私の独り言

今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。

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2002年
12月 私の独り事
12月14日(土) 今日は、いろいろ考えてしまった。というのは、12日の事があったためだ。あの悔しさが、私を内省的にした。わたしは自分をクリスチャンだとおもっている。私は良いクリスチャンになりたいと思っている。では、私にとって、良いクリスチャンとは、イエス様に似た人だ。イエス様は嫌われた人、罪を犯した人、泣いている・病気で苦しんでいる女の人、長年病んでいる人、足の悪い人、目の見えない人、とともにいた。一緒にご飯をたべた。病気を治した。イエス様を信じる人には死人すらよみがえったといわれる。彼は本当の意味では何も罪があったわけではないが、政治的に葬られるために、何の咎もないのに罪びととして十字架に掛けられた。彼は私たちの罪を神様に許しを乞うて死んだ。もう少なくとも私たちクリスチャンの心に2000年もよみがえっておられる。

私がイエスに習いたいというのは、弱いものと一緒にいる。この一点が一番かなあと思う。私は、どうも正統派ではいない。上昇志向がない。たとえば、教員としては臨時的任用の教員(本採用ではない)、議員としては会派に属しない無所属。クリスチャンだって本当に少数派。いわゆるマイノリティーのグループにいつも、(自分の意思でもないのだが)いる。大会派に属するなんて自分でも思わないし、議長や何かの委員長をするとは誰も思わないだろう。私も自分をそういう風にしたいとは思わない。

私は泣く人の側にいつもいる。味方というより、自分もそう。障害者だってマイノリティーだが、家族には視覚障害者、知的障害者、精神障害者と一杯。お金だって権力かもしれないが、家はしがないサラリーマン。長とつくものにも全然縁がない生活。いつも差別する側ではなく、差別される側にいる。悔しい思いもあるし、悲しい目にもあっているし、怖い事もあった。でも、強い立場にいるより、弱い立場の方がイエス様が喜ばれるような気がする。また、クリスチャンとして居心地が良い。

私が弱い人のために、少数の人のためにという時、やはり自分がそうでないのに、哀れんでというスタンスはとれない。自分もその中に入れないでは、いられない。私はそういう風に生きてきた。これからだって、きっとかわらない。人として得な道よりも、辛い損な道に神様の道があるように思ってしまうから。
12月13日(金) 昨日は、委員会審査で請願の審査をした。ある議員の発言で、私はショックを受けすぎて、ホームページを書けなかった。

“臨時的任用の教員(代用教員と彼は言った。)は、給料が安いので、それなりの仕事しかしない。また、代用教員は自分もそう思っていて、仕事をしない。仕事をしなくても、まあ給料が安いし、待遇が悪いのだから仕方がないけれど。保護者は本採用の教員を望んでいる。代用教員だとがっかりする”と言うような事を彼は言った。私は保護者の一人だが、本採用の教員がよいのか、臨時的任用の教員を望まないかに関して、保護者は余り関心は高くないと思う。良い先生かどうかが問題なんだと思う。次に、私も安い給料で臨時的任用の教員を何年もしたが、だからそれなりの仕事しかしなかったと言われると心外である。私は少なくとも、他の教員と同じように仕事をしたと思う。もしかしたら、私のほうが良く働いたという場面もあったかもしれない。臨時的任用の教員だから、質が悪いだの、良い教育をしないだの、給料が低いからそれなりにしか働かないというのは、私には差別に聞こえる。

臨時的任用の教員なくしては、今はもう教育はすすまないほど、いろいろな雇用形態の教員が働いている。私はこれはこれで良いと思う。いろいろな雇用形態で給料や待遇が変わっていく。私は、子育てにおいて、自分が好きな時に好きなだけ働いて良かったと思う。子育ての大変な時は働かなかったし、子育てが一段楽した時は、請われて働いた。理科の臨時的教員なんて、早々いる分けないのだから、お願いしますと言うから、働いてやったと思っていた。そして、精一杯教えた。

