私の独り言 2004年 
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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を、通します。

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kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています
5月 私の独り事
 31日(月)  今日は、朝ゆっくりしてから、家事。その後、1時から市民部のヒアリングをした。障害福祉、企画がきて話し込んだ。

夕方、所沢まででかけ、帰ってきたら、9時。今日は、プロペどおりで、こけなかった。先週は足をくじいてしまった。道路面がでこぼこしていて、歩きにくい。インターロッキングのような道路は一時流行したものだが、あるづらく、且、維持管理に手と金がかかる。バブルのときの遺産かなあ。ヨーロッパの石畳も固すぎて歩きにくかったのを思い出す。
30日(日)   今日は、朝起きてから、息子の洗濯を干してあげて、もう一回洗濯をした。お天気が良くて、気持ちがいい。私たち夫婦は車で沢渡まで行き、バスで上高地に行き、散策した。まず、大正池でバスをおり、梓川に沿って河童橋まで歩いた。日本に来て何年にもなるが、美しい上高地を夫に見せたかったのだ。私は大学の時には毎年、時には春や秋にも友達と上高地に行っていた。一緒に行った学生達はどうしているだろうか。40年前でも、医学部の学生はお金持ちで車を持っていたので、乗せていってもらったものだ。(男友達はいたけれど、恋人ではなかったのはどうしてだろう。そもそも、かわいげの無い女だったかなあ。)

大正池が変わってしまっていて、私は大変がっかりした。立ち枯れした木が朝もやや夕霧のなかにあったのを思い出すが、今ではもう2,3本がみっともなく池に立っているだけだった。焼岳はきれいだったし、薄緑色の木々や鶯の鳴き音も透き通った空気の中で新鮮だったけれど、私は昔を知っているだけに、失望感のほうが大きかった。

遊歩道もきちんと完備していた。時々、山々が良く見える地点があり、息を呑むほど雄大な景色に見とれ、カメラのシャッターを切った。お天気がすばらしくて、穂高岳がすべて見えた。昔は岳沢をとおり、西穂も奥穂も上ったものだが、今からでは無理かもと思う。時間をかければ、上れるかもしれない。夏に又来たいと思った。

石楠花もまだ見られず、つつじも無かったが、野の草花が咲いていて可憐だった。猿をみた。餌付けをするなというのが良くわかった。遊歩道のすぐそばまで来て、群れで戯れていた。若そうな猿だった。観光客は多いけれど、まだまだ自然が残っていた。帰ってきて、息子に松本にいる間に一度は上高地に行くように言った。

夕方、上高地から戻り、息子と落ち合って食事をし、今度は松本のブックオフにより買ってきた。9時過ぎに松本を出て、11時半には狭山に戻った。昔は、6,7時間もかかったものだが、今は近くなったものだ。でも、息子と別れるととても寂しい。あまり、会わないほうがいいかなと思う。
29日(土)   今日は朝少しゆっくりし、12時に家を出た。ちっとも渋滞も無く、2時過ぎに佐久に着いた。いつものとおり、佐久のブックオフで本を立ち読みして、いくつか本を買ったりした。最近私と夫はブックオフで本を買うのが楽しみなのである。くだらない本が多いけれど、仕事を忘れられる。

鳩山首相の昨日の決断は本当に腹が立って仕方が無い。どうして、閣議決定が必要なの?なぜ日米共同声明が必要なの?その説明だけでもしてほしい。なぜ、今沖縄のことを問題としなければならなくて、何で5月決着なの?今後の、参議院選挙をどう考えればいいの?いくら鳩山さんが宇宙人だとして私たちに理解できないとしても、少なくとも理解できるような説明がほしいところである。本当に今までフォローしてきた鳩山政権だけれど、今度という今度は虚脱感が付きまとう。小沢さんも本当にかわいそうだ。こんな首相の支援をしているんだもの。

鳩山さんは小沢さんが嫌いなのだろうか。内閣はわけのわからない、反小沢の前原、仙谷、枝野、岡田、長島、平野。こんな人間を集めて、マニフェストに沿わない好きな事ばかり言う内閣を作って、小沢さんを内閣に入れないで政権を迷走させている。小沢さんの力で政権交代したのに、寝首を掻こうとでもいうのだろうか。今まで、私は鳩山さんに3遍ほどあったことがあるが、最後にあったときは、あるパーティーでだった。あんなかわいい顔をしているが、政治家としてとあるオーラがあった。そのオーラは思ったよりも権力志向のオーラだった。もう、5年ほど前になるかな。もちろん、権力を志向する人間にはそれなりの物があるとは思うし、ぎらぎらしたところが無いのではやっていけないとは思う。悪いけれど、なにかサモシイ感じがしたんだよな、そのときは。

この政権で、全うに仕事をしているように見えるのは、亀井大臣ぐらいかな。彼は民主党ではないからね。後の大臣はしていることがちっとも見えない。法律は何が通ったんだろう。仕事をしようとすれば、あれほど衆議院の数があるし、参議院だって多数を取っているんだから、がんばれるとは思うんだけれど。

もう、きっかり小沢さんが総理大臣になって、しっかりした内閣を作って、仕事に励んでもらいたい。これが私の望むところである。官僚支配を脱するとか言いながら、やっていること(やらないことか)は官僚主導。まともに大臣をしたことの無い人間が、首相になったということが間違いだったのだろう。政権を小沢さんに渡すべきだと思う。鳩山さん、辞任したら。

夕方、別荘のありんこ退治をしてから、松本へ行った。松本で息子に会って、小さな誕生パーティーをした。31日は彼の誕生日なのだが、一緒にいられないので、今日、松本に来て、ケーキを食べ、食事に行った。遅くなりすぎで、居酒屋にいった。まあ、フィリピン人さんがしている店で、食べ物はそこで作っているからおいしかったが、うす汚い店でもうこりごり。一人じゃ行かないね、あの手の店は。子供もびっくりしていたんじゃないかな。かれは、チェーン店じゃなく本当の居酒屋なんて生まれて初めて行ったんだと思う。
28日(金)  今日は 家事を午前中にして、テレビを設置してくれるというので上新電機が来るのを待っていた。37インチの東芝のテレビでなんとコンピューターにつないでコンピューター動画を見ることも出来るし、BS,CSも、もちろんチデジも見られる。外部に1.5テラのHDDをつけて、DVDのリーダーをつけたので、借りてきたDVDも見られる。2面が見られるテレビで、もちろん2プログラムの録音もOK.とにかく、最新型のテレビの性能ったら私の頭の進歩を通り越しているのだ。

午後からは、昨夜に(といっても今朝の3時半までに)引き続きHPのアップをしていた。きちんと毎日アップしていたころに比べ、なんとレージーなんだと思うが、毎日本当に忙しくて、帰ってくるのが夜だったりして疲れすぎて、ご飯を食べて、メールをチェックするのが関の山になってしまうのである。

