私の独り事 2003年
バックナンバーもご覧ください。(2001年8月から現在まで)


今日から、“私の独り言”を始めよう。言いたいこと、思ったこと、人と会ったこと、話したことなど書いてみよう。市政については時々辛口になるかもしれないけど、ごめんなさい。私の事だけでなく、家族のこと、御友達の事なども知って貰おうと思います。

“私の独り言”を読んの感想、皆さんの暮らしのこと、何でもメールして下さい。すぐにはお返事できないかも知れないけれど、全部に目を通します。
私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています

3月 私の独り事
3月31日(月) 今日は、朝の事件からお話します。

今日、事務所に行ったら玄関先に人間のウンチが山盛りしてあり、その上にティッシュがおいてありました。とうとう始まった嫌がらせ。勿論すぐに、警察を呼びました。軽犯罪法違反でしょう。人のうちの前でウンチをするのはいけないことなのです。こんな事がおこならないように防犯カメラ、センサーライトをつけました。変な事があればすぐに警察に知らせる予定です。

「まあ、運がついたわね」「こんな嫌がらせをされるのは、私は有力な候補者なのかしら」なんていいながらも、決して気持ちの良いものではありません。もう一度したら、絶対警察に捕まえて貰う予定です。それにしても、汚いことをするものだと、いやになります。本当に何の目的なのか知りたいものです。それと、誰がしたのかも。昨日の午後2時過ぎにはなかったのです。夜に誰か来たのでしょうか。最近、事務所の場所を公表したのですが、早速の嫌がらせ。警察には、警戒に回って貰うようにしています。
3月29日(土) 今日は、教会のバザーだった。いつもは朝早くから出かけるが、今日は9時過ぎに出かけた。10時から1時半まで、かなりの売り上げが出たようだった。良かった。

私も今日はたくさん買ってきた。布団が足りなかったので、布団まで買った。嬉しかったのはボーンチャイナのコーヒーカップを買えたことだった。疲れると時々きれいなカップでおいしいコーヒーや紅茶が飲みたくなる。少し優雅な気持ちになるじゃないですか。そうすると疲れが取れるような気がするの。

人の死とはなんだろう。友達が怒って電話してきた。今日彼女と分かれた時には泣いていたのに。彼女の友達が死んだのに、余りにもその親が悼む気持ちがないと憤慨したのだ。私たち、いのちの樹教会の人間は“気持ち”で動くから、“情”で生きているから、つれない今の世と時には大きなギャップを感じてしまうのだ。世間には底抜けに馬鹿な集団に見えるんだろうな、私たちって。でも、イワンの馬鹿を私たちは笑わないし、世間的には馬鹿に見えても、いつも損したり、悲しんだり、偉くないほうにいる私たちだけれど、きっと神様はそんな私たちを喜んでいてくれると思う。

私は怒って電話してきた友達の思いが良く分かる。死んでも、さげすむ彼女の友達の親戚縁者に憤慨しているのだ。さげすまれ続けた友達の悲惨で悲痛な人生に憤慨しているのだ。誰も、その人をさげすむ資格などないのに。私は怒るのもとても優しい思いなのだと思っている。
3月28日(金) 今日は、午後はケーブルテレビの録画のため、午前中は原稿書きやら、美容院行きやらで忙しかった。私の人生の中で、こんなに何べんも美容院に行くなんて、選挙前の今でなかったらない。一週間に2回ですよ。我ながら、すごいと思う。美容院の先生は「アイドルなんて毎日よ」なんていっていたが、私は単なる市議会議員でしかないのです。それに、主婦の時は年に1度か2度しか美容院に行かなかったのよ。

午後はあれやこれやと事務仕事。まとまった事ができない。

今日は情報戦について。情報ってなんだろう。事実だって、見方で大いに変わる。黙っている事はないことかといえば、ただ黙っているだけで何もないということではない。私が独り事を書かない時は、必ずと言ってよいほど、熱を出している。何かがあったから、沈黙しているわけだ。戦争の事だって、何を信じたらよいかわからない。例え、映像で見たって、信じられない。映像にないところがどうなっているのだろうかと思うだけだ。

