私の独り言

今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。乞う、ご期待。
皆さんはどのように御過ごしですか。“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。

2002年
8月 私の独り事
8月31日(土) 今日は朝から忙しかった。まず防災訓練。(9時から12時)とても暑くて、テントの中に居ても息苦しい。私は消防団の消火訓練の筒先を持つこと、地震体験を行った。ヘリコプターでの救助訓練も素晴らしかった。防災訓練は大切だ。結局大災害の時は隣近所の援助が一番早く適切だそうだ。

午後は環境基本計画の市民会議の傍聴。夜は西中の野球部の母の会でおしゃべりをした。気が置けない楽しいひと時を持った。地を出しても良い場所を持てて嬉しい。今日は8人集まった。高三を持つ母親同士、子供の将来について語り合ったが、まだまだ、これからだ。進路が決まった子供は一人としていなかった。みんな、どの子も幸せになってほしいと願っている。
8月30日(金) 今日は朝ミーティング。1時半ごろ終了。9月からのスケジュールを決めた。いろいろな事がたくさんあって、イベント、議会報告会、あれやこれやまたまた忙しくなりそうである。大変だろうが、頑張ろう。

午後健康診断に行った。どこと悪いところなし。頑張って働こう。それにしても暑くて、気力がなくなっている。時差ぼけで夜が無理がきかず眠ってしまう。質問の要旨をまとめるのが遅れている。明日も忙しい。何時書けるのだろうか。

勝手な事を書くのは簡単だけれど、お金を念頭に提案するとなると、きっと市民にも職員にも痛みを理解して貰わなければならない。少なくとも、後10年は金が無い状態で綱渡りをしていくのだろうから、本当に大変だ。其れをどれほど職員も市民も理解しているのだろう。決算書と行政報告書を見ながら、怒り来るって居る。税金をばら撒いていた時代は終わっているのに、其れをわからない人が居るようである。
8月29日(木) 今日は朝10時に朝霞まで行き、下水の最終処理場を視察した。話を聞き、全プラントをくまなく視察した。私の考えているデスポーザーを使う野菜・生ゴミのリサイクルでは、下水での汚泥の問題、BODの問題をどうクリアしていくかが問題だと思うからである。いろいろ聞いたけれど、下水処理はクリアできそうである。プラントは3600億円もしたそうだが、汚泥は全部リサイクルされている。ほとんど水がせい分であろう野菜をデスポーザーに掛けて水状態にしたのを下水に流しても、汚水処理してから川に流せば、川の汚れをます事にはならないと言う事がわかってくる。デスポーザーを使うことを生ゴミ処理の一環として、欧米ではもう昔から使っている。日本も下水がよくなっているのだから、禁止するのではなく使ってみるのもよいのではないか。

午後帰ってきてから、ヒアリング。この前まで、保健センターにいた人が今度は環境部に居て、なんだか頭の中がごちゃごちゃです。金、財政難。とても辛いけれど、其れだからこそ、提案も一ひねりもふたひねりも考え、今後の狭山市のあるべき姿を思い浮かべながら、悩んでいる。お金の無駄使いをがんがん指摘しようか。

人件費10%削減を唱えよと支援者は言う。出来るかどうかわからない。唱えるだけ唱えようか。市役所の役人の中には、お金持ちも土地持ちもたくさん居る。給料はこずかいだという人も居るようだから、10%削減されても、平気かもしれない。でも、私は10%削減されたら本当に困る。痛みを感じるから、慎重になる。皆さんの意見を聞きたい。
8月28日(水) 今日は朝久しぶりにゆっくりした。いろんな民族の会のミーティングが10時からだったからだ。民族の会では10月14日にチャリティーコンサートをするがアフガニスタンの子供のために行う事が決まった。会員にギタリストがいて、その人がノーギャラで演奏してくれる。いろいろ準備があるが、成功する事を願っている。この手のイベントは私達は慣れているのであんまり興奮もせず、淡々と行う。多く収入を得て、世界の恵まれない子供たちの役に立ちたい。

