私の独り言 2004年 

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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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 8月 私の独り言 
1日(水)   今日から、議会が始まった。午前中で説明を終えた。不親切な説明。あれをケーブルテレビで見たところで、決算の全貌が分かっただろうか。年々説明が短く手抜きになっているように思えて仕方がない。市民を侮るようになってはいけないのに。

午後は、一人控え室に閉じこもって、議案書と格闘した。部屋に鍵をかけて閉じこもった。どんどん役人が入ってこようとしたが、入れなかった。私にもしたいことがある。あちら様のいいようにだけしていたら、自分のするべきことが出来ない。会いたかった時に、勝手に合えると思ってほしくない。それがとても勝手なことだと思っていないのが嫌だ。

5時過ぎに、部屋をあけたら、結局7時半まで職員とヒアリング。もう、もう、いや。自分の考えがまとまらなくなる。

夕食後、民主党の代表戦の会見のテレビをみようとしたが、コメンテーターの勝手な理屈を聞くのも嫌でテレビを切った。最近、見たいテレビが全然ない。うちの人たちも録画した番組を好きな時に見ている。昔みたいに、テレビをつけっぱなしにしているなんてなくなった。私もほとんどテレビは見ない。朝日新聞も取るのをやめた。

ユーチューブで会見をみた。菅さんの驚くほどの下品ぶりに私は仰け反った。何を考えて、小沢さんが予算委員会で座っているのが創造できないなんていうのだろう。苦笑して小沢さんは自分も閣内にいたことがあって、予算委員会に出ていたという話をしていた。なんだか余裕のない、ネガティブキャンペーンに走る菅さん。きっとこうするだろうと、ネットに書いてあったけれど、なんと代表戦第1日目からネガキャンかいと呆れた。

小沢さんが勝つことを心から祈る。
31日(火)   今日は、朝家で家事をしたりしていたが、午後は役所に行った。本当は議案書をきちんと読んで、質問を整理したかったが、次から次へと役人が来て、話し込んだので結局何も出来なかった。

実は私は小沢一郎さんが総理大臣にふさわしいと思っている。菅さんの市川房枝記念会での評価は、世間と同じ菅さんの評価ではないと思う。私は始めに政治を市川房枝記念会でしたのだが、民主党の推薦を受けるといった時に、菅さんが代表だったのだが、賛成されなかった。決して、良いことのように捉えられる事出なかった。結局後で、私は完全に民主党との関係をなくし、無所属になった。(ちなみに、推薦を受けたが、私は民主党員になったことは一度もない。)

それに、一番初めに私が選挙に立つとき、今は亡くなったが私の参謀をしてくれた小暮さんという方がいた。その方が、私に民主党の推薦を受けるように進めてくれたのだが、その際に、小暮さんがおっしゃった事が心にずっと残っている。「僕は決して菅を尊敬もしていないし、信じてもいない。酷いやつだから」というのであった。彼は個人的にある方を通じて菅さんを知っていた。それを聞いた時に、おどろいたものだ。だって、私は菅さんを市川に近い方で信頼できる人だと思っていたからである。

その上、私は円より子さんのところの勉強会に行っていたが、その際の、円さんの言葉の端端から菅さんの批判を聞いたような気がする。円さんは東京都支部長だったが、彼女にとって大変やりにくいことを言ったりしたりするという人がいると聞いた。女性ゆえに苦労しているんだと思ったし、菅さんの無理解にもあきれたこともあった。

私は直接菅さんとはお目にかかったことはないが、ワンクッションからの菅さんの評価を聞いたが、誰一人から「菅さんがすばらしい」という話を一切聞いたことがない。小暮さんにしては、私の選挙当選後すぐに自殺なさったので、とくに菅さんへの批判が強く印象に残っているのだ。

