私の独り言

今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。乞う、ご期待。
皆さんはどのように御過ごしですか。“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。

2002年
7月 私の独り事
7月15日(月) 昨日は目一杯悲しくて、寂しくて、空しかった。でも、人生は続いていく。息子は学校に行きたくないといい続けていたが、こういう時こそ前向きに生きるようにと言い渡した。いやなことに正面から突破する事、いやな事から始める勇気がいると教えた。正論であろうが、心が前向きになんかならないのは仕方ない。思いと考えの乖離は自分でコントロールできない。

私は、今日朝から議会報告会をした。始めに、友達の山田明和さんからちぢみ・韓国お好み焼きを教わった。それと、もやしと牛肉ご飯を炊いた。おいしく頂きながら、議会報告をした。いつも数人の人が来てくれる。和気あいあいと楽しく、おいしく、市政のことも一生懸命きいてくれるし、反応があるので、参考にもなる。今度は、水曜日に行う。いろんな方に会うのはとても楽しい。お待ちしています。
7月14日(日)

細田先生へ

高橋ブラクソン久美子

2002714

細田先生、野球部の監督をしていただきまして、本当にありがとうございました。今日、残念ながら一回戦で敗退してしまいましたが、一言お礼の言葉を述べたくて、手紙を書いております。

 息子は、飯能高校野球部にあこがれて、中学1年の末から受験勉強を始めました。私は中学校の教員をしていましたから、中学1年のひどい成績を見て、飯能高校は無理ではないかと思っておりました。しかし、彼は、他の高校を受験すると言う事を中学校3年間に一度も考えませんでした。飯能高校野球部に入部したいためだけに、中学校の部活を終えると塾に通い、とうとう中学校3年生の時には飯能高校に絶対合格という成績にまでしました。そして、躊躇なく、飯能高校を受験合格しました。飯能高校野球部がなかったら、息子は飯能高校を受験することもなかったでしょう。

 そのような思いで入学した飯能高校野球部でしたが、多くの挫折も経験しました。けれども、一度も細田先生の悪口や細田先生の批判を口にしたことはありませんでした。「細田先生の言う事は理にかなっている。分析は鋭い。」といって少しでも声を掛けていただけた時は、考え込み喜んでいました。私は、昨今の生徒の様子を見ると、細田先生のように生徒に尊敬されている事に敬意を表さざるを得ません。少なくとも、私の息子は尊敬できる先生にめぐり合えて、本当に素晴らしい経験をしたと思っています。信頼できる人にめぐり合える事は決して簡単に得られないというのは、この年になると良く分かります。

 彼は自分の能力に納得し、レギュラーになれなかったことに文句を言いませんでした。これも、先生が公正に能力に従った選手選びをしてくださったから、不平不満もなく辛い練習を楽しめたのだと思います。公正にとは言いましても、ベンチに入れる選手は息子より上手な2年生も多かったかもしれません。其れなのに、ベンチに入れて、親は感謝しています。ありがとうございました。

 今日の敗戦の理由は先生の思うように選手が動かなかったというのが大きな原因だと私は思いました。せっかく、丁寧に真剣に教えていただいたのに、どこか舞い上がっていた子供達。実は親もそうでした。申し訳ないなあと思いました。ご恩に報いられませんでしたね。奥様にしてもお嬢様方にしても、きっと高校野球の犠牲になっていられるでしょうし、その犠牲でわが子たちは青春の素晴らしい思い出だけでなく、貴重という言葉がもったいないほどの経験をさせていただきました。ご家庭のひとり一人の皆様にも感謝いたします。

 先生、出来るならば息子が経験したことを他の生徒、子供にも経験させてやりたいと願っています。定年まで後5年だそうですね。先生のように真剣に子供に接していただいて、子供が其れを理解できる関係を築ける教師が、監督が今いるでしょうか。私は本当のことを言って、どうして細田先生をここまで息子が信頼できるのか良く分からないと思うときがありました。

 「先生は言った事は絶対するんだよ。母さんみたいだ」と息子が言ったことがありました。そう思わせる先生はすごいと思いました。若い子供は嘘が直感的に分かりますからね。先生の身を削るほどの辛さが直感的に子供に理解できているのでしょう。

 先生、来年も再来年も同じスタンスで子供に夢だけでなく、社会に出ると見えなくなってしまいがちな誠実で真摯な生き様などを野球を通じて教えてやってください。お願いします。