午後は一般質問のためのヒヤリングだった。私の思いを聞いて貰ったが、どのくらい通じているか。狭山市駅西口の再開発は多くの問題を抱えているが、無事着工してほしい。その後行財政改革の話をした。金が無い。行革では、全体として市民のサービスを低下させずに、お金を捻出できればよいが、そんなマジックのような事は絶対出来ないので、頭が痛い。この狭山市の弱点は反対される事がわかっていると決定出来ない点にある。其れがどんなに必要なことでも。でも、先送りをしていると、狭山市は立ち枯れ状態になってしまう。きっちりと狭山市の将来像を描いて、行財政改革に取り組まなければ。
8月27日(火)
2700カウント
朝、狭山市駅東口で9月議会が始まるため、報告の街頭演説をした。今日も7時ごろから8時過ぎまで。タクシー運転手の方がじっと聞いていてくれた。タバコを吸う振りをして、多くの男性が足を止めてくれた。原稿も無いので、ぶっつけ本番ではあるが、言いたい事がたくさんあって、止めようと思っても時間が延びてしまう。

今日は午後から事務員さんと決算の勉強会をした。行政報告を読みながら、数字をあわせていく。彼女は初めて決算書を読んだが、“面白いものですね”と言っていた。若い人を鍛えていくのも、良い励みになる。決算勉強会をもっと多くの人としたいが、どのように呼びかけたらよいかわからない。補助金、援助金に納得の行かない使途がある。予算書の時には思いもよらなかったところである。考え込んでしまった。
8月26日(月) 朝、狭山市駅西口で9月議会の始まるために報告の街頭演説をした。7時から8時過ぎまで。その後、議会事務局によって、一般質問の通告をした。今回は長くならないようにしよう。環境、行政、西口開発について。きっと2日目の3番目となると思う。多くの人が傍聴に来ると嬉しいです。
8時25日(日) 朝、6時に目が覚めた。その後布団を干し、自治会の廃品回収に古新聞と古着を出しに行った。10時には教会に行き、2時からはまたミーティング。帰ってきたら、なんと7時。その後、疲れて外食。もう眠い。
8月24日(土) 朝、2時半に起きた。昨夜は眠くて6時ごろから寝たので、一度起きたら眠れなくなった。それで、がたがたと荷物の整理をし、7時から早祷会に行った。その後、12時半からは飯能高校が新人戦で準決勝までいったというので応援に行った。2時からはミーティング。5時過ぎに帰ってきて、7時からは成人教育委員会の懇親会。家にたどりついたのは10時半。もう、爆酔。
8月23日(金) 午前中、全員協議会であった。議事録が配布されたが、今回の目玉は狭山市の組織の組み換えに対する条例かなと思う。全員協議会の後、一般質問のための資料準備。
8月22日(木) 今日は眠られなかった。時差があるから。やっとアメリカ時間になれたと思ったら、また戻すのは辛い。13時間の時差でした。昼は眠くて体がだるく、考えがまとまらなかったので、美容院に行って髪の毛を切ってきた。美容院で眠れるかと思ったが、結局眠られず、半仕込んでしまった。

夜は一ヶ月ぶりのカレーライスを作った。子供は“やったー”なんて言っていたが、時差ぼけもあり全員食欲が少ない。
8月21日(水) 着いた。1日損したような感じ。
8月20日(火) 今日は朝から帰る用意で忙しい。お母さんに空港まで送ってもらって、分かれた。今、アメリカの空港は改築が盛んだ。テロによって、入国も出国もものすごく管理が厳しくなり、前はゲートまで見送りに来れたが今は飛行機の手続きが終わるとすぐ荷物検査で見送りが出来なくなっている。日本のようになってしまった。だからさようならもそそくさとしてしまうわけだ。