2時半からは役所へ行き、一般質問の関係のヒアリング。何も言うことなく、本当に書いてあるとおりの質問をしますということである。それでも、結局帰ってきたのは8時すぎ。ヤオコーで惣菜を買い込んで帰ってきた。明日からは長野方面に行くので、娘に食べ物を買ってやらなければいけないと思った。
27日(木)  今日は午前中家事が忙しかった。月末だから、お手伝いさんがいない。お昼をたべてメールのチェックをしていたら、すごい雨が降ってきた。せっかくの洗濯物が雨に当たってしまった。取り込んだけれど湿っていたので、乾燥機に入れたりして、手間取った。

1時半、役所へ。車を置いて、所沢に出かけた。所沢の町はぷろぺ通りに人が沢山いた。私は狭山市の狭山坂を降りた桜町商店街という図書館の通りを、車をいれないホコ天にして、七夕商店街まで楽しい道を作れればいいのになあと思う。魅力ある商店が無ければ繁盛するのは無理と思うのだけれど、プロペにある商店はとても素敵な商店というのではなくても、人でにぎわっている。駅からちかいからかなあ。ちょっと不思議だわね。ブックオフに寄って、ミスドでコーヒーを飲んで帰ってきた。

ミスドは一度入ってみたいカフェだった。尾崎豊がこのミスドでデートして、あの有名なドーナツショップを書いたっていう噂の店なのだ。噂だから本当に彼がここに来て、外を見ながら悲しさにくれたのかわからない。でも、今日はロータリーの見えるカウンター席に一人で座り、まさに”ガードレール越しのたそがれ”を見てきた。”人や車の流れを 自分の寂しさのように見ていた”と尾崎の書いたとおりに人や車の流れを見た。きっと寂しいければ、人や車の忙しく動くことに疎外感を持ってみえるのだろうなと思った。ミスドでコーヒーを飲みながら、心の中に尾崎の歌う「コーヒーショップ」が聞こえていた。

私は孤独が好きで、人との距離が近すぎると窒息してしまう方の人間なのだが、時には人恋しくなったりする。一番近い親しい友達は夫で、夫がいればいいやって思うことが多いけれど、それでも同性の友達もほしい。だから、肩に力を入れないで付き合える西中野球部の母の会やら、いろんな民族の会の人たちはとても貴重な友達だ。いくつかの会の会員だが、なかなか気の置けない友達を作るのは難しい。この仕事をしているせいだろうか。

ミスドで思ったのは、私には忙しい町がさびしそうに見られないということ。それだけ、現実的な自分になったのだ。感傷的な状況にいないということもある。ロータリーを見ても、大きさはやはり西口よりも広いなあと思ったり、人の流れをみても、人の状況を見ているのではなく、安全な通行かなどと見てしまう。あ~~~、議員病だ。ロマンチックじゃないなあと、そっちの方を寂しく思った。
 26日(水)  今日は、通告日。実は昨晩寝なかった。寝たのは朝の5時ごろ。4時半に通告書を書き上げて、役所にメールしておいた。で、おきたら、11時。急いで役所へ。まるで時代遅れなので、メールでの通告というのは受け付けられないのである。これもなんだかばかばかしい。暗証番号か何かを作っておき、それをIDとしてメール受付をすればいいのにね。本人が紙で通告しないといけないのである。郵送でもだめなんだよ、一般通告は。本人が行かなければいけないの。

直すべきところがあるかもしれないから本人がいなければならないというのだが、今回なんか議長が出張していたから、通告で問題になった場合、副議長が処理するのかね。副議長にどんな権限があるのかわからないなあ、私には。通告を取り消させたり、不受理する権限なんか、議長にすらほとんどない。だって、一般質問だけは議員に与えられた議会で発言できる特権であるのだから、この特権を取り上げるなんて暴挙はほとんど出来ない。

言論の府で言論を妨げるというのは、自らの意味を否定するということになるからである。立場や意見がどうであろうとも、市民から選ばれた議員には発言する権利と自由が無ければならない。だから、議会は出来る限りそれを保障する場として発展すべきなのである。時には、それをわかっていない人が無謀な規則を多数決で決めてしまうが、それは本当に危険なことだ。議会の自殺行為になるのだから。くどくど言うようだが、議会で議員の発言(その意見に賛成だろうが、反対だろうが)を狭めたり、止めさせたりすることは、議会の役割を否定することである。してはいけないことだ。

午後からは、新聞を持って、秘書課、教育委員会、市民部を回った。新聞の何かというと、県展で3人が受賞したのが昨日の埼玉新聞に載っていたし、21日の読売新聞には狭山市の方が写真の花の部門で最優秀に選ばれていた。こんなすごい人がいるのだから、文化の日には役所で展覧会でもしてほしいと願いに行ったわけである。また、公益施設が出来るから、市民のこのようなすばらしい作品を買い上げたり、借り上げたりして展示してほしいと言った。なにしろ、文化に金をかけるのが嫌いな「豊かな文化都市」を目指すと標榜している狭山市なのである。市長以下すべての役人が文化費を削ることになんら心が痛まないらしい。それで、いつもいつも私は博物館のお金が少なくなっただの、美術基金を使って美術品を買い上げろなどというのであるが、実現したためしがなくて、博物館の予算は削られ、美術基金は手つかずのままなのである。

わたしがいみじくも「狼おじさん」とあだ名した役人は、「お金がなくなったら美術基金を他の目的で使おうなんて思っていたんです」なんて、まさしく狼のような告白をしたことがあった。今はあの狼は基金に手をつけられないポジションにいるけれど、来年当たり、もしかして総合政策部長なんかになっちゃったら、わからないわよ。怖い、怖い。狼に食べられる前に、みんなで分け合って美術品を買ってしまいましょうよ。どう?

ちなみになぜ私が彼を「狼おじさん」とあだ名したかというと、毎年、「お金がない、お金がない」と言い立てていたけれど、いつもお金が余って、基金がどんどんつみあがっていったので、私は彼を「狼おじさん」と名つけた。「うそつき、今年もお金が余っちゃったんじゃないの」という事だった。彼は「ラッキーなだけなんですよ」といっていたけれど、しまり屋のよい面だってあって、役所は無駄遣いはしないようになってきた。でも悪い面もあって、文化で腹は膨れないだの、美術品で雨漏りは直せないだのという風土が出来たかな。私に言わせれば、文化はお腹は満たさないけれど心を満たすし、美術品は、雨漏りは防げなくても、涙はふけるんだけど。

そんなこんなをしていたら、かえりがまた8時ごろになった。議会の前はどうしても役所に長くいることになる。
25日(火)  今日は、午前中全員協議会があるので役所に出かけた。本当に忙しい。20日に家で報告書を書いていただけで、外に出ないという日がない。毎日、毎日こんなに忙しくていいのかと思うほどである。は~~~。

全員協議会は役所からの報告は文書でいくつかあっただけで、口頭での話は無かった。私が噛み付いたのは、一般質問60分リミットという決定について。おかしいじゃないか、時間を区切ること自体。今までだって不文律であったけれど、それはおよそ60分ということだった。今までは1時間半したひともいたし、70分の人もいたし、短い人もいた。それで調和が取れていたのに、何を血迷ったのか栗原武さんが議会運営委員長のときにこんなことを決めてしまった。馬鹿ばかしいったらありゃしない。執行部は喜んでいるでしょうよ。1時間を何とかやり過ごせばいいんだから。いかにして時間をやり過ごそうかと考えるでしょう。