聖書の中に見ないで信じるものは幸いですという箇所がある。見ないでいるのに、見えているといいのだが。
3月27日(木) 今日は、朝から友達と役所に行ったり、忙しくしていた。選挙の準備も頑張っている。ただ、人に会いに行っていないので、選対が組めるかが問題。神様に祈ろう。

今、思うことがたくさんあるが、振り向かない。前だけを見ている。反省は後から、じっくりしよう。今日思ったことは、役所の中でも私のことをわかってくれる人はいるんだということだ。誰も大きな声で支援はしてくれていないかもしれないけど、私利私欲なく狭山市のことを考えている事だけでも、理解して貰えれば嬉しい。
3月26日(水) 今日は、朝選挙のための事前書類審査に行った。少しづつ準備が進んでいる。役所に行ったので、ついでに控え室の片付けもしてきた。今後どこに行くか分からないが、立つ鳥後を濁さずである。

午後はひかり幼稚園の“小学校卒業を祝う会”に行った。みんな大きくなっていた。男の子の出席が少なくて驚いた。お母さんの同窓会のようで嬉しかった。6年間はあっという間でした。これからはもっと時間がたつのが早いに違いない。なんともいえない不安な思いがある。
3月25日(火)
4600カウント
今日は、広瀬小学校で卒業式の祝辞を市議会を代表して言った。ゆっくり言おうとしているのだが、どうしても早口になってしまう。いつか、祝辞の原稿を公開しようと思う。お兄ちゃんが嫌がるかもしれないけど。分かりやすかったと言われて良かった。

昨日のことだった。美容院で言われた事が今になって、理解できる気持ちだ。先の請願の話をしていたのだが、美容室の先生が言うには、紹介議員に「飲ませてやったり、お金を上げたりすればよかったのよ」。 きっと今までは紹介議員になってやったんだから個人的に見返りが来るのは当たり前というように、こういう習慣があったのかもしれない。成る程と感じ入った。請願をお願いしたお母さん方にはそんな事は考え付きもしなかったに違いない。もし、紹介議員と一杯飲んだりしたら、もっと議員と親しくなり、議員だってあんな風に裏切る事もなかったかもしれない。う〜〜〜〜ん。世間はそういう風に動くのか。変に納得した。

私は、日教組の請願の紹介議員になったけれど、コーヒー一杯ご馳走になったことはない。いつも、どこかであって説明を聞いたが、自分の飲んだり食べたりしたものは自分で支払っていた。そういうもんだと思っていたが、それは私がそうだっただけで、世の中は違った動きをしているのかもね〜〜〜。どう思います?
3月24日(月) 今日は朝美容院に行った。選挙公報に載せるための写真を撮るためだった。写真はきれいに取れていて良かった。明日は卒業式。それまで、髪型がきちんとしていると良いのだけど。

午後は、事務所で事務仕事。本当はチラシ配りとかいろいろすることがあるのに。選挙の準備で忙しくて手が回らない。誰か手伝える人はいませんか。

今日は多くのメールが届いた。どれもエールだ。本当に嬉しい。ホームページをご覧の方はどうぞ私に激励のメールを送ってください。元気が出ます。
3月23日(日) 今日は、朝シャローム教会で礼拝を守った。午後いのちの樹教会へ戻り、バザーの準備をした。聖日だから、少し選挙のことを忘れたい。

今日は礼拝メッセージが胸にしみた。私たちは神様が私たちの喜ぶようなことをしてくださるときも、試練やかんなんを与えられる時でも、神の愛を信じる信仰をもっている。なぜ、今のように戦争が起きているか、本質的には理解できない。戦争が起きないように祈っていても、戦争は起きてしまった。無力な思いで一杯であっても、私たちには祈る事ができる。今度は早く戦争が終わるようにと祈る。なぜもどうしても言わず、そこに神の栄光が現れる事を信じて祈る。祈る。
3月22日日(土) 今日は、朝ゆっくり起きた。選挙カーの看板の取り付けをどうするかを考えた。良く知っている方にお願いした。午後は、議会レポートをくばったり、街頭演説したりと忙しくしている。街頭演説をしていたら、面白い方に会った。ちょっと言いがかりをつけられるのかと思ったら、後は、頑張ってナと言って帰られた。同じ人種の人間だと分かったかのようだった。なんだか嬉しかった。

