私の独り言

今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。乞う、ご期待。
皆さんはどのように御過ごしですか。“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。

2002年
3月 私の独り事
3月29日(金)
1400カウント
今日は午前中、事務員さんに議会レポートの原稿を(片面だけしか出来ていない)渡してから、ハピネスの竣工式出てきました。私は狭山市にある全部のケアハウスを視察しました。ケアハウスは田舎にあるのが普通なのに、このハピネスは街の中にあるのと、歯医者や理髪院が隣接しているのが特徴です。ここで暮らす皆さんが幸せに過ごせますように祈っております。ちなみに、狭山市では施設に入りたいと思っている人は270人に上るそうです。

この頃、読者が増えたのかしらもう、1400カウントです。皆さんの中で、クリスチャンだけど最近教会から遠ざかっている人いませんか。皆さん、今日はダークフライデイでしたよ。ブラクソン家はちゃんとダークフライデイ礼拝に出席しました。イエス様は、私たちすべて信じる人を赦し救ってくださるために十字架にかかってくださったのです。日曜日はイースターです。日本で言えば復活祭。私は秋田で教会を探して礼拝に出席したいと思っています。
3月28日(木) 今日はスケジュール無しだと思い込んでいて、春休みなんてゆっくりしていたら、事務所から電話があって、事務員さんに呼び出されました。そういえば、約束していたのだった。今日と昨日をごっちゃにしていました。本当に忙しい。3月30日から4月1日までは秋田県へ鷹巣町の高齢化福祉の視察に行きます。14,5人の友達の市議会議員と一緒に行ってきます。ホテルでは夕食を食べながら、政策論争になると思います。いろいろな市や町の施策を比べるのは勉強になるんですよ。

昨日、教育委員会会議の傍聴記をしたためましたら、早速次長さんからご返事やらお叱りを頂きました。たいていはリスポンスがないので、こんなにすばやい返事があると嬉しくなってきます。あ、やっぱり私のHPを見ていていただいているんだって、書く張りが出てきます。今後も応援よろしくお願いします。
3月27日(水) 今日は朝からゆっくり過ごし、午後2時からは教育委員会会議を傍聴してきました。文教委員会に比べれば審査に質疑がすくない。新しい規則を作るにしても、規則の改定にしても、なぜそうするか、そうすればどんな事が予測できるか、など、文教厚生委員会ではねほりはほり質問して、もし不備であれば意見や要望として注意を喚起するであろう。特に今日は学校給食センターに衛生委員会が設置される事になったのだが、どのような事を毎月1回集まって話し合うのか、私には見えてこなかった。又、この委員会の責任についても理解できなかった。医者が1人入るという。委員の報酬はどうするのだろうか。予算措置してあったのだろうか。そういう具体的な審議は全く無い。

教育委員は議員とは違い、委員会の仕事をチェックをするわけではない。けれども、決めた事には責任を持たなければならないわけで、教育長は議案の提案者の場合が多いのだから、他の委員にキチンと審議する気概が無ければ、教育委員会は形骸化してしまう。自分が決める事の本当の意味を、実際にはどう働いていくかを、きちんと見極めてから、決定に至ってほしいと思います。一度教育委員は議会を常任委員会を傍聴してほしいと思います。私たち議員は一生懸命勉強して、審査に臨んでいます。私は2時間近い委員会会議の中で少なくとも一回教育委員が発言をしてほしいし、できれば1議案に1回は質問してほしいと思いました。

そもそも、30、40,50歳代の教育委員がほしいと思います。おじいちゃんやおばあちゃんの世代の方だけで、今の教育について決める状態でいいのか疑問です。又、早く5人目の委員を決めるべきだと思います。

議案の訂正を教育委員会会議の最中にするのは、信じられない思いでした。議会でそんな事があった時、どこかの市長は減給になっていました。私は、自分のレポートやHPでもミスを沢山するので、これは言いにくいのですが、やはり委員会会議での決定は厳密にその議案の一字一句を決めるのですから、ミスは赦されないのではないでしょうか。議案を全文読まなかった事もありました。疲れてきて大変な気持ちは分かりますが、今日のように誤字脱字が多いような議案だと、あんな風に読まずに済まして後々誤字脱字が見つからないかちょっと不安になりました。

