私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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 12月 私の独り言 
 31日(金) 今日は、朝から忙しくパック。直江津に行くからである。お昼すぎまでに妙高高原を降りてしまいたいからだ。2時過ぎてしまえば、山の道は凍ってしまう。その前に山を降りなければ、たとえスタッドレスをはいた車でも滑ってしまうから、怖い。そのうえ、天候が悪いという予想だから、怖いです。山を通っていくのは。

10時半過ぎ、食料を積み込み、お昼用のマックを買って、たとえ吹雪になって車に閉じ込められても良いように。食料と水と、長靴とショベルを車に積み込んだ。何があろうが、万全の体制。お土産も昨日買ったし、忘れ物があったとしても、仕方がない。それで出発。

なんと1時半ごろには直江津まで来た。一度、小布施のSAでトイレ休憩をしただけ。山の天候が心配で、特に新潟に入る山は雪が多いので、真っ黒い色の雲が怖い感じだった。それでも、妙高に掛かると雪がちらつき、気温は1℃ぐらいになった。路面は凍っているので、かなりゆっくりに走った。新井になって、雪は雨にかわり、気温も3℃にかわり、少しリラックスできた。

祖父母の家に着き、少しゆっくりした。いつものごとく、早めのお風呂にはいり、年夜の挨拶をして、食事。いつもの通り、お寿司とすき焼き。お腹いっぱい食べ、山ほど飲んで(今回の酒はなんと越の寒梅だった。辛口で飲み口もすっきりしていて美味しいなあ)、2時間もなんだか盛り上がった。その後で、私達は家庭マージャンをした。大学生のジェレマイアの要望にお答えしたわけだ。あっという間に2時になり、寝る時間となった。

今年の最後のニュースは孝之介の婚約。明るいニュースで婚約者もいて、楽しく過ごせてよかった。こんな大きな家族に嫁いでくるのも大変だと思うが、ニコニコしていたところを見るとそれはそれでいいのだろう。来年は甥にも子どもがいるかもしれないなあと思う。それはそれで幸せだ。甥は皆に祝福されて結婚するのだから幸せものである。
30日(木)   今日は、買い物に午前中から出かけた。お茶を買ったり、食糧を買い込んだり、あっという間に1時過ぎ。お腹がすきすぎて、盛大に食べたら、今度はお腹が痛くなり、気分が悪く、横になった。疲れも出ているのだ。

夕方、息子を飯能に送り届けた。夜も軽くしか食べられなくて、その後はHPのアップをしている。実はすべき仕事はある。原稿書きだが、なかなか手がつけられない。一行目が出てこない・・・困ったなあ。
29日(水)   今日は朝から家事に励んだ。洗濯物は沢山たまっていたし、お皿は山ほどあるし・・・昨日までの緊張が取れて、沢山食べたい気持ちだが、夕方から忘年会があるので、節制。仕事は印刷したものを折り機に掛けて、三つ折にしただけ。2時過ぎに息子に駅まで送ってもらった。りそな銀行で新券のお金を用意した。まだまだ、私達はお年玉を上げなければならない甥や姪がいるのだ。

5時から大宮で元彩ネットの友達5人と忘年会。9時までの4時間を過ごして、一人5千円。飲んで食べて5千円というのは安いよね。2次会もなく、分かれた。1年ぶりにあったわけだけれど、ちっとも久しぶりな気がしなかった。私ともう一人が議員。後ひとりは元議員。後の二人はずうっとサポーター。小沢さんや枝野さんの話が出たが、民主党はだめだねという事で話が一致した。悲しい。この前は少しは期待していたのにさ。

10時半ごろに狭山市に着いたら、バスがあったので帰ってきた。飲んだビールも冷めてしまった。仕事もせずに寝る。
28日(火)   今日は、10時から所沢で写真撮り。大阪から写真家が来てくれて、セッションを行った。もう、顔が引きつってしまって、笑うに笑えない。モデルはどうしてあんなに表情豊かに写真が取れるのかと思う。頑張った。

3時過ぎにセッションを終えて、ポスターの試作を行った。まあ、何とか素敵なポスターになりそうである。ダイエットの効果があって、二十あごにならなかった。顔の線も前よりはおちたし、48歳の時のに比べてもそう年を取ったようには見えない。良かったなあ。ただ、問題はネットニュースである。しっかり作り上げたい。

帰ってきて、夕食を食べたが、気が緩んだ。息子と蕎麦を食べに近くの知人の蕎麦屋に行った。8時過ぎ、息子は友達と飲みに出かけたので、私は一人寂しくお酒を飲んだ。今まで、集中してダイエットをし、水気のものも最小にしていたので、体中が水気をほしがっていた。緊張が緩み始めて、何も出来ずに寝た。

もう、言ってもいいんだろうと思うが、田中議員が辞職した。県会議員に立候補するらしい。なんだかとてもショックだった。1期持たなかった。県会に行くと言うが、市議会に愛想を着かしたという事もあるんだろうと思う。私も1期目で辞めようと何べん思ったか分からないもの。馬鹿馬鹿しくなったことも何べんもある。それでも、選ばれたのだからと自らは辞められなかった・・・・なんだか寂しい。本当に寂しい。今後の展望が持てないなあ。田中さんとはどこか分かりあえるような物があったとおもったのだ・・・・
27日(月)   今日は午前中にあいさつ文の校正を行った。そして、ネットニュースの印刷とあいさつ文の印刷。私は1時過ぎには美容院に行き、白髪染めとパーマを掛けた。明日の写真撮りのため。なんと4時間もかかって美容院から帰ってきた。掃除をして、片付けていると、7時になり、エステの人が顔をマッサージに来てくれた。これで、もう、明日の写真撮りの準備も終わる。

でんぷん抜き、ご飯などの主食抜きの生活もすでに10日。ひもじくなってしまうのだが、今日でもう終わる。10日で3キロ落としたが、辛かった。

夜は、印刷物を折ったりしていて、小さな仕事を少しずつ行った。
26日(日)   今日は朝礼拝。今年最後の礼拝。牧師というのは大変な仕事だと思う。私には毎週こんなお説教は書けない。聖書の少しの箇所から人生を語り、神をかたり、神の力を語り、恵みを語り、やさしさを語り、自分達が同あるべきかを語る。お休みしなければ、大変だ。お茶を頂いて帰ってきた。

帰ってきて、昼食後、お風呂に行った。まだ陽が出ていた。こんなに明るい時にお湯に浸かっているととても贅沢な気分である。28日に向けて、顔のむくみを取るためにサウナに何べんも入った。入る前と後では、今回は1キログラムも体重が減った。体が水を欲しているが、ビールなんかを飲むとまた太るというか、むくむので少し自粛。28日までは辛い毎日である。