今回アメリカに行って思ったことは、テロの余波がとても大きいと言う事である。毎日多くの家で星条旗が掲げられていた。“アメリカがんばれ”という意思表示だとおもう。テロの話がニュースで何べんも出てくる。悲劇の主人公のようなメロドラマチックの扱いに外国人の私は鼻白んでしまう。今、アメリカが爆撃を続けていると言う事実を報道しない。キューバの捕虜の様子が写されていたが、まるで犬や猫、または動物園の動物のような扱いに私は気分が悪くなってしまった。アメリカ人はあれをどう思って見ているのか分からない。

さすがにイラクを攻撃するという考えには、日曜日にリスクが大きすぎるという記事がデトロイトタイムスの1面に載っていた。批判が大っぴらに出来るようになってきている。家のお父さんもイラクに侵入するなんて馬鹿な事だと言っていた。まあ、デトロイト、ミシガンは民主党の強いところだから、共和党の考えにはかなり反対な人も多いのだが。
8月19日(月) 今日はのんびり、最後の日を過ごした。最後のショッピングもした。チョコレートをたくさん買った。ジムが一年に5回も6回もアメリカに来ているので余り買い物もない。今回はジーンズも買わなかった。市議会議員になってから、あまりジーンズもはかなくなってしまった。

今日、ジャステンが居なくなって、寂しくなってしまった。けれど、私は後ろを向いて生きないはずだ。とても楽しかった過去の17年だった。その間には大変な時だってあった。これからも、楽しい事、辛い事、大変な事たくさんあるだろう。後ろを向かず、これからの事に果敢に生きていこう。子供が羽ばたいても私の人生がある。続いていく。
8月18日(日) 何とジャステンが行ってしまった。彼はこれを機会に大きく羽ばたいてしまうのだろう。一年アメリカでしっかり勉強したり、楽しんだりしてほしい。3週間ここにいてよかった。私の方の心の準備が出来た。私がしてきたように独立して生きていける力を息子が付けてくれる事をのぞんでいる。でも、こんなにため息が出るのはなぜだろうか。寂しいという言葉で表せない不思議な思いで一杯です。
8月17日(土) 今日は、おきてからジャステンの最後の支度の点検した。歯磨き用ブラシなどすぐ必要なものすべてを買ったつもりだが、結局は忘れ物もあるに違いない。

午後、ワイエンドットのダウンタウンにカーニバルが来ているというので、見に行った。ストリートカーニバルなのにすごい遊具が合って驚いてしまった。多くの人がでていた。子供はそのいくつかに乗った。私はアイスクリームを食べて見ていた。l

夜、ステーキを食べに行った。本当においしいステーキで、私はリブとサーロインのコンボを食べた。見かけのレストランの状態と味とは全然違うので驚いた。本当においしかったのだ。其れがたったの15ドルとはおどろきである。食べ物は本当に安い。
8月16日(金) 今日は、遅くまで寝ていた。それから、ジェニイが夫のミッチ、クリスティを連れてきた。彼らはテキサスから昨日の夜遅くやってきた。余りジェニイがやせてしまって驚いた。病気だったそうだ。彼女はレントゲン技師である。1度目の結婚が惨めに終わったので、今の結婚が末永く続く事を願っている。とにかく今のところ10年続いているが。

アメリカでは離婚はよくある。でも、離婚を喜んでいるものは一人もいない。本人、子供、親戚、祖父母、みな悲しい思いをする。日本で誰か姓を変えるととか変えないとかで家族がばらばらになると言う人が居るが、其れは離婚とは全然関係ない。愛受け、愛を捧げるそういう事がたいせつなのだ。

夜、ピザパーティをした。今日はジョー一家、ジム一家、ジェニイ一家、ジュディ一家、祖父母と20人のパーティーであった。
8月15日(木) 今日は午前中に校長先生に会いにいった。マーシャもジャネットも来てくれた。いろんな話をしたが、良いアメリカを見てほしいし、アメリカ生活を楽しんでほしいし、良い経験もしてほしいと思う。他人の飯を食わせるわけだが、辛抱できるか心配したらきりがない。祈っている。午後銀行に行ってジャステンの口座を開いた。マーシャに下宿代を前払いした。とても安くて申し訳ないが、食事代には余ると思う。

