私の独り言

今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。乞う、ご期待。
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kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。

2002年
8月 私の独り事
8月21日(水) 帰国。着いた。1日損したような感じ。
8月20日(火) 今日は朝から帰る用意で忙しい。お母さんに空港まで送ってもらって、分かれた。今、アメリカの空港は改築が盛んだ。テロによって、入国も出国もものすごく管理が厳しくなり、前はゲートまで見送りに来れたが今は飛行機の手続きが終わるとすぐ荷物検査で見送りが出来なくなっている。日本のようになってしまった。だからさようならもそそくさとしてしまうわけだ。

今回アメリカに行って思ったことは、テロの余波がとても大きいと言う事である。毎日多くの家で星条旗が掲げられていた。“アメリカがんばれ”という意思表示だとおもう。テロの話がニュースで何べんも出てくる。悲劇の主人公のようなメロドラマチックの扱いに外国人の私は鼻白んでしまう。今、アメリカが爆撃を続けていると言う事実を報道しない。キューバの捕虜の様子が写されていたが、まるで犬や猫、または動物園の動物のような扱いに私は気分が悪くなってしまった。アメリカ人はあれをどう思って見ているのか分からない。

さすがにイラクを攻撃するという考えには、日曜日にリスクが大きすぎるという記事がデトロイトタイムスの1面に載っていた。批判が大っぴらに出来るようになってきている。家のお父さんもイラクに侵入するなんて馬鹿な事だと言っていた。まあ、デトロイト、ミシガンは民主党の強いところだから、共和党の考えにはかなり反対な人も多いのだが。
8月19日(月) 今日はのんびり、最後の日を過ごした。最後のショッピングもした。チョコレートをたくさん買った。ジムが一年に5回も6回もアメリカに来ているので余り買い物もない。今回はジーンズも買わなかった。市議会議員になってから、あまりジーンズもはかなくなってしまった。

今日、ジャステンが居なくなって、寂しくなってしまった。けれど、私は後ろを向いて生きないはずだ。とても楽しかった過去の17年だった。その間には大変な時だってあった。これからも、楽しい事、辛い事、大変な事たくさんあるだろう。後ろを向かず、これからの事に果敢に生きていこう。子供が羽ばたいても私の人生がある。続いていく。
8月18日(日) 何とジャステンが行ってしまった。彼はこれを機会に大きく羽ばたいてしまうのだろう。一年アメリカでしっかり勉強したり、楽しんだりしてほしい。3週間ここにいてよかった。私の方の心の準備が出来た。私がしてきたように独立して生きていける力を息子が付けてくれる事をのぞんでいる。でも、こんなにため息が出るのはなぜだろうか。寂しいという言葉で表せない不思議な思いで一杯です。
8月17日(土) 今日は、おきてからジャステンの最後の支度の点検した。歯磨き用ブラシなどすぐ必要なものすべてを買ったつもりだが、結局は忘れ物もあるに違いない。

午後、ワイエンドットのダウンタウンにカーニバルが来ているというので、見に行った。ストリートカーニバルなのにすごい遊具が合って驚いてしまった。多くの人がでていた。子供はそのいくつかに乗った。私はアイスクリームを食べて見ていた。l

夜、ステーキを食べに行った。本当においしいステーキで、私はリブとサーロインのコンボを食べた。見かけのレストランの状態と味とは全然違うので驚いた。本当においしかったのだ。其れがたったの15ドルとはおどろきである。食べ物は本当に安い。
8月16日(金) 今日は、遅くまで寝ていた。それから、ジェニイが夫のミッチ、クリスティを連れてきた。彼らはテキサスから昨日の夜遅くやってきた。余りジェニイがやせてしまって驚いた。病気だったそうだ。彼女はレントゲン技師である。1度目の結婚が惨めに終わったので、今の結婚が末永く続く事を願っている。とにかく今のところ10年続いているが。

アメリカでは離婚はよくある。でも、離婚を喜んでいるものは一人もいない。本人、子供、親戚、祖父母、みな悲しい思いをする。日本で誰か姓を変えるととか変えないとかで家族がばらばらになると言う人が居るが、其れは離婚とは全然関係ない。愛受け、愛を捧げるそういう事がたいせつなのだ。

夜、ピザパーティをした。今日はジョー一家、ジム一家、ジェニイ一家、ジュディ一家、祖父母と20人のパーティーであった。
8月15日(木) 今日は午前中に校長先生に会いにいった。マーシャもジャネットも来てくれた。いろんな話をしたが、良いアメリカを見てほしいし、アメリカ生活を楽しんでほしいし、良い経験もしてほしいと思う。他人の飯を食わせるわけだが、辛抱できるか心配したらきりがない。祈っている。午後銀行に行ってジャステンの口座を開いた。マーシャに下宿代を前払いした。とても安くて申し訳ないが、食事代には余ると思う。