私はたくさんの生徒を教えた。教え方がへただといわれれば、それまでだ。しかし、生徒達と心から交わり、真正面から生徒と向き合った。いまだかって、1年しか教えない子供から、街で声を掛けられ、手紙やメールを頂く。担任もしなかったから、たった理科の週3回しか会わなかった子供たちでしかなくても、心を通じた実感がある。私は教育に臨時も本採用もないと思っていた。子供にとって、その時の教育は誰がしようが代わらないからだ。

それなのに、今日のある議員の発言は、今まで私がしてきた教育があたかも質の低い、評価されないもののように聞こえた。反論もすることが出来ないほど、怒りがこみ上げてしまった。悔しくて泣いたのは、人生の中でこれが本当に始めてだったように思う。特に私は自分の教育にささやかながら、誇りを感じています。私のように一生懸命教員をしたものにとって、この議員の発言は侮辱に思われてなりません。

教員に良しあしはあるでしょう。しかし、雇用形態のせいではないと思います。訓練、人間性、教養、こんな事が一番、教員の質に関係があると思います。“あの先生は臨時だから、”とまず、そこで教員を低く評価する事は、私はやっぱり差別だと思います。何べんも言いますが、評価する観点は、雇用形態ではなくその教員の質なのです。繰り返し思い返しても、“代用教員なんて”という言い方は差別だと思います。
12月11日(水) 今日は、半日委員会審査の日だった。議案の審査をゆっくりだが、慎重に行った。私は、昨日の午後、各課に回って勉強をしたが、話を何も聞かずにぶっつけ本番の方が審査そのものは楽しく思った。労働費というか人件費に関する補正予算が多かったのだが、単なる数字の中にも、人が移動し、事務内容が変わりと動きが見えてくる。私は、数字から物が良く見える。ようやく4年間の蓄積が実を結び始めている。

午後は事務所で仕事をした。議会が楽しいと言う事がない。いつもいつも張り詰めて緊張して、ストレスで一杯になってしまう。どうして面白くも楽しくもないのだろうか。私の付き合う人たちと違うせいかもしれない。一言一言に神経を使っているせいでもある。本当に、心底疲れてしまう。
12月10日(火) 今日、一般質問をした。今回は短くしたのだが、答弁が長くなりお話する暇もなかった。今度は、所管を考えながら、話をしなければいけないかなあと思った。はっきり言って、人が、議員が思っていることをかなり勇気をもって言っているつもりだ。町田市長には耳の痛いこともはっきり言っているのだが、私の意見を良く聞くことが彼の市政運営のためになるし、狭山市民の足しになるとおもう。きっとね。

最近議会の風が変わっている。皆、来年の選挙がそろそろ気になっている。当たり前かな。そんな中で私は逆境物ともの発言をしている。是々非々では右からも左からも叩かれる事もある。市民の普通の人からの支援をお願いしたいと思います。あの世界にずうっといると、何かおかしくなっていく。出来る限り、普通の生活、普通のお母さん、普通の主婦、普通の妻、普通の人でいる努力をしよう。変な言い方で、説明しにくいけど、また、普通をする事に努力が要るなんて、変なんだけど、やっぱり普通でいよう。私は普通の人の代弁者になっていようと思う。
12月9日(月)
3700カウント
今日、起きてみたら雪景色だった。それに、ずうっと雪が降っていた。危ないからと、今日は徒歩で庁舎まで歩いた。30分ぐらいかかるだろうと思ったら、なんと50分もかかってしまった。サイクリングロードを真剣に歩いた。足元を見ながら。体が雪道の歩き方を覚えていて、道を踏みしめて歩いた。雪国育ちだもの、雪は大好きだ。でも、雪国の辛い冬を思い出しもして、これが続けば大変だと思った。

昨日というか、今朝寝たのが3時過ぎ、一日中眠くて仕方がなかった。今日カウントが3700を越えた。多くの読者の皆さんありがとう。狭山市だけでなく、いろんなところの方がこれを読んでいてくださるのが励みになります。思ったことのメールもください。
12月8日(日) 今日、いつものように日曜礼拝に出かけた。狭山台キリスト教会へ。たくさん祈り、祈られた。娘のことを私ももっと祈ろう。くよくよする前に。その後、狭山台のマルエツの前で街頭演説。12月議会の議案を中心に話した。