子供の調子がおかしい。風邪気味かもしれない。私も明日は少しゆっくりしたい。午後は一休みしようと思う。
3月21日(金) 今日は、朝から弁当を2つ作って子供たちに持たせた。一人は教会学校のハイキング。もう一人は、巨人と西武のオープン戦を見に行った。子供はすぐ大きくなってしまうので、何でも楽しい事はさせてあげたいなあと思ってしまう。ともかくお金が掛からない事だけど。充実していたらしく、返ってきたら疲れて、夕ご飯も食べず2人とも寝てしまった。

夫は一人の時間を楽しんだようだ。私たちは仲良しの夫婦だが、だんだん思ったり感じたりするのが似てくる。息子のことで私が心を痛めていたら、彼も同じように思っていたらしく今朝息子に電話をしたらしい。元気そうな声を聞いて安心していた。夫と今日は議会レポートを配りに出かけた。久美子と良い時をもてたといっていた。私だったらどうだろう。付き合ってあげられるだろうか。彼は本当に優しい。ありがたいといつも感謝している。

戦争が激化しているようだ。一日も早く戦争が終わりますように。それと花粉症も終わるといいのだけれど。
3月20日(木) 今日は、朝, 水富幼稚園の卒園式に出た。とてもよい卒園式だった。感動して涙が止まらなかった。立派になって。私はこの子供たちの入園式のときから見ていて、運動会にも招待されもした。教育の力はたいしたものだと思う。少なくとも水富幼稚園は公立幼稚園として存続させるべきだと思う。よくやっている。

午後は事務所で事務。次から次へのある。

夕方は里親会の交流会。新しい子供が来た。皆で喜んでいる。静かな子供。親も静かだけど。小さい子供は可愛い。見ていて飽きない。でも、私はもう育てられないなあと思った。体力がない。

イラクへの攻撃が始まった。戦争が始まった。何をしてもどうしても止まらなかった。本当に御心はブッシュとともに戦争にあるのだろうか。そう思えないのだけど。祈ろう。一人でも怪我する人や死ぬ人のないように。戦争がすぐ終わりますように。
3月19日(水) 今日は朝から印刷の続き。午後は男女共同参画条例制定勉強会。あれやこれや忙しい。ネットニュースの原稿もどうしよう。困ったなあ。選挙の準備にはため息しか出ない。
3月18日(火) 今日は朝から事務所で仕事をした。議会レポートをいつもの議会後のように印刷している。事務局長は私より早く出て、仕事をしていた。感謝だ。印刷機の調子が事のほか悪くとうとう修理を頼んだ。

午後は特別養護老人ホームさくらの開所式に行った。風間理事長にお会いして、病児保育についてお願いしたら、「興味あるんですよね」という話だった。児童福祉課に行ってその話をしたい。ご挨拶に県の老人局の局長さん(女性)がいらっしてた。私は名詞を持って、ご挨拶に伺い、女性が局長なんて素晴らしいことだとお話した。狭山市には100人以上課長がいる中で、一人も女性課長はおりません。勿論部長も。次長に一人いるだけだ。土屋知事は偉い。町田市長も見習って、女性課長を育て上げてほしいものだ。