夜ネットニュースのイラストを張ったり、あいさつ文の原稿を作った。
25日(土)   今日はクリスマス。朝起きて、父母や弟夫婦から来たクリスマスプレゼントや夫と娘がおいて言ってくれたクリスマスプレゼントをあけた。勿論、息子達は、友達と一緒に出かけていて、今日も私は一人。午後から、トレーニングに行った。

夜、スカパーで夫が声を掛けてきたので、テレビ電話というか、パソコンで顔を見ながらの電話をした。不思議な世の中になったものである。一人で寂しいでしょうねという事で、電話をし、スカパーでのご対面になったという事。楽しそうで良かった。彼は大家族の人だから、30人のパーティだのは平気だが、私はもうとても大変である。だから、夫が大勢の中でパーティーを楽しんでいるのは嬉しい。私はパーティーが大嫌い人間なの。
24日(金)   今日は印刷を完了させた。午後には新聞社を回り、いつもの通りに広告に入れてもらった。もう12年も続けているから、お店の人もなじみになっている。読売さんは店長だった人が亡くなった。3期というのは、長い時間だ。ときどき、辞めたくなる。3ヶ月ごとににんじんをぶら下げられて走っているように感じる。疲れて当然である。議会のない時は暇でしょうというが、議会の後はレポートを作ったり、ネットニュースを発想したりで決して暇でない。

時々掲げている市議会議員という看板に押しつぶされてしまうような気までする。誠実にと心がけているのだが、これで良いという線がないから、自分を追い詰めてしまう。諦めてこんなもんさと開き直るのだが、それでも、もっと出来るかもしれない、もっと大変な思いの人の事をくみ上げなければならないんじゃないかと思ったりしてしまうのだ。弱い人の味方でいたいけれど、弱い人はあまり声をあげないから、耳を澄ましていないとね。こっちの感性がきちんとしないと、聞こえない声がある。そのテン、党の指令どおりに動けばいい人はいいなあと思ったりする。まあ、違った悩みもあるんだろうけれどね。

ダイエット続行中。

夕方、クリスマスイブなのに役所に行き、出来上がったばかりのレポートを配った。イブでも家に誰もいない。教会の礼拝もない。なんだか、本当に寂しいイブ。
 23日(木) 今日は午前中、ストライキ。というか、動くのも嫌だった。 毎日、毎日事務仕事が続き、息を抜く暇もない。それでも午後には食料を買いに出かけた。出かけるところが悪かったなあ、自分のスーツを見たかったが、売っていない。結局、百貨店に行くしかないのだ。

帰ってきて5時からユーストリームで岩上安見さんによる小沢一郎さんのインタビューがあると言うので、コンピューターの前で1時間以上に渡った番組を見てしまった。後半はいわゆる「政治と金」の問題を離れたせいか、小沢さんも楽しそうにお話をしていた。なんだか、目からうろこのようなお話もあり、小沢さんの冷静な判断力に魅了された。こんな政治家を葬り去りたいという人々が居るのは、いかがなものだろうか。

7時過ぎから、結局仕事に取り掛かり、明日印刷する議会レポートの1,4面を仕上げた。イラストも張って、少しは楽しいレポートにした(つもり)。夜、9時近くなり、エステの人が着てくれた。本当はもっと早い時間に始める予定だったが、お客様がいっぱいで遅くなったという事だった。「肩がこっていますねえ」といわれたが、こんなに一生懸命仕事をしているのだもの、肩だって背中だって凝って当然である。

今日も寝酒代わりにワインを飲んで寝る。これがダイエットにはいけないんだろうなあ。
22日(水)   今日は朝ジムと娘がアメリカに出発した。お父さんが亡くなり、初めてのクリスマス。お母さんが寂しい思いをしないようにと、ジムが娘を連れて出かけた。空港までは渋滞だったらしく、9時に出かけたが、12時までには着かなかったらしい。デューティーフリーショップから電話が掛かってきて、私がほしいお化粧を買ってくれたらしい。良いクリスマスプレゼント。だって、アメリカじゃ変えなくて、空港内にしか売っていない。

私は事務ヘルパーさんと印刷に掛かった。時間は掛かったが、印刷の予定数を片面だけ刷り上げた。印刷すると多少なりとも達成感がある。

夜は、ピラティスに出かけた。ピラティスの後、30分ほどトレーニングのマシンで歩いた。うっすらと汗がでて嬉しかった。夜はおにいちゃんは忘年会で帰りが遅かった。私はワインを飲んで寝た。
21日(火)   今日は事務ヘルパーさんが来てくれて、原稿の校正とイラスト入れ。私はその間にビバホームに行って、紙を買い込んだ。何万枚も買うので、搬入が大変。でも、ここの紙が一番安いから、来てしまう。毎回、議会レポートのためのインク代だの紙代や新聞折込代だのにとてもお金が掛かる。仕方がないなあ。

夕方からは1面に取り掛かったが、途中でもう頭が働かない。それでも頑張って、1面を仕上げた。明日こそコンピューターに座って、原稿書きはすまいと思うが、夜に書いた原稿に目を通すと、直すところがいっぱいある。

夜は入間の湯へ。体重が1.5キロ落ちた。もう少し落としたいなあ。でも、難しい。
20日(月)   今日は9時から建設環境委員会。西口のことがメインだった。下水のことをするのかと思っていたら、閉会された。下水の決議案について、審査することを要望した。来年に入って空になるだろう。

午後、またまた、議会レポートの原稿書き。嫌になるが、昨日の原稿を読むとやはり修正が必要になる。何べんも書き直す。少しでも市民に分かっていただけるように。夜中まで、書き続けた。
19日(日)   今日は朝礼拝。とても早いが今日がクリスマス礼拝の日だった。恒例のごとく、教会で寿司が振舞われ、美味しくいただいた。ケーキの前に私は退出。

1時から入間市でデモがあり、100人ぐらいの人と彩の国公園から仏子の入間川の河川敷まで1時間以上もかかってデモをした。とても暖かな日で、「検察の暴走は許さない」「検察審査会はおかしい」「政府は沖縄の声を聞け」「小沢さんは冤罪だ」「三井さんも冤罪だ」「鈴木宗男は冤罪だ」「検察審査会は憲法違反だ」などと、次から次へとシュプレヒコールを変えて頑張った。遠く新潟から来ている人もいた。千葉からの人もいた。話をすると同じ思いの人がいて嬉しく思った。

帰ってきたら、なんと5時ごろになっていた。疲れきった。今日こそ入間の湯へ出かけた。お湯で足の疲れが大分取れた。帰ってきてから、議会レポートの2,3面を仕上げた。
 18日(土)  今日は朝から議会レポートを書いていた。嫌になるほど、コンピューターの前で仕事をしている。家事もあるし、忙しい。

夜、サピオでトレーニングへ行った。明日のデモのための訓練。
 17日(金) 今日は朝から事務仕事。本当は原稿書きのはずなのに何も手がつかない。HPを書いたり、ウェブを読んだり、一日中何をしたのだろう。