 息子は飯能高校に入ってよかったといっています。飯能高校野球部に入ってよかったといっています。きっと、この近くの中学で先生の見たこともない生徒が飯能高校野球部にあこがれて一生懸命受験勉強しているかもしれません。息子のように。だから、どうか気を取り直して来年も再来年も定年まで野球部監督を続けてください。後身に道を譲る必要はありませんよ。下手な遠慮をしてはいけない事を選手選びのときに十分ご存知ですよね。子供が付いてこなくなったときが引退の時ですが、まだまだ、先生は現役ですよね。

 これで終わりにします。多くの感謝をお礼の言葉に添えます。先生、お元気でいて、立派な野球部を育てていてください。来年息子が帰ってきた時は、一緒に応援に行きます。

7月13日(土) 昨日は教育問題、今日は自治体改革について市川房枝政治参画センターに行って勉強してきました。すごくためになりました。特に今日の松下圭一先生のお話は楽しく刺激的で新しく、年ではないですね、進んでいると言う事は。

始めに、自治法の改正の、分権推進の意味についてとっくりと教えを受けましたが、目からうろこだらけ。其れと、市政への市民参画を言ってきた私ですが、先生から2元民主制なのだから議会も市民参画を進め、議員間の自由討論を進めるべきだと言うのには、う〜〜〜〜んとうなってしまいました。本当だ。市は政策を自分で決めて、自分で財源を探り当て市政を進めていくのだと言うのには、そうなのかと思いました。補助金だって交付税だって起債だって出来なければ、どうして行く狭山市。税金だって先細りなのよ。

と言う事で、今度は街作りが心配になりました。特に西口開発。金はどこから出てくるのか。今どのくらいの負債があり、公債費は今後どうなるのか。財務係数が悪ければ、起債も出来ないし、利率がそれにしたがって高くなると言うことになりそうです。とにかく職員や市長やそれから議員の質の水準は街つくりで現れるそうです。きわめて抽象的なことなのだけれど、そんなことが具体的に街に現れると聞くとそうなのだろうなあと思ってしまいました。西口再開発を成功させるにはまず、公共施設を極力作らないことで、スクラップアンドビルドの精神で他の予算に大ナタを振るう必要がありそうです。市長に出来ないならば、第3者機関にしてもらわなければ。財務の専門家を頼んで連結決算を早くして、財源の確保に真剣にならなければ狭山市は沈んでしまいます。いまだよ、市長。

でも、よい点もあります。私たちの市、狭山市は下水、上水の施設は出来ているので、当分はメンテ中心の施設管理をしていけばよいのですし、退職金問題もプール金があるはずですよね。それに、塩付けの土地も少ないから、その点も余り心配しなくて良い。でも、やはりすべての決算カードと言うか資料を市民にすべて公開すべきでしょう。先生は市民は素人だから分からないというのは嘘だ。といっていました。市民には会計士、商店主、農家の人など会計に通じている人は多いから、知ってもらって理解を深めて貰うべきだそうですよ。

狭山市も狭山市議会も私も安閑としていてはいけない。政策形成力を見につけ、法務部を作り、政策を条例の形ではっきりさせ、国、県と言えども事務を委託されたときは経費をしっかり貰うようにする。ただで、仕事はしないのだ。また、国や県の法的には何の効力も持たない通知に踊らされる事なく、狭山市のためになる政策をしっかり進めていくようにしなければならないことを肝に銘じました。
7月12日(金) 今日は、朝お兄ちゃんの弁当つくりにちょっと力が入りました。と言うのは、今日から高校野球の埼玉大会が始まるからです。散々大宮球場に行こうか迷ったのですが、テレビ観戦をしました。午後から市川房枝政治参画センターの勉強会があるからです。テレビにお兄ちゃんが映ったので絶叫を上げてしまいました。補欠だけど、この3年間、中学を入れれば6年間この日のためというか、甲子園だけを目指してがんばっていたのです。(いけるかどうかは勿論問題外ですが、目指すのは勝手ですからね。)

親だって弁当もユニフォーム洗いも試合観戦もがんばって来ました。楽しかったなあ。野球少年を持ててとても嬉しいです。それに、狭山西中時代の日高先生、今の飯能高校の細田先生には本当に感謝しています。息子は監督の先生を信頼し、尊敬しています。今時、教師を尊敬したり、信頼したりしている生徒がいるなんてと、思われる人もいるかもしれませんね。でも、家の息子は良い先生にめぐり合い、自分の実力を知り、納得し、それでも先生について行くという態度は変わりませんでした。下手でもきっと一生懸命練習し、野球が好きで好きでしょうがない息子を切り捨てずにいてくださった、細田先生や日高先生には心から感謝しています。息子が思っている以上にこの野球少年の経験は人生には重要な思い出になると思っています。14日10時から飯能球場で試合です。応援に行きます。
7月11日(木) 今日は朝から市街地整備促進特別委員会に出席しました。今日は、9時半から開会でしたから、9時に家を出ました。ところが、広瀬橋がすごい渋滞でした。豊水橋が昨夜、仮橋の土台がへこんでしまい、通行止めになっていたので、多くの車が広瀬橋にやってきた所為です。10分も掛からないところ、今日は25分ぐらい掛かったのです。

