私の独り言 2004年
こんなに硬い内容の独り言を聞いていただいて感謝しています。ありがとう。
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心のままに思っていることを書いていこう。嬉しいことに喜び、悲しい事に嘆き、
怒る事も忘れまい。一生懸命生きようと思う。

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8月 私の独り事
31日(火) 今日は、あさ5時過ぎに起き、一般質問のための勉強をした。前にした質問を確認して、今回の質問では答弁を少しでも前向きにしたいと願っている。自分の言いたい事をよくわかっているので、引き出したい答弁も分かっている。

8時半過ぎに至聖病院に行き健康検査を受けた。11時ごろヤオコーによって帰ってきた。昼ごはんを子供に食べさせた後、役所に行った。はじめは、1時半ごろまで少し1人で勉強をと思ったがなんと1時過ぎ、教育委員会体育課の課長が来た。その後は帰る7時半ごろまで次々に役人さんがやってきて、ヒヤリング。まあ、いろいろ考えがあり、私の思うとおりに行くわけでもなし、、、、

女性に関してや、男女共同参画に関して、私は自分で頑張っていると思うし、世の中はかわり、行政の姿勢も変わったと思う。後の施策はお金との兼ね合いと言う感じだ。仕方ないけど。男女共同参画の子育てで男にできないことは妊娠し出産するだけ。男性だってあとは何でもできる。女性と対等の子育てできるように男性を助ける行政であってほしいと思う。
30日(月) 今日から議会が始まった。だから、その前に狭山市駅西口、東口で議会が始まる報告をした。いつもの事。朝、また5時半に起きてしまった。眠れないから、そのままずうっと起きている。議会は10時ごろから始まり、2時近くに終り、その後全員協議会。建設委員会協議会などを済ませた。早々昼には議会だより委員会もあった。建設委員会協議会が終わった後、ヒヤリング。今日は、役人さんを待たせるなという話が議長からあったが、私が待たせているのではなく、待っているのをどうしろと言うの。「お願いだから、待っていないで」とは言ったけど。

夜帰ろうと思ったら、8時だった。子供達はうなぎ御飯を食べてしまっていた。最近は自分のことを自分でできるようになり、仕事をしすぎる。(と言うのも、視察があって議案の勉強が遅れているからだ。)これから、一般質問の原稿を書こうと思うが、体がニュージーランド時間で、夜は早く眠くなる。こまったなあ。

ところで今日ニュージーランドのことを話していて笑ってしまった。ニュージーランドは南に行くほど寒いのです。あたりまえだけど、北島だからとても暖かいとか言われると、“?”と思ってしまう。北海道はさむいもんね。北の方が寒い気がして、南は南極に近いから寒いのですと言われても変な感じ。

その寒い島にやしの木があったりするから、混乱してしまう。しだの木があるそうで、ある人はこの島には絶対恐竜がいたよねといっていた。本当に、どこからか恐竜が出てきても不思議のない感じがする変な国だった、ニュージーランドは。木の形も、もうクエスチョンマークと言う感じの見たこともないような木がたくさんあって、枝ぶりも日本になじみがないだけでなく、アメリカでも見たことの無いような木だった。本当にあの国は不思議な国だった。ロード オブ ザ リング のロケ地になったのも違和感ないよなあ。
28日(土) 今日は、時差のため、6時過ぎにおきてしまった。ニュージーランドは3時間早い。ニュージーランド時間では9時まで眠ったことになる。

早祷会に夫とともに7時過ぎに出かけた。8時半ごろサイレンを聞いた。「そういえば、防災訓練だ」と急いで帰ってきて、防災服に着替え出かけた。服が小さく(?)なっていて入らない。しょうがないので上を羽織っていった。訓練のようすを見させてもらった。

午後はスーツケースの中身を出したり、洗濯したりしてゆっくりしている暇もなし。仕事もあるのに進まない。(業務連絡)ごめんなさい。明日中にはけりをつけます。
27日(金)
16100カウント
朝8時にホテルを出発しようとした。なぜなら10時半離陸の飛行機に乗らなければならないためであった。ところが、なんとバスのエンジンがかからなくなった。1センチもバスは動かない。冷や汗をかきながら、待った。台風は来ているし、日本への直行便は週に2回しかない。この便を逃したらいつになって帰られえるか分からない。怖かった。しかし、シャトルバスを3台チャーターして飛行場へ乗りつけた。とにかく、帰れてよかった。バスが動かない間、25人の議員らは穏やかにバスの中で待った。何しても仕方ないのは分かっているし、きっと旅行社が手立てを尽くすだろうと思ったからである。それでも、内心はとても心配していた。今日帰れてよかった。