街頭演説。マルエツの前で。請願の話や議会最終日の話をしていると胸が一杯になってしまった。自分を哀れんではいけないが、よく頑張っていると思っている。街頭演説をしていると、家の影でじっと立って聞いていてくれる人がいる。こういう人はきっと普通の市民だ。そんな人の声なき声にささえられて、元気でいられる。だから、外に行って人と話をしたり、演説をしたりするのが好きだ。祈りながら、もっと頑張ろう。
3月17日(月) 申し入れ書の事で東京新聞から取材を受けた。記者が言うように、申し入れ書の答えが問責決議だったんだと言うのは余りにも横暴な行為だと思う。私の文書での申し入れに議長からも委員長からも一片の文書での回答はなかった。文教厚生委員会の協議会が開かれたのだが、そこでも私の意見と彼らの意見が対立しただけで、それを確認しただけであった。

私は、14日の長い休憩の間、彼らの短絡的な行動に辟易していたのだ。私自身が彼らの横暴を、またかというように受け入れて、申し入れ書の回答がなかった事を抗議しなかったのはいけなかったのかもしれない。横暴と闘う必要はあるのだが、いかんせん一人では考えも力も回らないのだ。パワーアップのために祈ってください。

今日はあさ図書ボランティアに行って来た。大好きなボランティアである。このボランティアを作った古谷さんの優しい人柄がずうっと続いているのかなあと思った。子供のために、できることをちょっとやろうということだけど、これからも私は続けていこうと思っている。娘は中学校に進学だ。今度は中学校の図書ボランティアもしよう。ボランティアをしていて、議会についての新聞報道があっても、だれも私に対する態度が変わっていない。優しいの。感謝だ。

午後は支援者のうちでお茶をご馳走になった。いつも、どんな時でも甘えさせていただいて本当にありがたい昔からの支援者。政治のことを知っているから、今私が考えていることもお見通し。体に気をつけて元気でいてほしい。口の悪いのがもどってきているから、まあ、元気になる事だろう。

その後、事務所に行って打ち合わせをした。というより、作業に明け暮れたというべきか。議会の話は余り出ず、次から次へと仕事をこなさずには前に進まない。忙しい。頑張らなくちゃ。
3月16日(日)
4500カウント
今日は朝、新聞を読んだら私のこと狭山市議会のことが記事になっていた。昨日、私が卒業式に行っている間、読売新聞社さんから取材があったそうで、余りにも早く情報が流れていて驚いた。狭山市の広報課が各新聞社へプレスリリースしたものらしい。私も昨日朝のうちにHPで私の側の情報を流していて本当に良かったと思った。何かあればもう情報戦になるというのが、怖い。

今回新聞社の記事がどのようになるか分からなかったので、市民がどんな風に私への問責決議を捉えるか心配をしました。でも、記事になってよかったと私は思っています。今日は、午前中いつものように礼拝に出席しました。新聞を読んだという教会員は、「物事が明らかにされることは良い事です。あなたは人に従うのではなく、神様に従って行けばよいのです。」といってくださいました。

私は、今請願のこと、議会の古い、時には陰険な体質についてずっと言ってきたつもりですが、でも、大新聞の記事の信用性と読者の数は私のHPの人数なんかに比べ物になりません。今回は、私が発言を撤回しない時から結果として保守の人たちが問責決議をしてくるだろうと思ったけれど、それを防ぐ手立てもありませんでした。問責決議を受けても私は自分の言う事を撤回するつもりは無かったのだから、どんなひどい内容でも仕方ないと腹をくくっていました。そして、私は申し開きすらさせられる機会すらないのだろうなと思っていました。

今回、読売新聞社や東京新聞社の記事は、少しは私の言い分も書いていただいたので、多少の申し開く機会になったかなあと嬉しい気もします。議会から問責決議を受けるなんて何てひどい議員だろうと思う人もいるかもしれません。私が自己弁護すればするほど、人は冷ややかに私を見るだろうなあと思ったりもしました。

私が新聞に乗るかもしれないと近くのお母さん方に言ったら、「心配しないでいいよ、皆あなたのことを知っているから」と慰められました。街頭演説を2箇所でしましたが、声をかけてくれた人が前よりも多くなっている気がします。本当に、勇気を持っていられるのも、こういってくれる支援者の方がいるおかげなんです。こういってくれる人がいなくなったら、私は市民派の看板をはずして、議会から去っていきます。