たまに、教育委員会の傍聴にいくのもよいと思いました。
3月26日(火)
1300カウント
今日ようやく3月議会を終えました。文教厚生委員として初めての予算審議をしました。来年はもう少し良く審議できるように思いますが、今年は少し後悔するところもあり。来年を乞う、ご期待。

今日はI選対のT氏と昼ごはんを役所で食べました。いろいろな議員のいるところで話をしたのだから、内緒話は一切なし。いつもの事ながら、がんばってください。でも、私は誰の選挙の応援をしませんと言いました。

私は昨日リサイクル連絡協議会の定例会に行ってきました。会議の後で、お茶をしたのですが、そこにいたあるリサイクル処理機メーカーの方の話は納得できませんでした。町田市長への不信感は良く分かるのし、彼の言い分の一部は理解できても、ある日突然一枚の紙切れでボランティアというけれど、生ごみの収集を止めてしまう事にはどうしても納得できないと思いました。その前の経過があるとはいえ、自分で売っているミラクルペールでごみ処理をするためにごみ収集をしていたのに、それを突然止めれば、リサイクルの輪が無くなってしまうのは、自明です。

リサイクル容器を売る以上、企業としてリサイクル完結のためのビジョンをもつべきだったと思います。自分はミラクルペールを売るだけ、後は知らない、ミラクルペールに助成金を付ける以上は市が責任をもってほしいというのは、私にはとても無責任に思えます。金が儲かっていなかった、ボランティアだったと言っていますが、どうして金が儲かるように、商売としてペイできるように収集費を何らかの名目で集めなかったのだろうかと思います。私の実家は商売をしていますので、どうしてもS氏の言い分は商売人の考えではないなあと思ってしまいます。お客さん本位ではなく、自分のご都合本位におもえて仕方ありません。これで商売が出来るとしたら、リサイクル業界って実家のしている車販売業とはずいぶん違うのだなあと思いました。

実家では商売をするために、お客様の、消費者のために身を粉にします。お金を払って貰う以上、お客さんの御用に立つのは当たり前なのです。Sさんは話の中で、自社で販売しているミラクルペールを買ってくれた人をお客さんとは言わず、市民という言葉を使っていたのに、なんだかとっても違和感を覚えました。狭山市が彼の会社を信頼できないと言う事の意味が少しは分かるような気がするのです。その会社が倒産するかどうかの問題ではなく、自分の都合で仕事を投げてしまわないか心配なのだと思うのです。彼の考えはどこかおかしいと思うのだけど、結局私は彼に何も言わずじまいでした。言っても分かって貰えず、市長の手先と思われるのが落ちかなあなんて思ってしまったのでした。
3月25日(月) 今日は、朝役所に行って原稿を出してきました。昨日の焼身自殺はもう報道されていましたね。今日一日心が暗く重く辛かった。保育所のお遊戯会に見に行くつもりだったのですが、他の用があって行きませんでした。どうしてあの時無理にでも行かなかったのかなあと先生の顔を思い出しては考えてしまいます。勿論そんな事で彼女の気持ちが変わったわけではないでしょうけれど。お会いした時の辛そうな表情が思い出されてしまうのです.

一度しかお会いした事のない方ですが、保育所を全部見せてくださって、そして子供や先生のこと、施設のことを誇らしげにしていた事と、先生の熱心さを今、まざまざと思い出します。同世代の方の、自殺は心に本当に堪えます。

市長選挙があります。私はどなたの応援もしません。また、どなたの足も引っ張らないように静かにしているつもりです。よく、久美子さんはどなたを応援しているのですか、ときかれますが、誰にもたとえ自分の支持者にも、私は自分が誰に入れるなどと言わないつもりです。私は市民がしっかりと良い市長を選んでくださるのを期待していますし、どなたが市長になられようとも市議会議員として今までどおりのスタンスでいるつもりです。いえることは、皆さん選挙に行きましょう。棄権は絶対しないように。
3月24日(日) 今日は、午後に別荘から帰ってきました。昨日は、弟夫婦と甥の大学入学祝いをしました。新聞配達しながら浪人生活をしていたのですが、やっと大学に合格しました。現役の時、あんな大学は入りたくないなんて、合格した大学に行かず、次の年は受けた大学に全滅し、今年やっと入れたと言うわけ。これから、4年間も新聞少年をやっていけるのでしょうか。がんばってほしいところです。

