私の独り言

今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。乞う、ご期待。
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2002年
6月 私の独り事
6月28日(金) 今日は午前中から議会レポートやネットニュースの原稿つくり、パンフレットの原稿チェック。“市政アンケートNO3、ゴミを考えよう”を作りました。帰ってきたら、もう5時半でした。忙しいけど、楽しい。

昨日は東京、日本橋の日経フォーラムに出て、街つくりのブランド化について、講演を聞いてきました。狭山市の駅前開発がありますが、そこをどうするかと言う事がフォーラムの最中脳裏に浮かびます。代官山の開発をしたコンサルタント会社の社長がお話をなさったのですが、代官山は他と違う空気を吸いに人がやってくるのだそうです。特急も止まらない、急行も準急も止まらない渋谷区のはずれにある住宅街。人は何を求めて代官山に行くのでしょうか。経済価値だけが、街に必要な価値ではない。経験、楽しさ、文化、そんな中にも価値はある。帰りに銀座によりました。ここは買い物客で一杯でした。

そんな事を学んで、狭山市の駅に戻ってきた時、人々は狭山の空気に気もとめず、バスや待っていた車にそそくさと乗り込んで、蜘蛛の子を散らすように駅前から消えていってしまいました。何しろ駅前が危険で通りを渡るのもままならないし、ゆっくり出来るような飲み屋街もないしで、人が駅前に滞留する事もありません。ふらりと狭山市に来る人はきっと皆無ですね。駅前はまるで空気がないみたいに人は他の場所に急ぎます。

私、今回のフォーラムで少し狭山市駅西口について夢を見ました。低層なしゃれた家が立ち並び、木々の緑がすがすがしく、ロータリーはちょっと離れた前の入間川小学校のところにある。駅からロータリーまでは並木通り、その周りには、小さい中華飯店、韓国料理屋、タイ料理や、ベトナム、モンゴル料理屋が連ねていて前はカフェ風にオープンになっている。勿論イタリアンや喫茶店風の店、夏にはビアガーデンのようなところもある。安く食べられる懐石料理やフランス料理も忘れてはいけない。昼も夜もこんな国際料理が安く食べられる通りって女性には魅力があると思うけどなあ。生活の匂いのしない、エキゾチックな街。若くって素敵なウエーターがいたら、もっといいかなあ。

西口駅前には図書館、素敵なコミニティセンター、福祉関係の相談センターなど人が集まる場所を作っておく。そうすれば、昼間も人が集まる。女性は食べ物ですよね。其れと清潔感。お茶が狭山のブランドだと思うけれど、そこから出てくるのは健康な清潔感ではないでしょうか。だから、狭山の駅前のコンセプトは、さわやかな清潔感のある楽しさではないかなあ。いろんな民族の会をしていてとても楽しいのでおすそ分けしてあげたいな。
6月26日(水) 今日は一日中自宅で議会レポートの原稿書きをしていました。でも、事務所と連絡を取り合っていたので、終いには電話の子機のバッテリーがなくなってしまいました。事務所に行っていたとかわらなかったかもしれない。もっと、自宅に近いところに事務所があると良いなあと思います。

昨日とてもショッキングなことが起こりました。其れは、横浜議会の中での除名問題です。多数で少数意見を言わせないルールを決めてしまい、自分たちのルールに従わなければ、市民が選んだ市議会議員であっても、除名してしまうとは。

議長の席を占拠とかいったって、国会ではよくあったことです。少なくとも委員会での乱闘騒ぎなんてしょっちゅうでしたよね。いつかなんて、新進党はピケを張って審議を何日もさせなかった。だからといって、国会議員を除名なんてさせられなかった。鈴木さんだって、辞職勧告決議を採択したところで辞職させられない。なぜならば、国民が選んだ議員を他の議員が首を切れないと言う事なんです。

国会で出来ない事がどうして地方議会でして良いのだろうか。市民が選挙で選んだ議員を、他の議員が資格を剥奪するどういう権利があるのか、たとえ自治法に規定されていたとしても私は納得できません。其れも、今回の理由は、レイプしたとか公職選挙法に触れたとか、詐欺や強盗をしたとかというのではなく、議会の進行を妨げたという事での除名です。議長が進行をうまく出来なかったから、6時間も議長席を占拠されたわけなのだから、議長自ら責任と取って止めるというのであったら、分かります。これを相手に責任を擦り付けて、異分子を切って捨てるというやり方は民主主義を履き違えているとしか思えませんでした。こんな破廉恥な横浜議会を市民はどう思っているのか知りたいと思います。
6月25日(火)
2200カウント
最近は、余り面白いことを書いていないのかなあと、カウンターがあがらないので反省をしていましたら、今日何とあっという間に2200カウントを超えてしまいました。ネットニュースでお知らせした会計報告をHPに載せたからかなあと思っています。最近はネットニュースのHP化する時間的、精神的余裕がなくなってしまっていて、全部を出来ないのなら、一部だけでもHPに載せようということで、会計報告をHPにのせました。