今回、菅さん関係のニュースをフォローしているが、彼が嘘つきだなあという思いがしてきた。トロイカってなんだったんだろう。決して小沢さんが言い出したことじゃないだろうに、まるで小沢さんがポストをほしがっているかのように喧伝している。嫌だなあ。それに、権力に恋々としているのが見えてきてとても嫌な気持ちでいる。この3ヶ月、ちっとも仕事をしているようには見えない内閣で、菅さんへの信頼はどんどん失われている。9月議会が始まっているが、去年、亀井さんに寄って積み上げた補正予算が出てきたのを思い出す。(その時菅さんは財務省の役人の尻馬にのって多すぎるといっていたが、地方にとっては大変使い勝手のよいありがたい補助金も多かった。)今年、菅さんは夏休みをしっかりとり、鳩山さんにまとわりついていたが、何をしているのかと思っていた。それがあの鳩山さんの調停へのお願いであったとしたら、最後は全くなんだったんだろうと思ってしまう。

もう、本当に菅さんがあと1年も首相をしていたら、見事に失われる1年になってしまい、自殺者はふえ、失業者とフリーターだけの若者になっていくだろう。何とかしようよ。残念だなあ、私が民主党員でも、サポーターでもなく、この選挙に参加できずに切歯扼腕しているだけなんて。
 30日(月)  今日は家にいて、家事、それから一般質問の原稿を書いていた。役所に行ったら、仕事が出来ないから。

夕食後は、サピオにトレーニングに行った。
 29日(日) 今日は7時半に目をさましたが、もう少し寝たいと思って目を覚ましたのが、なんと11時半。ベッドでさまざまな本を読んで起き上がったら、なんと1時半。それから食事をしたが、きっと脱水症状だったのか、一日中調子が悪くて、寝たりおきたりしていた。昨日も野球から帰ってきたら、11時過ぎていて、寝たのが、1時半過ぎ。疲れが取れない。

それに、エアコンをけちったから、少し熱中症ぎみだった。お腹の調子も悪く、下痢もある。おかゆを食べて、入間の湯へ。リラックスできてよかった。もう寝る。 
28日(土)   今日は朝からHPのアップなどをしていた。体調が今一で、横になっていたい。トレーニングすら行く気になれない。夏の疲れが出てきた。

夕方4時過ぎに家をでた。後楽園の東京ドームでホンダの野球の試合、都市対抗野球の一回戦があるからである。家は野球すきが多いから、夫と息子と3人で出かけた。ゲームはホンダの先制ではじまったが、追いつかれ、最終回の3点で勝負をけっした。こう書くとあまりにも平板だが、2回も追いつかれた試合だったから、はらはらドキドキ面白かった。やはり、ゲームはライブショーである。テレビでも見れるかもしれないが、臨場感や高揚感はその場で見ていなければ分からない。だから、応援に行く。

議会からは手島さん、伊藤さん、猪俣さん、新さんなどが来ていた。まだ、第一試合目だから、ディフェンディングチャンピョンとしては、まだまだいけるということかな。長野がいなくなったから、打撃がだめかなと思ったが、なかなか強力。また、飯能南高校出身の武藤君ががんばった。ちょっとうれしかったが、どうして聖望の大塚君を撮ってくれなかったんだろうと、恨めしい気持ちもある。
27日(金)  今日は午後からケーブルテレビの工事が入るので、お休みの日にしていた。もう、勉強疲れで数字が目に入らないし、意味もつかめない。まるでセミの抜け殻のようだ。いくつかファックスが着たけれど、読む気も起こらない。

午前中は家事。いつものように月末はお手伝いさんが居ない。 昼過ぎに少し横になった。夕方図書館へ。新しく自動販売機が入ったと言うので出かけた。見るととても格好のよい機械で、狭山茶を売っていたので、買った。3階の入り口にありますといわれたのだが、入り口の外にあった。一箇所ベンチがおいてあり、七夕の絵が描いてあって可愛かった。本当は、あんなに安く売らず、他のところと同じ値段にして、少しでも図書館にお金が入るようにしたらよいと思う。