今日からでんぷん抜きのダイエットを決心したが、出来るかなあ。 
16日(木)   今日は朝から事務仕事。でも、午後から萩山の病院に娘と一緒に行かなければならなかった。娘が脳波の検査を受けるので、その結果を聞かなければならなかったのである。結果は薬を変えたので、発作が少なくなっていたから、脳波も良くなったと思いたかったが、そんなにすぐに癲癇が治るわけがなかった。

来年1月に彼女は20歳になるが障碍者年金がもらえそうかと聞いたら、彼女は対象になりますという事だった。少しは彼女のお金が出来て、いつかグループホームにいけるかもしれない。それを心待ちにすることにする。2月にまた付き添いで行かなければならない。手間と時間とお金が掛かる娘である。

夕方5時ちょっと前に役所に行き、12000円も掛かった医療費の払い戻しの手続きをした。彼女が医療費も負担するようにしたので、検査などで12000円も掛かるとお小遣いがなくなって、貯金を引き落として、お小遣いにする。無理にでも少しずつ貯金させておいたのが役に立っている。

夜久しぶりにサピオにトレーニングに行く。1時間ぐらいしかトレーニングしただけだが、汗が出て気分が良い。また、土曜日に行こうと思う。
15日(水)   今日は朝から胃カメラ検査をすることになっていたので、石心会狭山病院へ行った。終わったのはお昼近かった。何も悪いところがなくてよかった。これで、すべての健康検査を終えた。なんと1年間で5キロも太っていた。困ったことである。どこも悪くないけれど、痩せなければ大変なことになるだろう。

で、考えているがダイエットが出来ない。なぜだろう。すべてが美味しい。そして、あれもこれも食べたいものばかりである。

6時半、娘と一緒にピラティスへ。8時に終わる。本当はその後に少しトレーニングをと考えていたが、体がついていかず帰ってきてしまった。娘とヤオコーによって少し買い物と思ったが、またまたいっぱい買って帰ってきた。だめだなあ。太らないようにしなければと思うが、出来ないなあ。
 14日(火)  今日は議会最終日。朝からなんだか緊張していた。議会事務局へ行って聞いたら、なんとこの議会で反対討論をするのは私一人だという。へ~~~!!!と驚いた。もう、共産党さんも議員削減に対する反対討論をする気力もないという事かと脱力の思いだった。

私は請願2号にも反対した。これは、全学校の校庭に芝生を敷くという事がそのうちの1つだったが、校庭を芝生化してしまったら、授業にならないことが多い。そんなことを言って帰ってきてニュースをみたら、大阪府で芝生を取った保護者が居たという。だって、本当に野球なんか出来なくなるんですから。少なくとも内野には芝生はいらない。アメリカのように、グランドが何面もとれ、用途別にグランドを作られればいいけれど、そんな土地の余裕はないわね。

それと道徳教育に関して言えば、指導法についてまで議会は口出しをすべきではない。政治の教育に対する過剰な干渉になってしまうだろう。この点もあり、反対だった。この請願もなんと反対討論をしたのが私だけというのはどういうことだ。と、まるで久美子オンステージのような具合で、4本も反対討論をしてしまった。最終日も午後遅くまでかかった。それでも、閉会するとほっと肩の荷が下りた気がする。

それにしても、最後の建設・環境委員長の報告の時に、執行部のお偉方が目を閉じてまるで寝ているかのようだったのには、隣の田中さんが怒っていた。発言の最中なのに手を上げて注意を喚起した。中川さんは「だから委員長報告じゃだめなんだ、決議を揚げればよかったんだ」と言っていたが、昨日議長は委員会報告には権威があるなどと言っていたけれど、執行部が寝ていて聞いていないんじゃ決議としてとっちめたくなるというもんだ。議会の権威なんかまるでないとしか言いようのない執行部の態度だった。酷いわ。

議会のあり方を問う声が議会内部から上がっている。2元代表民主制の中でどのような議会であるべきかという事が問題になる。きちんと執行部に対して態度を見せる努力をしないと市民には見放されるだろう。市長の追随機関などと言われだしたら、不必要という烙印を押されかねない。議会改革は火急の用件である。

それに、憲法で決められた議会にたいして、自治会長が議員の代理が出来るなどと思う間違った思いの人も出てくるかもしれない。それを議員が認めたような事をいう中川さんには驚いたというよりも、何年も議員をしながら、議員の代理が出来るかと問をしたが、彼は答えられなかった。だって、自治会長が議員の仕事を任されるなんて事をしたら、違法行為だし、今までかってさせたこともした事もないだろう。議員の政治活動に関してはシェアできるかもしれないけれど、それとこれとは別物である。

傍聴者が多く議会への関心が高まっているのを感じた。とても良いことだと思う。今後も多くの方々に議会に来ていただき、議員が議会でどのように頑張っているかを知ってほしいと願う。

帰ってきてどっと疲れが出た。昨日あまり寝なかったという事がある。尖閣諸島に関して意見書を出すのだから、提案者は少しは勉強しているかと日中友好条約のことや、日中漁業協定に関して質問したが、なんら考慮しないで意見書を提案したという。なんだか、情けない議員たちだ。少しは、日中の外交について調べたりしてから意見書をまとめることにしたのではなかったのか。私には何の話もなく、まとめるという報告しかなかった。勿論、賛成議員にもならなかったしね。それにしても、自民党から共産党まで相乗りの意見書というのだが、こんな問題に相乗りというのは本当に日本はどうなっていくのだろうか。平成ファッショといわれてきているが、どんどんそうなっているかのように思える。
13日(月)   今日は全員協議会が10時半からだが、金曜日に出すことを決意した決議書の提出をするためにいろいろ資料を作ったり、代表者などに会おうとしたが、時間切れで私と田中さん、中川さんの3人の署名で提案した。しかしながら、これが又すごい抵抗にあった。それは、建設委員会で決議についても審査をするという事になっていたのに、なぜ今かという事だった。私は、今出さなければ、決議の後の執行部の反応にたいしてキチンと判断できないからと答えた。それに議会としては、これほど明白な瑕疵のある事案にたいして、毅然と執行部に反省を求めたい策を求め、処分を求めるなければならないのが明らかなのである。

私の決議案に誰が反対できるのか、するのかが興味あるところだった。けれど、私は決議を次の議会の初日前までに建設委員会で話し合い、できれば建設委員会の決議としてまとめることに妥協した。このような事があるので、議会最終日の前日に全員協議会を開くことにしていたのだ。まあ、私が求めた建設環境委員会は開かれなかったが、協議会をもって、確認したのだからそれを信じることにした。もし、決議が建設・環境委員会で出せないのであれば、委員会協議会
で私は2月議会の初日に提案し、それについての採決を求めることを要望したし、議長にも直接申し入れてある。珍しく私も妥協したが、出来れば議会の総意として、毅然と意思をしめすほうが、私が個人として出すよりはもっと権威を意味(議会にとって)があると思うからである。