それに、市長、教育委員会、消防長の交際費をHPに載せたらどうかといいながら、自分の会計報告をHPに載せないでは話になりませんよね。

私は決して自分の報酬に文句を言うつもりはないのですが、どうも市民の間では市議会議員は高給取りで、税金がもったいないと言う意見を聞くものですから、“いやいやそんな事はないよ”と言いがちです。実際、情報をHPはじめさまざまな手段を通じ公開、配布をしますと、半端でないお金が掛かります。特に事務所を構え、事務員さんに仕事を手伝って貰えば、その費用だって馬鹿になりません。其れのみならず、私は市議会議員は一種のジャーナリストではないかと思っています。視察して物事を良く見聞きし、研修して其の事象の理解を深め、分かりやすくポイントをついた質問をする。そのためには、またまたお金が掛かります。視察に関して言えば、私は公費を使わず、自分のお金で多くのところに行きます。後援会活動も私がスポンサーにならないでは,活動不可能です。

こんな事が出来るのも、夫が生活費を稼いでくれるからです。こう書いたらある人に非難されましたが、私の場合これは事実です。私が仕事をしてもちっとも家計に潤いをもたらさないので、夫は少しは家計にお金を入れろと言っています。私も実際これでは仕事ではなくて、ホビーではないかと密かに反省もしています。来年には選挙もあります。これにも、お金が掛かるでしょう。そのためにも、少しは貯金を心がけようとしています。でも、どこを削ればよいのでしょうか。
6月24日(月) 今日は午前中に8時半ごろから、狭山市駅東口で街頭演説をしました。議会が終わったので報告です。その後、図書ボランティアに行きました。肩に力の入らない本当に楽しい会です。今日は七夕関係の本を見つけ、その後七夕飾りを作りました。図書室に7月になったら飾るのだそうです。子供達が喜ぶといいなと思います。終わるころ、会員の一人が作ってきてくださったチョコレートムースを頂きました。おいしかったです。

午後はリサイクル連絡協議会に行きました。いろいろお話を伺って本当にためになります。9月議会に環境問題を取り上げるつもりでいますから、いくつかの示唆を頂いたので、良く調べようと思っています。しっかりした実行力のある市民の方は素晴らしいです。こういう方々に市は協力していただいて、よい狭山市を作っていただけばよいと思います。
6月23日(日) 今日は朝から、教会に礼拝に行ってきました。その中で思ったことは、もっと自分に厳しくあれと言う事です。私は自分にはいやと言うほど甘い。もっともっと真剣に親をしたり、市議会議員をしたりしよう。そんなことを思っている。
6月22日(土) 今、韓国がスペインを破りました。すごいなあ。これが日本だったら楽しかったのに。一歩譲ってもアメリカだったら、我が家はもっと楽しめただろうに。ワールドカップもちっとも楽しめなくなってしまって、残念です。(息子はまだまだ、ワールドカップで興奮していますけど。)

今日は、午前中にごみを捨てに行来ました。そうしたら、込んでいる事込んでいる事。30台近く待っていました。やはり、土曜日の受け入れ時間を延ばしてほしいと思います。たとえば、水曜日に午前中だけにして、土曜日は一日中、ごみの受け入れをすると言うのはどうでしょう。今度、議会で提案しよう。

初めて、プロ野球を観戦しました。西武ドームに行ってきました。中学や高校野球と言うアマチュア野球しか知らなかった私はカルチャーショックでした。すごい応援団ですね。それに、みんな一丸となって応援するので、お祭りみたい。特に、今日は10回の裏に“さよならヒット”で西武ライオンズが勝ったので、興奮してみんな帰らないで騒いでいました。こういう世界もあったのか。まるで、ロックコンサートみたいで、どこがスポーツなのかなあと思った。プロ野球はショーの一種なんですね。