夜、成田発所沢行きのバスに乗って帰ってきた。夫が迎えに来てくれた。お土産をほとんど買わなかったのだが、資料が溜まってスーツケースが重くて仕方なかった。11時ごろようやく帰宅できた。皆が私を待っていた。「お母さんが帰ってきてよかった、よかった」と喜んでいる。そういえば、1週間も家を留守にすることなんか、結婚以来、また、子供を生んで以来なかった事であった。私は充実した時を過ごしたのだが、家庭は大変だったようだ。おやおや。
26日(木) 今日は、午前中に民間の障害者支援事業社を尋ね理念や仕事の内容の講義を受けた。そのあと、非営利事業所の障害者支援情報センターを訪ねた。一般的な情報センターの役割のような話を聞いた。そのあと、ショールームで展示してある福祉器具を見た。私は一つ缶オープナーを買った。

午後は養護学校を見に行った。90人の5歳から21歳までの生徒がいた。まだまだ、知的障害者、特に重度の人の知的障害者の社会へのインクルージョンは難しいようである。残念だ。養護学校には体育館がなかった。鍵もかかっていた。いなくなる子供がいるのだろう。狭くて、日本の養護学校の方が環境としてはよいように感じられた。やっている内容もありふれていて、何を学べばよいのかわからない。もっともっと考えてみよう。お金持ち日本のよさを感じた。

夜、ディナーに出かけた。最後の夜、皆はロブスターなんかをいただいていた。素敵なレストランでワインもおいしかった。しかし、私は、スープも蟹が入っていたので食べられなかったし、勿論ロブスターも食べられない。幹事が可愛そうに思ったらしく、ステーキを取ってくれた。まあ、最後の晩餐はキューイステーキとなった。味はまあまあだった。でも、サイズが大きかったのでよし。

夜10時過ぎ、スーパーマーケットに食料を買いに出かけた。ジムさんが何が食べたいだろうかと考えながら買った。一緒に行った人に冷やかされたが、愛している人の為においしそうな物を選ぶのは楽しい。ジムが喜ぶといいけど。缶詰、歯磨きを買った。お土産はちょっとしか買わなかったが、余分な買い物はしない方がよいと思っている。これで、他の人にブラックソンは質素だと言う評判を貰った。実際、私は質素な人である。
25日(水) 午前中、保育園を視察した。その後、老人施設を視察。国によっていろいろな施設がいろいろな方針下で設けられ、経営されている。保育園も保育者一人当たりの子供数は4,5歳では10人にひとりで、日本の30人に一人とは大違い。また、3歳児だって日本は25人に一人、ニュージーランドは10人に一人。ただし、保育者に資格保持者がいなくてもよいのはニュージーランドの特色だ。日本の方が良いように見えるが、日本の場合資格を持っていても一度も再点検されていないので、現場にいない資格者の経験の問題がある。

老人施設は日本の物だってもっとよいのだが、ニュージーランドの場合アットホームなのである。清潔で何の飾りもないまるで病院のようなところに比べ、暖かで優しい感じがした。犬がいて誰かが飼っていた。病院(特別養護老人ホームのようなもの)、ケアハウス、退職後ハウスを非営利企業が経営していた。住宅街の中に違和感もなく立っていた。市街化調整区域の中でまるで牢屋のようにたっている日本の老人施設とはちがうなあ。