時間をとって、話し合いの場を多く取ったが、これはこれで良いと思う。何事もスムーズに行けば良いというのではなく、いろいろ皆で議論する中で分かってもらえたり、分からなかったりすればいい。

お昼はとおに過ぎて、議会の仕事は終わり。自分は4本の反対討論を書くことにして通告した。それで、議員定数を削減する議員提出案件に反対する原稿を書き上げた。5号は24人を21人に、6号は24人の議員を22人に削減するという内容である。狭山市はそれでなくとも法定数34人に比べ10人も少ないのにも関わらず、もっと少なくして市民にとってどんなメリットがあるというのだろうか。市民のニーズに対してさまざまな角度や視点で執行部に対応できるのには、議員数が多いほうがよいに決まっている。それなのに、なぜ削減しようとするのか。後で、反対討論を載せる。

帰ってきて、夕食を作り、食べ、お風呂に入ってから、今度は尖閣諸島問題の意見書への反対討論を書いた。いろいろ調べ、友達とメールで話したりして、書き上げたのは2時だった。
12日(日)  今日は朝いつものとおりに、礼拝。パウロは謙虚だとつくづく思った。それに比べ、私は・・・・比べる相手が違うか。

クリスマスが近づいてきたので、昼食とポインセチアをもって所沢の叔父のところへ。おばさんが入院したとか言っていたので、遠慮していたのだ。会えば、私のことは分かるし、元気そうで良かった。叔母も思ったよりも元気そうだった。頭が悪くなっただけなのよということで、脳血栓も溶けたらしい。良かった。

話し込んでいたら、2時になったので、帰ってきた。3時半過ぎてヤオコー前で演説をした。今年は暖かいから本当に楽だった。良かったが、1時間近くしゃべって終わった。聞いていてくれる人が居るのが分かる。ずっと、立って聞いていた。ありがとう。

買い物して帰ってきたらなんと5時。夫と一緒にマルヒロにクリスマスプレゼントを買い物に行った。チョコレートやクッキーやキャンディなど。日本はラッピングもただで可愛い缶のものも多くて買い物していて、ちょっと幸福な気持ちになった。その後、夫と「武士の家計簿」という映画を見た。この前、新書で読んだから、どんな風に映画にするのかなと思っていたら、淡々とした映画だった。お金がなくて、鯛が買えずに絵に描いた鯛でお祝いをしたあたり、少し悲しいけれど、そんな風に描かなくて良かったかな。下級武士が仕事に忠実にしっかり生きたという映画。良くこんなのが映画になったなあと思うが、落ち着いた映画だ。面白いとは言いがたいかな。地味だからね。

帰ってきて、ご飯を食べた後、HPを書いている。めが、チラチラしているし、明日のことも気にかかっているので、今日はこれでおしまい。11時10分である。
 11日(土) 今日は朝美容院にセットに行った。なぜならば娘が成人式の写真を撮りにいき、夫と娘と私の3人の写真も撮る事にしていたからである。10時に予約したので、9時半過ぎに出かけたのだが、帰ってきたら2時過ぎだった。本当に疲れたが、可愛い娘の振袖姿に私もうれしくなった。私は自分の時に写真すら撮らなかったが、あの頃撮って置くべきだった。振袖は今でも切れないことはないかもしれないが、成人式の娘のようでは絶対ない。時は残酷だ。元に戻ることはないのである。今の写真は今しか取れない。だから、娘の写真をとり、娘用と私達用のものを 作ることにした。まあ、驚くほど高かった。

帰ってきてから昼食をたべたら、あっという間に4時。私は急いでさいたま市、浦和に行って、平野貞夫さんの講演会に行った。とても有意義な講演会で、小沢一郎氏がどんな卓見と経験を持っているかが実感として分かった。辺野古案なんて馬鹿馬鹿しいという事も分かった。なぜならば、小沢さんが吹く官房長官の時に、代替案まで作り、高知県に基地を移設しようとしていたという。また、染谷さんという方が言うには、海兵隊はきっと本土に戻るのではないかという。なんだか、今の政権のやろうとしていることは、お子ちゃま内閣といわれても仕方がない。

ひとつ平野さんのいう事で怖いことは、今の内閣は自民党でもしなかったような軍事的であるという事。私も本当にそう思っているだけに心配である。偏狭なナショナリスト集団のようで、前原を先頭に怖いなあ。菅さんってああいう人だったのかと、一層市川房枝先生の名前を使ってもらいたくない。市川先生は「平和なくしてびょうどうなし、平等なくして平和なし」とへ宇和に関して、特に特に関心を持ち、そのために精力を使っていらっしゃったのだから。

かえってきたら、なんと11時を回っていた。どっと疲れた。今日はおにぎりだの、立ち食い蕎麦、サンドイッチみたいなものだけしか食べなかった。キチンと食事をする暇すらなかった。忙しい。
 10 日(金) 今日は朝電話で、昨日の決議文について田中さんと話をした。まあ、これで良いだろうという事になった。 それで午後には事務局へ行き、キチンと書類を出す手立てをした。何べんも小さなところをなおした。たとえばマニアルとマニュアルとなおしたり、菅を管となおしたり、助詞を変えたりという事。

さて、月曜日に私はすべての会派を回るつもりだ。委員長には電話ではなした。議長はなぜ次の議会まで待たないかというが、はっきり言って待てない。「次の議会のほうが総意がまとまるのではないか」という。そうかもしれないし、そうでないかもしれない。選挙がらみに利用されると嫌だ。変なパーフォーマンスに取られるのは絶対嫌だ。だから、婚儀会だ。ただ、議会として毅然と執行部にものを言うという2元民主制での議会のあるべき姿をここで示したいというのが、私の姿勢である。「あなたのためにはならない。」というが、私は自分のために何かをしようとしてきただろうか。今までの発言で問責などにさらされた時も、自分のために発言したのではなかった。今回は市民のためというよりは、実は議会のためという側面を強く思っているから、市民に分かってももらえないかもしれないけれど、いつか議会のためになればいいのさと思う。

賛同者が多いといいなあ。だって、言っていることはまとものことなんですよ。本当に。

ただ、引っかかるところは処分だらしいから、責任とけじめという言葉に代えた。私は、狭山市に倫理規定をキチンと作ったほうがいいといい続けている。コンプライアンス条例でもいい。議会は議員倫理規定(私はおかしい条項があると思っているが)を作った。それなのに、執行部は自治法の規定どおりとかいいながら、自らのけじめなどのつけ方には何の規定も持っていない。前も言ったが、始末書ひとつ書かせない。書かせたからといって、何も昇進を止めさせろとか、月給を下げろなどといわないが、せめても学生の反省文のようなものを書かせなければならないんじゃないか。

