてほしいと思うのだ。親は子供の現在の学習した内容は知っているのだ。本当のことを言って、通知書なんか要らないほどなのである。

本当は心の中で、「だから、教員としてあなたはそれをどう指導しているの?なぜ、字が読めない、書けないの?時間が分からないの。お金の計算ができないの?」と思っている。8年間、学校は何をしてくれているの?1年生の1学期のレベルからちっとも進んでいないのだ。そんな学校に家庭での多様な経験や楽しいテレビ番組をやめさせても、8時5分まで元気で登校させるためにすべての生活をそれに向けて努力させなければならないのか。学校の教員は学校に来る事がすべてのように考えているが、特殊学級に入れている親はその先が見えているからこそ、将来のために今を犠牲にさせたり、何も教えてくれない学校に重きを置かないのだ。勉強らしきもの、少なくとも国語や算数などは1週間に1時間ですからね。あとは、作業です。

きっと娘だって、炎天下にする農作業や就労のための訓練という名目でしている手作業(直接そんな職業に付けやしないのだ)に、また、健康増進のために毎日ある体育の時間に意欲を持って登校できないのではないだろうか。だって、校外学習や修学旅行には、自分から起きて参加している。娘は本当に楽しくて学校に行っているわけでない。特殊学級の生徒にだって不登校した生徒だっているのだ。

午後から児童相談所に行き、医師にあった。その医師は医者からの診断書を貰い、起きられないことのあることを書いてもらいなさいと言う。私が何べん言っても、努力する事が必要だという教師達に医者の書いたものでも見せなければ、納得してもらえないのだろうか。私はアメリカでも特殊教育を学び、博士課程まで進み、日本でも学芸大学で教育心理を学んだものである。昨日今日特殊学級の教員になった人よりもよく知っていると思うが、教員は親の言うことなんか聞けないのだろうか。また、どうして教員は親を責めて苦しませなければならないのだろうか。(「責めないで」と婉曲に言っても理解してくれない。)できないこと、ギブアップする事がそんなに悪いことか。学校教育は努力神話の呪縛から解き放たれてもよいのではないかと思う。
24日(日) 今日は朝礼拝に行く前に少し「私の独り言」を書き直した。字の変換が間違っていた。どうしてサイトアップしないとそれが見えないのか分からない。とにかく、間違いを見つけなおした。そんなことをしていたら、礼拝に遅れた。でも、礼拝に出席すると心がすっきりする。慣れと言われればそうだが、聖霊の力を感じた。

午後は家事にせいを出した。でも、腰がまだ本調子でないので無理をしないように子供に助けてもらっている。優しい子供たちだから多少文句は言うけど結局お手伝いしてくれる。今、5人暮らしで食べ物の調達やら洗濯やら本当に大変だけど、いつも言うように今が一番充実している時だと思い、頑張っている。自分で言うのもなんだが、よき母、よき主婦だと思う。ちょっとよき妻の部分は自認するわけに行かない。ごめんね、ジムさん。

夜は、北海道、ニセコで買ってきた「町長室日記」を読み始めた。また、逢坂誠二ニセコ町長のホームページを見た。リンクされている浅野宮城県知事のホームページを見た。お忙しい方々なのに頑張っているなあと感心している。狭山市長のホームページはどうなっているのかと思った。
23日(土) 今日は朝、娘をSOの陸上プログラムに連れて行きたかったが、彼女は起きられなかった。昨晩、薬を飲むのが遅すぎて起きられなかったようである。彼女の体調は中々理解できないところがある。ある時は薬がききすぎ、あるときは薬が少なくて発作が起きたりしている。困った。

午後は、池袋で前志木市長の穂坂さんの講演とシンポジュームに出かけてきた。本当はシンポが終わり次第帰ってこようと思ったのだが、地震がひどくて帰れなくなり、懇親会に参加した。穂坂さんは町田潤一さんと県議会で同期だったそうで町田さんのことを惜しんでいた。町田さんは死んでからの方がよく言う人が多い。まあ、今より経済的にもっと楽な時に市長だったので好きな施策を実行できたという面もある。

夜、8時過ぎになって、グリーンハイツの納涼祭に出かけた。盛大だったが、あちこちでもう自治会の納涼祭ができなくなっているという話を聞いた。お招きした自治会長も中々お出ましにならないという。自分のところが呼べなければ、出かけにくいというのも分かる気がする。少子高齢化で地域から元気が少しづつ消えていくようだ。
22日(木)
30600カウント
今日は臨時議会。朝、控え室に行ったら、昨日の代表者会と議事運営委員会の報告を受けた。そこで、私は驚いてしまった。昨日、旭山動物園でいっしょだった中川さんは議運の副委員長である。彼は議運に出ずして視察に行ったらしい。議会では、優先順位がハッキリしていて、市民の付託を得た以上議会の出席は義務である。だから、私は視察に臨時議会が掛かったら、視察に行くなどもってのほかで、4月からの準備が無になってしまうと心配したのだ。