夜、御飯をサンドイッチで済ましてから、マオリ族のミュージカルのようなものを見に行った。ニュージーランドの人にとって、鯨は信仰の対象であって、ある国の人が牛を食べられないと言うのと同じなんだと分かった。文化を知らないと理解が深まらないと思う。神様の魂を運んでくる鯨を取って食べるとは、なんと日本人は無神経だろうと言うのがニュージーランドの人の思いかもしれない。
24日(火)
16000カウント
今日は、朝9時から女性省で講義を受け、そのあと老人局で講義を受け、大使館でお昼をいただいた。午後は、議会に戻り国会を傍聴。党首の議論をしていて、聞いて面白かった。癖のある英語なのでところどころしか理解できなかったが、英語が分かると本当に便利だとつくづく思った。国会内を見学。夕方、飛行機でオークランドに戻った。
23日(月) 今日は、朝ニュージーランド、オークランドに着き、ウェリントンに行った。ウエリントンでは、政府の高官から女性政策についてや児童福祉などの講義を受け、その後国会議事堂に行き、女性担当大臣に会い政治の講義を受けた。夕食は7時半から。疲れた。雪が降り、本当に寒い。
22日(日) 今日は、朝12時のバスに乗って成田に着いた。夜6時のフライトでニュージーランドに来た。
21日(土) 今日は朝子供を川越に送ったりして、忙しかった。

午後からは麹町に女性の政治スクールに行った。樋口恵子さんと熊本県知事の潮谷さんの2人の講演。樋口さんの「老婆は一日にして成らず」「女性の道は老婆に至る」という格言はローマは一日に、すべての道はローマに続くをもじったものもだろうが、うんうんとうなずいた。21世紀はばあさんの時代で2050年までに4人に1人はばあさんになるのだそうだ。高齢化社会は平和な社会である。高齢者がいないのは、平和でない証拠だそうだ。昭和20年、男子23歳女子37歳が平均寿命だったそうである。今はなんと幸せな事。60年の平和が日本人を50年も平均寿命を延ばした。素晴らしい。幸せな老人のいる日本にしていきたい。ところで現在だってアフリカは平均寿命が30才台のところもあるそうである。日本の70歳以上の自殺率はなんとスウェーデンを抜き、ベルギーを抜き、世界三位だそうだ。特に、年取った男性の自殺率は世界1らしい。どうしてだろう。

潮谷さんは、ご立派になられてつまんない。何べんも講演を聴いているのだが、はじめの頃はもっと平易なことば使いだったと思う。まあ、今回はほとんどが議員の中で行政用語を使うのをためらう必要も全然なかったので、立て板に水の講演だった。明日から、ニュージーランドに行く。女性のシェルター見学ができないようである。本当に残念でならない。女性政策が進んでいることで有名なニュージーランドなのに。私は、毎年のようにニュージーランドの方の女性政策について講演を聴いている。実地に行き、その香りだけでも触れてこよう。

早々、いま少子化が問題になっているところは、男女共同参画の取り組みが遅いところに多く、アメリカとの戦争に負けた国々、日、独、伊、プラス、スペインだそうである。女性政策がしっかりしている国々は子供が生みやすいせいか少子化対策も万全らしく特殊出生率は比較的高いのだそうだ。因果関係が証明されたらしい。樋口さんは過激かもしれないがと言い訳をしていたが、イスラム社会の女性差別が文明社会(!?)によって破壊されるのは致し方ないし、女性を平等にしない社会は結局国際的に生き延びられないのではないかといっていた。そうかもしれない。日本も早く男女共同参画社会を構築しなければ、生産力そのほかで国際社会から取り残され、埋没してしまうだろう。ちなみに、樋口さんの講演はいつ聞いても楽しい。
20日(金) 今日は、朝から全員協議会であった。いろいろな報告があった。問題になったのは、事務事業評価について。評価の基準がよくわからないと言う指摘があった。私も水富公民館の評価が妥当性で他の公民館に比べ低いのが気にかかった。妥当性というならば、他の公民館とは同じようなものではないか。コストや効率は悪くとも、具体的な評価内容をみて仕方ないと思ったが。HPでの公表は、説明をよくつけてからということである。

次に問題になったのは、広域消防で所沢市を中心に一部事務組合を作り行うということである。そもそも、広域消防を行えば、消火活動が進むかと言えばけっしてそうではないし、経済的でもないだろう。合併がすすんでいるのだから、狭山と入間市の消防の合併だけで十分だと思うのだ。私は1年半前に指摘していたのに、消防側は進めている。助役も話をよく聞いていないようである。全く、どういう組織なんだ、消防署は。狭山市から独立した機関なのか。