午後天気がよくなったのでカヌーに行った。静かな川。昨日の雨で緑がとっても美しい。けれど、10年前に比べ何と家が立ち並んだ事だろう。また、川の水が汚くなった。流してはいけない洗剤を流しているのかもしれない。残念だ。それでも、青さぎ、鴨、カーディナル、いろいろな鳥、亀、魚、トンボ。ジャステンが“魚がトンボを食べたのを見た。”と言った。こんな風に自然に触れるチャンスがどうして日本には無いのだろうか。カヌーは5時間コース、4時間コース、2時間コースなどがある。日本で5時間もカヌーをこげる川があるのだろうか。この川は護岸工事なんてしていない。時々木が倒れていたりする。その木に亀が甲羅干しをしていた。とても大きな家が川を見下ろすように建っている。本当に金持ちの国だ。アメリカは。これでは貧しい国がやきもちを焼くのも無理ないことである。

夜、ジョシュアと会った。サンディエゴから妻のアンジーとやってきた。明日友達の結婚式があるのだそうだ。仕事は大変かもしれないが、教会で良い人に会いそうだ。アンジーはこれから大学院に行って彼女のキャリアを作るらしい。前途洋々の若い人たちのために祈ろう。
8月14日(水) 今日はカヌーをしたかったが、雨がひどくて出来なかった。仕方が無いので、ボーリングをした。私はボーリングのアベレージが何と30と言う人なので、子供と共にガター無しでした。初めて95なんて取った。ガター無しでしている大人は私だけだったようだ。とほほ。その後、パターゴルフをした。18ホールとても面白かった。勿論私は記録係。家族で一緒にいるのは久しぶり。もうすぐジャステンを置いていくかと思うとさびしい。
8月13日(火) 今日はマーシャから電話が掛かってきて、ジャステンの行く学校の校長先生が私達親に木曜日の午前中に会うと言うので、急いでパックして、お父さんの車を借りてミッドランドに行く事にする。本当はナイヤガラの滝を見に行こうとしていたが、ジェレマイアの熱のために其れをキャンセルしていたのだ。今日はジェレマイアも熱が無いので連れて行き、明日小さな家族旅行をしたいと思っている。もしかしたら、これが最後の家族旅行かもしれないので。
8月12日(月)  今日はジェレマイアの熱は少し下がったようだが、私は彼と一緒に家にいてジェレマイアの様子を見ていた。ジェレマイアの熱は夜に上がってしまったので、またタイラノール(解熱剤)をあげた。日焼けのしすぎだと思うのでお水をあげて寝かせている。余りひどくなったら病院物である。

ジムたちは、ジャッキーをジョーの所において、スターウォーズ、エピソード2を見に行った。もう、この近所ではスターウォーズは終わってしまったので、HPで上映している劇場を探し1時間も掛けて見に行った。私はジェレマイアの心配をしながら、洗濯をしたりした。夜はジャステンの頼みで4人でスペーズをした。
8月11日(日) 今日は起きてみたら、ジェレマイアが熱を出していた。遊びつかれたのだろう。昨日、余り楽しそうだったので、セーブせずに遊ばせていた。食べるのもたくさん食べた.。毎日なにか楽しい事を1つづつしようとしていて、時には体力の限界まで遊んでしまう。それに、ジェレマイアには糖尿の気もあるのだから、本当に気をつけなければならない。