何十人も一般質問するわけでないから、3日もあれば終わってしまう。年間12日しか一般質問しないんですよ。執行部にとって見れば、短く少ない質問であれば、答弁も少なくてすむ。答弁が少ないということは、チェック項目が少ないということ。執行部に議会の目が届かなくて、やれやれなんですよ。市民の代弁者としての市議会議員は、出来る限りチャンスを作って執行部に言うべき事はいうべきなのです。それなのに、その手段を自分で弱めてどうするんですか。

何べん言ってもわからない人がいる。議会の効率化って何ですか。国会なんか夜中の8時半から開会したりしているんですよ。狭山市議会なんか夜にまで議会が延長されるなんて、この何年かありません。時間と手間をかけないでよい政治なんか無理です。議会の存在理由は、執行部の喜ぶべきことをすることではなく、市民の役に立つためには何をするべきかを考え、実行することです。この前衛原先生が言っていたとおり、議会の役割をきちんと総意で確認するべきだと思う。

議長に全員協議会が終わってから、議会改革特別委員会の設立を要望してきた。文書で出してほしいそうだから、後で文書を作って設立の検討だけでもしてほしいと願う。この委員会での話し合いを元に、来期には議会基本条例の設立が出来ればよいと思う。私は、手島さんが議長選挙戦に立候補する時に、議会改革をやる気があるかどうか聞いた。そのときに、やる意思を確認したと思うから、がんばってほしいと期待する。

午後からは市民税の勉強会。市民税が変わるが、市民全体にかかわることだけに、私は議場での質問というか、補充説明をしてもらうようにしている。そのための勉強会。

終わってから、明日までの一般質問の通告について悩んだ。帰宅は8時を過ぎた。
 24日(月) 今日は朝からお掃除が大変だった。午後に寝室にエアコンを取り付けに来るので、部屋を片付けなければならなかったのである。でも、今は総会シーズン。「手をつなぐ親の会」の総会が10じからあり、少し遅れたが出席。お昼過ぎには戻ってきて、またまた掃除。3時過ぎにエアコンの取り付け業者がきて、5時半ぐらいまでかかって取り付けていった。2階だから、外の配管が難しかったようで、高いところの工事を見ていると怖いので、自分の仕事をしていた。

親の会はなんだかわけがわからないが、楽しいことをしましょうよということらしい。事業所をみんなみのり福祉会へ譲ってしまったので、会の幹部が上部組織の会合へ出たりしている。あとは、子供たちの楽しみ会が中心。お勉強をするにしても、自立支援法がどうなるかもわからないので、何をどう勉強すべきかもわからないというのが実情だろう。 
23日(日)  今日はフェミニスト議員連盟の総会。12時半に三鷹市の市民活動センターに行かなければならなかったので、礼拝はお休み。10時過ぎに夫の車で狭山市駅まで送ってもらった。

総会はいつもどおり。私は広報の責任者だから、昨年度の報告と次年度(本年度)の活動計画を話した。2年間、aferというフェミ議の機関紙の編集長をしたが、好評のうちに責任をはたすことができて、心からほっとしている。最終号は5月20日発行した。 なにしろ、3稿までなおしたのだから、手間隙かかっています。最後の校正は17日までかかっていたのだから、本当に力作なんですよ。私は、アンテナ高くして、女性のために出来る限り先端の情報を集めてアファーを2年間作り続けたつもり。熱を入れましたからねえ。バックラッシュが酷かったけれど、前へ、前へということを念頭に会員や日本の女性運動をフォローしようとしたんです。私は運動を進める立場にはいませんが、そのフォローはしたかなという充実感で今はいっぱいです。

いつの間にか、です、ます体になっていますねえ。さて、元に戻すと、総会後は2次会のイタメシ屋で交流会。その後、馬車道でスウィートを食べて帰ってきた。私が食べたのは、チョコレートパフェだったけれど、お茶ラテを頼んだ人のを飲ませてもらった。何しろ、ご存知のように私は今お茶製品、特にお茶のスウィートにこっていて、お茶ラテがついてくるとわかったらそのセットを頼んだのにと思う。お茶ラテは少し甘すぎたけれど、これもありかなあという美味しいものだった。

かえってきたら、結局11時というわけで疲れました。
22日(土)  昨日は、帰ってきたのが10時ごろになり、珍しく朝寝込んでしまった。で、10時ごろおきて、家事に励んだら、あっという間にお昼になってしまった。 

お昼から夫とともにジョウシン電気に買い物に出かけた。事業仕分けでエコポイントも12月で終わりそうなので、テレビとエアコンを買いに出かけたのだ。どう考えてもエコポイントをもらうのはお得だ。本当は冷蔵庫だって20年も使っているので、買い替えの時期なんだけれど、まだ使えるから買わないことにした。エアコンは自分たちの寝室へ。部屋は2階の北側にあるので、いらないと思っていたが、子供たちにはエアコンを与えて、年老いた私たちは暑い夏扇風機だけですごしたが、もう限界。エコポイントがついて1割引きだから、買うことを決心。もちろん、夫は文句を言わなかった。我慢していたんだなあ。

テレビはデジタル化をにらんで少し大きめのものを買った。ケーブルを止めてパナボラアンテナからの受信することにしたのでパラボラアンテナや、外付けのハードディスク(テレビの記録は1.5テラバイトのこれですることになる)、今までのレコーダーを娘にやることにして、DVDレコーダーをかうことにした。ということで、テレビ1台をかうために、2万円以上のお金がかかった。安いテレビを買うことにしたのだが、本当に安上がりになったのかどうか?

1時間ほどのショッピングのつもりだったのに、2品買うつもりが、全部で何品も買ったので、すべて終わるのに3時間近くかかった。20万円にもなる買い物だから仕方がないか?

その後、夫と二人で植物園の薔薇を見に行った。このころはとてもきれいなのだ。去年は6月に行って遅すぎたから、今年はこの日に行くことにしたのだ。本当に美しく、ほのかの薔薇の香りが素敵だ。バラ園を散策し、池のほとりまで歩いた。

池の最終地点で水が智光山公園の外に出る地点をみたら、あまりにも汚くて写真を撮った。いまどきヘドロなんて久しぶりに見た。浚渫しているんだろうか。あの泡は水の泡でなくて、洗剤の泡のようだがどこから入り込んでいるんだろう。狭山市の下水はとても完備しているはずなのだが、後で調べてみようと思った。

帰りに体育館でおろしてもらって、体育館でトレーニング。暖かくなったので、着替えもしやすいので時々体育館に行くようになった。夫に迎えに来てもらって帰った。夕ご飯は、夫と娘が作ってくれていて、幸せに感じた。
21日(金)  今日は、報告書を作り上げて、、夕方役所に持っていった。は~~~、一仕事終わり。

夜、6時から不死身集会所で、国際交流協会、ワージントン部会、7時半まで続いた。終わるやいなや、急いで水富公民館へ。 里親会総会。今は総会シーズンなのである。里親になって20年もたつが、私たちには里子は来なかった。今回若い夫婦にかわいいお嬢さんがきていてよかった。彼女たちとは一緒に施設を視察した。残念ながら私たちには子供は来なかったけれど、かわいい子が彼女たちに与えられたことは、わたしも喜んでいる。