ヒヤリングがなされている。早く原稿をと言われる。自分を追い込まないとできない。一人、部屋に閉じこもらなければできない。困った。夜仕事をしようとしているが、オリンピックで柔道が健闘しているので、落ち着いて仕事にならない。
19日(木)
15900カウント
今日は朝娘を歯医者に連れて行き、午後は神経精神センターに連れて行き、5時からはなんと役所に行き、打ち合わせをした。5時から人間と言うのは、5時から働くと言う意味だった。

頭の中では言いたい事が一杯あるが、それを一般質問にするのは難しい。本当に。

睡眠不足。オリンピックと私的ビジネスのため。
18日(水) 今日はいろいろあったが、幸せだと思おう。家は貧乏でお金が少し溜まったと思うとあっという間に出て行ってしまうが、皆健康で愛し合っているならばよしとしよう。忙しいのに、気力が充実しない。今日は少し暑くなったから。

昨日一般質問の通告をしてきた。原稿を書かなければならない。憂鬱なひと時が始まる。仕方ないか。《業務連絡:連絡したい課の方は来週はニュージーランドへ視察に行きますので、早く接触してください。お願いします。》
17日(火)
15800カウント
洗濯物をしたり、部屋を少し片付けたりして、午前中が終わりました。午後からは役所に行き、2時半過ぎに帰ってきてからミーティング。この後、人が来たりして、ミーティングどころではありませんでした。この分で行くとスタッフとは結局、9月3日一般質問の日まで会えそうもありません。私が忙しいからです。

オリンピックが始まっています。金メダルをたくさん取っていて、見ていて興奮します。でも、どこかナショナリスティックな感じがし始めて、純粋にオリンピックを楽しめなくなっています。悲しいな。アメリカがあまり調子よくありません。戦争をしている国はスポーツどころではないというのが本音なのかもしれない。そんな風に思っています。夫は昨日アメリカが何かに勝ったのを喜んでいます。日本の放送にアメリカが勝つシーンを見るのは少ないものですから、たまに私も夫とともにアメリカの勝利を喜んでみていてやります。私が喜ぶと夫は複雑な面持ちです。どうしてだろう。。。。
16日(月) 帰ってきました。別荘に比べ、この家の小さいこと。息が詰まりそうです。休みつかれもあります。明日からがんがん働きたいとも思っています。メールがたくさん来ていたし、ファックスも。大変です。
15日(日) 今日は朝礼拝。午後、ブルーベリーを摘みに出かけた。子供達は、これを楽しみにしていたのだが、残念ながらシーズンが終わりで多く取る事ができなかった。それでもブルーベリー摘みに行った事が楽しいかったようだ。帰りに、臼田の図書館と佐久の図書館に行き、本やビデオを返した。その間、子供はピーナツバターバナナサンドイッチを食べていたが、おいしそうで2斤作ったサンドイッチは足りないと言っていた。すごい食欲である。

帰ってきたら友達が来ていて久しぶりに立ち話をした。そうこうしているうちに家では掃除が始まっていて、子供達がきれいに床を拭いていた。ピカピカ。すごい。

夜は、オリンピックを見てすごした。子供達はビデオ。
14日(土) きょうはジャステンがバイブルキャンプに行きたいというので連れて行った。。キャンプ場に行くまで渋滞があり、299を通って松原湖まで行ったので、時間がかかった。友達もまだワーカーをしていたりするので、ジャステンはキャンプ場で友達と会って嬉しそうだった。何しろ彼は小学校から中学校3年までほぼ毎年、夏はバイブルキャンプに来ていた。だから友達も一杯いて、毎年再会するのを楽しみにしていたと言うわけである。日本のクリスチャンの世界は狭いのである。子供の時からの知り合いも多い。皆洗礼を受け、クリスチャンとして生きていく。神様は生きて働いている。