午後天気がよくなったのでカヌーに行った。静かな川。昨日の雨で緑がとっても美しい。けれど、10年前に比べ何と家が立ち並んだ事だろう。また、川の水が汚くなった。流してはいけない洗剤を流しているのかもしれない。残念だ。それでも、青さぎ、鴨、カーディナル、いろいろな鳥、亀、魚、トンボ。ジャステンが“魚がトンボを食べたのを見た。”と言った。こんな風に自然に触れるチャンスがどうして日本には無いのだろうか。カヌーは5時間コース、4時間コース、2時間コースなどがある。日本で5時間もカヌーをこげる川があるのだろうか。この川は護岸工事なんてしていない。時々木が倒れていたりする。その木に亀が甲羅干しをしていた。とても大きな家が川を見下ろすように建っている。本当に金持ちの国だ。アメリカは。これでは貧しい国がやきもちを焼くのも無理ないことである。

夜、ジョシュアと会った。サンディエゴから妻のアンジーとやってきた。明日友達の結婚式があるのだそうだ。仕事は大変かもしれないが、教会で良い人に会いそうだ。アンジーはこれから大学院に行って彼女のキャリアを作るらしい。前途洋々の若い人たちのために祈ろう。
8月14日(水) 今日はカヌーをしたかったが、雨がひどくて出来なかった。仕方が無いので、ボーリングをした。私はボーリングのアベレージが何と30と言う人なので、子供と共にガター無しでした。初めて95なんて取った。ガター無しでしている大人は私だけだったようだ。とほほ。その後、パターゴルフをした。18ホールとても面白かった。勿論私は記録係。家族で一緒にいるのは久しぶり。もうすぐジャステンを置いていくかと思うとさびしい。
8月13日(火) 今日はマーシャから電話が掛かってきて、ジャステンの行く学校の校長先生が私達親に木曜日の午前中に会うと言うので、急いでパックして、お父さんの車を借りてミッドランドに行く事にする。本当はナイヤガラの滝を見に行こうとしていたが、ジェレマイアの熱のために其れをキャンセルしていたのだ。今日はジェレマイアも熱が無いので連れて行き、明日小さな家族旅行をしたいと思っている。もしかしたら、これが最後の家族旅行かもしれないので。
8月12日(月)  今日はジェレマイアの熱は少し下がったようだが、私は彼と一緒に家にいてジェレマイアの様子を見ていた。ジェレマイアの熱は夜に上がってしまったので、またタイラノール(解熱剤)をあげた。日焼けのしすぎだと思うのでお水をあげて寝かせている。余りひどくなったら病院物である。

ジムたちは、ジャッキーをジョーの所において、スターウォーズ、エピソード2を見に行った。もう、この近所ではスターウォーズは終わってしまったので、HPで上映している劇場を探し1時間も掛けて見に行った。私はジェレマイアの心配をしながら、洗濯をしたりした。夜はジャステンの頼みで4人でスペーズをした。
8月11日(日) 今日は起きてみたら、ジェレマイアが熱を出していた。遊びつかれたのだろう。昨日、余り楽しそうだったので、セーブせずに遊ばせていた。食べるのもたくさん食べた.。毎日なにか楽しい事を1つづつしようとしていて、時には体力の限界まで遊んでしまう。それに、ジェレマイアには糖尿の気もあるのだから、本当に気をつけなければならない。

午後ジムが到着した。可愛そうに疲れきっている。今日はコテージから帰ってきて、ジェレマイアは熱を出しているし、ジムは疲れているしで、静かに過ごした。ジェレマイアが早くよくなることを祈っている。
8月10日(土) 今日は朝早くジョーのコテージに行った。ジョーは今年デトロイトから3時間も掛かるところにコテージを買った。人造湖に面したとても素敵なところにあり、ボートと2台のジェトスキーをもっている。とても楽しかった。ジョンの家族4人もきたし、ジェイの家族も来た。と言うので子供だけでも10人大人が10人と言う大きなパーティーとなった。勿論お昼ご飯はバーベキュー。ハンバーグ,ホットドック、スイカ,ポテトサラダ、ケーキ、クッキー、いろんな飲み物、わいわいゴシップをしながら食べるのはとてもおいしかった。その上、天候は最高。申し分の無い夏のパーティー日和だった。