水富公民会では事務室を集会室に変えていて、それを視察。前から、1階に椅子での集会室をと要望していたのが、ようやく出来た。下に和室があるが、使い勝手が悪いのでなかなか使われない。年をとると座っているのが大変なのである。足が痛くなるしね。水富公民館はあまり使われないし、だからといって無ければ困るし、古すぎて機能はわるいし・・・・
 20日(木)  今日は朝からずっとHPのアップと報告書を書き続けていた。するべきことが沢山あって、どの順番でしていいかわからない。とりあえず、4月の研修報告を作り上げなければとがんばった。

よる入間の湯へ。
 19日(水) 今日は、朝第2環境センターで行われた「ごみ減量推進審議会」の傍聴に出かけた。昨日電話で聞いたが、議会ではなさないというのだから、私が行って聞くほかないのである。10時半ぐらいに人事以外のことをするというので、その時間に出かけた。

内容は何べん聞いても新鮮であった。ただ、浄化センター跡地の問題、最終処分場の跡地の問題などが多少気にかかった。それと、公衆便所の問題。管理が大変であることを考えると、水洗トイレよりもエコトイレのほうがいいんじゃないかと思った。この次の議会には間に合わないけれど、12月議会にはこれを取り上げてみようと思う。費用対効果でメンテ代がかからなかったら、こっちのほうがいいかもしれないなあ。旭川の山城さんがよく勉強していたので、ちょっと取り上げてみよう。

午後、家に戻って、仕事をしていたら、あっという間に7時ごろ。夕ご飯の支度をして、私は西中の元野球部の母の会の飲み会に行った。いつものメンバーだったけれど、楽しく飲んだ。今回は平日ということもあり、今日中に終えた。 
 18日(火) 今日は朝に建設環境委員会協議会があった。狭山市駅西口の開発に伴って使い勝手の悪いところの苦情が出ていて、それへの対応について西口開発事務所から報告があった。

報告を聞くだけでなく、私たち議員も沢山意見や要望を言った。議会は執行部の報告を聞く場所ではないと私は思う。聞きとどめておくならば、自分の好奇心を満たしておくだけのプライベートのものとなる。そんなのは、自分が行って聞けばいいのだ。委員会に報告があるというのは、ある面、議会が執行部と共犯関係になることである(言葉は悪いけれど)。議会が何もいわなければ、その事柄について追認したことになると思うのだ。また、議会もその追認した結果についての責任を負わなくてはならなくなるだろう。「しりませんでしたよ」とは言えなくなるわけで、何かがあった場合には「知っていてそのままにしたのか」という批判が議会にきても仕方がない。だからこそ、執行部は正式な機関である委員会などに報告をするわけだろう。

議会の役割をここで長くは書かないが、書くとしたら、「市民の付託を得て、市民の意見を執行部に実行させるための機関」といえるだろう。議会が決めなければ、執行部は予算を執行できない。ということは、行政を動かすことが出来なくなる。だから、議会は市民の意見を最終的な形で取り入れるための機関である。今までもこれからも、議員はしっかり市民の立場に立って、市民のために努力をすべきなのである。意見を言うべきなのである。

そして、議会のその姿を市民の方々に知っていただくようにしなければならないと思う。黙って、しゃんしゃんと議事を進めているのが議会じゃないこと。市民のさまざまな立場の、さまざまな意見を行政に届けたり、行政の仕事の内容をわかりやすくする努力をしていることを、直接市民にわかっていただく事が、今の議会に求められているのだと思う。さもなければ、市民は議会の意味や価値や存在理由をわからないだろうと思う。だからこそ、議員は少なくてよいだの、議員の報酬は多すぎるだのという話が市民の間から出てくるのだと思う。要するに市民には議会が何をしているかわからないのだと思う。

今まで、議員同士のいがみ合い、議員同士というか意見の違う考えに対する許容性のなさなどが原因で、議会の内容はあまり市民に知られたくないという場面も実際にあったと思う。それが政治の一部さというのであれば、それも市民に見てもらってよいと私は考えている。せめぎあいがあるのも事実なのだから。

また、地方の民主主義を国会などと同じように考えて、野党だ与党だという誤った考えに基づき、市長の言うことに物を言うのはいかがなものかという風潮もあった。市長と違う考えは野党だというのだが、私はそれは間違っていると思っている。2元代表民主制の自治体では、執行部と議会という2つの機関がそれぞれ独立してある。国会は議院内閣制であり、政権政党は内閣に責任をもっているが、地方議会は執行部(国会では内閣)の追随機関ではなく、それは独立して執行部のチェックや、自ら議会として認識している市民の声を行政に反映させるためにあるのだ。

私は議会のしていることを市民の立場で市民のためにがんばっていることをもっと、もっと市民に知っていただく努力が必要だと考えている。その点、今日の建設・環境委員会協議会で言った。だって、本当に市民の立場で市民のために良かれと思いながら、西口の改善点について話をしてきたのだ。「議会はこうしているんだよ、聞いただけじゃなくて、こうしたらどうかと沢山執行部にも言っているんだよ」って市民のかたがたに知っていただきたい。
17日(月)   今日は、午前中に風呂場の修理屋が来て、換気扇を直して行ってくれた。昼食後、いろんな民族の会のミーティングへ。久しぶりである。今年はうごくぞ。

その後、役所に行き、資料をもらって帰ってきた。最後に、総務課に行き、課長らと話をして帰ってきた。遅くまでいてごめんなさい。自説を長々と話をしてごめんなさい。

夕食後はこのHPを書いている。何しろ、更新してというメールは届くし、面と向かっても言われるし。がんばって書いた。疲れたので、今日はこのぐらいです。
16日(日)   今日は午前中に礼拝。いつも大変なお勉強をしてのメッセージ。頭が下がるなあ。霊について。

ブックオフ、めがねのパリーミキによって帰ってきた。

2時から、テレビ朝日の三井さんと鳥越さんの検察庁の裏金つくりと冤罪についての報道番組を見た。冤罪ってあるんだね。誰だって、犯罪人にされる可能性があるんだね。三井さんだって、検察庁の裏金について証言しようとしなかったら、犯罪者のレッテルを貼られることなく、検事を辞めることが出来たのにと思う。でも、それでは正義がどうなってしまうのか。正しいことをするのに、こんなリスクを負わなければならないなんて、理不尽もいいところである。

冤罪については、民主党の小沢さんの事件も同じようだと思う。鳥越さんも言っていたけれど。今回の起訴相当の事件とは、土地を買った日と土地を買ったのを政治資金に記録したのが2ヶ月違うのでそこが問題だというのである。でも、買った日と登記が完了して資金として帳簿に記載する日が違うことなんか、普通の商売をしていてもあることで、それが犯罪かといえば、まさか!である。弁護士の郷原さんがこの前日本テレビで話をしていたが、小沢さんの政治とお金の問題と騒がれて入るが、お金の問題なんて、起訴の問題にもならなかったという。もらってないものは、どこからも証拠が出なくて当たり前だ。