午後ジムが到着した。可愛そうに疲れきっている。今日はコテージから帰ってきて、ジェレマイアは熱を出しているし、ジムは疲れているしで、静かに過ごした。ジェレマイアが早くよくなることを祈っている。
8月10日(土) 今日は朝早くジョーのコテージに行った。ジョーは今年デトロイトから3時間も掛かるところにコテージを買った。人造湖に面したとても素敵なところにあり、ボートと2台のジェトスキーをもっている。とても楽しかった。ジョンの家族4人もきたし、ジェイの家族も来た。と言うので子供だけでも10人大人が10人と言う大きなパーティーとなった。勿論お昼ご飯はバーベキュー。ハンバーグ,ホットドック、スイカ,ポテトサラダ、ケーキ、クッキー、いろんな飲み物、わいわいゴシップをしながら食べるのはとてもおいしかった。その上、天候は最高。申し分の無い夏のパーティー日和だった。

女性はおしゃべりを楽しんだが、男性は子供達をチュービングに連れて行った。ジェレマイアはとても楽しかったらしく、3度も乗った。チュービングはまるで、水上スキーをうき袋のようなものでするのだ。ジャステンはジェットスキーをした。何べんも乗っていた。また、彼はジェットスキーにも飽きたといって、座ってみていた大人の人とトランプを始めた。長い事闘っていたが、とうとう高校生組みが大人に勝って嬉しそうだった。

夜は疲れきっていて、みな早くにねた。嬉しく楽しい一日。思い出のひとコマとして決して忘れないだろう。
8月9日(金) 今日は娘は姪のルビーの働くデイキャンプに連れて行ってもらった。プールに入ったりと楽しかったらしいが、何をしたのか良く分からない。言葉が分かればもっと楽しいのかもしれない。男の子達は午前中は、近くの公園でエクササイズをして、午後からはプールに行った。疲れきって帰ってきた。

私はショッピング。久しぶりに楽しんでいる。結局たくさん買っているが、決して大きなものを買えないのが残念だ。ブリーフケースを買おうとしたが、大きすぎてみっともないと言うのが私のかんそうである。

そろそろ日本の食べ物が恋しい。何を食べていたか思い出すのも難しくなっている。
8月8日(木) 今日は、トリド動物園に行った。私は13年ぶりだった。トリドは大きな都市だ。それにしてもミシガンからたくさんお客を呼び寄せるぐらいだから、とても魅力があるらしい。ジムの親は、子供を良く連れて行くので、この動物園のスポンサー・会員になっている。いろんな形のスポンサーシップがあるらしい。祖父母は孫を連れて行く楽しみがあるので、たくさん会員・スポンサーになっているらしい。これは郡がもっているようだ。たくさんのサポーターと入場者を得て、毎年少しずつ改善しているので、りピーターがたくさんくる。母の話によるとジムや子供達も連れて行ったそうだ。That's kept interesting. いつも面白い、何回行っても面白いと言うのが成功のコツのようで、ディズニーのことを思い出した。

夏休みに子供動物園をもっと楽しいものにして、少しでも多くの人に見せて貰うようにする手立てを考えたい。会員を募集すると言うのは良い考えではないか。
8月7日(水) 今日は男の子がボートで釣りに行くと言うので5時に起こした。その後全然眠れなかった。8時過ぎまで、ベットで本を読んだ。これがバケーションのよいところだ。私は少し日用品を買いに出ただけで、後は本を1冊読むまで家に居た。

子供は私が買い物に行っている間にかえってきた。楽しかったらしく、長男は5匹、次男は3匹釣ったようだ。ボートは父とジョーが共有しているらしく、6人乗りらしいがどんなのだろうか。この前死んだおじさんの大きなボートに比べとても小さいらしいのですが。

今日はゴミの収集日であった。何とワイエンドットのゴミ収集は有料になっていた。小さいタグを付ける。付けないと持っていってくれない。そのタグは買わなければならない。市役所、小さなお店で1枚1ドルでかう。大きなものはまた違うタグを付けるようだ。勿論戸別収集である。しかし、1週間に2枚はただのタグをもらえるので、ご近所の人は出来る限り2個で終わるようにしているらしい。このようにして、ゴミの減量に努めている。