それにしても、いろいろな意味で辛く苦しい3月議会でした。これからも、誠実に真面目に市民の側に立って市議会議員をし続けようと思っています。裏表なく。嘘偽りなく。祈りながら。
3月15日(土) 昨日は、朝から議会。帰ってきたのは、今日のなんと朝5時。昨夜は6時ごろから、議会を止めて、延々、私の発言のどこがいけないかみつけるのに忙しく、5時間近くあら捜しした挙句、議長職権で発言を削除。

その後、朝4時まで、今度は私が言う事聞かないからと、問責決議をあげるために延々会派工作。本会議では言いがかりか、それでなければ意見の相違としか考えられない事で、私に対する問責決議をした。

これは紹介議員が責任を全うせず、趣旨採択に賛成した事に対して、私が請願の賛成討論の中で、批判めいた事を言ったのが気に食わないという事なのだ。紹介議員は、斉藤哲夫、伊藤あきら、岩田三司、奥富喜康、斉藤宗梧の各氏。紹介議員は趣旨採択では退場し棄権するべきであるのに、今日も趣旨採択に賛成していた。少なくとも、そうするなら紹介議員を取り消すのが筋だと思うが、彼らには筋も何もない。

それでいて、それだからこそ、私に問責をして矛先をかわそうとする。問題を摩り替える。江戸の敵は長崎でというわけだ。議会に来たころは、それに驚いていたけれど、今はもう彼らの小児病的非論理には、またやっているのねという軽蔑の思いしかない。いつまでたっても変わらない斉藤哲夫さんや中川浩さん。それにうまく操られているような保守の人々。筋を通していないのは、自分達だと分かっていて、責任転嫁する。空しくならないのかなあと思ってしまう。私に問責決議をするとスカッと気持ちよくなるのかなあ。ざまー見ろって思うのかなあ。

今は6時半(朝)少し眠くなってきた。お風呂に入ってから、西中の卒業式に行く。

少なくとも、もう議会の連中と会わないですむのは、精神衛生上とてもよい。
3月13日(木) 今日は、朝から反対討論を書いていた。論旨に破綻は無いか、議員や傍聴者に理解して貰えるか、考え考え書いた。このところ、コンピューターの前でずうっと原稿書きをしているような気がする。議会レポートも作らなければならない。ネットニュースはどうする。最後の最後まで、私流に情報をたくさん市民に伝えるようにしよう。

事務所に常駐可能な人がいた。10時から3時までだけれど、月金でいてくれるようだ。本当に感謝。頑張って働いて貰おう。とにかく掃除が好きだそうだ。家の事務所にはそういう人が求められている。時には散らし配りも手伝ってくれるらしい。それも嬉しい。
3月12日(水) 今日は、満期になった保険を崩して、選挙用供託金を供託してきた。結局あれやこれやで、一日がかりだった。これで本格的に、選挙の準備が始まった。友達に手伝って貰っているが、常駐体制がまだ取れていない。誰かが、せめて、毎日6時間詰めてくれると嬉しいのだが。いないかなあ。
3月11日(火) 今日は、おじいちゃん(私の父)の誕生日。電話をしたら、喜ばれた。77歳だそうだが、元気でいてほしい。

朝、西口で1時間ほど演説をした。多くの市議会議員がもう挨拶をしていた。偉いなあ。私はどうも挨拶だけをするなんて、我慢ができない。言いたい事、伝えたいことがたくさんあるので、演説させていただいている。議会のインフォメーションだと思って、耳をそば立てている人がいる。分かりやすく話したい。

公選はがきをつくっている。色を塗ったり、はんこを押したりしている。楽しい。でも、時間が掛かって困るなあ。原稿が溜まっている。今、夜中の12時だが、まだまだ終わらない。時間がとまってくれれば良いのに。
3月10日(月)
4444カウント
今日は午前中に市街地整備促進特別委員会があった。広瀬の区画整理事業は最終段階に入った。東口の区画整理事業も予算が付き、順調である。後は西口だけだ。絶対絶対事業を成立させなければ。地権者の皆さん、ご協力お願いします。また、狭山市の職員も頑張ってください。公団さんも頑張ってください。