夕方、中込の駅からジャステンを直江津の実家に送った。8時ごろ着いたようだ。おじいちゃんもおばあちゃんもジャステンの顔を見たいとそれはそれは待っている。待たれているうちは、会いに行こう。ジャステンたち孫も合わせたいと思う。帰りにお金を下ろしてきた。全く、どうして夏はこんなにお金がかかるのかと嫌になってしまう。ボーナスなんてまとまった物を買ったわけでもないのに、なくなった。
13日(金) きょうは少し疲れていて、子供の遊びの相手をする気がなくなってしまった。このホームページのこともあり、読みたい本を読んでいたかったりして、午後までずうっと過ごしていた。私は、自足していてただただこの静かな別荘でこんな風にしているのがすきなのだが、子供達は所在なさそうだった。

夜、ジャステンが来ると言うので佐久平の駅まで迎えに行った。8時15分の新幹線から待っていたのに、やって来ない。結局きたのは10時の新幹線だった。その間、ジャステンに会いたいと野沢福音教会の友達が会いにやってきた。1時間ほどおしゃべりをして行った。私は今凝っている山本周五郎さんの話をした。彼女はカウンセリングの話。ジャステンとSくんは旧交を温めていた。この前まで小学生だったのに、皆大人っぽくなってしまう。

子供達は少しずつ、休暇に飽きてきたようだ。私も少し、忙しい生活に戻りたくなっている。ちょうどよい、バケーションだった。
12日(木) 今日は、朝一生懸命掃除した。よくよく汚くなるものだ。たった4人しかいないのに。私はその後本を少し読んで、娘達を釣りに連れて行った。前一度行った事があって、娘がもう一度したいといったのだ。それは、臼田のコスモホールが初秋している堀で、一人300円出すとえさと竿を貸してくれる。前は魚をもって帰って食べてもよいと言われていたが、今回行ったら鯉ヘルペスがあるのでつるだけですとのこと。それでも、1時間ぐらいかかって、鮎を2,3匹釣って子供達は満足そうだった。

私はその間、臼田の図書館で本を読んでいた。すずしく快適だから実に本がよく読めるのだが、どういうわけだか山本周五郎に凝ってしまい、それも評伝に凝ってしまい、昨日は木村久邇典さんの山本周五郎の青春時代と馬込時代をかりてきたが、今日は素顔の山本周五郎をかり、土岐雄三さんの編集した山本周五郎から来た手紙を借りて、あれこれ読んでいる。

時々、山本周五郎がまるで自分のように感じる。人の好き嫌いが激しく、狭量ともいえる自分の思いへの固執、寂しいのが嫌いなくせに孤独癖がある。家族を愛しているのに、一定程度距離を起きたいという思い。彼には生涯よい小説を書く(大衆小説ではなく)と言う強い意志があった。私はその点情けないが、市議会議員として自分を全うしていくのだと言う強い意志があるかと思ってしまう。勿論、議員とし精一杯の事をしていく事はきのうもかいた。この年して他に何かをしたいのかといわれれば、あれもこれもと思いはある。しかし、なんとなく制動がかかって動き出さないと言う事は、まず神様の与えてくれたこの道を進んでいくのが御心だと言う事なのであろう。

山本周五郎さんを書いた木村久邇典さんの優しい目が好きだ。特に亡くなられてすぐに書いたと思われる「素顔の山本周五郎さん」を読んで私は山本さんがとても羨ましく思った。仕事のためとはいえ、木村さんはよくよく山本さんを知っている。優しく丁寧に山本さんの思いを山本さんへの思いをつづっていられる。私は好きだなあ、こういう文章は。決して、山本周五郎さんを英雄視しているとは思わない。いやな点をあげつらうような評伝もあるだろうし、そのうちには山本周五郎の本質を突くほどのものはあるだろう。でも、20年間もそばにいてくれた木村さんの
  「欠陥を暴こうとすればするほど、あの“孤立無援”ともいえる状況下で、あれだけ多くの立派ンあ作品を、よくぞ残した、先生よくやった!と言う胸奥からの声がしきりに聞こえて、わたくしを涙ぐませさえしてしまうのであった。」
と言う文章が本当に分かる思いなのだ。尾崎士郎が曲軒となずけたようだが、私も木村さんと同じように世間ではそういうかもしれないが、直軒だからこそそういわれたのではないかと思う。とにかく、木村さんは戦後の山本周五郎さんをよく知っていた人で優しく理解してくれていた人だった。そんな人に生き様をさらけ出しながらよく小説を書けたものだと私は山本周五郎さんの大きさを感じる。