帰ってきたらもう2時半。昨日の残りご飯をおじやにして食べた。

あさっての原稿を作っている。だい2質問を書いている。私の質問は、しつこいといわれている。耳障りは良いが、本当は何にも言っていない答弁なんかいらない。やらないならそれでいいし、いやならそういえばよい。争点だけははっきりさせよう。意見の相違があっても私は傷つかない。残念だとは思うけど。

今日は、ジャステンの誕生日です。日米開戦の日だ。いつもの通り、紅牛へ誕生会に行った。お兄ちゃんがいない誕生日。いなくても覚えている。食べ切れなかった。お兄ちゃんがいないので、全部なくならないというわけ。元気でいてねと祈った。

紅牛で、高橋利恵ちゃんのお母さんに会った。利恵ちゃんは元気で働いているそうだ。「先生覚えていますか。」なんてお母さんが行っていたけど、絶対、決して忘れていない。私の最後に担任した子供たちのことは、今でも、きっといつまでも覚えているんだと思う。向こうは忘れても、私は忘れない。そして、何にも出来ないかもしれないけど、健康で幸せに生きていく事を祈っている。私の教え子は、幸いな事におまわりさんに捕まったという話を聞かない。ただ、中学校で教えた子供が、何人か病気で交通事故でなくなっているのが、悲しい。他の教員のことは分からないけれど、一度教えた子供はいつまでも自分の子供のように思う。例え、私が決して良い先生でなかったとしてもね。
12月7日(土) 今日は、午前中から午後にかけて原稿を書いていた。夜は6時からアカペラのコンサートでだった。思った以上にお客様が入って、盛大なコンサートとなった。何しろ今回は、本当にプロモートしたので、全部で5日600万はかかっているはずだから、とてもとても心配していた。私も実行委員だったわけだが、良くこんなに多くのチケットがうれたと思う。家も結局4人もいった。とても綺麗で、皆が素晴らしいコンサートだったといっていた。特にベースというか、今はボイスパーカッションというのがすごかった。

音響も良く、音が飛ぶ事も割れる事もなく、バランスも取れていて本当に良かった。市民会館の照明もOK.とにかくとにかくコンサートは終わった。後は原稿を終えるだけ。がんばろう。
12月6日(金) 今日は一般質問が始まった。いつもは第一日にするのに、今回は何と3日目の1番にする事になっていて、気が緩んでいる。昨晩は、その前の日に3時過ぎまで原稿を書いていたので、こてっと寝てしまった。今日の質問を聞いていて、皆はケーブルテレビ用のショーをしているのかなあという感じがした。綺麗にしたいという思いがあるのだろうが、私の場合は決して奇麗事ではいやだ。という事は、執行部と意見の対立があろうが、構わないということ。

今回ヒヤリングをしてみて思うことは、市民の味方をしたいのに、変な市民がいて、そういう方に対峙しなければならない役人の辛さだ。同じような意味で、学校の先生達も変な親に突っ込まれて、まるで揚げ足取りされるような状態で苦悩している。本当は責めている、被害者だといっているほうが人格異常者だったりするのだが、回りがそれを理解しない、出来ないでいることがある。変な意味ではなく、ご同慶に耐えないなんて思ったりするのです。

頑張って、正しい事、皆で決めた法律や決まりを守るとりでになりましょう。なあなあでいるのを、勇気を持って止めていきましょう。少しずつの勇気が大きな力になっていくんだと思います。批判される事を恐れない勇気。きっと、強い意志がないと出来ないけれど、祈りながらやり抜こうと思います。
12月5日(木) 今日は、議案審議だった。一生懸命勉強して市民が知るべきことを言ったつもりだが、いつものように口下手でうまくいけません。でも、精一杯頑張っています。ケーブルテレビをご覧ください。

今日の議論の焦点は緑の保全事業での土地の売買だろう。土地の売買どころではなく、そのところを公園化したいという市長の考えには私は反対です。あんな、ダイオキシンまみれの土地は10年ほど寝かしておけばよいではありませんか。そうすれば、自然がダイオキシンを分解してくれます。