今夏はアメリカに帰省するので、その時はデトロイトタイガースの試合観戦をしてこようと思います。楽しみです。
6月21日(金) 今日は、昨日の議会の終了と共に、力が抜けたような気がしています。自分の能力もなんだか情けなく思ったり。議会の最中だと、たとえ休会している間ですら、神経を高ぶらせているような気がします。今回の議会は、最後まで、市長選のしこりを感じました。上辺はふれず触らずと言うのですが、実は内部では政志会とそのほかの会派が綱引きをしているような感じ。その中にいて、やはり議長は大変だなあと思いました。また、派閥の中で、無所属の私の役割がしっかりあることにも気がつきました。

これからの一年、議会が行政の良いチェック機関として、議員が一致して働けると良いけれど。これは、議員がみな同じように振舞ったり、同じ意見にならなければいけないということではありません。活発に議論しあうと言う事です。

でも私は、それどころか、実は行政をリードして行くほどの議会になればよいなと願っています。そのためには、議員がもっともっと学ばなければならない。小金井市のように、審議、審査のためには徹夜もいとわないと言う情熱を持って市政に取り組むような議会にならなければ。そして、素敵な狭山市を目指して、市長も議会も火花を散らして議論しあう。これは、昨日に続き夢かな。

娘のクラスの懇親会をジョナサンでしました。話は尽きないなあ。みんな苦労をしているなあ。聞くと同じ病院で検査を受けたり、治療をしている事が分かります。こんな時でないと、話を聞いたり出来ないものね。どんな事があっても皆親は泣いてはいない。泣いたり、どうしてと言うのを言い続けたからかもしれない。懇親会をすると、親しさが倍増するけれど、それぞれの人生の重さに胸がふさぐ思いです。。
6月20日(木) 今日は、議会の最終日でした。議案が5件しかないので、午前中で終わりのつもりでしたが、延々と代表者会をし、農業委員の選出に関して時間がかかり、その他議会運営委員会もし、なんと議会が始まったのが、午後1時5分でした。

他の会派の人が午前中何をしていたかは分かりませんが、私は資料をHPから集めていました。今は、とても資料の検索が簡単になりました。ただ、紙をたくさん使います。やはり、プリントアウトしてしまうからです。6月27日は、街つくりのセミナーに出かけることにしました。

こんな事ばかりしていて、頭でっかちと言われるかもしれないけれど、狭山市をどんな街にしたら良いだろうかと夢想するのは本当に楽しい。思ったようなことは出来ないとわかっているけれど、いい年してって言われるかもしれないけれど、理想ばっかり言ってといわれても、将来の狭山市のことを夢見なければ、素敵な街狭山なんてないと思うんです。こんな街になったらいいなと思うから提案も出来るのよね。だから、狭山市を思い浮かべ、お勉強に明け暮れるわけ。

しかし、私には市長の思いが良く分からない。町田さんは、どんな夢を持って、狭山市の運営をしているのだろう。町田さんの考えにチャレンジするような、わくわくする市議会議員生活をしたいなあ。ごせつごもっともと言われなくてもね。これも夢かな。
6月19日(水) 今日は、あっという間に夜になったような日だった。珍しく横になりたくて、昼寝をした。この2ヶ月とても忙しかった。でも、体調が良かったので寝込むと言う事がなく、毎日無事に過ごしていた。

けれど、自分でもこの頃いらいらしたり、怒ったりと、気分にむらがあると思っていた。別荘に行ったりと気分転換を企てたりして入るが、ゆっくりする暇がない。子供が3人、仕事をしていれば、次から次への問題が続出しても無理はない。先週からは衣服乾燥機が壊れているし、子供は目医者にも連れて行っていないし、研修報告は書いていないし、議会便りの原稿もこれから書かなくちゃあ。それに加えて、上の子供から下の子供までお母さんお母さん、あれがない、これをどうしたらよいのだろうか、といっている。

アーーーーもう勝手にしてよ、と言いながら、冷蔵庫から冷やし中華の具を出してやり、おいしそうなご飯じゃないなんていう文句を聞き、歯垢検査を見てやり・・・。この上、夫が帰ってきてなんか文句でも言えば、もう私は切れてしまいそうな感じ。きょうも、私は凶暴感情状態です。
6月18日(火) 今日は、いろんな民族の会の会合があって、福祉のお話を当間さんからしていただきました。当間さんはこの前いろんな民族の会の少しでしたけれど献金をカンボジアの地雷撤去と地雷で手足をなくした人のための国際ボランティアの方に持っていっていただいた方です。お話はやはりひどくって、涙無しでは伺えない内容でした。