夕食後に、トレーングへ。汗まみれになったが、気持ちがいい。1時間ほど歩くつもりだったが、足が痛くなったので、無理をしないでやめた。今日は、ケンプとホロビッツのベートーベンのピアノソナタを聴き比べながら歩いた。
9日(木)  今日は朝から事務仕事。事務ヘルパーさんも来てくれた。なんだか、4時間なんかあっという間にたつ。夕方、議会事務局へ。そこで田中さんにあった。この前の下水道に関して、決議を委員会に出したけれど、その時には決まらず、来会の議会までサスペンドだという事で、決議を揚げようかどうしようかと逡巡していることを話したら、今期に揚げようという話になった。議員提出議案は議員の12分の1の賛成で提出できる。だから狭山市議会の場合は私ともう一人賛成者が居れば議員提出議案として成立する。

考えたが、田中さんが賛成議員になってくれるというし、今この決議を議会の総意として執行部に提案すべきだと決意した。私は、自分で議案提出の提出者となったことはない。この下水議案は本来ならば大島さんが提案すべきなので、私は出すぎたまねかなあと思う気持ちが強い。でも、大島さんは従来どおりのやり方で良いらしい。しかし、私はやはり議案として、決議として執行部へ物を申すべきだと思う。それが、議会としてのあるべき姿ではないかと思う。

なぜ今かというと、選挙に遠いという事がある。私は心底市長バッシングだとかの気持ちはない。あまり、市長選挙に近い時に行うとそんな事に利用されるんじゃないかという危惧がある。また、そんな危惧のために議会の総意が形成されずに今までどおりに流されはしまいか。そして、また今でなければ、三月議会で決議しても、決議の結果を見ることなく、私達議員は 選挙で改選されてしまう。もう、次には出ないという議員も居るのだから、次では解決も何も、ご破算になってしまうことも心配だ。

ということで、委員会でこの議会の後に話し合いをするという事になっていたが、先走るようで申し訳ないが、委員会に出した決議の題名をもっとマイルドにし、処分という言葉を削り、市民には文意がはっきりしないから少し分かりにくくなったかもしれないが、決議として出すことにした。後で、委員長には電話をすることにしよう。

事務局で後の動きを確認して帰ってきた。夕食後、文面を書き換え、賛成議員を求める文書案も含め、田中さんにメールした。
 8日(水) 今日は、朝ばたばたしているうちに過ぎた。お昼に娘と役所で待ち合わせて、医療費補助の申請の仕方を娘に教えた。私がいなくても出来るように教えなければならない。少しずつ、教え込んでいる。

お昼は役所で娘と一緒に食べて、分かれた。私は病院へ書類を届け、その後図書館へ。ちょっとのつもりだったが、図書館を出る時はもう4時。どうして時間は早く過ぎるのだろう。小沢征爾さんの演奏のCDを借りてきた。

6時半からいつものようにピラティスがあるので、6時前に夕食を食べた。ご飯もおかずの食べ残しも沢山あって、何も作らなくても良かった。でも、夫のためにお味噌汁だけは作ってから、出かけた。 

ピラティスはスクラッチみたいなものだが、使っていない筋肉を使うので、体がぼきぼき言う。でも、終わると気持ちが良くて、また来週も頑張ろうという気持ちになる。娘もついてくる。

夜はHPを更新。
 7日(火) 今日は息子の26歳の誕生日。「お母さんありがとうね」なんて可愛いことを行っていたが、私は冷たく「26歳にもなったんだから、自分の人生は自分で頑張ってね」と言った。いつまでたっても子どもは可愛いが自立を促すのも親の使命である。

夕方、この前取った写真が出来たと言うので買ってきた。一家5人で取った写真。今まで取った沢山の写真を出してみた。どの写真もついこの前のように思えるんだけれど、時間はたち、子ども達は育ち、私達は年を取った。

午後は、検査に行った。お腹周りが2センチほそくなり、血圧が124とメタボを脱したようだ。 ただ、体重が多くなったのがいけない。これで血液検査の結果がよければ、本当にメタボを脱却できる。結果が待ち遠しい。

夜は、トレーニング。小沢征爾さんの指揮のベートーベンの第9を聞きながら、1時間歩いた。汗びっしょりになったが気持ちがいいだけである。
6日(月)  今日は委員会で所管事務調査の件。西口再開発と下水道の手抜き検査について。

私は、下水道の手抜き工事に関しては「決議」を揚げるように提案した。結果として、もう少し時間がいるという事だった。会派に持ち帰りたいという議員もいた。私がなぜこの下水道の手抜き工事に対して「決議」を揚げるかというと、これこそが議会が見つけたことだった。それは、検査の手抜きを上司への報告もしないで 現場検査をした職員が行った不正検査であり、それら一連のことに関して処分もしなかったし、誤った図面をだした業者にも図面の訂正をさせただけで何も処分を下さなかったことであった。これは、大島議員の指摘で始まったことであるが、今日の説明を聞いても、あまりの杜撰さに開いた口がふさがらない思いのところがあった。5箇所中1箇所しか検査をしないで合格させ、見ていないところに間違いがあったこの職員になんと始末書一枚書かせないと言うのでは、誰も納得できない。ただ注意しただけだって。私は首にしろとか給料を下げろといっているわけでないのだ。

議会が不正を見出し、その処分に対して断固処分や将来への防止策を出すという議会のチェック機関として面目躍如のところで、正に議会は市民に対してその必要性をアピールできる仕事をしているのである。議会は今までおかしい事があるごとに、委員会などで執行部に文句をいうというか、お説教をするだけで終わりにしていた。大事にするのが怖かったのである。毅然とするよりは、なあなあと言うのではないが、言わば穏便なやり方で対応してきた。その結果、議会が何をしているかが市民にはわからなくなって行った。市民は議会が執行部の追随期間だと思うようになったのは、新聞が騒がなければ何事も穏便にという姿勢で、市民に議会の役割をキチンと説明しなかったせいでもある。

決議によるのと、委員長報告で言うのとどこが違うか。市民へアピールの仕方が違うのである。決議は議会便りで全文を掲載する。委員長報告は何を話したかぐらいしか紙面に載らない。これでは、実際に議会が執行部にどのように対応したかを市民は知ることがない。今までは、問題があったとき出来る限り分からないように対応してきたと言う事も多かった。文字面だけでは何が起こっているのかわからなかったのである。その結果、市民にとって議会が何をしているか分からないところとなり、議員の定数を削減しろという話に結びついていくのである。議会が自分で自分達の仕事を外にアピールしないでは、今後もこれは続くだろうし、そんなことをしていたら、議会は自分の首を自分で閉めてしまう。説明責任をどうするか、何が行われているかを最大限市民に知らせるにはどうしたらよいか。キチンと考えなければならない。議会は変わらなければならない。

委員会と協議会が終わったのは、なんと12時半を過ぎていた。私は請願の審査を傍聴したかったが、前の金曜日に終わっていたという。私はひとつの請願には反対の立場を取る予定である。子どものことを考えると校庭の芝生化が良いことには思えない。今の学習指導要領を考えると芝生になった校庭では学習を全うできないと思う。狭い水富小学校の校庭が芝生化されたら、100メートル競走も出来ないよ。