珍しくサティで買い物をして、帰ってきた。素麺を娘が作ってくれていたから、買ってきたお惣菜と一緒に食べた。夜は、珍しくテレビを見たり、ビールを飲んだり、のんびりした。それでも、10時過ぎから、HPをかきはじめたから、ぜんぜん仕事をしなかったことにはならないなあ。
 26日(木) 今日は朝から気分が良かった。実は9時から役所で決算の勉強会だったから、朝はばたばたしていたが、テレビを見ていると臨時ニュースがはいり、小沢さんが記者の前で民主党の代表戦に出馬を正式に発表した。わ~~~い。ようやく小沢さんが決断してくれた。菅政権の無能振りは誰もがわかっていると思う。菅さんは特に経済にきっとどう手を打っていいか分からないのではないかと思う。 まず驚いたのは、この不景気・デフレ・雇用不安・円高・株安の時に、なにか手を打っているとは思えない。閣僚が頭を抱えている風でもない。どうしたことか。

参議院選挙の時、突然、菅さんが消費税増税を唱えたのはびっくりどころではなく、馬鹿の骨頂だった。この不景気に逆累進性が著しい消費税の値上げなんて、庶民が賛成するわけがない。まずは職を与えよ。消費税増税反対市民会議にまで私は出席したものね。税収を上げるのを目標にしたのだろうが、3%を5%にしたときは、税収は結局3兆円近く下がったという。バランスシートが経済をよくするわけでない。

インフラターゲットを言う人も居て、貨幣を増やせばインフラになると思い込んでいる人がいる。日本の銀行はあの小泉・竹中組の時、経営状態の悪いところからはお金を引き剥がしても、会社を倒産させてもバランスシートを回復させろと言われた。会社はそんな銀行を恐れて、お金を借りない。内部留保している。さもなければ倒産だ。だから、お金の量の緩和をしても怖くて誰も借金できない。だから、余ったお金はアメリカ国債を買うことになり、日本の金が外国へ外国へと逃げていくことになる。今、円高だから、外国貨幣を買い付け、儲けようとたくらんでいるのが居るに決まっている。円高であそんでいるのさ、金持ちが。オイル、金、そして円。投機の対象だ。

日本人の若者に夢がない。希望がない。これは一重に雇用不安の精である。これをどうにかせねば。貧富の拡大は著しく、ご飯も満足に与えられない親すら出てきている。こんな状況の改善策を菅政権はどう修正しようとしているのか。マニフェストを変えて、国民の生活が第一から大幅に自民よりマニフェストに勝手に変えたじゃないか。ゆるされませんよ、これは。

言いたいことはたくさんあるけれど、小沢さんに期待したい。それにしても、これからは小沢バッシングが一段と進むことだろう。マスコミは小沢一郎が嫌いだ物。今までだって、いい加減なニュース、編集意図がまるで分かるニュースの仕方。公正公平なんていまどきのテレビにはないとしか思えない。そんなことに、日本国民が振り回されないことを心から祈っている。

勉強会は延々と続き、終わったのは8時前。直接サピオのプールに行き、1時間ほど水中歩行をした。歩いていても、頭が飽和状態だから何も考えずにぼおっとなって歩いた。だから次々に追い抜かれながら、歩いた。人が多くいて、驚くばかりだ。8時過ぎのプールなのに。

帰って、夕食をたべたのはもう10時近かった。
 25日(水) 今日は、朝10時からヒアリング。総合政策部。午後は、市民部。役所を出たのは9時半を過ぎていた。ヤオコーに飛び込んで、糖分0のビールを買い込んで帰ってきた。夕食をして、ほっとした。もう、12時半。眠る暇があるのだろうか。

なんだか、政治情勢がむなしい。日本はどうなるんだろうか。このまま、沈没していくのだろうか。それが分からない人が多すぎやしないか。後、20年後の日本はどんなになるだろう。貧しい国へ転落か。こんなに世界で一番豊かな国なのに、ヒルに取り付かれたように富が外国に持っていかれている。それをなんとも思わないのか、日本人。悲しいし、むなしい。 
24日(火)  今日は、朝息子に付き合って、銀行へ。その後、西口の町田園で抹茶ソフトを食べ、茶蕎麦を買った。勤労福祉サービスセンターに行ったら、勤労福祉センターの間違いだと指摘された。本とに紛らわしい名前の2施設である。労働産業センターで、催し物をしていたので、チラッと覗いたが、人が居ないなあ。