まるで"鼻くそ”のようなことをもちだして、犯罪として起訴するならば、日本国中の皆さん、全員がなにかの罪を犯しているかもしれない。無意識にであるが。針小棒大とはこのことで、司法に関して言えば、これは正に冤罪だ。あまりにも権力の不当な行使としかいえないと思う。

4時過ぎから、動物園に行った。4月以降、どのようになっているのかと思ったのだ。荒井さんが社長らしくなっていて(社長という肩書きではないけれど)、ちょっとたくましいかな。Kさんが動物園をやめてしまって、飼育のほうはどうなんだろう。本当に心配である。しかし、日曜日の夕方。動物園に入ってみたら、人がいっぱい。子供も若い親もいっぱいいた。うれしくなった。人が着てくれて何ぼのものなんだ、市の施設は。市民や子供たちに喜ばれるのが一番である。

ただ、動物の世代交代がないと動物が死に絶えてしまう。今回はエミューが入ったというので、見に行ったのだが、エミューはちっとも楽しそうに展示されていなかった。展示の方法を考えてもいいなあ。エミューって走るのが速いんじゃなかったっけ。そんな姿が見られればいいなあ。ところで、最後の魚のところでえさやりするのを見た。

イワナのえさ、鯉やなまずのえさって何だと思います。生きた金魚よ。私はイワナが金魚を食べる瞬間を見てしまいました。わ~~、もうイワナたべられないよ~~。こんな瞬間を皆さんに見せたいような、見せたくないような。行動展示では食事を食べるのを見せるのも一つの主流なんだけれど。館長の新井さんに言わせると「残酷すぎて見せられません」との事でした。小さな子供にはショックかもね。でも、そのイワナを私たち人間がとって食べるんですから、一番残酷なのはやはり人間、私たちなんだよね。

帰りに珍しく市民体育館によって、トレーニングをして帰ってきた。夕食はいつものように3人で。私は、ワインを飲んだら、まるで睡眠約を飲んだように眠くなった。
15日(土)   今日は、寝たのがあさだったから、おきたら11時半。食事をした後、役所へ。それから、サピオで久しぶりにトレーニング。今週は忙しくて行く暇もなかった。夫は西中のコンサートに市民会館へ。

帰ってきてから、少しゆっくりした。メスらしく夕食つくり、夫と娘とを食べた。最近は、夕食ですら、みんなと食べることが少なくなっている。息子が彼女を連れて帰ってきたので、少しボードゲームをしたのちに、夫を食料を買出しに元カルフールに行った。結局、山盛りの食品を買った。ブックオフによって、夫婦で立ち読みをしたり、本を買ったりして帰ってきた。趣味が違うから、同じ場所にいても、二人はばらばら。それでも、一緒に行くことが出来てうれしい。私の一番の友達は夫である。
14日(金)   今日は朝バスで狭山市駅へ。市川房枝記念会で選挙ハンドブックを作っている。それの編集会議。朝、10時半から夜の10時まで、食事は持参のサンドウィッチや皆さんのおもたせのケーキやらパンやらを次席で食べながらの会議。途中に、腰が痛くなってストレッチしながらの編集会議。

今までに、話をまとめたのを、具体的に文章も直していく作業。10人でしていたが、延々時間がかかってしまう。本当に丁寧な作業。こんな会議をしていると、女性議員の能力の高さに脱帽してしまう。皆さん、大学を優秀な成績で出ていられるのねえと創造をしてしまう。私のような理系人間は言葉が貧弱なのだが、文系のかたがたはいろんな言葉をご存知である。すごいねえ。自分にない能力を見せ付けられると本当にうれしくなる。知的な刺激とでもいうか。この年になると、見上げるものも少なくなるが、尊敬に値するようなことを知るのは、いいなあと思う。

10時に会議を止めて、次の日取りを決めて、帰った。今日も帰りは、11時である。夫にまた迎えに来てもらった。帰ってから食事をしたが、頭がさえて眠られず、コンピューターの前で、メールの整理などをしたら、4時半。朝だ。
13日(木)   今日も熱心に書類の整理に明け暮れた。それでも終わらない。もう、いやになる。私は事務員にはなれない。もう、ギブアップしよう。誰かに助けてもらおうと思う。

それで、いろいろな所に電話をかけた。みんな働いているなあ。それでなければ、親の介護や看病。だれか、助けてくれないかなあ。電話をかけていると、昔の知人たちと立ち話の感覚になって、楽しくなった。幼稚園のときのお母さんたちに電話をしたが、まあ、皆さんのお子さんが優秀なので、もうため息がでるわ~~~。「青学も、早稲田も受かったけれど、慶応にしました」なんていうから、「青学も早稲田も受けたけれど、どれも落ちた。滑り止めにも落ちました・・・」と言った。少し自虐的かなあ。

午後には頭がいたいのが止まらなくなって、夕食を早く食べて、入間の湯へ。マッサージを40分。肩がこっていた。昨日の、原宿行きが聞いているのか、動くのもしんどい。
12日(水)   今日は午前中に書類の整理をして、午後からは役所によってから、青山に出かけた。久しぶりの表参道。まるで洒落た外国へ行ったかのよう。若い人がこんなにいるのかと思う。スーツを着ている人たち、おしゃれな洋服を着ている人たち。あんな高いブランド品のお店が立ち並んでいるのに、おばさん族は見当たらない。変な町だ。

実は私は岩上安見さんらの個人ジャーナリストの催した、亀井静香大臣とのタウンミーティングに出かけたのだ。2週間ほど前に応募したら、参加者70人のうちに選ばれたのである。5時半からの受付にその前に着いたら、なんと2列目の席が取れた。それで、郵政問題について聞いた。本当に民営化のままで、ユニバーサルサービスが出来るのであろうかというのが、私の質問。亀井大臣は出来るというのだけれど。私は大きな声で「出来るかなあ」と疑問を投げかけてしまった。

効率一辺倒の民間経営を取り入れればどう考えても今のようなサービスが続けられるんだろうか。まあ、亀井さんは労働者を正規雇用にして今のような郵便事業を続けるとおっしゃるのだから、お手並み拝見だ。私にわからないような経営を考えているのかもしれない。彼は思ったよりも繊細でトリッキーな政策をする人だからね。

会見の後、懇親会があり、亀井さんにご挨拶をした。何しろ、たった70人で、懇親会に出た人が50人ほどなのだから、親しく話も出来たということである。私は来る前に役所で総合政策次長たちから、質問を仕込んであったので、それについて要望の形で亀井さんに頼んだ。まずは、100%政府補助金で昨年の2次補正のような、地方で好きに使われる補正を組んでほしいこと、また、補助金を一般交付金化する際には絶対お金を少なくすることのないようにと。今はなお、国がお金を拠出すべき時であることを、説にお願いした。亀井さんはうんうんと言っていた。彼こそが景気浮揚論者なのだから、私の言うことがわからないわけじゃない。この点は、私は亀井さんを信頼しているのである。