委員会は議会の次に来る。勿論公務だから視察で欠席は難しいであろう。協議会ともなれば一応は非公式なものだから、多少は緊張がほどけるのだが、それでも私用で休む時でもそれ相応の理由が必要なのである。議長にお許し願う旨をあらかじめ私はお願いしたりした。そもそも体調がよっぽど悪くない限り休む事はできないと私は思っている。視察は公務だから、この場合、視察を優先しても許されるだろう。

委員長、副委員長というのもこれは条例で定められている役目である。肩書きがつくと襟を正すというか、責任が重い。委員会の舵取りというだけでなく、委員会を代表することになるのである。議長、副議長も大変なんていうのは言葉にならないほどの責任であり、体外的には議会を背負っているわけである。この仕事は法律によって定められた地位である。議長選挙で議長に決められた人は決まった時から顔つきが変わってしまうほどの重責です。

狭山市議会は形式的であるかもしれないし、古い体質の議会かもしれないが、議員が公務を遂行しているという意味では厳しいのは当たり前ではないかと思う。それだって、忘れたり寝坊したりして時間に遅れる議員だっている。そういう時は議長に呼ばれて一応は叱責をうけ、書類を出す。議会では建前として、本人の健康状態と近親者の命に関わること意外は欠席は許されないという立場をとっている。親の死に目に会えなかった議員もいる。それはちょっと酷過ぎるのではないかと私は思っている。そのくらい、市民の付託を受けているのだから、議会には真摯に出席しなければならないと狭山市議会では教えられている。

私は、狭山市のこども動物園を改善はどうしたらよいかを9月議会に載せようと思っている。だから、視察を組んだ。それについては、中川さんにも他の議員にも旭山動物園に視察に行くことは言っていた。「よかったらごいっしょに」とも確かに言ったが、本当にいっしょに視察することになろうとは考えもしなかった。だって、6月議会の最中にそんなことを彼にも言ったが、「いっしょしよう」なんて誰も言わなかったからである。

ところが7月14日だったと思うが、議会事務局に他のようじで電話を入れたところ、中川さんがいっしょに動物園に行くので、手続きをとったという話であった。私は、何にもそんな話を聞いていなかったので、驚いた。そうしたら後に中川さんから電話があり、「6月にいっしょに来てもいいと言っていたジャン」というので、私は「それは1ヶ月も前の話で、できれば手続きする前に私に一言あってもよいのではないか。でも、向こうの議会がよいというのなら、いっしょしてもよい」と答えた。

21日に中川さんとは動物園にで会った。旭川市の議会職員、動物園の副園長、私、私の友達の2人の市議会議員も一緒だった。動物園と科学館を中川さんとごいっしょしたが、科学館で私や友人は先にでたので、その後、彼がどうしたのか分からない。私は彼が委員会を欠席して視察に来ていたことも知らなかったし、思いもよらないことだった。私にとっては、議会が1番。視察でも私の場合、一人なので個人視察と変わらないので、議会、委員会、全員協議会のあるときは遠慮している。だから、驚いた。それなのに、まるで私が中川さんを誘って視察に行ったかのように、ある議員達からいわれたのには驚いたを通り越して唖然とした。しかし、決してそんなことはない。彼は来たかったから、来ただけなのだ。旭山動物園が魅力的だったのだ。

私は、視察の工程を粛々とこなし、目的を達成して昨日かえって来たつもりである。中川さんがいようがいまいが、私は動物園を視察した。旭山動物園の視察などは4月の初旬から準備し、旭川に友達の市議会議員がいてこそこの時期に実現したのだと思っている。中川さんだってこの視察をアレンジする難しさを知っていたと思う。だからこそ、今回彼は私といっしょに視察したかったのだろう。でも、私としては彼は自重すべきだったと思っている。副委員長として、委員会に出席するべきだったと思う。私の目から見ると中川さんの行動は軽率に思える。