木村さんの小説を一冊も読んだ事はない。彼は山本周五郎と死ぬまで一緒だろう。もしかして、彼は今生きていいないかもしれないが、山本周五郎によって、山本周五郎の作品がある限り木村久邇典さんはいつまで日本文学会の中では行き続けるだろう。もしかして、こういう山本周五郎を木村さんにプレゼントして逝った山本周五郎さんは本当に木村さんを愛していたのかもしれない。自分を丸ごと人に与えるというのは、難しい。特に、家族にはさらけ出せない部分もあるので、山本さんが木村さんに甘えていたと言うのは簡単だが、それ以上に与えていたと言うのが本質だと思う。
11日(水) 今日は、朝夫が塗ってほしい言い残して帰ったデッキの手すりを塗り、昨日私の塗ったところももう一度塗った。今日は娘が手伝ってくれて、2人で塗り終えた。早くできたが、やり終えた気持ちが嬉しい。その後、1冊本を読み、昼ごはんを作った。全く、人間は食べるものだ。私一人ならばちっともお腹は空いてはいないが、子供達はちゃんと3度3度お腹が空く。私も成長してしまいそうだ。

午後は、子供達をプールに連れて行き、私は佐久図書館でhpを見たりした。全くトロイコンピューターで立ち上がりも遅く、のろのろ。新聞社のHPを見て、新聞を読んでいない埋め合わせとする。私のhpも覗いたが、勿論Upされておらず、つまらなかった。

山本周五郎の評論に今凝っていていろいろ読んでいる。木村久邇典さんはよくよく山本周五郎さんについて書いている。彼はクリスチャンでない。だから、彼の周五郎から一切クリスチャンの香りが抜け落ちている。あまりにもそれを無視するので、なぜだろうと訝る。

青べか日記の一節より

幸運を望む男よ、
お前が二つの結果を得る為に
十のことをしたら必ず
幸運は来るぞ

25,6歳の才能はあっても、学歴も、つてもなく、不遇な若者が自分を鼓舞し、たゆまない努力への決意を述べているところである。強い意志、意欲を見るが、この若者の思いが私を打つ。

いい年をしてと言うかもしれないが、私はどこで何をするために十の努力をしようとしているか。市議会議員として何をどう進めればよいのか。全身全霊をこめてのめりこまなければならない狭山市政治課題とは?勿論、筆頭は入間市との合併問題であろう。次に私が目指すべき課題は障害者問題と青少年問題。観念的にならず、実際上の行政課題として行きたい。

ところで、今日の夕食の時の食べたミニトマトは別荘の前の本田さんのトマト。「取って食べてくださいよ」と言われて、遠慮なくいただいている。お礼も持ってきているのだが、ぜんぜん会わない。体調が悪いのだろうか。実はきゅうりもいただいてきた。お化けのように大きくなっていたので、腐るともったいないと思い取った。子供達は、味噌をつけてきゅうりを丸かじりした。おいしそうだった。
10日(火) 今日は、朝ゆっくり起きた。8時過ぎに私達夫婦は朝ごはんを食べたが、子供達は9時半までおきてこなかった。昨日の海水浴で疲れている。ジムは朝ごはんを食べると外のデッキを掃き始めた。今日は、デッキのステインを塗り直すのだ。防虫、防水、撥水、抗菌、ETCと効力のあるものを勝ったのだが、なんと3リットルで1万円近い。私はけちをして、あまり雨の当たらないところは4千円ぐらいしかしない安物で済ましてしまった。別荘は楽しいが、管理が大変なのである。

夫は1日中、ペンキ塗りというかステインをデッキに塗っていた。私だって、手伝った。息子も手伝った。娘は疲れて寝入っていた。発作が心配で寝させていた。ジムと息子は夕御飯を食べて、狭山に帰って行った。夫はこの別荘がなかったらもっと海外旅行も楽しめたのにと言っていた。そうかもしれない。休みはいつもこの別荘で過ごしているので、旅行をしたことがないのが夫の不満なのだ。でも、私は観光旅行をしたいと思わない。きっと視察であちこちに行くので(勿論観光はしないが)別荘で静かに本を読んでいるのが一番なのだろう。どこで本を読んでも同じ?そうでもないんですよ、これが。