午後は、ヒアリングがあった。時間ばかりがかかってしまった。民生費。福祉部。
23日(月)  今日は午前中に全員協議会。報告1件。消防の統合をしたいらしい。本当に必要なのだろうか。もっと、狭山市の財政が逼迫したら、現実見があるだろうが、今すぐにすべきかどうか、判断に苦しむね。

その後、1時から建設環境委員会。先の西口の市民広場の計画変更について。少し、広く使えそうだ。それでも傾斜地だから、思ったほど広くはないし、傾斜もきついことだろうと思う。トイレが問題となったが、トイレは必要だけれど、管理が大変である。

その後、ヒアリングがあった。帰ったのは、思ったより早かったので、夕食後、サピオへ。暑いので、今回はプール。心地よく疲れた。 
22日(日)  今日は、朝、近くの教会で礼拝を持った。教会堂を新しくしており、礼拝室がとても明るくなっていた。同じ場所に建て替えのだが、やはり神様はあのあたりに教会を必要となさったのだろう。

礼拝後、急いで佐久市に飛んでいった。先週お見舞いした知人が金曜日に亡くなり、今日火葬されることになったという。それで、どうしてもお別れに行きたくなった。行きは急いだので、なんと佐久のインターまでほぼ1時間半でついた。驚異的な速さなのだが、インターのでて渋滞した。それでも、小海まで2時半ごろついた。もう、焼かれ始めていて、骨が出てくるのを待った。とても小さな弔いの集団だった。 思い出を少し語ったが、泣く人も居ない静かな時間だった。本人が死を覚悟していた。口が利けるときに、「もう、今度はだめだ」と言っていたそうだ。体がぜんぜん動かなくて生きているのがつらかっただろうと教会の友達が言っていた。

なんだか、今回もこの死に納得した。奥さんはパーキンソン病で何年も闘病していた。その上に、彼女は悪い癖もあった。それに付き合い、いい加減つらくなっていたのだろう。2階から足を滑らせること3回。3回目には頭を打って、全身不随になってしまった。最後には、現実から逃げ出したかったのかもしれない。そんな風にも思った。そして、神様はもう十分耐えたと天国へ連れて行ってくださった。そんな風にも思う。だから、悲しむことはない。泣く必要もない。皆淡々としていたのはそのせいだろうと思う。

骨もきれいだった。初めて火葬を見たが、気持ち悪いこともなく、骨壷に収められていくのを見た。魂の亡くなった後は、聖書の言うとおり灰汁になるんだなあ。

帰りに亡くなった知り合いの連れ合いにお会いして、お悔やみを言って帰ってきた。彼女は火葬場にこれなかったから、自宅に尋ねたのだ。彼女もあっけらかんとしてて、なんだかなあ。彼女のために、死んだ知り合いはあんなに苦しんでいたと言うのに。

帰りは、すごい渋滞で4時間以上かかって帰ってきた。くたくただ。
 21日(土) 今日は、朝からHPの更新をしていた。お昼を食べてからも続けた。北欧ツアーを書かなければならないし、この「私の独り言」も沢山書きたいことがあった。文字を書き連ねるのは本当に大変であるし、人様に見てもらえるページを作成するのは骨が折れる。とにかく、忙しい。来週も議会のための準備があるし、出来る限り今週末にアップしたいと考えているが、無理だろう。

夜、疲れ果てて入間の湯に行った。 
20日(金)  今日は9時から議会活性化委員会。前自治会連合の人たちを参考人招致した。自治会の人たちの意見を聴取したのだ。 委員会を傍聴し、参考人の話を途中まで聞いた。意見の開陳をおねがいしたのだが、参考人には自分達が何をしに来たか良く分かっていたのだろうかと思う。懇談会に来たわけではない。また、委員会として参考人意見をどのように聞くのかについて統一的に話し合ったようでもない。委員会の前に協議会をもったというが、1時間の意見聴取に3時間以上もかかっていたなあ。

私は議員削減の前自治会長さんたちの意見を聞いて愕然とした。市民の代表の議員の数を少なくして、市民の声を反映しやすくなるのか。自分達の首を絞めることになるとなぜ考えないのか、理解不能だ。先のスウェーデンでは179人に一人の議員をだし、できる限り直接民主制に近い議会を目指しているといっていたが、少なくなればなるほど、さまざまな意見は聞かれなくなるんじゃないだろうか。