私は、中川さん以外のどの議員が視察をいっしょしたいと言ったとしても、どうぞと言うと思う。特に今回のように私だけでなく、他の議員もいるときには世間様になんら恥ずかしいことはしていないのだから、尚のことどうぞと言うと思う。議員であれば、たとえ男性議員であろうとも、同じ物を見、聞きすることで市政に対して同じ課題を共有できると思うからである。でも、今後は少し考えなければならない。だって、委員会をすっぽかして(代理を立てたとしても)視察しようという議員もいるのだから・・・
21日(水) 朝、疲れて7時半までおきなかった。9時40分に友達がピックアップに来た。「すぐ近くよ」というので、車で5分ぐらいなのかと思ったら、30分ぐらい掛かった。北海道の時間と距離の感性は本土の私達とは大違い。1分2分の遅れにも喧しい狭山市議会の議員としては(他の市議会はかなり時間にルーズなところもあるそうであるが・・・)いらいらすることおびただしい。精神修行のような気がした。

とりあえずは旭山動物園を視察した。旭山動物園は日本では今一番入場者の多い動物園なのである。年間140万人も人が行く。狭山市の動物園のリニューアルのヒントがほしいと思い、視察したが、見るもの聞くものとても興味深かった。行動展示、生態展示という概念での動物園作りが楽しかった。夜の動物園について、動物関係の絵本の読み聞かせなど参考になるところが多かった。何しろ赤字とはいえ、一般会計からの繰り入れがなんと5千万円というのは少ない。狭山市の小さいこども動物園ですら1億2千万円の持ち出しである。オリジナルグッツもセンスがあり、楽しかった。本当はオラウータンの桃ちゃんのストラップを買いたかったのだけれど、お土産やさんを覗いている暇が5分となくて桃ちゃんストラップを見つける事ができなかった。動物に名前がついていると本当に親しみがわく。

それにしてもオラウータンの空中散歩はすごい。オラウータンのオスは大きくたくましかったが、妻は彼の半分ほどしかなかった。2歳の桃ちゃんというオラウータンも本当に可愛かった。ユキヒョウは木の上で寝るのが好きだそうで網の上で寝ていたが、その下に人間がいけるのは楽しい。触りたくなった。ペンギンさんの水槽の下も人間が通れるトンネルがあり、頭の上をペンギンが泳いでいるのを見るのは変な気がした。いるかの水槽は上下に2層になっていて、その間にとんねるがあり、今度はいるかがトンネルを通っていく。発想を帰るとこういう動物園ができるのかと嬉しくなった。サル山だって、ぜんぜん違う。堀の遠い向こうにいるお猿さんを見るというのではなく、目のまん前でえさを食べていた。もぐもぐタイムって言うのがあって、おやつを食べる動物を見る事ができるのである。ここに書ききれないほど、新しい試行がなされていた。小さい狭山市のこども動物園にあの動物園のコンセプトの何分の一でも導入できることを願う。

午後また食事をする暇なく、科学館がオープンするのでプリミアムに友達の議員が招待してくれた。旭川議会に友達が問い合わせたところ1時半からというので急いで行った。40億円のゴージャスな建物。こんな箱物を作って大丈夫かと思うが、旭山動物園とセットで全国に売り出すようである。すごいとしか言いようがない。市の経営の仕方もいろいろある。それにしても、旭川市は36万都市。合併していたら、こんな街づくりも考えられたのにとまたまた悔やまれた。言っても仕方ないが、合併反対派の中川浩さんが動物園をいっしょに視察していたので、恨みがましく言った。彼はノーコメントであった。

業務連絡:狭山市こども動物園の皆様、園長様、どうか旭山動物園を見てきてください。8月12日から16日までは夜の動物園も開かれるようですから、是非是非行ってみてください。お願いします。HPや本ではよさは分からないです。

とにかく忙しく5時20分出発の飛行機に乗るため、5時に飛行場につき、頼まれていたチョコレートを買い、急いで機内へ。目が回るような1日である。帰ってきたら、10時過ぎていた。疲れた。足が浮腫んでパンパンにはれ上がっていた。お風呂に入り、血行をよくして寝る。
20日(水) 朝9時8分のバスで札幌に行くはずだった。バスが来なかった。昨夜フロントで来ることを確かめたのに、来なかった。週末しかバスがホテルに止まらないのでそうだ。それから、もう大変でスケジュールを調整した。バスで又新千歳空港に行った。後も先もバスだけしか通らないような道を新千歳空港まで行った。運転手は早くつき過ぎないようにするといったので、時間通りに着くのかと思ったら10分も送れた。渋滞もなく、乗降もないのに時間通りに行かないのは北海道らしいことなのか。急いで電車で札幌に行き、駅からはタクシーで円山動物園視察へ。