会見の途中で、彼は死刑廃止論者であることを明言した。私も同様思っている。しかし、選択的別姓問題、外国人選挙権の問題では考えがまったく違う。亀井さんは好きだし、暖かい人だと思うが、国民新党は、好きになれないと思う。私は、無党派だと確信した。帰りに、長野から来た人、名古屋から来た人とお茶をしてから帰ってきた。ついたら、11時を過ぎていた。夫を呼び出して、お迎えを頼んだ。
11日(火)   今日はまたもや一日中はメールの整理、郵便の整理、会計の整理などに明け暮れた。

今時は、沖縄の普天間基地の事で大騒ぎだ。でも、私は大騒ぎしてよいと思う。一昨年、私は「すすむ会」の人と沖縄に行き、沖縄が日本にどんな意味があるか考えたことがあった。平和ツアーであちこちの基地を巡った。もちろん普天間基地にも行った。それで思ったのは、日本は沖縄を犠牲にしたんだということである。昔もそして今も。

なぜ、日本にアメリカ軍基地があんな沢山あるのか。なぜ、アメリカ軍の駐屯に私たち日本人は他の国以上に費用を負担しなければならないのか。そして、基地の内なぜ沖縄に75%もの基地があるのか。それも、危ない町内の基地が本当に必要なのか。アメリカ人ですら、アメリカの環境基準によって持てないような場所になぜ基地をおいておくのか。

もう、沖縄の基地は要らないのではないか。少なくとも普天間の海兵隊が日本の防衛の約に立つわけでない。これはアメリカ人を守るための兵隊なんだから。日本の防衛というが、アメリカ軍は中国と戦争する気はまったくない。尖閣諸島の領土問題だって、竹島だって、アメリカ軍は何もするつもりはない。日本と中、韓国との問題だといわれてしまっている。

では、なぜアメリカ軍は日本にいるのか。もちろん、日本の防衛のためではない。アメリカ軍は日本への圧力として兵隊を置いている。日本のアメリカ軍を養っているのは日本人である。有事になれば(実際には、どことの戦争があるというのか?ありえないが)アメリカ人は日本人のために死んでくれるのだろうか。親切心で日本を守るのか?何のためにアメリカが日本で戦うのだろう?

きっと日本に投資した金が戻るまでは戦ってくれるかもしれない。日本は諸外国からの借金のない、お金持ちの優良国だ。だから、沢山の国から日本の資本は買い取られ、株主配当で外資に貢いでいる。小泉の時代に、低株式と安い円によって、日本の株は買い叩かれていつの間にか外資で利益を食いつぶされている。トヨタなんて、内部留保金なんかほとんどないのではないかとすら言われているんだ。株主配当が半端じゃなかったそうだ。他の大企業だって、もう外資の言いなり。

普天間基地はもう要らない。どこにも移転しなくてもよい。グアムでもテニアンでも、アメリカ本国にでも行ってほしい。何も、日本にいる必要なんか日本側にない。また、アメリカ軍にもちっともメリットじゃない。鳩山さんは、アメリカと交渉に入っているそうだから、早く出て行ってもらうことだけを交渉材料にしてもらいたいものだと思う。
10日(月) 今日は、仕事をしようと思っていたが、いつものように野暮用に追われてしまった。もう10時半。後は、これをアップして寝るだけである。

阿修羅という掲示板が面白い。皆さんも読んでください。新聞が取り上げないことが如何に多いか。誤報とは言わない、わざと書くのは虚報とでも言うべきか、そんな情報がテレビも新聞もあふれかえっている。朝日新聞は止めた。読売新聞は広告をもらうためにとっているような感じがする。なんだかなあ。テレビのニュースもこのごろは見ていない。だって、あまりにも偏見がありすぎて、ばかばかしくなってしまった。

それに、自民党の官房長官の暴露、官房機密費を評論家に配っていたというのを聞くと、あの人もこの人もすべて自民党お抱えの人で、今はお金がもらえなくなったから民主党の悪口を言っているんだなあと思えてきて、ワイドショーや夕方のニュースを見ることすらいやになった。朝日テレビのニュースで鳥越さんが沖縄のことで海兵隊は抑止力にならないといい始めたら女性アナウンサーが話をさえぎった。真っ当なことを言うことも出来なくなったテレビを見て、即テレビを消した。マスコミはもう、だめだな。やはり、コンピューター、ネットの時代になったんだなあとつくづく思う。その、ネットの情報だって自分できちんと検証しないと、怖い目に合いそうだ。特に私は地域の議員だ。責任を持って判断しなければと思う。

フェミ議の世話人会にいけなかった。
 9日(日) 今日は朝から礼拝。本当に久しぶりの礼拝。この3週間、野暮用で礼拝に出席しなかった。で、とても新鮮にお話をうかがった。いつもいつもたくさん勉強をして、よい説教をしてくださる牧師先生に尊敬と感謝をしたいと思う。ありがとうございます。

説教後、フィリピンから帰ってきた方にフィリピンの孤児院の様子をうかがった。マレーシアの方が今後はこの財団の理事長になられるというので、彼は他の仕事にせいが出せそうである。とても立派な方で行動的で驚いてしまう。日本財団のお金でシニアボランティアを派遣しているそうだ。私も年をとり、市議会議員を辞めた暁にはシニアボランティアとして、海外の女性や子供のために働きたいなあと思う。できるかな。それとも、やはり日本で障碍者のためのハウス・グループホームを開くのが私の使命かな。

午後帰ってきて、美容院へ。西口の使い勝手の悪いことを聞かされて、いつものことながらイラつく。とうとう言った、「私が雨のときのことを言って、改善を求めたら、狭山は雨が少ないんですよって、取り合ってもらえなかったんだよ」。今になって大騒ぎしているエレベーターの屋根のないこと、屋根が中途半端でぬれてしまうこと、暗いこと、バス停の位置がわかりにくいことなど、はじめから私は指摘していたと思うよ。でも、私の話なんか真摯に聞かないから、多くの市民からお叱りを受けるわけだ。言いたくないけれど、言う。「馬~~~~鹿」 。文句が出ないと思うほうが、おかしいのに。

会談から落ちて怪我をした人もいるというのだから、やはり直すべきところは直さねばならないと思う。それにしても、ずさんな工事に思えるのだが、機構の技術力はこんな程度だったのだろうか。

その後、映画に。2度目の「のだめカンタービレ」。娘と夫と3人で出かけた。ランランのピアノが生き生きしていてすばらしかった。だが、映画は少しはしょりすぎたかなあ。何しろ私はアニメを全部見、漫画も読みきってしまったので、原作と比べてしまいがちなのである。

夕食は、友達の蕎麦屋、なるとで。冷たいお蕎麦がちょっと暖かくなった気候にあって、のど越しもよく、おいしかった。

夜はサピオへ。
 8日(土)  朝、仕事をしなければと思いながらもだらだらとコンピューターにかかりきり。仕事も手がつかないし、原稿もなかなかかけないし、報告書も書かねばと思いながら何もしない。洗濯をしてみたり、掃除をしたり、本を読んだり、自己嫌悪。