リサイクルセンターは持ち込みのリサイクル用の缶やビン、紙で一杯だった。どんなゴミもお金を出さなければ収集して貰えないので、市民は自分でリサイクルゴミをリサイクルセンターに持ち込む。リサイクルセンターは毎日あいていて、日曜日も1時まで開いているとのことだ。市民に持ってきてもらったほうが、お金が掛からないのだから、市民の持込がしやすいようにするべきである。
8月6日(火) 英語で話しをしてばかりいるので、だんだん出てくる言葉が英語になっている。このHP さえ英語で書き始めてしまった。昨日は、映画を見た“リロとスティッチ”と言うものであった。子供は喜んだが私は眠ってしまった。私には面白くなかったが、ディズニーの映画だから悪くないだろうと連れて行った。しょっちゅう映画に行くが、日本の3分の1の値段で見られると思うとどうしてもお得な感じで見に行く。日本も5ドルぐらいにすればよいのに。

今日は、プールに行こうとしたが、気温が華氏68度、水温が78度では寒すぎて入れなかった。TOO BAD.夜はおばあさん(お母さん)がメキシコ料理に連れて行ってくれた。おいしかったが、子供の下2人は口に合わなかったようだ。残念。とにかく、明日アラスカから来ているジェリーおじさんが、男の子2人をボートで釣りに連れて行ってくれるというので、子供達は9時過ぎに寝てしまった。本当に楽しいバケーションで、日本で、した事のない経験をしていて嬉しい。本当に。

今日、夫からメールが来た。私たちの19年目の結婚記念日であった。ワオ、19年間も結婚しているなんて不思議だ。あっと言うまであった。午後ジャステンと歩いていて、結婚19年の年月を感じた。あの子供がもうこんなに大きいのだから、確かに19年たったのだろう。
8月4日(日) 今日は日曜日。朝9時半の礼拝にいった。この礼拝は現代風でバンドが入り(普通の礼拝はバイプオルガン)で、私達が英語礼拝で遣うような賛美をしていた。なんか胸が一杯になってしまった。牧師が休暇だそうで、お説教は信徒がしていた。とてもよく考えられた良い説教であったと思う。セールスマンをしているという人であったが、彼はきっと牧師になりたかったに違いない。もっとゆっくり話をしてくれたらもっと分かったのに。

私の英語の力がどんどん落ちているのが分かる。特に映画の会話についていけない時がある。午後は、トイザらスにおもちゃ系の買い物に行った。大きなおもちゃやだが、日本と変わらない。大きな子供には全然面白くなかったようだ。私はその後、食べ物を買いに行った。親子4人が年金暮らしの家にいるのだから、食べ物を買うぐらいするべきでしょう。大きなショッピングカートに一杯買ったのに、120ドルほどですんだ。食べ物はアメリカは安いと思う。ジュース、野菜、お肉(ハムやソーセージも含め)は約半値、ミルク製品は比較にならない。

すべてが大きくパックされていて、これが問題になっている。皆食べ過ぎて巨大に太っている。小錦みたいの人ばっかりなんだから。2年前にアメリカに来た時と比べ、経済が好調だった所為もあり、どこもかしこももっともっと大きくまた、高くなっている。この分で行くと、恐竜が大きくなって死に絶えたように、巨大になりすぎたアメリカも死に絶えるのではないかと危惧が起きる。きっと日本の10後の姿なのかもしれない。
8月3日(土) 今日は昨夜フロイダから帰ってきた母に会った。変わらず元気だった。大家族を指揮ってきたのに、偉ぶったところが全然ない。私達嫁族に対しても対等な人間として、立派な振る舞いだ。すごい人である。お金が掛かっても私達をいつも暖かく迎えてくれる。こんな風に年を取りたい。彼女は銀行員として30年も働いたので年金もあり、金銭的にも精神的にも自立しているのがこういう風にできるのだろうか。