お昼にアミーではっちゃんにあったら、「高橋さん、本当に市役所にバスが来なくなるの。私困る」と言っていた。私は、「私もそうおもうから、議会で市役所にバスを入れてほしいと言ったんだけれど、だめなんだよ」としかいえなかった。本気に署名活動をしなければ。身体障害者が書類をもって役所に来ることすら出来なくなる。自立といっても公共交通機関がなければ、彼女や彼たちには移動が困難なのである。「駅まで5分といっても、私達には無理だ」と言う。本当に雨の日なんか傘も差さなければならないし。私のような議員が言うより、障碍者本人が声を上げていく必要があるという事である。何でも相談所があるというので、私が付き添って相談に行ってあげたが、相談された方も始めて聞いたようでそれは困るねと聞きながら困っていた。は~~~。

帰ってきてから食事をしたが、なんと3時を過ぎてしまっていた。

夜は、トレーニングに行きたかったけれど、どこもお休みなので、夫とお酒を飲んだ。秋に委員会で行った津山のお酒。美味しかった。
5日(日)  今日は朝礼拝。第1週なので聖餐式もあり、心新たな気持ちがした。いつもながら、牧師はメッセージが大変だと思う。なんと、献金を半分にしてほしいという、他の教会では信じられないような話があり、半分にした。なんだか、申し訳ないなあ。

午後は、娘と共に「狭山手をつなぐ親の会」のクリスマスパーティーに出かけた。楽しくて、娘も喜んでいて良かった。夕方、帰ってきた。今日は、息子のバースディパーティーをするというので、ケーキを作った。インスタントのケーキだが焼いて、ホイップを掛け、イチゴを飾った。パーティには息子の彼女も来て、5人でいつものごとく「 ハッピーバースデイ」を歌い、美味しい食べ物をたべ、ボードゲームをした。幸せな家庭。幸せな息子。幸せな親たち。神様に感謝した。ありがとう。

幸せはこのまま続くいていくだろうけれど、年をとり、家族は枝分かれしていくのだろう。私はまだまだ沢山の使命を与えられている。生きる意味もある。そのことに本当に感謝なのだ。娘が障碍者であること。このことすら、感謝に思える。語れば長くなるけれど、子どもの幸せを本当に祈っている。
 4日(土) 今日は本当に良く寝た。昨日のあかすりのマッサージが効いたのだろうか。目を覚ましたら、なんと11時。夫は祈祷会に行ったと言うし、教会にも行ったと言う。昨今、寝ている時間のない日々を送っていたから、自分でも目を覚ましたらこんな時間で驚いた。 

食事をした後、テレビをつけたらちょうどマリーナ・デートリッヒの人生をしていた。昨夜についで、女優の生涯の番組を見てしまった。女がキャリアに生きるという事の意味。何を捨て、何を拾っていくのだろうか。一番、興味を持ったのはマリーナなんてちっとも可愛くもきれいでもない女の人が、だんだんきれいに魅力的になっていくと言うところだ。昨日のビビアン・リーは才能あるローレンス・オリビエと結婚をし、そして自分をすり減らしていった。けれども、何本も映画に出て自分の神経すらずたずたにしても良い映画に出演し続けた。でも、最後の恋人は才能はあまり豊かではないけれどビビアンを愛してくれた男の人だった。

デートリッヒも不倫の関係でジャン・ギャバンと生活をしたが、結局破局した。ジャン・ギャバンの才能をデートリッヒは知っていただろう。デートリッヒは年をとり、映画に見切りをつけられた後、歌手として働いた。戦争がその間にあって、ドイツからアメリカへそしてフランスへと住む場所を変えた。愛人はいたが、夫や娘とは生活しなかった。まあ、男の人が彼女達と同じようなキャリアをもっていたら、きっと彼女達と同じように妻や子どもを置いて、愛人と動くような生活になるのだろう。批判もすることなく、淡々と女優の生涯を述べていたが、2人の女優からは心の傷を見てしまう。ビビアンは分かれた夫や娘、それにオリビエの妻や子ども達に対しての罪悪感。デートリッヒは帰ることの出来ないドイツとドイツ人への罪悪感。だからこそ、深みのある人生だったし、良い演技が出来たのかもしれない。

夕方からは、教会がするクリスマス会。市民会館で行われた。毎回参加している。クリスマスキャロルを歌う可愛い幼稚園の子どもを見ていたら、ついこの前子ども達が同じように天使のようにしてキャロルを歌っていたのを思い出した。お兄ちゃんはあの舞台で聖句も唱えたなあ。たった15,6年前のはなし。ついこの前のような気がするのは、単なる錯覚。でも、あの後からの事があまり思い出されない。仕事、仕事で勢力と心とを議員活動に集中してきたからだろう。

夜、珍しくサピオのトレーニングへ。汗をかいて気持ちが良かった。
 3日(金)  今日は委員会での議案審議。昨日、一応お勉強をしていたから、聞く内容については下調べをしておいた。公会計から企業会計に移行するにあたり、管理者を制定しなければならにガ、狭山市には管理者をおかず、市長に任せることになる。下水道管理者と市長との関係、権限の相違などを聞いた。なんだかよく分からないなあ。それで、企業としての下水道事業が回っていくのなら良いか。また、企業としてではすでに投資超過状態の下水事業を少しはシェイプアップできるかもしれない。第4期の市街化調整区域の下水道投資に関しては慎重にやってほしいと願っている。

さて、質疑は続き、結局は午後3時過ぎまでになった。それでも明るいうちに帰宅できたので、少しうれしかった。いつも、いつも帰りはくらくなってからだったから、お買い物をして夕食を作った。最近は、鍋物や、大根の粗煮などばかりだが、私の好物なので大量に作り毎日食べている。

久しぶりにトレーニングへでもと思ったのだが、なんだか疲れがどっと出て、行くのをやめた。で、結局は入間の湯へ。本当にぼおっとお湯につかった。珍しくあかすりをしてもらい、体が軽くなった気がする。議会開会中はどうしても気が張っていて、緊張が取れない。

夜中に録画していたビビアン・リーの生涯を見た。最後までみたら、もう2時だった。人の不幸の上に自分の幸福は築けるかという問い。私は昔からそれはしてはいけないと思うのだ。だから、私は若いときから妻帯している人と付き合おうとしなかった。勿論、そんな人は私にはよってこなかったけれど。(雰囲気で分かるのかなあ。)結婚後も、ジムさん以外の男性とお付き合いなどはしたことがない。神様に私はジムさんのような夫を持てたことに感謝している。のろけになると思うけれど、あの人の私への献身には感謝しかない。だから、ジムさんの好きな食べ物を作り、彼には良いものを着てもらいたいと願う。
2日(木)   今日は、一般質問3日目。中川浩さんの言いたいことが分からない。ぎゃんぎゃん執行部に言うのだが、何が言いたいのか分からないので、印象は執行部に噛み付いていると言う雰囲気なのだ。でも、なんだかいちゃもんをつけているだけで、執行部の痛いところをキチンと突いているとは思えない。私の一般質問もああだったんだろうか。自分のことはなかなか冷静に評価できないからなあ。