同じ国民同士が殺し合いする悲惨な状態にどうして目をそむけないでいられるでしょう。私は弱いから本当にこういう怖い怖い話は耳を手で覆いたいのだけれど、自分に鞭打って目をそむけてはならない、耳をふさいではいけないと思っています。手足をなくした子供に義手足を上げたいね。また、まだまだ100万とも200万個とも言われるカンボジアにある地雷を撤去できたらよいね。と、心から思います。

当間さんはこの旅で左耳の聴力をなくしたとおっしゃっていました。フィリピンでは左目をデング熱で失明しているし。今回は少し弱っていらっして、若い人にバトンタッチしますとおっしゃられていたけれど、出来ればもっと私達、いろんな民族の会とアジアの恵まれない子供の架け橋になっていただければ嬉しいと思います。どうか、お元気になられてください。

私個人としては、出来れば60歳、3期狭山市議会議員をさせていただきたい。でも、その後は、我が家の子供も大きくなり母親業も一段楽するでしょうから、世界の、アジアの、日本の恵まれない子供のために身を捧げたいと願っています。英語が話す日本人のボランティアが必要とされていると当間さんはおっしゃっていらっしゃったから、神様が其れを赦してくだされば、いつか私をお用い下さると思います。

それまでは、身近にある声に耳を澄ませ、ご奉仕させていただくようにしようと思います。
6月17日(月) 今日は、娘の小学校の学年委員会でした。行ってみて驚いたのは、学年行事が全廃されていた事でした。理由は勉強の時間がなくなるから。隣の学校に行っている息子の学年行事をこの前終えたばっかりでしたから、学校によって開かれた学校と言う事の意味が全然違うのに驚きます。

私は昔ながらの息子の学校が好きだなあ。お母さん方は協力的だし、学校だって保護者の協力を喜んで受け入れている。一方娘のほうはと言うと、「協力の気持ちはありがたいけど、結構です。」と言うのですが、それでは「どこが開かれた学校への取り組みの努力なの?」と幾人かの委員さんや私が思っても無理はないではありませんか。

学年行事がなくなるというので、親のネットワークを作るのは学年委員会の役目と言う事で家庭教育学級を増やそうと言う事になったのですが、きっとこんな様子じゃあ、時間が取れないとか言われて、予定の家庭教育学級をするだけしか、赦して貰えないのではないかなあなんて思っていたのです。口に出して言わなかったけどね。

また、校長がこうしたいと言っていました。と行事の中身の話をしていたけれど、なぜそういうことを親に任しておかないのだろうか。今までの学校運営で行き詰まったから、開かれた学校と言う方法を取ると決めたのに、その意味や、やり方がわからないのだろうかと考え込んでしまいました。
6月16日(日)
2100カウント
今日夜、別荘から帰ってきました。昨日、午後から出かけ、古本をたくさん買ってゆっくり読もうとしたのですが、途中で友達の別荘によって2時間ほどおしゃべりし、牧場に行って馬を見たりアイスクリームを食べたりし、杏亭(スパゲッティ屋)によって夕食を食べ、別荘に着いたら7時でした。まっすぐ行けば、2時間半も掛からないでいくのだから、のんびり行ったわけです。

途中は霧が深くて、山道を運転していて、このまま谷に落ちたら死んじゃうなあなんて思いながら走りました。怖かったけれど、山道が余りにも美しくて、神秘的で、静かで、疲れが流れ出て行ったような感じでした。

1200メーターもある山小屋に、隣近所もいず、自閉気味の夫と暮らしている友達、寂しくないと言えない人だから可愛そうで。(私がこんな風に思っていると知ったら、彼女は辛いと思うから決して彼女には同情しているようにはいわない。)とうとう、去年からは、時々でていたお仕事も夫の協力がなくなり、出かけられなくなったと言っていました。あんなに才能のある有能な人が、イエス様が私達に命を捧げて下さったように、自分を捨て、すべてを夫に捧げているのをみて、これもクリスチャンの道なのだと思います。私は彼女を尊敬しています。

彼女は“私には祈る人がたくさん居て、その人たちとは繋がっているように思うから、大きな家族を持っているような気がする”と言っていました。私のこともずうっと祈っていてくれます。祈られている事を忘れてしまっている私だけれど、いろいろな人の祈りや思いやりに支えられて今居るのだと、心から感謝に思いました。今日、朝の礼拝に出て、説教を聴きながら、彼女もきっと聖書を読んでいるだろうな、祝福があるようにと祈りました。

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