「少数であれば精鋭になる、40年の民間会社勤めでそれを実感している」といっていた人が居たが、民間企業では選挙しないものね。民間企業と議会とは比べ物にならないのをなぜ分からないのだろうか。小数になれば、私のような選挙基盤のない者は、能力ややる気に関係なく落選すると思う。私はそれでも現職で今まで10年の実績があり、その間誠実に議員を行ってきたし、研鑽にも励んできたと自負しているが、それでも、私のこの能力とやる気と実績をどのくらいの人に分かってもらえるか自信はあまりない。

選挙の競争は候補者が多ければ競争は激化する。定員の数ではなくて、候補者の数を増やさなければ選挙の競争性は保たれない。24人であろうが、21人であろうが、18人であろうが、候補者が定員どおりだったら、無投票。競争なんてない。少数精鋭というが、競争によって精鋭を求めようと言えば、候補者の質を上げる努力と、多数の候補者を擁立しなければならないと言うことである。

間口が狭くなれば(議員数が削減されれば)、当選票数が上がるのは見えている。27人が24人になったとき、当選ラインが500票も上がった。へたしたら、21人になれば2000票でも当選しないかもしれない。当選できるのは、党に属して基礎票のある人だけになるだろう。または、昔のように自治会推薦などという事も行われ、選挙民の縛りが出てくるかもしれない。議員が党所属者や宗教団体の所属者だけになったら、市民のほとんどが無党派なのに、本当に市民の意向が反映する議会になるのだろうか。

それに、前自治会長さんたちは、21人まで削減する確固たる理由はないという。何人がよいかは分からないが少ないほうがいいというのだ。18人でもよいという。まあ、議会が議決機関であるならば、実際は4人議員がいれば足りる。議長、副議長、委員が2人。3人が意思表明し、2人が意見のあったところで決めればいいわけである。委員会だって、議会と同じ議案の審査をするのだから、委員会もなくしても良いわけだし。しかし、日本は地方議会では2元代表民主性をとっている。首長の権限が強いので、議会が決定することで首長の権限に歯止めをかけるということで、議会が決定しなければ首長は予算の執行も不可能だし、ほとんど何も出来ないことになっているのだ。

また、日本の地方議会は2元代表民主制で、市長へ市民の声を議会という正式なルールの下に要請も出来る。もちろん、要請だから強要すると言うわけには行かないが、市長がその意見を全く無視することは難しい。だからこそ、多様な議員による、多様な市民の、多様な意見を述べ伝える議会であるべきである。それには、多くの議員が必要だ。

いや、地域の課題は自治会長が解決しているので、議員は必要がなくなったんじゃないかという声も上がった。自治会長の行う課題解決と市全体を見渡したときの問題解決とは違う。議員の仕事は、地域の道路直しの話などを議会でしていることは(そういうことを議会で取り上げる議員も中に入るけれど)少ない。たとえば、私は一般質問でこの前人口問題を取り上げた。市の運営をどうして行くか、なぜ人口減少が起きるようになり、どうしたら狭山市の子どもが増えるのかなどを話し合った。コミューターバスのことも、水富地区だけの話ではなく、市全体でどうするかを考えた。

もちろん、自治会の問題と重なり合う問題があり、自治会連合として要望されるところもあるに違いない。そういう問題は、議会でも取り上げる必要になるだろう。しかし、自治会の役割と議会の役割の接点はもちろんあっても、役割は違う。選挙で選ばれる議員の役割は大変重いものがある。憲法でなぜ地方自治を規定したのか。法律でもなぜ地方自治を大切にし、議会に重きをおくのか。住民としてよく考えてほしい。

良く分からない発言があった。市民は一人1票しかもって居ない。だから、23人は信任されていないのだという。変な考えだ。自分の入れた1人の議員が自分の思いを代表していてくれると言うのは分かるけれど、残りの23人については信任していないとはあまりにも自己中心な考えでこれが60歳を過ぎた人の言うことかと驚いた。視野が狭く、多くの意見を受け入れない考えではないか。他の人に信任は認めないということか!!自分の考えと違う人を信任する多様な市民の存在をどう考えるのか?こういう考えでは民主制は定着しないだろうと思う。