今日は、帰ってきたらすぐに議会からファクスが入ってきました。ある方の焼身自殺のことでした。この前あったときに、いろいろ責められるという話で、批判される事を苦にしていました。私は、批判されて落ち込まないで、自分を責めないで、批判する方がおかしいと考えても良いとアドバイスをしました。トップに立てば、いろいろな考えの人が自分の思いを口にし、トップは批判の的になってしまいがちです。でも、私は批判は批判として聞き流すすべも大切に思います。考え方がちがう、価値観が違う、思いが違う事は往々にしてあるし、違うからと言って責められても、困るとしかいえないじゃありませんか。

このように思うことが出来るようになったのも、私自身が多くの批判を受け、けれども、それにへこたれずに、自分を防衛することが出来るようになったからです。それまでは、批判されていることを、批判する人がいたりして本当に苦しい思いをしたものです。私は黙っていないで、批判に対して毅然と反論することも大切であると言う事も学びました。沈黙は美徳ではありませんし、黙っていればいつか分かって貰えるという事も無いのだとも悟りました。分かり合えない人だっているけれど、だからといってそれは私の責任ではないと思います。そういう人には、肩をすくめて、Oh!Well, what can I say?".としか言えないではないのでしょうか。
3月22日(金) 今日は、水富小学校の卒業式でした。私は、祝辞を読むことになっていたので、緊張して出席しました。真面目に、一生懸命、真剣に生きてほしいという意味で、叩けよ、さらば開かれん。求めよ、さらば与えられん。という聖書からの言葉を贈りました。私も12歳の心に届くように一生懸命考え、真面目に原稿を作り、真剣にお話しました。卒業生の上に幸せが沢山あるように祈ります。

今日の卒業式は、本当に丁寧な卒業式でした。この前,西中の卒業式でお辞儀も出来ないといいましたが、水富小学校のどの子もきちんとお辞儀をしていました。少数なので、略礼ではなく、お辞儀する時は起立し、ほぼ最敬礼をしていました。すごい。偉い。立派。やはり120年も歴史のある学校は、一味違います。時間がゆっくり進んでいるような、優雅な思いをしました。

それなのに、一言。最敬礼と会釈の違いを子供に教えてほしかった。90度の最敬礼、30度の会釈の使い分けが出来るともっと良かった。また、最敬礼の時、もっと早く頭を上げたほうが良いように思いました。馬鹿丁寧という言葉があるではありませんか。

午後、事務所で仕事をしていると、弁護士から電話が掛かってきました。実は訴訟を起こすつもりで準備をしていたのですが、時間切れとなっていたという拍子抜けする事でした。これは議長が私の発言を職権で削除した事に対して、情報公開を求め、説明責任を全うするようにお願いしていたのに、議長が拒否していたのです。私は不服審査も含めすべての手順を踏んで、再決定があったので、その決定を覆すよう提訴するつもりだったのです。しかし、私は本当は第一の決定に対して、提訴しなければならなかったのだそうです。法律を知らなかったので、今回は時間が過ぎていたのです。提訴できなくて本当に悔しい。次回、もし、議長がこのようなことをした場合は、すぐに裁判所で決着をつけるつもりです。

今回提訴するについては、尾崎忠也議長に対して行わなければならなかったわけですが、実際職権で強権的に私の考えを一方的に削除したのは、大沢正一さんだったわけですから、関係の無い尾崎さんを提訴しなくて良かったとも考えられます。とにかく、こんな事が2度とおこれば、すぐに腹をくくるつもりです。
3月21日(木) 今日は、余りにも風が強いので、家から一歩も出ずに読書をしたり、原稿を書いたりしていました。安倍譲二、遠藤周作、ハーレクインと乱読。議会便りの原稿を書き上げ、私の議会レポートを書き始め、明日のための祝辞の原稿を書きました。夫と娘は顔振峠へハイキングに行きました。息子と私は花粉症があるので、今時ハイキングなんてとんでもありません。お兄ちゃんは朝7時過ぎに、飯能高校野球部の練習に出かけていきました。