とにかく、言いたいことをキチンと整理し、問題点を明らかにしていないと対話にはならないと思う。いつもと言うわけでもないけれど、公明党の斎藤誠さんの質問は執行部との言葉によるキャッチボールが上手だなあと思う。彼の誠実な人柄が出ていることと、彼は一般質問に関しては必ずどこかに視察に行き、自分の目で見たことや聞いたことを参考にする。それが、私のつぼに嵌るというか、そういう姿勢のところが好きなのである。かっこいい事を大上段からレクチャーしたり、上から目線で演説をするという風は一切ないところも好きだ。痩せて飄々として見えるのも個性があっていい。身の丈にあったことを、庶民の言葉で語るって感じ。これは、正に私の姿勢じゃないの。でも、斉藤さんのほうがうまく出来ている。偉い。ところで、狭山市の公明党の議員は一人ひとり個性的だわね。

議会が終わってからは、建設部と下水道に行って、明日の議案のお勉強をさせてもらった。街づくりは何もなかったよねえ。

帰ってきたら5時半。6時に夫が駅まで送ってってほしいと言うので出かけた。夕食後は、ずっとHPを書き続けている。今日はこの辺で寝るが、もう12時半である。
1日(水)   今日は、一般質問2日目。他の人の質問を聞くと参考になる。やはり、議員には個性があり、党派のある人はきっと全国でこんな質問をしているんだろうなあと思うような質問をする。それもいい。ただ、多様な人がいることが大切だと思う。人が少なくなればそれだけ代表する人も少なくなる。心を掛ける所も、その議員のアンテナ次第である。議員削減を言う人がいる。何百人もいるようでは、削減も仕方がないが、24人しかいない議員を削減したら、自らを代弁してくれる代表もいなくなってしまうだろうと思う。

議会を終えてから、議会便り用の原稿を書き上げた。その後は、市役所の前の循環バスのところを写真に取った。4月からは市役所に茶の花号が止まらなくなるので、それをキャプションにした。

昨日は、夜7時から寝てしまったから、少しは元気。今日は、6時半に娘と二人、ピラティスサークルの練習があるので、市民体育館に出かけた。帰りは8時半過ぎ。テニス場に行き、テニスを習いたいねと娘と話し合ったのだが、でも、練習のお金が1万4千円では高すぎて無理だねっていう事になってしまった。いつか、二人でテニスをしようという話をしたが、出来るかな。

帰ってきてから、夫と二人で入間の湯へ。ようやくこの2,3週間の緊張が取れたように思う。一般質問の緊張は大変だった。
30日(火)   今日は実は眠られなかった。昨晩、横になったのが1時半。でも、ベッドであれこれ想定問答を繰り返していたら、3時半になった。4時過ぎに、寝るのを諦めて、下の書斎に下りて、言いたいこことだけをまとめた。大きな4問というのは、1時間の中でまとめきれない。それで、順番を変えてやることにした。昨日のことも、キチンという。

本当は、循環バスのことをゆっくりしたかったが、これを始めてしまうと、後の3問がまとまらない。あの、石頭の市民部は結果は苦情の山が出てくることも分からず、自分達のスケジュールを突っ走るそうだ。こんな利用者の声も、福祉施設の声も聞かず、私の声も無視してどんなサービスになるかだが、ひたすら利用しにくくなるのだ。それを理解もしないで、かってな変更をするなんて、役所のやりそうなことだが、馬鹿馬鹿しくって仕方がない。迷惑するのは市民だ。

何しろ、最近では珍しい完全徹夜。あまりにも、神経が緊張していて、質問が終わるまで眠気すら起きなかった。今日は、他市から議長などが一般質問を聞きに来ていたから、少し気負いがあった。私の前にした三浦議員は新人さんでとても心優しい人なので、きっと役人に「そのテンは答弁のしようがないので要望としてください」なんて頼まれたのだろうと思うが、突っ込みどころをすべて要望事項にしてしまい、役所の答弁を聞かなくて、私達、古い議員としては消化不良を起こしていた。

だから、少しは鋭く質問もしなければと思ったりしたのだが、何しろ疲れすぎていたし、論旨がしっかりしていただろうか。人様に分かっていただけたかなあ。質問するほうとしては、1時間なんてあっという間だから、もっともっと時間がほしいところだ。それにしても、少しお上品過ぎたかなあ。女性がぎゃんぎゃん言うというのがどうも私の生に会わなくて、それにあまりにも正義を振りかざすのは、恥ずかしさが立ってしまうのだ。神様に祈ってから行った質問だから、きっと神様もあのくらいでいいと思われたと思うことにして、自己嫌悪は止めにしよう。とにかく100点満点の一般質問なんか私には無理だものね。

質問が終わってから、体調が酷くなり、咳はでる。足は据わっていてもつってしまうと言う具合。終わり次第帰ってきたが、6人がほぼ1時間づつだったから、終わったのは4時半。ちょっと疲れました。
29日(月)   今日は、朝6時におきた。昨日、早くに寝たせいもあるが、議案質疑の質問項目を確認しておかなければならなかった。仕方がないなあ。

それで、9時から議会。質疑は出来る限り手を遅く上げて、他の方々が質疑をしたのちに質疑をした。それでも、いくつか質問し忘れた。は~~~、重要だと思っていたことだったのに。全体として指定管理者制度については、あまり疑問もなく、誰が指定管理者になったとしても、指定管理者が酷い運営をするわけでないと言う事が分かっていて良かった。

それでも、金銭的な理由があるのだろうけれど、 とても評判の良かった指定管理者がコンペから降りた。応募しなかったことがわかり、とてもショックだった。え~~っと仰け反ってしまった。なぜかは理由を糾さなかったようだ。他に応募者がいて、そちらもかなりお安くコンペに出てくれたから、教育委員会はいちいち理由を糾さなかったんだろうけれど、どうしても気になる、応募しなかった理由。

他の議案も多くの人が質疑に参加するようになり、議会も活性化しては来ている。とにかく、午前中に質疑は終わった。

午後、結局はヒアリング。あれやこれや。6時過ぎにはふらっと市長が議会事務局にやってきて、お茶していた私と少し話をした。嫌な話。言うほうもいやだし、聞くほうも嫌だったろう。でも、私としては、しなければならない。市長だって議員だったわけで、私の発言をどうこう言えば議員の発言を封じると非難されるだろうし、難しいのは重々分かっていて、ただただ、話を聞かざるを得なかったわけだろう。