ところで、今日は午前中ジャステンはおじいちゃんが出来ないので庭の芝生を刈った。おこずかい10ドル貰って喜んでいる。でも、本当はジャステンはおじいちゃんを助けたかったのだから、おこずかいは要らないのにと言っていた。我が子ながら、なんか、その心構えが好きだ。

午後は、2時ごろからグリーンフィールドビレェッジに行った。ヘンリーフォードニュージアムのとなりにあって、外の施設がたくさんある。蒸気機関車(本物)に乗り、観光ボートに乗り、メリーゴーランドに乗った。ヘンリーフォードが自動車を作ったころの、家、工場、研究所とエジソンがニュージャージーで研究していた施設などをそのままの形で保存している。アウトドア歴史資料館とでもいえばよいか。

残念ながら、歴史に興味を持ったのは私で、子供達は外の昔の遊びアクティビティーに参加、全然歴史に興味を持たなかった。なんと言うことだ。入場料は高く、乗り物も高かったが、ミシガンに来たならば一度は子供を連れて行くべき場所だと思うので、親としてひとつノルマを果たしたと言う感じだ。
8月2日(金) 今日は3D映画をヘンリーフォードミュージアムまで見に行った。ディアボーンはまるで、狭山市の状態である。フォード研究所があり、実験者の試運転場があり、広い広い博物館があり、生産ラインもあるようである。昔、飛行機を作っていたと言う工場もあった。何でもゆったりとしていて、お金持ちの国だなあ。

映画そのものは、スペースでの飛行士たちの話で、そんなに面白くもなかった。でも、宇宙が好きな子供はこれを見ると勉強して、いつか自分も宇宙に行くんだと思うかもしれない。家の子供達は、全然そんな気にならなかったようだ。でも、無重力状態は経験したいそうだ。3D映画は5月に所沢の航空公園で見たばかりなので、感動が少なかったのだ。テクノロジーだけに限れば日本とアメリカで差異を感じない。

今は夏休みのせいで、映画館は小さい子供で一杯だった。特に親が働いている家庭の子供は教会やデイケアで過ごしているらしく、引率の人に連れられて大勢きていた。アメリカでは母親だって働いているのが普通だから、長い夏休みの間の小中学生のデイケアが必要なのだ。これらのデイケアではいろんな楽しい事をしていてくれる。キャンプもある。どのくらい親が払うのか知りたいところだ。

今日はチャータースクールの話があった。私立の小・中学校である。特にデトロイトの公立学校では崩壊家庭の子供を中心に荒れていて、勉強が出来ないいわゆる崩壊学級が多く、悲観した親達は自分達で学校を始めたのだそうだ。何人かでする通信教育のようなものか、その代わり施設は普通の家だったりする。体育や音楽のような組織だった教育は出来ないから、高校になっても続けたら,どんな子供が出来上がるのか心配だ。広い競争世界で生きていけるのだろうか。アメリカのように超学歴社会で、能力があれば個人主義的に生きていけるのだから、チャータースクールで成績がよければ、社会で通用するのかもしれない。

今日、うちの子供たちは映画館を出てくる時、アメリカ人のモラルの無さに驚いていた。食べたものは食べっぱなし、ポップコーンはだらしなく落としてある。よその子供がそんなでも、我が子だけはそんな事はさせたくない。本人達に自覚があってよかった。
8月1日(木) 今日は、自分で車を運転して買い物に行った。アメリカで運転するのは始めてである。走りにくい。右ハンドルか左ハンドルかの違いではない。習慣の違いというのか、住宅街ではしょっちゅう止まれの標識があって、スムーズに走れない。早く走らせないためにするのだが、線が良く書いてなかったり、木で標識が見えず走りにくい。赤でも、右には曲がってよいのでこれもまごつく。日本より広い道路が走りにくいのは、地図を頭に入れてないからかもしれない。

時差ぼけはまだ直らない。こどもも珍しく8時過ぎには眠ってしまった。私も10時前だが眠くて仕方ない。それでも、今日始めて、昼ねをしないで過ごした。

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