待っているはずの、札幌市議会職員は待っておらず、え〜〜〜〜。でも、動物園の職員さんが視察の対応をしてくださった。政令都市の動物園。寂れているとしか言いようがなかった。それでも、年間60万人が入場するそうである。ふ〜〜〜ん。お話を伺い、動物園を視察し、狼のアンコとキナコの絵のついたストラップと1歳のキリンの繁次郎のマグネットを買って帰ってきた。

夜は旭川泊。友達の旭川市議会議員と落ち合い、楽しく食事をした。昼ごはんも食べられない日程で疲れ果てた。
19日(火) 朝4時に起き、5時20分の電車に乗って羽田に向かった。腰が痛いのでできる限り荷物を少なくし、その上すこし大きかったが、キャスター付きのバックで行った。他市の議員と待ち合わせ、8時に羽田発。順調に10時に新千歳空港に着いた。今度は7月1日から運行のニセコ行きバスに乗る。途中道の駅で、おにぎり2個を買い、お昼ごはん代わりとした。そして、1時近くにようやくニセコに着いた。驚くなかれ、北海道のバスはバス停の名前を言わないので、どこに降りるか分からなかったら、2時間半ほど乗ったら、「ニセコ役場に行くなら通り過ぎましたよ」とバス運転手にどこかで下ろされてしまった。仕方がないので、近くのセブンイレブンに入り事情を説明したら、その人が役場まで連れて行ってくれた。

町民センターで他の市町村の議員50人ほどといっしょに街づくり条例についてうかがった。すこし腹が立った。5000人にも満たない街で一般会計規模は45億円だそうだ。16万都市の狭山市は430億だからどう考えたって、ニセコは住民一人当たり狭山市に比べずっと大きな税金を使っている。そのほとんどが交付金。1円も交付金を貰わない狭山市の議員としては納得できない。町民は合併しないことを望んでいますとのことだが、そりゃそうだろう。交付金を貰い優雅にしていれば、今こそよいのであって、何も合併して苦労したくないはずである。でも、後2年で2割行革すると言うのだが、できるのかしら。99人もいる職員をどう減らすのか見ものである。

夜はニセコ泊。羊蹄山がきれいだった。空気もきれいだった。感激した。
18日(月) 明日の視察に向け、安静。容易のための買い物。
17日(日) 今日は安静に徹している。礼拝も座っているのがたいへんだから、行かなかった。寝たり起きたりして、火曜日に備えている。高校野球が気になってコンピューターを付けっぱなしにして、経過を見ていた。まあ、応援したところは勝ったようだ。
16日(土) 今日はぎっくり腰のため安静に過ごした。聖望学園高校の野球の試合が反応市民球場であったのにも行けなくて、夫と息子2人が観戦に行ったので、携帯電話で状況を確認しながらいた。つまらな〜〜〜〜〜い。とにかく勝ったらしい。明後日、初雁球場で所沢北高校と戦う。観戦に行きたいが、腰次第である。今はコルセットを閉めている。コルセットをしているとすこしらくだ。

ぎっくり腰には安静が一番ですって。でも、寝てばかりいられないのが辛い。
15日(金)
30400カウント
今日は朝、議会報告会だった。10時過ぎからいつもの通り小さいグループで行った。今回は3B体操というのと抱き合わせ。この議会報告会はいつも報告のほかに何かをするのだが、楽しみに毎回きてくれている人もあり嬉しい。今回1時間ぐらい話した内容で、文字に出来ないことを楽しそうに聞いていてくれる人がいた。公表できなくても議会や市政の中には様々な事がある。今回合併の話が又蒸し返され、私がなぜ合併に賛成したかを話したら、反対したという人も考えを変えたようだった。でも、遅いね。

合併に関しては「超党派の議員合併勉強会を又始めたらどうですか」という意見を支援者から伺ってはいるが、私にはそんなことに努力する思いは今は出ていない。きっと状況がもっと悪くなった時にまた合併の話が出てくるかもしれない。今はダメ。

午後はスタッフと昼食。又パステルによってデザートを食べた。まあまあのいり具合だったが、職員が多すぎるのではないかと思った。人件費はすこし考えるべきかもしれないと思った。それと、障害者をもっと雇用できるような気がしている。

夜、地域懇談会に出るつもりだったが、ぎっくり腰の痛みにたえかねて、パスさせてもらった。明日の予定もキャンセルした。十九日からの北海道視察に向けて体調を整えなければと思う。