昨夜は、良く寝れませんでした。また台風が来るそうですが、被害がないとよいですね。

特別委員会ではいろいろ話があって、区画整理事業、再開発事業の報告にいろいろ疑問も残りました。特に入曽駅前の開発をどんどん進めるようですが、収入が一定の状態でいくつ開発を進めるつもりだろうか。私は時々市長の頭の中を良く調べてみたいと思う。少なくとも財政的な事に私が疎い所為もあるかもしれないが、彼の財政感覚が理解できない。今は入曽はともかく狭山市駅西口開発にもっともっと勢力を傾ける時ではないのかとおもうのだが。これは、きっと議会の考えに近いと私は思っている。また、この私の考えは少しでも狭山市のことを考えている人がいたならば、同じように思うのではないかと思います。

市長、あなたの考えを伺うのは一般質問の機会しかないのでしょうか。一度、全員協議会に来て、開発に対する自分の意見を表明したらどうですか。私は、課長や部長の話ではなく、あなたの口から話をうかがいたいですし、議論をしたいものだと思います。
7月10日(水) 土砂降りの雨が降っています。テレビは台風の話ばかりを繰り返し放送しています。私は今朝から土手を何べん歩いたでしょうか。朝、8時過ぎには豊水橋のところにかなりの水がありました。でも、公園はまだ浸水していませんでした。午後6時過ぎ、笹井ダムに行って見たら、第2水門を空けるところでした。(鍵を持っていて、いざという時に開門してくださる方がいます。本当に感謝です。)その後、豊水橋したの公園を見に行こうとしたら、公園は浸水していて、道路まで水で一杯でした。車で乗り入れなくて良かった。危なかった。

夜9時過ぎ、夫が仕事から帰ってきたので、もう一度豊水橋から広瀬橋まで歩いてみました。豊水橋の上流は水が増えたように思います。霞川と入間川の合流点から下流の川原では浸水も始まっていました。豊水橋上流の公園への道路は市に言って封鎖して貰いました。本当はすべてのかわら公園入り口を封鎖すべきだと思うのですが。川原に駐車している車が流される事もないと良いけれども。消防署に言って見回りをお願いしましたが、まだ消防車の音は聞こえないから、回っていないのでしょうかね。

笹井のナイスアーバンの皆さん、もし洪水になりそうだったら、笹井小学校に行ってくださいね。役所に電話してくれれば、防災担当が飛んでいって、笹井小学校を開けてくれるそうですよ。ご心配なく。とか言いながら、一番心配しているのが、私なんだろうし。明日になれば、ほとんど杞憂という事でしょうが。雨脚が速いだけに、神経がとがっています。何事も起きないことを祈ります。
7月9日(火) 今日は、朝から清瀬小児病院に行きました。思っているより渋滞で1時間以上も掛かってしまいました。電車で行ったほうが早かったのかしらと思いました。今日の診察はとても優しくお話していただいて、子供も手術かと覚悟していたのですが、薬で処理できそうだとかでほっとしました。今回はいたい思いもしなかったし、良かった。後で、2つの科に予約を入れて帰ってきました。あ〜〜〜あ。子供は本当に手が掛かる。

夕方から雨脚が激しくて、台風の訪れを感じています。不老川のいつも水浸しになるところに、浸水が始まらないと良いけれど。笹井ダムのところも直角に曲がっているので堤防の決壊なんかにならないといいけど。市議会議員になって以来、雨にも風にも雪にも心を砕くようになりました。被害に誰もあいませんように。夫が無事に帰ってきますように。
7月8日(月)
2300カウント
今日は、緑地の視察に行ってきました。朝、9時半から12前まで、広瀬の崖を笹井から柏原まで見ました。その後、赤坂の森公園付近、くぬぎ山へ行きました。狭山市が買った地所がどのような状態なのかを見たかったのだ。まだ、考えはまとまってはいないが、赤坂の森方は下草刈りなんかを市民の方にしていただくと良いとおもうし、そのところで遊んで頂いてもいい。タダ土地を管理しているだけではもったいないように思ってしまう。