市長と私の話を議会事務局長も聞いていた。彼は、建設環境委員会での話し合いの中身まで知らなかったらしく、唖然として話を聞いていた。本当は私がこんな話をするのではなく、委員会としてきちんと対応(委員会発議のけじめを求める決議)でもしてしまったほうが良かったのだろうと思う。まあ、6日に委員会が開かれるから、私がその発議の提案をして、他の人の賛同を得ればよいのだ。いつもの気負い。私が言わなければ、誰がこんな嫌なことを言うのか。と思ったんだよなあ。実際、他の人はこれに触れないし。それにしても信じられない。

まあ、30日には公表されるのだから言うが、下水道完了検査で5箇所中1箇所しか検査しないで合格を出した。ところが、建設環境委員会で大島議員がどうしても完了検査の下水の口径と西口開発事務所が持っている図面の下水の口径が違うと言うので調べてもらった。大島さんが職員に尋ねたところ、4箇所を見もしないで合格を出したという。課長が言うには、そんな手抜きは前代未聞でやったことがないことだと言う。もし、見ないで合格させることは今までにやったことのないことならば、どうして上司に聞かなかったのだ?勝手に見もしない現場の合格を職員だけで出せること、出したことは本当にいけないことじゃないか。どういう体制で仕事をしているんだろう。

これは関わった職員をすべて処分すべきことである。手抜き検査した職員を同じ場所で検査をさせ続けるなんて、信じられないほどの馬鹿げた事である。即刻、配置転換だけでもすべきだ。狭山市は手抜き検査、見もしないで合格を与えてくれると言う噂でも立てば、恥ずかしい。信用失墜だ。そして、見ていないので、書類が間違っていたことにも気がつかなかった。業者に正確な書類を後から出させて訂正させたのだが、間違っても後から出せばそれでいいなんて、業者に思われたら、検査するほうの権威の失墜と言うわけだ。

なんだかなあ。本当にこんな事が起きる役所でいいのかと情けなくなるのである。しっかりしてよ。検査はキチンと見てするものなのよ。例外があるとしたら、それは例外規定に従わなければならない。とにかく、たるんでいたんだろうと思う。こういう事があると、すべて誰にも誤りがあるとかばう。私も何も言わなければいいのかもしれないが、そうすると役所が腐ってくる。誰かが、キチンと糾さなければ。でも、本当はこんな事いいたくなんかない。自分に刃を向けているような思いで言うのである。分かってもらえるだろうか。
28日(日)   今日は昨日の疲れで起き上がれなかった。

夕食後、原稿を見たが嫌になったのでねた。 
27日(土)   今日は午前中、夫と二人で古いマンションを見に行った。お兄ちゃんがいつ結婚するのか分からない。住む家をどうにかしなければならないのだが、どうせ借りるならば安いところを買うと言う手もある。 そこで、見に行ったのだが、5階というのが少し気になるところである。子どもでも出来ると5階は辛い。でも、5階でもなければ私達が援助できる範囲の物件はない。二つも見たが、どうも気に入らない。まあ、息子達の考えもあるだろうしね。少し、話す余地アリ。

午後は、オザカラに行って、尾崎を歌いきった。気持ちいい。その後、他のところに友達と参入。赤坂から帰ってたのが、朝になってしまった。尾崎豊の誕生日は11月29日。プレバースディパーティーである。
26日(金)   今日は、議会は休み。でもとてもゆっくりは出来なかった。出来る限り、一人で考える時間がほしかった。でも、電話がいけない。ファックスも嫌いだ。がんがん掛かってきて、電話の後ろはファックス用紙がとぐろを巻く状態になっていた。10時過ぎに事務員さんが来た。原稿を読み返しながら、短く短く原稿を切り詰め始めた。

4時まえ、はっと気がついたら、私は指定管理者に関する書類を見ていなかった。少なくとも、会議室に開示されていた内容を見る必要があると思い、重い腰を上げた。 5時まで書類を見ていたら、同じ会社で同じ記載なのに、評定が違うものがあり、なぜこのように違うのか疑問に思った。何か恣意的なものが業者の選定に働いているとしたら問題である。後で、副市長に電話して聞いた。納得いかないので、議場で月曜日に聞くことにする。

事務局にちょっとよったら、次から次へのヒアリングのために人が集まる。これが嫌だから、名前に電気もつけず、ひっそりと役所に来たのにどうして私がいるのか、誰かスパイでもしているのかと頭の中は???である。不思議だなあ。結局、この日も7時まで役所にいた。

帰ってきて、どうしても頭の中がごちゃごちゃでたまらない。お風呂に入り、寝る。
25日(木)   今日は、議会1日目。午前中は議案の説明。午後は、3時まで出来れば一人で控え室にいたかったのだけれど、他の人もいたりして、自分だけで質疑を考える余裕がなかった。3時から7時ごろまでまたまたヒアリング。

ヤオコーにより、お惣菜を買って帰ってきたが、夕食後、とても眠くて寝る。 
 24日(水)  今日は昨晩11時過ぎまでお客がいて、その後、原稿を書いていた。夜中、3時ごろに書き上げ、メールで添付し、送付。夜中に書くと原稿をさっさと書き飛ばされるのだが、内容が過激になりがちだから、後で読み返さなければならない。 

それで、おきたのは9時過ぎ。家事をして、事務員さんが来ると一緒に仕事。HPの更新もあった。明日から議会なので電話がどんどん掛かってきて、仕事に集中できずイライラしてしまう。

お手伝いさんが家に来た。退院していたのは分かっていたが、このたびはしっかり療養してほしいから、出来る限り音沙汰なくしていたが、元気そうな顔を見せてくれた。もう大丈夫と言うが、心配である。でも、来月からまた職場復帰。来てくれるらしい。うれしいな。

2時過ぎに石心会狭山病院へ。乳がん検診である。マンモグラフィーを久しぶりで取る。聞いたら4年ぶりだそうだ。キチンと触診を受けた。お医者さんと話をしたが、いつまで乳がんの検診を受けるべきかだが、それは死ぬまでらしい。「先週、93歳と87歳と84歳の3人の乳がん患者を診ました」とお医者さんは言う。へ~~~。年をとっても乳腺がある限り、癌になるのね。そういえば、夫のおばあさんも74歳で乳がんで亡くなったんだった。17人に1人の割合で発症するらしい。怖いね。

子宮頸がんのワクチンの話をしたが、中学1年生から3回ほどしたほうがいいらしい。ウィルス感染だから、遺伝と言うわけでなく、だからこそ、ワクチンが効くようである。でも、なんとなく、このワクチンには抵抗がある。私が古いんだわね。体にウィルスを入れて抵抗力を増すわけだが、多少の副作用がないわけでもない。

ワクチンよりもHPVの検査を安く公費でするほうが私の趣味にあうなあ。これで、陽性になった時、精密検査をすればいい。ワクチンもその時ではおそいのだろうか。

役所に行ったが、結局帰ってきたのが7時を過ぎた 

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