こんなときはお風呂に入って寝るとばかりに入間の湯に行って、ビールを飲んで寝る。
 7日(金) 今日は 朝博物館を視察。いつも催しがあると一度は見に行くが、今回は少し遅かったみたいで、催しの前半を見なかった。まあ、後半を見てきた。面白いといえば面白かったし、焦点がぼけているといえばぼけているし、コーセーさんのご協力で、コーセーの宣伝企画といえばそうだし、でも、市内にあるリソースを使った市内発掘のひとつとしたらそれもよいし、はっきりよい催しだと言い切れないのがもどかしい展示。お化粧の歴史でもないし、お化粧の意義でもないし、パネルを読みきらなかったせいもあり、よくわからなかったなあ。お化粧したトルソーがたくさんあって、きれいだったし、パネルもよかったんだけれどね。オタクといわれる人が来て見るほどのもよおしではなく、でもミーハーちゃんがわーって喜ぶのかといえば、宣伝が下手だったし。

そもそも、博物館の催し物をするには人間・職員が少なすぎ。それに、お金が少なさすぎ。年間高々300万円で何ができるというのさ。ポスターをつくだけじゃないの。それに、常設展示物をどうにかするには、後期の基本計画にのせなければならないというのに、何もしてなかった。修繕計画にも何も乗せてなかったと聞いて、私はのけぞりましたね。毎年、私は博物館について話をし続けて板のにもかかわらず、なんにもしないでやめて行った博物館長。は~~~!!!面倒なことはいやだったんだね。だって、定年になるんだから、今後の博物館がどうなろうとどうでもよかったのかと、ため息が出た。

あとで役所に行って、部長に言いましたよ。お金がなければ、職員をつけねば、どうにもならないだろうって。さもなければ、指定管理者にして学芸員をしっかり貼り付けるべきだろうと思う。さもなかったら、質は下がらざるを得ない。だって、職員は少なくするし、お金は減額したんだよ。今は、職員の学芸員が2人ぐらいしかいないんじゃないの?

これまで職員は催し物の質を下げないためにがんばっていたと思う。でも、限界はあるものね。文化にもっとお金をかけるべきだと心から思う。健康で豊かな文化都市を作るというのが、目標の狭山市なんだけれど、今の市長じゃ、達成なんて無理なのかもしれないね。文化に対する熱意をぜんぜん感じないもの。

そうそう、久しぶりにサピオに行きました。汗を流して気持ちよかったですよ。
 6日(木) 今日は朝から洗濯など忙しかった。お手伝いさんがきてくれるのだが、休み中の洗濯がたまっていて、申し訳ないので自分でもしたわけである。その上、午前中には工務店の人がお風呂の修理を見に着たりしたので、あっという間に午前中は過ぎた。

午後は、HPの更新もしたりしたので、一日があっと間に終わってしまった。夜に、 ほっとして、HPで阿修羅を見ていたら、岩上安見さんと菊池英博氏とのインタビューをユーチューブでみた。なんと、17本見たので、3時間ぐらいかかってしまった。夜中、12時ごろからみ始めたので、朝3時半に寝た。

要するに小泉政権のした経済政策の失敗とそれへの対応経済策についてだった。小泉の財政破綻政策は累進課税を廃止したことであるという。これはレーガン政権で行った悪政のひとつ。私はレーガンが大統領のころにアメリカにいたから、あの大不況を知っているわけで、その後のクリントン政権の行った財政緩和政策によって、ようやくアメリカ経済が立ち直ったのも知っている。こう考えると、私は好きでアメリカにしょっちゅう行っているわけではないが(ほぼ毎年に2回も海外に行くというのは私にはしょっちゅうである)、アメリカの様子を知っているのは私の視野を広げるには重要なことであると思う。下手したら、そこらの国会議員よりも肌で外国を感じる状況にいると思うね。

ところで、今すべき経済政策はクリントン政策であるというのを納得して聞いた。財政が悪い、経済が悪いときに財政出動を引き締めれば経済が悪化するに決まっている。もちろん、戦争でもすれば別であろうし、小泉が公共事業を25%も切って、交付金を1兆円も削減して、地方をだめにしたわけだが、一方でイラク戦争に加担したので大手企業は好況だったわけだ。小泉が政権を取ったときに、亀井さんが「もう少しで経済が何とかなるというときに、緊縮財政をすれば、橋本政権の間違いを繰り返すだけだ」と嘆いたことを鮮烈に覚えている。緊縮財政では国内の経済は立ち行かなくなるとあの時、私もそう思った。きっと、経済を知っている人はすべてそう思っただろう。

それで、竹中平蔵が出てきて、国際競争力をつければ経済は活性化するなどといって、労働コストを下げる運動を始めて派遣法の改悪に進んだわけだ。賃金の抑制を非正規雇用労働者の大量生産で行ったのだ。結局、それで何が起きたかというと、「格差」だ。格差は世代間、地域間、男女間すべてにおいて広がった。大量の負け組みと少数の勝ち組を作り出した。税制改正により、勝ち組はもっと金持ちになった。法人税が高すぎると、法人税カットも進んだ。大企業だけが儲かるようになった。

銀行を破産させて、(収入の上がらない銀行や企業は、市場から出て行けなどと冷たく切り捨てたのは小泉、竹中組だ。それとそれに迎合したマスコミ)社会不安の中、会社は株主のものだから利益を上げて、株主に配当をどんどん与えるのが資本主義的は企業だと、安い日本の株はどんどん外資系の株主に売り払われた。そして、10年間に溜め込んだ内部保留金は半分は外国にながれ、額に汗して働いた労働者はもらいすぎだということで賃金はカットされ続けた。は~~~!!私も夫もこの12,3年間賃金が上がったことはない。

今こそ、財政出動の時、税金を上げるためにはお金がいる。それを遠回りにでも(要するに政府がお金を出し)企業にまわし、子供手当てのように直接市民に手渡すことが必要だと思う。

3時間の勉強をうまく書くことができないので、岩上安見のウェブページからユーチューブを見ることを薦める。財務関係の人もしっかり見るように。消費税を上げてはいけない理由もはっきりわかるしね。
5日(水) 今日は、あさ本当にゆっくりした。佐久の別荘の窓の唐松はようやく芽を吹き始めていて、黄緑がきれいだ。遠くで近くで鳥の声が聞こえるのだが、澄んだ空気のせいか、とてもきれいな鳴き声に聞こえる。コーヒーにヨーグルトという朝食をとりながら、鳥のさえずりに聞き入った。珍しく暖かで、網戸にして家に風を入れた。

午後からは、庭を少しきれいにした。ぶんぶんと草刈機をまわして、まだまだ細い出たてのブッシュを刈り取った。6月になると太くなって切りにくいから今しておく。それに、雑草が生えていないから、作業がしやすい。庭の木も切った。下枝を切るのは私の役目。切るのは夫のほうが上手に決まっているが、決断力(どの枝をきるかとか)は私のほうが上なのである。最近は、作業をしながら、やはり自然には負けるなあと思う。この別荘を作ってから、もう15年がたつ。細い木だったのが、堂々とした木に成長してしまい、切るに切れないほどだ。はじめに切っておけばよかったと思う。

人間が自然に進入したのだから、気を抜けばあっという間にすべてが自然のママになってしまう。そうなると、手の施しようがなくなる。自然の力は本当にすごい。私たちは高々何十年しか生きられないが、この雑草は何年生きているのだろうかと思った。輪廻じゃないけれど、種を残しながら毎年同じところに同じような雑草が出てくる。すごいものである。