飯能高校野球部が今年も1回戦を突破できなかった。どうしてだろう。実力はあるのに、コチコチになってしまう悪い体質をどう克服するのか。細田先生、頑張って。息子は応援に行ったまま、夜になっても戻らない。今日はOB会状態なのだろう。
14日(木) 今日は昨夜のぎっくり腰が痛くて動けなかった。でも4時前にバッファリンを飲んで痛みをとめ、議会事務局に行き、その足で、社福会館に行き、パステルに対しての経営改善会議。まだまだ改善策は煮詰まらない。売りあげが毎年下がり、赤字。材料費が45%。人件費が60%。雑費を入れれば赤字。このままではすぐに経営破たん。勿論、民間企業では倒産だ。
13日(水)
30300カウント
今日は午前中は事務所で仕事。午後は児童相談所に娘と出かけた。娘がテストを受けている間、所沢市立松井公民館のなかにある“レストランふれんず”に行った。責任者はいなかったが、メニューや体制を見てきた。パステルはもっとよいオペレーションをしていると思ったが、値段の付け方が違った。他のところも見てみようと思っている。
12日(火) 今日は朝「風の森みどり保育園」に視察に出かけた。木がたくさん使ってあるキレイな保育園だった。3,4,5歳の混合保育も面白いなあと思ったし、0,1,2歳の保育室もそれにその子供達用のトイレも合理的に作ってあった。0歳さんが可愛くて可愛くて。1歳さんもよちよち歩きが可愛くて。私は本当に家庭保育園や保育相談事業をしたいと思った。まあ、市議会議員をしていて、私のような活動をしていると不可能かなあと思ったけれど。それでも、可愛い子供といられる仕事は羨ましい。

帰ってきて児童福祉課で話し合った。幼保一元化は一体どうなる事だろうか。地域支援センター、子育て支援事業などの推進がどうなるのか実際のところよくわからないので話しこんでしまった。その後、昼ごはんを急いで食べ、議会事務局によって、昨日の防災会議に局長代理を立てなかった事をなじり、農政課に行き、笹井の農地の整備事業について聞き、1億300万円掛かるとの事、94権利者がいること、整備事業組会が作られたことなどを聞いてきた。げんぶは7%ぐらいだそうで、区画整理事業に比べれば低いげんぶであるが、そんなことしない方がよいという人もいてもおかしくない。計画通りには進んでいるようである。

急いで、中学校の保護者会へ。知っている人ばっかり、それも少数で気心が知れていて、久しぶりに会ったという気がぜんぜんしない。娘の進学が近づいている。将来が将来で無くなっている。あの子は一体どうなるのだろう。どんな道が備えられているんだろうか。祈るしかないのか。その点、息子は中学受験しており、大学まで試験がないのはホッとする。将来に備え、息子がしっかり勉強してくれるとよいのだが、私は彼の勉強している姿を見た事がない。あ〜〜〜〜〜あ。(-_-;)
11日(月)
30200カウント
今日は朝、防災会議の傍聴に出かけた。あまりにも会議が無意味なのになんとも言葉がない。女性が入ろうが入るまいが何の意味も成さないかもしれないと思った。説明のほか、一切意見の出ない会議なんて、何のために忙しいところ人を集めるのだろう。防災会議をしたという事実を作るだけのためか。国の防災会議の会議録を読み、きっと国の防災会議の縮小版だと思って出かけたのだが、何たることか、国の方が実際もっと実質的な話し合いをしているのだった。少なくとも出てきた人に意見を官房長官は求め、意見を求められた人は事前に用意してきたことをしっかり述べている。それなのに、一言の意見も言わせず、何を議題としているか分けの分からない説明をし、参考資料も少なく、何のために会議を開いたのか分からない。

分かったのは、後の消防からのデモンストレーションと自衛隊の人の講義だけだった。防災会議って何?何のために開くの?

午後は「親の会」の人の作業を手伝ったが、私一人で怒り来るっていたような気がする。だって、全くおかしいんだから。年をとり過ぎて朝から夕方まで怒っている。社会福祉協議会の姿勢だって私にはまだるっこい。あ〜〜〜〜〜〜。高血圧になって倒れないことを願うのみ。(-_-;)
9日(土)
30100カウント
今日は朝、就職セミナーを視察にユースプラザに行った。就職のためのセミナーではコンピューターを使い、また、よく開発されたノウハウを使い、いかに自分にあった職業を選び、就職するかを懇切丁寧に教えてくれていた。すごいなあ。22人も受講者がいたのにも驚いた。やはりこういう需要はあったのだね。男女、年齢も34歳まで不問にしたのがよかったようだ。それにしても、女性が大半だったが、女性の就労意欲が高いのか、それとも男性は面子があって就職セミナーに参加できないのか、またまた、すこし考え込んでしまった。今日来た人たちが、就職できる事を願う。