夫と息子が帰ってチョッと寂しい。
9日(月) 今日は、朝、直江津に海水浴に出かけた。マクドナルドで昼ごはんを食べ、実家で水着に着替えて出発。浜茶屋なんかに入らず、海水浴。夫や息子はくらげに刺されたと言いながらも、水は温かいし、遠浅の海岸で遊んでいた。女の子達も楽しそうだった。1年に1回の海水浴。こんな楽しみが続くのもいつまでだろうか。

とはいえ、私は泳がずに実家に戻って、親や弟とおしゃべり。ちょうど、弟が伯父の葬式から帰ってきたところだった。もう、何十年もあってはいない。88歳。長生きだった。酒乱ほどお酒を飲んでも長生きの人は長生き。おばさんは11年も前に癌で逝ったのに。

地方の商売はまだまだ回復なんて状態ではないようだ。弟の所も大変だ。かわいそうだが、何もしてあげられない。祈ってきた。祈りが聞かれるとよいのだが。すべて御心のままだ。

私達は夕御飯にお寿司を取ってもらって、たらふく食べ、飲んで帰ってきた。直江津のお寿司はネタといい、御飯と言え、おいしい〜〜〜。ジムがビールを飲んだので、私が運転して帰ってきた。2時間ほどで別荘に着いた。
8日(日) 今日は、朝早く起きて礼拝に出かけた。午後は、うどん屋に行って食事。外食なんて、6人という人数になると払うお金の額が怖くてチープなところを友達に聞いて出かけた。安い割にはうどんに腰があっておいしかった。「又、来ようね」と言って出てきた。

そのまま、子供と夫は小諸のプールへ。私は買い物をし、戻ってきた。家に入ろうとしたら鍵がないので、管理事務所に行き、預けてある鍵を戻してもらって帰ってきて、ようやく家に入ることができた。なんと3時半。

その後、洗濯物を入れたり、干したり、デッキの掃除をしたりしたら、もう5時。御飯を炊いて、夕食の支度を整えた。夕食後、又読書。涼しく、子供達もいて、幸せで満ち足りている。感謝しながら、今後の備えをしている。
7日(土) 今日は、息子と娘がバイブルキャンプから帰ってくるので、お迎えに出かけた。松原湖まで1時間近いドライブ、息子と娘はとてもよい時間を持ったらしい。感動していた。彼らの人生の中でいつかバイブルキャンプで与えられた喜びが実践できるとよいと願っている。

帰りは少しハイキングをしたいと思ったが、道を間違いなんと大回りして戻ってしまった。パン屋によってかえってきたら、土中から雨が降り始め、帰ってきたら空は真っ黒になって豪雨状態になった。雨が木々の葉を打ち、大音響。なんと5時過ぎまで雨が降っていた。

雨だったから、デッキのペンキを塗り直そうにもできず、私は午後中読書、子供と夫はお昼寝。最高気温が25度とので、快適。お昼寝もよくできると言うもの。夕食後、子供達は夫とともに花火を見に出かけた。10時頃帰ってきた、その後パーティーをするとか言うので、とんでもないと言って全員を寝させた。私は12時半まで読書。
6日(金)
15700カウント
今日も朝ごはんを食べたら10時近かった。子供達がプールに行きたいと言ったので、佐久のプールに連れて行った。私は隣の図書館でインターネットで自分のホームページを見たり、狭山市の公式ページを見たりして、一応狭山の状況をチェック。何事もないようだ。

帰ってきて、昼ごはんを3時半ごろから食べた。少ししたら、すごい雷が始まった。山(高度1000メーター)にいると雷もすさまじくてバリバリと地響きした。1時間ほど停電まであり、山の雷雨の怖さを体験した。それにしても、夕暮れ、雷雨を見ながらデッキにいるのは、優雅な気持ちだ。停電だから、キャンドルライトの明かりで。夜の御飯はサンドイッチと言うことだから、尚ゆっくりしていられた。

今日は、私達の21回目の結婚記念日だった。私は何にもして上げなかったけど、ジムは素敵な蘭の花を私にくれた。素敵なカードと甘いチョコレートも添えて。私は勿論彼をハグし、キスをあげた。これからもお互いを思いやって、結婚生活を続けて行きたい。よい夫が与えられ、よい家庭が整えられている事を神様に感謝したい。