議会ももっとこの事業に力もいれてくれてもよさそうなのに。ナニを考えているか分からない。皆揃って、共産党のような事を言っていていいいの??上品で、優しく人間臭い街づくり、安全で清潔でそれでいて暖かく感じる駅前つくりをしてほしい。これから狭山市のイメージを高めるためにも、絶対この事業を成功させなければ。

あの、狭山市駅西口をそのままにしていてはいけない。
3月9日(日) 今日は朝、のぞみ教会で礼拝を守った。家に帰って、家事をした後、夫が帰ってきたので、柏原と広瀬で街頭演説をした。特に、金曜日の文教厚生委員会での、私から言わせれば、紹介議員のあの破廉恥極まりない行為は道義的責任をいかほども感じていないらしい議員の様子を見るにつけても、嘆かわしい。

本当に、議会に少し光を見たばかりに、この行為の無節操さがいやになる。でも、市民は覚めたもので、「どうせポーズだったんでしょ、私たちに理解があるようにみせかけて。」とか「そんなものなんだね、議会は」とか言っているという。「あの、趣旨採択って言った議員は選挙をあきらめたのかなあ」と言っている人もいたそうだ。今後この波紋が市政にどんなふうに反映していくのか。

私は請願の採決自身にいま疑問がある。運営上、無効なのではないかと考えている。どうなる事か。

選挙の準備が本格化する。34人ぐらいが立候補するという話である。7人の落選。またまた厳しい選挙になる。やっと、選挙モードになりつつある。ボランティアの方々のお力に待つだけである。
3月7日(金) 今日は、朝から文教厚生委員会の審議の続きだった。議案審査に続き、請願の審査もした。

私は驚いた。本当は請願の採択を目指すべき紹介議員がなんと、趣旨採択を提案し、多数で採択しまったからである。私は議員として、この議員たちの行為は市民を裏切るようなものであると思う。議会に対する信頼をなくする卑怯な態度ではないかと思う。もし、はじめから趣旨にしか賛成せず、具体的施策には反対の思いがあったなら、なぜ紹介議員になったのだろうか。紹介議員になって貰ったということは、採択に賛成して貰ったと市民が理解するに決まっているではないか。

今回、事前に紹介議員たちから、趣旨採択にすることの説明はなかったらしい。市民は裏切られたと思っているのに違いない。いや、それ以上に悲しいのは市民が、議会は自分たちの声を取り上げる気は無かった、結局ポーズだけだったんだと思うことだ。議会に対する信頼や期待をこれらの市民はなくしてしまうかもしれない。議員としては、それが本当に悲しい。

私は今回紹介議員にならなかった。でも、採択に賛成しようと思っていた。お母さん方が1635も署名を集めたのだから、その思いに報いようと思っていた。純真にもお母さん方は、紹介議員に名前を連ねていた議員に感謝していた。そんな思いを踏みにじる行為を議会人として赦せない思いで一杯だ。

いろいろな思惑が取り巻いているのが、議会であるが、少なくとも市民を巻き込まないでほしい。本当に、市民を傷つけないでほしい。私は、党もなく、会派もなく、一人ぼっちでいつも叩かれ続けている。凛と立っていることは本当につらい。でも、私はつよいし、耐えるすべも知っている。しかし、何も知らない市民に対しては、止めてほしい、そんなことをすることを。議会が、市民に対し、信義にもとることをするのを恥ずかしいと思う。そう思わないだろうか、議会人は。
3月6日(木) 今日は、朝から文教厚生委員会の審議だった。きちんと、仕事をするということは、必要なところで必要な事を聞くことにあると思う。まともに勉強もせず、人の質問にあれこれ言う議員が居るが、本当におかしいと思う。自分の意見や質問を言う、言う事が無かったら、じっと人の意見や質問を聞くことは議員として当然の態度ではないでしょうか。行政にしても、いろいろチェックされるからこそ、真剣に仕事をするという側面はあると思います。チェックしないチェック機関で何の意味があるというのでしょう。