次に久しぶりに中央児童館へ。親子スペースがなんとなく、優しい感じになっていて良かった。今日は児童クラブがあったのか、ジャガイモをゆでて食べていた。私もご相伴をした。おいしかった。新しいプラネタリウムのプログラムができたとかで見せてもらった。とても素敵だった。池原昭二先生は狭山市の宝だ。本当に素敵な絵を描いてくださって、それがユニークなアニメーションになっていた。1年に2作作っているというがその成果としてリピーターも多く来ているのではないかと思った。今日は子供達がたくさんいた。子供の遊ぶ声を聞いていて幸せだった。お父さんやお母さんもいっしょに遊んでいた。これでよい。

その後、今日から始まった妖怪展を見に博物館に行った。マニアには堪えられない展覧会なのかもしれないが、私にはどうって事のない妖怪たち。二階にある展示物もきっと映画を見れば「へ〜〜」って物かもしれないけれど、私にはどうって事がなかった。すこし怖いのかなあと心していったし、きっとお化け屋敷があるのだろうなんて思って言ったが、何の仕掛けもないので、すこしがっかりした。娘も友達を誘って行ったらしいが、何にもコメントがないところを見ると、あまり面白くなかったんだろうなと思った。館長にすこし怖くしてとお願いした。赤ちゃんは怖くてなくかもしれないけど。夏休みには妖怪が歩いているという話だが、どうも博物館の妖怪は栄養状態がよすぎるのになりそうである。幽霊は昔は細かったが、幽霊と妖怪とは違うものなのかなあ。よくわかりません。

3つの事業を今日視察したわけだが、共通して言える事は、主催した市の職員がどれもどこでも嬉しそうだった事だ。就職セミナーは参加者が思いのほか多くて嬉しそうだった。児童館は館長はじめ児童館職員が子供と接していて嬉しそうだった。博物館はもう趣味の世界ではないかと思うほど、博物館に入れあげている人たち、勿論楽しそうに嬉しそうに説明してくれた。そんな職員さんたちを見て私もとても嬉しかった。なんだか幸せに感じた。

今日はその後ショッピングをして帰ってきた。珍しく一家5人で夕食。娘の友達が今晩泊まっていく。
8日(金) なんだか訳が分からないほど忙しい。午前中にネットニュースを発送準備をする。人が来た。午後は郵便局へ。サティーでJTBによって、本を買って帰ってきたら、6時を過ぎていた。御飯のことを子供に頼み、中央公民館に行った。「皆で狭山の未来を考える講演会」が開かれたので聞きにいったのである。

もっともだと思いながら話を聞いた。わが意を得たり。勿論、私も講師の藻谷浩介さんが使った資料を用いて、合併の話し、狭山市の未来についてを議論してきたのだから、同じような結論になるのは当たり前である。高齢化する狭山市、それもかなり早く高齢化する狭山市をどうして行くか。男女共同参画を強力にすすめ、中高年のすみやすく、元気でいられる街を作り、町並みや家のグレードアップをはかり、バリアフリーにし、それでもきっと大変な市政であろう。人件費の減少はすぐに高齢化による介護保険、国民健康保険、老人健康保険で食べられてしまう。

帰ってきたら10時を過ぎていた。
7日(木) 今日は午前中議会だより委員会。レイアウトなど突っ込んだ話し合いをし、視察に行かない事などを決めた。指定管理者の募集が始まっている。先の議会で施設のビジョンを語ってもらったが、それが募集要項にどう反映されているかホームページを見た。私は、毎日狭山市のホームページを見ているが、見落としているところも多い。それにしても狭山市のホームページも情報がたくさん担ったものだ。素晴らしいね。(珍しくほめています。(*^_^*)

午後は事務所でネットニュースを作った。印刷を終え、挨拶状もそろえた。明日郵送する。これで仕事を終えたと思ったら大間違い。次から次へと仕事は続く。忙しいね。
6日(水)
祝 30000カウント
今日これを書こうとして、その前にカウントを確認したところ、30020だった。とうとう、30000カウントを突破した。すご〜〜〜い。ありがとう、見ていただいて。読んでいただいて。(T_T)(感激の涙です)でも、でも、誰が30000カウントをゲットしたのでしょう?Sさん?Iさん?メールください。待っています。