モンゴルへ品物を上げているルーフオブジャパンの小川さんがいろんな民族の会からの献金を取りに来ました。今年も、民族の会では、小川さんのモンゴルの子供支援の援助をします。高橋ブラクソン久美子とすすむ会もモンゴル支援を続ける予定です。彼女はユニフェム多摩の代表もしているのですが、私もユニフェム埼玉を作る手伝いをするようにと誘われています。ユニフェム日本委員会は国連のNGOなのですが、特にアジアの女性支援のために、基金を集めている団体です。今まで、世界の子供たちのために、いろんな民族の会を通じてバザ- をしたりして、いくつかのNGOに寄付をしてきました。子供たちだけでなく、虐げられている女性も多いのですから、少しでも役に立ちたいと思っています。政治的な活動では全然ありませんが、福祉活動は私の生活の内の重要な部分を占めています。人のために何かが出来る状況にいる事に本当に感謝です。したくても出来ない人も多いと思います。聖書に与えられるより与えよと書いてありますが、そうできる事はとても幸せであると神に感謝で一杯です。

カーテンが出来上がりました。カーテンが掛かったら、家がとてもエレガントになり、嬉しいです。私はとても少女趣味ですが、綺麗なものを見て喜ぶ気持ちも大切ですよね。
3月20日(水)
1200カウント
今日は幼稚園の卒園式でした。とてもよかった。園児も、先生も、保護者もがんばって育てているのだと言う事が良く分かりました。先輩議員がご挨拶する予定でしたが、いらっしゃらないので私が挨拶しました。ちょっと考えて心の中で言う事を組み立てたのですが、思ったことの半分ぐらいしかいえませんでした。まあ、スピーチは短いほうが良いかな。

昨日は、弁護士に会いに行ってきました。大変な道を選ぶのがきっと正解かなと考えてはいますが、ため息が出てしまいます。詳しくは後ほど。
3月18日(月) 今日で文教厚生委員会の審査の最終日でした。午前中に審査が終わりました。その後、友達とあちこちで会って、立ち話。笹井学童保育室によって最後の姿を見ました。この学童保育室ができるのに2年も市役所に掛け合ったことを覚えています。その運動を始めた時は、どのくらいの保育児童が集まるか分からず、また、場所もなかなか見つからず、それでも私たちお母さんは子供たちのためにがんばりました。でも、13人からスタートしたこの学童保育室に毎年30人もの子供が集まるようになるなんて、信じられない思いです。地道な要望活動をしてこの学童保育室が出来、自分たちのみならず多くの方の役に立てたことを嬉しくも誇りにも思います。

その時は、議員の力をお借りはしませんでした。でも、自分が市議会議員になってみて、こういうときに皆さんのお役に立つ事があれば、いつでも力になろうと思っています。
3月16日(土) 今日は、西中学校の卒業式でした。年々儀式の堅苦しさが取れていく感じです。日本人は、自由というのをだらしないと言うのとごっちゃにしているのではないかと思いました。今日の式はどこと無く緊張感の薄い、メリハリが無い感じでした。私はアメリカで自分の修士号の卒業式に出ました。ローブも立派なものを借りて、荘厳に行われました。自分で自分に誇りを持ったものです。

それに比べて、日本の式はだんだん荘厳さも無くなり、緊張感も無くなっているように思えます。昔のお式はどこに行ってしまったのか。型どおりと言うののどこがいけないのだろう。マンネリのどこがいけないのだろう。それが、継続性、伝統ということになりはしないか。おじいさんもお父さんもそして私も同じようにしてきた、そんな事があってもよいと思います。実際、アメリカ人の夫はお父さん、お母さんと同じ高校に行き、同じ先生から学び、同じ卒業式を経て、共通項を沢山持っています。私の場合は親と教育制度が大きくかわり、また、経済状態も変わってしまっているので、教育上の同じ経験が少ないのが、とても寂しく思います。

変化はあっても、変わらないもの、変えないものがあっても良いのではないでしょうか。子供の時には毎年本当に退屈だった卒業式ですが、いつか自分も卒業の時にはあれをするんだという目標じみた思いもあった気がします。時と共に私が保守的になってきているのでしょうが、私には日本の教育からけじめ、メリハリ、しつけが大きく欠落し始めているように思います。その結果が、お辞儀すらしっかりさせない、出来ない卒業式なのです。今までどおりの式をさせる努力をしているのかと言いたい。教師にもけじめが無く、どうでも良いとあきらめてしまっているのようなのがいやです。学校は変な親には毅然とし、誇りを持って、しつけも仕事としてください。

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