自分が部署に行って個人的に聞いてくればよいという人もいます。実際、勉強に行ってそれから質問しているわけです。私が、個人的に知るというのと、委員会で行政としての態度を伺うのとは大きく違ってきます。私は、知識として、行政への質問をしているわけではありません。実際に、行政がどう動くかを確認し、それを市民全体のものとして一般化するために質問をしているのです。質問を個人的な知識を得るためにという風に歪曲するのは、議会対する侮辱にも当たると私は考えています。

今日は、夕方5時過ぎまで質疑をしました。私は、充実した審議は大変良いと思っています。傍聴においでください。明日は、請願審査が文教委員会であります。私はこれにそんなに質問するところがありません。まあ、この前のように、あんまり悔しくて泣き出すということは無いとは思います。

祈りながら、議会に行っていますが、クリスチャンの香りを放つのは本当に難しいと思っています。とにかく、頭が悪いのと、口下手を本当に神様から治していただけたらと、心から祈ります。
3月5日(水) 今日は、午前と午後、議案の審議を委員会で行った。ぶっつけ本番近い審議の中で、やはり今までの勉強したものが蓄積されていると言う思いがあった。ポイントをついた質問が中々出来ないのだけれど、やはり、話すべきはきちんとするのが、議員としての筋であろう。

障害者福祉は難しい。支援になって、なんだかよくわからない。とりあえず、今までどおりの援助が受けられるのだろうか。それが問題だ。障害者福祉はまだまだ良くコーディネートされていないというのが、私の印象だが、コーディネートできるほどの支援のメニューがないというのが現状かもしれない。メインストリームだのインクルージョンだの言っても、まだまだ基盤は整備されていない。
3月4日(火) 今日は、午前中一般質問の最終日だった。午後は食事後、福祉課と障害福祉課に行って、勉強した。何べん聞いても、毎年新鮮だ。それだけ、忘れているという事かもしれないけど。生活保護も障害者福祉も、億単位で支出が伸びている。不況が続いているということと、障害者へのケアにはお金が掛かるということだろう。

午後2時過ぎは娘の学年行事に行ってきた。謝恩会もないし、なんだかさっぱりした6年生だ。でも、25日、卒業式のあとにはスパゲティを食べに行くし、子供はボーリングもするらしい。26日は1時半から卒業を祝う会だし、卒業生の母は何て忙しいのだろう。原稿も山盛りあるし、後ろを向かず、走ろう。選挙の準備がおそくなっている。がんばんなきゃ。駅頭にも立たなければ。あ〜〜〜〜〜
3月3日(月) 今日は、朝9時から私の一般質問だった。今回は、女性問題に私の主張をはっきり出した。気に入らないところがあったようで、中川浩さんが休憩と叫び、1時間の休憩になった。ばかばかしい。若い世代でもおじさん族はいるのね。結局私が議長の言うように、気に入らないとおっしゃる箇所を取り下げて決着をつけた。傍聴者も多かったし、余り時間を取るとご迷惑だなあという思いだった。

でも、なんだか雰囲気がやわらかい。最後の議会を迎えるとこんなに空気が変わっていくのかと思った。一般質問だって、男性もちゃんと聞いていてくれたのに、中川さんはナニを考えているのだろう。議会が保守的であることを傍聴者に知らしめただけだ。自由な発言をあんな形で、自らの首をしめて、それで何にも思わないのはどうしてだろう。議会の役目、言論の自由について、彼はどう思っているのだろう。まあ、彼の考えは推測できるのだが、彼の幼いものの見方に時々辟易してしまうのは、私だけであろうか。いつか彼が一人だけ孤立してしまう時が来るように感じている。なんだか可哀相な気もしている。