6日は広島の原爆記念日である。9月11日の3000人のテロにヒステリックになる国民なのに、10万人を殺してもぜんぜん平気でいられるアメリカに私はどうしても違和感を覚える。理解できないなあ。今だって、イラクの復興支援なんて考えてもいないんだろうなあ。自分達の石油の取り分だけしか考えていないんだろうなあ。今日のNHKの特集を見ながら、アメリカが広島の復興を助けなかったと言うくだりを見て、もうあきれ果てた。そういえば、私の小さな時、原爆の悲惨さを言う人がいなかった。きっと、アメリカからの言論規制があり、その上、あまりにも悲惨だから日本国民に多くを語らなかったのだろう。私は原爆記念館を訪れることが未だにできない。

平和の時、平和の必要を語ることに熱心だった人がいまそれがだんだん減っているように思う。平和が脅かされそうな時、どうして平和の必要さをもっと熱心に語らないのだろう。市議会議員あたりが戦争反対などというのはいかがなものかと言われる。どうして?市議会議員じゃなくても、単に市民だって戦争反対を言うべきだ。戦争にどんな理屈をつけても、屁理屈だと私は思っている。よい戦争はなく、悪い平和もないと思う。
5日(木) 今日は、朝ゆっくり起きた。それで、朝食はブランチ。10時ごろになってしまった。フレンチトーストを皆がおいしく食べた。散歩をしたりして、はっとしたら1時過ぎ、友達は佐久のショッピングセンターとお土産屋にもより、4時過ぎに帰った。私達もスーパーに寄って、ミルクを買って帰ってきた。夕方は少しゆっくりできて、嬉しい。友達と遊ぶのも楽しいけれど、ゆっくり静かに本を読んでいるのも楽しい。

7時過ぎに夫が狭山からやってきた。腰が痛いといっていたので、長距離ドライブを心配した。無事着いて安心。やはり、夫が来ると嬉しいし、心安らぐ。
4日(水) 今日は午前中に友達第2団がやってきた。車で佐久駅まで迎えに行った。歓迎の意味も込めて、昼ごはんにバーベキューをした。最後に炭が残っていたので、夕御飯ように秋刀魚を焼いた。隅で焼く秋刀魚はおいしい。息子と娘を松原湖バイブルキャンプに連れて行った。その間に友達第1団は帰っていた。

お昼ごはんを12人で食べたのに、夕御飯は6人になりひっそりと寂しい。家が大きい事と外の音が何もしないから、本当に静かなのである。
3日(火) 友達が遊びに来た。道に迷ったらしく、3時間近くかかった。少し心配していたが、無事着いてよかった。あちこちで迷ったようだ。夕御飯にバーベキューをした。おいしかった。夜暗くなってからだと、蛾が来るので明るいうちに食べた。食べてから、温泉に行った。のんびりした。
2日(月) 今日は、朝は娘達が玉子焼きを作りトーストを焼いてと作ってくれました。その後、布団を干したり、選択をしたり、散歩に行ったりしていたら、もうお昼。昼ごはんを作り、少しゆっくりしてから、コスモタワーに子供を遊びに連れて行きました。私はその間に図書館に行きたかったのですが、ごたぶんにもれず、月曜日はお休みでした。買い物をして、帰ってきたら、もう5時半、洗濯物を入れたりして、夜は息子の作った御飯を食べました。山では余計な事がないので子供は良くお手伝いをしてくれます。涼しすぎる別荘ですが、本を読んだり、のんびりするには格好の場所です。よく眠れます。太り始めました。
1日(日) やっと夏休みが取れて別荘に夕方やって来ました。でも、子供を用意させ、自分も用意し、家のこともある程度目どを立てて、出てくるのは主婦としては大変なのであります。とはいえ、夫と長男は家にいるわけですので、その点気が楽です。ようやく携帯電話が通じるようになったのですが、山間なので山の上に行かないとよく通じないと言うハンディがあります。困ったものだ。だから、電話も掛からないのでのんびさが増すというわけです。明日からの実際上の夏休みに期待しています。

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