8月初旬に北欧に行き、自分達が勝ち取った民主制を大事にしている国々を見てきたからこそ思うのだが、日本人は民主制を大事にしなすぎるのではないかと思う。議会を大切に思わないのではないかと思う。議員を自らの代表とは認めない人が多すぎるのではないか。(今の議会制度が嫌ならば、北欧のように、議院内閣制をとること、議長が市長をし、選任議員が各部を担当すると言う手もあるだろう。また、アメリカのように市長をシティーマネージャーにすることも可能だ。その際には、憲法改正が必要なのかな)

議会が何をしているか分かりにくいのかもしれない。なぜ、議会は行政とは対極に居るのに、議会を行革の対象にするのか。議会改革はあって当たり前だが。安い議会を作りたいというが、どの程度を安い議会と言うのか。だって、狭山市は決してお金を使いすぎているわけではないんです。分かってもらえないのはどうしてだろうか。それに、なぜ、前自治会長さんたちは議会を市民に敵対するような感じで捕らえているか(少なくとも今日はそうみえた)、理解するようにしたいが、なかなか難しい。

自治会連合会が行革の視点をお持ちならば、櫂よりはじめよ。自治会の統合をして、120もある自治会を少なくするのもよいのかもしれない。だって、自治会長さんは自治協力員として年間20万円(26万のところもあるが)もらっていて、ボランティアといっても有料ボランティアである。自治会を半減すれば、自治協力員他の2000万円ほど税金の投入が少なくなる。議員の数の前になぜ自分達の行革を始めないのか、これも理解に苦しむところではある。自治会は多くあったほうがいい、議員は少ないほうが言いと言うのは、自治に対する矛盾だと思うのだが。

多く思うところがあった。今度は議員削減しないほうがいいという市民団体を呼ぶそうだから、そちらの意見も聞きたい。

私は傍聴をやめた後に、一般質問の通告書を書き上げた。今までの資料請求の資料があらかた用意されていて、その上、優秀な議会事務局の調査係がきちんと集計までしていてくれたから、非常に見やすく助かる資料が出来た。いつもの事ながら、一般質問をするには視察を繰り返し、資料を集め(どんな資料をどう加工するかが大切で、難しい)、考察しなければならない。3ヶ月に1日だけ登壇すればいいから、議員は楽な仕事だと市民の時の田中さんは言っていたが、自分がなってみれば、この1日の一般質問のためにどのくらい勉強し、時間や心や精神を使うか分かっただろうと思う。

それに、人間性を養うことが必要である。同じものを見ても、何も感じない人もいる。想像力というか、共感力というか、そういうものがなければ、政治を進めてはいけないように思う。私は現在貧乏人(!?)ではないだろう。夫も曲がりなりにも働き、私にも所得がある。神様に感謝しているが、息子を大学にも上げられるのだ。その私は子どもの貧困をはじめ、女性の貧困について、一般質問を繰り返してきた。こども手当ては「バラまきじゃない」と大声も上げている。

私は、たとえこども手当てでパチンコをする親や、生活費に当てている親がいたとしても、それは一部の親で、大半は子どもや自分達の必要なものにお金を使っていることを分かっている。(視察で格差を痛感した)それを分からず、あたかもすべての人がパチンコなど親の遊興費に漬かっているかのようにいう人が居るのはいかがなものか。その人は自分の生活レベルでしか物事が見えない人である。市議会議員としては、きっと一定程度の生活水準の議員が多いだろうが、やはり、どこに目や心を向けるか、感じられるかが大切なのではないかと思う。

午後は総務部の所管の決算の勉強会をした。一箇所、ミスが見つかった。昨日、財政課といろいろ話し合って分けが分からなかったところだったが、誤植だったから、意味不明だったと分かった。昨日の頭を捻りあった時間は徒労というものであった。は~~~。後は順調で、昨夜のように遅くまでではなく、なんと6時過ぎに終了。