午後、予算の下調べをした。環境部の清掃費。毎年お金がもっと掛かる。仕事しているんですから、といわれてもゴミ行政にかけるお金は本当にもったいないという思いが消えない。ゴミに関しては少しでも、経費削減をと思わずにいられない。生活インフラといわれれば仕方ないが、何とかならないものだろうか。第一清掃センターの焼却所を倒すには、ゴミを日糧15トン減量しなければならない。それで、4億円は経費節減になる。でも、並大抵で減量出来ないが、しない事には話しにならない。そうだよね。どうしたら、良いのだろうか。
3月2日(日) 昨日から、原稿を書き始め、今11時45分脱稿した。書くのを止めた。これでよいのか。市議会議員を今のところ止めたいと思ってはいないけれど、もし落選すれば、今回の一般質問で終わりだ。悔いの無いようにと思ってはいる。少し、言いたい事をはっきり言うつもりでいる。

けれど、青少年の問題、犯罪の多発、西口開発、料金の問題、道路のバリアフリー、いわなければならない事が残っている。出来れば、あと1期か2期頑張って市議会議員として市民のお役に立ちたいものだと思っている。明日、9時過ぎから一般質問をします。傍聴お願いします。
3月1日(土) 昨日、つかれきって8時過ぎに眠ってしまった。金曜日は2時半まで、あれこれ原稿のことで悩み、余り神経が高ぶっていて6時過ぎには起きてしまった。木曜日も子供のために弁当つくりで6時おき、夜が遅いだけに、常時睡眠不足。そのうえに、病み上がりと花粉症で咳がとまらないし、睡眠が浅い。昨夜は前後不覚で眠ったようだ。

今日は、家族が私に遠慮して出かけた。原稿書きの最終になるとはっきり言って、家庭を顧みるのが辛くなる。思考がすべて一般質問の原稿に集中されるからで、思考を中断すると元に戻れなくなるのだ。一字めをかきだせれば、何とかできるのだが、その1字目が出ない。

私の提言が部署に良く伝わらないのは分かるし、提言した事がすぐに実現もしない。でも、発言の重みはいやになるほどだ。責任を感じないでいられない。私は基本的に口下手だし、それに、気持ちが先行しやすいし。泣き言ですね。市民のためになり、女性や子供のためになり、男性もそれで人生をゆっくり過ごせるようになり、男女ともに心豊かに生きられる社会を作る手助けとなるような、施策を提言したい。

去年アメリカに行ってきた。日本は不況と言われるけれど、やはり豊かだ。豊かな日本をどうするかだが、きっと男女が同じように働き、家庭を築き、その分男性の就労時間が少なくなるので、時間を家庭や趣味やボランティアにいかせるそんなアメリカ型社会にに移行するのだろうと思う。男女共同参画社会なんて難しい言葉で表現しているが、男女が働くことにより、男性の労働を軽減してまた女性がそれを多少肩代わりする変わりに、仕事以外の生活を充実させるというのがそれであろう。

でも、私が、去年見聞きしたアメリカのように、それが過ぎた時からある面退廃が始まるのは仕方ない。日本でそのときが来るのはいつだろうか。リッチな老人が多くなってきている今、もう始まっているのだろうか。男女が共同して生活する基盤整備も始まっていないのに、すでに、働かなくても食べていける豊かな老人による国の甘やかし、退廃が始まっていると思うと、日本が腐るのではないかと心配だ。その後にナニが来るのか、アメリカからもうまなべない。

個人としては、信仰を持って質素に、自分の命を神様に委ね、力の無い人に、弱い人のために、救いを待っている人のために、自分を捧げきった人生を送ろうと思う。マザーテレサの中に本当の愛と豊かさを見たように、わたしも神さまの栄光をたたえるようなシンプルな生き方に徹しようと思う。強い意志を持って。

現在メールがあった県: 大阪、岡山、福井、新潟、埼玉、新潟、神奈川、東京

私のメールアドレスは
kumiko@takahashi.comです。たくさんのメール待っています。
戻る