それに、大規模な公園は狭山市には2つもあります。公園を考えるならば、身近な公園を地域の子育てのセンターになるように、リニューアルするためにお金を使ってほしいです。若いお母さん達は組織立っての要望なんかしたことがないので、力としてはたらきません。でも、こういう名もない、力のないところにこそ、私は本当に大切なものがあるように感じられます。立派で、人が誉めそやすような公園は庶民の地域の力を育てるに何にも役に立たないことを知っておくべきだと思います。

今晩は、一般質問の原稿を書き始めなければならない。大変だ。
12月4日(水)
3600カウント
今日は、朝街頭演説。もっと早く出かけるべきだ。帰ってきたら子供の様子がおかしいと学校から電話があり、連れ戻ってきた。発作だろうか。いろいろくよくよ考えてしまった。

最近、一般質問原稿にまで考えがまとまらないので、くだらないというか今全然読まなくても良い本を読んでしまっている。今日は「少女パレアナ」を読んだ。昨日は、煮詰まった時のハーレクインで何冊か読んだ。いやなこと、困難な事に正面からぶつかっていくには、寄り道という助走がないと入っていけない。私の本当に悪い癖だ。それで今日もほぼ徹夜だろう。これから書くのだから。
12月3日(火) 今日は議会の初日。朝、駅前で街頭演説をした。私の目からみた議会レポートです。

午前中に全員協議会、議会の議案説明などが終わり、午後は議案の勉強と一般質問の打ち合わせをした。あっという間に時間がたってしまう。

一般質問の原稿を今日からと思っているのだが、質問要旨も煮詰めていない状態だ。こまった。
12月2日(月) 今日は、昨夜ジャステンがアメリカから送ってきたレポートの翻訳を終えた。禁煙についてで、喫煙の害、副流煙の害、法律での禁煙、日本の情報などを満載。英語版のレポートはこのHPに乗せてあるので読んでみて下さい。

日本ではタバコ税が入るので、タバコさま様だという主張があります。今日も役所でけんかして来た。10億も収入になる。だから、タバコを我慢しろというのですが、私はタバコの受動喫煙で死にたくない。家の父も母も喉頭がんになった。タバコによる健康被害を考えると収入以上に健康保険で支払っている金額のほうが多いのではないかと思う。タバコを吸ってもよいけれど、場所をわきまえてほしい。今日、私の議会の控え室で私がタバコを吸ってほしくないと言ったのを、怒り狂った人がいたが、私にはタバコを吸ってほしくないといえる権利があると思う。いくら税金を払おうが、人の場所で、人がいやだというのを怒り出す神経を理解できない。自分の家で好きなだけタバコを吸えばよいと思うのだが、どうだろう。
12月1日(日) 今日は朝は礼拝。教会に行く。午後、入間市の生涯学習フェスティバルに行った。NPOについて調べたかったから。私たち、狭山市はこんなフェスティバルはしないけれど、11月の文化祭は各公民館で華々しく開かれている。入間市はイベントが好きですね。

NPO支援にかんしては、残念ながら入間市のほうが進んでいるのではないかしら。NPOセンターの方とも話したが、社会福祉連絡協議会に行政は事業を丸投げしがちだが、やはり、地域を良く見て、NPOを育てる方向に持っていくべきではないだろうか。国際交流協会もNPO化してもよいし、福祉のボランティアだけでなく、財団法人、福祉法人化するのは難しいが、NPO法人とするのは比較的易しいわけだから、NPO法人として事業をしっかり進める団体を育てるべきだろうと思った。

NPOセミナーを入間市では立ち上げていたし、そういう受講生のなかでしっかりした人は自分たちの組織をNPO法人としてしっかりやっていくという風になるらしい。狭山市ではどこが所管が分からないが、雇用対策の一環として、企業を育てるようにNPOを育てるべきだと思う。

夜、友達のお父さんのお通夜に行った。彼女は一層やせ細っていて、喪服を着ていて良く分からない感じだった。私の年で4人の親が揃っていることに感謝しようと思います。まだまだ、娘のような気がするのも親が生きているからですからね。

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