7時前に役所を出て、久しぶりにヤオコーへ。惣菜を買って帰ってきたが、そのころから体の調子がおかしくなった。のどが痛くて、イソジンガーグルでうがいをしたが、熱っぽくて眠られない。仕方がないので、氷枕で冷やして寝る。9時ごろからごろごろしているのに、寝付けなかった。
19日(木) 午前中から、HPを作りだした。時間だけがかかる。 午後3時から財政課と決算の勉強会。良く分からないことがあり、宿題もたくさんあった。食事もせずにチョコレートを舐め、コーヒーを飲みながら、がんばったが9時過ぎには嫌になって、ぱあっと片付けてしまった。少し余分な話をしていたら、10時。これで終わりとした。
 18日(水) 今日は朝おきたら、息子がお腹が痛く、下痢をして眠れなかったという。病院に電話をしたが、近くの病院は受け付けてくれない。仕方がないので、入間市の病院に子どもを連れて行った。19歳にもなって親と行くのは恥ずかしいと言うが、車でなければいけないのだから仕方がない。つくづく今日仕事を入れてなくてよかったと思う。 

午後1時過ぎに、薬を買って、子どもに飲ませ、ベッドに寝かせたが、下痢は続き、腹痛は直らない。「生理痛みたいだ」などと息子は言うが、なったこともないのにとせせら笑った。とにかく、きりきりと痛いのだそうだ。暴飲暴食による腸炎かもしれないそうだが、下痢を止めてしまうのもO157を考えると怖い。バーベキューで生焼けのお肉でも食べたかもしれない。

遅い昼食後、私はまたHP作成へ。本当に忙しいのに、子どもの病気。お兄ちゃんは弟を置いて、直江津へ。こすられた車の修理もあるし、エコカー減税のメリットをいかして、新車を買おうかなどと言っている。どうなるかなあ。
17日(火)  今日は夫や娘は仕事。松本から息子が帰ってきていて、友達と遊び歩いている。ぜんぜん家に寄り付かない。

私は、山盛りの洗濯に励んだ。今日よりお手伝いさんが来てくれるから、ほっとしている。まずは、スケジュールの処理をした。行くべきところの最小限に行くようにノートに書き込んだ。そうしないと忘れてしまう。

次に、ホームページで北欧スタディツアの報告を作り始めた。写真は沢山撮ってきたし、メモもたくさんあるが、報告書じゃないから簡潔に書いたほうがいいだろう。それでも、Hpを作るのには時間がかかった。

断続的に夜までHPを作り、1(アムステル編)をアップした。夜は本当に珍しくサピオへ。まだ、夏休みの名残なのかすいていた。
16(月)  今日は朝からお掃除に精をだした。何べんも別荘に来るのだが、忙しく来て、のんびりしたいと言う気持ちが先にたって、最近では掃除もしないで帰ってくることもあった。窓のガラスを見るととても汚れていたし、窓枠も白なので汚れが目立った。床も掃除機をかけるだけでなく、水拭きをする必要もあった。本当はワックスがけもしたかったが、時間がなかった。娘が手伝ってくれたので、はかどってよかった。窓枠をブラシを使って掃除をしたのだが、途中で指がつった。情けないなあ。

 夕方近く、穂の香の湯へ行った。一家全員お風呂に2日も入っていなかったから、臭かった。まだ、陽があるうちに露天風呂に漬かっていると、「しあわせだわ~~」って思う。明日から忙しいのに。

電話で交通渋滞の状況を聞くと30キロ渋滞という。少しゆっくりしてから出かけたほうがいいと、買い物をした。そこの駐車場で駐車していたら、おじいさんに車をこすられた。その後の処理に手間取り、夕食が遅れた。どうして、こすらなければならなかったのか理解に苦しむような事故である。私より、10歳しか年上でないのに、全くどうしたものか。おばあさんが謝り、泣きそうな顔をしていた。事故処理に警察を呼ばなかった。呼ぶべきかどうか迷ったのだが、物損事故だし・・・・

夕食をいつもの杏亭でとり、佐久出発した。今日は高速代が高いので、富岡近くまでした道で帰ったが、なんと2時間ぐらいで帰宅できた。早かった。
15日(日)  午前中は礼拝。野沢福音教会はまるで第2の教会だ。ここで、古くからの知り合いが頭を打って特別養護老人ホームに入ったと言うのを聞き、昼食後会いに出かけた。