女性はおしゃべりを楽しんだが、男性は子供達をチュービングに連れて行った。ジェレマイアはとても楽しかったらしく、3度も乗った。チュービングはまるで、水上スキーをうき袋のようなものでするのだ。ジャステンはジェットスキーをした。何べんも乗っていた。また、彼はジェットスキーにも飽きたといって、座ってみていた大人の人とトランプを始めた。長い事闘っていたが、とうとう高校生組みが大人に勝って嬉しそうだった。

夜は疲れきっていて、みな早くにねた。嬉しく楽しい一日。思い出のひとコマとして決して忘れないだろう。
8月9日(金) 今日は娘は姪のルビーの働くデイキャンプに連れて行ってもらった。プールに入ったりと楽しかったらしいが、何をしたのか良く分からない。言葉が分かればもっと楽しいのかもしれない。男の子達は午前中は、近くの公園でエクササイズをして、午後からはプールに行った。疲れきって帰ってきた。

私はショッピング。久しぶりに楽しんでいる。結局たくさん買っているが、決して大きなものを買えないのが残念だ。ブリーフケースを買おうとしたが、大きすぎてみっともないと言うのが私のかんそうである。

そろそろ日本の食べ物が恋しい。何を食べていたか思い出すのも難しくなっている。
8月8日(木) 今日は、トリド動物園に行った。私は13年ぶりだった。トリドは大きな都市だ。それにしてもミシガンからたくさんお客を呼び寄せるぐらいだから、とても魅力があるらしい。ジムの親は、子供を良く連れて行くので、この動物園のスポンサー・会員になっている。いろんな形のスポンサーシップがあるらしい。祖父母は孫を連れて行く楽しみがあるので、たくさん会員・スポンサーになっているらしい。これは郡がもっているようだ。たくさんのサポーターと入場者を得て、毎年少しずつ改善しているので、りピーターがたくさんくる。母の話によるとジムや子供達も連れて行ったそうだ。That's kept interesting. いつも面白い、何回行っても面白いと言うのが成功のコツのようで、ディズニーのことを思い出した。

夏休みに子供動物園をもっと楽しいものにして、少しでも多くの人に見せて貰うようにする手立てを考えたい。会員を募集すると言うのは良い考えではないか。
8月7日(水) 今日は男の子がボートで釣りに行くと言うので5時に起こした。その後全然眠れなかった。8時過ぎまで、ベットで本を読んだ。これがバケーションのよいところだ。私は少し日用品を買いに出ただけで、後は本を1冊読むまで家に居た。

子供は私が買い物に行っている間にかえってきた。楽しかったらしく、長男は5匹、次男は3匹釣ったようだ。ボートは父とジョーが共有しているらしく、6人乗りらしいがどんなのだろうか。この前死んだおじさんの大きなボートに比べとても小さいらしいのですが。

今日はゴミの収集日であった。何とワイエンドットのゴミ収集は有料になっていた。小さいタグを付ける。付けないと持っていってくれない。そのタグは買わなければならない。市役所、小さなお店で1枚1ドルでかう。大きなものはまた違うタグを付けるようだ。勿論戸別収集である。しかし、1週間に2枚はただのタグをもらえるので、ご近所の人は出来る限り2個で終わるようにしているらしい。このようにして、ゴミの減量に努めている。

リサイクルセンターは持ち込みのリサイクル用の缶やビン、紙で一杯だった。どんなゴミもお金を出さなければ収集して貰えないので、市民は自分でリサイクルゴミをリサイクルセンターに持ち込む。リサイクルセンターは毎日あいていて、日曜日も1時まで開いているとのことだ。市民に持ってきてもらったほうが、お金が掛からないのだから、市民の持込がしやすいようにするべきである。
8月6日(火) 英語で話しをしてばかりいるので、だんだん出てくる言葉が英語になっている。このHP さえ英語で書き始めてしまった。昨日は、映画を見た“リロとスティッチ”と言うものであった。子供は喜んだが私は眠ってしまった。私には面白くなかったが、ディズニーの映画だから悪くないだろうと連れて行った。しょっちゅう映画に行くが、日本の3分の1の値段で見られると思うとどうしてもお得な感じで見に行く。日本も5ドルぐらいにすればよいのに。

今日は、プールに行こうとしたが、気温が華氏68度、水温が78度では寒すぎて入れなかった。TOO BAD.夜はおばあさん(お母さん)がメキシコ料理に連れて行ってくれた。おいしかったが、子供の下2人は口に合わなかったようだ。残念。とにかく、明日アラスカから来ているジェリーおじさんが、男の子2人をボートで釣りに連れて行ってくれるというので、子供達は9時過ぎに寝てしまった。本当に楽しいバケーションで、日本で、した事のない経験をしていて嬉しい。本当に。