作業した後、テラスに椅子と紅茶を持ち出して、本を読んだ。風は暖かだし、ちょっと疲れたし、けだるい気持ちが緊張をほぐしてくれた。きのう、海をみてなんだがほっとしたのだが、忙しい連休だったけれど、ようやく息抜きができた。

いつものように夕食は杏亭でたべて、ブックオフによって、9時15分に佐久を出発、着いたのは12時にならなかった。渋滞もなく、順調に買えれた。夫は疲れたことだろうと思う。お風呂に入って寝る。
4日(火) 今日は、朝ゆっくりした後、父が花見に連れて行ってくれるというので、母と夫と4人で出かけた。昔、父がライオンズクラブにいたころ植樹した八重桜がきれいに咲いていた。少し歩いて、その後、名立までドライブした。名立で昼食。海沿いにウミテラスという道の駅があり、物産展や食堂がある。お天気が良いので、外でホタテやら、貝やらを焼いていたので、買って食べた。私は、中で海鮮どんぶりを買った。第3セクターがしているそうだが、上越市の第3セクターは黒字なのだ。すごいと思う。他に競争相手がいないせいかなあ。かに味噌汁が200円、甘エビ味噌汁が200円、ホタテの串焼きが400円という安い値段でよく黒字の経営になると思う。冬なんか人がくるのかしらね。連休ならともかく。でも、おいしかったそうだ。

アマテラスじゃなくてウミテラスは、風の発電をして電気をまかない、海からの水を真水にして使っていた。その際できる塩は売っているということだったが、買いそびれた。自給自足の館なのである。こんな投資ができたのも役所が経営しているからだと思う。

昼食後、「魚勢」によって買い物をして帰ってきた。おいしそうな魚もあわびもホタテもあったが、息子が大学に行き、お兄ちゃんは外食が多いので、最近はたくさんの買い物をする必要もなくなってしまって、あまり買わなかった。でも、やはり何にも買わないわけでなく、おいしそうなものを少し買った。

ら帰ってきたら疲れてしまった。お茶の後、弟夫婦と私たち夫婦でボードゲームをした。教えてあげた私たちが負けるとは、全くどうしたものだ。勝負運は私たち夫婦にはないということか。でも、楽しくひと時を過ごすことができた。

夕食前に私たちは佐久の別荘へ出発した。今回は渋滞があるだろうと、国道18号を走ったのだが、ジムさんは最後まで高速に乗らずに佐久まで来た。1時間半ぐらいのところ3時間かかったけれど、初めての道を走ったので新鮮な気持ちだった。
3日(月) 今日は朝遅くにおきて、荷造りし、直江津へ出かけた。まず、六日町まで関越で行き、後は十日町を通って直江津へ。単車が事故を起こし、火災を発生させたため、渋滞はすこしあった。しかし、多少の渋滞は織り込み済みだから、あまり気にならずに行けた。

5時過ぎに着いた。甥が十二指腸に穴が開いたとかで緊急入院していたので、見舞いに行った。まあ、歩けるほどになっていたから、よかったが、心配した。こなくても良いなんて言われたが、直江津に行って、孝チャンに会わないで帰れないでしょう。なにしろ、私は独身のころ実家で甥の孝ちゃんと暮らしたことがあるわけで、あの子はスペシャルなのです。

息子と彼女も到着していて、結局ブラクソン家5人、実家4人での大宴会となった。息子はかわいそうに、泊まらないので飲めなかった。飲んだら乗るな、乗るなら飲むなである。直江津のおすしはいついただいてもおいし~~~です。9時過ぎに息子2人と彼女は松本に行った。ジェレマイアをお兄ちゃんが送って行ってくれたのだ。本当にやさしいおにいちゃんなのだ。
2日(日) 今日は、家事もそこそこ、9時過ぎに新座の立教高校へアメリカンフットボールの試合を見に行った。聖望は負けた。あ~~、立教には勝てないなあ。でも、今回は1つのタッチダウンもさせなかった。ディフェンスは強かった。オフェンスは全く悔しいけれど、戦略が単調でばかばかしいぐらいだ。フェイクなんて一度もしなかったもの。これはきちんと考えるといろいろ問題があり、また、あまり問題を突き詰めても生産性がないのでやめた。

今、ユースストリームを見ている。岩上安見というジャーナリストと副島隆彦という人の対談なのだが、面白い。私の考えだわって思う。一流の人は結局同じ結論に至るんだねエ。副島さんはあまりにも自明なことを本に書いているから、おかしな人だと思い込んでいたが、さてさてそうではない。日本属国論というはただしいよね。アメリカに搾取だけされているんじゃ、日本人がかわいそう過ぎる。特に若者に仕事をさせるには、アメリカに貢ぐだけでなく、日本人にもお金が必要だよね。

それにしても、亀井さんがんばって、財布の紐を締めていてください。(こんなことを言う意味が分かる人にはわかるだろうけど、分からない人にはわからないだろうね。)亀井さんは金融担当大臣で融資先を決めることもできるし、国債を買う特別会計を持っているのだ。
1日(土) 今日は朝から晩までフェミ議のアファーの編集作業を続けた。もう、目が乾くほどコンピューターを見続けた。息子は夜まで寝ていたが、夕方から出かけて行って、友達と夕食に出かけた。私と夫は10時半すぎに入間の湯に行った。仕事ばっかりのゴールデンウィークだなあ。
30日(金) 今日は、夫も息子も娘も仕事。下の息子はなんと昼過ぎまで寝ていた。夕方、部活を見に行くといって、グランドに行き、お兄ちゃんとラーメンを食べに行くといって、帰ってきたのは9時過ぎで、その後、友達と朝までカラオケをするといって出て行った。「徹夜でカラオケをするなんて」、といったら、「僕らはもう大学生だよ」と言い返された。もう青少年条例に引っかからなくなったんだと子どもの成長に改めて考えてしまった。

私は一日中、またコンピューターの前で仕事。フェミ議の機関紙アファーの編集長としては、記事が集まっているかの確認と、催促。編集も少し入れなければならない。磯が知ったらありゃしない。こちらからメールをしているうちに、又メールが入ったりするから大変。夜中までかかった。
29日(木) 今日は、朝家事。洗濯物もあり、息子が松本から帰ってくるので、布団も干さなければならなかった。そんなこんなをしているうちに昼。

夫と二人で市役所のお茶と緑の祭りに行った。年々寂れてしまっているこのイベント。人も昔に比べたら少なくなった。どうして、狭山市はイベントをうまくできないのだろうか。茶業組合が大変だから、もうしたくないといったらしいし、お花の苗などを売る業界もたった1軒。前は、いろいろなお店が出ていて、何鉢も買ってきたが、今回はお花が3はちときゅうりを3本しか買わなかった。ここで買う苗は良くて、昨年買った苗も今年も花を咲かせている。縮小されているイベントは寂しい。市民の活性化のためにも、ふれあいのためにも、もっと素敵なイベントになりはしないか。

夕方は、買ってきた苗を植えたりしていたら、あっという間に暗くなって、夕ご飯の時間。サピオでトレーニング。息子は夜の11時ごろ帰ってきた。

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