知り合いはまるで前の状態がわからないほどやせ細っていた。ネームプレートがなかったら誰なのかわからなかっただろう。お祈りをしてきたが、うっすら涙がたまっていた。 

午後は、デッキの防虫防腐剤を塗った。暑い中夫と娘とがんばった。途中、娘がブロックを動かしたら、その中に蜂の巣があり、3箇所さされると言うアクシデントがあった。夫も1箇所指された。娘の毒を出来る限りだして、消毒をして、薬を塗った。冷やして安静にしていたら、腫れも引いてアナフラキーショックも起こさずにすんだ。ほっ。

7時半から野沢で花火があるというので、教会に出かけた。教会の庭からは花火が良く見えた。知り合いにもあって、おしゃべりもした。9時まで1時間半もある花火。見ごたえした。おそくなったので、穂の香の湯へはいけなかった。
14日(土)  朝、ゆっくりした後別荘に出発。佐久まで渋滞があり、時間がかかった。夜はスーパーで買ってきたお寿司を食べた。星が美しい。 
13日(金)  今日は午前中ゆっくりした後、母を連れて桑取温泉に出かけた。アブがお風呂の中でぶんぶん言うし、露天風呂にもいるし、着替えの場所にも居るし、なんだかゆっくり出来なかった。夕食に間に合うように、帰ってきた。道の両脇の田んぼに緑の穂がみえて、豊かな新潟県の風景。

夜は、広い実家で、海からの風もはいり、ゆったりとした。 
  12日(木)  今日は、スーツケースが午前中に届き、洗濯を大量にしたら、お昼をすぎた。日本の暑さには参った。ヨーロッパの最高気温は22度だった。心地よい気候だったのに、10日間で慣れてしまった。その後、直江津に親に会いに行った。湯沢、六日町経由。台風だというので高速道路は閑散としていて、渋滞などは無かった。松代で蕎麦で夕食をとったが、おいしいお蕎麦だった。夜、直江津につき、涼しいのでほっとした。
 3日(火)~
11日(水)
今日から11日までは、北欧スタディツアーをご覧ください。ここをクリックしてください。北欧スタディツアー 
 2日(月) 今日は朝から明日の視察の準備。北欧へ初めて行くので、少しうきうきはしているが、忙しすぎて準備もこれでよいかと言う感じ。少し洋服や下着が多すぎるかもしれないが、洗えないことも考えて詰め込んだ。大きなスーツケースとその中にひとつ荷物が増えても良いように袋を入れた。男の人とは違い毎日同じ服を着るのも嫌だし、それに公式な訪問でもあり、スーツも必要。朝はホテルで食べるとしても、昼も夜もレストランで食事をするとなれば、そのための服も必要だろう。 

このコンピューターを持っていくので、手荷物も重くなる。明日は朝5時40分の所沢からのバスで成田に行くので、早く眠りたいところだが、あれこれ準備をしていると早くに眠られそうに無い。
 1日(日) 今日は午前中礼拝。今日までで、来週からは夏休み。牧師先生も毎週大変だ。だから、私達もいろんなところで礼拝を持つ。これもOK.礼拝後、沖縄からのアイスクリームをご馳走になって帰ってきた。

家に帰る前にヤオコーへ。買い物をして、友達と立ち話をした。珍しくうなぎを買った。最近暑いのでテレビを見ると鰻の蒲焼などが移る。私が鰻が好きでないし、高いので、買わない。お刺身のほうがおいしいと思うのだが、夫が鰻が好きで、最近鰻を食べないなあなどと昨日言っていたのを思い出して、安いのを2切れ買った。娘と私は鰻がすきでないので、夫と息子の分だけ。

かえって遅い昼食後、美容院で毛染めをしてもらった。それとカットも。3日から北欧へ視察に行くので、身だしなみを整えた。

あっという間に夕食。さっき買ってきた枝豆がおいしかった。なすの炒め物。夫にはうな丼。夕食後は、旅行のための準備を始めた。9日間という長丁場。明日、いろいろ買い物もしなければと思う。 

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