今日、夫からメールが来た。私たちの19年目の結婚記念日であった。ワオ、19年間も結婚しているなんて不思議だ。あっと言うまであった。午後ジャステンと歩いていて、結婚19年の年月を感じた。あの子供がもうこんなに大きいのだから、確かに19年たったのだろう。
8月4日(日) 今日は日曜日。朝9時半の礼拝にいった。この礼拝は現代風でバンドが入り(普通の礼拝はバイプオルガン)で、私達が英語礼拝で遣うような賛美をしていた。なんか胸が一杯になってしまった。牧師が休暇だそうで、お説教は信徒がしていた。とてもよく考えられた良い説教であったと思う。セールスマンをしているという人であったが、彼はきっと牧師になりたかったに違いない。もっとゆっくり話をしてくれたらもっと分かったのに。

私の英語の力がどんどん落ちているのが分かる。特に映画の会話についていけない時がある。午後は、トイザらスにおもちゃ系の買い物に行った。大きなおもちゃやだが、日本と変わらない。大きな子供には全然面白くなかったようだ。私はその後、食べ物を買いに行った。親子4人が年金暮らしの家にいるのだから、食べ物を買うぐらいするべきでしょう。大きなショッピングカートに一杯買ったのに、120ドルほどですんだ。食べ物はアメリカは安いと思う。ジュース、野菜、お肉(ハムやソーセージも含め)は約半値、ミルク製品は比較にならない。

すべてが大きくパックされていて、これが問題になっている。皆食べ過ぎて巨大に太っている。小錦みたいの人ばっかりなんだから。2年前にアメリカに来た時と比べ、経済が好調だった所為もあり、どこもかしこももっともっと大きくまた、高くなっている。この分で行くと、恐竜が大きくなって死に絶えたように、巨大になりすぎたアメリカも死に絶えるのではないかと危惧が起きる。きっと日本の10後の姿なのかもしれない。
8月3日(土) 今日は昨夜フロイダから帰ってきた母に会った。変わらず元気だった。大家族を指揮ってきたのに、偉ぶったところが全然ない。私達嫁族に対しても対等な人間として、立派な振る舞いだ。すごい人である。お金が掛かっても私達をいつも暖かく迎えてくれる。こんな風に年を取りたい。彼女は銀行員として30年も働いたので年金もあり、金銭的にも精神的にも自立しているのがこういう風にできるのだろうか。

ところで、今日は午前中ジャステンはおじいちゃんが出来ないので庭の芝生を刈った。おこずかい10ドル貰って喜んでいる。でも、本当はジャステンはおじいちゃんを助けたかったのだから、おこずかいは要らないのにと言っていた。我が子ながら、なんか、その心構えが好きだ。

午後は、2時ごろからグリーンフィールドビレェッジに行った。ヘンリーフォードニュージアムのとなりにあって、外の施設がたくさんある。蒸気機関車(本物)に乗り、観光ボートに乗り、メリーゴーランドに乗った。ヘンリーフォードが自動車を作ったころの、家、工場、研究所とエジソンがニュージャージーで研究していた施設などをそのままの形で保存している。アウトドア歴史資料館とでもいえばよいか。

残念ながら、歴史に興味を持ったのは私で、子供達は外の昔の遊びアクティビティーに参加、全然歴史に興味を持たなかった。なんと言うことだ。入場料は高く、乗り物も高かったが、ミシガンに来たならば一度は子供を連れて行くべき場所だと思うので、親としてひとつノルマを果たしたと言う感じだ。
8月2日(金) 今日は3D映画をヘンリーフォードミュージアムまで見に行った。ディアボーンはまるで、狭山市の状態である。フォード研究所があり、実験者の試運転場があり、広い広い博物館があり、生産ラインもあるようである。昔、飛行機を作っていたと言う工場もあった。何でもゆったりとしていて、お金持ちの国だなあ。

映画そのものは、スペースでの飛行士たちの話で、そんなに面白くもなかった。でも、宇宙が好きな子供はこれを見ると勉強して、いつか自分も宇宙に行くんだと思うかもしれない。家の子供達は、全然そんな気にならなかったようだ。でも、無重力状態は経験したいそうだ。3D映画は5月に所沢の航空公園で見たばかりなので、感動が少なかったのだ。テクノロジーだけに限れば日本とアメリカで差異を感じない。