広瀬の所は危険なところがいくつかありました。今後どうするのだろう。特に民家が近くにあるときは、どうしたら良いのか考え込んでしまう。お金を掛けて補強してあるところもあった(県費で)が、グロテスクな補強で、こんな補強しか出来ないのかとがっかりした。狭山市の緑の保全をどうしたらよいか、もっと考えてみようと思う。

午後は、ネットニュースを印刷した。
7月7日(日) 今日は教会の日。あさの礼拝、夕方の英語礼拝。その間に、ヤオコーで街頭演説をした。金曜日には狭山市駅西口前で街頭演説をした。雨が降るのでなかなか思った日に演説が出来ない。でも、出来る限り、情報を伝える努力を惜しまない。そうしよう。

今日はハーレクインを一冊読みきった。“ケーススタディ、子供買春と国外犯処罰法”と言うしんどい本も斜めに読んでいる。この前DVの全国大会に行って思ったのだが、諸外国ではいろいろな法が早くから整備され改定されている。日本も子供買春防止法が出来たが、いろいろ抜け道があり、外国で子供買春をして、日本国内でつかまったケースはまだない。勿論現地でつかまった男はいるわけで、日本で起訴しなかったと言うだけだ。子供買春もグローバライゼーションの中で一向に取り締まれないのが現状のようだ。涙が出てくるし、怒りがこみ上げてしまう。
7月6日(土) 昨日も今日も図書館に行って本をしこたまかりてきた。一仕事終えて、少し気分転換をしたかったのだ。(ネットニュース、議会レポートの原稿完了)それで、昨夜はロバート・キャパの写真集を読むながら寝た。「ちょっとピンボケ」と言う有名な写真集である。その一行目と最後の行は「ぼくは朝起きる必要がなかった」という文章で、いつもは子供のために6時半に起きている私としてはうらやましい思いでよんだ。うだうだと好きなだけベッドにいれたらいいなあ。

というわけで、きょうは8時まで布団にごろごろしていた。でも、9時半から会議、1時半から会議と2つも会議がはいっていて、なんとも忙しかった。それでも、夕食後、北杜夫さんのご本をよんだり、青木玉さんの随筆を読んだりしている。ドナルド・キーンさんの声の残りも先日読んだ。北杜夫さんの本ではどうしても遠藤周作さんのユーモラスな姿を探してしまう。玉さんのご本では生活ににじんでいる静かな語り口がとても好きで、つかれた時に少しずつよみたくなる。謙虚で優しい生き方がゆったりしていて読後感がとてもすきなのだ。

玉さんの愛したお母さんの幸田文さんのご本も読んでみればよいのだが、なんだか読めないでいる。もっとはっきりした語り口かもしれないと思うと本を手にするけれど、借りられない。このこだわりは何だろう。

もう11時過ぎたから、寝ればよいかもしれないけれど、もう一冊本を読んでみよう。と、一冊の写真集を手にして、困ったな。ざっと見て、自然がとても美しく、空が青い本だから読めない。疲れた時は圧倒的なものが私には脅威です。そそとした、庶民の低めの笑いが好きだ。私は時に感覚がとても砥ぎ済まされて、その感覚に自分をゆだねてしまう。理解していただけるだろうか?
7月5日(金) 今日、ネットニュース2ページ分の原稿を完成させました。手首が腱鞘炎になっているようで、痛くて仕方ありません。この上、もっと報告書をかかねばならないなんて。拷問に近いです。

ネットニュースは楽しいよ。ほしい方は会員になってね。お願い。

夜は、同和のお勉強会に、PTA役員として出席してきました。とてもよかった。最近は、同和を正面からとりあげず、人権問題として何がなんだか分からないような捉え方をしがちです。でも、差別の事をはっきり教えなければ、差別はなくならない。差別はいけない事をはっきり言うべきです。差別している人はその人の心が病んでいるのを知るべきです。差別部落がどのような歴史の中で出てきたのかを、もっとリアルに教えてほしかったです。石川先生にも少しためらいがあったのだろうか、昔の部落の様子をもう少しお話して貰いたかった。差別のようなものは、いつの間にか氷が解けるようになくなりはしない。どの権利も戦い取らなければ得られない事をよく知る必要があります。
7月4日(木) 今朝、夫がまるで星条旗のようなポロシャツを着ていたので、今日がジュライフォース、すなわちアメリカの独立記念日だったのを思い出しました。夫は200年ほど前、ドイツから移民してきた人の末裔なのですが、もうすでに立派なアメリカ人です。夫はどこにいてもアメリカ人です。あの愛国心はどこで学んだのだろう。