今日は朝、喫茶パステルでボランティア。というか、私は4時間ぐらいじっと喫茶のオペレーションがどうなっているかを見たかったのだが、ちゃんとコーヒーの入れ方とか紅茶の入れ方などを指導され、2,30杯コーヒーを立てました。ちゃんと豆をひき、その場でコーヒーを立てるのだから、まずいわけがない。カレーも食べたし、ピラフも食べた。おいしかった。梨のタルトも食べた。おいしかった。ただ、人が来ない。その上、一人当たり今日は280円弱の単価なのだ。福祉店だと何であんなに安くしなければならないのかと思う。手作りのケーキが180円なんて、考えられない。レストランですよ、ここは。おにぎりが1個100円で、わかめスープまで付く。こうなるとおかしい。安すぎ。

今日はスタッフが6人いた。いつもは4人でするようだが、4人だって人件費が時間1200円。5時間で6000円。私が帰るまで、収入が11000円。材料費を出せば、黒字になるわけがない。コンスタントに黒字体質を作り上げるには、何が必要なのか。私はいくつか同じような施設を見て見なければならないと思った。今後は経費もかさむ事も考えられている。経営を改善するにはどうしたらよいか、改善策を作り上げなければならない。

久しぶりで、喫茶店で働き、嬉しかった。私は、学生時代が長く、お金もなかったから、若い頃は喫茶店のウエートレスだってしたことがある。だから、ああいうところで働いても身体がすうっと動く。不思議だ。
5日(火) 今日は午前中ネットニュースの原稿書きに励んだ。いくつか書き直しをし、1面を作り上げた。午後2時からは成人教育でエクスサイズをした。1時間半だったが、みっちり汗をかいた。気持ちが良かった。

その後、シャワーをし、ドレスアップして新都心へ。SOでトーチランの感謝の会がなされた。細川佳世子理事長も出席なさり、盛大な、でも心のこもった会だった。細川さんのメッセージ、演説が素晴らしくて心にしみた。とてもお上品なのだが、芯がしっかりしていて、SOを日本に普及するのだという強い決意でこの12年間を過ごしたとおっしゃっていた。私は先輩の女性として、見習いたいところがたくさんあった。私は細川さんにご挨拶して、「女性として今後の活躍をご期待いたします」とお話させていただいた。また、会の最中には、皆さんの前でお話をさせていただく機会をいただきありがたく思った。楽しく過ごし、友達が来るまで送ってくれえたが、帰宅したのは11時だった。疲れた。
4日(月)
29900カウント
今日は朝また読み聞かせに行った。とてもよく聞いてくれたが、きっと理解が難しかっただろうと思う。その後、反省会に出た。いろんな学年の読み聞かせの内容を聞き、本当に参考になった。「ストライプ」という本はきもちわるいし、心にドキッとする絵本だ。人に合わせてばかりいると、病気になってしまうというような話。あるお母さんは芥川龍之介の鼻を読んだらしい。もう、昔読んだし、きっと本も持っていただろうに、内容すら忘れていた。ボランティアなんて人のためにしているとは思わない。自分自身のためになる。それに本が大好きな人たちといると本当に心が休まる。(私が入ると他の人はぴりぴりするかもしれないけれど・・)

その後、急いで東京の岩波ホールへと出かけた。「ベアテの贈り物」という映画を見るために行った。この前、私はベアテさんの講演会を聞いて彼女の人柄がとても好ましく思い、この映画を見に行った。映画は彼女の半生、父レオ シロタさんの半生を中心に、日本女性が平等を獲得するための戦いが綴られていた。内容は、知っている事が多かったが、もう高齢になった先輩女性たちが女性の平等のために毅然と戦った事を証言していてとても嬉しかった。

赤松良子さんのご本に「私も市川房江先生や他の女性の平等のために戦った人たちの列に加われた事を光栄に思う」と書いてあったが、私も身近なところで女性の戦いを続けていこうと誓った。きらめくような女性の闘士に比べ、私がその隊列に加わる事ができると思っていなかった。しかし、狭山市という狭い中ですら戦いとらなければいけないことが少なからずある。これから続く女性たちのために、私だって戦える、戦っていようと誓った。
3日(日) 今日は朝礼拝。一昨日いただいた浴衣とバザーで残った着物をアルゼンチンに持っていってもらうことにした。もう、アルゼンチンに行くまでにお会いできそうもないので、今日お上げできてよかったと思っている。少しでも役に立てて嬉しい。

最近は原稿を書いてばかり、運動らしきものをした事がない。身体がごちごちで首は回らず頭まで痛かった。珍しく午後に予定がないので、入間の湯に行った。指圧をしてもらい、快汗湯にもはいり、ゆっくりした。帰ってきてビールを一口。おいしい。