今は夏休みのせいで、映画館は小さい子供で一杯だった。特に親が働いている家庭の子供は教会やデイケアで過ごしているらしく、引率の人に連れられて大勢きていた。アメリカでは母親だって働いているのが普通だから、長い夏休みの間の小中学生のデイケアが必要なのだ。これらのデイケアではいろんな楽しい事をしていてくれる。キャンプもある。どのくらい親が払うのか知りたいところだ。

今日はチャータースクールの話があった。私立の小・中学校である。特にデトロイトの公立学校では崩壊家庭の子供を中心に荒れていて、勉強が出来ないいわゆる崩壊学級が多く、悲観した親達は自分達で学校を始めたのだそうだ。何人かでする通信教育のようなものか、その代わり施設は普通の家だったりする。体育や音楽のような組織だった教育は出来ないから、高校になっても続けたら,どんな子供が出来上がるのか心配だ。広い競争世界で生きていけるのだろうか。アメリカのように超学歴社会で、能力があれば個人主義的に生きていけるのだから、チャータースクールで成績がよければ、社会で通用するのかもしれない。

今日、うちの子供たちは映画館を出てくる時、アメリカ人のモラルの無さに驚いていた。食べたものは食べっぱなし、ポップコーンはだらしなく落としてある。よその子供がそんなでも、我が子だけはそんな事はさせたくない。本人達に自覚があってよかった。
8月1日(木) 今日は、自分で車を運転して買い物に行った。アメリカで運転するのは始めてである。走りにくい。右ハンドルか左ハンドルかの違いではない。習慣の違いというのか、住宅街ではしょっちゅう止まれの標識があって、スムーズに走れない。早く走らせないためにするのだが、線が良く書いてなかったり、木で標識が見えず走りにくい。赤でも、右には曲がってよいのでこれもまごつく。日本より広い道路が走りにくいのは、地図を頭に入れてないからかもしれない。

時差ぼけはまだ直らない。こどもも珍しく8時過ぎには眠ってしまった。私も10時前だが眠くて仕方ない。それでも、今日始めて、昼ねをしないで過ごした。
7月
7月31日(水) 来て良かった。其れはいくつかブラックソン家のニュースで分かります。まず、マーシャが馬に踏まれ重体であること。マーシャは弟ジョンの妻です。先週の木曜日、朝6時ごろ娘のジャネットと姪を連れて乗馬をしようとしていたところ、馬に踏まれ、肝臓とすい臓を痛め、病院のインテンシブケアに居るそうです。ある病院に救急車で運び込んだのですが、余りに重症なのでヘリコプターで大きな町の大きな病院に運び込んだのだそうです。モルヒネなどを入れて痛みをとっていたのですが、今日からはタイラノールに切り替わるそうです。良かった。

乗馬と言うとジョンは82エーカー、10000坪の土地に家を持っていて、自家用馬場をもっているだけでなく、3頭の馬ももっています。だから、朝飯前の馬での散歩と言うのは日常のことなんです。彼の土地を一周するには馬で30分掛かるという広大で素晴らしいところで、私達は年を取ったら、彼の土地にコテージがほしいねなんて冗談を言い合うほどのところなのです。

牛も飼っていて自分のミルクを作ったり、有機農法でトマトを作って自家製の缶詰やら瓶詰めやらをつくり、ストロベリージャム、ブルーベリージャム、ピクルスも自家製です。自分で建てた(文字道理、ジョンが作った)家の巨大な倉庫の、まるで日本の棺おけほどもある冷蔵庫、冷凍庫に一年分の食べ物が詰まっています。特に冬には鹿を裏庭で狩猟し、冷凍保存して起きます。自給自足はアメリカの夢なのだけれど、彼らは見事に成し遂げています。

ジョンは何をしているかですって、彼はダウケミカルという巨大化学会社の研究所の幹部で、理学博士でもあります。
7月30日(火)
2500カウント
何と私はアメリカの夫の実家に居ます。30日の午後4時に成田を出発して、同じ30日の午後3時にはデトロイトに居たわけで、1時間得しました。タイムマシンに乗った感じです。

お父さんに会いました。余りにやせていて、悲しいほどでした。今日は、お母さんがフロイダに行っているので、ジュディと私達4人との6人です。夜はarby'sにサンドウィチを食べに行きました。アメリカサイズにはいつも驚かされます。甘いドリンクの大きなカップを飲みきった息子がお変わりしようとしたので、目で止めときなさいと叱りました。こんな感じで飲み物を飲んでいたのでは、息子が糖尿になりかねません。アメリカ旅行の怖いところです。

時差のために体がおかしいです。

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