今日ようやく議会レポートを書き上げました。印刷も始めました。日曜日に折込チラシにします。乞う、ご期待。もっと見やすくしたいのですが、書きたいことが多すぎて字が一杯。ごめんなさい。でも、その分情報はたっぷりです。
7月3日(水) 今日は、朝から役所に行き、いくつかの仕事を済ませ、事務所で印刷のための原稿を作り上げ(まだ片面だけ、今日もう片面作ります。)印刷を少し見遂げた後、息子の授業参観・保護者会に参加しました。夜は長男を連れて歯医者に行きます。いそがし〜〜〜〜い。

子供達が今可愛くって仕方ありません。きっとすぐに成長して、巣立ってしまうのが分かるからです。お兄ちゃんの時は早く大きくならないかなあと思っていたのに。昨日、彼のアルバムを見て、余りにも可愛くて、育てている間はちっともそれに気づかなかったのが、もったいなかったように思いました。
7月2日(火) 今日は朝から息子が吐いたり、お腹が痛くなったりで病院に連れて行きました。お腹にたくさんガスがたまっていて、ウンチが出なかったら腸重積を心配するところですと言われ、ちょっと心配です。ついでというのはおかしいのですが、血液検査もして貰いました。結果の説明ですが、余りにも無神経で、私と違いとても優しく神経の細やかな息子はとても傷ついてしまいました。

また、ある治療もお願いしたのですが、痛くするばかりで、結果的には清瀬の小児病院へ行くことになりました。その後彼は痛くてずっと泣いていました。本当に可愛そうです。大人だって辛い治療なんだから、少しは小児科の先生は考えてくれればよいのに。子供のために、悲しくて。また、息子はあの辛い治療に挑戦しなければならないのですから。親が変わって治療を受けられないのがなんとも不憫です。
7月1日(月) きっと一人ぐらいは、ブラクソンどうしたと心配してくれる人がいたかもしれない。

私は6月29日から今日まで関西に会議出席、視察をして参りました。非常に勉強になりました。関係者の皆さんには、ご協力本当にありがたかったと思います。感謝です。

まず、大阪市立女性センタークレオでDVの全国大会の基調講演とシンポジウムに行きました。最近感じるのですが、女性の会議も大変実務的で論旨がはっきりしてきました。特に、今回は、DVと言う特化した内容の会議でしたから、感情論などを排除して、DV法の改正点を中心に話がなされ、非常に問題が明確化してきました。オーストラリアのDV防止へ向けての実践も本当に良く分かりました。今回は学会発表のような高い水準の会でした。

6月30日の分科会に出席しました。3年後のDV法の改正に向けてどのような提言をしていくかと言う事が焦点でした。そのためには、現在ある法がどのように実際に使われているかという現状認識から入らなければなりませんでした。で、NGO(シェルター代表)、弁護士、行政、カウンセラーなど多くの現場の方々の声が寄せられました。私は、身近な行政機関として何が出来るかという観点でこの会議に臨みました。決定的なのは、DVされた女性への援助は金銭的にどこがするかという点では、また、そのお金に対しての窓口は市町村しかないわけですから、法とは実際のところ遠い感じの市町村がDVされた女性の命綱を握っているのだなあと思いました。それにしても、もう少し私も考えをまとめる必要があると思いました。

今日は朝から堺市の公立保育所を民間に移管していく事業について、お話を聞きに行きました。やはり、自由に質問できるのはなんて良いのだろうか。民間保育所は公立保育所に比べ決して悪い保育内容ではありません。行革の視点からだけでなく、融通の聞いた保育内容を進めるためには民間にもっと保育を担っていただくのは良い考えかもしれないと思いました。それにしても、狭山市の保育料は安い。入曽乳児保育所はプレハブで、もう建て直しが必要です。

三島福祉部長、入曽は更地にして、民間に移管したらどうですか。公立としては廃園其れを民間にして、0,1,2歳だけでなく、5歳児までを対象とする120人規模の保育園を作るというのはどうでしょう。私は今日の視察から、公立が開設できなかったら、私立に規模を大きくしてやっていただくのも良いのではないかと思いました。堺市の話を良く聞いてみてください。

帰ってきて残念だったのは、末っ子が今日寝坊して、朝ごはんを食べずに学校に行き、お腹がすきすぎて痛くなったとの事。本当に、恥ずかしい。私がいつもしているようなことを、夫は大変だったと言います。少し、腹が立つ。いつもは私が文句も言わずやっているのだから、たまには、がんばってよ。彼が1週間も2週間も出張の間、いつも私がどのくらい奮闘しているか想像してほしいものだ。ねえ〜!。

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