細田先生へ
高橋ブラクソン久美子
2002年7月14日
細田先生、野球部の監督をしていただきまして、本当にありがとうございました。今日、残念ながら一回戦で敗退してしまいましたが、一言お礼の言葉を述べたくて、手紙を書いております。
息子は、飯能高校野球部にあこがれて、中学1年の末から受験勉強を始めました。私は中学校の教員をしていましたから、中学1年のひどい成績を見て、飯能高校は無理ではないかと思っておりました。しかし、彼は、他の高校を受験すると言う事を中学校3年間に一度も考えませんでした。飯能高校野球部に入部したいためだけに、中学校の部活を終えると塾に通い、とうとう中学校3年生の時には飯能高校に絶対合格という成績にまでしました。そして、躊躇なく、飯能高校を受験合格しました。飯能高校野球部がなかったら、息子は飯能高校を受験することもなかったでしょう。
そのような思いで入学した飯能高校野球部でしたが、多くの挫折も経験しました。けれども、一度も細田先生の悪口や細田先生の批判を口にしたことはありませんでした。「細田先生の言う事は理にかなっている。分析は鋭い。」といって少しでも声を掛けていただけた時は、考え込み喜んでいました。私は、昨今の生徒の様子を見ると、細田先生のように生徒に尊敬されている事に敬意を表さざるを得ません。少なくとも、私の息子は尊敬できる先生にめぐり合えて、本当に素晴らしい経験をしたと思っています。信頼できる人にめぐり合える事は決して簡単に得られないというのは、この年になると良く分かります。
彼は自分の能力に納得し、レギュラーになれなかったことに文句を言いませんでした。これも、先生が公正に能力に従った選手選びをしてくださったから、不平不満もなく辛い練習を楽しめたのだと思います。公正にとは言いましても、ベンチに入れる選手は息子より上手な2年生も多かったかもしれません。其れなのに、ベンチに入れて、親は感謝しています。ありがとうございました。
今日の敗戦の理由は先生の思うように選手が動かなかったというのが大きな原因だと私は思いました。せっかく、丁寧に真剣に教えていただいたのに、どこか舞い上がっていた子供達。実は親もそうでした。申し訳ないなあと思いました。ご恩に報いられませんでしたね。奥様にしてもお嬢様方にしても、きっと高校野球の犠牲になっていられるでしょうし、その犠牲でわが子たちは青春の素晴らしい思い出だけでなく、貴重という言葉がもったいないほどの経験をさせていただきました。ご家庭のひとり一人の皆様にも感謝いたします。
先生、出来るならば息子が経験したことを他の生徒、子供にも経験させてやりたいと願っています。定年まで後5年だそうですね。先生のように真剣に子供に接していただいて、子供が其れを理解できる関係を築ける教師が、監督が今いるでしょうか。私は本当のことを言って、どうして細田先生をここまで息子が信頼できるのか良く分からないと思うときがありました。
「先生は言った事は絶対するんだよ。母さんみたいだ」と息子が言ったことがありました。そう思わせる先生はすごいと思いました。若い子供は嘘が直感的に分かりますからね。先生の身を削るほどの辛さが直感的に子供に理解できているのでしょう。
先生、来年も再来年も同じスタンスで子供に夢だけでなく、社会に出ると見えなくなってしまいがちな誠実で真摯な生き様などを野球を通じて教えてやってください。お願いします。
息子は飯能高校に入ってよかったといっています。飯能高校野球部に入ってよかったといっています。きっと、この近くの中学で先生の見たこともない生徒が飯能高校野球部にあこがれて一生懸命受験勉強しているかもしれません。息子のように。だから、どうか気を取り直して来年も再来年も定年まで野球部監督を続けてください。後身に道を譲る必要はありませんよ。下手な遠慮をしてはいけない事を選手選びのときに十分ご存知ですよね。子供が付いてこなくなったときが引退の時ですが、まだまだ、先生は現役ですよね。
これで終わりにします。多くの感謝をお礼の言葉に添えます。先生、お元気でいて、立派な野球部を育てていてください。来年息子が帰ってきた時は、一緒に応援に行きます。
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