やっとすこしストレス解消したせいか、車を入れてまっすぐ向かえのうちの方を見て、紫、ピンク、青、赤の色様々の花をつけた芙蓉が目に入った。昨日、今日花が咲いたようでもないし、去年だってきっと花が咲いていただろう。けれど、今日まで気が付かなかった。すこし緊張がほどけると自然の美しさやはかなさまで見えてくるのだ。貴重な時間だ。こんな時こそ豊かなんだなあと思う。1杯のアルコール(ビール)が私をゆったりさせてくれている。これも、今日予定がなかった事での私の余裕なのだと思う。1ヶ月に1度あるかどうかだけど、本当に休む事が必要だと思う。
2日(土)
29800カウント
30000カウントが目の前になってきました。ゲットの方はぜひともご連絡を。
今日は朝ニートの勉強会に富士見公民館に行った。ソーシャルワーカーの講演を聞いた。1つ心に残り、私もそうだと思ったことは、「育児に失敗はない」ということ。期待通りに育たなくても、それは失敗ではない。それに、過去のことをぐじぐじ言わない。こういう風にしたのがわるかったのねえ、こうしなかったからわるくなったのねえ、三つ子の魂100までって言うのに働いていたからいけなかったのだ、あれが悪かった、これが悪かった、私はこういう風に指摘するのは嫌だし、カウンセラーもしても仕方がないといっていた。悪かったのは取り返しが付かないのだし、それが本当に悪かったのかどうかなんて実際証明なんてできるわけもないのだ。

子供が自分の思うとおりに育たなかったから、それが失敗?私は子供に対してひどい言い方だと思う。先日、私が社会教育指導員さんのことをひどく非難したが、それは彼が自分の子育てが失敗だったと言った事がカチンと私の頭にきたのだ。子供がまるで失敗作品のことのように言うのは、日本独特の謙虚さの表し方なのかもしれないが、アメリカ人と暮らしている私には「そこまで子供を貶めなくてもよいのではないの」と思う。自分の子育てがなぜ悪かったのか、どこが悪かったのかを言うならまだしも、子供がこうしない、こうする、だから私は失敗したのだというのは論理的には思えないのだ。

“ニートの状態を受け入れてもよいのだ”というのが今日のカウンセラーさんの言い分だった。そういう一面もある。「自分の死んだ後、この子はどうなるでしょう」という親に「そのときはその時。死んだ後のことまで考えなくてもよいのです」といったとか。私は知的障害者の娘を持っていて、いつも遠い将来を思うと暗澹とするので足元を見るしかないのだが、「親の死んだ後のことは掘っておこう」とは親としては思えないなあ。娘の自立にむけてどうしようかと私は悩んでいる。ニートしている子供にホームレスにならない程度の財産を残して、好きなように生きるのを保障してあげておくか。ホームレスになってもその子供の生き様なんだと割り切るか。どっちもできない。

とにかく、幸せに生きていくのをよいとするならば、働きたい人が働けて、引きこもりたい人が引きこもれる社会がよいのか。私は今日も考え込んでしまった。マクロで考えれば、ニートは日本の財産を食いつぶしている事には変わりないと思うのだけれど。でも、それで屋台骨が折れなければ心配ないのだろうが、少子化の中ではどうなっていくのかと不安になる。マクロで考えれば、ホームレスが増えたり、生活保護者が増えるのは行政としてはこまるだろうね。個の視点と、社会の視点ということを言っていたが、難しいが対立しなければよいのだよね。
1日(金) 今日は朝電話を掛けて、浴衣をいただきに行った。昨夜メールで取りに来てくださいとご親切に言ってくださった。私には覚えのない名前でそれも入間市。ホームページを見てメールをしてくださったみたい。本当に、感激した。様々の情報を私はホームページで流しているが中々反応は鈍い。読んでいる人が役所の人場からだろうからと思っていた。勿論、時には北海道から時には熊本からメールが入ったりするけれど、そんなに頻繁ではない。

チラシ撒いても、それで反応があるのは10件。それでも私はありがたいと思っている。今回の浴衣は一応お願いしてみるかと反応を期待していなかった。1つ小さなボールを投げたところ、ちゃんと跳ね返ってくる。いつも言うのだが、私は一つ一つの支援者のこういう好意によって、一歩一歩議員の歩みが進められるのだ。支えがなければやっていられない。

「え〜〜、こんな事が支えになるの。」って言われるかもしれないけど、そうなんです。たとえ、「頑張って」の一言だって、私にはすごい支えなんです。ありがとう。

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私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。